「さかしま」13.#クロロレ #R18 #さかしま #完売本 #オメガバース 18↑?→y/n
「さかしま」14.#クロロレ #さかしま #完売本 #オメガバース
こうならないようにローレンツの身を案じた両親が教育係を付けてくれたのに全てを無駄にしてしまった、と絶望するグロスタール家嫡子である自分と生まれて初めて欲求不満が解消されて晴れやかなオメガの自分がいて、どんな顔をすればいいのか分からない。アルファとの性行為がなければ治まるまで十日ほど必要となる熱発作、こと発情期だがクロードの協力もあり二日ほどで治った。
どれほど時間が経ったのかは不明だが、まだ微かに暖炉には温もりが残っている。我に返って横たわったまま、体を検分してみれば酷い状態だった。喉が内も外も引きつれるように痛む。だが頸や喉元を触った指に血は付かなかった。正式な番になるとアルファから血が出るような強さで深く、頸や喉元を噛まれる。血がついた枕覆いを証拠として掲げる地方もあるらしい。気恥ずかしくはないのだろうか。
アルファの唾液がフェロモンを分泌する部分へ直接流し込まれると発情期のアルファを無差別に誘うフェロモンの分泌が減少するらしい。アルファの唾液によりオメガの肉体は書き換えられる、ということだ。フレンの血には人間の身体を書き換えて魔獣にする力があるのではないか、というクロードの仮説と少し似ている。
隣で眠るクロードは責任を取れ、と言い募るのも馬鹿らしいほど幸せそうな顔をして褐色の瞼を閉じている。ローレンツだって発情期に本能の赴くままに過ごすのは初めてだったが、クロードも初めて本能の赴くままにオメガの肉体を貪ったのだろう。アルファの男性はどの階級の女性とも行為が可能だが、俗説では男女問わずオメガが一番好いのだと聞く。この幸せそうな顔は自分の具合が良かったからなのだろうか。そんなことを考えてしまったせいでローレンツの頬に熱が集まる。寒い冬の山中で傍の温もりは心地よく、出来れば離れたくはないのだが水を飲むためには色んな箇所が痛む身体を起こす必要があった。
服を脱ぎ散らかしたせいで手の届くところに服がない。ローレンツは裸のまま痛む腰をさすりながら立ち上がって水を飲んだ。窓の外へ視線をやれば外は相変わらず雪が降っている。声を出せるようになったので薪を足し、ファイアーの呪文を唱えて暖炉に再び火を入れた。
クロードと自分の服を拾い集めているうちに股間から太ももをつたって白濁が垂れて来たので慌てて布で拭う。着替えにも乏しいので全て外に掻き出してからでなければ服が着られない。
身体が冷えたローレンツは再び毛布にくるまって眠るクロードの脇に潜り込んで暖をとった。肌と肌が触れ合うと吸い付くような気がして、抱き合ったまま再び眠りたくなるが残念ながらそうはいかない。目の前にあるクロードの頬を軽く叩いた。
「起きろ、クロード。当事者として君が知っておくべきことがある」
「おはよう、ローレンツ」
多幸感に溢れた状態で目を覚ましたのかクロードはうっすらと微笑みを浮かべている。だが、ローレンツの発言ですぐに現実に引き戻されるだろう。
「四分の一だ」
「何が」
「僕が妊娠している確率だ」
クロードは寝返りを打ってため息を吐いた。褐色の背中にはローレンツが付けたであろう引っ掻き傷が生々しく残っている。入浴する際には汗やお湯が沁みるだろう。
「うっ……それはかなり高いな」
仮に妊娠しているとして、の話だがリーガンの紋章を持つ可能性がある子供だ。たとえその子の持つ紋章がグロスタールの紋章であったとしても紋章学の理論上ではクロードとローレンツの子供の子供、つまり孫にはリーガンの紋章が継承される可能性が高い。よりによって敵対しているグロスタール家のオメガと作ってしまった、とはいえクロードの祖父オズワルドにとっては喉から手が出るほど欲しい存在だろう。
「結婚して抑制剤の服用を中止しても最初の発情期で妊娠する者はあまりいない、とも聞く。それでも四分の一の確率で妊娠する可能性がある」
「俺の祖父さんや家臣たちは産んで欲しいと言うだろうな」
では今、ローレンツに背を向けるクロード本人はどうなのだろうか。昨晩、自分を頼れとローレンツを抱いたクロード個人はどう考えているのだろうか。
「数は力だ。人がいなくては何もできない」
ローレンツがそう返すとクロードは再び寝返りを打ち、白い喉元の歯型を褐色の指でそっとなぞった。彼も同じことを考えていたようで、指先に血が付かず安堵のため息を吐く。もしあの晩に勢いで番になってしまっていたら両家共に将来、生まれるであろう紋章を受け継ぐ子供を人質に取られたも同然だ。
「リーガン家は家族と縁が薄い家らしい。祖父さんと俺の親はこじれにこじれた。俺も祖父さんみたいに自分の家族とこじれるのかもしれない。でもそんなこと腹の中の子供には関係ないだろう」
クロードの指が白い喉をたどってローレンツの頬に触れた。彼の指が熱いので自分の顔が冷えているのだ、とローレンツは分からされてしまう。
「産んでも産まなくても俺はお前の味方をするよ。どのみちお産ってのは大変だそうだから、一人で産むことなんか出来ないだろう。お前もご両親と相談しなきゃならない。その結果どんな判断をしても尊重する」
緑の瞳でローレンツを見つめて淡々と考えを述べるクロードが稀代の大嘘つきなのか、それとも正直者なのかローレンツには分からない。ただローレンツが求めていた言葉なのは確かだ。
「抑制剤を飲んでいた時の周期通り二日後に生理が来ればこの会話は全て笑い話になる」
「笑い話になんかしない」
毛布の中で自分の腹を撫でたローレンツは何故、クロードが少し怒った様な口調で言い返したのか分からなかった。
「君なら笑い話にしそうなものだが。あぁ、またか…失礼」
ローレンツは立ち上がって先程使った布でまた太股を拭った。目の前で何が起きているのか理解したクロードは頰が熱いのか掌で顔を仰いでいる。
「そんな風に出てくるなんて知らなかった」
「僕だって初めて知ったよ。流石にこれで全部かな。ようやく服が着られる。下履きに垂れたら次に洗濯できるまで服に君の匂いが染みついたままになってしまう」
ローレンツは呆然とするクロードを放置して拾い集めた服を身につけた。先程白濁を拭った布を暖炉に放り込み、次に余っていた敷布を縦に割き始める。こんなにゆったりと身支度できる機会がいつ来るのか分からないし、ダフネル領の街中で買い物ができるようになるまで粗相をして貴重なズボンを駄目にするわけにいかない。こうした些細な工夫も教育係から学んだ。
「何してるんだ?」
「生理が始まったら畳んで挟む。出血したまま行軍したらズボンに垂れた血でズボンが駄目になるし、へばりついた血が固まると足の付け根の皮膚を切ってしまう」
男性アルファからすれば煩わしいことだらけの生活だろうが慣れてしまえば特に問題はない。クロードはオメガとアルファの生態の違いに改めて衝撃を受けたようだ。一向に身支度をしようとしないのでローレンツはクロードの顔に向けて拾い集めた彼の服を一枚ずつ放り投げた。中々、命中率が高く癖っ毛の上に布が山のように重なっていく。
「普通こう言うのって脱ぐ時に一枚ずつ投げつけてくれるんじゃないのかよ!」
布の塊の中からようやく本来の調子を取り戻したような声がした。ローレンツはクロードの理屈が先行して実践が伴っていないところが嫌いではない。
「なんだ君、昨日僕にそうして欲しかったのか?」
いつの間にか雪は止み日が射していた。畳む
こうならないようにローレンツの身を案じた両親が教育係を付けてくれたのに全てを無駄にしてしまった、と絶望するグロスタール家嫡子である自分と生まれて初めて欲求不満が解消されて晴れやかなオメガの自分がいて、どんな顔をすればいいのか分からない。アルファとの性行為がなければ治まるまで十日ほど必要となる熱発作、こと発情期だがクロードの協力もあり二日ほどで治った。
どれほど時間が経ったのかは不明だが、まだ微かに暖炉には温もりが残っている。我に返って横たわったまま、体を検分してみれば酷い状態だった。喉が内も外も引きつれるように痛む。だが頸や喉元を触った指に血は付かなかった。正式な番になるとアルファから血が出るような強さで深く、頸や喉元を噛まれる。血がついた枕覆いを証拠として掲げる地方もあるらしい。気恥ずかしくはないのだろうか。
アルファの唾液がフェロモンを分泌する部分へ直接流し込まれると発情期のアルファを無差別に誘うフェロモンの分泌が減少するらしい。アルファの唾液によりオメガの肉体は書き換えられる、ということだ。フレンの血には人間の身体を書き換えて魔獣にする力があるのではないか、というクロードの仮説と少し似ている。
隣で眠るクロードは責任を取れ、と言い募るのも馬鹿らしいほど幸せそうな顔をして褐色の瞼を閉じている。ローレンツだって発情期に本能の赴くままに過ごすのは初めてだったが、クロードも初めて本能の赴くままにオメガの肉体を貪ったのだろう。アルファの男性はどの階級の女性とも行為が可能だが、俗説では男女問わずオメガが一番好いのだと聞く。この幸せそうな顔は自分の具合が良かったからなのだろうか。そんなことを考えてしまったせいでローレンツの頬に熱が集まる。寒い冬の山中で傍の温もりは心地よく、出来れば離れたくはないのだが水を飲むためには色んな箇所が痛む身体を起こす必要があった。
服を脱ぎ散らかしたせいで手の届くところに服がない。ローレンツは裸のまま痛む腰をさすりながら立ち上がって水を飲んだ。窓の外へ視線をやれば外は相変わらず雪が降っている。声を出せるようになったので薪を足し、ファイアーの呪文を唱えて暖炉に再び火を入れた。
クロードと自分の服を拾い集めているうちに股間から太ももをつたって白濁が垂れて来たので慌てて布で拭う。着替えにも乏しいので全て外に掻き出してからでなければ服が着られない。
身体が冷えたローレンツは再び毛布にくるまって眠るクロードの脇に潜り込んで暖をとった。肌と肌が触れ合うと吸い付くような気がして、抱き合ったまま再び眠りたくなるが残念ながらそうはいかない。目の前にあるクロードの頬を軽く叩いた。
「起きろ、クロード。当事者として君が知っておくべきことがある」
「おはよう、ローレンツ」
多幸感に溢れた状態で目を覚ましたのかクロードはうっすらと微笑みを浮かべている。だが、ローレンツの発言ですぐに現実に引き戻されるだろう。
「四分の一だ」
「何が」
「僕が妊娠している確率だ」
クロードは寝返りを打ってため息を吐いた。褐色の背中にはローレンツが付けたであろう引っ掻き傷が生々しく残っている。入浴する際には汗やお湯が沁みるだろう。
「うっ……それはかなり高いな」
仮に妊娠しているとして、の話だがリーガンの紋章を持つ可能性がある子供だ。たとえその子の持つ紋章がグロスタールの紋章であったとしても紋章学の理論上ではクロードとローレンツの子供の子供、つまり孫にはリーガンの紋章が継承される可能性が高い。よりによって敵対しているグロスタール家のオメガと作ってしまった、とはいえクロードの祖父オズワルドにとっては喉から手が出るほど欲しい存在だろう。
「結婚して抑制剤の服用を中止しても最初の発情期で妊娠する者はあまりいない、とも聞く。それでも四分の一の確率で妊娠する可能性がある」
「俺の祖父さんや家臣たちは産んで欲しいと言うだろうな」
では今、ローレンツに背を向けるクロード本人はどうなのだろうか。昨晩、自分を頼れとローレンツを抱いたクロード個人はどう考えているのだろうか。
「数は力だ。人がいなくては何もできない」
ローレンツがそう返すとクロードは再び寝返りを打ち、白い喉元の歯型を褐色の指でそっとなぞった。彼も同じことを考えていたようで、指先に血が付かず安堵のため息を吐く。もしあの晩に勢いで番になってしまっていたら両家共に将来、生まれるであろう紋章を受け継ぐ子供を人質に取られたも同然だ。
「リーガン家は家族と縁が薄い家らしい。祖父さんと俺の親はこじれにこじれた。俺も祖父さんみたいに自分の家族とこじれるのかもしれない。でもそんなこと腹の中の子供には関係ないだろう」
クロードの指が白い喉をたどってローレンツの頬に触れた。彼の指が熱いので自分の顔が冷えているのだ、とローレンツは分からされてしまう。
「産んでも産まなくても俺はお前の味方をするよ。どのみちお産ってのは大変だそうだから、一人で産むことなんか出来ないだろう。お前もご両親と相談しなきゃならない。その結果どんな判断をしても尊重する」
緑の瞳でローレンツを見つめて淡々と考えを述べるクロードが稀代の大嘘つきなのか、それとも正直者なのかローレンツには分からない。ただローレンツが求めていた言葉なのは確かだ。
「抑制剤を飲んでいた時の周期通り二日後に生理が来ればこの会話は全て笑い話になる」
「笑い話になんかしない」
毛布の中で自分の腹を撫でたローレンツは何故、クロードが少し怒った様な口調で言い返したのか分からなかった。
「君なら笑い話にしそうなものだが。あぁ、またか…失礼」
ローレンツは立ち上がって先程使った布でまた太股を拭った。目の前で何が起きているのか理解したクロードは頰が熱いのか掌で顔を仰いでいる。
「そんな風に出てくるなんて知らなかった」
「僕だって初めて知ったよ。流石にこれで全部かな。ようやく服が着られる。下履きに垂れたら次に洗濯できるまで服に君の匂いが染みついたままになってしまう」
ローレンツは呆然とするクロードを放置して拾い集めた服を身につけた。先程白濁を拭った布を暖炉に放り込み、次に余っていた敷布を縦に割き始める。こんなにゆったりと身支度できる機会がいつ来るのか分からないし、ダフネル領の街中で買い物ができるようになるまで粗相をして貴重なズボンを駄目にするわけにいかない。こうした些細な工夫も教育係から学んだ。
「何してるんだ?」
「生理が始まったら畳んで挟む。出血したまま行軍したらズボンに垂れた血でズボンが駄目になるし、へばりついた血が固まると足の付け根の皮膚を切ってしまう」
男性アルファからすれば煩わしいことだらけの生活だろうが慣れてしまえば特に問題はない。クロードはオメガとアルファの生態の違いに改めて衝撃を受けたようだ。一向に身支度をしようとしないのでローレンツはクロードの顔に向けて拾い集めた彼の服を一枚ずつ放り投げた。中々、命中率が高く癖っ毛の上に布が山のように重なっていく。
「普通こう言うのって脱ぐ時に一枚ずつ投げつけてくれるんじゃないのかよ!」
布の塊の中からようやく本来の調子を取り戻したような声がした。ローレンツはクロードの理屈が先行して実践が伴っていないところが嫌いではない。
「なんだ君、昨日僕にそうして欲しかったのか?」
いつの間にか雪は止み日が射していた。畳む
「さかしま」15.#クロロレ #さかしま #完売本 #オメガバース
話し合いは杞憂に終わった。
あまり大股で歩けないローレンツに合わせて歩くしかなかったため、日が暮れても人里に辿り着けていない。天幕を張るのにちょうどいい場所を探しているときに一言あ、と言ってローレンツが背嚢を持ったまま、木陰に身を隠した。用でも足すのかとクロードが少し離れた場所で待っていると中々戻ってこない。心配になって何が起きたのか見に行くと彼は身を丸くして蹲っていた。
「どうやら君の矢は的を外したようだ。そして今日はもう歩けそうにない」
抑制剤を服用していない状態での生理は重いと聞くのに、貧血気味で青ざめたローレンツがそんな冗談を言うのでクロードは思わず笑ってしまった。彼は自分の体調が悪く、足を引っ張ってしまっていることを気にしている。ここで笑わない方がもっと失礼な気がした。
「いいさ、背負ってやるよ。借りを返すなんて思わないでくれ」
大柄なローレンツを背負って休み休み歩きながらようやく小さな集落に辿り着いた。開戦の知らせはこんなところにも伝わっていて村人たちは不安がっている。金貨を差し出し、ローレンツを暖かい場所で休ませてもらうことにした。
屋内に入れて安心したのかローレンツは毛布に包まって暖炉の前から動かない。彼の代わりにクロードがこの先の足の手配をしていた。街道まではおそらく馬か橇になるだろう。そして案の定、橇は余っていてもそれを引く馬や犬が余っていなかった。
時間の経過とともにローレンツの体調は戻るが追っ手も距離を詰めてくる可能性が高い。ダフネル家が完全に支配している街道まで早く移動しなければならなかった。少し遠くまで狩りにでている男衆が戻ったら改めて相談するしかない。
クロードが脳内で地図を広げ、黙りこくって考えごとに耽っているとクロードたちを招き入れてくれた家の奥方が、背中に赤ん坊をおぶったまま煎じ薬と身体を拭く布や水桶を持ってきてくれた。微動だにしないローレンツを見てため息をつく。
「ちょっと旦那さんあなたね、早く子供を産ませてあげないからいつまでも月のものが重いのよ。可哀想に、私も覚えがあるわ。でも子供を産んで本当に軽くなったの」
そりゃあね、すごく綺麗な男オメガだし二人きりの時間を長く楽しみたいってのは分かるけど───から始まった怒涛の小言が終わるまでクロードは押し黙っていた。傾聴を終えご忠告感謝します、というと満足したのか働き者の彼女は再び外へと戻っていった。確かにクロードとローレンツは発情期に行為に及んでいる。だが、無関係な他者から連れ合いに見られるとは考えていなかった。
「血の匂いかな……いつもなら香水で誤魔化すのだがこんな状況では仕方がない。クロード、君は不本意だろうが僕の体調が戻るまではそう思わせておいた方がいい。僕はまだ君に肩を貸してもらわねば歩けないし、これで追手への証言内容も変わるだろう」
毛布の塊から声がした。彼はずっとうずくまっていたがきちんと会話は耳にしていたらしい。クロードはそっとローレンツの隣に座って労るように身体を撫でた。
「明日になったところで身動きが取れるかどうか分からないんだ。今はゆっくり休むといい」
追手が探しているのはリーガン家の嫡子とグロスタール家の嫡子だ。だが集落の住民たちはクロードとローレンツをアルファとオメガの若い連れ合いだと思っている。誤解が深まれば深まるほどローレンツの言うとおり追手の聞き込みを否定してくれるだろう。
深くため息をついたローレンツは意を決して身を起こし、奥方が煎じてくれた薬を口にした。山で摘んだ薬草をただ煎じただけの素朴なものなので見るからに苦い。クロードは苦さに溜まりかねて眉間に皺を寄せているローレンツの眉間に唇を落として真っ直ぐな紫の髪を褐色の手で梳いた。
「なっ……何をするんだ?!」
驚いたローレンツが取り落とす前にクロードは煎じ薬の入った水呑みを取り上げ、倒さないように机の上に置いた。
「誤解させといた方が良いんだろ?しかしローレンツも髪の毛伸びたな」
ガルグ=マクにいた頃は耳の辺りで切り揃えられて髪が顎のあたりまで伸びている。手入れも満足に出来なかったので少し不揃いになっていた。だが、悪くない。
「フェルディアにいた頃はもっと長かった。魔力は髪の毛にも宿るからな」
ローレンツは白い指で肩のあたりを叩いた。この辺まで伸ばしていた、ということなのだろう。そして彼のいう通り、確かに各学級で魔法の専門職を目指していた生徒は皆髪の毛を伸ばしていた。
「そういやマリアンヌやアネットも髪の毛が長かったな」
「メルセデスさんやリンハルトくん、それにドロテアさんも伸ばしていただろう?ハンネマン先生やマヌエラ先生の域に達すれば関係ないが」
「また伸ばせよ」
クロードがそういうとローレンツは自分の頭を手櫛で梳いた。
「ああ、毛先が跳ねていて苛々する。手入れにも手間が掛かるし馬術や槍術の邪魔になると思ってあの長さにしていた」
「剃刀だけじゃあの髪型は無理だよな」
フォドラの歩兵は基本、髭を生やさない。格闘中に敵の戦士に髭を掴まれてしまうと不利になるからだ。士官学校では騎兵を目指す者達も基本、髭を伸ばさないようにこまめに手入れせよ、と指導される。セテスの顎髭やハンネマンやアロイスの口髭は実力の証なのだ。
「そういう君は狩猟小屋で剃るまでは随分と髭が伸びていたな」
ローレンツがクロードの頬にそっと触れた。ここ数日は髭剃りを怠けているので無精髭が生えている。一方でローレンツは体毛が薄い。あんな仲になる前は単に身嗜みに気をつけていると思っていたが、彼の体毛が薄いのは男オメガだからだ。
「歩兵っぽくなくて良いだろ?」
「君も頬髭なら似合うのではないだろうか」
「考えておく。そうだ、水と布をもらったから身体拭いてやろうか?」
オメガにまつわる艶やかな噂話は他にもいくつかある。しかしクロードが実際に確かめるに至ったのは手入れをせずとも体毛が薄い、ということだけだ。他のことはフェロモンにあてられていたのでよく覚えていない。細い腰に回した手は軽くつねられてしまった。
「自分で出来るからいい。好奇心を満たしたいだけなら外に出て行け」
図星だったのでクロードは外に追い出された。薪割りでもするか、と家の裏に回ってみれば余所者であることが明らかな武装した何者かが奥方に話しかけている。エーデルガルトが同盟領に潜伏させていた密偵の可能性も、先に戻したマリアンヌが帰りがてらエドマンド家の名でクロードたちの救助を手配してくれた可能性もある。どちらなのか判るまで迂闊なことはできない。騒ぎを起こしてしまったらまだ具合の悪いローレンツを抱えてどう姿を眩ますべきか。クロードは奥方と余所者の様子を物陰に潜んで窺った。
「若夫婦を探している。……の方が無精髭で……の方は髪の長さが顎くらいまでの……」
「その二人なら今うちで休んでるわ!男オメガの方は随分と辛そうだから迎えがきてくれて安心したよ」
エーデルガルトが放った密偵ならばクロードとローレンツをそれぞれ探すはずだが、正確なことを伝えられないまま二人まとめて探しているならばマリアンヌが手配したものだろう。こうして安全と移動手段は確保できたが、クロードとローレンツの二人旅は突然終わった。畳む
話し合いは杞憂に終わった。
あまり大股で歩けないローレンツに合わせて歩くしかなかったため、日が暮れても人里に辿り着けていない。天幕を張るのにちょうどいい場所を探しているときに一言あ、と言ってローレンツが背嚢を持ったまま、木陰に身を隠した。用でも足すのかとクロードが少し離れた場所で待っていると中々戻ってこない。心配になって何が起きたのか見に行くと彼は身を丸くして蹲っていた。
「どうやら君の矢は的を外したようだ。そして今日はもう歩けそうにない」
抑制剤を服用していない状態での生理は重いと聞くのに、貧血気味で青ざめたローレンツがそんな冗談を言うのでクロードは思わず笑ってしまった。彼は自分の体調が悪く、足を引っ張ってしまっていることを気にしている。ここで笑わない方がもっと失礼な気がした。
「いいさ、背負ってやるよ。借りを返すなんて思わないでくれ」
大柄なローレンツを背負って休み休み歩きながらようやく小さな集落に辿り着いた。開戦の知らせはこんなところにも伝わっていて村人たちは不安がっている。金貨を差し出し、ローレンツを暖かい場所で休ませてもらうことにした。
屋内に入れて安心したのかローレンツは毛布に包まって暖炉の前から動かない。彼の代わりにクロードがこの先の足の手配をしていた。街道まではおそらく馬か橇になるだろう。そして案の定、橇は余っていてもそれを引く馬や犬が余っていなかった。
時間の経過とともにローレンツの体調は戻るが追っ手も距離を詰めてくる可能性が高い。ダフネル家が完全に支配している街道まで早く移動しなければならなかった。少し遠くまで狩りにでている男衆が戻ったら改めて相談するしかない。
クロードが脳内で地図を広げ、黙りこくって考えごとに耽っているとクロードたちを招き入れてくれた家の奥方が、背中に赤ん坊をおぶったまま煎じ薬と身体を拭く布や水桶を持ってきてくれた。微動だにしないローレンツを見てため息をつく。
「ちょっと旦那さんあなたね、早く子供を産ませてあげないからいつまでも月のものが重いのよ。可哀想に、私も覚えがあるわ。でも子供を産んで本当に軽くなったの」
そりゃあね、すごく綺麗な男オメガだし二人きりの時間を長く楽しみたいってのは分かるけど───から始まった怒涛の小言が終わるまでクロードは押し黙っていた。傾聴を終えご忠告感謝します、というと満足したのか働き者の彼女は再び外へと戻っていった。確かにクロードとローレンツは発情期に行為に及んでいる。だが、無関係な他者から連れ合いに見られるとは考えていなかった。
「血の匂いかな……いつもなら香水で誤魔化すのだがこんな状況では仕方がない。クロード、君は不本意だろうが僕の体調が戻るまではそう思わせておいた方がいい。僕はまだ君に肩を貸してもらわねば歩けないし、これで追手への証言内容も変わるだろう」
毛布の塊から声がした。彼はずっとうずくまっていたがきちんと会話は耳にしていたらしい。クロードはそっとローレンツの隣に座って労るように身体を撫でた。
「明日になったところで身動きが取れるかどうか分からないんだ。今はゆっくり休むといい」
追手が探しているのはリーガン家の嫡子とグロスタール家の嫡子だ。だが集落の住民たちはクロードとローレンツをアルファとオメガの若い連れ合いだと思っている。誤解が深まれば深まるほどローレンツの言うとおり追手の聞き込みを否定してくれるだろう。
深くため息をついたローレンツは意を決して身を起こし、奥方が煎じてくれた薬を口にした。山で摘んだ薬草をただ煎じただけの素朴なものなので見るからに苦い。クロードは苦さに溜まりかねて眉間に皺を寄せているローレンツの眉間に唇を落として真っ直ぐな紫の髪を褐色の手で梳いた。
「なっ……何をするんだ?!」
驚いたローレンツが取り落とす前にクロードは煎じ薬の入った水呑みを取り上げ、倒さないように机の上に置いた。
「誤解させといた方が良いんだろ?しかしローレンツも髪の毛伸びたな」
ガルグ=マクにいた頃は耳の辺りで切り揃えられて髪が顎のあたりまで伸びている。手入れも満足に出来なかったので少し不揃いになっていた。だが、悪くない。
「フェルディアにいた頃はもっと長かった。魔力は髪の毛にも宿るからな」
ローレンツは白い指で肩のあたりを叩いた。この辺まで伸ばしていた、ということなのだろう。そして彼のいう通り、確かに各学級で魔法の専門職を目指していた生徒は皆髪の毛を伸ばしていた。
「そういやマリアンヌやアネットも髪の毛が長かったな」
「メルセデスさんやリンハルトくん、それにドロテアさんも伸ばしていただろう?ハンネマン先生やマヌエラ先生の域に達すれば関係ないが」
「また伸ばせよ」
クロードがそういうとローレンツは自分の頭を手櫛で梳いた。
「ああ、毛先が跳ねていて苛々する。手入れにも手間が掛かるし馬術や槍術の邪魔になると思ってあの長さにしていた」
「剃刀だけじゃあの髪型は無理だよな」
フォドラの歩兵は基本、髭を生やさない。格闘中に敵の戦士に髭を掴まれてしまうと不利になるからだ。士官学校では騎兵を目指す者達も基本、髭を伸ばさないようにこまめに手入れせよ、と指導される。セテスの顎髭やハンネマンやアロイスの口髭は実力の証なのだ。
「そういう君は狩猟小屋で剃るまでは随分と髭が伸びていたな」
ローレンツがクロードの頬にそっと触れた。ここ数日は髭剃りを怠けているので無精髭が生えている。一方でローレンツは体毛が薄い。あんな仲になる前は単に身嗜みに気をつけていると思っていたが、彼の体毛が薄いのは男オメガだからだ。
「歩兵っぽくなくて良いだろ?」
「君も頬髭なら似合うのではないだろうか」
「考えておく。そうだ、水と布をもらったから身体拭いてやろうか?」
オメガにまつわる艶やかな噂話は他にもいくつかある。しかしクロードが実際に確かめるに至ったのは手入れをせずとも体毛が薄い、ということだけだ。他のことはフェロモンにあてられていたのでよく覚えていない。細い腰に回した手は軽くつねられてしまった。
「自分で出来るからいい。好奇心を満たしたいだけなら外に出て行け」
図星だったのでクロードは外に追い出された。薪割りでもするか、と家の裏に回ってみれば余所者であることが明らかな武装した何者かが奥方に話しかけている。エーデルガルトが同盟領に潜伏させていた密偵の可能性も、先に戻したマリアンヌが帰りがてらエドマンド家の名でクロードたちの救助を手配してくれた可能性もある。どちらなのか判るまで迂闊なことはできない。騒ぎを起こしてしまったらまだ具合の悪いローレンツを抱えてどう姿を眩ますべきか。クロードは奥方と余所者の様子を物陰に潜んで窺った。
「若夫婦を探している。……の方が無精髭で……の方は髪の長さが顎くらいまでの……」
「その二人なら今うちで休んでるわ!男オメガの方は随分と辛そうだから迎えがきてくれて安心したよ」
エーデルガルトが放った密偵ならばクロードとローレンツをそれぞれ探すはずだが、正確なことを伝えられないまま二人まとめて探しているならばマリアンヌが手配したものだろう。こうして安全と移動手段は確保できたが、クロードとローレンツの二人旅は突然終わった。畳む
「さかしま」17.#クロロレ #さかしま #完売本 #オメガバース
ダフネル領の領主ジュディッドの厚意で身支度を整えたクロードとローレンツは用意してもらった馬車で、デアドラ郊外にある馬場までは共に行動した。水の都デアドラの市街地には水路と歩道しかないのでデアドラに滞在するものは皆、自分たちが乗ってきた馬や天馬、それに飛竜をそこに預ける。建物が密集しているので〝落し物〟の懸念がある天馬や飛竜も原則として飛行が許可されていない。
知らせが来ていたのかリーガン家からもグロスタール家の上屋敷からも迎えのものが来ていた。両家は家臣同士も仲が悪いので飛竜を連れたリーガン家の召使をグロスタール家の召使が睨んでいる。飛行がらみの特権を見せつけられたのが悔しいのだ。
消火隊と産婆、それにリーガン家の者だけが、デアドラの市街地で自由に飛竜や天馬で飛ぶことが出来る。
二人はここまで送り届けてくれたダフネル家の家臣に礼を言いながら馬車を降りた。互いの顔を一瞥したがその後は一切、振り返ることもなくクロードは飛竜に跨り、ローレンツは渡し船に乗った。二人が個人でいられた時間はこれでおしまいだ。
クロードのまたがる飛竜の鞍には三日月の紋章が、ローレンツの乗ったグロスタール家の船には長衣をまとった洋灯の紋章があしらわれている。ゴネリル家、ダフネル家の家紋と共にレスター諸侯同盟の紋章を構成しているものだ。クロードはこれから祖父オズワルドに会わねばならない。
今後のフォドラの情勢について考えるとクロードは実家で異母兄たちから真っ暗な物置に閉じ込められた時のような気持ちになる。クロードはあの時、あれだけ欲しかった暖かな光を放つ洋灯を手放してしまった。しかし自分はフォドラの情勢を落ち着かせたら故郷に帰るのだから仕方ない。
母ティアナが育ったリーガン家の本宅に着くとクロードは外套姿のまま、祖父がいる書斎へ向かった。定期的に執事によって片付けられているが、クロードの祖父なだけあって混沌としていることも多い。今日はどうだろうか。
「祖父さん、戻ったぜ。両手両足の指も全部無事だ」
そう言って扉をいきなり開けたクロードを出迎えたのは書斎の椅子に腰掛け、うたた寝をしている祖父オズワルドの姿だった。自分の後継者と決めた息子のゴドフロア一家を事故で失い、憔悴しきって眠ることも忘れていた時期なら有り得ないだろう。唯一この世に残された孫の声を聞き、年を経て垂れてきた瞼が上がるとクロードと同じ緑の瞳が現れた。
「お帰りクロード」
「あまりによく寝てるから呼吸してるかどうか確認するところだった」
クロードの故郷パルミラでは人を虜にして殺す怪物の瞳の色が緑だと信じられている。母ティアナも同じ瞳の色をしていてとにかく不吉だと言われていた。パルミラの者たちがフレンやセテス、それにレアが女神に仕える者たちだ、と知ったらどんな顔をするだろうか。
「お前のための椅子を温められればそれで構わない。よく無事に戻って来た。近寄ってよく顔を見せておくれ」
痩せて皮が骨に張り付いているような手が雪で焼けたクロードの顔を挟む。
「男っぷりが上がってると良いんだがな」
「ああ、若い頃の儂にそっくりだ。これならどんな娘でもなびくさ」
クロードがなびいて欲しいのはグロスタール家の嫡子だ。それを知ったら祖父はなんというのだろう。叔父一家やラファエルの両親の死に関わっている噂があるグロスタール家の嫡子、ということでクロードは最初、ローレンツを警戒していた。しかし今思えば彼は最初から誠実だったのだ。クロードにもきちんと警告を発し、宣言してから監視を始めている。危ういが生真面目だ。
「今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ……」
「儂がお前くらいの頃にそんなことばかり考えていたよ。平和だった証拠だろう。年長者として情けなく思う」
「爺さんのせいじゃないだろ、宣戦布告した帝国のせいだ」
クロードはセイロス教や英雄の遺産や修道院の謎という浪漫より現実に関心を持つべきだったのかもしれない、と思っていた。修道院の壁を見るよりローレンツのように人を見るべきだったのかもしれない。エーデルガルトもヒューベルトも全力で隠していたが、今思えばとても怪しかったのだ。
「儂は先に逝く。それは順番だから当たり前のことだ。だがクロード、お前は山に物資を隠しておいた時のように凡ゆる手を打って、どんなことがあっても生き延びるのだ」
「もう知ってるのか?」
「エドマンド辺境伯の娘から、な。あの娘を最初に帰して正解だったな。旅装姿のまま直接、儂宛の手紙とお前宛の手紙を持ってきた」
クロードたちを保護して教会やダフネル家まで連れて行ってくれた迎えの者がデアドラで余計なことに気づく前に、ダフネル領からエドマンド領へ陸路で直帰させたのも中々に気が利いている。オズワルドは書類の山からマリアンヌからの手紙を引っぱり出した。
「祖父さん宛?」
「脱出行に関してお前の判断と手腕を褒めていたよ。自分が辺境伯になったらクロードを支持するがそれはオズワルド公の孫だからではない、とも書いてあった。実に惜しい。美人か?」
「そうだな、ゴネリル家のご令嬢と並んでも引けは取らないね」
オズワルドが自分宛の手紙をクロードに見せてくれた。馬車に乗りながら書いたのか字はところどころ乱れているが、マリアンヌからの手紙はすぐに口ごもる本人が書いたものとは思えないほど表現が豊かで理路整然としている。素早い行動といい手紙だけ読めば領主の妻にぴったりだろう。
「養女だそうだな。多分後継者になれるだろう。数年後には引く手数多だな」
カリードがクロードになるにあたって、母ティアナから祖父のオズワルドに出された条件がいくつかある。そのうちのひとつが息子はパルミラの王子でもあるのだからティアナの許可なくリーガン家のために婚約や結婚をさせないこと、だった。オズワルドは今のところ娘との約束を守るつもりらしい。
自分宛の手紙が本当に未開封かどうかは判らない。だが、祖父から盗み読みをされなかったという体でクロードは封を開けた。祖父宛のものと同じく移動中に急いで書いたのか字がところどころ乱れている。
真っ先に戻してもらったお礼に独断で迎えを出したこと、そして迎えの者が自分が誰を探しているのか分からない方が裏切られることなく、安全だと思ったので迎えの者に敢えて嘘を教えた件について詫びていた。
マリアンヌはクロードがアルファだとは知らない。本当にクロードたちを偽装させたと思っている。ローレンツと本当に深い仲になった、と彼女に告げたらどんな顔をするだろうか。信心深い彼女なら自分は嘘をついていなかった、と女神に感謝の祈りを捧げるかもしれない。
「何にしても無事に帰せて良かったよ。マリアンヌが一番家が遠いんだ」
マリアンヌはやたらクロードに宛てた手紙の中でローレンツが無事かどうか気にしていた。天候が不順な中でローレンツを放置するのも、彼を発情させたまま連れて歩くのも嫌で肉体関係を持ってしまった。無事に帰すための手段だったが、ローレンツがもし女性だったなら純潔を失ったことになる。無事に帰してやれたとは言えないだろう。
「向こうもお前に感謝しとるだろう。今日はゆっくり休みなさい。食事も自分の部屋で取って構わない」
祖父がそう言ってくれたのでクロードは自分宛の手紙をそのまま懐に入れて書斎から退出した。流石に疲れ果てていて、祖父相手に自分宛の手紙を読んだか読んでいないのか腹の探り合いをする気力が湧かなかった。畳む
ダフネル領の領主ジュディッドの厚意で身支度を整えたクロードとローレンツは用意してもらった馬車で、デアドラ郊外にある馬場までは共に行動した。水の都デアドラの市街地には水路と歩道しかないのでデアドラに滞在するものは皆、自分たちが乗ってきた馬や天馬、それに飛竜をそこに預ける。建物が密集しているので〝落し物〟の懸念がある天馬や飛竜も原則として飛行が許可されていない。
知らせが来ていたのかリーガン家からもグロスタール家の上屋敷からも迎えのものが来ていた。両家は家臣同士も仲が悪いので飛竜を連れたリーガン家の召使をグロスタール家の召使が睨んでいる。飛行がらみの特権を見せつけられたのが悔しいのだ。
消火隊と産婆、それにリーガン家の者だけが、デアドラの市街地で自由に飛竜や天馬で飛ぶことが出来る。
二人はここまで送り届けてくれたダフネル家の家臣に礼を言いながら馬車を降りた。互いの顔を一瞥したがその後は一切、振り返ることもなくクロードは飛竜に跨り、ローレンツは渡し船に乗った。二人が個人でいられた時間はこれでおしまいだ。
クロードのまたがる飛竜の鞍には三日月の紋章が、ローレンツの乗ったグロスタール家の船には長衣をまとった洋灯の紋章があしらわれている。ゴネリル家、ダフネル家の家紋と共にレスター諸侯同盟の紋章を構成しているものだ。クロードはこれから祖父オズワルドに会わねばならない。
今後のフォドラの情勢について考えるとクロードは実家で異母兄たちから真っ暗な物置に閉じ込められた時のような気持ちになる。クロードはあの時、あれだけ欲しかった暖かな光を放つ洋灯を手放してしまった。しかし自分はフォドラの情勢を落ち着かせたら故郷に帰るのだから仕方ない。
母ティアナが育ったリーガン家の本宅に着くとクロードは外套姿のまま、祖父がいる書斎へ向かった。定期的に執事によって片付けられているが、クロードの祖父なだけあって混沌としていることも多い。今日はどうだろうか。
「祖父さん、戻ったぜ。両手両足の指も全部無事だ」
そう言って扉をいきなり開けたクロードを出迎えたのは書斎の椅子に腰掛け、うたた寝をしている祖父オズワルドの姿だった。自分の後継者と決めた息子のゴドフロア一家を事故で失い、憔悴しきって眠ることも忘れていた時期なら有り得ないだろう。唯一この世に残された孫の声を聞き、年を経て垂れてきた瞼が上がるとクロードと同じ緑の瞳が現れた。
「お帰りクロード」
「あまりによく寝てるから呼吸してるかどうか確認するところだった」
クロードの故郷パルミラでは人を虜にして殺す怪物の瞳の色が緑だと信じられている。母ティアナも同じ瞳の色をしていてとにかく不吉だと言われていた。パルミラの者たちがフレンやセテス、それにレアが女神に仕える者たちだ、と知ったらどんな顔をするだろうか。
「お前のための椅子を温められればそれで構わない。よく無事に戻って来た。近寄ってよく顔を見せておくれ」
痩せて皮が骨に張り付いているような手が雪で焼けたクロードの顔を挟む。
「男っぷりが上がってると良いんだがな」
「ああ、若い頃の儂にそっくりだ。これならどんな娘でもなびくさ」
クロードがなびいて欲しいのはグロスタール家の嫡子だ。それを知ったら祖父はなんというのだろう。叔父一家やラファエルの両親の死に関わっている噂があるグロスタール家の嫡子、ということでクロードは最初、ローレンツを警戒していた。しかし今思えば彼は最初から誠実だったのだ。クロードにもきちんと警告を発し、宣言してから監視を始めている。危ういが生真面目だ。
「今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ……」
「儂がお前くらいの頃にそんなことばかり考えていたよ。平和だった証拠だろう。年長者として情けなく思う」
「爺さんのせいじゃないだろ、宣戦布告した帝国のせいだ」
クロードはセイロス教や英雄の遺産や修道院の謎という浪漫より現実に関心を持つべきだったのかもしれない、と思っていた。修道院の壁を見るよりローレンツのように人を見るべきだったのかもしれない。エーデルガルトもヒューベルトも全力で隠していたが、今思えばとても怪しかったのだ。
「儂は先に逝く。それは順番だから当たり前のことだ。だがクロード、お前は山に物資を隠しておいた時のように凡ゆる手を打って、どんなことがあっても生き延びるのだ」
「もう知ってるのか?」
「エドマンド辺境伯の娘から、な。あの娘を最初に帰して正解だったな。旅装姿のまま直接、儂宛の手紙とお前宛の手紙を持ってきた」
クロードたちを保護して教会やダフネル家まで連れて行ってくれた迎えの者がデアドラで余計なことに気づく前に、ダフネル領からエドマンド領へ陸路で直帰させたのも中々に気が利いている。オズワルドは書類の山からマリアンヌからの手紙を引っぱり出した。
「祖父さん宛?」
「脱出行に関してお前の判断と手腕を褒めていたよ。自分が辺境伯になったらクロードを支持するがそれはオズワルド公の孫だからではない、とも書いてあった。実に惜しい。美人か?」
「そうだな、ゴネリル家のご令嬢と並んでも引けは取らないね」
オズワルドが自分宛の手紙をクロードに見せてくれた。馬車に乗りながら書いたのか字はところどころ乱れているが、マリアンヌからの手紙はすぐに口ごもる本人が書いたものとは思えないほど表現が豊かで理路整然としている。素早い行動といい手紙だけ読めば領主の妻にぴったりだろう。
「養女だそうだな。多分後継者になれるだろう。数年後には引く手数多だな」
カリードがクロードになるにあたって、母ティアナから祖父のオズワルドに出された条件がいくつかある。そのうちのひとつが息子はパルミラの王子でもあるのだからティアナの許可なくリーガン家のために婚約や結婚をさせないこと、だった。オズワルドは今のところ娘との約束を守るつもりらしい。
自分宛の手紙が本当に未開封かどうかは判らない。だが、祖父から盗み読みをされなかったという体でクロードは封を開けた。祖父宛のものと同じく移動中に急いで書いたのか字がところどころ乱れている。
真っ先に戻してもらったお礼に独断で迎えを出したこと、そして迎えの者が自分が誰を探しているのか分からない方が裏切られることなく、安全だと思ったので迎えの者に敢えて嘘を教えた件について詫びていた。
マリアンヌはクロードがアルファだとは知らない。本当にクロードたちを偽装させたと思っている。ローレンツと本当に深い仲になった、と彼女に告げたらどんな顔をするだろうか。信心深い彼女なら自分は嘘をついていなかった、と女神に感謝の祈りを捧げるかもしれない。
「何にしても無事に帰せて良かったよ。マリアンヌが一番家が遠いんだ」
マリアンヌはやたらクロードに宛てた手紙の中でローレンツが無事かどうか気にしていた。天候が不順な中でローレンツを放置するのも、彼を発情させたまま連れて歩くのも嫌で肉体関係を持ってしまった。無事に帰すための手段だったが、ローレンツがもし女性だったなら純潔を失ったことになる。無事に帰してやれたとは言えないだろう。
「向こうもお前に感謝しとるだろう。今日はゆっくり休みなさい。食事も自分の部屋で取って構わない」
祖父がそう言ってくれたのでクロードは自分宛の手紙をそのまま懐に入れて書斎から退出した。流石に疲れ果てていて、祖父相手に自分宛の手紙を読んだか読んでいないのか腹の探り合いをする気力が湧かなかった。畳む
「さかしま」18.#クロロレ #さかしま #完売本 #オメガバース
ローレンツが帰郷して何ヶ月か経った頃、ファーガスで政変が起きたという一報がグロスタール領に入った。アドラステア帝国は王国と同盟で二正面作戦をせずに済むように以前から計画していたのだろう。アドラステア帝国は高らかに友好国であるファーガス公国を支持する、と宣言したがファーガス公国は帝国から派遣された者が作った傀儡であるのは火を見るより明らかだった。ガルグ=マクでもフェルディアまでの道中でも殺せなかったディミトリをやっと仕留めたエーデルガルトが今後はいよいよ同盟領に本格的に介入してくる。
父エルヴィンからディミトリの死を知らされたローレンツは先ほどからため息をつくことしかできなかった。学生時代のディミトリは真面目で心が広く、きっと良い王になると思っていたので残念でならない。それに青獅子の学級にいた同期生たちのことを思うと心が痛む。国境を守るゴーティエ家の嫡子であるシルヴァンはフェルディアに居られなかっただろう。ローレンツの目には少々馴れ馴れしく映ったが、青獅子の学級の学生たちは皆ディミトリを心の底から好いていた。そのことを知っているだけに辛さや悔しさしか感じない。
「帝国からすれば大きな戦果だから隠す必要がない。おそらく直近の出来事だろう。もう少しすれば大々的に宣伝される筈だ。今はもっとも都合が良い台本を選んでいる段階だろうな」
「命をかけて冬のオグマ山脈を登り皆、自領へ戻りました。それは僕も同じです。その結果がこれとは…」
「帝国が一枚上手だったと言うことだ」
当事者であるディミトリたちからすればそんな一言で切って捨てられる筋合いはない筈だ。
「帝国は一体、何年前から準備をしていたのでしょうか?」
「相当昔からの筈だ」
「ですが宮内卿は僕と殆ど歳は変わりません」
「ローレンツ、ファーガスだけではないぞ。エーギル家の嫡子と親しくなったそうだな」
エルヴィンは露骨に話題を変えた。ガルグ=マクが帝国軍に攻め込まれる中、金鹿の学級担任であったベレトがエーデルガルトに置いていかれた帝国出身の学生達を転籍させ、彼らの面倒を見ていた。それでも念のため脱出行については隠していたせいで、彼らとはなんとなく精神的な距離が出来てしまっている。しかしフェルディナントならば話は別だ。
「エーギル家はその領地が全て皇帝預かりとなった」
フェルディナントの父は七貴族の変でエーデルガルトの父イオニアス九世から権力を奪った側なので報復されたのだろう、とローレンツにもわかった。
「直轄領になる日も近そうですね。父上、フェルディナントくんは無事なのでしょうか?」
「今のところは無事だと聞いている。ローレンツ、これから忙しくなるぞ」
父が言うのならば間違いない。ローレンツは小さく安堵のため息をついた。
「何なりとお申し付け下さい」
「お前には私の名代を勤めてもらう。まずはリーガン公の元へ親書を届けてほしい。この同盟が王国やエーギル領のように介入されないためにもな」
リーガン公オズワルドの元へ顔を出すならクロードと再会することになる。ダフネル家の屋敷でしでかしたことを不意に思い出すたびにローレンツは冷や汗をかいてしまう。近頃のローレンツはクロードと再会し二人きりになった時にどんな態度を取れば良いのか悩んでいて、いっそその答えが出るまでは会わずに済みますようにと女神に祈って過ごしている。父の名代としてデアドラに赴くまでに答えが出せるかどうかは分からなかった。
デアドラにあるグロスタール家の上屋敷は橋が三方向に渡され商工会議所にも劇場にも港にも繁華街にも行きやすいデアドラのど真ん中にあるため、とにかく屋敷を囲む道に人通りが絶えない。植栽で敷地を覆っているのだが音は伝わって来るし目の前の水路も朝から晩まで渡し船が行き来していている。
レスター諸侯同盟成立に関わったローレンツの先祖が利便性だけを考えて建てたため、いつか静かなところへ上屋敷を建て替えたいとエルヴィンも息子に話している。だが買い物にはとにかく便利だ。今回、ローレンツはデアドラを訪れる前にグロスタール領で帽子から靴まで新しく仕立てている。デアドラの商人たちは遠方から来た客の装いや振る舞いをつぶさに見ていて、上客になり得ると認めなければ最上の品を出してこない。デアドラで服を仕立てるための服を仕立てる、という言葉もあるくらいだ。今回は服を仕立てる時間はないが絵画か骨董品で良いものがあれば買って帰りたい、と考えている。そんな時間があるかどうか全く分からないが。
リーガン公オズワルドへ父エルヴィンからの親書を手渡す日の朝、ローレンツは上屋敷の姿見でてっぺんからつま先まで、何も瑕疵がないか何度も確かめた。髪はデアドラの床屋でで毛先を整えており、羽飾り付きの帽子と上着は共に紺色で縁取りの赤も合わせてある。採寸して作った上着も白いズボンも身体の線にきちんと沿っていた。牛革で出来た膝までの黒い長靴はよく磨かれ輝いている。
そもそもローレンツは父親であるグロスタール伯エルヴィンなしでリーガン家の中に入るのは初めてだった。緊張して他の客と共に待合室で待っていると召使がローレンツを呼びに来た。緊張していると気取られぬよう、優雅に微笑んで礼を言いレスター諸侯同盟盟主の執務室へ足を踏み入れた。帽子を取って脇に持ち最敬礼をする。
「父、グロスタール伯エルヴィンの名代として公爵閣下へ親書を持って参りました」
本来の後継者であった息子ゴドフロアとその一家を亡くして一気に弱った、と聞く。だが痩せ細ってしまったとはいえリーガン公オズワルドの眼光はまだ鋭い。クロードと同じ緑の瞳でローレンツをてっぺんからつま先まで観察していた。クロードは気軽にじいさん、と呼んでいたが彼にグロスタール家の嫡子がオメガであることや関係を持ったことを話したのだろうか。ローレンツはクロードと関係を持ったことをまだ教育係にすら話していない。マリアンヌになら相談できたかもしれないが彼女は実家があるエドマンド領に戻ってしまった。
「生まれたと知らせを貰ったのがついこの間のような気がするがいくつかね?」
「今年で二十歳になります。公爵閣下」
あとふた月ほどで誕生日を迎えるので敢えて十九歳だとは言わなかった。
「クロードと士官学校で同級だったとか。クロードより大きいな」
「年上でもありますので。クロードもこの先まだ背が伸びるでしょう」
「そうだな、あれもまだあたりを彷徨いているような子供だ。縁があれば会えるだろう。返事は今すぐに書くので待合室で受け取りなさい」
そういうとゴドフロアは無言で手をひらひらと振った。ローレンツに退出せよ、と仕草で伝えている。名代とはいえ自分はまだその程度の立場だと思い知らされた。しかし焦らずに力を示す機会を待って、大人たちに実力を認めさせるしかない。待合室で返信を待っている間、ローレンツは召使いにクロードがどこにいるのか質問してみた。帰郷して以来、ますますデアドラ中をうろついていることが多く今日は誰も彼がどこにいるのかは知らない、とのことだった。今日は結論を出さずに済む。
ローレンツがクロードの祖父オズワルドと直接、二人きりで話したのはそれが最初で最後だった。畳む
ローレンツが帰郷して何ヶ月か経った頃、ファーガスで政変が起きたという一報がグロスタール領に入った。アドラステア帝国は王国と同盟で二正面作戦をせずに済むように以前から計画していたのだろう。アドラステア帝国は高らかに友好国であるファーガス公国を支持する、と宣言したがファーガス公国は帝国から派遣された者が作った傀儡であるのは火を見るより明らかだった。ガルグ=マクでもフェルディアまでの道中でも殺せなかったディミトリをやっと仕留めたエーデルガルトが今後はいよいよ同盟領に本格的に介入してくる。
父エルヴィンからディミトリの死を知らされたローレンツは先ほどからため息をつくことしかできなかった。学生時代のディミトリは真面目で心が広く、きっと良い王になると思っていたので残念でならない。それに青獅子の学級にいた同期生たちのことを思うと心が痛む。国境を守るゴーティエ家の嫡子であるシルヴァンはフェルディアに居られなかっただろう。ローレンツの目には少々馴れ馴れしく映ったが、青獅子の学級の学生たちは皆ディミトリを心の底から好いていた。そのことを知っているだけに辛さや悔しさしか感じない。
「帝国からすれば大きな戦果だから隠す必要がない。おそらく直近の出来事だろう。もう少しすれば大々的に宣伝される筈だ。今はもっとも都合が良い台本を選んでいる段階だろうな」
「命をかけて冬のオグマ山脈を登り皆、自領へ戻りました。それは僕も同じです。その結果がこれとは…」
「帝国が一枚上手だったと言うことだ」
当事者であるディミトリたちからすればそんな一言で切って捨てられる筋合いはない筈だ。
「帝国は一体、何年前から準備をしていたのでしょうか?」
「相当昔からの筈だ」
「ですが宮内卿は僕と殆ど歳は変わりません」
「ローレンツ、ファーガスだけではないぞ。エーギル家の嫡子と親しくなったそうだな」
エルヴィンは露骨に話題を変えた。ガルグ=マクが帝国軍に攻め込まれる中、金鹿の学級担任であったベレトがエーデルガルトに置いていかれた帝国出身の学生達を転籍させ、彼らの面倒を見ていた。それでも念のため脱出行については隠していたせいで、彼らとはなんとなく精神的な距離が出来てしまっている。しかしフェルディナントならば話は別だ。
「エーギル家はその領地が全て皇帝預かりとなった」
フェルディナントの父は七貴族の変でエーデルガルトの父イオニアス九世から権力を奪った側なので報復されたのだろう、とローレンツにもわかった。
「直轄領になる日も近そうですね。父上、フェルディナントくんは無事なのでしょうか?」
「今のところは無事だと聞いている。ローレンツ、これから忙しくなるぞ」
父が言うのならば間違いない。ローレンツは小さく安堵のため息をついた。
「何なりとお申し付け下さい」
「お前には私の名代を勤めてもらう。まずはリーガン公の元へ親書を届けてほしい。この同盟が王国やエーギル領のように介入されないためにもな」
リーガン公オズワルドの元へ顔を出すならクロードと再会することになる。ダフネル家の屋敷でしでかしたことを不意に思い出すたびにローレンツは冷や汗をかいてしまう。近頃のローレンツはクロードと再会し二人きりになった時にどんな態度を取れば良いのか悩んでいて、いっそその答えが出るまでは会わずに済みますようにと女神に祈って過ごしている。父の名代としてデアドラに赴くまでに答えが出せるかどうかは分からなかった。
デアドラにあるグロスタール家の上屋敷は橋が三方向に渡され商工会議所にも劇場にも港にも繁華街にも行きやすいデアドラのど真ん中にあるため、とにかく屋敷を囲む道に人通りが絶えない。植栽で敷地を覆っているのだが音は伝わって来るし目の前の水路も朝から晩まで渡し船が行き来していている。
レスター諸侯同盟成立に関わったローレンツの先祖が利便性だけを考えて建てたため、いつか静かなところへ上屋敷を建て替えたいとエルヴィンも息子に話している。だが買い物にはとにかく便利だ。今回、ローレンツはデアドラを訪れる前にグロスタール領で帽子から靴まで新しく仕立てている。デアドラの商人たちは遠方から来た客の装いや振る舞いをつぶさに見ていて、上客になり得ると認めなければ最上の品を出してこない。デアドラで服を仕立てるための服を仕立てる、という言葉もあるくらいだ。今回は服を仕立てる時間はないが絵画か骨董品で良いものがあれば買って帰りたい、と考えている。そんな時間があるかどうか全く分からないが。
リーガン公オズワルドへ父エルヴィンからの親書を手渡す日の朝、ローレンツは上屋敷の姿見でてっぺんからつま先まで、何も瑕疵がないか何度も確かめた。髪はデアドラの床屋でで毛先を整えており、羽飾り付きの帽子と上着は共に紺色で縁取りの赤も合わせてある。採寸して作った上着も白いズボンも身体の線にきちんと沿っていた。牛革で出来た膝までの黒い長靴はよく磨かれ輝いている。
そもそもローレンツは父親であるグロスタール伯エルヴィンなしでリーガン家の中に入るのは初めてだった。緊張して他の客と共に待合室で待っていると召使がローレンツを呼びに来た。緊張していると気取られぬよう、優雅に微笑んで礼を言いレスター諸侯同盟盟主の執務室へ足を踏み入れた。帽子を取って脇に持ち最敬礼をする。
「父、グロスタール伯エルヴィンの名代として公爵閣下へ親書を持って参りました」
本来の後継者であった息子ゴドフロアとその一家を亡くして一気に弱った、と聞く。だが痩せ細ってしまったとはいえリーガン公オズワルドの眼光はまだ鋭い。クロードと同じ緑の瞳でローレンツをてっぺんからつま先まで観察していた。クロードは気軽にじいさん、と呼んでいたが彼にグロスタール家の嫡子がオメガであることや関係を持ったことを話したのだろうか。ローレンツはクロードと関係を持ったことをまだ教育係にすら話していない。マリアンヌになら相談できたかもしれないが彼女は実家があるエドマンド領に戻ってしまった。
「生まれたと知らせを貰ったのがついこの間のような気がするがいくつかね?」
「今年で二十歳になります。公爵閣下」
あとふた月ほどで誕生日を迎えるので敢えて十九歳だとは言わなかった。
「クロードと士官学校で同級だったとか。クロードより大きいな」
「年上でもありますので。クロードもこの先まだ背が伸びるでしょう」
「そうだな、あれもまだあたりを彷徨いているような子供だ。縁があれば会えるだろう。返事は今すぐに書くので待合室で受け取りなさい」
そういうとゴドフロアは無言で手をひらひらと振った。ローレンツに退出せよ、と仕草で伝えている。名代とはいえ自分はまだその程度の立場だと思い知らされた。しかし焦らずに力を示す機会を待って、大人たちに実力を認めさせるしかない。待合室で返信を待っている間、ローレンツは召使いにクロードがどこにいるのか質問してみた。帰郷して以来、ますますデアドラ中をうろついていることが多く今日は誰も彼がどこにいるのかは知らない、とのことだった。今日は結論を出さずに済む。
ローレンツがクロードの祖父オズワルドと直接、二人きりで話したのはそれが最初で最後だった。畳む