「さかしま」22.#クロロレ #R18 #さかしま #完売本 #オメガバース
「さかしま」23.#クロロレ #さかしま #完売本 #オメガバース
一一八五年、星辰の節がやってくる。クロードは盟主の仕事を一旦休止するにあたって、現況を事前に調べさせた。半壊したガルグ=マク修道院とその周辺はアビスのように混沌としているらしい。帝国軍は何故かあれだけ苦労して陥落させたガルグ=マク一帯を放棄していた。エーデルガルトはクロード、ディミトリと共にアビスで戦ったが彼女はクロードと違いアビスに興味がないらしい。クロードなら絶対に大規模な調査をさせる。
エーデルガルトは檄文でセイロス教会が偽りの歴史を語っている、と述べていた。確かにセイロス教会は何かを隠しているし胡散臭い。しかしエーデルガルトに、彼女が主張するところの真の歴史を教えた何ものかはそれ以上に胡散臭い。セイロス教会を否定したいならアビスこそ調べねばならないのに捨て置いているのは、帝国にとっても都合が悪い何かがあるからではないか。クロードはそう予想している。
今節、行方不明になったベレトと再会出来なかったらクロードは学生時代の友人たちと修道院の跡地とアビスの調査をする予定だ。おそらく十日間くらいで解散し、再びデアドラへ戻ることになるだろう。
アビスの資料を漁りたいし、フレンから教えてもらった抑制剤の原料になるという甲虫を捕まえて自分でも繁殖させてみたい。あの甲虫はデアドラのセイロス教会でも繁殖させている筈だが、状況が逼迫している今、彼らが神聖だと考えているものを迂闊に探って怒らせたくなかった。それに教会相手に悪さをしたのが信心深い諸侯に知られたら、内紛の規模を操れなくなってしまう。
だが仮にベレトと再会出来たならば話は別だ。もっと規模の大きなことが出来る。彼に拘っていたレアの威光を利用してセイロス騎士団を巻き込み、ガルグ=マクをレスター諸侯同盟の拠点のひとつとする。ガルグ=マクはフォドラの中心にあり帝国へも王国へも同盟へも行きやすい。自分がエーデルガルトならば絶対にガルグ=マクに拠点を作るが、こうして放置されているのは罠の可能性も高かった。それでもガルグ=マクに詳しいセイロス騎士団なら罠に気づくだろう。
クロードは飛竜の鎧に足をかけ手綱をひいた。真っ白な相棒は任せてくれ、と言わんばかりに大きな羽根をゆっくり動かし上昇していく。足の下からナルデール、ことナデルが苦虫を噛み潰したような顔でクロードを見上げていた。上昇するにつれてナデルの傷だらけの顔も小さくなっていく。パルミラにはここ五年帰っていないし両親への便りも殆ど出していない。報告はナデルに任せきりだ。フォドラにいればいるだけクロード、いやカリードのパルミラでの存在感が薄まり王位継承争いで不利になる。長居しすぎだと思っているのだろう。
だが、クロードの祖父も御目付役のナデルも勿論クロード本人も帝国が教会へ宣戦布告するなど予想できなかった。今後の情勢がどうであれパルミラの王宮は対フォドラ政策を根本的に変えることになる。アドラステア帝国がフォドラを統一したら祖国パルミラに攻め込んでくるかもしれない。それを考えるとクロード、いやカリードはまだフォドラを離れることなど出来なかった。シャハドを始めとする異母兄弟たちが嫌いでもパルミラの民草のことは愛している。
更に上昇し眼下に青い海とデアドラの港、それに市街地を望んだ。母方の一族が代々守り続け、父方の一族が狙い続けるレスター諸侯同盟の首都は今日も美しい。白い飛竜に乗るクロードは青い空と青い海に挟まれて何ものにも紛れることは出来ない。だが目に入る空と海と街を美しく思える今、他人からどう見られようとそんなことはどうでも良かった。クロードの相棒は体力があるし、休憩を最低限にして飛んでいけば約束の刻限には到着するだろう。
五年前の撤退戦の時にはあれほど苦労したのに飛竜に乗って空を横断してしまえばあっという間だった。ダフネル領を越えオグマ山脈に沿って飛び続け、ガルグ=マクに到着したクロードは使えるような設備がないか探すため、ゆっくりと修道院の上を旋回した。廃墟と化した修道院を見れば、五年前の攻防戦がいかに苛烈だったか改めてよくわかる。それでも五年前に破壊し尽くせなかった建物が残っていた。事前に受けた報告通り周囲に盗賊が住み着いているのだろう。確かに一から拠点を築く必要がなく効率が良い。上空から彼らが煮炊きをしているであろう煙を確認し、クロードは思わず舌打ちをしてしまった。
なるべく早く排除せねばならないが単騎の今は無理なので見逃すしかない。クロードは盗賊たちに見つからないよう、少し距離を取って静かに飛竜から降りた。舞踏会の晩、皆で会おうと誓った部屋に一人で立ち壁の穴から外を眺める。約束の刻限にはまだ時間はあるがまさか自分が一番乗りとは思わなかった。他の皆の兵種からして時間がかかるのは分かっている。だが釣果なしでデアドラに戻ろうものなら今後ナデルからどんな目で見られることか。それを考えただけでもうんざりする。自分の人徳のなさに思いを馳せていると、瓦礫を蹴散らしながらこちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。
自分は五年前と比べてすっかり変わってしまったがクロードの目の前に現れたベレトは時の流れを全く感じさせない。ベレトはクロードが押しても引いても訳のわからないことを話し続け、行方不明になっていた五年間に一体、どうしていたのか具体的には教えてくれなかった。
埒があかないので強引に誘ったが、久しぶりの恩師との食事の時間は五年の空白があるとは思えないほど和やかに過ぎた。食後の腹ごなしと言わんばかりにベレトの指揮に従い、盗賊たちを一人ずつ倒していく。クロードとベレトは盗賊たちに囲まれていた。四方八方全てから逃すな、ぶっ殺してやる、といった類の叫び声が聞こえていたのに北西側だけ叫び声の種類が変化している。
盗賊たちは口々に悲鳴をあげて何かから逃げ惑っていた。新たに別の盗賊が現れて縄張り争いでもしているのだろうか。
「クロード、降りて隠れろ」
ベレトの指示通り飛竜から降りてクロードは物陰に身を潜めた。聞き耳を立てていると北西から矢羽が飛んできて、空気を切り裂く音がする。流れ矢が飛竜に当たってしまったら墜落していただろう。ベレトの指示は以前と変わらず正しい。五年という空白期間があろうと、状況を瞬時に把握する目や耳それに指揮の腕は全く落ちていなかった。北西方向から盗賊たちを排除した者たちがどんどん距離をつめてくる。足音だけでなく話し声も聞こえてきた。
「相変わらず見事だな、イグナーツくん」
「ありがとうございます。声がする方に向かいましょう!」
「多分、騒ぎの中心にクロードがいる。全く、どうしようもない」
来てくれた。友人たちの声を聞き、物陰に隠れたままのクロードは目が熱くなるのを感じた。行方不明になっていたベレトだけでなく、クロードが良しとするものを同じく良しとする、そんな友人が万難を排して───あんな良い加減な口約束を守る為に来てくれた。彼らと合流出来たらナデルに更にフォドラ滞在が伸びると告げねばならない。パルミラでの自分の立場は更に脆弱性を増すだろう。だがそれでもナデルや両親からどんなに呆れられても、友人たちが安心して彼らの国で暮らせるようにせねばならない。畳む
一一八五年、星辰の節がやってくる。クロードは盟主の仕事を一旦休止するにあたって、現況を事前に調べさせた。半壊したガルグ=マク修道院とその周辺はアビスのように混沌としているらしい。帝国軍は何故かあれだけ苦労して陥落させたガルグ=マク一帯を放棄していた。エーデルガルトはクロード、ディミトリと共にアビスで戦ったが彼女はクロードと違いアビスに興味がないらしい。クロードなら絶対に大規模な調査をさせる。
エーデルガルトは檄文でセイロス教会が偽りの歴史を語っている、と述べていた。確かにセイロス教会は何かを隠しているし胡散臭い。しかしエーデルガルトに、彼女が主張するところの真の歴史を教えた何ものかはそれ以上に胡散臭い。セイロス教会を否定したいならアビスこそ調べねばならないのに捨て置いているのは、帝国にとっても都合が悪い何かがあるからではないか。クロードはそう予想している。
今節、行方不明になったベレトと再会出来なかったらクロードは学生時代の友人たちと修道院の跡地とアビスの調査をする予定だ。おそらく十日間くらいで解散し、再びデアドラへ戻ることになるだろう。
アビスの資料を漁りたいし、フレンから教えてもらった抑制剤の原料になるという甲虫を捕まえて自分でも繁殖させてみたい。あの甲虫はデアドラのセイロス教会でも繁殖させている筈だが、状況が逼迫している今、彼らが神聖だと考えているものを迂闊に探って怒らせたくなかった。それに教会相手に悪さをしたのが信心深い諸侯に知られたら、内紛の規模を操れなくなってしまう。
だが仮にベレトと再会出来たならば話は別だ。もっと規模の大きなことが出来る。彼に拘っていたレアの威光を利用してセイロス騎士団を巻き込み、ガルグ=マクをレスター諸侯同盟の拠点のひとつとする。ガルグ=マクはフォドラの中心にあり帝国へも王国へも同盟へも行きやすい。自分がエーデルガルトならば絶対にガルグ=マクに拠点を作るが、こうして放置されているのは罠の可能性も高かった。それでもガルグ=マクに詳しいセイロス騎士団なら罠に気づくだろう。
クロードは飛竜の鎧に足をかけ手綱をひいた。真っ白な相棒は任せてくれ、と言わんばかりに大きな羽根をゆっくり動かし上昇していく。足の下からナルデール、ことナデルが苦虫を噛み潰したような顔でクロードを見上げていた。上昇するにつれてナデルの傷だらけの顔も小さくなっていく。パルミラにはここ五年帰っていないし両親への便りも殆ど出していない。報告はナデルに任せきりだ。フォドラにいればいるだけクロード、いやカリードのパルミラでの存在感が薄まり王位継承争いで不利になる。長居しすぎだと思っているのだろう。
だが、クロードの祖父も御目付役のナデルも勿論クロード本人も帝国が教会へ宣戦布告するなど予想できなかった。今後の情勢がどうであれパルミラの王宮は対フォドラ政策を根本的に変えることになる。アドラステア帝国がフォドラを統一したら祖国パルミラに攻め込んでくるかもしれない。それを考えるとクロード、いやカリードはまだフォドラを離れることなど出来なかった。シャハドを始めとする異母兄弟たちが嫌いでもパルミラの民草のことは愛している。
更に上昇し眼下に青い海とデアドラの港、それに市街地を望んだ。母方の一族が代々守り続け、父方の一族が狙い続けるレスター諸侯同盟の首都は今日も美しい。白い飛竜に乗るクロードは青い空と青い海に挟まれて何ものにも紛れることは出来ない。だが目に入る空と海と街を美しく思える今、他人からどう見られようとそんなことはどうでも良かった。クロードの相棒は体力があるし、休憩を最低限にして飛んでいけば約束の刻限には到着するだろう。
五年前の撤退戦の時にはあれほど苦労したのに飛竜に乗って空を横断してしまえばあっという間だった。ダフネル領を越えオグマ山脈に沿って飛び続け、ガルグ=マクに到着したクロードは使えるような設備がないか探すため、ゆっくりと修道院の上を旋回した。廃墟と化した修道院を見れば、五年前の攻防戦がいかに苛烈だったか改めてよくわかる。それでも五年前に破壊し尽くせなかった建物が残っていた。事前に受けた報告通り周囲に盗賊が住み着いているのだろう。確かに一から拠点を築く必要がなく効率が良い。上空から彼らが煮炊きをしているであろう煙を確認し、クロードは思わず舌打ちをしてしまった。
なるべく早く排除せねばならないが単騎の今は無理なので見逃すしかない。クロードは盗賊たちに見つからないよう、少し距離を取って静かに飛竜から降りた。舞踏会の晩、皆で会おうと誓った部屋に一人で立ち壁の穴から外を眺める。約束の刻限にはまだ時間はあるがまさか自分が一番乗りとは思わなかった。他の皆の兵種からして時間がかかるのは分かっている。だが釣果なしでデアドラに戻ろうものなら今後ナデルからどんな目で見られることか。それを考えただけでもうんざりする。自分の人徳のなさに思いを馳せていると、瓦礫を蹴散らしながらこちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。
自分は五年前と比べてすっかり変わってしまったがクロードの目の前に現れたベレトは時の流れを全く感じさせない。ベレトはクロードが押しても引いても訳のわからないことを話し続け、行方不明になっていた五年間に一体、どうしていたのか具体的には教えてくれなかった。
埒があかないので強引に誘ったが、久しぶりの恩師との食事の時間は五年の空白があるとは思えないほど和やかに過ぎた。食後の腹ごなしと言わんばかりにベレトの指揮に従い、盗賊たちを一人ずつ倒していく。クロードとベレトは盗賊たちに囲まれていた。四方八方全てから逃すな、ぶっ殺してやる、といった類の叫び声が聞こえていたのに北西側だけ叫び声の種類が変化している。
盗賊たちは口々に悲鳴をあげて何かから逃げ惑っていた。新たに別の盗賊が現れて縄張り争いでもしているのだろうか。
「クロード、降りて隠れろ」
ベレトの指示通り飛竜から降りてクロードは物陰に身を潜めた。聞き耳を立てていると北西から矢羽が飛んできて、空気を切り裂く音がする。流れ矢が飛竜に当たってしまったら墜落していただろう。ベレトの指示は以前と変わらず正しい。五年という空白期間があろうと、状況を瞬時に把握する目や耳それに指揮の腕は全く落ちていなかった。北西方向から盗賊たちを排除した者たちがどんどん距離をつめてくる。足音だけでなく話し声も聞こえてきた。
「相変わらず見事だな、イグナーツくん」
「ありがとうございます。声がする方に向かいましょう!」
「多分、騒ぎの中心にクロードがいる。全く、どうしようもない」
来てくれた。友人たちの声を聞き、物陰に隠れたままのクロードは目が熱くなるのを感じた。行方不明になっていたベレトだけでなく、クロードが良しとするものを同じく良しとする、そんな友人が万難を排して───あんな良い加減な口約束を守る為に来てくれた。彼らと合流出来たらナデルに更にフォドラ滞在が伸びると告げねばならない。パルミラでの自分の立場は更に脆弱性を増すだろう。だがそれでもナデルや両親からどんなに呆れられても、友人たちが安心して彼らの国で暮らせるようにせねばならない。畳む
「さかしま」24.#クロロレ #さかしま #完売本 #オメガバース
修道院の敷地を完全に制圧した後でローレンツが大広間に向かうと、そこにはクロードとフレンが共にいた。
「俺も差し入れを用意しないとな。作り方を教えてくれるか?」
「簡単ですわよ、でもクロードさんは私のお教えした通りに作って下さるのかしら?おかしな物を混ぜないと約束して下さいますか?」
フレンもベレトと同じく時の流れを感じさせない。若草色の巻いた髪も紺色の上衣も靴も昔のままだ。彼女は何もかもが変わらない。学生時代もクロードとフレンが話している所に出くわすと感情が揺れ動いたが今もそれは変わらなかった。だが、理由があの時とは異なる。
十九歳の男性であった自分が五年間でこれだけ変化を遂げたのに、十五歳くらいの女性の見た目がこの五年間で全く変化しないのは不自然だ。兄であるセテスが妹を社交界へ出す気がなくとも成人女性に立場が変わるはずなのに。ローレンツは先ほど、ベレトへの挨拶を終えて喜色満面で寮の自室へと駆け込まんとするベルナデッタの姿を見た。社交界に出る気のない彼女ですら装いは改っている。
クロードが情熱を傾けるフレンの秘密とは一体どんなものなのだろうか?まだフレンにちょっかいを出し続けているクロードへどう意見すべきか。
考えが上手くまとまらないまま、ローレンツは自分の部屋へ戻る前に修道院の現状を知るべく敷地内を見て回った。荘厳な美しさがあった頃の記憶があるだけに現状が痛々しい。往年の美しい姿を取り戻すまでどれほどの時間と費用がかかるだろうか。
枢機卿の間でフェルディナントと再会し、ベレトの指示で五年前、投降した黒鷲の学級にいた学生たちがそれぞれ、どのように過ごしていたのか教えてもらった。ドロテアは歌劇団の疎開を手伝い、ペトラはブリギットに戻っていた。リンハルトはアンヴァルからの呼び出しを無視してずっと自領にいたが、カスパルは実家の事情もあり、ベルグリーズ領に帰るに帰れずなんと王国で傭兵の真似事をしていたらしい。
王国といえばメルセデスもガルグ=マクへ来ている、とフェルディナントから教えてもらった。国が滅びつつあるファーガス出身の学生のうちガルグ=マクに来られたのは瓦礫だらけの大聖堂にいたメルセデスだけらしい。
「私がガルグ=マクに来られたのは受け継ぐ領地がないからなの」
何かを覚悟した証なのか、メルセデスは学生時代は肩の下まで伸ばしていた緩やかに波打つ豊かな髪をばっさりと切り落としている。いまやローレンツの方が髪が長い。
「アネットさんもそれで来られなかったのか。クロードと仲が良かったから来るかもしれないと思っていたのだが」
アネットは母がドミニク男爵家の出で、彼女自身もドミニクの紋章を持つ。ドミニク男爵の跡を継ぐならばガルグ=マクに来られなくても不思議ではなかった。
「アンは叔父様が許さなかったのよ。アッシュもローベ伯の手伝いをしていて……ほらガスパール領が落ち着かないから……」
「そうか、残念だ。残念と言えばディミトリくんと従者のドゥドゥくんは本当に……?」
ローレンツの問いを聞き、メルセデスは辛そうに目を伏せた。彼女の瞳の色に合わせた耳飾りがかすかに揺れている。無事を信じたいが情報が錯綜していてなんとも言い難いのだろう。
それ以外でこの場にいないのは皆、反ファーガス公国派である名家出身の学生たちだった。フラルダリウス家のフェリクス、ゴーティエ家のシルヴァン、ガラテア家のイングリット。皆、同盟が秘密裏に援助という名の投資をしている家の者だ。悲痛な顔をしているメルセデスに対して、レスター諸侯同盟出身であるローレンツにはかける言葉がない。
「メルセデスさん、ローレンツさんお久しぶりです」
ローレンツとメルセデスが話していると二人に気づいたマリアンヌがそっと近寄り、声をかけてきた。マリアンヌと直接会うのも久しぶりだった。
「リンハルトも書庫に居たわ」
「大広間の二階にマヌエラ先生がいらっしゃいました。またオメガの皆で集まるのでしょうか?」
「ベルナデッタさんはきっとまた欠席だな…」
「顔合わせはあると思うわ〜。抑制剤を配布しないとダメでしょうし。後でベルナデッタのところにもきちんと持っていってあげましょうね」
今こうして話している三人と名前が出たリンハルト、それにベルナデッタの第二性はオメガだ。ベルナデッタとローレンツ以外の三人は回復職に就いている。そしてローレンツ以外の四人はきっと自分の肉体の変化に戸惑う迷いの時期を脱しているのだろう。自分だけが迷っているような気がして、親友のマリアンヌが共にいるのに初めてローレンツは孤独を感じた。
「また皆で集まるのならクロードが嘴を突っ込んでこないように慎重に計画せねば」
メルセデスがローレンツの言葉を聞いて不思議そうに小首を傾げた。
「あらあらクロードになんの関係があるの?」
「え、あ、いやその、近頃クロードは箍の外れた行動が目立つので……」
メルセデスは口調がゆったりしているがとても鋭い。もし偶然オメガの会合に出ている時にクロードがローレンツと会いたい、と思ったら修道院の構造に詳しい彼は秘密の会合場所を見つけてしまうだろう。クロードは第二性についての感覚が常人とは異なるので、彼がどんな火種を撒くのか想像も付かず恐ろしかった。
「近況を知っているなんて仲良しなのね〜」
「あれでもレスター諸侯同盟の盟主なのでどうしても近況は漏れ聞こえてくる」
マリアンヌが助け舟のつもりか咳払いをした。彼女にも早く時間を作ってもらってクロードとのことを相談したいと思っている。
「セイロス騎士団にいる方々も含めて一度オメガの皆で集まらねばなりません」
「そうねえ、セイロス騎士団が動けば帝国軍は絶対に攻めてくるはずよ。その前に色々と把握しておきましょう」
そこから話はどんどんと逸れていった。プリーストの資格を持ち、部隊では回復役を担当する二人が温室で育てていた薬草が無事か確かめたい、と言うのでローレンツは自室に戻った。今日は色々ありすぎて疲れたのでもう泥のように眠りたい。それなのに今日見聞きしたことが頭の中で繰り返される。こんな時にクロードの体温を感じながら横になれば、すぐに眠れるのだろうか。
盟主にも関わらず一番乗りして斥候の真似事をしたクロードが言うにはルミール村近くに現在、帝国軍の小さな駐屯地があるらしい。いつその駐屯地の連中に気取られるか分からないのだから、皆で協力して早く修道院を復興させよう!───クロードはガルグ=マクに集まった者たち、主にセイロス教会関係者たちにそう言って回った。白々しいにも程がある。レスター諸侯同盟の盟主がこんな情勢下で、フォドラの中心であるガルグ=マクにいる理由は決まっている。
盗賊の排除に成功したと言う知らせを受け、避難先からセイロス騎士団の騎士たちが戻ってきた。同盟に吸収するわけではない、とイグナーツに協力してもらって用意した新生軍の軍旗を手に、貼り付けたような笑顔を浮かべて語るクロードを疑いの目で見ていたのはヒルダだけでない。ローレンツもだった。
クロードはガルグ=マクにレスター諸侯同盟の拠点を築いて、ここから帝国に攻め込むつもりなのだ。膠着状態を打破する為に。畳む
修道院の敷地を完全に制圧した後でローレンツが大広間に向かうと、そこにはクロードとフレンが共にいた。
「俺も差し入れを用意しないとな。作り方を教えてくれるか?」
「簡単ですわよ、でもクロードさんは私のお教えした通りに作って下さるのかしら?おかしな物を混ぜないと約束して下さいますか?」
フレンもベレトと同じく時の流れを感じさせない。若草色の巻いた髪も紺色の上衣も靴も昔のままだ。彼女は何もかもが変わらない。学生時代もクロードとフレンが話している所に出くわすと感情が揺れ動いたが今もそれは変わらなかった。だが、理由があの時とは異なる。
十九歳の男性であった自分が五年間でこれだけ変化を遂げたのに、十五歳くらいの女性の見た目がこの五年間で全く変化しないのは不自然だ。兄であるセテスが妹を社交界へ出す気がなくとも成人女性に立場が変わるはずなのに。ローレンツは先ほど、ベレトへの挨拶を終えて喜色満面で寮の自室へと駆け込まんとするベルナデッタの姿を見た。社交界に出る気のない彼女ですら装いは改っている。
クロードが情熱を傾けるフレンの秘密とは一体どんなものなのだろうか?まだフレンにちょっかいを出し続けているクロードへどう意見すべきか。
考えが上手くまとまらないまま、ローレンツは自分の部屋へ戻る前に修道院の現状を知るべく敷地内を見て回った。荘厳な美しさがあった頃の記憶があるだけに現状が痛々しい。往年の美しい姿を取り戻すまでどれほどの時間と費用がかかるだろうか。
枢機卿の間でフェルディナントと再会し、ベレトの指示で五年前、投降した黒鷲の学級にいた学生たちがそれぞれ、どのように過ごしていたのか教えてもらった。ドロテアは歌劇団の疎開を手伝い、ペトラはブリギットに戻っていた。リンハルトはアンヴァルからの呼び出しを無視してずっと自領にいたが、カスパルは実家の事情もあり、ベルグリーズ領に帰るに帰れずなんと王国で傭兵の真似事をしていたらしい。
王国といえばメルセデスもガルグ=マクへ来ている、とフェルディナントから教えてもらった。国が滅びつつあるファーガス出身の学生のうちガルグ=マクに来られたのは瓦礫だらけの大聖堂にいたメルセデスだけらしい。
「私がガルグ=マクに来られたのは受け継ぐ領地がないからなの」
何かを覚悟した証なのか、メルセデスは学生時代は肩の下まで伸ばしていた緩やかに波打つ豊かな髪をばっさりと切り落としている。いまやローレンツの方が髪が長い。
「アネットさんもそれで来られなかったのか。クロードと仲が良かったから来るかもしれないと思っていたのだが」
アネットは母がドミニク男爵家の出で、彼女自身もドミニクの紋章を持つ。ドミニク男爵の跡を継ぐならばガルグ=マクに来られなくても不思議ではなかった。
「アンは叔父様が許さなかったのよ。アッシュもローベ伯の手伝いをしていて……ほらガスパール領が落ち着かないから……」
「そうか、残念だ。残念と言えばディミトリくんと従者のドゥドゥくんは本当に……?」
ローレンツの問いを聞き、メルセデスは辛そうに目を伏せた。彼女の瞳の色に合わせた耳飾りがかすかに揺れている。無事を信じたいが情報が錯綜していてなんとも言い難いのだろう。
それ以外でこの場にいないのは皆、反ファーガス公国派である名家出身の学生たちだった。フラルダリウス家のフェリクス、ゴーティエ家のシルヴァン、ガラテア家のイングリット。皆、同盟が秘密裏に援助という名の投資をしている家の者だ。悲痛な顔をしているメルセデスに対して、レスター諸侯同盟出身であるローレンツにはかける言葉がない。
「メルセデスさん、ローレンツさんお久しぶりです」
ローレンツとメルセデスが話していると二人に気づいたマリアンヌがそっと近寄り、声をかけてきた。マリアンヌと直接会うのも久しぶりだった。
「リンハルトも書庫に居たわ」
「大広間の二階にマヌエラ先生がいらっしゃいました。またオメガの皆で集まるのでしょうか?」
「ベルナデッタさんはきっとまた欠席だな…」
「顔合わせはあると思うわ〜。抑制剤を配布しないとダメでしょうし。後でベルナデッタのところにもきちんと持っていってあげましょうね」
今こうして話している三人と名前が出たリンハルト、それにベルナデッタの第二性はオメガだ。ベルナデッタとローレンツ以外の三人は回復職に就いている。そしてローレンツ以外の四人はきっと自分の肉体の変化に戸惑う迷いの時期を脱しているのだろう。自分だけが迷っているような気がして、親友のマリアンヌが共にいるのに初めてローレンツは孤独を感じた。
「また皆で集まるのならクロードが嘴を突っ込んでこないように慎重に計画せねば」
メルセデスがローレンツの言葉を聞いて不思議そうに小首を傾げた。
「あらあらクロードになんの関係があるの?」
「え、あ、いやその、近頃クロードは箍の外れた行動が目立つので……」
メルセデスは口調がゆったりしているがとても鋭い。もし偶然オメガの会合に出ている時にクロードがローレンツと会いたい、と思ったら修道院の構造に詳しい彼は秘密の会合場所を見つけてしまうだろう。クロードは第二性についての感覚が常人とは異なるので、彼がどんな火種を撒くのか想像も付かず恐ろしかった。
「近況を知っているなんて仲良しなのね〜」
「あれでもレスター諸侯同盟の盟主なのでどうしても近況は漏れ聞こえてくる」
マリアンヌが助け舟のつもりか咳払いをした。彼女にも早く時間を作ってもらってクロードとのことを相談したいと思っている。
「セイロス騎士団にいる方々も含めて一度オメガの皆で集まらねばなりません」
「そうねえ、セイロス騎士団が動けば帝国軍は絶対に攻めてくるはずよ。その前に色々と把握しておきましょう」
そこから話はどんどんと逸れていった。プリーストの資格を持ち、部隊では回復役を担当する二人が温室で育てていた薬草が無事か確かめたい、と言うのでローレンツは自室に戻った。今日は色々ありすぎて疲れたのでもう泥のように眠りたい。それなのに今日見聞きしたことが頭の中で繰り返される。こんな時にクロードの体温を感じながら横になれば、すぐに眠れるのだろうか。
盟主にも関わらず一番乗りして斥候の真似事をしたクロードが言うにはルミール村近くに現在、帝国軍の小さな駐屯地があるらしい。いつその駐屯地の連中に気取られるか分からないのだから、皆で協力して早く修道院を復興させよう!───クロードはガルグ=マクに集まった者たち、主にセイロス教会関係者たちにそう言って回った。白々しいにも程がある。レスター諸侯同盟の盟主がこんな情勢下で、フォドラの中心であるガルグ=マクにいる理由は決まっている。
盗賊の排除に成功したと言う知らせを受け、避難先からセイロス騎士団の騎士たちが戻ってきた。同盟に吸収するわけではない、とイグナーツに協力してもらって用意した新生軍の軍旗を手に、貼り付けたような笑顔を浮かべて語るクロードを疑いの目で見ていたのはヒルダだけでない。ローレンツもだった。
クロードはガルグ=マクにレスター諸侯同盟の拠点を築いて、ここから帝国に攻め込むつもりなのだ。膠着状態を打破する為に。畳む
「さかしま」26.#クロロレ #さかしま #完売本 #オメガバース
ミルディン大橋を確保したので各々実家に戻って援助の約束を取り付けて欲しい、とクロードが言った。それなのに連れて歩けば最も説得力が出るベレトの身柄は早々にクロードが押さえてしまっている。クロードくんだけずるいよ!と主張していたヒルダと実家が遠方にあるマリアンヌは既に出発していた。彼女たちに続いてローレンツもクロードと同じく明朝にはガルグ=マクを後にする。
ローレンツはミルディン大橋へ行く前、流石に思うところあってガルグ=マクから実家へ便りを出した。だが父エルヴィンからの返事はまだ受け取っていない。届いたのかどうかも定かではないし、ローレンツがこの先どこに行き、何をするのか彼自身にも分からないのだ。実家とのやりとりが安定するにはもうしばらく時間がかかるだろう。今後のローレンツの行き先を知っているのは、癪に触ることにクロードだけだった。
ミルディン大橋はダフネル家のジュデイッドに、本拠地であるガルグ=マクは級友たちに任せる、というのがクロードの方針だった。確かに今更実家に帰れないものたちは多い。ローレンツは自領に向けて出発する前にようやく時間が取れたので、ラファエルたちと共にガルグ=マクに残るフェルディナントと二人、中庭で茶会をしている。好天に恵まれたことがありがたい。
「フェルディナントくん、僕は書き置きをして出てきたのだが、今となっては内容の殆どが虚偽になってしまったのだよ」
ベレトはエーデルガルトとヒューベルトに置いて行かれた黒鷲の学生たちの面倒を見るため、彼らを転籍させていなかったらフェルディナントたちは五年後の約束など知るはずもなかった。こうして彼とガルグ=マクで茶会をすることが叶ったのは面倒見の良いベレトのおかげだった。
「ほう、例えばどんな所が?」
「まず二週間ほどで帰ると書いたのだ。ガルグ=マクに数泊したらそのまま解散するのだろうと思っていた」
「三節経ったな」
「危険なことは避けるとも書いた」
「アリルでも戦闘があったしミルディン大橋を陥落させたな」
そう言って茶器を手に愉快そうに微笑むフェルディナントには帰る実家がない。そんな彼に実家の話をして良いものか悩んだが、遠慮する方が失礼に当たるような気がして話題に出している。
「会って話せばレア様の代理である先生から頼まれてのことだ、と両親も理解してくれるとは思う。しかし僕は自分の見込みの甘さが恥ずかしい」
「クロードが何を考えているのか分からなかったから、かい?」
ローレンツは恥ずかしそうに頬を染めて頷いた。だがクロードと違ってフェルディナントに見破られるのは嫌ではない。共により良い貴族になろうと誓った仲だからだろうか。
「学生時代から行動を監視し続け、誰よりも奴のことを分かっていると思っていたのに現状はこれだ」
「気持ちは分かるよ、ローレンツ。私もエーデルガルトがあんなことを仕出かすとは思ってもいなかった。我々は同じだな」
フェルディナントは優しく微笑み、ローレンツの茶器にお代わりを注いだ。一年間、エーデルガルトの監視下に置かれた後に帝国中を放浪していた彼は帝国がどうなっているのかよく知っている。箍が外れ、とにかく高揚していた、という彼の説明はローレンツにもわかりやすかった。
帝国はそもそも七貴族の変が起きる前から南方教会が形骸化し、行き過ぎた紋章主義や厳格な階級制度を咎める存在が社会から消滅している。階級制度が強固な国であったせいか平民たちのエーデルガルトに対する熱狂が凄まじい。出奔するような形でガルグ=マクにやってきた黒鷲の元同級生たちのうち紋章を持っているフェルディナント、リンハルト、ベルナデッタは特に居心地の悪さを感じていた。
「素朴な疑問なのだがエーデルガルトさんもセイロスの紋章を持ちアイムールを使うだろう?矛盾を感じないのだろうか」
「その辺りが相容れなくて出奔したのだ。確かに我が国は解決せねばならない問題だらけだが、それは戦争で解決するとも思えない」
親友のローレンツが黙って耳を傾けてくれているのでフェルディナントは更に言葉を続けた。自由に意見が言えるのも、ここが懐かしい士官学校の敷地内だからかもしれない。
「何か事情はあるのだろうが、明かされないならば判明していることだけで判断するしかない。明かして貰えなかったことがひたすら残念だよ」
「僕としてはエーデルガルトさんもヒューベルトくんも、最初からディミトリくんやクロードを敵と見做していただろうにそれを見破れなかったのが残念だな。監視すべき相手を間違えた」
フェルディナントはローレンツの言葉を受け、持論を展開した。───エーデルガルトとヒューベルトが何故大陸を統一したいのかさっぱり分からない。偽りの歴史を訂正したいなら形骸化した南方教会を使って、新しく聖典を作って普及させれば良い。公会議を開いて論戦に勝てば大司教座も士官学校もアンヴァルへと移せる。戦費が出せるならばその経費が出せる筈だ。紋章主義を否定したいならば何故、紋章を持たねば使えないアイムールを振るい、ファーガスへと侵攻したのか───フェルディナントが彼女たちを問いただす機会が訪れるのかどうか、ローレンツには正直言って分からない。だが聞いてみたいのだ、と彼は言う。
「これからはお互い、悔いが残らない選択をしたいものだ。こうしてローレンツと紅茶を楽しんでいるとやはり、シルヴァンが今どうしているのか考えてしまうな」
ガルグ=マクで再会するまで、ローレンツから一方的に心配される側だったのはシルヴァンではなく、フェルディナントだった。ベレトと再会し、エーギル領を取り戻すまでは本拠地をガルグ=マクとする、と腹を括ったせいか彼は落ち着きを取り戻している。
「端的に言ってとても辛い時期を過ごしているだろう。シルヴァンはご婦人方に対する態度はともかく、ブレーダッド家に対しては忠誠を誓っているし領民に対しては誠実だ」
そもそもファーガスはダスカーの悲劇の痛手から立ち直っていない。そんな状況下でアドラステア帝国に侵攻され、ファーガス神聖王国という国家は瓦解しつつある。レスター諸侯同盟がまだ瓦解していないのはクロードの手腕に依るところが大きい。王子であったディミトリが生きていればこんな事態にはならなかった、とシルヴァンたちは思っているに違いない。彼らの人生は帝国のファーガス侵攻により大きく変わってしまった。
「それは辛い、な……」
フェルディナントが瞼を伏せると睫毛で彼の頬に影が落ちた。出自に関係なく陽の光は平等に皆を照らしていくのに人間は本当に儘ならない。
この争乱で人生が変わってしまった者はフォドラのありとあらゆる所に存在する。フェルディナントやシルヴァンに比べれば些細な変化だが、ローレンツもそのうちの一人だ。
平和なままであればローレンツはクロードと深い仲になることはなかった、と断言出来る。それに結婚するまで純潔を保っていた筈だ。男性オメガの場合は破瓜にあたる現象がないため、女性オメガほど結婚の条件として純潔は問われない。
しかしローレンツは一生、配偶者に対して引け目を感じるだろう。純潔を失ったことを将来の結婚相手に伝えるべきかどうか、マリアンヌに相談した時にはすぐに結論が出せないので持ち帰らせて欲しいと言われている。彼女の出す結論が耳に痛いものであろうと聞ける日が楽しみだった。畳む
ミルディン大橋を確保したので各々実家に戻って援助の約束を取り付けて欲しい、とクロードが言った。それなのに連れて歩けば最も説得力が出るベレトの身柄は早々にクロードが押さえてしまっている。クロードくんだけずるいよ!と主張していたヒルダと実家が遠方にあるマリアンヌは既に出発していた。彼女たちに続いてローレンツもクロードと同じく明朝にはガルグ=マクを後にする。
ローレンツはミルディン大橋へ行く前、流石に思うところあってガルグ=マクから実家へ便りを出した。だが父エルヴィンからの返事はまだ受け取っていない。届いたのかどうかも定かではないし、ローレンツがこの先どこに行き、何をするのか彼自身にも分からないのだ。実家とのやりとりが安定するにはもうしばらく時間がかかるだろう。今後のローレンツの行き先を知っているのは、癪に触ることにクロードだけだった。
ミルディン大橋はダフネル家のジュデイッドに、本拠地であるガルグ=マクは級友たちに任せる、というのがクロードの方針だった。確かに今更実家に帰れないものたちは多い。ローレンツは自領に向けて出発する前にようやく時間が取れたので、ラファエルたちと共にガルグ=マクに残るフェルディナントと二人、中庭で茶会をしている。好天に恵まれたことがありがたい。
「フェルディナントくん、僕は書き置きをして出てきたのだが、今となっては内容の殆どが虚偽になってしまったのだよ」
ベレトはエーデルガルトとヒューベルトに置いて行かれた黒鷲の学生たちの面倒を見るため、彼らを転籍させていなかったらフェルディナントたちは五年後の約束など知るはずもなかった。こうして彼とガルグ=マクで茶会をすることが叶ったのは面倒見の良いベレトのおかげだった。
「ほう、例えばどんな所が?」
「まず二週間ほどで帰ると書いたのだ。ガルグ=マクに数泊したらそのまま解散するのだろうと思っていた」
「三節経ったな」
「危険なことは避けるとも書いた」
「アリルでも戦闘があったしミルディン大橋を陥落させたな」
そう言って茶器を手に愉快そうに微笑むフェルディナントには帰る実家がない。そんな彼に実家の話をして良いものか悩んだが、遠慮する方が失礼に当たるような気がして話題に出している。
「会って話せばレア様の代理である先生から頼まれてのことだ、と両親も理解してくれるとは思う。しかし僕は自分の見込みの甘さが恥ずかしい」
「クロードが何を考えているのか分からなかったから、かい?」
ローレンツは恥ずかしそうに頬を染めて頷いた。だがクロードと違ってフェルディナントに見破られるのは嫌ではない。共により良い貴族になろうと誓った仲だからだろうか。
「学生時代から行動を監視し続け、誰よりも奴のことを分かっていると思っていたのに現状はこれだ」
「気持ちは分かるよ、ローレンツ。私もエーデルガルトがあんなことを仕出かすとは思ってもいなかった。我々は同じだな」
フェルディナントは優しく微笑み、ローレンツの茶器にお代わりを注いだ。一年間、エーデルガルトの監視下に置かれた後に帝国中を放浪していた彼は帝国がどうなっているのかよく知っている。箍が外れ、とにかく高揚していた、という彼の説明はローレンツにもわかりやすかった。
帝国はそもそも七貴族の変が起きる前から南方教会が形骸化し、行き過ぎた紋章主義や厳格な階級制度を咎める存在が社会から消滅している。階級制度が強固な国であったせいか平民たちのエーデルガルトに対する熱狂が凄まじい。出奔するような形でガルグ=マクにやってきた黒鷲の元同級生たちのうち紋章を持っているフェルディナント、リンハルト、ベルナデッタは特に居心地の悪さを感じていた。
「素朴な疑問なのだがエーデルガルトさんもセイロスの紋章を持ちアイムールを使うだろう?矛盾を感じないのだろうか」
「その辺りが相容れなくて出奔したのだ。確かに我が国は解決せねばならない問題だらけだが、それは戦争で解決するとも思えない」
親友のローレンツが黙って耳を傾けてくれているのでフェルディナントは更に言葉を続けた。自由に意見が言えるのも、ここが懐かしい士官学校の敷地内だからかもしれない。
「何か事情はあるのだろうが、明かされないならば判明していることだけで判断するしかない。明かして貰えなかったことがひたすら残念だよ」
「僕としてはエーデルガルトさんもヒューベルトくんも、最初からディミトリくんやクロードを敵と見做していただろうにそれを見破れなかったのが残念だな。監視すべき相手を間違えた」
フェルディナントはローレンツの言葉を受け、持論を展開した。───エーデルガルトとヒューベルトが何故大陸を統一したいのかさっぱり分からない。偽りの歴史を訂正したいなら形骸化した南方教会を使って、新しく聖典を作って普及させれば良い。公会議を開いて論戦に勝てば大司教座も士官学校もアンヴァルへと移せる。戦費が出せるならばその経費が出せる筈だ。紋章主義を否定したいならば何故、紋章を持たねば使えないアイムールを振るい、ファーガスへと侵攻したのか───フェルディナントが彼女たちを問いただす機会が訪れるのかどうか、ローレンツには正直言って分からない。だが聞いてみたいのだ、と彼は言う。
「これからはお互い、悔いが残らない選択をしたいものだ。こうしてローレンツと紅茶を楽しんでいるとやはり、シルヴァンが今どうしているのか考えてしまうな」
ガルグ=マクで再会するまで、ローレンツから一方的に心配される側だったのはシルヴァンではなく、フェルディナントだった。ベレトと再会し、エーギル領を取り戻すまでは本拠地をガルグ=マクとする、と腹を括ったせいか彼は落ち着きを取り戻している。
「端的に言ってとても辛い時期を過ごしているだろう。シルヴァンはご婦人方に対する態度はともかく、ブレーダッド家に対しては忠誠を誓っているし領民に対しては誠実だ」
そもそもファーガスはダスカーの悲劇の痛手から立ち直っていない。そんな状況下でアドラステア帝国に侵攻され、ファーガス神聖王国という国家は瓦解しつつある。レスター諸侯同盟がまだ瓦解していないのはクロードの手腕に依るところが大きい。王子であったディミトリが生きていればこんな事態にはならなかった、とシルヴァンたちは思っているに違いない。彼らの人生は帝国のファーガス侵攻により大きく変わってしまった。
「それは辛い、な……」
フェルディナントが瞼を伏せると睫毛で彼の頬に影が落ちた。出自に関係なく陽の光は平等に皆を照らしていくのに人間は本当に儘ならない。
この争乱で人生が変わってしまった者はフォドラのありとあらゆる所に存在する。フェルディナントやシルヴァンに比べれば些細な変化だが、ローレンツもそのうちの一人だ。
平和なままであればローレンツはクロードと深い仲になることはなかった、と断言出来る。それに結婚するまで純潔を保っていた筈だ。男性オメガの場合は破瓜にあたる現象がないため、女性オメガほど結婚の条件として純潔は問われない。
しかしローレンツは一生、配偶者に対して引け目を感じるだろう。純潔を失ったことを将来の結婚相手に伝えるべきかどうか、マリアンヌに相談した時にはすぐに結論が出せないので持ち帰らせて欲しいと言われている。彼女の出す結論が耳に痛いものであろうと聞ける日が楽しみだった。畳む