-horreum-倉庫

雑多です。
#かのひとはうつくしく番外編
#クロヒル
#ロレマリ
「フォドラの卵」
1.デアドラ

 クロード=フォン=リーガンがリーガン家の嫡子として公表されたのは一一七九年のことだった。しかしエドマンド辺境伯は一一七六年にマリアンヌを養女としていたおかげで、公表される前からリーガン家に引き取られた行儀見習いの少年について把握していた。
 ガスパール領のロナート卿のように見ず知らずの子供を養子にする場合と血縁者を養子にする場合は心構えが違ってくる。その微妙な機微を感じ取ることができたのも愛する娘を託してくれた妹夫妻の導きだろう。マリアンヌは出奔したエドマンド辺境伯の妹にもその夫にもよく似ている。
 あの頃は女神の恩寵と言われていた血が薄まっていたことにどの国の者も焦りを見せていた。エドマンド家の本家もここ三代ほど紋章保持者は生まれていない。夫の家に伝わるモーリスの血が薄まっていることに期待したエドマンド辺境伯の妹は賭けに出て───負けた。
 だが五年に渡った大乱の末、勝ち負けを決定していた盤面も砕け散っている。呪いは解けグロスタール家へ嫁いだマリアンヌはデアドラの上屋敷に顔を出していた。上屋敷と言ってもグロスタール家の上屋敷ではない。エドマンド家の上屋敷だ。昼食までに帰る、と言う約束で実家に顔を出している。
「婿殿の顔も見たかったのだが」
「ローレンツさんにも休息は必要です」
 一般論を盾にマリアンヌは夫を守った。ローレンツは認めようとしないが彼は気直なたちなので舅に苦手意識を持っている。そんな彼を庇う養女の姿が微笑ましいのでエドマンド辺境伯はどうしてもローレンツに構ってしまう。
「そういうことにしたいのであれば構わないが」
 マリアンヌとローレンツの付き合いは長い。ガルグ=マクで出会った二人は五年間の大乱とその後の後始末を経てようやく結ばれた。かつては希死念慮に囚われ、何の意見も持たなかったマリアンヌが他家に嫁ぎ、次から次に湧き出る言いたいことを我慢している。そんな心の動きが育ての親に見透かされていることを察した養女は大きくため息をついた。
「火事の件もありましたし、ヒルダさんのことが心配で、私、ローレンツさんにその話ばかりしてしまって……」
 ゴネリル家のご令嬢ヒルダはマリアンヌの大親友だ。マリアンヌもゴネリルへ足を運んだことがあるし、彼女もエドマンドに遊びにきたこともある。ずっと塞いでいたマリアンヌを華やかさで照らし、世間へと連れ出してくれた。そんな彼女は学生時代からクロード=フォン=リーガンと親しかったと聞く。
「だが、元盟主殿が地元で他のご令嬢を娶るのも気に入らないのだろう?」
 仮の話を聞いただけでマリアンヌはひどく顔を顰めた。ヒルダには早くクロードと幸せになって欲しいが遠くにいってほしくない───子どものような我儘をローレンツに聞かれるのは恥ずかしいがエドマンド辺境伯に聞かれるのは構わないらしい。
「それは勿論です!ヒルダさんのことを……そんな……!」
 クロード=フォン=リーガンがクロード=フォン=リーガンであることをやめなければヒルダは今頃デアドラに居を構えていただろう。そしてクロード=フォン=リーガンがその立場と名を捨てなければマリアンヌとローレンツの結婚も二年は早かったのではなかろうか。二人とも彼の後始末に奔走していた。
 それはともかく、大切な存在が想定外の相手と恋をして心が激しく揺れる───エドマンド辺境伯にも覚えがあった。
 妹が愛した親友は忌まわしい紋章をその身に宿していた、親友が愛した男はパルミラの王子だった、そんなところは似なくていいのに見事な相似形をとっている。
「だが、険しい道をいく彼女のことを尊敬しているのだろう?」
「はい、自分の気持ちに正直で我慢強いヒルダさんを尊敬しています」
 彼女たちの友情が末長く続くようエドマンド辺境伯は女神に願った。友人がいれば自分の死後もマリアンヌは孤独にならない。
 数度の往来を経て現実と理想の齟齬を引き受ける覚悟が決まったのか、マリアンヌによるとヒルダはパルミラへ居を移すのだという。王族である先方の事情で正式な結婚はまだ先だ。代々国境を守ってきたゴネリル家の娘がパルミラの者からは愛姫扱いをされる。
 マリアンヌはヒルダが敵対勢力から何らかの危害を加えられるのではないか、と心配していた。しかし彼女とティアナが意気投合したらおそらく殆どの問題は解決できるだろう。王の寵愛があったとはいえティアナは単身、敵国の王宮で生き残り、出産にもこぎつけた。息子が十五になるまで育て上げている。
 旧円卓会議に出席していた諸侯たちは何故我らが盟主殿は全く地に足がついていないことばかり考えつくのか、という疑問をずっと抱えていた。彼の真の名と彼の母の名を聞いてようやく長年の胸のつかえが取れたのだ。
 だがティアナを直接知らない若者に言っても理解しないだろう。
「マリアンヌ……まだ起きていないことを漠然と憂うより先に考えねばならないことがある」
 あの怠惰なお嬢様が実に慎重に事を運んでいる。周りに頭を下げ周知し、目標へと進んでいく姿はどこか彼女の兄ホルストに似ていた。手続きの時間はかかるかもしれないがヒルダはいずれクロード、いやカリード王子の正妃となるだろう。
「王都で叛乱が起きた場合の逃走経路でしょうか?お義父さま、私……」
 エドマンド辺境伯は大袈裟にため息をついた。マリアンヌはまだ起きていないこと、に囚われている。
「それもまだ起きていないこと、だ。祝いの品を贈ってやらねば。形式はどうあれ二人は同居するのだから」
「そ、そうでした!お義父さまならヒルダさんとクロードさんに何を贈りますか?」
 ここでローレンツさんと相談しなくては、と言わないのがマリアンヌの個性だ。それを受け入れる度量のある男でなければマリアンヌのことは渡せない。君の名は出てこなかったよ───後日、ローレンツと会った時に必ず伝えなくては。エドマンド辺境伯はそう脳裏に刻んだ。
「そうだな、午後に街を散策しながら考えてみよう。さあ、もう帰りなさい。昼食は彼と取る予定なのだろう?」
 他国の王子とその愛姫への贈り物、となると生半可な物は贈れない。まずは誰にも邪魔されず、集中する必要があった。

 一人の昼食をゆったりと楽しんだエドマンド辺境伯の頭上を飛竜が飛んでいった。足首には産婆が騎乗していることを示す、黄色い飾りがついている。何か思いついたような気がしたがどうにもぼんやりとしている。
「念のために幌を出しますか?」
 船着場で商業地区に向かう主人を待っていた渡し船の漕ぎ手がそう、提案してきた。髪や服が汚れてしまったら引き返して汚れを落とさねばならない。
「いや、渋滞がない飛竜のほうが足が早いはずだ。ゆっくり漕いで距離を取ればいい」
 人口が密集する平時のデアドラにおいて、天馬や飛竜での飛行が許されているのは産婆と消火隊と領主の一族であるリーガン家の者だけだ。だが"落とし物"のことを考えたオズワルド公やゴドフロア卿は決して特権を行使しなかった。
 クロードだけが無邪気に特権を楽しんでいたのは彼の生まれのせいだろう。エドマンド辺境伯は飛び去る飛竜の後ろ姿を見つめた。先ほどの漠然とした思いつきを早く言語化してしまいたい。───無邪気な二人の喜ぶ顔はマリアンヌと婿殿が見れば良いのだ。畳む