「さかしま」11.#クロロレ #さかしま #完売本 #オメガバース 続きを読む フレンが木の虚に置いた干し林檎の薄切りに、夜の茶会の乱入者たちが集っている。山の冬は過酷だから地上の虫は皆死に絶えて地中にいる幼虫や卵くらいしか生き延びないだろう、と思っていたクロードにとって意外な光景だった。幼気な少女が可愛らしい小鳥を越冬させるために木の実や果物を用意するなら分かる。しかし彼女が慈悲の心から差し入れをしていた相手は甲虫だ。虫の群れは正体が分からないまま眺めているとただひたすら気持ち悪い。だが餌を与えるのが蚕ならば糸が取れるし蜘蛛や蠍ならば毒が取れるから、と言う理由がある。理由があるならばクロードにも理解できる。 金鹿の学級は今節の課題として使われなくなった古い礼拝堂の調査を命じられていた。なんでも何者かが侵入した形跡があるのだと言う。級長としてベレトの許可を取り、下調べに訪れたクロードはフレンが木に何かしているのを見た。詳細を知るべく近寄って目にした異様な光景に一瞬、言葉を失う。 「クロードさん、何をしておいでですの?」 「課題の下調べだよ。あの古い礼拝堂を調査せよ、だとさ。フレンこそ何を?」 「この子たちが身を粉にして社会の均衡を守ってくれるのでそのささやかなお礼をしに」 「均衡?」 「私の秘密を守ると誓うならこの子たちに関する事実を教えて差し上げますわ」 調べるな、考えるな、と言わないのはクロードに禁じても無駄だ、とフレンが判断したからだろう。元より胸の内に収めるつもりだったクロードは彼女が出した条件を飲んだ。 「この子たちはこのガルグ=マク近辺で発見されました。オメガの皆さんの発情期を抑制する抑制剤の原料になりますの」 「フェロモンを阻害する分泌液でも出すのかな」 「今ここでこうしてリンゴを食べている子たちには無理ですわ。オメガの方のフェロモンを感じ取って近寄る子がたまに現れる程度でしょうね」 フォドラの抑制剤は出来が良すぎる。リーガン家でフォドラ社会に馴染むための教育を受けた時、クロードは真っ先にそう思った。パルミラにも抑制剤はあるがお粗末なもので発情期にオメガたちは小屋、と呼ばれる建物に隔離される。アルファたちを加害者にしないためだ。しかし激しい熱発作に耐えかねたオメガの中にはアルファからの情けをもらい、望まれぬ子が生まれぬように鬼灯に頼る。鬼灯は鎮咳薬になるがお産を控えた妊婦は絶対に摂取してはならない薬草だ。三ヶ月に一度のことなので計算もしやすく社会制度やイエ制度に体系的に組み込まれているためより一層、オメガたちが置かれる状況の悲惨さが増す。 平民同士であれば隔離中のことはなかったものとされて普通の結婚が出来る。だが王族や貴族に見初められた場合がより一層悲惨だ。確実に嫡子を作らねばならない王族や貴族は妊娠しやすいオメガを複数人囲うのでオメガたちは激しい競争をすることになる。 その極みがクロードが生まれ育ったパルミラの後宮だ。ぽっと出のアルファ女性である母ティアナとそんな母から生まれたクロード、ことカリードは父王の後宮に元からいたオメガたちからとにかく憎まれた。そんな訳でクロードはオメガに苦手意識があったのだが、それもフォドラでの生活で薄れつつある。後宮で子を作ることしか社会から求められていない彼らを哀れに思う。 それは皮肉なことにオメガたちが散々腐してきた母の血筋ゆえにフォドラへ一時退避が出来たからだ。そして、フォドラで子を産む以外の役目をきちんと果たすオメガたちを目の当たりにしたからだ。 「ここガルグ=マクで薬草を与えられ、交配を管理されながら育てられた子たちが各地のセイロス教会へ運ばれましたの。セイロス教がこのフォドラに広く深く根付いた理由のひとつですわね」 そして彼らが他国との交流に消極的な理由のひとつだろう。クロードはフレンの言葉を聞きながら、緑色の甲虫を指でそっと摘んで匂いを嗅いでみた。薬の原料であるならば忌避感はない。今、手元に小さな瓶があれば捕まえて自室で自分なりに調べることが出来るが、残念ながら持っていなかったのでそっと仲間の元へ返してやった。 「ためになる話をありがとう。お礼に何か俺にできることはあるか?」 先日、ローレンツはクロードにソロンと自分が同類だと思っているのか、と問うた。あの時は明言しなかったが答えは是、だ。クロードは目の前にいる少女の血には四聖人の力が宿っており、与えられた側の情報を書き換える力がある、という仮説を立てている。仮説を立てたらそれが合っているのか確かめたい、と思ってしまう。ただしクロードにはソロンやその一味ならば手枷足枷扱いするであろう、責任感や想像力がある。だがそれは同時にクロードの精神を守る防具や護符なのだ。 「ではお耳を拝借いたしますわ」 「こんな人気のないところで、か??」 「レア様が調査を命じられたのなら根拠があります。油断するべきではありませんわ」 クロードが身をかがめるとフレンは背伸びをしてそっと耳打ちをした。 「承った。しかし過保護な兄上だな…」 フレンは謎多き少女だ。クロードは彼女を幼女のように感じる時もあれば老女のように感じる時もある。 全員制服姿で出席する質素なものだが、それでも舞踏会を控えて学生たちはそれなりに浮かれていた。踊らないと決めて初志貫徹しているのはラファエルとマリアンヌくらいで、恥をかかないため恥をかかせないために皆それなりに踊りの練習をしている。そんな中、意外な人気者がいた。 ローレンツは男性の踊りも女性の踊りも出来るので色んな学生の練習台になっている。クロードは練習に付き合い、踊り続けて汗だくのローレンツに無言で水を差し出した。やはり彼は蓋に注いでから飲んでいる。 「おや、無言で寄越すとは珍しい。〝俺から差し出された物を素直に飲むなんて警戒心が足りない〟とでも言ってくるかと思ったが」 「新作の被験体になってもらってもよかったが、それをやると迷える子羊に恨まれそうなんでやめておいた」 「舞踏会前日までは僕の身は安全ということか」 とローレンツが混ぜっ返す。 「俺に教えようとしなければ、な」 フォドラとパルミラでは踊りの種類が違う。パルミラの踊りは二人で踊る時も向かい合うだけで身体を密着させない。抑制剤の質が踊りの種類に影響しているのだろう。医療体制が文化に影響を及ぼしていた。あちらの粗悪な抑制剤しかない状態で身体を密着させたら、あちこちでアルファとオメガの接触事故が起きてしまうかもしれない。そしてそもそも拍の刻み方が違うのでクロードはフォドラの踊りが苦手だ。 華やかに飾り付けられた会場の雰囲気に呑まれて皆が浮ついていた舞踏会の夜、クロードはフレンの願い通りにベレトを引っ張り出して騒ぎを起こした。どさくさに紛れてフレンをベレトや男子学生たちと踊らせるためだった。 クロードに苦情を言ってきたエーデルガルトを級長として場を盛り上げてみたらどうだ、と煽ったら何故かヒューベルトがペトラとみごとな踊りを披露したり踊りよりもご馳走、と言っていた筈のレオニーがシルヴァンをはじめとする青獅子の男子学生相手に特訓の成果を披露したり、イグナーツがメルセデスと踊ったりと意外なことだらけの夜だった。どさくさに紛れてフレンがディミトリと踊ったことを覚えている者はいないだろう。 クロードはベレトの手を取って踊って騒ぎを起こした後はずっとセテスに話しかけたり、イングリットやレオニーをセテスと踊るようにけしかけていた。男性と踊るフレンが彼の目に入らないように調整するのが忙しく、クロードは殆ど誰とも踊っていない。踊らずに済む理由を与えてくれたフレンには感謝しかなかった。何曲か踊り終えると学生たちが人目につかない物陰や女神の塔へ向けて、三々五々に散っていくのが見えた。皆、特別な行事の勢いを借りて関係性を変化させたいのだろう。人が減ったせいでクロードは会場にローレンツが居ないことに気づいた。 外へ探しにいくと舞踏会に向けて練習に付き合った学友たちと答え合わせのように散々踊って疲れたのか、ローレンツは女神の塔にもいかず夜風にあたって杯を片手に一人休んでいた。汗で貼り付いた髪の毛を手櫛で直したのかいつもは前髪で隠れている白い額が晒されている。いつぞやの浴室の時と同じく、視線だけクロードに寄越してきた。 「僕と違って殆ど踊っていなかったのだから涼む必要もないだろう」 「誰が女神の塔に行くのか見てやろうかと」 「出歯亀か、つまらん冗談だな。フレンさんは君と踊らなくてよかったのだろうか?」 「手を取り合う類の踊りは踊れないんだ」 「何なら踊れるのかね」 クロードの故郷、パルミラの踊りを母であるティアナは林檎もぎと胡椒挽き、と評していた。刻まれる拍子に合わせて身体を揺らしながら林檎をもぐ時のように片手を頭の上にやって手首を捻り、顔の横で胡椒を引く時のように両手首を捻る。大人数で動作を合わせて上手に踊ろうとすれば大変だが一人で勝手に踊る分には気軽だ。 「胡椒挽きと林檎もぎの踊りなら踊れる」 会場から少し漏れる音楽に合わせて手を動かすが拍子と動作がどんどんずれてくる。杯を空にしたローレンツがクロードの動きに合わせて、手拍子を打ってくれた。会場から漏れる音楽に合わせてではない。目の前で踊るクロードのために、クロードの動きに合わせて手拍子を打ってくれている。気がつくとクロードは汗だくになっていた。 「宮廷式の踊りが出来ない訳だ。拍子の取り方からして違う。君の動きが早すぎるから合わせているこちらの手が痛くなってしまった」 「はー、久しぶりに全力で踊ったぜ。酒が欲しい。中に戻ろうぜ」 二人が会場に戻るとローレンツは彼のために杯を持ってきたフェルディナントに連れて行かれてしまい、クロードはぽつんと一人その場に残された。フェルディナントは完全にローレンツの対象外だとなんとなく分かるので、クロードは心穏やかに彼らの交流を見ていられる。一方で彼がシルヴァンと話していると落ち着きを失ってしまう。人の減った会場内をぼんやり見回しているとクロードはセテスの監視から逃れたフレンに話しかけられた。 「クロードさんのおかげでとっても楽しく過ごしておりますわ。ありがとうございます。お姿が見えなかったからどなたかと女神の塔に行かれたのかと思いましたわ」 「いや、誰と誰が塔に行くのか見物には行きたいが俺個人がどうこうってのはないな」 「あら、自分から檻にとらわれるなんてつまらないですわ」 もしかしたらフレンは士官学校の職員用資料などを見なくても、誰がアルファで誰がオメガなのかは察しているのかもしれない。 「いや、良いんだ。楽しそうに踊っている所も見られたし俺の踊りも見てもらえたからな」 「満ち足りた気持ちですのね?」 「そうだな、偽りなくそう言えるよ」 楽しそうにフェルディナントと語らうローレンツを見つめてクロードはそう答えた。本心だった。 舞踏会の夜があまりに良い夜だったせいでクロードは油断していたのかもしれない。アビスに出入りしている身でありながら古い礼拝堂を調査したところで大したものは出てこないだろう、と思いたがっていた。実際はああいった所にこそ秘密や恐怖が隠されているものなのに。 現実は都合の良い幻想を砕き、先日フレンと話した時の静かな景色はもうそこには残っていない。礼拝堂は崩壊し、暴れる魔獣たちは越冬する甲虫たちが身を寄せあっている木を薙ぎ倒した。今朝もフレンは虫たちに差し入れをしたのだろうか。管理されている虫たちは修道院のどこにいるのだろうか。 クロードたちがジェラルドの指示に従い、逃げ遅れた学生を救助するとそのために撃破した魔獣の中から別の学生が現れた。他学級はどうだか知らないがクロードたちはコナン塔でシルヴァンの兄マイクランが魔獣へと変化したところを見ている。マイクランのように不可逆ではなかったが、彼らも何かによって肉体の情報を書き換えられて魔獣になっていた。詰めが甘かったせいなのか、わざと人の形を取り戻せるようにしたのかは判らない。だが元の姿を取り戻せたのは僥倖だった、と後にマヌエラが話していた。アビスの資料とも照らし合わせて予後を把握する必要があるだろう。 そして生徒の皮を被った者の仕業で悲劇は起き、クロードたちは常に無表情で基本、眉ひとつ動かさないベレトが父の亡骸の傍で大粒の涙をこぼして泣く姿を見ることとなった。黒い雲が空一面を埋め、堪えきれなかった冷たい雨粒が落ちてくる。空までベレトの父であるジェラルドの死を悼んでいるかのようだった。畳む 小説,BL 2024/11/14(Thu)
フレンが木の虚に置いた干し林檎の薄切りに、夜の茶会の乱入者たちが集っている。山の冬は過酷だから地上の虫は皆死に絶えて地中にいる幼虫や卵くらいしか生き延びないだろう、と思っていたクロードにとって意外な光景だった。幼気な少女が可愛らしい小鳥を越冬させるために木の実や果物を用意するなら分かる。しかし彼女が慈悲の心から差し入れをしていた相手は甲虫だ。虫の群れは正体が分からないまま眺めているとただひたすら気持ち悪い。だが餌を与えるのが蚕ならば糸が取れるし蜘蛛や蠍ならば毒が取れるから、と言う理由がある。理由があるならばクロードにも理解できる。
金鹿の学級は今節の課題として使われなくなった古い礼拝堂の調査を命じられていた。なんでも何者かが侵入した形跡があるのだと言う。級長としてベレトの許可を取り、下調べに訪れたクロードはフレンが木に何かしているのを見た。詳細を知るべく近寄って目にした異様な光景に一瞬、言葉を失う。
「クロードさん、何をしておいでですの?」
「課題の下調べだよ。あの古い礼拝堂を調査せよ、だとさ。フレンこそ何を?」
「この子たちが身を粉にして社会の均衡を守ってくれるのでそのささやかなお礼をしに」
「均衡?」
「私の秘密を守ると誓うならこの子たちに関する事実を教えて差し上げますわ」
調べるな、考えるな、と言わないのはクロードに禁じても無駄だ、とフレンが判断したからだろう。元より胸の内に収めるつもりだったクロードは彼女が出した条件を飲んだ。
「この子たちはこのガルグ=マク近辺で発見されました。オメガの皆さんの発情期を抑制する抑制剤の原料になりますの」
「フェロモンを阻害する分泌液でも出すのかな」
「今ここでこうしてリンゴを食べている子たちには無理ですわ。オメガの方のフェロモンを感じ取って近寄る子がたまに現れる程度でしょうね」
フォドラの抑制剤は出来が良すぎる。リーガン家でフォドラ社会に馴染むための教育を受けた時、クロードは真っ先にそう思った。パルミラにも抑制剤はあるがお粗末なもので発情期にオメガたちは小屋、と呼ばれる建物に隔離される。アルファたちを加害者にしないためだ。しかし激しい熱発作に耐えかねたオメガの中にはアルファからの情けをもらい、望まれぬ子が生まれぬように鬼灯に頼る。鬼灯は鎮咳薬になるがお産を控えた妊婦は絶対に摂取してはならない薬草だ。三ヶ月に一度のことなので計算もしやすく社会制度やイエ制度に体系的に組み込まれているためより一層、オメガたちが置かれる状況の悲惨さが増す。
平民同士であれば隔離中のことはなかったものとされて普通の結婚が出来る。だが王族や貴族に見初められた場合がより一層悲惨だ。確実に嫡子を作らねばならない王族や貴族は妊娠しやすいオメガを複数人囲うのでオメガたちは激しい競争をすることになる。
その極みがクロードが生まれ育ったパルミラの後宮だ。ぽっと出のアルファ女性である母ティアナとそんな母から生まれたクロード、ことカリードは父王の後宮に元からいたオメガたちからとにかく憎まれた。そんな訳でクロードはオメガに苦手意識があったのだが、それもフォドラでの生活で薄れつつある。後宮で子を作ることしか社会から求められていない彼らを哀れに思う。
それは皮肉なことにオメガたちが散々腐してきた母の血筋ゆえにフォドラへ一時退避が出来たからだ。そして、フォドラで子を産む以外の役目をきちんと果たすオメガたちを目の当たりにしたからだ。
「ここガルグ=マクで薬草を与えられ、交配を管理されながら育てられた子たちが各地のセイロス教会へ運ばれましたの。セイロス教がこのフォドラに広く深く根付いた理由のひとつですわね」
そして彼らが他国との交流に消極的な理由のひとつだろう。クロードはフレンの言葉を聞きながら、緑色の甲虫を指でそっと摘んで匂いを嗅いでみた。薬の原料であるならば忌避感はない。今、手元に小さな瓶があれば捕まえて自室で自分なりに調べることが出来るが、残念ながら持っていなかったのでそっと仲間の元へ返してやった。
「ためになる話をありがとう。お礼に何か俺にできることはあるか?」
先日、ローレンツはクロードにソロンと自分が同類だと思っているのか、と問うた。あの時は明言しなかったが答えは是、だ。クロードは目の前にいる少女の血には四聖人の力が宿っており、与えられた側の情報を書き換える力がある、という仮説を立てている。仮説を立てたらそれが合っているのか確かめたい、と思ってしまう。ただしクロードにはソロンやその一味ならば手枷足枷扱いするであろう、責任感や想像力がある。だがそれは同時にクロードの精神を守る防具や護符なのだ。
「ではお耳を拝借いたしますわ」
「こんな人気のないところで、か??」
「レア様が調査を命じられたのなら根拠があります。油断するべきではありませんわ」
クロードが身をかがめるとフレンは背伸びをしてそっと耳打ちをした。
「承った。しかし過保護な兄上だな…」
フレンは謎多き少女だ。クロードは彼女を幼女のように感じる時もあれば老女のように感じる時もある。
全員制服姿で出席する質素なものだが、それでも舞踏会を控えて学生たちはそれなりに浮かれていた。踊らないと決めて初志貫徹しているのはラファエルとマリアンヌくらいで、恥をかかないため恥をかかせないために皆それなりに踊りの練習をしている。そんな中、意外な人気者がいた。
ローレンツは男性の踊りも女性の踊りも出来るので色んな学生の練習台になっている。クロードは練習に付き合い、踊り続けて汗だくのローレンツに無言で水を差し出した。やはり彼は蓋に注いでから飲んでいる。
「おや、無言で寄越すとは珍しい。〝俺から差し出された物を素直に飲むなんて警戒心が足りない〟とでも言ってくるかと思ったが」
「新作の被験体になってもらってもよかったが、それをやると迷える子羊に恨まれそうなんでやめておいた」
「舞踏会前日までは僕の身は安全ということか」
とローレンツが混ぜっ返す。
「俺に教えようとしなければ、な」
フォドラとパルミラでは踊りの種類が違う。パルミラの踊りは二人で踊る時も向かい合うだけで身体を密着させない。抑制剤の質が踊りの種類に影響しているのだろう。医療体制が文化に影響を及ぼしていた。あちらの粗悪な抑制剤しかない状態で身体を密着させたら、あちこちでアルファとオメガの接触事故が起きてしまうかもしれない。そしてそもそも拍の刻み方が違うのでクロードはフォドラの踊りが苦手だ。
華やかに飾り付けられた会場の雰囲気に呑まれて皆が浮ついていた舞踏会の夜、クロードはフレンの願い通りにベレトを引っ張り出して騒ぎを起こした。どさくさに紛れてフレンをベレトや男子学生たちと踊らせるためだった。
クロードに苦情を言ってきたエーデルガルトを級長として場を盛り上げてみたらどうだ、と煽ったら何故かヒューベルトがペトラとみごとな踊りを披露したり踊りよりもご馳走、と言っていた筈のレオニーがシルヴァンをはじめとする青獅子の男子学生相手に特訓の成果を披露したり、イグナーツがメルセデスと踊ったりと意外なことだらけの夜だった。どさくさに紛れてフレンがディミトリと踊ったことを覚えている者はいないだろう。
クロードはベレトの手を取って踊って騒ぎを起こした後はずっとセテスに話しかけたり、イングリットやレオニーをセテスと踊るようにけしかけていた。男性と踊るフレンが彼の目に入らないように調整するのが忙しく、クロードは殆ど誰とも踊っていない。踊らずに済む理由を与えてくれたフレンには感謝しかなかった。何曲か踊り終えると学生たちが人目につかない物陰や女神の塔へ向けて、三々五々に散っていくのが見えた。皆、特別な行事の勢いを借りて関係性を変化させたいのだろう。人が減ったせいでクロードは会場にローレンツが居ないことに気づいた。
外へ探しにいくと舞踏会に向けて練習に付き合った学友たちと答え合わせのように散々踊って疲れたのか、ローレンツは女神の塔にもいかず夜風にあたって杯を片手に一人休んでいた。汗で貼り付いた髪の毛を手櫛で直したのかいつもは前髪で隠れている白い額が晒されている。いつぞやの浴室の時と同じく、視線だけクロードに寄越してきた。
「僕と違って殆ど踊っていなかったのだから涼む必要もないだろう」
「誰が女神の塔に行くのか見てやろうかと」
「出歯亀か、つまらん冗談だな。フレンさんは君と踊らなくてよかったのだろうか?」
「手を取り合う類の踊りは踊れないんだ」
「何なら踊れるのかね」
クロードの故郷、パルミラの踊りを母であるティアナは林檎もぎと胡椒挽き、と評していた。刻まれる拍子に合わせて身体を揺らしながら林檎をもぐ時のように片手を頭の上にやって手首を捻り、顔の横で胡椒を引く時のように両手首を捻る。大人数で動作を合わせて上手に踊ろうとすれば大変だが一人で勝手に踊る分には気軽だ。
「胡椒挽きと林檎もぎの踊りなら踊れる」
会場から少し漏れる音楽に合わせて手を動かすが拍子と動作がどんどんずれてくる。杯を空にしたローレンツがクロードの動きに合わせて、手拍子を打ってくれた。会場から漏れる音楽に合わせてではない。目の前で踊るクロードのために、クロードの動きに合わせて手拍子を打ってくれている。気がつくとクロードは汗だくになっていた。
「宮廷式の踊りが出来ない訳だ。拍子の取り方からして違う。君の動きが早すぎるから合わせているこちらの手が痛くなってしまった」
「はー、久しぶりに全力で踊ったぜ。酒が欲しい。中に戻ろうぜ」
二人が会場に戻るとローレンツは彼のために杯を持ってきたフェルディナントに連れて行かれてしまい、クロードはぽつんと一人その場に残された。フェルディナントは完全にローレンツの対象外だとなんとなく分かるので、クロードは心穏やかに彼らの交流を見ていられる。一方で彼がシルヴァンと話していると落ち着きを失ってしまう。人の減った会場内をぼんやり見回しているとクロードはセテスの監視から逃れたフレンに話しかけられた。
「クロードさんのおかげでとっても楽しく過ごしておりますわ。ありがとうございます。お姿が見えなかったからどなたかと女神の塔に行かれたのかと思いましたわ」
「いや、誰と誰が塔に行くのか見物には行きたいが俺個人がどうこうってのはないな」
「あら、自分から檻にとらわれるなんてつまらないですわ」
もしかしたらフレンは士官学校の職員用資料などを見なくても、誰がアルファで誰がオメガなのかは察しているのかもしれない。
「いや、良いんだ。楽しそうに踊っている所も見られたし俺の踊りも見てもらえたからな」
「満ち足りた気持ちですのね?」
「そうだな、偽りなくそう言えるよ」
楽しそうにフェルディナントと語らうローレンツを見つめてクロードはそう答えた。本心だった。
舞踏会の夜があまりに良い夜だったせいでクロードは油断していたのかもしれない。アビスに出入りしている身でありながら古い礼拝堂を調査したところで大したものは出てこないだろう、と思いたがっていた。実際はああいった所にこそ秘密や恐怖が隠されているものなのに。
現実は都合の良い幻想を砕き、先日フレンと話した時の静かな景色はもうそこには残っていない。礼拝堂は崩壊し、暴れる魔獣たちは越冬する甲虫たちが身を寄せあっている木を薙ぎ倒した。今朝もフレンは虫たちに差し入れをしたのだろうか。管理されている虫たちは修道院のどこにいるのだろうか。
クロードたちがジェラルドの指示に従い、逃げ遅れた学生を救助するとそのために撃破した魔獣の中から別の学生が現れた。他学級はどうだか知らないがクロードたちはコナン塔でシルヴァンの兄マイクランが魔獣へと変化したところを見ている。マイクランのように不可逆ではなかったが、彼らも何かによって肉体の情報を書き換えられて魔獣になっていた。詰めが甘かったせいなのか、わざと人の形を取り戻せるようにしたのかは判らない。だが元の姿を取り戻せたのは僥倖だった、と後にマヌエラが話していた。アビスの資料とも照らし合わせて予後を把握する必要があるだろう。
そして生徒の皮を被った者の仕業で悲劇は起き、クロードたちは常に無表情で基本、眉ひとつ動かさないベレトが父の亡骸の傍で大粒の涙をこぼして泣く姿を見ることとなった。黒い雲が空一面を埋め、堪えきれなかった冷たい雨粒が落ちてくる。空までベレトの父であるジェラルドの死を悼んでいるかのようだった。畳む