「flow」第2部 4.人の起源は空か地面か #完売本 #クロロレ #flow #現パロ 続きを読む 聖地ザナドには封印され調査されていない洞窟がいくつもある。考古学上の発見が見込まれているため学者たちは発掘調査を長年熱望していた。しかしセイロス教の教義に反する、とのことで許可がおりない。クロードが希望している視覚の共有におけるヒト-ヒト間の人体実験と同じく発掘調査の実現は難しいだろう。 ヒューベルトの専攻はフォドラの先史時代、後期旧石器時代だ。先史時代とは文字の利用が始まる前、文献が存在しない時代のことを指す。後期旧石器時代、鋸や銛、そして針と繊維の利用が開始されていたがまだ人々は洞窟に住んでいた。セイロス教成立前夜以前の歴史が認識できない、善良なセイロス教徒たちが考えるより人間の歴史は遥かに長い。旧人類であるアガルタ人のものを含めると更に長くなるだろう。 善良ならざるヒューベルトがとある洞窟へ忍び込んだ際にへその緒で狩人と繋がる女神の壁画を目視した、とベレトに語っていたそうだ。旧石器時代の芸術活動はどの文化圏でも似通っていることからおそらく出産する女神像なども出土するだろう。ただし調査隊によって正しく発掘されれば、の話だ。 ヒューベルトは医者一族の出でありながら考古学の道へ進んだ自称、一族の黒い羊だ。元々はリンハルトの友人でクロードはアンヴァルへ移動する彼の送別会でヒューベルトを紹介された。リンハルトは他人から見た自分像というものに全く頓着しない。振る舞いも自由人そのもので好奇心のままに友人を作る。ヒューベルトがベストラ家のものなので彼らが友人同士だ、と知るとゆるく歴史に興味があるものは皆、そこを突いて弄った。しかしリンハルトの深緑色の瞳に見つめられて「だから何?」と言われてしまえばそこでその話題は終了する。 中世フォドラ史の専門家であるローレンツに言わせればリンハルトの振る舞いこそがヘヴリング家の真骨頂らしい。判断を他人に委ねず自らが決める。ヘヴリング家の決断力、エーギル家の誠実さ、ベルグリーズ家の情熱、ヴァーリ家の慎重さ、アールノルト家の冷静さ、ヌーヴェル家の粘り強さは常にフォドラを導いてきた。 「リンハルトは単に無頓着なだけだろう」 「では彼の無頓着さに感謝したまえ。クロード、君は認めないだろうがリンハルトくんがガルグ=マクにいればあの実験は妨害されなかったはずだ」 流石の彼らもヘヴリング家のものが注目している実験で妨害工作など出来なかっただろう。もしかして、だから彼はアンヴァルへ行くことになったのかもしれない。 「俺が目の前にいるのにその場にいない男を褒めないでくれ」 ローレンツは情けないお願いをするクロードを無視してホワイトアスパラガスのビネグレットソースがけを口に入れた。クロードとローレンツはガルグ=マク中央駅のレストランで食事をしている。コナン塔へ立ち入り調査に行くローレンツの見送りのついでに、というわけだ。 「戻ったらヒューベルトくんと一緒にフェルディナントくんへのちょっとした贈り物を買いに行く約束をしていてね」 「俺が目の前にいるのに他の男と出かける話をしないでくれ。他の男に贈り物をする話もしないでくれ」 ローレンツはクロードの嘆きには耳を貸さず白ワインをに口を付けた。この後来るパイクのグリルに合わせて注文したものだ。 「彼はまたブログが炎上したのだ。クロードはフェルディナントくんを励ましたいとは思わないのかね?」 フェルディナントはローレンツの親友だ。大学ではなく乗馬クラブで仲良くなった。国立大学はとにかく学生数が多いので、そうでもなければ知り合う機会はなかっただろう。本業は社会学を研究する大学院生で彼のブログは最初、紅茶や馬術しか扱っていなかった。しかし社会時評を扱い始めてからはコメント欄で購読者同士がずっと喧嘩しているようなブログになっている。 「フェルディナントがブログで言ってることって全部データに基づいてるのにな……あいつの逆張りをしたいだけのやつが多すぎる。広告収入が入るようにすればいいのに。あれだけブログが燃えたら働かずに済むだろう」 「デザインの崩れが許せないそうだよ」 だがこんな享楽的なご時世で、彼の高潔さが得難いのはクロードにも分かっている。分かっていてなお揶揄いたくなるのがフェルディナントの個性だった。 「あいつの真面目さは貴重だ。あとこのホワイトアスパラガス美味いな。かかってるソースもいい」 これは故郷の名物でね、とワインに頬を染めて機嫌よく笑うローレンツは本当に幸せそうだった。懐かしい好物を食べたからではない。 コナン塔は十二世紀に十傑の遺産である破裂の槍が暴走した現場で、彼が立ち入り調査を熱望していたところだ。七十五年ほど前に一度セイロス教会とその頃設立されたばかりの宗教警察から立ち入り調査の許可が出たが、学者たちが内部に滞在できたのは二時間だけだったという。 今回ようやくまともな許可が出たのでローレンツは本当に喜んでいる。水を差すのも程々にして発車時刻までの残り時間、クロードは二人きりの食事を楽しむことにした。 食事を終えてホームへ向かうと二十分前にも関わらず既にファーガス方面行きの特急が何本も停車して乗客を待っていた。ガルグ=マク始発の特急は出発に遅れが出ないので人気がある。これがアンヴァル中央駅発だと出発時刻までに乗る特急がガルグ=マク中央駅に到着していないことが多い。 ローレンツが乗るのはガラテア行きだ。機材はすでに現地に送ってあるものの一週間分の荷物が入ったトランクはなかなか重い。ローレンツがスマートフォンで自分の座席を確認出来るようクロードはトランクを運んでやった。 「何号車だ?荷物置き場に入れてやるよ」 「八号車だ」 八号車は二階建てだった。背の高いローレンツは普通に歩くだけでも天井に気をつけなければならない。クロードは車両の一階部分に作り付けてある荷物置き場にローレンツのトランクを入れてやった。博士論文執筆の際にフォドラ中を共に旅したローレンツの相棒は各地のステッカーだらけで地の紫色が殆ど見えない。その中にクロードは比較的新しいパルミラのステッカーを見つけて息を詰まらせた。自分がまだ帰ることのできない故郷の地にローレンツは行ったことがある、と思うと様々な感情が込み上げてくる。 「なんだ、もう乗った方が良くないか?」 クロードはローレンツと離れがたいのに遠ざけたくて早めに乗車するように促した。 「乗ってしまえば降りるまでは連結部分でしか背伸びが出来ないからね。ギリギリまで外にいるさ」 そう言うとローレンツはおどけて背伸びをした。日頃あまり意識して冗談を言わない彼がクロードを笑わせるためにわざとふざけている。そう思った瞬間にクロードは自分の鼓動が速くなったのを自覚した。 「手足が長いのも大変だな」 「君だって別に小柄ではないだろう」 そう言うと彼は長い腕でクロードを抱きしめ耳元に口を寄せた。先ほどのワインで温まったのかローレンツは赤く頬を染めている。彼の言葉を聞いたクロードは微笑みを浮かべて小さく頷いたが、ベレトからの伝言はなかなか骨が折れるものだった。 ─── コナン塔の立ち入り調査は複数回に分けて行われることになった。貴重な史跡を何一つ傷つけないために初回は徹底的な現状把握と計測が行われ、全てが綿密に記録される。ローレンツ自身もグロスタールの紋章をその身に宿しテュルソスの杖を素手で触れる、と現地のスタッフたちに話すと皆大喜びでローレンツの話を聞きたがった。 自宅で英雄の遺産を保管する場合はまず地元警察に届けを出す。すると、警察からそれぞれの遺産の特性に従った保管法を指導されるのでそれに従う。火災保険等、損害保険の契約に影響が出て何かと厄介だ。紋章を受け継いだ家族が亡くなり後継者がいない、となると大体地元の博物館もしくは軍に預けてしまう。預けてしまった場合は手入れをする際に呼び出される。 グロスタール家の場合はローレンツの祖父がテュルソスの杖を管理していたが、老いて管理が難しくなると博物館に預けていた。その後ローレンツが検査で紋章を宿していることがわかると子供ではあったが手伝うように要請された。 そうして博物館に通ううちにローレンツは魔道と歴史に興味を持つようになり、後者の専門家となることを選んだ。ベレトには高校時代どちらの面でもとても世話になったので深いつながりを感じる。最終日の打ち上げの際、皆で気分よく飲みながら子供時代の話を現地のスタッフたちにしていると何故かクロードの姿がローレンツの脳裏に浮かんだ。 そう言えばクロードはどうしてガルグ=マクで神経科学を研究しているのだろう。パルミラにもいい大学や研究機関があるのに。そのパルミラにもずっと帰っていないようでローレンツのトランクに貼ってあったパルミラのステッカーを見て、表情が一瞬曇っていた。彼から話してもらうのを待つつもりだが知らないことが沢山ある。戻ったら聞きたいことが沢山ある。 ローレンツはスマートフォンのアラームをセットするついでに電話帳アプリをタップした。出てもらえなくても構わない。自分の名が着信履歴に残っているのをクロードに見てもらえればそれで構わない。もしかけ直してきてくれたら明日中に帰れることになった、と直接伝えよう。 コナン塔での作業が続くローレンツはクロードの職場へ顔を出せなくなった。コナン塔の件に関してもいずれクロードはローレンツに協力することになるのだが見限られたのか、などと言われ職場では格好のゴシップネタになっている。コナン塔への立ち入り調査についてローレンツから直接聞いている癖に面白さを優先する同僚たちが少しだけ腹立たしい。 ローレンツのついでにクロードに話しかけてきたものは自然とクロードから距離を取るようになった。そのうち半分は華やかなローレンツ目当てだが、残りの半分はクロードとローレンツの二人を見張るために近寄ってきたのだろう。 そう言った微妙な人間関係を知ってか知らずか、立ち入り調査を終えたローレンツが久しぶりにクロードの職場へ現れた。ご丁寧に相棒のトランク持参でアポも取っていない。大荷物を抱えてアポなしの来客など迷惑でしかないはずだが、この日この時間まで残っていた女性職員は癒しを求めていた。モニター越しに頬を染め今日戻ると知らないクロードを驚かせたくて、と語るローレンツを見た彼女はすぐにクロードのところへ通した。 相手がパルミラ人なのが本当にもったいない───そう考えているのが丸わかりな女性職員がドアを閉めた途端、クロードはローレンツの耳元で準備は済んだと小さく呟いた。彼女を誤魔化すためとは言え、久しぶりに会えたことは嬉しい。 ローレンツはトランクを監視カメラの死角になる場所で開け、土産物の入った袋を取り出すと空いた空間にクロードが廃棄物置き場から拾って直した機材を入れた。廃棄済みなのでセキュリティトラッカーはもう付いていないが早く敷地内から出たい。足早に去る二人を見ても皆早く二人きりになりたいのだな、と思うだろう。 クロードはアプリでタクシーを呼ぶ時に座席にトランクが持ち込める山高帽の様な形をした新型車を頼んだ。ローレンツとクロードの間に紫色の巨大なトランクが置いてある。ガタガタと揺れるトランクが倒れない様にローレンツがトランクの持ち手を握っているとそっと褐色の手が上に重ねられた。 「真っ先に俺のところに来るとは思わなかった」 「だがガルグ=マクに戻ったらすぐに会いに行くと約束しただろう?」 ローレンツは不思議そうな顔をしてクロードを見つめた。ローレンツの情熱はどこからくるのだろうとクロードは不思議に思う。パルミラからフォドラに逃され根無し草となったクロードに対し、ローレンツはどんなに息苦しさを感じようとフォドラから逃げるつもりが全くない。そんな立場の違いから来るのだろうか。 長時間の移動で疲れたのかローレンツはそのまま眠ってしまった。タクシーの窓に寄りかかる安らかな彼の寝顔にネオンサインや街灯の明かりがちらついている。白い肌の上を通り過ぎる光と影をクロードがじっと見ているうちにタクシーはローレンツのマンションに到着した。彼のマンションはセキュリティがしっかりしている。将来的にテュルソスの杖を手元に置くことも考えて選んだ物件だからだ。 ああ、疲れたとこぼしながらローレンツが部屋の鍵を開け、クロードの部屋に上がった時とは違って土足で中に入っていく。リビングのコンソールを弄って留守中の来客をチェックしたが、どうやら宅配便くらいしか来ていないらしい。荷解きのためにトランクを開けて実験用の機材を取り出した。 「分かってはいたが洗濯は一回では済まないな…」 「お前の洋服デカいもんな。布地の量が違う」 「仕方ないだろう。僕は手足が長いのだ。早く片付けて買ってきたウイスキーで一杯やりたい」 「ああこれは確かに美味そうだ」 「試飲してきたぞ。いい味だった」 雑談しながら二人で実験については語らず、実験の準備をしていく。クロードの目指す視覚の共有は対象の体の動きを魔法で操り、詠唱させないサイレスがベースとなっている。視神経と脳のどの部位を操れば視覚が共有できるのか正確な部位を突き止めたのが科学だ。クロードは魔道にもたれかかって遥か遠くを見渡す鳥の眼を得た。 「クロード、こら、どこを見ているのだ?」 クロードは腕の中にいるローレンツの左目に唇を寄せ大袈裟な音を立てた。 では彼は封鎖された洞窟の最深部までは辿り着けたのか。事前の打ち合わせでは失敗した時は右目、という事になっていた。 聖地ザナドには住居跡だけではなく、いくつか洞窟がある。今回クロードが中を検める洞窟は女神が人々に狩りの獲物を与えるための儀式を行なった聖域である、という理由でセイロス教会によって封印されていた。しかし野生動物の出入りは止められない。 鳥類は夜行性の梟以外皆鳥目だと思われがちだが、フォドラには洞窟で営巣する夜行性の鷹の一種がいる。妨害さえされなければ鳥類での視覚共有実験に成功していたはずのクロードはベレトに言われた通り、鳥の眼を使って頼まれた探し物をしていた。 「近頃はお互い研究で忙しい身だ。こんな機会、中々ないのだから集中したまえよ」 ローレンツはベッドの上でクロードに抱きしめられながら次の動きを待っていた。ローレンツの寝室に盗聴器は三個仕掛けられている。きっと録音もされていることだろう。だが、こちらが彼らの監視に気がついている、と知られてはならないのでそのままにしてある。 何かあったのかクロードが両手でローレンツのシャツのボタンを乱暴にいじり始めた。 「こら、待ってくれ!シャツが破けるから、僕が」 慌ててローレンツがシャツのボタンを外して白い肌を晒すと胸元に褐色の指で何かを図を描き始めた。事前に小さな蛍光ペンを渡していたはずなのだが、シャツのボタンを外そうとした時にクロードが取り落としてしまったらしい。目にしたものが余程印象的だったのか、やがて何かの図の形に唇を落とし始める。 ローレンツのあげた声が演技なのかどうかは監視する側にわかるまい。完全に見たものの記憶が定着したのかクロードの動きは次第に落ち着きを取り戻していった。 「荒っぽくてすまなかった」 まだ自分の視覚が戻ってこないクロードは一言だけ呟いて、黙りこくっている。先にシャワーを浴びてくる、と言って浴室に入ったローレンツは自分の身体に記されたものを見て絶句した。これは迂闊に口に出せない。 聖地の中で天国の女王を探せ、とベレトに言われていたのでローレンツもクロードも何かの星座だと予想はしていた。だが、ローレンツの体にはおおくま座が───天体望遠鏡がなければ発見されなかった連星も含めてきちんとクロードの唇によって記されている。 セイロス教の主神、女神ソティスの象徴であるシリウスはフォドラの人々にとって最も重要な星だ。シリウスは主神の象徴にして唯一無二とされている。だが、十九世紀に入って精度の良い天体望遠鏡が作られるとシリウスは連星である、と判明した。 しかしあの洞窟で儀式が行われていたのは教会の主張する歴史に基づいてたとしても千年以上前の筈だし実際にはもっと古い可能性が極めて高い。クロードが鳥の眼を借りて目視した星座の絵がヒューベルトが見た洞窟画と同じ時期、旧石器時代の物とすれば一万年近く前のものになる。 セイロス教はいったい何を隠してきたのだろうか。何もかも信じられない中、クロードの肌の熱さだけがローレンツにとって確実なものだった。畳む 小説,BL 2024/11/15(Fri)
#完売本 #クロロレ #flow #現パロ
聖地ザナドには封印され調査されていない洞窟がいくつもある。考古学上の発見が見込まれているため学者たちは発掘調査を長年熱望していた。しかしセイロス教の教義に反する、とのことで許可がおりない。クロードが希望している視覚の共有におけるヒト-ヒト間の人体実験と同じく発掘調査の実現は難しいだろう。
ヒューベルトの専攻はフォドラの先史時代、後期旧石器時代だ。先史時代とは文字の利用が始まる前、文献が存在しない時代のことを指す。後期旧石器時代、鋸や銛、そして針と繊維の利用が開始されていたがまだ人々は洞窟に住んでいた。セイロス教成立前夜以前の歴史が認識できない、善良なセイロス教徒たちが考えるより人間の歴史は遥かに長い。旧人類であるアガルタ人のものを含めると更に長くなるだろう。
善良ならざるヒューベルトがとある洞窟へ忍び込んだ際にへその緒で狩人と繋がる女神の壁画を目視した、とベレトに語っていたそうだ。旧石器時代の芸術活動はどの文化圏でも似通っていることからおそらく出産する女神像なども出土するだろう。ただし調査隊によって正しく発掘されれば、の話だ。
ヒューベルトは医者一族の出でありながら考古学の道へ進んだ自称、一族の黒い羊だ。元々はリンハルトの友人でクロードはアンヴァルへ移動する彼の送別会でヒューベルトを紹介された。リンハルトは他人から見た自分像というものに全く頓着しない。振る舞いも自由人そのもので好奇心のままに友人を作る。ヒューベルトがベストラ家のものなので彼らが友人同士だ、と知るとゆるく歴史に興味があるものは皆、そこを突いて弄った。しかしリンハルトの深緑色の瞳に見つめられて「だから何?」と言われてしまえばそこでその話題は終了する。
中世フォドラ史の専門家であるローレンツに言わせればリンハルトの振る舞いこそがヘヴリング家の真骨頂らしい。判断を他人に委ねず自らが決める。ヘヴリング家の決断力、エーギル家の誠実さ、ベルグリーズ家の情熱、ヴァーリ家の慎重さ、アールノルト家の冷静さ、ヌーヴェル家の粘り強さは常にフォドラを導いてきた。
「リンハルトは単に無頓着なだけだろう」
「では彼の無頓着さに感謝したまえ。クロード、君は認めないだろうがリンハルトくんがガルグ=マクにいればあの実験は妨害されなかったはずだ」
流石の彼らもヘヴリング家のものが注目している実験で妨害工作など出来なかっただろう。もしかして、だから彼はアンヴァルへ行くことになったのかもしれない。
「俺が目の前にいるのにその場にいない男を褒めないでくれ」
ローレンツは情けないお願いをするクロードを無視してホワイトアスパラガスのビネグレットソースがけを口に入れた。クロードとローレンツはガルグ=マク中央駅のレストランで食事をしている。コナン塔へ立ち入り調査に行くローレンツの見送りのついでに、というわけだ。
「戻ったらヒューベルトくんと一緒にフェルディナントくんへのちょっとした贈り物を買いに行く約束をしていてね」
「俺が目の前にいるのに他の男と出かける話をしないでくれ。他の男に贈り物をする話もしないでくれ」
ローレンツはクロードの嘆きには耳を貸さず白ワインをに口を付けた。この後来るパイクのグリルに合わせて注文したものだ。
「彼はまたブログが炎上したのだ。クロードはフェルディナントくんを励ましたいとは思わないのかね?」
フェルディナントはローレンツの親友だ。大学ではなく乗馬クラブで仲良くなった。国立大学はとにかく学生数が多いので、そうでもなければ知り合う機会はなかっただろう。本業は社会学を研究する大学院生で彼のブログは最初、紅茶や馬術しか扱っていなかった。しかし社会時評を扱い始めてからはコメント欄で購読者同士がずっと喧嘩しているようなブログになっている。
「フェルディナントがブログで言ってることって全部データに基づいてるのにな……あいつの逆張りをしたいだけのやつが多すぎる。広告収入が入るようにすればいいのに。あれだけブログが燃えたら働かずに済むだろう」
「デザインの崩れが許せないそうだよ」
だがこんな享楽的なご時世で、彼の高潔さが得難いのはクロードにも分かっている。分かっていてなお揶揄いたくなるのがフェルディナントの個性だった。
「あいつの真面目さは貴重だ。あとこのホワイトアスパラガス美味いな。かかってるソースもいい」
これは故郷の名物でね、とワインに頬を染めて機嫌よく笑うローレンツは本当に幸せそうだった。懐かしい好物を食べたからではない。
コナン塔は十二世紀に十傑の遺産である破裂の槍が暴走した現場で、彼が立ち入り調査を熱望していたところだ。七十五年ほど前に一度セイロス教会とその頃設立されたばかりの宗教警察から立ち入り調査の許可が出たが、学者たちが内部に滞在できたのは二時間だけだったという。
今回ようやくまともな許可が出たのでローレンツは本当に喜んでいる。水を差すのも程々にして発車時刻までの残り時間、クロードは二人きりの食事を楽しむことにした。
食事を終えてホームへ向かうと二十分前にも関わらず既にファーガス方面行きの特急が何本も停車して乗客を待っていた。ガルグ=マク始発の特急は出発に遅れが出ないので人気がある。これがアンヴァル中央駅発だと出発時刻までに乗る特急がガルグ=マク中央駅に到着していないことが多い。
ローレンツが乗るのはガラテア行きだ。機材はすでに現地に送ってあるものの一週間分の荷物が入ったトランクはなかなか重い。ローレンツがスマートフォンで自分の座席を確認出来るようクロードはトランクを運んでやった。
「何号車だ?荷物置き場に入れてやるよ」
「八号車だ」
八号車は二階建てだった。背の高いローレンツは普通に歩くだけでも天井に気をつけなければならない。クロードは車両の一階部分に作り付けてある荷物置き場にローレンツのトランクを入れてやった。博士論文執筆の際にフォドラ中を共に旅したローレンツの相棒は各地のステッカーだらけで地の紫色が殆ど見えない。その中にクロードは比較的新しいパルミラのステッカーを見つけて息を詰まらせた。自分がまだ帰ることのできない故郷の地にローレンツは行ったことがある、と思うと様々な感情が込み上げてくる。
「なんだ、もう乗った方が良くないか?」
クロードはローレンツと離れがたいのに遠ざけたくて早めに乗車するように促した。
「乗ってしまえば降りるまでは連結部分でしか背伸びが出来ないからね。ギリギリまで外にいるさ」
そう言うとローレンツはおどけて背伸びをした。日頃あまり意識して冗談を言わない彼がクロードを笑わせるためにわざとふざけている。そう思った瞬間にクロードは自分の鼓動が速くなったのを自覚した。
「手足が長いのも大変だな」
「君だって別に小柄ではないだろう」
そう言うと彼は長い腕でクロードを抱きしめ耳元に口を寄せた。先ほどのワインで温まったのかローレンツは赤く頬を染めている。彼の言葉を聞いたクロードは微笑みを浮かべて小さく頷いたが、ベレトからの伝言はなかなか骨が折れるものだった。
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コナン塔の立ち入り調査は複数回に分けて行われることになった。貴重な史跡を何一つ傷つけないために初回は徹底的な現状把握と計測が行われ、全てが綿密に記録される。ローレンツ自身もグロスタールの紋章をその身に宿しテュルソスの杖を素手で触れる、と現地のスタッフたちに話すと皆大喜びでローレンツの話を聞きたがった。
自宅で英雄の遺産を保管する場合はまず地元警察に届けを出す。すると、警察からそれぞれの遺産の特性に従った保管法を指導されるのでそれに従う。火災保険等、損害保険の契約に影響が出て何かと厄介だ。紋章を受け継いだ家族が亡くなり後継者がいない、となると大体地元の博物館もしくは軍に預けてしまう。預けてしまった場合は手入れをする際に呼び出される。
グロスタール家の場合はローレンツの祖父がテュルソスの杖を管理していたが、老いて管理が難しくなると博物館に預けていた。その後ローレンツが検査で紋章を宿していることがわかると子供ではあったが手伝うように要請された。
そうして博物館に通ううちにローレンツは魔道と歴史に興味を持つようになり、後者の専門家となることを選んだ。ベレトには高校時代どちらの面でもとても世話になったので深いつながりを感じる。最終日の打ち上げの際、皆で気分よく飲みながら子供時代の話を現地のスタッフたちにしていると何故かクロードの姿がローレンツの脳裏に浮かんだ。
そう言えばクロードはどうしてガルグ=マクで神経科学を研究しているのだろう。パルミラにもいい大学や研究機関があるのに。そのパルミラにもずっと帰っていないようでローレンツのトランクに貼ってあったパルミラのステッカーを見て、表情が一瞬曇っていた。彼から話してもらうのを待つつもりだが知らないことが沢山ある。戻ったら聞きたいことが沢山ある。
ローレンツはスマートフォンのアラームをセットするついでに電話帳アプリをタップした。出てもらえなくても構わない。自分の名が着信履歴に残っているのをクロードに見てもらえればそれで構わない。もしかけ直してきてくれたら明日中に帰れることになった、と直接伝えよう。
コナン塔での作業が続くローレンツはクロードの職場へ顔を出せなくなった。コナン塔の件に関してもいずれクロードはローレンツに協力することになるのだが見限られたのか、などと言われ職場では格好のゴシップネタになっている。コナン塔への立ち入り調査についてローレンツから直接聞いている癖に面白さを優先する同僚たちが少しだけ腹立たしい。
ローレンツのついでにクロードに話しかけてきたものは自然とクロードから距離を取るようになった。そのうち半分は華やかなローレンツ目当てだが、残りの半分はクロードとローレンツの二人を見張るために近寄ってきたのだろう。
そう言った微妙な人間関係を知ってか知らずか、立ち入り調査を終えたローレンツが久しぶりにクロードの職場へ現れた。ご丁寧に相棒のトランク持参でアポも取っていない。大荷物を抱えてアポなしの来客など迷惑でしかないはずだが、この日この時間まで残っていた女性職員は癒しを求めていた。モニター越しに頬を染め今日戻ると知らないクロードを驚かせたくて、と語るローレンツを見た彼女はすぐにクロードのところへ通した。
相手がパルミラ人なのが本当にもったいない───そう考えているのが丸わかりな女性職員がドアを閉めた途端、クロードはローレンツの耳元で準備は済んだと小さく呟いた。彼女を誤魔化すためとは言え、久しぶりに会えたことは嬉しい。
ローレンツはトランクを監視カメラの死角になる場所で開け、土産物の入った袋を取り出すと空いた空間にクロードが廃棄物置き場から拾って直した機材を入れた。廃棄済みなのでセキュリティトラッカーはもう付いていないが早く敷地内から出たい。足早に去る二人を見ても皆早く二人きりになりたいのだな、と思うだろう。
クロードはアプリでタクシーを呼ぶ時に座席にトランクが持ち込める山高帽の様な形をした新型車を頼んだ。ローレンツとクロードの間に紫色の巨大なトランクが置いてある。ガタガタと揺れるトランクが倒れない様にローレンツがトランクの持ち手を握っているとそっと褐色の手が上に重ねられた。
「真っ先に俺のところに来るとは思わなかった」
「だがガルグ=マクに戻ったらすぐに会いに行くと約束しただろう?」
ローレンツは不思議そうな顔をしてクロードを見つめた。ローレンツの情熱はどこからくるのだろうとクロードは不思議に思う。パルミラからフォドラに逃され根無し草となったクロードに対し、ローレンツはどんなに息苦しさを感じようとフォドラから逃げるつもりが全くない。そんな立場の違いから来るのだろうか。
長時間の移動で疲れたのかローレンツはそのまま眠ってしまった。タクシーの窓に寄りかかる安らかな彼の寝顔にネオンサインや街灯の明かりがちらついている。白い肌の上を通り過ぎる光と影をクロードがじっと見ているうちにタクシーはローレンツのマンションに到着した。彼のマンションはセキュリティがしっかりしている。将来的にテュルソスの杖を手元に置くことも考えて選んだ物件だからだ。
ああ、疲れたとこぼしながらローレンツが部屋の鍵を開け、クロードの部屋に上がった時とは違って土足で中に入っていく。リビングのコンソールを弄って留守中の来客をチェックしたが、どうやら宅配便くらいしか来ていないらしい。荷解きのためにトランクを開けて実験用の機材を取り出した。
「分かってはいたが洗濯は一回では済まないな…」
「お前の洋服デカいもんな。布地の量が違う」
「仕方ないだろう。僕は手足が長いのだ。早く片付けて買ってきたウイスキーで一杯やりたい」
「ああこれは確かに美味そうだ」
「試飲してきたぞ。いい味だった」
雑談しながら二人で実験については語らず、実験の準備をしていく。クロードの目指す視覚の共有は対象の体の動きを魔法で操り、詠唱させないサイレスがベースとなっている。視神経と脳のどの部位を操れば視覚が共有できるのか正確な部位を突き止めたのが科学だ。クロードは魔道にもたれかかって遥か遠くを見渡す鳥の眼を得た。
「クロード、こら、どこを見ているのだ?」
クロードは腕の中にいるローレンツの左目に唇を寄せ大袈裟な音を立てた。
では彼は封鎖された洞窟の最深部までは辿り着けたのか。事前の打ち合わせでは失敗した時は右目、という事になっていた。
聖地ザナドには住居跡だけではなく、いくつか洞窟がある。今回クロードが中を検める洞窟は女神が人々に狩りの獲物を与えるための儀式を行なった聖域である、という理由でセイロス教会によって封印されていた。しかし野生動物の出入りは止められない。
鳥類は夜行性の梟以外皆鳥目だと思われがちだが、フォドラには洞窟で営巣する夜行性の鷹の一種がいる。妨害さえされなければ鳥類での視覚共有実験に成功していたはずのクロードはベレトに言われた通り、鳥の眼を使って頼まれた探し物をしていた。
「近頃はお互い研究で忙しい身だ。こんな機会、中々ないのだから集中したまえよ」
ローレンツはベッドの上でクロードに抱きしめられながら次の動きを待っていた。ローレンツの寝室に盗聴器は三個仕掛けられている。きっと録音もされていることだろう。だが、こちらが彼らの監視に気がついている、と知られてはならないのでそのままにしてある。
何かあったのかクロードが両手でローレンツのシャツのボタンを乱暴にいじり始めた。
「こら、待ってくれ!シャツが破けるから、僕が」
慌ててローレンツがシャツのボタンを外して白い肌を晒すと胸元に褐色の指で何かを図を描き始めた。事前に小さな蛍光ペンを渡していたはずなのだが、シャツのボタンを外そうとした時にクロードが取り落としてしまったらしい。目にしたものが余程印象的だったのか、やがて何かの図の形に唇を落とし始める。
ローレンツのあげた声が演技なのかどうかは監視する側にわかるまい。完全に見たものの記憶が定着したのかクロードの動きは次第に落ち着きを取り戻していった。
「荒っぽくてすまなかった」
まだ自分の視覚が戻ってこないクロードは一言だけ呟いて、黙りこくっている。先にシャワーを浴びてくる、と言って浴室に入ったローレンツは自分の身体に記されたものを見て絶句した。これは迂闊に口に出せない。
聖地の中で天国の女王を探せ、とベレトに言われていたのでローレンツもクロードも何かの星座だと予想はしていた。だが、ローレンツの体にはおおくま座が───天体望遠鏡がなければ発見されなかった連星も含めてきちんとクロードの唇によって記されている。
セイロス教の主神、女神ソティスの象徴であるシリウスはフォドラの人々にとって最も重要な星だ。シリウスは主神の象徴にして唯一無二とされている。だが、十九世紀に入って精度の良い天体望遠鏡が作られるとシリウスは連星である、と判明した。
しかしあの洞窟で儀式が行われていたのは教会の主張する歴史に基づいてたとしても千年以上前の筈だし実際にはもっと古い可能性が極めて高い。クロードが鳥の眼を借りて目視した星座の絵がヒューベルトが見た洞窟画と同じ時期、旧石器時代の物とすれば一万年近く前のものになる。
セイロス教はいったい何を隠してきたのだろうか。何もかも信じられない中、クロードの肌の熱さだけがローレンツにとって確実なものだった。畳む