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雑多です。
「さかしま」20.#クロロレ #さかしま #完売本 #オメガバース

 レスター諸侯同盟はアミッド大河を挟んでアドラステア帝国と国境を接している。ミルディン大橋があるのはかなり河幅が狭いところだ。最も河幅が広い河口付近では対岸が見えない。そんなフォドラ一の大河と言えるアミッド大河の源流はオグマ山脈にあり、脱出行で北上した時にローレンツたちはその源流の水で生き長らえた。当時、この小さな川が遥か下流ではアミッド大河となり、ヒルダやリシテアたちはそこを目指しているのか、と不思議な気持ちになったのを覚えている。
 ローレンツが必死の思いで実家に帰り着いて三年が経過した。父エルヴィンの代わりにレスター中を飛び回り、今はグロスタール領の端、アミッド大河沿いの漁村に来ている。身軽な単騎だったが遠方であったせいか着いたのはもう少しで日が暮れる、という頃だった。
 今年に入ってから漁師たちの網に歓迎できぬものが定期的に掛かるのだという。それでも彼らはそこで採れる魚を売るしかないし食べるしかない。なんとかして欲しいと言う陳情があった。陳情書にも記された歓迎できぬもの、は白い布をかけられ小さな村の教会の祭壇に安置されていた。小さな礼拝堂の窓には漁村らしく魚を愛したという逸話の残る聖セスリーンの姿を象った色硝子が窓に嵌められている。そこから夕焼けの光がさしこみ、白い布を若草色に染めていた。弔うために捧げられた蝋燭を倒さないよう、慎重に顔の部分をめくってローレンツは中味を確認した。思わずため息が出てしまう。
 ローレンツが学生の頃、ガルグ=マク修道院にいた修道士だった。見覚えはあったが残念ながら話したことがないので名を知らない。彼はきっと行方不明になった大司教レアを探すため帝国へ潜入したのだろう。今は冬で河の水が冷たいせいか顔立ちが保たれていた。
「ここの対岸から流れ着いたのだろうか?」
 ローレンツはアミッド大河がある方を指さした。対岸はセイロス教会に宣戦布告したアドラステア帝国の領土だ。
「こちら側にこんな恐ろしいことをする輩はおりません」
 村の司祭はそう言うと苛立ちと恐れに苛まれている己を守るように強く目を瞑った。宣戦布告前には異様な特徴を持つ亡骸が流れ着くことは一切なかったのだと言う。ローレンツは彼とこの村のため、何か出来ることはないかこの場で改めて考えてみた。しかし同盟領内の親帝国派であるグロスタール家として対岸を統治する帝国の領主に対し出来ることなど殆どない。それを不満に思わせないため、わざわざ嫡子であるローレンツが現場までやってきたのだ。誠意は尽くしているつもりだが結局は目眩しでしかないことが歯痒い。
「聞き方が悪くて申し訳ない。上流から流れて来たのかを知りたかった」
「そういうことでしたら真正面から、はあり得ません。ご覧の通りかなり流れが早いので確実に上流からです。こちらより更に下流のフリュムには怪しげな建物が多いのでコーデリア領も似たようなことで困っているかもしれません」
 リシテアの顔を見にいくのも良いかもしれない。リーガン公の葬儀以来、彼女とは会っていないからだ。
「そうだな、明日コーデリア領へ足を伸ばしてみよう。ところで司祭どの、彼で七人目か?」
 陳情書には六人と書いてあったがローレンツの目の前の亡骸は新しい。司祭が黙って頷いた。
「これまでのものも含めて亡骸がセイロス教関係者だと分かったのは何故だ?」
「亡骸が流れ着くたびに弔うため名前がわかるものを身につけていないか探すのですが、いつも背中に同じ焼き印が入っているのです」
 その言葉を受けてローレンツが彼の背中を見ると確かにセイロス教の徽章が焼き印で刻まれている。治った痕があり、一定期間は囚われていたと簡単に想像出来た。一連の問題は単に亡骸の処置が面倒くさい、というところから始まっているのだろう。帝国はセイロス教関係者の尊厳を認めないから亡骸の処置が只ひたすら面倒くさいのだ。これが王国や同盟であれば信仰に人生を捧げた名も知らぬ彼を丁重に弔うだろう。
 これはグロスタール領ひいてはレスター諸侯同盟への警告も兼ねている。セイロス教に肩入れしてエーデルガルトの覇道を邪魔だてすれば、似たような目に遭わせてやると言うことだ。エーデルガルトたちが抱えるセイロス教会への拒否反応がどれほど強いのか思い知らされる。
 きっと彼女はベータかアルファなのだろう。このフォドラに生きるオメガで抑制剤を開発し、無料で分け与えてくれるセイロス教に愛着を持たない者は殆どいない。ローレンツはアドラステア帝国にいるオメガたちが今後、どうなるのか心配になった。アドラステア帝国には大量の抑制剤を生産し、オメガたちを相手に決して儲けようとせず配って回る組織があるのだろうか?
「この件は父上にもクロードにも僕の名で報告しておく。これからコーデリア領へ向かうので葬儀には出られないが、せめて灯りだけでも捧げさせてくれ」
 そういうとローレンツは指を鳴らし、ファイアーの呪文を唱えて蝋燭に火を灯した。聖職者の場合は弔い方が一般人とはかなり異なる。弔い酒の代わりに蝋燭の灯りを絶やさず捧げ、火葬ではなく土葬にする。
 父エルヴィンの名代として弔事に出ることは多いが、ローレンツが個人的に生前の姿を覚えている者の弔事は久しぶりだった。それこそリーガン公の葬儀以来かもしれない。暗闇の中で浮かび上がる灯りをじっと眺めていると後悔の念がローレンツを支配した。すれ違った者たち全ての名を聞く機会など訪れるものではない、と頭では分かっている。だが不本意な死を遂げた修道士の墓に名を彫ってやることすらできないのは辛かった。密偵を務められるような有能な者であったからアロイスかセテスであれば彼の名を知っていたかもしれない。
「若様、交代しましょう。二階の客室をお使いください。徹夜はよろしくありませんよ」
「だが司祭どの、あなたも明日は納棺式があるのでは?」
「叙階前の修練期間で徹夜の祈りには慣れています」
 年長者の有無を言わさぬ圧に負けたローレンツは客室の寝台に横たわって目を閉じた。馬が乗れるような船はこんな小さな村にはないし、馬でコーデリア領へ行くなら確かに眠った方がいい。初めて教会に泊まったときにクロードや迎えの者たちと共に床に寝たことを思えば充分に恵まれている。あの雪山の脱出行の前と後でローレンツの人生は不可逆な変化を遂げた。クロードの人生は何か変化を遂げたのだろうか。そんな益体もないことを考えながら眠ったせいかローレンツは不思議な夢を見た。
 夢の中でローレンツはオグマ山脈の山中でクロードと共に不寝番をしていた。他の者は皆、寒さから睡眠に逃避している。実際には二人の不寝番が重なったことはない。だが夢の中ではクロードと二人、星空と自分を遮るものが何一つない山中で星座の話をしていた。クロードの突飛な発想や出鱈目な話が楽しくて、異議も唱えずに聞いていたのは夢だったからかもしれない。実際にあんなにはしゃいだらきっと追っ手に見つかったはずだ。夢というのは実に都合が良い。
 ローレンツは日頃、本当に深く眠る方で夢は殆ど見ない。夢の内容も起きた瞬間に忘れてしまう。ただ夢の中で見た満天の空があまりに美しかったせいか、珍しく朝食の時間になっても昨晩見た夢を覚えていた。畳む
「さかしま」21.#クロロレ #さかしま #完売本 #オメガバース

 リシテアが珍しくデアドラのリーガン家を訪れている。コーデリア家の爵位返上に関して、盟主であるクロードに書いてもらわねばならない書類があるからだ。クロードがリシテアと会うのは祖父である先代リーガン公の葬儀以来だった。
「リシテア、調子はどうだ?」
「大した変化はありません。ありがたいことですね」
 リシテアはそういうが学生時代と比べると少し背が伸びたようだ。前に会った時は白い襟締に黒い喪服だったが今は私服を着ている。寮生活を共にしていた時は制服を着ていたのでクロードにとって彼女の私服は物珍しかった。
「そうだな。安定しているのが一番だ」
 リーガン家の応接間の窓からはデアドラの美しい街並みや港が見える。昨年手放したというコーデリア家の上屋敷はどれだっただろうか、とクロードの視線が彷徨った。幸いなことに裕福な商人が召使ごと買い上げてくれたと聞いている。リシテアの生活は今後、激しく変化していくのだろう。
「気になってたんだが上屋敷は高く売れたか?あの時期に俺がデアドラに居たら後押ししてやれたんだがなあ。あ、そうだ。こちらに用がある時は遠慮なくうちに泊まってくれ」
「仕事なら手伝いませんよ」
 そういうとリシテアはまだデアドラがファーガス神聖王国の一部だった頃から続く、老舗菓子店の焼き菓子を頬張った。ガルグ=マク修道院附属の士官学校で同期だった、と言えば家臣たちも待合室で待っている客たちも皆、一歩譲ってくれる。本来ならクロードはこんな風に来客と優雅に茶を楽しんでいられないのだが、リシテアを気分転換に利用させて貰った。きっと彼女もそれを分かっていることだろう。
「相変わらず手厳しいな!ところでうちの祖父さんの葬儀以来、誰かと会ったか?」
「去年、ローレンツとは会いましたよ。密偵の亡骸が定期的に流れ着いた件で」
 あいつは元気だったか、とクロードが問うとリシテアが無言で頷き、紅茶に口をつけた。二人が再会したきっかけは今、思い出してもあまり気分が良い話ではない。
 セイロス騎士団からアドラステア帝国へ送り出されていた密偵の亡骸が、これ見よがしにアミッド大河に投げ込まれていたのは昨年のことだ。だが、クロードがアドラステア帝国への対立姿勢を明らかにして以来、牽制しても無駄だと思ったのかぱったりと止んだ。元々大して効果があると先方も考えていなかったのかもしれない。だがルミール村の事件を見れば明らかな通り、相容れない倫理観を持っている彼らのことだ。もしかしたら亡骸の用途を他に思いついた可能性もある。ローレンツの報告書にはそこまできちんと言及されていたが答え合わせをする機会がない。
「亡骸を河に放り込めばグロスタール家の連中が言うことを聞くかもしれない、と思う時点で俺から言わせれば見当違いだ」
 あの親子は二人揃って彼らに対してひたすら嫌悪感を募らせていた。エルヴィンの第二性は知らないがオメガの子を持つ親は皆セイロス教会に恩義を感じている。抑制剤がなければ子供たちの人生は苦難に満ちたものになってしまうからだ。
 フォドラの人々が第二性を隠すおかげでクロードはエーデルガルトよる優位に立っている。パルミラからフォドラへやってきた当初は強く違和感を持った慣習のひとつだが、有事の際に身を守るためにも敵対勢力に失敗させるためにも皆、自分の第二性についてみだりに話さないのだと分かった。
 エーデルガルトやヒューベルトがグロスタール家の嫡子ローレンツがオメガである、と分かっていれば同盟内の親帝国派であるグロスタール家へ圧力をかけるとしてもあんな方法は取らないだろう。拡張した広大な領土を治めるには彼らの手を借りねばならない。
「七人目だけガルグ=マクで見たことがある、とローレンツが言っていました。もしかしたら私もクロードも話したことがある人だったのかもしれませんよ」
 コーデリア領でも背中に焼印を押された亡骸が流れついていたという。だが既にコーデリア家は爵位を返上する手続きを開始していたため、セイロス教会に全て任せていた。だからリシテアはローレンツと会えた時にも彼の役には立てていない。せいぜい報告書に花を添えただけだ。
「だが実際に顔を見られないなら確かめようがないな。フォドラ中にイグナーツみたいな絵の上手い奴がいたらいいんだがなあ」
「なんですかその都合が良い話は。ところでクロード、前から気になってたんですがエーデルガルトはガルグ=マクにいた時、周り全てを敵だと思ってたんでしょうか?」
「俺たち入学早々盗賊に襲われたよな」
 あの時はまずディミトリとクロードが盗賊を二分するため、皆から離れた。勝手な行動をするな、とエーデルガルトが追いかけてきたのは今思えば連れ戻して一網打尽にしたかったからなのだろう。
「ええ、それで偶然出会ったベレト先生に助けられましたね」
「あの時に俺かディミトリを殺す予定だったんだろう。ついでにフェリクスかヒルダあたりを殺せたらこの先が楽になると思って士官学校に入ったんだろうな」
 ヒューベルトがエーデルガルトの同期生が誰になるのか調べていないはずがない。そしてヒューベルトが本気で調べてもセイロス教会の調剤部門が握る信徒たちの第二性に関する情報は掴めなかったのだ。オメガたちは皆、自分の社会的地位を守ってくれる抑制剤を開発し、身分の分け隔てなく普及させたセイロス教会に深く感謝している。
 クロード、いやカリードとしてはフォドラの高品質な抑制剤をパルミラでも普及させたい。きっとパルミラの社会は激烈な変化を遂げるだろう。フォドラと同じように人々が第二性を隠す、いや、隠せるようになるかもしれない。そのためにはセイロス教会が独占する抑制剤の製法や原料を持ち帰らねばならない。あの緑の甲虫はパルミラでも飼育できるのだろうか。
 ローレンツの父エルヴィンの第二性がなんであるのかクロードは知らない。だがグロスタール伯が恐怖を感じ、帝国軍のグロスタール領通過を許そうとしても嫡子であるローレンツを説得する、という一手間がかかる。その一手間分だけでも時間が稼げればクロードもいくつか手は打てるだろう。
「ふむ……私個人はやたらエーデルガルトから親切にされたんです。それについて心当たりはありますが、あまりに荒唐無稽で今も確証が得られないのでクロードに教えてあげられません」
 エーデルガルトに関する情報はどんなものでもありがたいよ、というとクロードはテーブルに残っていた最後の焼き菓子を口に放り込んだ。交易だけでなく、酪農も盛んなレスターの焼き菓子は高品質の牛酪をたっぷり使っているので食べ終えると唇に油がつく。クロードは少し厚めの唇を指で拭った。
「あっひどい!普通、年下の私に譲るのでは!!」
「お土産に包んであるから持って帰れよ」
 そういうことなら許してあげます、といってリシテアは焼き菓子をふた箱持ってコーデリア領へと帰っていった。多分ふた箱ともコーデリア領に着く頃には空になっているだろう。クロードが次に彼女と会えるのはいつなのか分からない。久しぶりに学生時代の話をしたがあの時、集まろうと約束した千年祭まであと二年くらいだ。皆来てくれるだろうか。───行方不明のベレトはそれまでに見つかるのだろうか。畳む
「さかしま」23.#クロロレ #さかしま #完売本 #オメガバース

 一一八五年、星辰の節がやってくる。クロードは盟主の仕事を一旦休止するにあたって、現況を事前に調べさせた。半壊したガルグ=マク修道院とその周辺はアビスのように混沌としているらしい。帝国軍は何故かあれだけ苦労して陥落させたガルグ=マク一帯を放棄していた。エーデルガルトはクロード、ディミトリと共にアビスで戦ったが彼女はクロードと違いアビスに興味がないらしい。クロードなら絶対に大規模な調査をさせる。
 エーデルガルトは檄文でセイロス教会が偽りの歴史を語っている、と述べていた。確かにセイロス教会は何かを隠しているし胡散臭い。しかしエーデルガルトに、彼女が主張するところの真の歴史を教えた何ものかはそれ以上に胡散臭い。セイロス教会を否定したいならアビスこそ調べねばならないのに捨て置いているのは、帝国にとっても都合が悪い何かがあるからではないか。クロードはそう予想している。
 今節、行方不明になったベレトと再会出来なかったらクロードは学生時代の友人たちと修道院の跡地とアビスの調査をする予定だ。おそらく十日間くらいで解散し、再びデアドラへ戻ることになるだろう。
 アビスの資料を漁りたいし、フレンから教えてもらった抑制剤の原料になるという甲虫を捕まえて自分でも繁殖させてみたい。あの甲虫はデアドラのセイロス教会でも繁殖させている筈だが、状況が逼迫している今、彼らが神聖だと考えているものを迂闊に探って怒らせたくなかった。それに教会相手に悪さをしたのが信心深い諸侯に知られたら、内紛の規模を操れなくなってしまう。
 だが仮にベレトと再会出来たならば話は別だ。もっと規模の大きなことが出来る。彼に拘っていたレアの威光を利用してセイロス騎士団を巻き込み、ガルグ=マクをレスター諸侯同盟の拠点のひとつとする。ガルグ=マクはフォドラの中心にあり帝国へも王国へも同盟へも行きやすい。自分がエーデルガルトならば絶対にガルグ=マクに拠点を作るが、こうして放置されているのは罠の可能性も高かった。それでもガルグ=マクに詳しいセイロス騎士団なら罠に気づくだろう。
 クロードは飛竜の鎧に足をかけ手綱をひいた。真っ白な相棒は任せてくれ、と言わんばかりに大きな羽根をゆっくり動かし上昇していく。足の下からナルデール、ことナデルが苦虫を噛み潰したような顔でクロードを見上げていた。上昇するにつれてナデルの傷だらけの顔も小さくなっていく。パルミラにはここ五年帰っていないし両親への便りも殆ど出していない。報告はナデルに任せきりだ。フォドラにいればいるだけクロード、いやカリードのパルミラでの存在感が薄まり王位継承争いで不利になる。長居しすぎだと思っているのだろう。
 だが、クロードの祖父も御目付役のナデルも勿論クロード本人も帝国が教会へ宣戦布告するなど予想できなかった。今後の情勢がどうであれパルミラの王宮は対フォドラ政策を根本的に変えることになる。アドラステア帝国がフォドラを統一したら祖国パルミラに攻め込んでくるかもしれない。それを考えるとクロード、いやカリードはまだフォドラを離れることなど出来なかった。シャハドを始めとする異母兄弟たちが嫌いでもパルミラの民草のことは愛している。
 更に上昇し眼下に青い海とデアドラの港、それに市街地を望んだ。母方の一族が代々守り続け、父方の一族が狙い続けるレスター諸侯同盟の首都は今日も美しい。白い飛竜に乗るクロードは青い空と青い海に挟まれて何ものにも紛れることは出来ない。だが目に入る空と海と街を美しく思える今、他人からどう見られようとそんなことはどうでも良かった。クロードの相棒は体力があるし、休憩を最低限にして飛んでいけば約束の刻限には到着するだろう。
 五年前の撤退戦の時にはあれほど苦労したのに飛竜に乗って空を横断してしまえばあっという間だった。ダフネル領を越えオグマ山脈に沿って飛び続け、ガルグ=マクに到着したクロードは使えるような設備がないか探すため、ゆっくりと修道院の上を旋回した。廃墟と化した修道院を見れば、五年前の攻防戦がいかに苛烈だったか改めてよくわかる。それでも五年前に破壊し尽くせなかった建物が残っていた。事前に受けた報告通り周囲に盗賊が住み着いているのだろう。確かに一から拠点を築く必要がなく効率が良い。上空から彼らが煮炊きをしているであろう煙を確認し、クロードは思わず舌打ちをしてしまった。
 なるべく早く排除せねばならないが単騎の今は無理なので見逃すしかない。クロードは盗賊たちに見つからないよう、少し距離を取って静かに飛竜から降りた。舞踏会の晩、皆で会おうと誓った部屋に一人で立ち壁の穴から外を眺める。約束の刻限にはまだ時間はあるがまさか自分が一番乗りとは思わなかった。他の皆の兵種からして時間がかかるのは分かっている。だが釣果なしでデアドラに戻ろうものなら今後ナデルからどんな目で見られることか。それを考えただけでもうんざりする。自分の人徳のなさに思いを馳せていると、瓦礫を蹴散らしながらこちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。
 自分は五年前と比べてすっかり変わってしまったがクロードの目の前に現れたベレトは時の流れを全く感じさせない。ベレトはクロードが押しても引いても訳のわからないことを話し続け、行方不明になっていた五年間に一体、どうしていたのか具体的には教えてくれなかった。
 埒があかないので強引に誘ったが、久しぶりの恩師との食事の時間は五年の空白があるとは思えないほど和やかに過ぎた。食後の腹ごなしと言わんばかりにベレトの指揮に従い、盗賊たちを一人ずつ倒していく。クロードとベレトは盗賊たちに囲まれていた。四方八方全てから逃すな、ぶっ殺してやる、といった類の叫び声が聞こえていたのに北西側だけ叫び声の種類が変化している。
 盗賊たちは口々に悲鳴をあげて何かから逃げ惑っていた。新たに別の盗賊が現れて縄張り争いでもしているのだろうか。
「クロード、降りて隠れろ」
 ベレトの指示通り飛竜から降りてクロードは物陰に身を潜めた。聞き耳を立てていると北西から矢羽が飛んできて、空気を切り裂く音がする。流れ矢が飛竜に当たってしまったら墜落していただろう。ベレトの指示は以前と変わらず正しい。五年という空白期間があろうと、状況を瞬時に把握する目や耳それに指揮の腕は全く落ちていなかった。北西方向から盗賊たちを排除した者たちがどんどん距離をつめてくる。足音だけでなく話し声も聞こえてきた。
「相変わらず見事だな、イグナーツくん」
「ありがとうございます。声がする方に向かいましょう!」
「多分、騒ぎの中心にクロードがいる。全く、どうしようもない」
 来てくれた。友人たちの声を聞き、物陰に隠れたままのクロードは目が熱くなるのを感じた。行方不明になっていたベレトだけでなく、クロードが良しとするものを同じく良しとする、そんな友人が万難を排して───あんな良い加減な口約束を守る為に来てくれた。彼らと合流出来たらナデルに更にフォドラ滞在が伸びると告げねばならない。パルミラでの自分の立場は更に脆弱性を増すだろう。だがそれでもナデルや両親からどんなに呆れられても、友人たちが安心して彼らの国で暮らせるようにせねばならない。畳む
「さかしま」24.#クロロレ #さかしま #完売本 #オメガバース

 修道院の敷地を完全に制圧した後でローレンツが大広間に向かうと、そこにはクロードとフレンが共にいた。
「俺も差し入れを用意しないとな。作り方を教えてくれるか?」
「簡単ですわよ、でもクロードさんは私のお教えした通りに作って下さるのかしら?おかしな物を混ぜないと約束して下さいますか?」
 フレンもベレトと同じく時の流れを感じさせない。若草色の巻いた髪も紺色の上衣も靴も昔のままだ。彼女は何もかもが変わらない。学生時代もクロードとフレンが話している所に出くわすと感情が揺れ動いたが今もそれは変わらなかった。だが、理由があの時とは異なる。
 十九歳の男性であった自分が五年間でこれだけ変化を遂げたのに、十五歳くらいの女性の見た目がこの五年間で全く変化しないのは不自然だ。兄であるセテスが妹を社交界へ出す気がなくとも成人女性に立場が変わるはずなのに。ローレンツは先ほど、ベレトへの挨拶を終えて喜色満面で寮の自室へと駆け込まんとするベルナデッタの姿を見た。社交界に出る気のない彼女ですら装いは改っている。
 クロードが情熱を傾けるフレンの秘密とは一体どんなものなのだろうか?まだフレンにちょっかいを出し続けているクロードへどう意見すべきか。
 考えが上手くまとまらないまま、ローレンツは自分の部屋へ戻る前に修道院の現状を知るべく敷地内を見て回った。荘厳な美しさがあった頃の記憶があるだけに現状が痛々しい。往年の美しい姿を取り戻すまでどれほどの時間と費用がかかるだろうか。
 枢機卿の間でフェルディナントと再会し、ベレトの指示で五年前、投降した黒鷲の学級にいた学生たちがそれぞれ、どのように過ごしていたのか教えてもらった。ドロテアは歌劇団の疎開を手伝い、ペトラはブリギットに戻っていた。リンハルトはアンヴァルからの呼び出しを無視してずっと自領にいたが、カスパルは実家の事情もあり、ベルグリーズ領に帰るに帰れずなんと王国で傭兵の真似事をしていたらしい。
 王国といえばメルセデスもガルグ=マクへ来ている、とフェルディナントから教えてもらった。国が滅びつつあるファーガス出身の学生のうちガルグ=マクに来られたのは瓦礫だらけの大聖堂にいたメルセデスだけらしい。
「私がガルグ=マクに来られたのは受け継ぐ領地がないからなの」
 何かを覚悟した証なのか、メルセデスは学生時代は肩の下まで伸ばしていた緩やかに波打つ豊かな髪をばっさりと切り落としている。いまやローレンツの方が髪が長い。
「アネットさんもそれで来られなかったのか。クロードと仲が良かったから来るかもしれないと思っていたのだが」
 アネットは母がドミニク男爵家の出で、彼女自身もドミニクの紋章を持つ。ドミニク男爵の跡を継ぐならばガルグ=マクに来られなくても不思議ではなかった。
「アンは叔父様が許さなかったのよ。アッシュもローベ伯の手伝いをしていて……ほらガスパール領が落ち着かないから……」
「そうか、残念だ。残念と言えばディミトリくんと従者のドゥドゥくんは本当に……?」
 ローレンツの問いを聞き、メルセデスは辛そうに目を伏せた。彼女の瞳の色に合わせた耳飾りがかすかに揺れている。無事を信じたいが情報が錯綜していてなんとも言い難いのだろう。
 それ以外でこの場にいないのは皆、反ファーガス公国派である名家出身の学生たちだった。フラルダリウス家のフェリクス、ゴーティエ家のシルヴァン、ガラテア家のイングリット。皆、同盟が秘密裏に援助という名の投資をしている家の者だ。悲痛な顔をしているメルセデスに対して、レスター諸侯同盟出身であるローレンツにはかける言葉がない。
「メルセデスさん、ローレンツさんお久しぶりです」
 ローレンツとメルセデスが話していると二人に気づいたマリアンヌがそっと近寄り、声をかけてきた。マリアンヌと直接会うのも久しぶりだった。
「リンハルトも書庫に居たわ」
「大広間の二階にマヌエラ先生がいらっしゃいました。またオメガの皆で集まるのでしょうか?」
「ベルナデッタさんはきっとまた欠席だな…」
「顔合わせはあると思うわ〜。抑制剤を配布しないとダメでしょうし。後でベルナデッタのところにもきちんと持っていってあげましょうね」
 今こうして話している三人と名前が出たリンハルト、それにベルナデッタの第二性はオメガだ。ベルナデッタとローレンツ以外の三人は回復職に就いている。そしてローレンツ以外の四人はきっと自分の肉体の変化に戸惑う迷いの時期を脱しているのだろう。自分だけが迷っているような気がして、親友のマリアンヌが共にいるのに初めてローレンツは孤独を感じた。
「また皆で集まるのならクロードが嘴を突っ込んでこないように慎重に計画せねば」
 メルセデスがローレンツの言葉を聞いて不思議そうに小首を傾げた。
「あらあらクロードになんの関係があるの?」
「え、あ、いやその、近頃クロードは箍の外れた行動が目立つので……」
 メルセデスは口調がゆったりしているがとても鋭い。もし偶然オメガの会合に出ている時にクロードがローレンツと会いたい、と思ったら修道院の構造に詳しい彼は秘密の会合場所を見つけてしまうだろう。クロードは第二性についての感覚が常人とは異なるので、彼がどんな火種を撒くのか想像も付かず恐ろしかった。
「近況を知っているなんて仲良しなのね〜」
「あれでもレスター諸侯同盟の盟主なのでどうしても近況は漏れ聞こえてくる」
 マリアンヌが助け舟のつもりか咳払いをした。彼女にも早く時間を作ってもらってクロードとのことを相談したいと思っている。
「セイロス騎士団にいる方々も含めて一度オメガの皆で集まらねばなりません」
「そうねえ、セイロス騎士団が動けば帝国軍は絶対に攻めてくるはずよ。その前に色々と把握しておきましょう」
 そこから話はどんどんと逸れていった。プリーストの資格を持ち、部隊では回復役を担当する二人が温室で育てていた薬草が無事か確かめたい、と言うのでローレンツは自室に戻った。今日は色々ありすぎて疲れたのでもう泥のように眠りたい。それなのに今日見聞きしたことが頭の中で繰り返される。こんな時にクロードの体温を感じながら横になれば、すぐに眠れるのだろうか。
 盟主にも関わらず一番乗りして斥候の真似事をしたクロードが言うにはルミール村近くに現在、帝国軍の小さな駐屯地があるらしい。いつその駐屯地の連中に気取られるか分からないのだから、皆で協力して早く修道院を復興させよう!───クロードはガルグ=マクに集まった者たち、主にセイロス教会関係者たちにそう言って回った。白々しいにも程がある。レスター諸侯同盟の盟主がこんな情勢下で、フォドラの中心であるガルグ=マクにいる理由は決まっている。
 盗賊の排除に成功したと言う知らせを受け、避難先からセイロス騎士団の騎士たちが戻ってきた。同盟に吸収するわけではない、とイグナーツに協力してもらって用意した新生軍の軍旗を手に、貼り付けたような笑顔を浮かべて語るクロードを疑いの目で見ていたのはヒルダだけでない。ローレンツもだった。
 クロードはガルグ=マクにレスター諸侯同盟の拠点を築いて、ここから帝国に攻め込むつもりなのだ。膠着状態を打破する為に。畳む
「さかしま」26.#クロロレ #さかしま #完売本 #オメガバース

 ミルディン大橋を確保したので各々実家に戻って援助の約束を取り付けて欲しい、とクロードが言った。それなのに連れて歩けば最も説得力が出るベレトの身柄は早々にクロードが押さえてしまっている。クロードくんだけずるいよ!と主張していたヒルダと実家が遠方にあるマリアンヌは既に出発していた。彼女たちに続いてローレンツもクロードと同じく明朝にはガルグ=マクを後にする。
 ローレンツはミルディン大橋へ行く前、流石に思うところあってガルグ=マクから実家へ便りを出した。だが父エルヴィンからの返事はまだ受け取っていない。届いたのかどうかも定かではないし、ローレンツがこの先どこに行き、何をするのか彼自身にも分からないのだ。実家とのやりとりが安定するにはもうしばらく時間がかかるだろう。今後のローレンツの行き先を知っているのは、癪に触ることにクロードだけだった。
 ミルディン大橋はダフネル家のジュデイッドに、本拠地であるガルグ=マクは級友たちに任せる、というのがクロードの方針だった。確かに今更実家に帰れないものたちは多い。ローレンツは自領に向けて出発する前にようやく時間が取れたので、ラファエルたちと共にガルグ=マクに残るフェルディナントと二人、中庭で茶会をしている。好天に恵まれたことがありがたい。
「フェルディナントくん、僕は書き置きをして出てきたのだが、今となっては内容の殆どが虚偽になってしまったのだよ」
 ベレトはエーデルガルトとヒューベルトに置いて行かれた黒鷲の学生たちの面倒を見るため、彼らを転籍させていなかったらフェルディナントたちは五年後の約束など知るはずもなかった。こうして彼とガルグ=マクで茶会をすることが叶ったのは面倒見の良いベレトのおかげだった。
「ほう、例えばどんな所が?」
「まず二週間ほどで帰ると書いたのだ。ガルグ=マクに数泊したらそのまま解散するのだろうと思っていた」
「三節経ったな」
「危険なことは避けるとも書いた」
「アリルでも戦闘があったしミルディン大橋を陥落させたな」
 そう言って茶器を手に愉快そうに微笑むフェルディナントには帰る実家がない。そんな彼に実家の話をして良いものか悩んだが、遠慮する方が失礼に当たるような気がして話題に出している。
「会って話せばレア様の代理である先生から頼まれてのことだ、と両親も理解してくれるとは思う。しかし僕は自分の見込みの甘さが恥ずかしい」
「クロードが何を考えているのか分からなかったから、かい?」
 ローレンツは恥ずかしそうに頬を染めて頷いた。だがクロードと違ってフェルディナントに見破られるのは嫌ではない。共により良い貴族になろうと誓った仲だからだろうか。
「学生時代から行動を監視し続け、誰よりも奴のことを分かっていると思っていたのに現状はこれだ」
「気持ちは分かるよ、ローレンツ。私もエーデルガルトがあんなことを仕出かすとは思ってもいなかった。我々は同じだな」
 フェルディナントは優しく微笑み、ローレンツの茶器にお代わりを注いだ。一年間、エーデルガルトの監視下に置かれた後に帝国中を放浪していた彼は帝国がどうなっているのかよく知っている。箍が外れ、とにかく高揚していた、という彼の説明はローレンツにもわかりやすかった。
 帝国はそもそも七貴族の変が起きる前から南方教会が形骸化し、行き過ぎた紋章主義や厳格な階級制度を咎める存在が社会から消滅している。階級制度が強固な国であったせいか平民たちのエーデルガルトに対する熱狂が凄まじい。出奔するような形でガルグ=マクにやってきた黒鷲の元同級生たちのうち紋章を持っているフェルディナント、リンハルト、ベルナデッタは特に居心地の悪さを感じていた。
「素朴な疑問なのだがエーデルガルトさんもセイロスの紋章を持ちアイムールを使うだろう?矛盾を感じないのだろうか」
「その辺りが相容れなくて出奔したのだ。確かに我が国は解決せねばならない問題だらけだが、それは戦争で解決するとも思えない」
 親友のローレンツが黙って耳を傾けてくれているのでフェルディナントは更に言葉を続けた。自由に意見が言えるのも、ここが懐かしい士官学校の敷地内だからかもしれない。
「何か事情はあるのだろうが、明かされないならば判明していることだけで判断するしかない。明かして貰えなかったことがひたすら残念だよ」
「僕としてはエーデルガルトさんもヒューベルトくんも、最初からディミトリくんやクロードを敵と見做していただろうにそれを見破れなかったのが残念だな。監視すべき相手を間違えた」
 フェルディナントはローレンツの言葉を受け、持論を展開した。───エーデルガルトとヒューベルトが何故大陸を統一したいのかさっぱり分からない。偽りの歴史を訂正したいなら形骸化した南方教会を使って、新しく聖典を作って普及させれば良い。公会議を開いて論戦に勝てば大司教座も士官学校もアンヴァルへと移せる。戦費が出せるならばその経費が出せる筈だ。紋章主義を否定したいならば何故、紋章を持たねば使えないアイムールを振るい、ファーガスへと侵攻したのか───フェルディナントが彼女たちを問いただす機会が訪れるのかどうか、ローレンツには正直言って分からない。だが聞いてみたいのだ、と彼は言う。
「これからはお互い、悔いが残らない選択をしたいものだ。こうしてローレンツと紅茶を楽しんでいるとやはり、シルヴァンが今どうしているのか考えてしまうな」
 ガルグ=マクで再会するまで、ローレンツから一方的に心配される側だったのはシルヴァンではなく、フェルディナントだった。ベレトと再会し、エーギル領を取り戻すまでは本拠地をガルグ=マクとする、と腹を括ったせいか彼は落ち着きを取り戻している。
「端的に言ってとても辛い時期を過ごしているだろう。シルヴァンはご婦人方に対する態度はともかく、ブレーダッド家に対しては忠誠を誓っているし領民に対しては誠実だ」
 そもそもファーガスはダスカーの悲劇の痛手から立ち直っていない。そんな状況下でアドラステア帝国に侵攻され、ファーガス神聖王国という国家は瓦解しつつある。レスター諸侯同盟がまだ瓦解していないのはクロードの手腕に依るところが大きい。王子であったディミトリが生きていればこんな事態にはならなかった、とシルヴァンたちは思っているに違いない。彼らの人生は帝国のファーガス侵攻により大きく変わってしまった。
「それは辛い、な……」
 フェルディナントが瞼を伏せると睫毛で彼の頬に影が落ちた。出自に関係なく陽の光は平等に皆を照らしていくのに人間は本当に儘ならない。
 この争乱で人生が変わってしまった者はフォドラのありとあらゆる所に存在する。フェルディナントやシルヴァンに比べれば些細な変化だが、ローレンツもそのうちの一人だ。
 平和なままであればローレンツはクロードと深い仲になることはなかった、と断言出来る。それに結婚するまで純潔を保っていた筈だ。男性オメガの場合は破瓜にあたる現象がないため、女性オメガほど結婚の条件として純潔は問われない。
 しかしローレンツは一生、配偶者に対して引け目を感じるだろう。純潔を失ったことを将来の結婚相手に伝えるべきかどうか、マリアンヌに相談した時にはすぐに結論が出せないので持ち帰らせて欲しいと言われている。彼女の出す結論が耳に痛いものであろうと聞ける日が楽しみだった。畳む