-horreum-倉庫

雑多です。
「さかしま」20.#クロロレ #さかしま #完売本 #オメガバース

 レスター諸侯同盟はアミッド大河を挟んでアドラステア帝国と国境を接している。ミルディン大橋があるのはかなり河幅が狭いところだ。最も河幅が広い河口付近では対岸が見えない。そんなフォドラ一の大河と言えるアミッド大河の源流はオグマ山脈にあり、脱出行で北上した時にローレンツたちはその源流の水で生き長らえた。当時、この小さな川が遥か下流ではアミッド大河となり、ヒルダやリシテアたちはそこを目指しているのか、と不思議な気持ちになったのを覚えている。
 ローレンツが必死の思いで実家に帰り着いて三年が経過した。父エルヴィンの代わりにレスター中を飛び回り、今はグロスタール領の端、アミッド大河沿いの漁村に来ている。身軽な単騎だったが遠方であったせいか着いたのはもう少しで日が暮れる、という頃だった。
 今年に入ってから漁師たちの網に歓迎できぬものが定期的に掛かるのだという。それでも彼らはそこで採れる魚を売るしかないし食べるしかない。なんとかして欲しいと言う陳情があった。陳情書にも記された歓迎できぬもの、は白い布をかけられ小さな村の教会の祭壇に安置されていた。小さな礼拝堂の窓には漁村らしく魚を愛したという逸話の残る聖セスリーンの姿を象った色硝子が窓に嵌められている。そこから夕焼けの光がさしこみ、白い布を若草色に染めていた。弔うために捧げられた蝋燭を倒さないよう、慎重に顔の部分をめくってローレンツは中味を確認した。思わずため息が出てしまう。
 ローレンツが学生の頃、ガルグ=マク修道院にいた修道士だった。見覚えはあったが残念ながら話したことがないので名を知らない。彼はきっと行方不明になった大司教レアを探すため帝国へ潜入したのだろう。今は冬で河の水が冷たいせいか顔立ちが保たれていた。
「ここの対岸から流れ着いたのだろうか?」
 ローレンツはアミッド大河がある方を指さした。対岸はセイロス教会に宣戦布告したアドラステア帝国の領土だ。
「こちら側にこんな恐ろしいことをする輩はおりません」
 村の司祭はそう言うと苛立ちと恐れに苛まれている己を守るように強く目を瞑った。宣戦布告前には異様な特徴を持つ亡骸が流れ着くことは一切なかったのだと言う。ローレンツは彼とこの村のため、何か出来ることはないかこの場で改めて考えてみた。しかし同盟領内の親帝国派であるグロスタール家として対岸を統治する帝国の領主に対し出来ることなど殆どない。それを不満に思わせないため、わざわざ嫡子であるローレンツが現場までやってきたのだ。誠意は尽くしているつもりだが結局は目眩しでしかないことが歯痒い。
「聞き方が悪くて申し訳ない。上流から流れて来たのかを知りたかった」
「そういうことでしたら真正面から、はあり得ません。ご覧の通りかなり流れが早いので確実に上流からです。こちらより更に下流のフリュムには怪しげな建物が多いのでコーデリア領も似たようなことで困っているかもしれません」
 リシテアの顔を見にいくのも良いかもしれない。リーガン公の葬儀以来、彼女とは会っていないからだ。
「そうだな、明日コーデリア領へ足を伸ばしてみよう。ところで司祭どの、彼で七人目か?」
 陳情書には六人と書いてあったがローレンツの目の前の亡骸は新しい。司祭が黙って頷いた。
「これまでのものも含めて亡骸がセイロス教関係者だと分かったのは何故だ?」
「亡骸が流れ着くたびに弔うため名前がわかるものを身につけていないか探すのですが、いつも背中に同じ焼き印が入っているのです」
 その言葉を受けてローレンツが彼の背中を見ると確かにセイロス教の徽章が焼き印で刻まれている。治った痕があり、一定期間は囚われていたと簡単に想像出来た。一連の問題は単に亡骸の処置が面倒くさい、というところから始まっているのだろう。帝国はセイロス教関係者の尊厳を認めないから亡骸の処置が只ひたすら面倒くさいのだ。これが王国や同盟であれば信仰に人生を捧げた名も知らぬ彼を丁重に弔うだろう。
 これはグロスタール領ひいてはレスター諸侯同盟への警告も兼ねている。セイロス教に肩入れしてエーデルガルトの覇道を邪魔だてすれば、似たような目に遭わせてやると言うことだ。エーデルガルトたちが抱えるセイロス教会への拒否反応がどれほど強いのか思い知らされる。
 きっと彼女はベータかアルファなのだろう。このフォドラに生きるオメガで抑制剤を開発し、無料で分け与えてくれるセイロス教に愛着を持たない者は殆どいない。ローレンツはアドラステア帝国にいるオメガたちが今後、どうなるのか心配になった。アドラステア帝国には大量の抑制剤を生産し、オメガたちを相手に決して儲けようとせず配って回る組織があるのだろうか?
「この件は父上にもクロードにも僕の名で報告しておく。これからコーデリア領へ向かうので葬儀には出られないが、せめて灯りだけでも捧げさせてくれ」
 そういうとローレンツは指を鳴らし、ファイアーの呪文を唱えて蝋燭に火を灯した。聖職者の場合は弔い方が一般人とはかなり異なる。弔い酒の代わりに蝋燭の灯りを絶やさず捧げ、火葬ではなく土葬にする。
 父エルヴィンの名代として弔事に出ることは多いが、ローレンツが個人的に生前の姿を覚えている者の弔事は久しぶりだった。それこそリーガン公の葬儀以来かもしれない。暗闇の中で浮かび上がる灯りをじっと眺めていると後悔の念がローレンツを支配した。すれ違った者たち全ての名を聞く機会など訪れるものではない、と頭では分かっている。だが不本意な死を遂げた修道士の墓に名を彫ってやることすらできないのは辛かった。密偵を務められるような有能な者であったからアロイスかセテスであれば彼の名を知っていたかもしれない。
「若様、交代しましょう。二階の客室をお使いください。徹夜はよろしくありませんよ」
「だが司祭どの、あなたも明日は納棺式があるのでは?」
「叙階前の修練期間で徹夜の祈りには慣れています」
 年長者の有無を言わさぬ圧に負けたローレンツは客室の寝台に横たわって目を閉じた。馬が乗れるような船はこんな小さな村にはないし、馬でコーデリア領へ行くなら確かに眠った方がいい。初めて教会に泊まったときにクロードや迎えの者たちと共に床に寝たことを思えば充分に恵まれている。あの雪山の脱出行の前と後でローレンツの人生は不可逆な変化を遂げた。クロードの人生は何か変化を遂げたのだろうか。そんな益体もないことを考えながら眠ったせいかローレンツは不思議な夢を見た。
 夢の中でローレンツはオグマ山脈の山中でクロードと共に不寝番をしていた。他の者は皆、寒さから睡眠に逃避している。実際には二人の不寝番が重なったことはない。だが夢の中ではクロードと二人、星空と自分を遮るものが何一つない山中で星座の話をしていた。クロードの突飛な発想や出鱈目な話が楽しくて、異議も唱えずに聞いていたのは夢だったからかもしれない。実際にあんなにはしゃいだらきっと追っ手に見つかったはずだ。夢というのは実に都合が良い。
 ローレンツは日頃、本当に深く眠る方で夢は殆ど見ない。夢の内容も起きた瞬間に忘れてしまう。ただ夢の中で見た満天の空があまりに美しかったせいか、珍しく朝食の時間になっても昨晩見た夢を覚えていた。畳む