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雑多です。
クロロレワンドロワンライ第121回:赤面・紫陽花

 紫陽花は土の質によって色が変わる。もしクロードがローレンツと同じく首飾りの西側で生まれ育っていたら、彼の恐怖や憤り、それにもしかしたら悲しさを真に理解することができたのだろうか。勿論クロードも破裂の槍に関する教会の沙汰には苛立ちを感じた。だがクロードはそもそも教会を信頼したことがない。だから教会は不誠実だ、と断言できてしまった。
 もしローレンツがクロードと同じく首飾りの東側で生まれていたら教会の沙汰には苛立ちしか感じなかっただろう。そこには千年近い蓄積が一切ない。
 コナン塔でおぞましい物を目撃したローレンツはひどく感情的になっていて───多少飲んだとは言え顔は真っ赤だし目の縁には涙が滲んでいる。安堵のせいなのか後悔のせいなのか、は本人にも分からないだろう。
「知ってるか?理由によって涙は味が変わるらしい」
 クロードは白い頬を伝っていく涙をそっと拭ってから指を口元に運んだ。甘いような、気がする。だがこれは観察者の主観に過ぎない。
「これだけだと何とも言えないな」
「それは……そうだろう……比較する対象がなければ……」
 生来の気の強さがそうさせるのか、混ぜ返してくるが、まだ頬は赤く伏し目がちになっている。先ほどとは違う理由で頬を染めて欲しい。
「比較させてくれるのか?」
「嫌だ、僕はもう二度と君の前で泣かない」
「何でだよ、慰めてやるよ!」
 ふざけて肩を組もうとした時に姿勢が崩れたのはどちらの意志だったのか、追求するのは野暮というものだろう。クロードの寝台に倒れ込んだ彼はどこもかしこも良い匂いがして滑らかで温かかった。畳む
2025ローレンツ誕生日

 物資不足は解消されつつあるがそれでも新生軍を率いる軍師として、ベレトは無駄遣いをする訳にはいかない。倹約家のレオニーが蜂の巣を見つけてくれたおかげで蜂蜜が取れるようになった。リシテアの指導で焼いた菓子には砕いた木の実がいれてある。改良を重ね、なかなか良い味になった。
「お招きありがとう、先生」
 育ちの良いローレンツは優雅に微笑みかけてくれた。学生時代の茶会で彼はこれまでの誕生日の思い出について語ってくれたことがある。五歳の時に貰った馬のこと、十二歳になった時はテュルソスの杖に触ることを許されたという。そんな彼の背後では兵たちが瓦礫を片づけている。
 ここは中庭だ。ローレンツの背後では兵たちが大きな瓦礫に綱をかけ、どこかに運び出そうとしている。あれはおそらく吹き飛んだ屋根の一部だ。セイロス騎士団はいつか来るであろう、レアを迎え入れる日のために修道院全体の修復を開始している。
「誕生日おめでとう、ローレンツ」
「忙しいのに時間を作ってくれたことに感謝するよ」
 そう言いながら彼は真っ白な手巾を広げ、ベレトの作った焼き菓子の上にかぶせた。飛んできた埃や砂が掛からないように、というさり気ない心遣いが心に沁みる。
「ローレンツとゆっくり話をしたくて」
 ベレトの本心だ。本心ではあるのだが───今頃、ローレンツの部屋はヒルダたちの手で勝手に飾り立てられているし、食堂ではクロードたちが彼には秘密で宴の支度をしている。ベレトはローレンツの目を食堂と自室から逸らしてくれ、とクロードたちから頼まれたのだ。
「そうか。だが……何故、屋外なのだろうか?」
 確かにいつもは静かな中庭が今日に限って掛け声がうるさいし埃も出る。
「天気がいいから」
 無理やり捻り出した理由だ、と悟られないよう食い気味にベレトは返答した。そう言えばあとどのくらいローレンツを足止めしておけばいいのか、ベレトは知らない。

 悪いことは重なるもので遠くから雷鳴の音が耳に届いていた。畳む
蒼月ルートのクロロレです。「家出息子たちの帰還.29」#クロロレ #家出息子たちの帰還
───ダスカーであれスレンであれ、巫者の語る言葉や伝統は本人の心が及ぶ範囲において真実であり、事実だ。おそらくセイロス教の聖典も同じ性質を持っている。その言葉の正誤の判定することは容易い。だがその場で苦し紛れに生成されたかのように見える伝統や真実はその巫者のこれまでの経験なしには発生しない。彼らは社会の写し鏡なのだ。理不尽でひどく残忍な主張をする巫者が増えた場合、統治者は恥じるべきである───


 エドマンド港を母港とする商船がスレンで何かを見聞きしている可能性は高い、と言うことでローレンツはエドマンド領を訪問している。
 学生時代からの友人であるマリアンヌは物静かな美しい人で、とてもではないが帆を操っているところが全く想像できない。エドマンド辺境伯もローレンツが陸地で見かける時は常に洒脱な格好をしている。
 政庁ではなく、エドマンド家の本宅でマリアンヌが淹れてくれたラヴァンドラティーを飲んでいると毛糸で編んだ靴下を履いていたスレンでの日々が遠い夢のように感じる。
「先ほどお尋ねいただいた件ですが、お役に立てるかどうか……スレンの方たちはかなり閉鎖的なのです」
「浜辺に品物を置いていく、と言う話だったね。残念ながらシルヴァンも僕もその現場に立ち会う機会がなかった」
 スレンは寒冷地帯で薬草の安定供給も望めず、現地で普及している回復魔法も古臭い。疫病を極端に恐れる彼らは海の向こうからやってくる船と交易する際、決まった浜辺に毛皮や干した魚を置いて遠くから見張っている。船から降りた余所者は浜辺の品を回収し、代わりにスレンでは作れないものを等価になる量だけ置いていく。エドマンド港からスレンに行く船は酒や鍋を置いてくることが多いという。
「私どもも茶葉の袋を置いていくことはあります。ですが私の知る限り、ローレンツさんのご報告にあったような茶葉は扱っておりません」
「心当たりはあるだろうか?」
 マリアンヌは茶器を受け皿に戻した。学生時代は伏目がちだったが今はローレンツの顔を直視している。
「……パルミラの商船です」
 書簡で問い合わせてもフェルディアで顔を合わせた時に問うてもこの答えはもらえない。スレン全域を国土である、と主張する王国の目と鼻の先で国交がない大国の商船とすれ違った、と報告するだけでも面倒なことになる。これまでの中央教会は他国との交易に否定的であったし、風向きが変わるまで面倒ごとを避けるため見なかったことにするのも選択肢のひとつだ。
「話を進めても……構わないだろうか?」
 紙を折ればたった一回でも折り目がつく。出会ってしまったら出会う前の状態には戻れない。互いの存在が刻まれ、影響を与えあう。
「はい……問題無く対応できると思いますので……」
 口調は静かだが返答は自信に満ち溢れている。エドマンド家は更なる飛躍を遂げるだろう。


 パルミラ王国は建国以来、領土を拡張し続けている。だが実際は世界を圧縮しているのだ。パルミラ王国が武力によって経済圏に組み込んだ国や地域は商人たちによって正確に測量され、距離や方角が明らかになる。勿論、広大な土地はあるのだ。だが無限に広がる平原や森林はそこに存在しない。
 セイロス教が遠眼鏡や活版印刷を禁じた真の理由はそこなのではないか、とクロードは考えている。だがフォドラはファーガス神聖王国によって統一され、セイロス教も態度を軟化させつつある。
 千載一遇の機会が訪れたのではないか、と考えたクロード、いや、カリード王子は父王に外事局の設立を求めた。血気盛んなものたちはすぐ戦いで決着をつけようとする。だが、世界を圧縮したいなら財と情報だけでも充分だ。
 出自故に痛くもない腹を探られはしたが意図を理解した父の一存で外事局は設立され───カリード王子は王宮の外廷に執務室を構えて国庫から密偵たちに経費と給金を支払っている。内乱に苦しんだファーガスは旧同盟領と違って社会のそこかしこに隙間が空いており、特に密偵を送り出しやすい。今日はダスカーから戻ったものに話を聞いている。
「近頃はどこの集落に行っても巫者だらけです」
 ディミトリの施策は今のところ穏健だし、セイロス教の大司教となったベレト個人には異教を嫌う理由がない。
「寺院の建立は流行っているのか?」
 彼らに資金力はあるのか、何某かの抵抗勢力になりうるのか、というカリード王子の問いを察した密偵は首を横に振った。
「首なしの殿様、という精霊を拝むことは流行っていますが……」
 ダスカーではどの家庭でも首なしで黄色い毛糸の塊を脇に抱えた木彫りの人形を、祖先を偲ぶ人形と並べて祭壇に祀るようになったらしい。クロードは久しぶりに言葉にし難い衝撃を受けた。どう聞いてもランベール王だとしか思えない。彼らはディミトリに寄り添うと決めたのだ。ドゥドゥーの影響だろうか。
「いや上手くやったもんだな……」
「殿下?」
「いや、何でもない。こちらの話だ。引き続き情報収集に当たってくれ」
 これではダスカーは利用できない。フォドラに軽く介入するならスレンを利用した方が良いだろう。スレンは茶と酒の欠かせない寒冷地で、彼の地で流通している茶葉の殆どはパルミラ産の塊茶だ。


 ローレンツとシルヴァンはフェルディアの王宮に赴き、スレンに現れるパルミラの商船について正式にディミトリに報告した。
「パルミラの商船は効率を優先するはずです」
 シルヴァンの言う通り、浜辺で物々交換するような小規模取引よりファーガスの港を使った大規模取引の方が利益は大きい。省りみられなくなったスレンの人々はファーガスの港を経由した品に頼らざるを得ない。
「ゴネリル領の出来事と思っていたがまさかファーガスにも手が及んでいたとはな」
「俺も驚きました。ですが、パルミラからの物資が手に入らなくなれば反対派の氏族も折れるはずです」
 和平に反対する氏族はスレンがファーガスに依存することに抗っているのだ。彼らの主張は正しい。だが、この世界で他者の干渉なしに存在することなど不可能だ。
「ローレンツのスレンに関する報告書を読めなくなるのは残念だが仕方ないな」
 そう言ってディミトリが書類に署名したのでローレンツはパルミラへ派遣されることになった。

 シルヴァンの願いが叶う現場にいられないことは残念だが王命とあっては仕方がない。ローレンツはどこまでも森の続くスレンからアミッド大河を東に進み、まずゴネリル領に向かった。気候の違いに改めてフォドラの広さを実感する。ゴネリル領ではホルストとヒルダの兄妹がローレンツを歓待してくれた。大きな卓いっぱいにフォドラ料理が並んでいる。国境を越えてしまうとしばらくは口にする機会がない。
 実務家気質のホルストはローレンツが依頼した通り、捕虜交換式について進めてくれていた。
「ここまでしか手伝えないのが残念だ」
「協力した甲斐があった、と言っていただけるよう努力します。いただいた資料は読み込んだつもりですが、他に何か僕が頭に入れておくべきことはありますか?」
「慣例通りなら前線の司令官だけで済む案件なのに王都から介入があったそうだ。先方の担当者が戸惑っている」
「内輪揉めでもしてるのかなあ……。ローレンツくん、巻き込まれないように気をつけてね」
 ヒルダの表情が暗いのは辛い実例をここ五年で何度も見聞きしたからだろう。ゴネリル家も第一子に紋章がなく、第二子は紋章を宿して生まれた。ゴネリル家も外敵の脅威にさらされている。だが家庭内は円満なので余計に恐ろしいのかもしれない。


 西の国境にある砦から王都に捕虜交換の許可を求める使いがやってきた。フォドラの中でもレスターはパルミラの密偵網の空白地帯になっている。皮肉なことにクロードとして努力した結果だ。過去の自分に通せんぼをされてもこうして密偵を送り込む機会が巡ってくる。めげてはいられない。
 使いが持ってきた書類をめくった瞬間、懐かしい名前がカリード王子、いや、クロードの目に飛び込んできた。そんなわけで国境の砦はフォドラから戻ってきた捕虜たちとフォドラに戻っていく捕虜たち、そして王都からやってきた外事局の局長を迎えている。
 今回の捕虜交換式はホルストとこちらの砦長の名において行われるのではなく、ローレンツとクロード、いや、ローレンツとカリード王子の名で行われることになったからだ。フォドラ側はこの捕虜交換式をきっかけとして国交樹立を狙っている。王子が出てくるなら継承位が高かろうと低かろうと縁を結んでおきたい、と言うわけだ。そのためローレンツは交換式が終わった後も少数の部下と共にパルミラに残ることになっている。今日という日を迎えても、クロードの心は揺れ動いていてどんな申し開きをするべきか、が全く定まっていない。

 互いの書類に署名する際、はっきりとクロードを認識しているのに優雅さを失わないローレンツの気の強さは健在だった。互いの生還を祝う宴の場でも兵たちの手を取り、帰還後の暮らしについて丁寧に説明している。
「少し良いだろうか?」
 クロードはローレンツの隣に腰を下ろした。彼から親切にされる資格はとうの昔に失ったがなんだか悔しい。
「殿下はフォドラ語がお上手ですね」
 優雅な態度の奥に隠された激情はきっと雷に似ている。打たれたら大火傷は必至だがクロードはそっとローレンツの耳に口を寄せた。まっすぐな紫の髪を鼻先でかき分けたいし、他にもやりたいことは沢山ある。とにかく膝に手を置かない自分を褒めてやりたい。
「ここだけの話だが、母がデアドラ出身でね」
 流石に思うところがあったのか、ローレンツは手にしていた杯を一気に空けた。この期に及んでまだ互いの体面を保とうとするのは見事ですらある。
「……どうやら飲み過ぎたようだ……。今晩の僕の務めは終わりましたので、先に失礼します」
 顔の赤さを酒に押し付けてローレンツは与えられた部屋に戻ってしまった。


 祝賀気分の砦は緊張感に欠けているが今晩ばかりは都合が良い。ローレンツは与えられた客室に戻って扉は閉めたが施錠はしなかった。彼はこの砦にいる誰よりも身分が高い。合鍵を出せと言われたら誰も断らないだろう。それなら彼にそんな命令を出させないほうがましだった。こんな私的なことを把握されたくない。
 スレンに何度も赴いた今だからこそ、ローレンツにもリーガン家がクロードの出自を秘匿した理由がよく分かる。彼らは峻別を求めるフォドラの社会に対応したに過ぎない。ありのままの彼を受け入れられなかったことがローレンツにはひどく悲しかった。
 取り乱す前に戻ってきた客室には壁と枕元に灯りがある。ローレンツはファイアーの呪文を唱え、どちらも点してから戦時中のように自分で礼服を脱いで掛けた。壁の灯りはその途中で消えてしまったが、なんとなくもう一度点す気になれない。枕元の灯りだけで持参した寝巻きに着替えていると扉を叩く音と扉が開く音、続けて鍵の閉まる音がした。
「返事が待てないのか?」
 だが一度で良いから会いたい、と思っていたのが自分だけではなかったことが嬉しい。無言で背中からきつく抱きしめられて、どれだけ自分の身体が冷えていたのかローレンツは悟った。求めていたものは与えられたが、腹立たしいことに変わりはない。
 両肘を水平に広げ、後ろから回された腕を払う。左足を一歩前に踏み出し、そのまま左足を軸にしてローレンツは身体の向きを変えた。その勢いを借りて右肘で鳩尾を狙ったが、クロードに交わされてしまったのは物音を立てないように遠慮したからだろう。静かな攻防の結果、ローレンツはクロードに両手首を掴まれ、寝台に背をつけることになった。
「あぁ……お前って本当に、本当に俺にだけは遠慮がないよな」
 語りかけてくる声が身体に染み込んでいく。揺らぐ微かな灯りに照らされたクロードは目を細めていて、長いまつ毛で出来た影すら愛おしい。
「君ほど僕を怒らせることが上手いものはこの世に存在しない」
 身体の重みや酒と汗と香の混ざった匂いを感じながらローレンツは言い返した。スレンで常に前向きでいられたのはクロードのおかげかもしれない。
「光栄だ」
 真顔で告げられ、どう言い返してやろうか考えているうちに少し厚めの唇がローレンツの唇を塞いだので───口は他のことに使われることになった。畳む
蒼月ルートのクロロレです。「家出息子たちの帰還.28」#クロロレ #家出息子たちの帰還
───ディミトリ王の即位後、ベレトの大司教就任後、ダスカーでは巫者が大量に発生した。誰に話を聞いても家族や親族の誰か一人は必ず巫病に苦しみ、精霊の導きに従って巫者になったと言う。皆、不安がっていたが当然のこととして話していた。ダスカー人がファーガスの支配下に置かれて以来、疎かにされていた精霊たちが崇敬せよと要求するのは当然なのだという───

 ダスカーの地で合同の慰霊祭が行われることになった。シルヴァンの前にはディミトリが立っている。彼が最初にこの地を踏んだ時、共にいたのは父と義母そしてフェリクスの兄グレンだ。今はドゥドゥーとベレトそれに戦友たちが共にいる。
 青天に恵まれた野原には強い風が吹き、惨劇の痕跡は残っていない。だが記憶は彼の心に刻まれている。ディミトリがどんな気持ちでここに立っているのかシルヴァンには分からない。
 ディミトリの向かい側にはダスカー人の代表者が立っている。その隣には鹿の毛皮で作った外套を身につけ、首から真鍮で出来た小さな丸い鏡を下げた巫者がいた。黒い帽子からは布が垂らしてあるので顔は見えない。手には平たい太鼓とばちを持っていた。おそらくダスカー人たちにとってベレトに該当する高位のものなのだろう。
 代表者はドゥドゥーのような筋骨隆々の男性だが、巫者は声を出さないし顔も見えないので性別すらわからない。帽子から垂らしてある布には大きな目玉が一つ描いてあった。あの目玉で過去も未来も見通しているのかもしれない。まず初めに事前の打ち合わせ通り、ディミトリとダスカーの代表者双方が歩み寄った。向きを変え、横に並んで慰霊碑に花を捧げる。次にそれぞれの言葉で死者に対して冥福を祈り、不戦を誓った。
 前例通りなら続けてベレトによってセイロス教の祈りが捧げられたところで終了しただろう。だがディミトリの希望で今日はダスカーの巫者が招かれている。巫者が身振り手振りで助手に命じると山盛りの焼き菓子がのった皿が祭壇に供えられた。その一連の動きを操るかのように巫者は太鼓を叩いている。
 それは不思議な、気が遠くなるような刻み方の拍だった。巫者は自らが刻む拍に合わせてシルヴァンたちには聞き取れないよく通る声でダスカー語の祈祷歌を歌っている。悲しい過去を思い出させるのか、ダスカー人の参加者がいるあたりからは啜り泣く声が聞こえた。巫者はそんな風に場を支配していたが、歌声から察するに年若い女性らしい。
 そんなことばかり気にするのか───というグレンの声が聞こえたような気がした。


 巫者が手にしている太鼓は薄くて小さい。打ち鳴らしてもそれほど大きな音が出るような見た目はしていないのに、ディミトリには雷鳴のように思えた。雷鳴の中、負けじと巫者は歌い続けている。そろそろ終わるだろうか、と言う頃に巫者は何度か身体を大きく痙攣させた。側に控えていた助手が倒れないように身体を支えたが、取り落とした太鼓とばちが足下に転がっている。
 辺りが静寂に包まれて数秒後、巫者は再び立ち上がった。なんとなく所作まで違っているような気がする。帽子から垂らされている布の奥から歌声とはまるで似つかない、どこか懐かしい低い声が聞こえた。
「お前はもう答えを見つけた。全てはお前の中にある。忘れてしまったらまた思い出せばいい」
 巫者の言う通りだった。あの日から頭に響く悲鳴は全て自分のものだったし、周囲に激しい殺意を抱いて惨たらしい死をもたらしたのも自分だった。だがディミトリの中には平和をもたらしたいという思いもある。
 フォドラの言葉で話す精霊に直接ディミトリが語りかけようとした瞬間、巫者が地面に膝をついた。足元の太鼓とばちを拾い、大きく三度打ち鳴らす。その音を聞いたダスカー人参列者たちは安堵のため息をついた。
 巫者の所作は元に戻っている。その後、息も絶え絶えという状態で巫者は祭壇に供えた焼き菓子の皿をディミトリたちのところに持ってきた。次はディミトリとダスカー側の代表者の二人でこれらの焼き菓子を天に捧げねばならない。
 つまり、放り投げるのだ。フォドラでは食べ物を外でばら撒いたりしない。儀式について説明を受けたファーガス側の参列者は皆面食らっていたが、ベレトの後押しもありディミトリは受け入れることにした。
 ディミトリたちがはるか彼方へ焼き菓子を放り投げるたびにダスカーのものたちがどよめく。気恥ずかしい話だが、ディミトリの膂力についてはダスカー人の間にも噂が流れている。噂が確認できて嬉しかったのかもしれない。
 皿が空っぽになる頃には不思議と晴れやかな気持ちになっていた。


 青空の下、焼き菓子を放り投げるディミトリを見てフェリクスやイングリットが何を思ったのかドゥドゥーには分からない。だがダスカー人たちは皆、胸がいっぱいになったはずだ。慰霊祭に続けて宴が開かれている。ディミトリと共にいたドゥドゥーは巫者から話しかけられた。
「久しぶりだね」
 位が高い巫者になるためには何度も霊を呼び、いくつもの儀式をやり遂げねばならない。中には短刀一本で馬を屠り、割った腹の中に素手を突っ込んで一晩中祈り続けるような過酷なものもある。
 だが帽子から垂らした布をめくって挨拶してきたのはフェルディアの地下水路に住み着いていた少女だった。
「元気そうで何よりだ。先ほど降ろしたのはどんな精霊なのだろうか?」
「土地の主だよ。切り落とされた首を手に持ってるんだ。とりあえず私は首なしの殿様って呼ぶことにした」
 これは必然なのか奇跡なのか。ディミトリから正気の時に明言されたことはない。だがディミトリは悪霊に取り憑かれると決まって敵の首を欲しがった。痛ましくて一度も口に出して問うたことはない。だが、おそらくランベール王はディミトリの目の前で───
「形代も作ったよ。強い精霊だからきっと皆を守ってくれる」
「よく作る暇があったな」
「私たちは一日早く着いたからね。皆の霊を導いてくれそうな精霊を先に探して挨拶しておいたの」
 巫者はそう言うとかぶっていた帽子をとって、儀式の最中にずっと頭に乗せていた形代を見せてくれた。木を削って出来た人形で、頭がない。だが腕に黄色い毛糸の塊を持っている。多分、この黄色い毛糸の塊が落とされた首だ。
「そうか……お前は素晴らしい精霊を見つけた」
 目元にじんわりとした熱さを感じながらドゥドゥーは相槌を打った。今日ほどダスカー人であることが誇らしいと思えたことはない。ドゥドゥーの同胞はファーガスのものたちを恨まないと決めたのだ。視線を感じて振り向くとダスカーの言葉がわからないディミトリとベレト、それに戦友たちが好奇心丸出しの顔でドゥドゥーたちを見つめている。
 一体どこから説明すればいいのだろう。まず、ドゥドゥーは大きく息を吸った。畳む
蒼月ルートのクロロレです。「家出息子たちの帰還.27」#クロロレ #家出息子たちの帰還
───冬の間、スレンは雪に閉ざされ飛竜や天馬でほ飛行が不可能になる。そんな季節だからこそ土地の境界線で揉める。(中略)上空から土地の様子を確認出来ないため巫者は儀式によって魂を身体から離脱させ空に飛ばす。巫者の魂が直接、上空から土地を見て両者の言い分のうちどちらが正しいのか確かめるのだ。こうして問題を解決してきた歴史があるからか、スレンでは氏族の長が巫者を兼ねていることが多い──


 招かれざる客と乾杯した後はその場で自分の杯を割るのがスレンの習いだ。事情を知るファーガスのものなら険悪な雰囲気になっていただろう。
 彼等はシルヴァンたちのために馴鹿を捌きはしたが肩甲骨周りの肉ではなく、茹でた内臓を出している。皿の中身を見た時点で通詞はひどく不安そうにしていた。客人には普通なら最も良い部位を出す。彼は咄嗟に視線でシルヴァンに判断を仰いだが、シルヴァンはこの場ではローレンツに悟らせるな、と表情で命じた。
 その結果スレンの事情に疎いローレンツは族長の娘が粗相をして杯を割ったと解釈し、大袈裟に心配してみせた。彼女の面目を救おうとして回復魔法までかけている。ようやく命を狙われなくなったが、教えておかなかったせいで彼が道化のようになってしまったことがシルヴァンにはひどく辛い。
「歓迎されてねえなあ……。申し訳ない。あれはわざとだ」
 自分たちの天幕に引き上げた後、シルヴァンは説明と謝罪をした。スレンのものたちからすればシルヴァンとローレンツの区別はつかない。自分たちを北方に追いやったフォドラの入植者の一員なのだ。
「気にするな。襲撃されなくなっただけ前進したと思おう」
 だがローレンツはそれ以来、初めて目にした彼等の文化風俗について、通詞を介して熱心に質問して書き留めている。今はまだ断片的なものだがそれでも集めれば価値が出てくるのではないだろうか。
 森の主人とされた大木に何枚も巻かれた布の鮮やかさ、川での豊漁を願う祈祷歌の響きはゴーティエ家にとって不吉なものでしかなかった。だが彼等と因縁がないローレンツの目には全てが興味深く映る。彼等は未だに悪意を隠さないが、自分たちも変化せねばならない。
「紙は足りるのか?」
 シルヴァンは小声でローレンツに尋ねた。
「明日からは字を小さくするかな」
 洋灯の下でローレンツが静かに紙の束を数えている。通詞兼護衛は一日中、細かいやりとりを訳す羽目になったせいか疲れ果て泥のように眠っていた。明日も彼は一日中、頭と喉を酷使することになるだろう。


 肌を重ねるとあんなに熱いのにクロードは寒がりだった。だからスレンやダスカーとはおそらく縁がない。それでも大手を振って国外を回れるのはありがたかったし、いつか彼のいる国まで足を伸ばせることだろう。
 ローレンツはスレンのものたちと接触、交渉しているうちにひとつ気づいたことがある。寒い地方なので皆、酒や茶が大好きだ。酒は家畜の乳を発酵、蒸留させればなんとか作れなくもない。だが茶葉はどこから手に入れているのか。移動しながら暮らす彼らは茶葉を板状に圧縮し、飲むときには必要な分だけ切り出す。この保存法から見るにスレンで流通している茶葉はファーガスのものではない。彼らはゴーティエ家の目が届かない北方で、どこかの国と交易をしているようだ。こういった不測の事態に対応するためゴーティエ家はより強い権限を必要としている。

 スレンの茶は薄い。湯と家畜の乳を混ぜたものに塩を入れ、泡立つようにさらに掻き回しながら沸かし、そこに塊から切り出したわずかな茶葉を投入して煮出す。器に淹れる時は茶漉しを使う。
「肉団子に茶を注ぐのか?」
 ローレンツは思わずシルヴァンに耳打ちした。彼に帯同する形でスレンに入っているので、判断に迷った時は従うしかない。
 内心では恐る恐る口にしてみたが、乳と塩が既に入れてあったせいかそこまで突飛な味にはなっていなかった。意外なことにむしろ美味な組み合わせですらある。スレンでは雨があまり降らず飲料水に乏しいので飲む、と食べる、の境が曖昧なのかもしれない。
「実に美味しい昼食だった。午後からも引き続き実りある話し合いをしよう」
 通詞ごしにシルヴァンは言った。今日はそれぞれどこの水源地を使うのか、について話し合っている。正確を期すため巫者が魂を上空に飛ばして確かめたという地図を元に。クロードの表現を使うなら飛竜や天馬で飛行できた時期の記憶が、いつもとは別の髪型、違う外套で出てきただけ───だろうか。
 しかしこの昼食のおかげでローレンツにもスレンの民とフォドラの民が何故、水源地の扱いで揉めるのか、真に理解できたような気がした。


 十傑の子孫たちは帝都アンヴァルから見て北と東に封じられた。懲罰人事という一面があったことは否めない。そこは辺境の地でどこまでが自分たちの土地なのかが曖昧だった。どちらも先んじて住んでいた異民族との衝突が絶えない。ディミトリたちの祖先は粘り強く北方へ入植し、クロードたちの祖先は東方へと勢力圏を広めていった。
 そう言うと聞こえは良い。だがスレンやダスカーのものからすれば住みやすい南の土地から北方へ追い出された、と言える。そんな過去の積み重ねがシルヴァンとスレンの交渉を難しくしていた。だが彼は諦めようせず、こまめに報告を送ってくる。
「今回も珍道中は変わらず、だっただろう?」
「もう、陛下ったら!」
 アネットはディミトリのつまらない冗談に笑ってくれた。彼女は現在、ガルグ=マクの士官学校で教師をしていて偶にギルベルト、いや、自分の名を取り戻したギュスタヴに顔を見せにくる。アネットは親しい友人たちが書いた報告書をディミトリに戻した。
「でも今回は学術的にも面白いことが書いてありました。魔道学院や士官学校から学者を派遣してもいいかもしれません」
「流民の件だろうか」
 こまめに何でも書き残すローレンツはスレンで使われる魔法陣をそのまま書き写している。数世紀前のフォドラで使われたものとよく似ている、税に耐えかねて入植地から逃げ出したものがスレン族に吸収されたのかもしれない、との但し書きがついていた。
「はい、もしそうだったら彼らと私たちって親戚みたいなものですよね。お互いにそう思えたら交渉もうまく行くんじゃないかなーって」
 だが吸収された流民たちはフォドラの言葉もセイロス教の信仰も失っている。ディミトリはそこまでしなければ受け入れられなかったのだ、と捉えてしまうがアネットはそうではない。
「行って……みてはもらえないだろうか?士官学校の仕事もあるから無理強いは出来ないが」
「ベレト先生、あ、違った!大司教猊下と相談してみます」
 スレンの現況がどうなのかフェルディアにいるディミトリには分からない。だが明るいアネットが現地に行けば少なくともシルヴァンとローレンツは喜ぶはずだ。畳む