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「flow」第2部 6.嘘がつけないローレンツ
#完売本 #クロロレ #flow #フェルディナント #リンハルト #現パロ
※ベレトとリンハルトが書類上の結婚をする描写があります。
縦か横かそれが問題だ。ベレトが実際に見なければ答えの出ない難問に頭を支配され、椅子の上で膝を抱えてうたた寝をしているといつものようにローレンツがやってきた。
「そうそう、この間言っていた探し物だがクロードが見つけてくれた。排水管の奥に引っかかっていたよ」
そう言って彼は左手の甲を見せた。薬指には石が二つ嵌まった指輪が光っている。クロードとローレンツは愛を証明するはずの物を利用してまで檻の中のベレトに答えを持ってきてくれた。
星が二つならレリーフは横長だ。今以上に教え子たちに負担をかけることになるが仕方ない。甘えさせてもらおう。ベレトは唯一使用が許可されているペグシルを鎖で拘束されていない左手に持ち、レイピアに見立てて何度か素振りをした。
「婚約指輪、見つかって良かったな。俺も嬉しいよ」
恩師の腕が空気を切る音を聞いたローレンツが驚いて目を見開く。何故そんなことを、と質問しようと口を開いた瞬間、柔らかなペグシルが合金製の扉に突き刺さった。
「やはり柔らかすぎるな。ローレンツ、壊れても惜しくないボールペンをくれ」
目の前の光景に呆気にとられたのか、ローレンツは素直に銀行で貰ったロゴ入りのボールペンをベレトに渡してくれた。これなら大丈夫だろう───ベレトは一歩踏み出し再度、合金製の扉を鋭く突いた。その背にフォドラの人々ならば誰もが知る炎の紋章が浮かぶ。それは統一フォドラの象徴で、千年の時を経た今も公文書や旅券の表紙に必ず印されていた。
若草色の髪に若草色の瞳をした王が天帝の剣を振るうとその背に炎の紋章が浮かんだと言う。
警報が鳴り響く中、扉には先ほどとは比べ物にならない深さの穴が穿たれた。顔を近づけて覗き込めばそこから廊下の様子が伺えるだろう。ローレンツは全く予想していなかった恩師の行動と常識を超えた結果に唖然とした。危ないことはしないでくれ、と止めるべきなのに体が強張ってしまったのか椅子から立ち上がることすら出来ない。
マジックミラー越しに監視していた捜査官が慌ててベレトとローレンツのいる部屋に飛び込んできた。警報でよく聞こえないが、駆け足の音は他にも複数したのでこの数十秒の間に完全に包囲されただろう。
「やはりアガルタの手のものか!」
壊れた扉から真っ先に飛び込んできた捜査官がベレトを怒鳴りつけた。眼前に立つものが千年生きている可能性とアドラステア帝国最後の皇帝であったエーデルガルト=フォン=フレスベルグのように炎の紋章を植え付けられた何者かである可能性を天秤にかけて後者が勝ったらしい。ベレトはぶつぶつ言いながら体を折り曲げ、伸びきったシャツの裾から鎖を付けられていない左手を入れて何かを探っている。不自然な角度に腕を曲げると彼は左胸から何かを剥がした。
「あんなコストの高い魔法を使う必要はないんだ。ある程度の魔力と電磁気を感知したら無意識でもサンダーを発動する、と術式で設定すれば医療機器は壊し放題だからな」
ローレンツも含め、ベレトの周りにいる全ての人々が呆気にとられていた。ベレトは目を細め衝撃で瞬きが止まらなくなっているローレンツの頬を何度か指ですうっと撫でた。
「婚約おめでとう。我がことのように嬉しいよ。どんなことがあっても二人できちんと話し合えば乗り越えられる。だからそれは幸せを諦める理由にも恐れる理由にもならないよ。お幸せにな」
「先生、今はそんな話をしている場合では……」
武装した宗教警察の捜査官に囲まれているのに全く気にしていない。ローレンツの頬を撫でたベレトの手はすっと下がり、人差し指がクロードから贈られた左手の指輪をつつく。恩師のちぐはぐな言動をどう解釈すべきか、ローレンツが必死で考えているとベレトは胸元から剥がした魔法陣を破いて足元に捨てた。
「これでもう俺は検査機器を壊せない。この子の安全と自由が保障されるなら検査を受ける」
その言葉を聞いた捜査官がまずベレトを確保するのに邪魔なローレンツの肩を掴み、乱暴に扉の外へと押し出した。廊下に控えていた他のものたちに苦情を言ってやりたかったが、これ以上ここにいてもベレトのためにしてやれることが何もない。
それよりもローレンツは混乱した現場から離れてクロードと一刻も早く会わねばならなかった。ベレトがローレンツの頬にリンハルトの名を書いたからだ。ローレンツはリンハルトの連絡先を知らないがクロードなら知っている。
ローレンツは慌てて入り口付近の守衛室へ向かった。無人になっていたので勝手に自分のスマートフォンを取り戻し電源を入れる。ローレンツはショートカットに登録してあるクロードの電話番号を震える指でタップした。
取り調べが終わったベレトは検査を受けるため、とある病院の特別室に入院していた。彼は一日のほとんどを眠って過ごすようになったので、各種の検査は彼が眠っている間に実施されている。彼の心臓の紋章石が確認されるとすぐにザナドにある大司教レアの亡骸を納めた棺の調査許可が下りた。
彼女の亡骸が傷むことがなく、千年の時を経ても埋葬された時のままの姿を保っていたこともベレトの供述に説得力を与えた。レアの体細胞も採取、研究されることになった。過去のものとしてならヒトと白きものは上手くやれるのかもしれない。
ベレトが天帝の剣を千年ぶりに握り、一度振るっただけで耐久テスト用の建物を倒壊させるとその様子を見た学者たちは彼が統一王本人である、と結論づけた。現在は混乱が少ない形で公表するための調整を進めている。
天帝の剣を取り出すために開かれたレアの内棺にはヒトから万が一見られた時に備え、地上世界と地下世界の構成を著した縦長の表相図である、と言い逃れが出来る程度には簡略化されたコックピットのレリーフが彫り込まれていた。ザナドの墓地に安置された棺のうち、二重構造になっているものは全て内棺に似たような意匠が施されていた。
モリブデンが豊富な、おおいぬ座方面にある惑星からこの星に降り立った女神ソティスは生命を生み出し、アガルタの民によって汚された大地を癒すと長い眠りについた。現生人類から見れば神の如き存在である白きものたちも二度と戻ることができない故郷を偲んで見えない筈の星を絵に描き込んでしまったり、孤独で精神を病んだり破壊衝動に苦しんだりとなかなか人間らしいところがある。
ベレトは最初、ヒトとしての父ジェラルドが教会に不審を抱いていたこともあり、教会や白きものたちへの不信感でいっぱいだった。だがこうして彼らなりの弱味を見せられると親近感がわく。彼らも悲しみ、迷い時には間違え、ありえない妄想へ逃避もすることもあった。安らかに眠っていて欲しいと思う。
何の根拠もない話だが連星をそのまま描く危険性に気付き、シリウスを描く時には星をひとつにせよ、と命じたのはレアだろうとベレトは予想している。
ベレトの心臓にはまっている紋章石はそんな太古の時代から存在する物なのでいつ動きを止めてもおかしくない。だが最後にまとまって現れてくれた教え子たちのおかげで今、死んでも自分の亡骸は武器の素材には使われないだろうと信じられる。心地よい微睡の中、安心して意識を手放すことが出来た。
「先生、俺だよ。クロードだ」
声に呼ばれて目蓋をあげるといつもはフォドラ風の服装をしているクロードが今日は珍しく、膝丈のドレスシャツを着ている姿が目に入った。カフタンと呼ばれるパルミラの民族衣装だ。小脇には着替えでも入っているのかガーメントケースを抱えている。
「ローレンツとディナーに行く時にも着てやるといい」
「でも先生、これは普段着なんだよ。ディナーに行くならもっといい物を着ないと」
教え子の挨拶を聞き、ベレトの目蓋がそっと上がる様子を見ていたフェルディナントが小さく拍手した。
「二人の絆は素晴らしいな!!」
「フェルディナント、拍手は小さくできたのにどうして声はでかいままなんだ?」
クロードが呆れているとその様子が面白かったのかベレトが横たわったまま笑った。手首には鎖ではなくバイタルをチェックするバンドが巻かれている。
「いや元気なのは良いことだ。おかげで目も覚めたし気分も良い。ローレンツは裏取りに大忙しだな?」
「俺たち全然相手をしてもらえないよ。まあそれは良いんだ。充実してこの上なく楽しそうだから」
「そうか、それは良かった。フェルディナントのインタビュー中に眠ってしまったらクロードが起こしてくれ」
今までどこで何をしていたのか、は既にローレンツがすべて記録してくれたのでフェルディナントは何故百年ほどで王を辞めて民衆の中に紛れることにしたのか、について熱心に聞いている。
クロードはベレトの教え子なので彼から答えを聞かずともなんとなく分かっていた。ベレトは全力でヒトを愛しヒトを信じた結果、子離れを全く恐れないフォドラ社会の親となることができた。自分なしでも平気な社会を作り上げ、その中に紛れ込み長い長い生を謳歌した。途中、異端審問と言う問題を抱えたが最終的には人々は彼らに〝No〟と言うことができた。近現代に入って設立された宗教警察に関してはベレトから出された宿題のようなものだろう。
「以上で終了です。ご協力に感謝します」
「いやあ久しぶりに長く話したな。この間リンハルトに会った時以来だ」
ベレトが大きく伸びをすると部屋の照明に反射して左手の薬指が輝いたのでクロードは思わずベレトの左手を手に取って叫んだ。
「誰と!!」
「リンハルトだよ。彼に俺の亡骸を託す。なんだかそう言うことをするには配偶者でないとダメらしくて、押し切られてしまった。でもこれで紋章石を一欠片だけとはいえ宇宙葬にしてもらえる」
極限環境に耐えうる磁性微生物が集まり、塊状の群体を形成した結果出来たのが紋章石だ。ベレトの肉体は彼の死後、心臓の紋章石も含めて彼の意志で研究に提供される。そのうち半分はさらに高度な技術を持つ未来の学者たちのためにそのまま保存される予定だ。宇宙葬をするのは残り半分が徹底的に研究され尽くした後になる。
「リンハルトすげえな……あいつ本当に決断力の塊だわ……」
そう言って口を押さえるクロードの左手薬指にも指輪が光っている。彼の指輪に石が二つ嵌っているのを見て、フェルディナントはそれが今後のトレンドになるかもしれないと思った。二にして一にして二。離れがたい婚約者たちを表すのに相応しいデザインであるような気がした。
「十傑の遺産も解放して打ち上げてやって欲しいが、きっと長いプロセスが必要になるだろうな。俺は見届けられないだろうからフェルディナントが代わりに見届けてくれ」
「遥か遠くの宇宙から来たものが宇宙に還って行くわけですね。壮大で美しいプロジェクトだ」
ベレトの言葉を受けて承った、と宣言したのでフェルディナントのブログにまた火種が加わった。
十傑の遺産を受け継いできた人々は領地と領民を守るため、肉体が侵食されることを覚悟して戦場でそれらを振るい家名を高めた。家宝の素材がヒトと同じように言葉を操り、喜怒哀楽がある生物の心臓と骨から作られていて───一部のパーツはまだ生体反応を示している、という事実の受容ですらかなりの日数を必要とするだろう。そしてそう言った名家には家臣たちの子孫が存在する。彼らがどれくらい騒ぎ立てるのかクロードにすら予想できた。
録音機材やメモを鞄にしまい終えたフェルディナントがいじりたくて仕方なかった、と言った風情でクロードの服装に言及した。フェルディナントはフォドラ社会との軋轢を避けるため今まではカフタンを身につけることのなかったクロードが何故考えを変えたのか、何に心を動かされたのかに興味がある。
「クロード、絶対にローレンツは喜ぶ。それは今まで君が見せてこなかった一面だ」
「カフタンをうまく洗える洗濯屋がようやくこっちで見つかったんだ」
これは試しに洗ってもらったやつでね、と言うとクロードは裾を翻してくるりと回った。心なしかいつもより誇らしげな顔をしている。その姿を見てベレトがかっこいいぞ、と言わんばかりに拍手をした。
アイロンをかけられ、皺ひとつない白いカフタンがクロードの褐色の肌によく映えている。拍手に対し大袈裟な身振りで礼をするとクロードは部屋の隅に置いてあったガーメントケースを手に取りジッパーを下ろした。素人がひと目見ただけでも高価だと分かる臙脂色のカフタンが入っている。
「こっちが盛装用」
「これも素晴らしいな!ローレンツが惚れ直すぞ!親友の私が保証する。そう思わないか?先生」
クロードたちがはしゃぐ声を聞いているのにベレトは目蓋が重くてあげられなかった。ヒトの十倍生きて自分と同胞の亡骸を辱められない方法をついに見つけ、安心して後を託せる若者たちがいる。未練は残っていないはずだがそれでも生を終えるとなるとこんなにも名残惜しい。破天荒なリンハルトの将来も気になって仕方がなかった。
「……おかしい。クロード、呼びかけたまえ」
フリュム出身でベレトの教え子ではないフェルディナントが違和感を覚えたその時、ベレトの腕に巻かれていたバンドがバイタルの異常を感知してアラームが鳴り始めた。
「先生、ダメだ!寝るな!最後にリンハルトに何かないのか!」
クロードがベレトに話しかけながら身体を揺すると微かに目蓋が動いたが、若草色の瞳を見せることはできず口だけが動いた。
「そうだな……確かにそうだ……。ありがとうクロード。リンハルトにすまない、と伝えてくれ」
駆け込んできたスタッフたちの尽力もありベレトはなんとか持ち直した。彼は皆が想定したよりはるかに長く自力で呼吸し、周囲に別れを覚悟させる時間を与えたがこの日を最後に意識が戻ることは二度となかった。
その後リンハルトもクロードも忙しく、二人が会えたのは葬儀の場でだった。今にも目を開けそうなベレトの亡骸の前でクロードが最後の言葉を伝えるとリンハルトはようやく少し笑った。細められた目の縁から涙がこぼれ落ちる。
「何それ。普通は逆じゃない?なんで僕相手に謝罪してクロードがお礼を言われてるわけ?」
親愛の情を込めてベレトの皮膚にメスを走らせる予定の白い手が涙を拭った。必死に感情を堪えようとするリンハルトの姿をみたクロードもつられてしまい、再び鼻や目や喉の奥に熱を感じた。顔が熱過ぎて自分の頬が涙で濡れているのかどうかも自分では分からない。
「ひどい顔してるよ。拭いてもらえば?」
ため息をついたリンハルトが指差した先には列車の都合で遅れて到着した喪服姿のローレンツが百合の花を持って立っていた。
───
ガルグ=マク中の街灯に国賓への歓迎の意を表すためフォドラとパルミラの国旗が飾ってある。今回の訪問に際してパルミラ国王はデアドラ出身のフォドラ人女性と結婚していることを公表した。王には王子が複数いるが、そのうちの一人はフォドラ人の一般人男性と結婚している。残念ながら今回その王子とその夫は家庭の事情によりパルミラに残っていた。
クロードがリビングでテレビの電源をつけると画面の右上に生中継の文字が入っている。映っているのは懐かしいガルグ=マク市内の景色と赤絨毯の上に立つ彼の父親、それにフォドラの大統領だ。
フォドラの執政官は二百年ほど前に大統領、と役職の名を改めた。選挙制度も数度の大胆な変更を経て現在では国民からの直接選挙で選ばれている。十八世紀後半にベルグリーズ家の者が執政官になったのを最後に六大貴族の者が執政官や大統領の任に就くことはなかったが、約二百年ぶりにエーギル家のものが当選している。
「クロードは慣れているのだろうが、友人や家族の動向をニュースで知ると言うのはなんというか……とても不思議な気持ちになるな」
フェルディナントが伸ばしていた豊かなオレンジ色の髪を短く切りダークブルーのスーツに身を包んで出馬した時はこんなことになると誰も思っていなかった。
「そのうち慣れるさ」
クロードの父は画面の中で王族の男性のみが着用できる見事な臙脂色のカフタンを身に纏い、ダークブルーのスーツを着たフェルディナントと握手を交わしている。
「そろそろ病院に行こうか。どうせ向こうのテレビでも見られる」
卵子提供を受け代理母を探して子供を作ろう、と提案してきたのはクロードだった。パルミラ王家の血を引く子供が欲しいのだろうと思い、ローレンツは素直に承諾した。夫に似た子供はきっととても可愛いだろう。だが───先に作るのはお前だし、これに入れるんだよ予習しておこうな、とクロードから採取キットの入った透明な袋を渡された。そしてローレンツがクリニックの個室で誰にも言いたくないような行為をしてから四十週ほどが経過し、先ほど産院から陣痛が始まったと連絡があった。
基本的に王族の男子には生涯に渡って外出した瞬間から警備の者がつく。クロードはフォドラにいた頃、本名を名乗らず、パルミラ王家の公式見解では失踪していたため一人で出歩いていたに過ぎない。
そんなわけで元々二人きりになれるのは自宅の中しかなかった。だが、来週には赤ん坊がクロードとローレンツの家にやってくる。自宅で二人きりになることすらこの一週間でおしまいだ。
ローレンツの指に嵌っているのはもう婚約指輪ではない。結婚指輪なのでクロードの瞳と同じ色をしたエメラルドがひとつだけ入っている。クロードの指輪にはローレンツの瞳と同じ色をしたタンザナイトがひとつだけ入っている。指輪に石が二つ入っていた頃を懐かしく思い出す時も多いが、きっと子供がいる暮らしも楽しいだろう。パルミラでは子供が生まれるとすぐに魔除けのピアスをつける。ローレンツがパルミラの風習に従って我が子のために用意したのはクロードの婚約指輪を仕立て直した物だった。気が早い話だが下の子の魔除けにはローレンツが付けていた婚約指輪を仕立て直すつもりでいる。
「クロード、君からすればおかしな話かもしれないが先生が守ってくれそうな気がするんだ」
ローレンツはテレビを消し、ビロード張りのピアスケースにきちんと魔除けのピアスが入っていることを確認するとバッグに入れた。
「分かるよ。リンハルトに刻まれてるのは知ってるがそれでもまだその辺にいて、困った時に助けてくれそうな気がする」
代理母という大仕事を引き受けてくれた女性や出産を引き受けてくれた病院、それに警備関係者への差し入れが入った巨大なバッグを持ったクロードと生まれてくる赤ん坊が使うおむつや肌着を入れた巨大なバッグを持ったローレンツは手を繋いでリビングを後にした。クロードから渡されたサングラスをかけ、ローレンツが玄関のドアを開けたその瞬間にフラッシュが次々と焚かれる。
サングラスをかけていても視野の殆どが白い光に覆われた。白い光が収まり視野が回復するとタブロイド紙に写真を売りたいフリーのカメラマンやタブロイド紙所属のカメラマン、それに王子とその夫からなんとしてもコメントを貰おうとするゴシップ誌の記者たちの姿がローレンツの視界に浮かび上がった。警備のものに道を作ってもらわねばどう歩いても誰かに必ずぶつかってしまうだろう。
国王夫妻ともなれば芸能マスコミに追い回されることはないが、成人して王宮から出た王子や王女は徹底的に追い回される。それはパルミラの国民が王家に親しみを抱き興味津々であることの現れなのだが、夫ローレンツの存在が民草に知られる前のクロードは見かけたなら一応撮っておくか、程度の存在でしかなかった。だが、生真面目なところが何故か微笑ましいフォドラの美丈夫があっという間に人気者になり、彼に引っ張られてクロードも追いかけられるようになった。
クロードとローレンツにとってフォドラにいた頃と比べれば信じられないほど騒々しい日々だ。だがそれは幸せを諦める理由にも恐れる理由にもならなかった。畳む
#完売本 #クロロレ #flow #フェルディナント #リンハルト #現パロ
※ベレトとリンハルトが書類上の結婚をする描写があります。
縦か横かそれが問題だ。ベレトが実際に見なければ答えの出ない難問に頭を支配され、椅子の上で膝を抱えてうたた寝をしているといつものようにローレンツがやってきた。
「そうそう、この間言っていた探し物だがクロードが見つけてくれた。排水管の奥に引っかかっていたよ」
そう言って彼は左手の甲を見せた。薬指には石が二つ嵌まった指輪が光っている。クロードとローレンツは愛を証明するはずの物を利用してまで檻の中のベレトに答えを持ってきてくれた。
星が二つならレリーフは横長だ。今以上に教え子たちに負担をかけることになるが仕方ない。甘えさせてもらおう。ベレトは唯一使用が許可されているペグシルを鎖で拘束されていない左手に持ち、レイピアに見立てて何度か素振りをした。
「婚約指輪、見つかって良かったな。俺も嬉しいよ」
恩師の腕が空気を切る音を聞いたローレンツが驚いて目を見開く。何故そんなことを、と質問しようと口を開いた瞬間、柔らかなペグシルが合金製の扉に突き刺さった。
「やはり柔らかすぎるな。ローレンツ、壊れても惜しくないボールペンをくれ」
目の前の光景に呆気にとられたのか、ローレンツは素直に銀行で貰ったロゴ入りのボールペンをベレトに渡してくれた。これなら大丈夫だろう───ベレトは一歩踏み出し再度、合金製の扉を鋭く突いた。その背にフォドラの人々ならば誰もが知る炎の紋章が浮かぶ。それは統一フォドラの象徴で、千年の時を経た今も公文書や旅券の表紙に必ず印されていた。
若草色の髪に若草色の瞳をした王が天帝の剣を振るうとその背に炎の紋章が浮かんだと言う。
警報が鳴り響く中、扉には先ほどとは比べ物にならない深さの穴が穿たれた。顔を近づけて覗き込めばそこから廊下の様子が伺えるだろう。ローレンツは全く予想していなかった恩師の行動と常識を超えた結果に唖然とした。危ないことはしないでくれ、と止めるべきなのに体が強張ってしまったのか椅子から立ち上がることすら出来ない。
マジックミラー越しに監視していた捜査官が慌ててベレトとローレンツのいる部屋に飛び込んできた。警報でよく聞こえないが、駆け足の音は他にも複数したのでこの数十秒の間に完全に包囲されただろう。
「やはりアガルタの手のものか!」
壊れた扉から真っ先に飛び込んできた捜査官がベレトを怒鳴りつけた。眼前に立つものが千年生きている可能性とアドラステア帝国最後の皇帝であったエーデルガルト=フォン=フレスベルグのように炎の紋章を植え付けられた何者かである可能性を天秤にかけて後者が勝ったらしい。ベレトはぶつぶつ言いながら体を折り曲げ、伸びきったシャツの裾から鎖を付けられていない左手を入れて何かを探っている。不自然な角度に腕を曲げると彼は左胸から何かを剥がした。
「あんなコストの高い魔法を使う必要はないんだ。ある程度の魔力と電磁気を感知したら無意識でもサンダーを発動する、と術式で設定すれば医療機器は壊し放題だからな」
ローレンツも含め、ベレトの周りにいる全ての人々が呆気にとられていた。ベレトは目を細め衝撃で瞬きが止まらなくなっているローレンツの頬を何度か指ですうっと撫でた。
「婚約おめでとう。我がことのように嬉しいよ。どんなことがあっても二人できちんと話し合えば乗り越えられる。だからそれは幸せを諦める理由にも恐れる理由にもならないよ。お幸せにな」
「先生、今はそんな話をしている場合では……」
武装した宗教警察の捜査官に囲まれているのに全く気にしていない。ローレンツの頬を撫でたベレトの手はすっと下がり、人差し指がクロードから贈られた左手の指輪をつつく。恩師のちぐはぐな言動をどう解釈すべきか、ローレンツが必死で考えているとベレトは胸元から剥がした魔法陣を破いて足元に捨てた。
「これでもう俺は検査機器を壊せない。この子の安全と自由が保障されるなら検査を受ける」
その言葉を聞いた捜査官がまずベレトを確保するのに邪魔なローレンツの肩を掴み、乱暴に扉の外へと押し出した。廊下に控えていた他のものたちに苦情を言ってやりたかったが、これ以上ここにいてもベレトのためにしてやれることが何もない。
それよりもローレンツは混乱した現場から離れてクロードと一刻も早く会わねばならなかった。ベレトがローレンツの頬にリンハルトの名を書いたからだ。ローレンツはリンハルトの連絡先を知らないがクロードなら知っている。
ローレンツは慌てて入り口付近の守衛室へ向かった。無人になっていたので勝手に自分のスマートフォンを取り戻し電源を入れる。ローレンツはショートカットに登録してあるクロードの電話番号を震える指でタップした。
取り調べが終わったベレトは検査を受けるため、とある病院の特別室に入院していた。彼は一日のほとんどを眠って過ごすようになったので、各種の検査は彼が眠っている間に実施されている。彼の心臓の紋章石が確認されるとすぐにザナドにある大司教レアの亡骸を納めた棺の調査許可が下りた。
彼女の亡骸が傷むことがなく、千年の時を経ても埋葬された時のままの姿を保っていたこともベレトの供述に説得力を与えた。レアの体細胞も採取、研究されることになった。過去のものとしてならヒトと白きものは上手くやれるのかもしれない。
ベレトが天帝の剣を千年ぶりに握り、一度振るっただけで耐久テスト用の建物を倒壊させるとその様子を見た学者たちは彼が統一王本人である、と結論づけた。現在は混乱が少ない形で公表するための調整を進めている。
天帝の剣を取り出すために開かれたレアの内棺にはヒトから万が一見られた時に備え、地上世界と地下世界の構成を著した縦長の表相図である、と言い逃れが出来る程度には簡略化されたコックピットのレリーフが彫り込まれていた。ザナドの墓地に安置された棺のうち、二重構造になっているものは全て内棺に似たような意匠が施されていた。
モリブデンが豊富な、おおいぬ座方面にある惑星からこの星に降り立った女神ソティスは生命を生み出し、アガルタの民によって汚された大地を癒すと長い眠りについた。現生人類から見れば神の如き存在である白きものたちも二度と戻ることができない故郷を偲んで見えない筈の星を絵に描き込んでしまったり、孤独で精神を病んだり破壊衝動に苦しんだりとなかなか人間らしいところがある。
ベレトは最初、ヒトとしての父ジェラルドが教会に不審を抱いていたこともあり、教会や白きものたちへの不信感でいっぱいだった。だがこうして彼らなりの弱味を見せられると親近感がわく。彼らも悲しみ、迷い時には間違え、ありえない妄想へ逃避もすることもあった。安らかに眠っていて欲しいと思う。
何の根拠もない話だが連星をそのまま描く危険性に気付き、シリウスを描く時には星をひとつにせよ、と命じたのはレアだろうとベレトは予想している。
ベレトの心臓にはまっている紋章石はそんな太古の時代から存在する物なのでいつ動きを止めてもおかしくない。だが最後にまとまって現れてくれた教え子たちのおかげで今、死んでも自分の亡骸は武器の素材には使われないだろうと信じられる。心地よい微睡の中、安心して意識を手放すことが出来た。
「先生、俺だよ。クロードだ」
声に呼ばれて目蓋をあげるといつもはフォドラ風の服装をしているクロードが今日は珍しく、膝丈のドレスシャツを着ている姿が目に入った。カフタンと呼ばれるパルミラの民族衣装だ。小脇には着替えでも入っているのかガーメントケースを抱えている。
「ローレンツとディナーに行く時にも着てやるといい」
「でも先生、これは普段着なんだよ。ディナーに行くならもっといい物を着ないと」
教え子の挨拶を聞き、ベレトの目蓋がそっと上がる様子を見ていたフェルディナントが小さく拍手した。
「二人の絆は素晴らしいな!!」
「フェルディナント、拍手は小さくできたのにどうして声はでかいままなんだ?」
クロードが呆れているとその様子が面白かったのかベレトが横たわったまま笑った。手首には鎖ではなくバイタルをチェックするバンドが巻かれている。
「いや元気なのは良いことだ。おかげで目も覚めたし気分も良い。ローレンツは裏取りに大忙しだな?」
「俺たち全然相手をしてもらえないよ。まあそれは良いんだ。充実してこの上なく楽しそうだから」
「そうか、それは良かった。フェルディナントのインタビュー中に眠ってしまったらクロードが起こしてくれ」
今までどこで何をしていたのか、は既にローレンツがすべて記録してくれたのでフェルディナントは何故百年ほどで王を辞めて民衆の中に紛れることにしたのか、について熱心に聞いている。
クロードはベレトの教え子なので彼から答えを聞かずともなんとなく分かっていた。ベレトは全力でヒトを愛しヒトを信じた結果、子離れを全く恐れないフォドラ社会の親となることができた。自分なしでも平気な社会を作り上げ、その中に紛れ込み長い長い生を謳歌した。途中、異端審問と言う問題を抱えたが最終的には人々は彼らに〝No〟と言うことができた。近現代に入って設立された宗教警察に関してはベレトから出された宿題のようなものだろう。
「以上で終了です。ご協力に感謝します」
「いやあ久しぶりに長く話したな。この間リンハルトに会った時以来だ」
ベレトが大きく伸びをすると部屋の照明に反射して左手の薬指が輝いたのでクロードは思わずベレトの左手を手に取って叫んだ。
「誰と!!」
「リンハルトだよ。彼に俺の亡骸を託す。なんだかそう言うことをするには配偶者でないとダメらしくて、押し切られてしまった。でもこれで紋章石を一欠片だけとはいえ宇宙葬にしてもらえる」
極限環境に耐えうる磁性微生物が集まり、塊状の群体を形成した結果出来たのが紋章石だ。ベレトの肉体は彼の死後、心臓の紋章石も含めて彼の意志で研究に提供される。そのうち半分はさらに高度な技術を持つ未来の学者たちのためにそのまま保存される予定だ。宇宙葬をするのは残り半分が徹底的に研究され尽くした後になる。
「リンハルトすげえな……あいつ本当に決断力の塊だわ……」
そう言って口を押さえるクロードの左手薬指にも指輪が光っている。彼の指輪に石が二つ嵌っているのを見て、フェルディナントはそれが今後のトレンドになるかもしれないと思った。二にして一にして二。離れがたい婚約者たちを表すのに相応しいデザインであるような気がした。
「十傑の遺産も解放して打ち上げてやって欲しいが、きっと長いプロセスが必要になるだろうな。俺は見届けられないだろうからフェルディナントが代わりに見届けてくれ」
「遥か遠くの宇宙から来たものが宇宙に還って行くわけですね。壮大で美しいプロジェクトだ」
ベレトの言葉を受けて承った、と宣言したのでフェルディナントのブログにまた火種が加わった。
十傑の遺産を受け継いできた人々は領地と領民を守るため、肉体が侵食されることを覚悟して戦場でそれらを振るい家名を高めた。家宝の素材がヒトと同じように言葉を操り、喜怒哀楽がある生物の心臓と骨から作られていて───一部のパーツはまだ生体反応を示している、という事実の受容ですらかなりの日数を必要とするだろう。そしてそう言った名家には家臣たちの子孫が存在する。彼らがどれくらい騒ぎ立てるのかクロードにすら予想できた。
録音機材やメモを鞄にしまい終えたフェルディナントがいじりたくて仕方なかった、と言った風情でクロードの服装に言及した。フェルディナントはフォドラ社会との軋轢を避けるため今まではカフタンを身につけることのなかったクロードが何故考えを変えたのか、何に心を動かされたのかに興味がある。
「クロード、絶対にローレンツは喜ぶ。それは今まで君が見せてこなかった一面だ」
「カフタンをうまく洗える洗濯屋がようやくこっちで見つかったんだ」
これは試しに洗ってもらったやつでね、と言うとクロードは裾を翻してくるりと回った。心なしかいつもより誇らしげな顔をしている。その姿を見てベレトがかっこいいぞ、と言わんばかりに拍手をした。
アイロンをかけられ、皺ひとつない白いカフタンがクロードの褐色の肌によく映えている。拍手に対し大袈裟な身振りで礼をするとクロードは部屋の隅に置いてあったガーメントケースを手に取りジッパーを下ろした。素人がひと目見ただけでも高価だと分かる臙脂色のカフタンが入っている。
「こっちが盛装用」
「これも素晴らしいな!ローレンツが惚れ直すぞ!親友の私が保証する。そう思わないか?先生」
クロードたちがはしゃぐ声を聞いているのにベレトは目蓋が重くてあげられなかった。ヒトの十倍生きて自分と同胞の亡骸を辱められない方法をついに見つけ、安心して後を託せる若者たちがいる。未練は残っていないはずだがそれでも生を終えるとなるとこんなにも名残惜しい。破天荒なリンハルトの将来も気になって仕方がなかった。
「……おかしい。クロード、呼びかけたまえ」
フリュム出身でベレトの教え子ではないフェルディナントが違和感を覚えたその時、ベレトの腕に巻かれていたバンドがバイタルの異常を感知してアラームが鳴り始めた。
「先生、ダメだ!寝るな!最後にリンハルトに何かないのか!」
クロードがベレトに話しかけながら身体を揺すると微かに目蓋が動いたが、若草色の瞳を見せることはできず口だけが動いた。
「そうだな……確かにそうだ……。ありがとうクロード。リンハルトにすまない、と伝えてくれ」
駆け込んできたスタッフたちの尽力もありベレトはなんとか持ち直した。彼は皆が想定したよりはるかに長く自力で呼吸し、周囲に別れを覚悟させる時間を与えたがこの日を最後に意識が戻ることは二度となかった。
その後リンハルトもクロードも忙しく、二人が会えたのは葬儀の場でだった。今にも目を開けそうなベレトの亡骸の前でクロードが最後の言葉を伝えるとリンハルトはようやく少し笑った。細められた目の縁から涙がこぼれ落ちる。
「何それ。普通は逆じゃない?なんで僕相手に謝罪してクロードがお礼を言われてるわけ?」
親愛の情を込めてベレトの皮膚にメスを走らせる予定の白い手が涙を拭った。必死に感情を堪えようとするリンハルトの姿をみたクロードもつられてしまい、再び鼻や目や喉の奥に熱を感じた。顔が熱過ぎて自分の頬が涙で濡れているのかどうかも自分では分からない。
「ひどい顔してるよ。拭いてもらえば?」
ため息をついたリンハルトが指差した先には列車の都合で遅れて到着した喪服姿のローレンツが百合の花を持って立っていた。
───
ガルグ=マク中の街灯に国賓への歓迎の意を表すためフォドラとパルミラの国旗が飾ってある。今回の訪問に際してパルミラ国王はデアドラ出身のフォドラ人女性と結婚していることを公表した。王には王子が複数いるが、そのうちの一人はフォドラ人の一般人男性と結婚している。残念ながら今回その王子とその夫は家庭の事情によりパルミラに残っていた。
クロードがリビングでテレビの電源をつけると画面の右上に生中継の文字が入っている。映っているのは懐かしいガルグ=マク市内の景色と赤絨毯の上に立つ彼の父親、それにフォドラの大統領だ。
フォドラの執政官は二百年ほど前に大統領、と役職の名を改めた。選挙制度も数度の大胆な変更を経て現在では国民からの直接選挙で選ばれている。十八世紀後半にベルグリーズ家の者が執政官になったのを最後に六大貴族の者が執政官や大統領の任に就くことはなかったが、約二百年ぶりにエーギル家のものが当選している。
「クロードは慣れているのだろうが、友人や家族の動向をニュースで知ると言うのはなんというか……とても不思議な気持ちになるな」
フェルディナントが伸ばしていた豊かなオレンジ色の髪を短く切りダークブルーのスーツに身を包んで出馬した時はこんなことになると誰も思っていなかった。
「そのうち慣れるさ」
クロードの父は画面の中で王族の男性のみが着用できる見事な臙脂色のカフタンを身に纏い、ダークブルーのスーツを着たフェルディナントと握手を交わしている。
「そろそろ病院に行こうか。どうせ向こうのテレビでも見られる」
卵子提供を受け代理母を探して子供を作ろう、と提案してきたのはクロードだった。パルミラ王家の血を引く子供が欲しいのだろうと思い、ローレンツは素直に承諾した。夫に似た子供はきっととても可愛いだろう。だが───先に作るのはお前だし、これに入れるんだよ予習しておこうな、とクロードから採取キットの入った透明な袋を渡された。そしてローレンツがクリニックの個室で誰にも言いたくないような行為をしてから四十週ほどが経過し、先ほど産院から陣痛が始まったと連絡があった。
基本的に王族の男子には生涯に渡って外出した瞬間から警備の者がつく。クロードはフォドラにいた頃、本名を名乗らず、パルミラ王家の公式見解では失踪していたため一人で出歩いていたに過ぎない。
そんなわけで元々二人きりになれるのは自宅の中しかなかった。だが、来週には赤ん坊がクロードとローレンツの家にやってくる。自宅で二人きりになることすらこの一週間でおしまいだ。
ローレンツの指に嵌っているのはもう婚約指輪ではない。結婚指輪なのでクロードの瞳と同じ色をしたエメラルドがひとつだけ入っている。クロードの指輪にはローレンツの瞳と同じ色をしたタンザナイトがひとつだけ入っている。指輪に石が二つ入っていた頃を懐かしく思い出す時も多いが、きっと子供がいる暮らしも楽しいだろう。パルミラでは子供が生まれるとすぐに魔除けのピアスをつける。ローレンツがパルミラの風習に従って我が子のために用意したのはクロードの婚約指輪を仕立て直した物だった。気が早い話だが下の子の魔除けにはローレンツが付けていた婚約指輪を仕立て直すつもりでいる。
「クロード、君からすればおかしな話かもしれないが先生が守ってくれそうな気がするんだ」
ローレンツはテレビを消し、ビロード張りのピアスケースにきちんと魔除けのピアスが入っていることを確認するとバッグに入れた。
「分かるよ。リンハルトに刻まれてるのは知ってるがそれでもまだその辺にいて、困った時に助けてくれそうな気がする」
代理母という大仕事を引き受けてくれた女性や出産を引き受けてくれた病院、それに警備関係者への差し入れが入った巨大なバッグを持ったクロードと生まれてくる赤ん坊が使うおむつや肌着を入れた巨大なバッグを持ったローレンツは手を繋いでリビングを後にした。クロードから渡されたサングラスをかけ、ローレンツが玄関のドアを開けたその瞬間にフラッシュが次々と焚かれる。
サングラスをかけていても視野の殆どが白い光に覆われた。白い光が収まり視野が回復するとタブロイド紙に写真を売りたいフリーのカメラマンやタブロイド紙所属のカメラマン、それに王子とその夫からなんとしてもコメントを貰おうとするゴシップ誌の記者たちの姿がローレンツの視界に浮かび上がった。警備のものに道を作ってもらわねばどう歩いても誰かに必ずぶつかってしまうだろう。
国王夫妻ともなれば芸能マスコミに追い回されることはないが、成人して王宮から出た王子や王女は徹底的に追い回される。それはパルミラの国民が王家に親しみを抱き興味津々であることの現れなのだが、夫ローレンツの存在が民草に知られる前のクロードは見かけたなら一応撮っておくか、程度の存在でしかなかった。だが、生真面目なところが何故か微笑ましいフォドラの美丈夫があっという間に人気者になり、彼に引っ張られてクロードも追いかけられるようになった。
クロードとローレンツにとってフォドラにいた頃と比べれば信じられないほど騒々しい日々だ。だがそれは幸せを諦める理由にも恐れる理由にもならなかった。畳む


#完売本 #クロロレ #flow #現パロ
セイロス教の神話は神祖が空から地に降り立つところから始まる。
ダグザでは創造神の意志によりこの世界が生まれた。
ブリギットでは卵からこの世界が生まれた。
スレンでは原人の死体からこの世界が生まれた。
だがセイロス教では神祖が降り立ったその地がどの様に生まれたのか、にまつわる神話はない。何者かが探究心の根本を失わせたのだろうか。
考古学は宗教と食い合わせが悪い。対象が十傑の遺産のような聖遺物であっても、炭素分析を使えば正確に何年前のものかわかってしまう。ローレンツの専攻は認知考古学だ。物質的証拠、例えば絵画等をもとに当時の人々の精神状態を解明しようとする新しい研究分野で、その性質からいって心理学、霊長類学、神経科学等の専門家の協力が必要となる。
そこでローレンツは恩師のベレトに神経科学の専門家であるクロードを紹介して貰った───という一連の事情は嘘ではない。事実の一部だ。
ベレトはレアの亡骸が収められた内棺に彫られたレリーフの向きをどうしても知る必要があった。縦長と取るか横長と取るかで全く意味が違ってくる。洞窟の壁に星が描いてあれば横長、星が描かれていなかったら縦長だ。しかし宗教警察に逮捕された身では洞窟の内部を調べることは叶わない。
ベレトの代わりに調べられるのはクロードだけだ。しかし彼と調査内容について直接やり取りをすれば宗教警察に内容が筒抜けになってしまう。クロードと職場が同じリンハルトがメッセンジャーに相応しいかと思ったが、彼はアンヴァルへ引っ越してしまった。だからローレンツがベレトのメッセンジャーをしている。
「誕生日カードを送りそびれたんだ」
「僕が選んでも構わなければ切手も添えて、次回の面談の時に持って来ようか?」
彼らがそんな差し入れを認めるとも思えないが、とでも言いたげにローレンツはマジックミラーを睨んだ。裏側にはベレトとローレンツを観察している捜査官がいる。
「優秀だからすぐに母国に帰って大成功するかと思ったが、家庭の事情で中々帰れないままでね。寂しい思いをしている筈だから個人的にも仲良くしてやってほしい」
体調が悪く靴を取り上げられ腕に鎖をつけられ、それでもなおベレトは教え子のことを心配している。例え髪と瞳の色が変わろうとローレンツにとって、彼は彼のままだった。
ベレトは体の調子が良いとメモ用紙にずっと何かを書いている。与えられているのは小さな、固定電話の脇に置いておくような正方形のメモ用紙とゴルフ場などでスコアを記録する際に使うペグシルだ。長文は書けない。
ローレンツは床に落ちたメモを拾ってやった時に中身を少しだけ見たことがある。外国の神話の一部を思い出して書き留めているような文章の時もあれば、実験のメモのような時もある。彼の書き散らす思わせぶりな文章を見て、捜査官が血相を変えることもあった。
別れ際、いつものようにローレンツが手を差し出すとベレトから袖口にメモ用紙を差し込まれた。自宅で中身を確かめると「誕生日おめでとう」と書かれていた。クロードに渡せ、と言うことなのだろう。だがこんなささやかで何のヒントにもならないメモを隠してこっそり渡すのに何故、意味ありげなメモは量産し無頓着な扱いをするのだろうか。ローレンツにはベレトが何を考えているのかよく分からない。ただ理解出来た点については遵守しようと思った。
───メモの現物を渡してクロードとは仲良くする───
ベレトが使っているメモ用紙には宗教警察のロゴが入っているから扱いが難しい。内容は無害そのものだがこっそり渡す方が良さそうだ、とローレンツは判断した。
一方で、クロードはローレンツから手首の内側を触られた時に激しく動揺していた。
クロードの親族の中には留学中に羽目を外すものも多い。しかし大体は裁判沙汰になり最終的には慰謝料だの養育費だのを払う羽目になった。親族の愚かな振る舞いに昔から苛立っていたクロードは学生時代は恋人を作ろうとしなかった。いつ帰国せよ、と言われても平気なように心がけていたせいでもある。
帰国しそびれて研究職についてからは仕事に気力を搾り取られたし、王族であることを伏せていると世間の目が冷たい。後にローレンツがベレトからの言伝てを預かってくるようになり、初めて彼の意図を察した時は流石にマジックミラー越しに苦情を言った。
クロードを見張る捜査官からすれば彼の苦情はもてる男の惚気にしか聞こえないだろう。ベレトは不思議そうな顔をして「ローレンツは公私ともに仲良くするに足る男だろう」と言い、この苦情以降クロードは宗教警察から呼び出されなくなった。
共同研究をしていくうちに親しくなって一線を超えてしまえば、いつクロードとローレンツが連絡を取り合っても全くおかしくない。思い返してみればあの時ベレトはクロードを煽ったのだ。灰色の悪魔の思惑にまんまと乗った生活は奇妙で恐ろしい思いもするが不思議と幸せで、クロードはそれが恐ろしい。その幸せが失われてしまうことが恐ろしい。
クロードの思考はドアホンの音で中断された。
「クロード、僕だ」
モニターの中にはローレンツが映っていた。初めて会った時も着ていたワインレッド色のシャツが紫の髪と白い肌に映えている。先日、クロードが唇で記した星図はもう消えてしまっただろうか?
あの後ローレンツはヒューベルトに問い合わせをして、特に立ち入り調査を嫌がられた洞窟をいくつか教えてもらった。そこにも天国の女王はおわすかもしれない。ベレトに頼まれたものを探すべき場所は沢山あった。
オートロックを解除してローレンツに部屋まで上がってきて貰うと彼は遠出の帰りなのか、いつもの巨大なトランクを持参していた。ああ、疲れた!とため息をつきながら、クロードの自宅に仕掛けられた盗聴器を次々に素早く探していく。ローレンツはおそらくカメラは仕掛けられていないことと盗聴器の数に変化のないこと、を確かめると主人に断りなくテレビ前のソファにその身を沈めた。
「お前もこの辺に部屋借りれば?」
「クロードの部屋があるからいい」
いつも元気潑剌としているローレンツが凹んでいるのは珍しい。十二世紀の終わり頃、破裂の槍が暴走したという伝説が残っているコナン塔の調査許可が出たときの上機嫌ぶりと比べるとその落ち込みぶりがわかる。
「ポップコーン作ってやるから元気出せよ。映画でも見ようぜ」
クロードの提案を受けてローレンツは今日ばかりは自分を甘やかすことにしたらしい。
「バターは沢山かけてくれるんだろうね?」
クロードはリモコンで適当にミュージカル映画を選んだ。これなら歌を聴くために黙っていても不自然ではない。口を開く気になれないローレンツの手の甲にクロードはそっと手を乗せ、指で話しかけた。カメラが仕込まれていたらあっという間に解析されてしまうような拙い符丁で、指の関節のひとつひとつにアルファベットが割り振ってある。これはベレトにも教えていない。
───何があった───
───僕もコナン塔で確かに同じ星を見たのに壁画が壊された───
クロードの褐色の指をローレンツの白い指がピアノでも弾いているかのようにリズミカルに叩いていく。クロードが洞窟画で見た連星もローレンツがコナン塔の壁画で見た連星も肉眼で確認することはできない。精霊に導かれたのだと言って眼鏡のレンズを前後に二枚重ねた男が大司教の手で首をはねられたのは何世紀のことだったかセイロス教の歴史に疎いクロードには思い出せなかった。
───どこの誰が教えたんだろうな───
クロードの指がローレンツの指の上でそう囁いた。随分と昔、おそらく何世紀も前にどこかの誰かが気がついて、シリウスを表す際に大小ふたつの星印を描くことをやめさせたのだろう。宗教警察が設立されるはるか昔から、そういう意図を持って活動する集団がこのフォドラには存在した。
肉眼ではひとつにしか見えない星を意匠で表す際にふたつにしていた人々は何を思っていたのだろうか。コナン塔の壁画でクロードと同じ物を見られたローレンツは震えるほど感動したのに台無しにされた。危険な目に遭わされたクロードよりましかもしれないが、それでも悲しかったし腹立たしい。
いつの間にか映画は終わっていたがローレンツはもうずっと感情的になっていて、それを抑えるのに必死だった。テレビの前の大きなソファに寝転がりながら黙って腕を組み昂る感情と戦っているとクロードがローレンツに覆いかぶさってきた。ポップコーンを食べたあとだからかクロードの身体からはバターの香りがする。ローレンツの顎をそっと褐色の指が上げるとそれまで眉間に刻まれていた皺が解け、何かを睨みつけていた紫の瞳の上にそっと白い瞼が下りた。瞼にクロードの唇が落とされる。ローレンツが鼻から深く吐いた息がクロードの喉に当たってくすぐったいのかクロードが笑っている。
今でこそ互いに晒していない場所などないような二人だが、クロードがローレンツから最初に教えられた連絡先はドメイン名が大学になっているメールアドレスだった。研究協力程度なら当たり前の話だ。いつもならば関係は深まることもなくそれで終わる。だが手首の血管をそっとなぞったローレンツの白い指の感触が忘れられなかったクロードはいつもなら絶対にしないことをした。このままでいいのかと言う焦りがあったのかもしれない。
後日、なけなしの勇気をはたいてローレンツのプライベートな連絡先を聞いた時にこれも女神の思し召しなのだろう、と彼は呟いた。パルミラの血を引くクロードから渡されたロック解除済みのスマートフォンを手に取らないものも多い。だがローレンツは流れるような仕草で自分の番号を押した。
彼のスマートフォンから鳴り響いた着信音がデフォルトのままだったので、その時を境にクロードは着信音を別のものに変えている。二人でいる時にどちらのスマートフォンが鳴っているのか分かりやすくするためだ。クロードのスマートフォンはあまり鳴らないがローレンツのスマートフォンは家族からの着信が多い。
些細なことでぽつりと女神の名を口にするフォドラ育ちの青年が特に気負うことなく、クロードに心を開いてくれたことがとにかく嬉しかった。
その後、念願が叶ってクロードの自宅へ彼がやってきてくれた時のことも鮮明に覚えている。ローレンツは君の部屋は物で溢れている、とこぼしながらクロードの寝室やリビングのACアダプターやコンセントに仕込まれた盗聴器を無言で指差した。だがそんなことより靴を脱いでくれとクロードが頼んだ時、ローレンツが何も言わずに自然に靴を脱いでくれたことの方が忘れられない。フォドラの他の人々は「どんなに言葉が達者でもやっぱりパルミラ人だな」等と余計なことを言うし、何故か勝ち誇ったような顔する。そんなことに優劣をつける必要などどこにもない。
クロードが薄い唇を吸うとローレンツもやり返してきた。だが、すぐに一歩引いて熱い舌を迎え入れてくれる。クロードが息継ぎをしながら思う存分、彼より背が高い恋人の口の中を堪能し終えるとローレンツの息は浅くなっていた。どうも彼はクロードに委ね過ぎてしまうらしい。
初めてキスをした時にクロードが息継ぎは出来ないのか、と揶揄ったら彼はむきになって、きちんと泳げると言い返してきた。頬が赤くなるとローレンツは年上とは思えないくらい幼く見える。
息を整えた彼は無言で再び盗聴器入りのACアダプターを指差し、自らクロードに抱きついた。その時に彼が着ていたシャツの生地の柄もクロードは一生忘れないだろう。クロードの耳元でローレンツが囁く。
(彼らに会話を聞かれたくない。銃に撃たれたつもりで呻き声を上げてくれ)
演技などせずとも人肌や体温に昂っていたクロードは元から声が出そうだった。どうにか今日、彼に自分の好意を受け入れて貰いたい。自分の血管が脈打つ音が煩くて、ローレンツの囁きを正確に聞き取れたかどうか自信がなかった。
それにしても家庭の事情で恋人を今まで作れなかった自分と何度も二人きりで会って、その上自宅で身体を密着させるなんて危険な行為がよく出来たものだ。どのタイミングでリビングではなく色々と道具が用意してある寝室に移動すれば良いのか。焦りを逃すためだろうか、クロードの口から自然と大きなため息が出た。
(先生からの言伝で「封鎖されている聖地の中で天国の女王を探せ」との事だ)
そんなクロードの思惑に気付かずローレンツはメッセンジャーとしての役目を果たしている。パルミラではシリウスのこと天国の女王と呼ぶ。確かにこれはクロードに宛てたベレトのからの言伝だ。承った、とクロードがローレンツの耳元に口を付けて囁き返す。
その刺激を受けて彼の身体が微かに震えた。要は密談を掻き消すために声を上げる者がいれば良い。自分たちのことを恋に落ちた愚か者と先方へ思わせたいなら、声を出す担当はどちらであっても構わない筈だ。
そのまま白い耳を舐めると反射的にローレンツが自分の口に手を当て声を我慢し始めた。クロードはその手を取り彼の白い指を咥えると関節の内側を舐めた。
(声を抑えたら意味がないだろう)
あの時の白地に細かい青のストライプが入っていたシャツもローレンツに似合っていたが、今日着ているワインレッド色のシャツもよく似合っている。左手で身体の線を堪能しながら右手でボタンを外していくと白い胸元が晒された。先日の発見に関する覚書はもうローレンツの身体の上に残されていない。そんなに間が空いていたのか、とクロードは改めて気がついた。
あの時、形勢がひっくり返されたことを悟ったローレンツは瞳を潤ませて小さく頷いた。元よりベレトから仮にローレンツとクロードが付き合ったとしたら周りに強烈な印象を与えるし、その後の状況に説得力も生まれるだろうとは言われていた。周囲はクロードがずっと恋人を作らなかったのは性的な対象が同性だったから、と解釈する。加えてベレトからの厄介な依頼のせいで少しクロードの仕事に支障が出たとしても、ようやく出来た恋人に骨抜きになっていると見做されて終わる筈だ、と。
こういうのは腑に落ちた、と周りに思わせるのが肝心なんだ、とベレトは続けて主張した。確かに適度にスキャンダラスでちょうど良いのかもしれない。
───女神の姿をみだりに見ようとしてはならない───
セイロス教の秘密に触れようとした人々は不自然に命を落とすことが多い。単なるメッセンジャーのローレンツはともかく、クロードはとても危険な立場にいる。彼の命を守れるかどうかはローレンツの演技にかかっていた。それでも初めてクロードから好きなように体を弄られた時は大柄な自分の身体に熱狂している彼に対して驚いたし、嫌悪感を覚えず好ましいと感じている自分にも驚いた。
だが好き放題に口を吸われて息が上がりそうだった時に息継ぎが出来ないのか、とクロードから揶揄われたのは腹が立った。
「失礼な。僕はきちんと泳げる」
クロードから触られるのは嫌ではなかったが見くびられるのは嫌だった。その感覚は未だに抜けず、息継ぎが下手だと思われているような気がしただけでまだ必ず何か言い返してしまう。ローレンツは口の周りを拭うと身体を起こして自分からベルトを外した。
腰を浮かせ脱がせてくれ、とねだるローレンツの姿がクロードの欲求を掻き立てる。血流が増えたらしく紫色の虹彩が充血し、いつもより少し瞳の色が濃くなっていた。いつも素晴らしいのだがこう言う時の彼は更に素晴らしい。
「どうしても君に合わせようとしてしまうな」
ローレンツは声も身体も態度も大きいので一見、可愛げなどなさそうに見える。だがクロードのため、こんな風に一歩引いてくれる時もある。クロードはふと我に返って熱くなった顔を両手で隠した。今更だが自分がどんなににやけた表情をしているのかが気になる。
「そんなこと言われたら歯止めが効かない」
指の隙間から見えたローレンツは興奮しているのか見られているとも知らず、舌を出して自身の唇をゆっくりと舐めていた。
「それは楽しみだ」
目線に気がつき煽るような答えを返したローレンツはクロードのズボンに手をかけた。あの時と逆だ。
今晩、必要なものはすべてサイドチェストに置いた箱の中に用意してある。どこで楽しむのかはお互いの気分で決まるため、引き出しより箱の方が合理的で良い。
インターホンが鳴ってから慌ててベッドサイドに持ってきた箱にはローレンツの指のサイズを測るためのメジャーも入っている。今晩のクロードはローレンツの指のサイズを測っても起きないくらい彼を疲れさせる必要があった。畳む