-horreum-倉庫

雑多です。
「flow」番外編"Bargain.3"
#完売本 #クロロレ #flow #年齢操作 #ヒルダ

 ベレトは巡警の詰所で捕縛用の縄を一本ずつ手に取り強化魔法をかけていた。引きちぎるものは滅多にいないが念には念を入れている。檻の中に入っている大柄な沖仲仕(おきなかし)がベレトに声をかけてきた。
「センセイ、もう大人しくするからこれ外してくれよ」
 昨晩、待機中に酒に酔って大暴れした男の手首足首には縄が巻かれている。指を鳴らせば勝手に結び目が解けてくれるような世の中ならば楽なのだが、そんなことはない。ベレトは腰から下げた鍵で扉を開け、中に入ると男の手首足首の結び目に触った。重ねがけした強化魔法を解除してから縄を解いてやる。
「手枷の方が楽なんじゃねえか?」
「牡蠣が美味い時期に手首足首を冷やすのは良くない。沖仲仕は身体が資本だ」
 ベレトから若草色の瞳でじっと見つめられた沖仲仕は決まり悪そうに目を逸らした。筋骨隆々な身体つきも鮮やかな刺青も彼は恐れない。
「何があったのか話してくれ。言葉で伝えてもらわなくては何も分からない。このまま嫌なことがあるたびに酒を飲んで暴れるのか?」
 彼は変わった巡警で沖仲仕たちに読み書きを教えたり、暴れん坊の手首足首が冷えないように気にかけたりする。酒が抜けて落ち着いたらベレトは改めて何故暴れたのか、について供述をとるつもりだった。同僚からは酒に酔って暴れた、で充分だと言われるが性分は変えられない。
「それで嫁がな……俺のいない時にもしかしたら……」
「確かめるのが怖くて飲んだのか。怖いよな、でも留置所に手首足首縛られた状態で一晩ぶち込まれて、仕事に穴を開けるのと奥さんと話し合うのはどちらがマシだと思う?」
 筋骨隆々の男たちは怖いものなど何一つないような顔をしている。だが、単に自分が何を恐れているのか自覚していないだけだ。それに加えて怒りと恐れと悲しみの区別がついていないものが多い。ベレトは彼らにその区別をつけてほしいと考え、いつも可能な限り詳しく供述を取っていた。怒りと恐れと悲しみの区別に無自覚な状態を放置するとひどい、としか表現しようのないことが起きてしまう。それはかつて、ダスカーでも起きたことだ。
「ベレト、港長がお呼びだ。なんだ、また供述を取り直してるのか?」
 昨日の彼はムカついたから酒を飲んで目についた弱虫を殴ってやった、としか言わなかった。どんなものにも語るべき何かがある。
「そうだ。また似たようなことがあった時は絶対に、酒に逃避させない」
「効き目があるのかねえ。まあ続きは引き受けた」
「また魔獣の目撃情報でもあったのか?」
「さてね。とにかく来い、とさ」
 デアドラ港の全てを取り仕切る港長のヒルダは老いてなお、十傑の遺産であるフライクーゲルを振り回す。通商航路の安全を脅かす魔獣を一刀両断するが、得物を持っていなければ小柄な愛らしい老婦人だ。
 ベレトが執務室の扉を叩くと中から入りなさい、と言う声がした。机の上には所狭しと書類が広げられており、珍しく書類から顔もあげない。この時期になると彼女は体が冷えるから、と言って暖炉の火を絶やさないようにしている。
 だが火が消えていることに気づかないほど集中して書類を読んでいたらしい。ベレトは黙って火かき棒で暖炉の灰を探り、まだ使えそうな薪の欠片を見つけるとファイアーの呪文を唱えて火をつけた。
「何の用だろうか?」
「次の〝クロード〟を誰にしようかしら」
 そういうと机に広げてある身上書を指さした。
「読んでいいのだろうか?」
「一緒に考えて貰いたくて呼んだのだから当然よ。次の港長は私のお気に入りの子がやるからいい"クロード"を選んであげたいの」
 ヒルダが引退する、と言う噂はどうやら本当だったらしい。
「グロスタール家のローレンツ=ヘルマン=グロスタール。グロスタールの小紋章を受け継いでいるから、テュルソスの杖も使える。嫡子もいるから丁度いいわね」
 不満げな顔をしてベレトが自分を見つめていることに気がついたヒルダは口を思いっきり曲げた。ベレトは何故か、十傑の遺産の使用者がすり減らされることを極端に嫌う。独身のうちに壊れてしまうと後継者が作れない。もう嫡子がいるなら遺産の使いすぎで本人が壊れても別に構わない、という意図を含んだ物言いが引っ掛かったのだろう。だがヒルダも同じような状態で任に就いた。
「他に知るべきことは?」
「身上書はローレンツの物もあるから読んでちょうだい。彼のために良い〝クロード〟を選ぶんだから彼のことも知らなくてはね」
 ヒルダから渡されたローレンツの身上書を読んだベレトの顔がみるみるうちに曇っていった。転地療養を経て父親の補佐に復帰、と書いてある。彼の脳裏にフェルディアで読んだローレンツの資料の内容が浮かんだ。気を付けてやらねばテュルソスの杖に侵食されてしまう可能性がある。
「少し精神的に危ういようだが本当に良いのか」
「地上ならともかく海上で魔獣の相手をするのに遺産や紋章の力なしでは厳しいわ」
 ヒルダがいうことはもっともだった。紋章も遺産も持たないものだけで対処しようとすると、魔獣を気絶させた時に攻撃の当たらない海底まで沈んでしまう。すると追撃が出来ない。確実に仕留めるためには陸に近い水深が浅いところで戦闘せねばならないが、敗北して上陸を許せば大惨事が起きる。名家に生まれ強い力を持ったものが責務を果たさねば、助かるはずの人々が大勢死ぬ。選択の余地はなかった。
「では決定なんだな」
「そうよ。ローレンツに多少の瑕疵はあっても変わらない。だからセンセイお願いよ。どうかローレンツを助けてやって」
「微力を尽くすよ。まずはこの人選が最初のお手伝いだな」
 ベレトはヒルダに軽口を返すと今度は〝クロード〟候補たちの身上書を読み始めた。密偵たちは皆それぞれに優秀だった。その中に一人若さが際立つものがいる。
「せめて一度でも直接、会ったことがあればねえ。皆、任務や依頼があるから迂闊に呼び出すわけにも行かないのよ。書類だけで選ぶのは本当に難しいわ。皆実績が素晴らしいから決め手に欠ける」
「俺なら彼にする」
 ベレトから差し出された身上書に目を通したヒルダは首を傾げた。パルミラ出身で二十歳に満たない。ヒルダが真っ先にない、と判断した候補者だった。
「理由は?」
「目が緑だから」
「意味が分からないわ」
 確かに身体的特徴欄には焦茶の髪、緑の瞳、褐色の肌、中肉中背、と書いてある。だからなんだというのだろうか。ヒルダは目線で続きを促した。
「パルミラ人は瞳の色が黒いんだ。髪はいくらでも染められるし、海の仕事をすれば皆日焼けはするものだから、肌もまあ……港から街に出なければなんとなく互いに都合が良い誤解をして貰える。だが瞳の色だけは変えられない。どんなにパルミラを自分の故郷と思っていても瞳の色のせいで否定される。だから自分の中のフォドラの血に賭けたんだ」
 密偵たちの中には他にもパルミラの血を引く者がいるが、皆フォドラ育ちだった。育った土地に対して芽生える自然な愛着心と利用できる己の見た目故にヒルダたちに雇われている。
 ベレトの選んだ彼だけがどこに在ろうとも異物だった。
「彼だけがずっと背水の陣で戦っていた」
「なるほどね。参考になったわ。助言通りにするかどうかは分からないけれど」
「 ヒルダ、引き継ぎが終わったらフォドラ中に散らばった孫の顔を見て回るのはどうだろうか。きっとおもしろいぞ」
「そうね、それに孫にフライクーゲルの使い方を教えてやらなくちゃね」
 ゴネリルの紋章を持つ孫が次のフライクーゲルの持ち主だ。自分はフライクーゲルとうまく距離を保つことが出来たが、孫はどうだろうか。ベレトが先ほどローレンツのことを心配していたが、同じようにヒルダの孫も細心の注意を払って慎重に導かなばならない。
 ヒルダには考えるべきことがいくらでもあり、どんな案件だろうといつまでも囚われている訳にいかなかった。しばらく未定の振りをするがこの人事のせいで問題が生じたらベレトに解決させれば良い。そのために彼を呼んだのだから。



 いつもと違って真の意味で、乗客としてデアドラ行きの客船に乗ったカリードは客室の小さな寝台に寝転がった。船員用の部屋と比べれば小さな窓までついているここは天国だと思う。窓から微かに入る月の光でデアドラ港湾公社から来た文書を読み返した。何度読んでもデアドラヘ出頭せよ、と書いてあるので顔が綻んでしまう。国境を越えてデアドラに呼ばれる程度には有能と見做されたのだ。
 仮に〝クロード〟絡みでなかったとしても、デアドラ港での用事が終わって休みが取れたらグロスタール領に行ってみようと思っていた。一度行ってみれば今後、自分がどうすべきか考えも浮かぶだろう。
 船の帆は風を受けて陸地沿いに目的地へ進み、カリードが瞼を開けた頃にはエドマンドを通過していた。このまま何もなければもうすぐデアドラに着く。
 船内では水を無駄に出来ないので蒸留酒と香料を混ぜたものが身体の手入れによく使われる。甘い香りの混ぜ物を手に取って手や顔を拭いていると甲板から大砲用意!というかけ声が聞こえてきた。
 フォドラ沿岸に出る魔獣は鎖国状態の頃は守り神として讃えられたらしい。だが今は単なる厄介者でどの地点で出没したのか報告する義務がある。どうやらカリードの乗る船は出現に備えて警戒すべき海域に入ったらしい。もし魔獣に遭遇してしまったら───こんな小さな船の場合、やれることはひとつだけだ。砲撃して怯んだ隙にさっさと逃げてしまうしかない。
 どうか海が穏やかなまま航海が終わりますように、と船上にいる全ての人が女神やご先祖に祈りを捧げている。誰かの願いが天まで届いたのか、何事もないまま警戒海域を抜けることが出来た。
 フォドラの行政区分は統一前の三国に準拠している。ファーガス、アドラステア、そしてレスターだ。デアドラは依然としてレスター地方で一番の大都会で人も物も集まる。遅れて始まった乗客たちの朝食は水より日持ちするビールに虫が沸かないよう何度も焼いて固くした麺麭を浸してふやかしたもの、壊血病予防で食べることが推奨されているキャベツの酢漬け、という質素極まりない物だ。しかしデアドラが近いとなればもう文句も出ない。皆の頭に浮かぶのは今、実際口にしている物ではなく、近いうちにデアドラで食べられるはずの豪華な料理だ。カリードもデアドラに着いたら宿で身支度を整え、この時期のデアドラ名物である牡蠣を食べるつもりでいる。
 朝食を終え乗客のほとんどが下船の準備をしに客室へ戻っていた。だがカリードは大した荷物を持っていない。余らせた時間を潰すため甲板に出て、沿岸の風景を眺めていた。パルミラとは全く違う様式の、カリードからすれば見慣れない建物は母にとっては見慣れたものだったのだろうか。
 船がデアドラ港の沖合に停泊すると艀(はしけ)がわらわらと寄ってきた。港に直接接岸できない大きさの船に乗った場合、または接岸する順番が待てない場合に乗客は艀に乗り換えて上陸する。カリードは荷物を背負って梯子を降りていたが途中で面倒臭くなり、手を離して艀に向かって飛び降りた。水飛沫が上着にかかったのが何故か面白くて笑ってしまう。危険行為だ、転覆したらどうしてくれる、と艀の漕ぎ手に怒られたので降りる時に多めに心付けを払った。
 デアドラ港の船着き場には既に屋台があるのだが、そこには寄らず税関へ向かう。入国審査の順番を待つ行列が既にできていたが、並んでいるのはフォドラ人ばかりだった。外国人用の列は空いている。カリードがパルミラの王府が発行した旅券を見せると職員は無言で旅券に港湾公社からの命令書を挟んでから上陸許可印を押した。申し送りがあったのかもしれないが、それでも一瞥もしないのは保安上、問題があるのではないだろうか。
 デアドラ港を出ればもうデアドラ市街だ。デアドラはフォドラで唯一無二の水の都で、港の前には巨大な広場がありその脇にはもう水路が広がっている。狭い歩道しか存在しないこの街では馬車ではなく、船が人と荷物を乗せて水路を行き交う。カリードは橋を渡って渡し船の乗り場へ向かった。
 パルミラの港町ならば巨大な馬車の乗降場があるはずの場所に宿屋の客引きたちが大勢いる。彼らは皆、宿の名と場所、それに一泊いくらなのかを書いた看板を掲げていた。口々に今なら宿までのゴンドラ代を半分持つとか食事にワインを一杯つける等自分たちの宿がいかに優れているか口上を述べている。
 その中にうちの宿には風呂がついている、というものがいた。公衆浴場へ行く場合は新しい外出着を持参して、汚れた服を持ち帰らねばならない。敷地内に風呂があるならば軽装で風呂場へ行って入浴し、そのまま部屋に戻って休める。
 だが看板を見てみるとかなり遠い。手漕ぎの渡し船では一時間近くかかるだろう。命令書に書いてあった出頭時間に間に合わせるためには当日、ゴンドラを自分のためだけに一艘、呼ばねばならない。金はなくはないが贅沢すぎる気もする。カリードが黙って看板の内容と遠さを天秤にかけて考え込んでいると視線に気づいた客引きから声をかけられた。
「悩んでるみたいだな。泊まってくれたら服を洗ってやるよ。宿持ちでな。デアドラで服を仕立てるのに薄汚れた格好で行ったら仕立て屋に舐められるぜ?」
 確かに下船する時にはしゃいだせいでカリードの上着は海水で濡れている。洗わねば匂うだろう。だが長旅で疲れている身で上着のような大物を洗うのは面倒くさい。
「今からそんな辺鄙なところに行って昼飯はどこで食えばいいんだ?」
「食堂もあるぜ。うちの島は牡蠣が取れるから今の時期はそればっかりだけどな」
「朝早くに出なきゃならないんだが」
「それなら仕入れの船の帰りに乗ればいいさ。帰りが空にならずに済んだって漕ぎ手も喜ぶぜ」
 こうして説得されたカリードは一時間手漕ぎのゴンドラに揺られることにした。益体のない話でもしていればあっという間に過ぎるだろう。デアドラの中心部には港とセイロス教会と商工会がある。基本、宿屋の値段はこれらにどれだけ近いかで決まっていくのだが、カリードの選んだ宿屋は距離だけで見れば強気な値段設定をしていた。利便性ではなく設備と宿泊客への気配りで勝負に出ているらしい。
「静かでいい宿だぜ。騒々しいのが嫌いなお偉いさんの別荘も同じ島にあるから見えたら案内してやるよ」
「上屋敷を構えるには遠すぎないか?」
「貴族や豪商ってのはさ、デアドラで使う船も持ってる。滞在中は俺みたいな漕ぎ手を雇って、ずっと別荘で寝泊まりさせるから本人たちは早起きだけすればいいんだよ。すげえ身分だよな」
 客引きとの会話に船の漕ぎ手も加わり、ああだこうだと話しているうちに客引きが瀟洒な屋敷を指差した。
「あのグロスタール屋敷の裏側がうちの宿の船着き場だよ。背中合わせになってるんだ」
 カリードはその後のことをよく覚えていない。だが、滞在中ずっと客引きと漕ぎ手が異常に愛想良くしてきたので、無意識のうちに桁違いに高額な心付けを二人に払っていたらしい。畳む