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雑多です。
「flow」番外編"Bargain.2"
#完売本 #クロロレ #年齢操作 #flow #イグナーツ #リシテア
※イグナーツとリシテアが結婚しています

 リシテアとイグナーツがデアドラからコーデリア領に戻る途中、グロスタールの屋敷で一泊するのは留守居をしているストームに会うためだった。だが傷心旅行を早めに切り上げたのか父親であるローレンツも戻っているという。ストームは嵐の日に生まれたローレンツの一人息子のあだ名で、彼の本名はエドガー=ローレンツ=グロスタールだ。
 ストームの母は家同士の付き合いでグロスタール家に嫁いでいる。だがリシテアの婿としてコーデリア家に入った騎士上がりのイグナーツにも丁寧に接してくれる人だった。五歳年下のローレンツとはどこへ行くのも一緒な仲睦まじい夫婦でその頃の思い出話はたえることがない。彼女の死は皆に衝撃を与え、ローレンツは一年間祝事には一切参加しなかったし、その後もどこへ行くにも喪服しか着なかった。
 それまでは伊達男と名高く、しょっちゅう服を仕立てていたというのに。長い間本当に酷い有りさまだったので気分を変えさせるため、彼の両親はローレンツに無理やり平服を着せた。
 これまで縁のなかったパルミラへ一人で旅行へ行かせた、とローレンツの父エルヴィンから聞いた時にリシテアもイグナーツも良い機会だと思った。それなのに三ヶ月の予定を一ヶ月で切り上げて帰ってきている。執事からそう告げられたリシテアもイグナーツも不安しか感じなかった。旅行も続けられなかったのだろうか。
 不安は募ったが、再会したローレンツは喪服ではなく旅先で気に入って買い求めた青い光沢のある生地で仕立てさせた上着を着ていた。しかも家中の人々を心配させた、本人に全く自覚がないのに涙を流す現象もどうやら治ったらしい。
 見事な腕前で淹れてくれた紅茶はパルミラ風でいつもより少し味が濃かったが、向こうで買ってきたと言う変わった食感の茶菓子によく合っている。
「二人にも随分と心配をかけたね」
「いえ、気にしないでください。少なくとも私はこの珍しいお菓子で許してさしあげます」
「気に入ったので現物も料理本もたくさん買い込んでしまってね」
 リシテアとの会話から察するにローレンツは物欲が戻ったらしい。日々の暮らしを楽しんでいた彼が生きている己を罰するかのように、内側にに篭る姿は見る者全ての涙を誘ったし、イグナーツも胸が締め付けられるように辛かった。人生は本当にままならない。
 だが、もうすぐ一歳半になるよちよち歩きのストームを連れて、薔薇園を散歩する彼の姿は隣に亡くなった奥方がいないのが不思議なくらい元のローレンツそのものだった。
 皆、ひとまずは安心した。そうなると次は詮索が身をもたげてくる。一体旅先のパルミラで何があったのか。久しぶりになんの憂いもなく、グロスタールの屋敷で過ごしたリシテアは幼い頃から何度も泊まっている馴染みの客室で夫のイグナーツに推理を披露していた。
「イグナーツ。私が思うにローレンツ兄様には新しく好い人が出来たのかもしれません」
「朗らかになってましたよね、確かに。ストームのためにも本当に良かった」
 豊かな黒髪をブラシで梳かしていたリシテアが目元を押さえた。
「あら……いやだ、今度は私が泣いてしまうなんて。でも胸元に薔薇も付けていたし元のローレンツ兄様に戻ってくれたみたいで嬉しくて」
「紹介してもらえたら、僕たちからもその方にお礼を言いましょう」
 イグナーツから濡れた手巾を渡されたリシテアは、それが絞って冷やしたものであることに気付いた。気を利かせてブリザーで冷やしてくれたのだろう。目が腫れないよう、目元にあててしまったのでイグナーツの顔は見えない。寝室で夜眠る前に話を聞いてくれる相手が失われてしまったら、と考えるだけで恐ろしい。楽しそうに相槌を打ってくれるイグナーツを失ってしまったら、リシテアだってどうなってしまうのかわからないのだ。

 一方でカリードはフォドラに関する本を読み漁るため、図書館へ通い詰める日々を送っていた。カリードの住む港町はフォドラと近いこともあり、パルミラ語で書かれた本だけでなくフォドラ語の本もおいてある。どちらも読んだ。
 カリードはフォドラの言葉は話せるが読み書きは得意ではない。口に出して音を聞かねば上手く意味が理解出来ず、フォドラ語の本を読むのにはかなり手間取った。その上、手当たり次第に読んだせいで調べ物としての効率も悪かった。しかしそのおかげでカリードのフォドラの文化への理解は深まっている。
 彼は数週間かけついに知るべきだったこと、に自力で辿り着いた。カリードは彼をグロスタールのローレンツ=ヘルマンだと思っていたが違うらしい。ようやく何が書いてあるのか理解できるようになった貴族名鑑によると、彼はグロスタール伯爵家の一員だった。グロスタール家は十傑の遺産テュルソスの杖を受け継ぐ名門で、グロスタール領という土地の名前が彼の家名に因んで付けられている。彼は貴族の中の貴族だった。
 カリードはフォドラの貴族というのはもっと冷酷で情がないものだと思っていた。だが実際に出会った彼は妻を亡くしたことが悲しくて悲しくて仕方ない人だったし、カリードが汚した服を洗ってくれて母譲りの緑色の瞳をきれいだと褒めてくれて───それ以上のこともあったし、別れ際の涙はもう不随意ではなかった、と思う。あんなに情の深い人をカリードは他に知らない。もう一度ローレンツに会いたい。ただ、彼から再会するにあたって条件を出されていた。それは別れ際の態度から察するに、ローレンツ自身の誓いでもあったのだ。
 十六世紀のパルミラはダグザと海の覇権を争っており、海軍の主力はほぼダグザ方面へ割いていた。海軍の名においてフォドラの通商航路の妨害をする余裕はない。そこでパルミラ国王は民間船に対し、私掠免許を発行した。私掠免許を持つ船は敵国及び中立国の船を攻撃し、船や積荷を奪う許可を得たことになる。略奪や拿捕で得た利益は一割が国王個人、一割が船長、二割が出資者、残りの六割が乗組員達に分配された。乗組員達は受け取った六割を更に人数で割って分かち合う。その際に操舵手と船医は少しだけ取り分を多くしてもらえるのが常だった。
 大型船は拿捕や略奪に備えて武装している。海賊行為は命がけだが一攫千金を狙うものたちからも投資家たちからも人気があった。私掠船は利益率の良い投資先で、それに絡んだ詐欺行為や私掠免許の強奪や偽造も横行している。
 特に私掠免許の強奪や偽造は発覚すれば許可のない海賊行為を行った罪で海事裁判所に訴えられ、死刑になる。だがそれでもなお利益目当てに手を染める者が跡を絶たない。
 命がけと言えば私掠船に入り込み、パルミラ国王が発行した私掠免許の真贋や正確な名義を確かめる密偵たちもそうだ。密偵は私掠船の数を正確に把握し統制したいパルミラの王府が雇うこともあれば、敵対国や中立国の政府や民間人が雇うこともある。旧レスター諸侯同盟の名家たちも海事に限らずパルミラに多数の密偵を放っていた。
 少しでもフォドラと縁があり、大金を稼げる仕事がしたかったカリードは旧レスター諸侯同盟の名家ゴネリル家の密偵となった。彼を現地採用した密偵がグロスタール領出身だったこともかなり大きい。実際、上司の故郷の話を聞くだけで心が躍った。特に若様がまだ再婚なさらない、という話を聞けた晩は興奮して寝付けなかったほどだ。
 カリードは様々な船に乗り込み、パルミラ人の外見と流暢なフォドラ語を利用しありとあらゆるものを煙に巻いて船長たちの秘密を暴いた。秘密を暴かれた私掠船の船長たちはそのまま海事裁判所に訴えられ、裁かれるものと脅迫されフォドラに協力させられるものに分かれる。
 その判断を下すのが密偵頭の〝クロード〟だった。レスターからパルミラへ送り込まれた密偵たちはそれぞれ協力するように言われている。彼らの頭の名はそれがどこの誰であろうといつも〝クロード〟だ。〝クロード〟になれたら出自がなんであろうと、名家の人々からは一目置かれるようになる。船上で野蛮な行為のあった晩、カリードはいつもローレンツのことを思い出して正気を保った。

「本当に明日フォドラに帰っちゃうのか?」
「帰るよ。君のおかげで落ち込んでいる自分のことも許せたし、幼い息子には父親が必要だから」
 フォドラへ連れて行って欲しいとせがむか格好をつけて自分もすぐに行くから待っていて欲しい、と言うべきか。迷ったカリードは眉尻を下げ、黙ってローレンツの顔を見つめた。頼まれごとが嬉しくて頑張ってしまったが、乗れる船なんか見つけてやらなければよかった気がする。でもローレンツから無能だと見做されるのはもっと嫌だった。
「僕のように心を病んだ男が何を言っても説得力はないかもしれないが、君は善良で頭が良いのだから優れた何か、になるべきだ」
 カリードが黙って身体を強張らせているとローレンツが手を握ってきた。長くて白い指と褐色の指が組み合わさり白い顔が上から近づいてくる。
「それに君の未来が僕の性欲で定まるのはいやだな」
 ローレンツは冗談めかしていたが、カリードは自分の耳元で囁かれたその言葉に雷に打たれたような衝撃を受けた。その時は分かっていなかったがグロスタール家の力があれば、あの時点の野良犬のようなカリードをフォドラへ連れて帰ってしまうのは簡単だった。だがローレンツは本当に誠実な人物で、それが搾取であると考えた。カリードには自力で優れた人間になる可能性があり、自力で自分と対等な人間になれると信じてくれた。
 愛する人に信頼されたからには全力で応えるしかない。こうして優れた何か、になろうとしてもがき苦しむカリードの姿が女神の御心を動かしたのかもしれない。もしくさたった半月しか共に過ごさなかったのにカリードの可能性を信じて、突き放したローレンツの真面目さが女神の御心を動かしたのかもしれない。 
 正確なところは分からないがとにかく事態は動いた。近々デアドラ港の港長が代替わりする、という噂はカリードの耳にも入っている。それにまつわる人事異動の噂で持ちきりだ。港長が代替わりするなら今の〝クロード〟も引退する可能性がある。聞くところによると二人とも隠居してもおかしくない老人だ。次の〝クロード〟になったカリードがデアドラで暮らすようになれば、ローレンツは再び連絡を取ってくれるかもしれない。グロスタール領からローレンツが会いに来てくれるかもしれない。
 そのためには今までと同じく、今回の航海でもしくじることは出来かった。甲板では船員たちが食糧不足を解消するために釣った鮫が大暴れしている。その様子をマストの上から眺めながらカリードは不敵に笑った。畳む