-horreum-倉庫

雑多です。
「さかしま」7.#クロロレ #さかしま #完売本 #オメガバース

 アビスの件が完全に片付いていないのにそれでも時は過ぎ行き、事件は起きる。ゴーティエ家から廃嫡されたシルヴァンの兄、マイクランがコナン塔に立て篭っている件でセイロス教会からクロードたち金鹿の学級への協力要請があった。青獅子の学級は二節連続で身内から叛乱者を出している。今節の課題について話し合うためクロードはローレンツの部屋を訪れていた。もう慣れたものでクロードは自室のように寛いでいる。
「俺たちというより天帝の剣を持つ先生への協力要請だよな」
 違いない、とでも言うようにローレンツは頷き、さらさらと真っ直ぐな紫の髪が揺れた。
「テュルソスの杖は父上の元にあるし、フェイルノートもデアドラに置いてあるのだろう?他の学級でもみな事情は変わらない筈だ」
 アイギスの盾、アイムール、アラドヴァル、打ち砕くもの、フライクーゲル、ルーンはそれぞれの領地に大切に保管されている。それだけにゴーティエ家の件は皆に衝撃を与えた。皆、スレンとの国境を守り続けたシルヴァンの父親が無能とは思っていない。厳重な警備を掻い潜ったマイクランの、悪い意味での有能さと紋章がないのに破裂の槍をその手に握った度胸に驚いたのだ。紋章さえその身に宿していれば身を持ち崩すこともなく立派な跡取りになれた可能性がある。そこまできちんと分かっているからこそ、気の毒なシルヴァンは気丈に振舞っていた。
「持ち出された破裂の槍に対抗するには英雄の遺産が必要だ。雷霆を持つカトリーヌさんがまた協力してくれるのかと思ったが、当てが外れたな」
 クロードたちの担任教師は天帝の剣を操るが、まだ扱いに慣れていない。南方教会を失い、西方教会には反旗を翻されセイロス騎士団も余裕がないのだろう。そうでなければ単なる学生にこんな依頼が来る筈もない。
「カトリーヌさんは西方教会討伐に向かったそうだな。鉢合わせさせるわけにいかなかったのだろう。クロード、君はあの時近くに居たかね?」

 ローレンツはそう言うとクロードのために選んだ東方の着香茶に口を付けた。彼の部屋はきちんと整理整頓されていて棚の上は紅茶の専門店のようになっている。以前はクロード好みの茶葉やお茶請けなどなかったが今はきちんと用意されていた。
「聞こえたよ」
 この地で偽名を名乗るクロードはロナート卿の絶叫を当分忘れられそうにない。真の名を隠したことで得た力は、その名を明かされてしまえば春の雪のように溶けて消え失せる。ローレンツは立ち上がると本棚から貴族名鑑を手に取り、ファーガス王国の名家であるカロン家の項をクロードに見せてくれた。彼女の真の名を口に出すなと言わんばかりに白魚のような指が薄い唇の前に立てられる。クロードは黙ってカロン家の項を読み終えると名鑑を閉じて机の上に置いた。情報を整理したくて右手で目元を覆う。瞼に浮かぶ文字列にため息しか出せない。
 彼女もマイクランと同じく家宝である英雄の遺産を実家から持ち出してファーガスの司直の手から逃亡している。民に危害を加えないカトリーヌを彼と並べるわけにはいかないが、紋章の有無で行動や結果に違いが生じてしまう。
「彼女が名前を変えて教会で生きていたからロナート卿がすがった嘘に真実味を与えてしまったのだろう」
 ダスカーの悲劇によって司法制度が機能不全を起こしたファーガスでカトリーヌはセイロス教会を頼った。だが結果は芳しくない。関わった誰もが納得しない状態に陥った。しかし、あの場合彼女はどうすべきだったのだろう。何にしてもアッシュの義兄であるクリストフは処刑され、カサンドラは母国を追われ、数年の時をかけてロナート卿は破綻し───教会が直轄領を増やす形で幕は引かれた。ようやくその一件が収まったと思ったら今節も後味の悪い件に関われ、と教会から命じられている。
 クロードは東方の着香茶に添えられた干し無花果を口にした。フォドラで手に入る干し無花果はパルミラのものと比べるとかなり小ぶりなので塊のまま食べられる。だがローレンツは必ず、食卓用の小刀で薄切りにして一枚ずつ指でつまんで口にしていた。薄い唇が濃い橙色の薄片を食むたびに白い喉が微かに動く様子が見える。お互いにあとは眠るだけ、という気楽な格好をしているからだ。
「ローレンツならどうする?俺相手だと容赦はしなさそうだからフェルディナントを告発するとしてさ…」
「僕なら告発はしない」
 意外なことに即答だった。
「庇うのか?」
「違う。事情が許せば直接、決着をつけてその後は僕が裁きを受ける。ただし教会ではなく同盟の裁判所で、だ。何もかもが僕の責任になるから僕が恨むのは自分だけだし、他人が恨むのも僕だけだろう」
 更に意外なことに、そう語るローレンツの表情はクロードが故郷に残してきた母ティアナが見せるものとよく似ていた。自分も母の血を受け継いでいるのにあの顔はできない。パルミラの王宮にいた頃は常に感じていた渇きが蘇り、クロードはローレンツが淹れてくれた着香茶を飲み干した。
 母ティアナもローレンツも肌が白く平然と悲壮感が溢れることを言う。二人とも生まれた時からレスター諸侯同盟の名家の一員として育てられ、諦めれば諦める程褒められてきた。ローレンツのような個性の塊ですら個が集団にすり潰されてしまう。クロードの母はそれを嫌ってパルミラへ渡り二度とフォドラの地を踏むつもりはない、と断言している。なんとなく母の気持ちがわかったような気がした。
「すごい覚悟だ。ローレンツは思い切りがいいよな」
「君から褒められるためにそう考えていたわけではないぞ」
 クロードに褒められたのが意外だったのか、ローレンツの視線は再びクロードの元に戻った。つい先ほどまで、瞳に映るものを全く見ていないような表情を浮かべていたことが信じられない。眉間に皺を寄せ口を一文字に結んでいるが、それでも今は生き生きとしている。そしてクロードの茶器が空になっていると気づいたローレンツはお代わりを淹れてくれた。
 先日、彼と親しげに語るマリアンヌを見て沸き上がったのは負の感情だった、とクロードは認めねばならない。眉間にしわを寄せていたローレンツの白い手やくるくる変わる豊かな表情をずっと見ていたいのに、今晩はもうこれを飲み干したらおしまいだ。だが話し続けると喉が渇くし、美味しいので口をつけるとあっという間に器を空にしてしまう。
「なんでだよ。素直に褒められてくれよ、ローレンツ」
「思ってもいないことを言わないでくれたまえ。君もどうせカトリーヌさんのように僕が囚われている、と言いたいのだろう?自由ではない、と」
 先ほどの無遠慮な表情とは打って変わって白い頬を染め、綺麗な紫色の瞳を伏せて自身を恥じるローレンツを見たクロードは今までカトリーヌと似たような揶揄い方をしていたにも関わらず、彼女の発言に対して憤りを感じていた───意外なことに。
 それは違う、真の名を名乗れない根無し草の妬みだからお前はそのままで良いのだ、と言ってやりたい。だが、クロードもカトリーヌと同じだ。フォドラでは真の名を名乗っていないので、クロードはローレンツにそう言ってやる資格がない。
「俺の言ってないことで勝手に傷つくのはやめてくれないか?」
 代わりに口から出たのはこんなどうしようもない言葉だった。一度、口から出た言葉は撤回も出来ないというのに。畳む