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雑多です。
「さかしま」32.#クロロレ #さかしま #完売本 #オメガバース

 フォドラ最大の都市はアンヴァルのままだが、旧レスター諸侯同盟の首都デアドラがフォドラ統一国家の首都となった。しばらくの間はベレトが大司教と王を兼ねる。大司教座がデアドラへ移るのか、ガルグ=マクに残っているセテスが大司教となるのかは決めかねているようだ。
 統一王ベレトの部下は旧アドラステア帝国出身者とレスター諸侯同盟出身者が多い。その二国については問題にならなかったが、今や空白地帯となった旧ファーガス神聖王国における人材不足が深刻だ。皮肉なことにファーガス公国へ鞍替えした諸侯だけが生き残り、ブレーダッド家への忠誠を誓っていた名家達は後継者を失っている。旧ファーガス公国に与した諸侯にブレーダッド家への忠誠を誓った名家の所領は与えない、というのが統一王ベレトの方針だった。彼らが裏切らなければまだディミトリも彼の幼馴染たちも生きていたかもしれない、と思うとそこは譲れないのだろう。
 カリードは棗椰子の種を指で摘んで雑紙の上にそっと置いた。行儀作法にうるさい誰かの顔が浮かばなければごみ箱に吐き捨てていただろう。庭に生える棗椰子が気に入って住み始めた屋敷で、優雅にフォドラ中に放った密偵たちが寄越した分厚い報告書をめくっている。父が住む宮殿に引っ越す日が迫っていた。

 生存本能が高いのは悪いことではない。しかしその結果、風見鶏のようになった諸侯たちの相手はアッシュには荷が重いだろう。戦費を確保する必要がなくなった諸侯たちは経済力をつけ始める。それ自体は民草にとっては良いことだ。しかし豊かになれば彼らはアッシュの機嫌など取る必要がなくなる。理詰めで相手を服従させられるマリアンヌか、実は有無を言わせぬ迫力があるメルセデスあたりがアッシュを手伝ってやってくれていると良いのだが。
 アッシュは爵位も紋章も持たず手元にあるのは武勲と誠実な人柄だけだ。しかしベレトにそこを見込まれ英雄の遺産の探索とファーガス地方の改革を託されている。彼は出身地こそファーガスだが旧体制の色が全くついておらず純粋なベレト派と言えるだろう。
 朴訥としたベレトの人柄で覆い隠されているがフォドラの外から見ればベレトの側近はローレンツ、マリアンヌ、ヒルダをはじめとする旧レスター諸侯同盟派とフェルディナント、リンハルト、カスパルをはじめとする旧アドラステア帝国派に分けられる。本人たちに全くその意思がなくとも、名家出身の彼らの血筋に付随するものがそのような構図を浮かび上がらせる。彼らが細心の注意を払って過ごさねばそれぞれ、旧同盟、旧帝国の権益を担っていた者たちに担ぎ出される危険があるのだ。
 カリードがきょうだい、と呼ぶベレトは人が良いので、何か問い合わせれば全て正直に答えてくれるだろう。だが他人の目を通さねば判らないことが沢山あるのだ。フォドラに関する報告書は毎週カリードの元に届くようにしてある。
「喉が渇いた」
 きりの良いところまで報告書を読み終えたカリードが鈴を鳴らしてそう告げると隣室に控えていた召使がすぐにお茶を淹れてくれた。いつも地獄のように熱いお茶を淹れて寄越す彼はカリードが信頼している数少ない召使いだ。
「カリード様、僕は明日からしばらく小屋に行きますので代わりの者を早く見つけませんと」
 そしてオメガだ。フォドラ帰りでなかったら彼を身近に置くことはなかっただろう。
 発情期の彼らが寝泊まりする厳重に警備された施設を〝小屋〟と呼ぶ。未婚のオメガたちは熱発作に苦しみながら、アルファがフェロモンにあてられないよう隔離される。
 パルミラの抑制剤は激しい副作用と引き換えに、服用していれば妊娠の確率がかなり低くなる。しかしアルファを誘引するフェロモンの放出は止まらないので、不本意な性行為を避けるには物理的に隔離するしかない。激しい副作用に耐えかねて縋るオメガたちの相手をして嗜虐心を満足させるたちの悪いアルファもいる。
 だから小屋に寝泊まりする者たちは番に関する事故を防ぐため黒く、幅が広い皮製の首輪をしていた。一方で当主の血を継ぐ子を確実に産むことを期待され、貴族や王族の家に迎え入れられるオメガもいる。パルミラのオメガたちはアルファたちの都合に合わせて踏みつけられたり拝まれたり、と実に不安定な立場にあった。
 だがフォドラの抑制剤は発情期自体が来ないのだ。あれこそが本物の抑制剤だ、とカリードは思う。抑制剤はフォドラの社会制度にきちんと組み込まれていてオメガの兵士たちによる共済もある。
 共済がきちんと機能しているので、あれほど出来の良い抑制剤の評判が国外には広がっていかない。オメガの兵士たちが首飾り付近の戦闘で捕虜になった場合は共済を利用して身代金を支払い、さっさとフォドラへ戻ってしまうのだ。戦争以外の交流をもっと早く持っていれば抑制剤のことに気づけたかもしれない。
「いや、俺の身の回りの世話はお前にしかさせない。フォドラにいた頃は身の回りのことはなんでも自分でしていたから、十日くらいなんてことはないさ。それにお前の母は俺の恩人だ」
 カリードはパルミラに戻り、母にグロスタール家の嫡子に手を出したことを正直に話した。その時、ティアナの手元にあった花瓶をそっと取り上げてくれた側女が彼の母だ。あの花瓶が頭に当たっていたらカリードは死んでいたかもしれない。
「あれはお方様との約束を破ったカリード様が悪いと母も申しておりました」
 カリードの母ティアナはデアドラまで潜入したカリードの父に見初められて後宮に入った。最初は側室だったが王子を産んだので部屋と側女を与えられている。
「なんだ、お前まで母上の味方か!これは困ったな。とにかくお前以外に俺の身の回りの世話をさせる気はないんだ。辛いとは思うが堪えて王宮への引っ越しを手伝ってくれよ。お前のために予定を十日遅らせるから」
 そう言うとカリードはふざけて忠実な小柄で線の細い少年の頭を撫でた。何度目の発情期なのかは知らないが、まだ自分の身体の変化に怯えている頃だろう。その上失職の恐怖まで味わうことはない。パルミラ人の少年らしい、あちこちへ飛び跳ねたようなふわふわした癖っ毛にカリードの指が沈んだ。
───何もかもが違う。
 召使が隣室に下がるとカリードはようやくフォドラのものと違ってかなり小ぶりな硝子製の茶器に口をつけた。彼の淹れるお茶は冷ましてからでないと飲めやしない。そしてフォドラの食べ物に慣れた身からすると信じられないほど甘い。ローレンツが淹れてくれた繊細な味と香りの紅茶が懐かしかった。カリードは視線を再び報告書に落としたが、褐色の指はさらさらと流れる紫色の髪を思い出していた。
───密偵たちは当然、デアドラにもいる。

 大乱が終わり二年過ぎたがローレンツは父であるグロスタール伯エルヴィンが健在であることを理由に、まだグロスタール領へ戻っていない。勿論、両親を安心させるために何度か実家へ顔を出してはいる。
 だが父の政務の手伝いを弟妹に任せてすぐにガルグ=マクへ戻り、デアドラへの遷都の手伝いをした。デアドラにいてもクロードと会えるわけではないのだが、ぽっかりとあいた心の穴が埋まるような気がした。
 時代は移り変わっていく。新しく基準が作られていく時期に自領に籠るより、政治の中心にいた方が結果として有利になるという判断が働いたのだろう。ローレンツが父であるエルヴィンから叱られるようなことはなかった。
 グロスタール家がデアドラに構えた上屋敷はすっかりローレンツの自宅兼デアドラに上屋敷がないかつての学友たちの宿泊所と化している。ローレンツが居なくても泊まれるように取り計らってあった。今日もあの大乱で最も荒廃したフリュム復興を担当しているカスパルとフェルディア視察に行ってガラテア領から船で戻ったフェルディナントが共に泊まりに来ている。
「すまないな、また世話になる」
「もう勝手知ったるって感じだな!」
 旅装を解いた二人がローレンツと共に夕食を取るため客室から食堂へとやってきた。デアドラ湾はまだ埋め立てる余地があり、陸上側にもまだ余っている土地はある。しかしベレトが住む王宮や政府の建物ですら建築中だ。ベレトの仮住まいとしてクロードが去り、空き家となったリーガン家の邸宅が使用されているような現状では資材や人手が個人所有の邸宅建築に回ってくるのは当分先だろう。
「君たちにも早く上屋敷を構えて欲しいが泊まりに来なくなったら来なくなったで寂しいだろうな」
「ローレンツの家の料理人は腕がいい。私の上屋敷では彼の弟子を雇いたい」
 アンヴァルも港を抱え魚介類が有名なのだが、デアドラとは水揚げされる魚の種類が違う。水温が冷たい土地の魚は脂がのっていて格別だった。
「今日は白身魚の蒸し焼きだそうだ」
 料理を持ってきた召使が三人の杯に白葡萄酒を注いでいく。硝子の工芸品もデアドラの名物だ。三人の会話は外に持ち出せないことも多いため、察した召使は最低限の給仕をするとすぐに下がっていく。ローレンツが満足気に口の端を上げて杯を手に取った。
「誰に乾杯する?」
「アッシュに!」
 カスパルが杯を掲げた。勢いが良かったので中身がこぼれ落ちそうになってしまう。次にフェルディナントが杯を掲げた。
「ローレンツに!」
 アッシュはローレンツの協力を得て行方不明になっていた破裂の槍を回収し、ベレトの代理としてスレン族との和平条約を結んだ。和平交渉でアッシュを主体としたのは爵位のない彼に権威を持たせ、ファーガス公国に与した諸侯たちに対抗出来る存在にするためだ。彼はまだゴーティエ領に留まっているが、破裂の槍の輸送を担当したローレンツはベレトにいち早く事の仔細を報告するため、そのまま船でデアドラに戻っている。入れ替わりにマリアンヌがゴーティエ領に向かった。
「では僕はシルヴァンに」
 三人で杯を合わせると硝子のぶつかる軽やかな音がした。
「スレン族との交渉が有利に運べて本当に良かったな、ローレンツ。先方はこちらの事情を知らない」
「そうだな、痩せ我慢して彼らの前で破裂の槍を使った甲斐があったよ」
 それはマリアンヌの提案だった。ローレンツがやらなければ槍の技能が著しく低かった彼女が代わりにやりかねない。紋章が適合せずとも破裂の槍は利用可能であること、それにもかかわらず封印するのだ、と示すためスレン族関係者の前でローレンツは破裂の槍を振るって見せた。
「俺は触れもしないから想像するしかねえけどやっぱり変な気分になるのか?」
 紋章を持たないカスパルが皿に散らされた赤い胡椒を白身魚に乗せて口に入れた。パルミラから輸入している赤い胡椒はレスターからアンヴァルへ運ぶだけで値段が倍に跳ね上がる。赤はアドラステア帝国にとって国を象徴する色であったので、宮廷料理ではよく使われていたと聞く。今日泊まる客人がアドラステア地方出身であると知った料理人の気遣いだが、それを知ってか知らずかカスパルは満足そうに食べていた。
「正直言って気持ちが悪かった。だが家系にもよる筈だ」
 その時のことを思い出しただけでローレンツの表情が暗くなる。ローレンツの先祖にゴーティエの紋章を持つものがいれば違和感はかなり薄らいだ筈だが、伝えられてきた家系図の通りどうやら存在しなかったらしい。
「私も受け継いでいるがキッホルの紋章を持つ者は多いな。どの名家にもキッホルかセスリーンの紋章を持つものが嫁いで来ているのではないか?」
「じゃあ、俺の子供や孫に紋章が出たりするのかな。リンハルトに会えたら計算してもらうか」
 カスパルはアンヴァルでハンネマンと共に宮城の調査にあたっている親友の名を出した。運べる書類は暖炉の中の燃えさしも含め、全てガルグ=マクへ運ばせたベレトだが動かせないものもある。真相究明には当分時間がかかりそうだった。
 ベレトの教え子たちは皆何らかの理由でフォドラ中を駆け回っている。エーデルガルトに持たせる計画でもあったのかアウロラの盾はアンヴァルで発見され、ルーンはドロテアとベルナデッタが発見したが、アラドヴァルがまだ見つかっていない。アンヴァルから持ち帰った資料によってディミトリの身に何が起きていたのかも明らかになりつつある。ベレトから知らされた一同は彼の身に起きた不運に深く同情した。グロンダーズに慰霊碑を建てる話も出ている。
「手紙の方がまだ早そうだ。我々も次はいつ会えるのか見当がつかないな。ローレンツはどこへ行くのだ?」
「ゴネリル領だ。フォドラの首飾りまで王の露払いに行く」
 ローレンツの言葉を受けてフェルディナントとカスパルが同時に大きく息を吐いた。畳む
#かのひとはうつくしく #完売本 #クロヒル #ロレマリ
#表紙
カバー
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表紙
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1.C-(side:L)

 ガルグ=マク修道院附属士官学校にはフォドラ中の者が集まる。出身地別に学級は分かれるがそれでも一年間身分に関係なく共に同じ学び舎で学ぶ。礼服に身を包んだローレンツは級長になれなかったことで落胆していた。ただあの胡散臭いクロード=フォン=リーガンを見極める機会は得られたし生涯の伴侶をガルグ=マクで見つけることができるかもしれない。親からは士官学校で見つけられなければ見合いをするようにと言われている。結婚した後で妻を愛せるようになるのだろうと思っていてもローレンツは最初から親を頼るのは嫌だった。
 職員の指示に従い壮麗な聖堂での長い式典の後それぞれの教室で待機することになった。こうして改めて学友たちを眺めてみると金鹿の学級は他の学級と比べて平民の学生の割合が多く逆にグロスタール家の嫡子であるローレンツが気を使わねばならないような名家の出の者は少ない。ゴネリル家、エドマンド家、コーデリア家のご令嬢くらいだろうか。ローレンツは彼女たちとは初対面だが失礼のないように名前と髪の色、瞳の色は先に覚えておいた。
 そのうちの一人であるリシテアは長い長い式典に参加中、人混みに酔ってしまったらしく教室までは何とか堪えたものの今は真っ青な顔をして椅子に座り込んでいる。
「大丈夫かい?水か何か持ってこようか?医務室まで歩けないなら僕が抱えていくが」
「少し休めば大丈夫です」
 本人は大丈夫と言っているが本当にその言葉を信じても良いのだろうか。今日は礼服なので身につけてはいないが明日からは級長の証である黄色の外套を身につける予定のクロードはリシテアの体調不良に気づいていないのか女子学生の中で小柄だが最も華やかで目立っていたゴネリル家のご令嬢ヒルダに話しかけている。
「だから手伝って欲しいんだよ」
「えぇ〜でもマヌエラ先生の方が話しやすいんじゃないかな」
「おい、クロード!こちらに来てくれ」
 クロードとは円卓会議に出席する父グロスタール伯に随行した際に名乗りあった程度でほぼ初対面だが同じ五大諸侯の家柄でもあるので敬語は使ってやらない。ローレンツが呼ぶとクロードはすぐにやってきてリシテアの異変に気づいた。
「リシテア、一体何枚着てるんだ?確かにここは山の中だから寒いが着込みすぎも身体が締まって良くないぞ」
「ご婦人相手になんてことを聞くのだ!君は将来レスター諸侯同盟の盟主になるのだぞ!」
「必要だから聞いただけだ!」
 ローレンツの剣幕に押されずクロードは言い返してきた。久しぶりに顔を見たが自分が身につけることのできない級長の証である黄色の外套はきっと少し浅黒い肌の彼によく似合うことだろう。
「君は必要なことなら何でも聞き出すのか?!他人のいる場で!」
「ローレンツ、お前はもういいよ。な、ヒルダ。言った通りになっただろう?」
 ヒルダはため息をつくと堪えきれずに机に突っ伏しているリシテアに話しかけた。その口調はとても優しい。
「クロードくんは男子だから言い出しにくいよね、これからはマヌエラ先生がいない場で体調のことで不安があったら私に言って欲しいの」
 士官学校では学級単位かつ男女共同で奉仕活動にあたる。クロードは具合が悪い女子に大変な仕事を割り振らずに済むよう内密に聞き取っておいて貰いたいようだ。
「とりあえず制服の襟元と腰回りを緩めようね、少しは楽になるだろうから」
 青い顔をしているリシテアにヒルダが優しく話しかけたのがきっかけになったのかリシテアの周りに女子学生たちが集まっている。これ以上、淑女を凝視しては失礼なのでローレンツは目を逸らした。年代物の教卓と黒板が目に入る。ローレンツの父もこの教室で学んでいた。教室の内装は細かいところまで父から聞いた通りでその記憶力の良さに身内ながら舌を巻いてしまう。父と同じように鷲獅子戦で勝利を収めねばどんな叱言を言われるのか分かったものではない。その為にはまず当日、体調不良の者がいないことが大前提だ。ローレンツは水を汲む為にそっと席を離れた。黒鷲や青獅子の教室の前を通ったがどうやら特に体調を崩した者はいないらしい。
 リシテアの為に水を汲んで戻ってきたローレンツは女子学生の輪に入りそびれた水色の髪の女子学生がいることに気づいた。きっとエドマンド辺境伯の養女マリアンヌだろう。輪に入りそびれていてもリシテアのことが心配なのか壁際から小柄な彼女を薄茶色の瞳でちらちらと見ている。マリアンヌは背が高いことを気にかけているのか少し猫背気味だがローレンツは長身だ。彼女は自分と並んで歩けば俯く必要はない。
 入学式の日に起きた細やかな事件は初めての野営訓練の夜に起きた大事件によって上書きされてしまい皆すっかり忘れていたが後になって思い返してみるにあの時点で充分に帝国はその策謀をもってレスター諸侯同盟へ深く強く介入していた。クロードがリーガン家の嫡子になったのもリシテアの体調が悪いのも元を正せばこの時点で帝国の工作が成功していたからだ。ただその中途半端な成功ゆえに帝国によるフォドラ統一は失敗した、とも言える。畳む
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2.C-(side:H)

 クロードは他人の喉元に入り込むのが上手い。ヒルダ自身も楽をするために他人の喉元に入り込む自覚があるのですぐに分かった。それにしても十代の男子が女子の体調を気遣うのは珍しい。ディミトリもメルセデス辺りに頼んでいるのだろうか。そんな訳で不本意ながらヒルダは女子学生の意見をまとめクロードに伝える係をやっている。レオニーは臆さないが盟主の嫡子と言うだけで萎縮してしまう学生もいるのだ。
 一度役割を任されてしまえば期待に応えないわけにいかない。だからこそヒルダは期待をかけられることを嫌い責任というものから逃げ回っていたのだがそうなってみるとどうしても気になる同級生がいた。マリアンヌだ。とにかく何も話さずすぐに一人で厩舎へ行ってしまうので噂話だけが流れている。ダフネル家の代わりに五大諸侯に加わったやり手のエドマンド辺境伯は注目度が高い。おそらくヒルダの兄ホルストの次くらいに学生たちから注目されている親族だろう。マリアンヌは彼のお眼鏡に叶って養女になったとか目ぼしい若者が彼女しかいなかったから仕方なく彼女を養女にしたとかそんな噂だ。クロードの耳にも当然入っている。
「ヒルダはどっちだと思う?」
「もー!私に無責任なこと言わせないでよね!」
 クロードはふざけて話題を振ってきたが有名な家族がいる誇らしさと煩わしさはヒルダにも分かる。その件に関してはマリアンヌをそっとしておいてやりたいので普通に言い返した。そんな会話をした数日後、逃げた教師に代わってヒルダたちの担任を務めることになったベレトに誘われヒルダとクロードは彼と昼食を共にしていた。
「マリアンヌは足が早い」
 士官学校の生徒はとにかく走らされる。訓練服姿なら楽な方で鎧や武器を身につけた状態でも走ることになる。そうだとしても唐突なベレトの一言に驚いたクロードは瞬きをしていた。何の工夫をせずとも黒くて長いまつ毛が緑の瞳に影を落としている。角度によっては目の下に隈が出来ているように見えることもある。
「それは意外だな」
「だからきっと良い修道士になる」
「前後の繋がりが分からないんですけど?!」
「現場に出れば分かるようになる」
 デアドラ風キジの揚げ焼きを器用に切り分けながらベレトは言った。彼は口数が少なすぎて言っていることがよく分からないことが多い。それでもいつもは説明を促されると一言二言は足すのだがこの日は同じ言葉を繰り返すのみだった。

 午後は座学なので皆、鍛練とは別の意味で辛い思いをする。眠らないように必死だ。ヒルダも例外ではない。眠気を覚ますために何か面白いものはないかと桃色の瞳で教室を見回した。
 ラファエルは諦めて眠る方かと思いきや椅子に座る振りをして足の筋肉を鍛えている。マリアンヌはもう陥落寸前だったが前後に船を漕ぎ始めた瞬間に持っていた鉄筆を取り落としてその衝撃で目を覚ました。そして案の定、鉄筆の行く先を見失っている。ヒルダが軽い音がした方を見ると通路を挟んだ隣に座っているローレンツがすぐに身体を曲げ長い腕を伸ばして拾ってやっていた。授業中なせいか彼はいつものような無駄口を叩かない。余計なことを言わなければ彼はあんなに感じが良いのかとヒルダは驚いた。
 クロードと張り合っているローレンツはこうした時も居眠りなどしないが実は女子学生からとにかく評判が悪い。近々ヒルダは皆の意見を取りまとめ担任であるベレトを経由して彼への苦情を申し立てねばならないだろう。ローレンツから食事に誘われたことがない領主の娘はこの士官学校に存在しない。当然、ヒルダも誘われたが断っている。薔薇の花のように美しいと言われたがずば抜けて背が高い彼と常に並んで歩けば小柄な自分は首を痛めてしまうだろう。級友の意外な姿を目撃しすっかり眠気の覚めたヒルダは余所見をしていた間に書き連ねられた黒板の中身を意味も分からず手元の書字板に書き写した。
 午後の座学が終わると学生は基本自由に過ごして良いことになっている。クロードはどこかへ雲隠れしてしまうがローレンツは基本的に訓練場で槍を振るっていることが多い。
「ローレンツくん、ちょっと良いかな。さっきの授業でよく分からないところがあって……」
 だがヒルダは自分に余所見をさせた責任を取らせるべくローレンツに声をかけた。ヒルダが意味も分からず書き写した書字板を見てローレンツの菫青石のような瞳が左右に動いていく。そして彼は本当に意外なことを言った。
「申し訳ない。ここは僕もよく聞いていなかったので後でハンネマン先生に質問しに行こうと思っていた」
「じゃあ後で教えてくれる?」
「ああ、任せてくれたまえ」
 ローレンツはクロードへの対抗意識が本当に強く彼が茶化すものは必ず尊重する。それは身分であったり規則をきちんと守ることであったり様々だか授業を真面目に受けることはその中核をなしていた。きっと彼もヒルダと同じものを横目で見ていたからその間の解説がすっぽ抜けているのだろう。いや、ヒルダよりずっとよく見ていたのだ。そうでなければマリアンヌの鉄筆が転がっていった先などわかるはずもない。畳む
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3.C(side:L)

 ローレンツは大荷物を抱えて忙しそうにしているベレトに手伝いを頼まれた。
「そろそろ雨が降る。では頼んだ」
 ベレトの指差す方向を見てみれば確かに雲が密集し色濃くなっている。彼から渡された学生宛の手紙は雨に降られる前に配った方がよさそうだった。
 結構な量の手紙の束を確認してみると改めて平民と貴族の違いがよく分かる。貴族の学生宛の手紙は中の手紙を守るため頑丈な紙で出来た封筒に入れられているしその封筒はきちんとその家に伝わる印璽で封がされている。知識がある者がみれば差出人の名を読まずとも印璽だけでどの家の者が出した手紙なのか分かるのだ。一方で平民の学生宛の手紙は封筒に入っていない。紙が高価だからだ。平民たちは手紙のやり取りをする際、三つ折りにした紙の真ん中に宛先を書き本文はその裏側に書く。書き終わったら中身が見えないように再び三つ折りにして左右の端を折り蝋で閉じるが印璽など持っていないので適当な意匠の印章で閉じる。封筒に守られていないものから早く渡してやる必要があった。いささか焦りながらも敷地内を歩いて回ると皆がどう放課後を過ごしているのかがよく分かる。
 ラファエル以外の平民の学生たちは意外そうな顔をしながらローレンツに礼を言い自分宛の手紙を受け取っていた。左手には名家の印璽で封をされた豪華な封筒の束があるのにローレンツがそちらには目もくれずたった一枚の紙を折ったもの、から配っていたからだ。
「レオニーさん、先ほどから軽く驚かれるのは何故だろうか?」
 レオニーはいつも堂々としていて何者にも臆することがない。ローレンツはかつて彼女が些か図々しいのではないかと感じたこともあったが今は考えを改めている。彼女はセテスたちの目指す理想、身分や出身地の垣根がない士官学校の在り方を体現しているような優秀な学生だ。
「ローレンツの日頃の言動のせいだな。領地が大きい順に配りそうに見える」
「心外だ!そんなことはしない!」
 ローレンツは常に合理的な行動を心がけている。だがその結果、担任であるベレトから呼び出しを食らい級友からは理不尽な態度をとる人間だと思われていた。
「君たち宛の手紙は便箋が剥き出しだから傷まないように少しでも早く渡したかったのだ。先生が言うにはそろそろ雨が降るらしい」
「はは、冗談だよ。でも先生が言うなら雨は本当に降るんだろうなあ」
 訓練場に行く途中だったレオニーも空を眺めた。ベレトは口数が少ないが繰り返し天候や地形について言及する。彼に師事すればローレンツもレオニーもいつか初めて訪れた土地でも彼のように空模様を読めるようになるのだろうか。
 レオニーと別れローレンツは次に厩舎に向かった。道すがら他の学生にも渡せたので手紙の束はかなり薄くなりマリアンヌ、ヒルダ、クロード宛の三通だけが手元に残っている。マリアンヌはローレンツの予想通り厩舎にいて馬の世話をしていた。制服が汚れることも厭わず丁寧に鉄爪で蹄についた塵を取り除いてあげている。その姿はローレンツの父が恐れる論客エドマンド辺境伯とはかけ離れていた。だが手仕事に没頭する姿は彼女にしては珍しく萎縮していない。今渡しても受け取れそうにないだろうと判断したローレンツは手紙の束を手にそっとその場を離れ曇天の中ヒルダを探すことにした。
 ローレンツがヒルダを探し出した頃には傭兵上がりの教師の読み通り堪えきれなくなった雨粒が天から落ちてきていた。ベレトは本当に天候を読むのがうまい。ヒルダはちょうど食堂で青獅子の女子学生たちと共に焼き菓子を食べているところだった。
「先生からヒルダさん宛の手紙を預かっている」
「ありがとね、ローレンツくん。ああ、これ兄さんからだわ、参ったなあ」
 ヒルダの兄ホルストは隣国パルミラにもその名が知られている勇将だ。彼女自身はその可憐な見た目通り戦いを好まないようだが。
「すぐに読んで返事を出したいところ本当に申し訳ないのだがヒルダさんはマリアンヌさんと部屋が隣同士だったね?先生からマリアンヌさん宛の手紙も預かっているのだ。渡してもらえないだろうか?」
「え、厩舎にいなかったの?」
 厩舎にいたが熱心に馬の世話をしていてとてもではないが渡せる状況でなかったことを説明するとヒルダは快く引き受けてくれた。ゴネリル家の印璽で封がされた手紙とエドマンド家の印璽で封がされた手紙が再びヒルダの手によって重ねられる。
「これで最後寝る前にでもクロードに手紙を渡せば先生の手伝いがようやく終わる」
 クロードは本当に何処にいるのか全く分からない時が多い。無駄に探し回るより消灯前の点呼をやり過ごすために戻ってきたところを捕まえる方が早いのだ。
「そうか、ローレンツくんとクロードくん部屋が隣同士だっけ」
「不運なことにね」
「言っとくけど私はマリアンヌちゃんが隣の部屋なの嫌だと思ったことないからね!」
 この時ローレンツが渡した手紙がきっかけでヒルダとクロードは親交を深めていくことになるのだがまだ誰もそのことには気づいていない。畳む