#ラジオ・デアドラ
#完売本
#ヒルマリ
2.
「それでは皆様、今日もよい1日を」
レオニーは番組の内容がどれだけ荒れようと最後に必ずこう言って番組を終える。マイクのスイッチをオフにしてレオニーは首を回しマリアンヌを睨みつけた。目の前には矢車菊の花が積まれている。
「矢車菊の花言葉で誤魔化せるわけないだろうが!」
「ええー!私たちの女の子らしさが出せてよかったと思うんだけど??」
ディレクターのヒルダが選んだ今晩のテーマは"過大評価されていると思うレストランはどこか、何故過大評価されていると思ったのか"だった。当然度を超えた内容の葉書がリスナーから寄せられる。
「大丈夫です。この時間帯の番組を好んで聴いているリスナーなら気にしません」
放送中レオニーの向かいで黙って話を聞いている構成作家のマリアンヌが拙そうな話だ、と判断する度レオニーに矢車菊が一本渡される。その度にレオニーは台本に書いてあった通り"以上、矢車菊の花言葉でした"と言ってその話を打ち切っていく。番組が終わる頃にはレオニーの目の前に矢車菊の山が出現した。
「でもウェイトレス同士でウェイター取り合ってる店は正直行ってみたい!!ものすごーく気になる!!」
レオニーは食事中に背後で女の戦いが繰り広げられ味は良いはずなのに食べた気がしないようなレストランには行きたくないが矢車菊を紐でくくって紙で包んでいるヒルダは違う考えらしい。
「だってほら!キャバレーみたいなもんでしょ?」
キャバレーではショーガールのレビューを見ながら食事ができる。内装も華やかで音楽も生演奏だ。
「あちらは勝敗が決まる類のものではないですが……」
流石にマリアンヌがヒルダに反論した。彼女は本当に話し方が静かで清楚な見た目をしているのでレオニーは未だにマリアンヌが厳しい訓練で知られる士官学校出身だと信じられない。レオニーの知る軍関係者は受けた訓練が何であるのか実にわかりやすい見た目をしていた。
「じゃあボートレース!」
ボートレース場の貴賓席でも食事を取ることができる。
「……そちらの方がまだ近いかもしれませんね」
「どっちも違うだろ……なんでも良いから早くなんか食べに行こう!」
三人は防音のため布張りになっているスタジオを後にした。局の前にあるダイナーで朝食を食べて市電や水上バスの始発を待つためだ。いつも市電で帰れるレオニーが最初に席を立つ。マリアンヌの住むアパートが火事で半焼する前はマリアンヌとレオニーが先に帰っていた。水上バスが動くようになるまで一人で待つ羽目になるヒルダが少し辛そうなのは分かる。だがレオニーと共に市電の駅まで行くマリアンヌが寂しそうなのは正直言って納得がいかなかった。でも今は違う。リシテアがこっそり教えてくれたのだがマリアンヌとヒルダは付き合っているらしい。
「ええっ?正反対なのに?」
レオニーの知る女性同士のカップルは男女同士のカップルと違って見た目や雰囲気が似通っている。好みの同性がしているような格好は自分でも真似ができるからだ。
「レオニーの言いたいことはわかりますよ。でもあの二人の場合は正反対なのが良いんでしょう」
楚々としていかにも尽くす側に見えるマリアンヌの方が焼け出された後のことも含めて華やかなヒルダに面倒を見られている。
デアドラの街は朝日に照らされ目覚めつつあった。水路を行き来する船は出勤する人を乗せて街を巡る。レオニーは矢車菊の花束を手に船着場から職場へ向かう人々の流れに逆らい駅に向かっていった。いったい誰が聞いているのだろうかという時間帯の番組ではあるがきちんと葉書は届くし街中でサインが欲しい、と話しかけられることもある。人生に何が起こるのか本当にわからない。
翌日の昼過ぎに出社したヒルダはココアを飲みながらデスクの上に置いてあった報告書を読んでいた。先日のおかしな手紙が気になったヒルダはベレトにレオニーの警護を頼んでいる。時系列にまとめられた報告書の最後にデアドラ市警の地域担当部門に相談してレオニーの自宅近辺の警邏を増やしてもらうべきだと書いてあった。確かに彼はラジオ局の警備担当であってレオニー個人を守るために雇われた護衛ではない。彼の身体は一つしか存在しないし捜査権もない。
マリアンヌは取材に出ているのでヒルダは一人で考えるしかなかった。連続放火犯が捕まるまで警戒すべきだと言うことはわかっている。問題はそれがいつか、ということだ。警察は第三者である素人の推理など参考にしない。ラジオ局への嫌がらせでは当事者であるので警察も親身になってくれたが先端技術に関わる人々を対象にした連続放火事件として見てはいないだろう。ラジオ局の一社員にどうこうできる問題ではないのは明白だ。
だが。
ヒルダは机の上にデアドラ市の地図を広げその傍らに電話帳を置いた。消防署を表す二本の斧が交差する地図記号は思ったより数が多いが諦めるわけにはいかない。畳む
#完売本
#ヒルマリ
2.
「それでは皆様、今日もよい1日を」
レオニーは番組の内容がどれだけ荒れようと最後に必ずこう言って番組を終える。マイクのスイッチをオフにしてレオニーは首を回しマリアンヌを睨みつけた。目の前には矢車菊の花が積まれている。
「矢車菊の花言葉で誤魔化せるわけないだろうが!」
「ええー!私たちの女の子らしさが出せてよかったと思うんだけど??」
ディレクターのヒルダが選んだ今晩のテーマは"過大評価されていると思うレストランはどこか、何故過大評価されていると思ったのか"だった。当然度を超えた内容の葉書がリスナーから寄せられる。
「大丈夫です。この時間帯の番組を好んで聴いているリスナーなら気にしません」
放送中レオニーの向かいで黙って話を聞いている構成作家のマリアンヌが拙そうな話だ、と判断する度レオニーに矢車菊が一本渡される。その度にレオニーは台本に書いてあった通り"以上、矢車菊の花言葉でした"と言ってその話を打ち切っていく。番組が終わる頃にはレオニーの目の前に矢車菊の山が出現した。
「でもウェイトレス同士でウェイター取り合ってる店は正直行ってみたい!!ものすごーく気になる!!」
レオニーは食事中に背後で女の戦いが繰り広げられ味は良いはずなのに食べた気がしないようなレストランには行きたくないが矢車菊を紐でくくって紙で包んでいるヒルダは違う考えらしい。
「だってほら!キャバレーみたいなもんでしょ?」
キャバレーではショーガールのレビューを見ながら食事ができる。内装も華やかで音楽も生演奏だ。
「あちらは勝敗が決まる類のものではないですが……」
流石にマリアンヌがヒルダに反論した。彼女は本当に話し方が静かで清楚な見た目をしているのでレオニーは未だにマリアンヌが厳しい訓練で知られる士官学校出身だと信じられない。レオニーの知る軍関係者は受けた訓練が何であるのか実にわかりやすい見た目をしていた。
「じゃあボートレース!」
ボートレース場の貴賓席でも食事を取ることができる。
「……そちらの方がまだ近いかもしれませんね」
「どっちも違うだろ……なんでも良いから早くなんか食べに行こう!」
三人は防音のため布張りになっているスタジオを後にした。局の前にあるダイナーで朝食を食べて市電や水上バスの始発を待つためだ。いつも市電で帰れるレオニーが最初に席を立つ。マリアンヌの住むアパートが火事で半焼する前はマリアンヌとレオニーが先に帰っていた。水上バスが動くようになるまで一人で待つ羽目になるヒルダが少し辛そうなのは分かる。だがレオニーと共に市電の駅まで行くマリアンヌが寂しそうなのは正直言って納得がいかなかった。でも今は違う。リシテアがこっそり教えてくれたのだがマリアンヌとヒルダは付き合っているらしい。
「ええっ?正反対なのに?」
レオニーの知る女性同士のカップルは男女同士のカップルと違って見た目や雰囲気が似通っている。好みの同性がしているような格好は自分でも真似ができるからだ。
「レオニーの言いたいことはわかりますよ。でもあの二人の場合は正反対なのが良いんでしょう」
楚々としていかにも尽くす側に見えるマリアンヌの方が焼け出された後のことも含めて華やかなヒルダに面倒を見られている。
デアドラの街は朝日に照らされ目覚めつつあった。水路を行き来する船は出勤する人を乗せて街を巡る。レオニーは矢車菊の花束を手に船着場から職場へ向かう人々の流れに逆らい駅に向かっていった。いったい誰が聞いているのだろうかという時間帯の番組ではあるがきちんと葉書は届くし街中でサインが欲しい、と話しかけられることもある。人生に何が起こるのか本当にわからない。
翌日の昼過ぎに出社したヒルダはココアを飲みながらデスクの上に置いてあった報告書を読んでいた。先日のおかしな手紙が気になったヒルダはベレトにレオニーの警護を頼んでいる。時系列にまとめられた報告書の最後にデアドラ市警の地域担当部門に相談してレオニーの自宅近辺の警邏を増やしてもらうべきだと書いてあった。確かに彼はラジオ局の警備担当であってレオニー個人を守るために雇われた護衛ではない。彼の身体は一つしか存在しないし捜査権もない。
マリアンヌは取材に出ているのでヒルダは一人で考えるしかなかった。連続放火犯が捕まるまで警戒すべきだと言うことはわかっている。問題はそれがいつか、ということだ。警察は第三者である素人の推理など参考にしない。ラジオ局への嫌がらせでは当事者であるので警察も親身になってくれたが先端技術に関わる人々を対象にした連続放火事件として見てはいないだろう。ラジオ局の一社員にどうこうできる問題ではないのは明白だ。
だが。
ヒルダは机の上にデアドラ市の地図を広げその傍らに電話帳を置いた。消防署を表す二本の斧が交差する地図記号は思ったより数が多いが諦めるわけにはいかない。畳む
#ラジオ・デアドラ
#完売本
#ヒルマリ
3.
マリアンヌはガルグ=マクの士官学校を出て軍で数年過ごし人間関係に躓いて除隊している。軍にいた頃にも軍用放送は聞いていたが音楽ばかりだったので大して印象に残っていない。だが軍を辞め何となく働いていたダイナーが一日中ラジオを流していた。そんな些細なことがマリアンヌの人生を変えている。自分のしくじりや店にやってきたおかしな客について様々な番組宛の手紙や葉書に書いて出してみるとそこそこ読まれた。士官学校時代も軍にいた時も話下手で共感してもらえることなど滅多になかったのに全く違う。初めて社会とつながることか出来たような、そんな気がした。
怠け者のアシスタントディレクターのヒルダ、としていろんな番組でしょっちゅう名前が出てきていたので女性のスタッフがいることはラジオデアドラのリスナーなら皆知っている。だが目の前にいる薄紅色の髪をした小柄な愛らしい女性がそのヒルダであると言われても俄に信じがたい。それに怠け者だというのにマリアンヌが今までラジオ局に出した葉書や手紙を読み込んで推理して働いているダイナーを探し当てていた。呆気に取られて渡された名刺とヒルダの顔を何度も見比べてしまう。
そして僅か数年とはいえ軍にいたマリアンヌはあることに気がついた。
「もしかしてゴネリル少佐のご親族ですか?」
「あー、そっか元軍人だって葉書に書いてたもんね。ホルストは私の兄なの」
見るからに明るそうな彼女も兄と同じ道へ進まなかった程度には優秀な兄に対して何か思うところがあるらしい。マリアンヌが兄の名を出した時に髪とお揃いのピンク色の瞳にほんの少し失望が浮かんだ。言うべきではなかったのかもしれない。こう言うしくじりを積み上げていった結果マリアンヌは軍を辞めることになったのに人間の本質というものはつくづく変わらないようだ。
「とは言っても私が一方的に存じ上げているだけですが……それよりラジオデアドラの方が私に何の御用でしょうか?」
「引き抜きにきたのよ」
具体的な労働条件はお世辞にも良いとは言えなかったが最後にいつか女性だけで番組を作るのが夢だ、と言われマリアンヌはその場でダイナーに辞表を書いた。ダイナーで客の頭にジュースをこぼしたり皿を割り続けるよりずっと良い。物心ついた時から陰気なたちで発言で人を笑わせたことはない。だが書いたもので顔も知らない誰かを笑わせることが出来た。
最初の数年はヒルダと共に様々な番組の下働きをしていたがマリアンヌがレオニーという最後のピースを見つけた結果、深夜三時から五時という時間帯ではあるがヒルダの夢を叶えることが出来た。まともな生活を送っている者には到底聞けない時間帯だがそれでも構わない。番組のリスナーを解析し調査することさえできればマリアンヌは彼らが喜ぶ台本を書くことができる。
マリアンヌは放送作家として台本を書くため基本的には放送局に常駐しているが取材に出ることもある。今日はデアドラ港を訪れていた。現在、日雇い労働者である沖仲士たちは労働条件の改善を求めて組合を作り船会社と荷役会社相手に激しい交渉を行なっている。交渉しなければ荷役会社から足元を見られて賃金は下がり食い詰めてしまうから仕方ないのだがそのせいで社会的なイメージは悪化し彼らから番組に寄せられる葉書や手紙は社会から除け者にされたという思いで満ちていた。彼らの仕事は船の入港時間に左右される。いつ仕事が始まりいつ仕事が終わるのか誰にも分からない。定時で終わる仕事についている者と親しくなるのは無理だ。だがマリアンヌは彼らと社会を結びつけたい。
労使交渉が行われている荷役会社のオフィスの前には仲間を応援しようと沖仲士たちが屯している。腕っ節の強い荒くれ者と見られたがる彼らが今回求めているのはロッカーとシャワーだ。マリアンヌは上着にラジオデアドラの腕章を付け屯す強面の男たちに声をかけた。
「失礼ですが……お話を伺ってもよろしいでしょうか?」
身内しかいないはずの交渉の場に場違いな女性が現れたので荒くれ者たちの目に動揺が浮かんだが左腕の腕章を見て納得がいったらしい。長引く交渉が終わるまでのいい暇つぶしになったのか皆マリアンヌに協力的で手帳一冊分のメモが取れた。
レオニーの番組は深夜から始まるのでマリアンヌは夕方までに放送局に入ればよい。深夜12時までに台本を仕上げてヒルダに内容を確認してもらいレオニーに渡す。
「粉シャンプー派か液体シャンプー派かって……こんなしょうもないこと聞くためにわざわざあんなに揉めてる現場まで行ったのか??葉書でよくないか?」
レオニーはマリアンヌが渡した台本に一通り目を通すとそう叫んだ。ラジオには爪弾きにされている人々と社会を結びつける力があるとマリアンヌは信じている。だから労働争議の場へ敢えて関係ない話を山ほど聞きに行ったのだ。畳む
#完売本
#ヒルマリ
3.
マリアンヌはガルグ=マクの士官学校を出て軍で数年過ごし人間関係に躓いて除隊している。軍にいた頃にも軍用放送は聞いていたが音楽ばかりだったので大して印象に残っていない。だが軍を辞め何となく働いていたダイナーが一日中ラジオを流していた。そんな些細なことがマリアンヌの人生を変えている。自分のしくじりや店にやってきたおかしな客について様々な番組宛の手紙や葉書に書いて出してみるとそこそこ読まれた。士官学校時代も軍にいた時も話下手で共感してもらえることなど滅多になかったのに全く違う。初めて社会とつながることか出来たような、そんな気がした。
怠け者のアシスタントディレクターのヒルダ、としていろんな番組でしょっちゅう名前が出てきていたので女性のスタッフがいることはラジオデアドラのリスナーなら皆知っている。だが目の前にいる薄紅色の髪をした小柄な愛らしい女性がそのヒルダであると言われても俄に信じがたい。それに怠け者だというのにマリアンヌが今までラジオ局に出した葉書や手紙を読み込んで推理して働いているダイナーを探し当てていた。呆気に取られて渡された名刺とヒルダの顔を何度も見比べてしまう。
そして僅か数年とはいえ軍にいたマリアンヌはあることに気がついた。
「もしかしてゴネリル少佐のご親族ですか?」
「あー、そっか元軍人だって葉書に書いてたもんね。ホルストは私の兄なの」
見るからに明るそうな彼女も兄と同じ道へ進まなかった程度には優秀な兄に対して何か思うところがあるらしい。マリアンヌが兄の名を出した時に髪とお揃いのピンク色の瞳にほんの少し失望が浮かんだ。言うべきではなかったのかもしれない。こう言うしくじりを積み上げていった結果マリアンヌは軍を辞めることになったのに人間の本質というものはつくづく変わらないようだ。
「とは言っても私が一方的に存じ上げているだけですが……それよりラジオデアドラの方が私に何の御用でしょうか?」
「引き抜きにきたのよ」
具体的な労働条件はお世辞にも良いとは言えなかったが最後にいつか女性だけで番組を作るのが夢だ、と言われマリアンヌはその場でダイナーに辞表を書いた。ダイナーで客の頭にジュースをこぼしたり皿を割り続けるよりずっと良い。物心ついた時から陰気なたちで発言で人を笑わせたことはない。だが書いたもので顔も知らない誰かを笑わせることが出来た。
最初の数年はヒルダと共に様々な番組の下働きをしていたがマリアンヌがレオニーという最後のピースを見つけた結果、深夜三時から五時という時間帯ではあるがヒルダの夢を叶えることが出来た。まともな生活を送っている者には到底聞けない時間帯だがそれでも構わない。番組のリスナーを解析し調査することさえできればマリアンヌは彼らが喜ぶ台本を書くことができる。
マリアンヌは放送作家として台本を書くため基本的には放送局に常駐しているが取材に出ることもある。今日はデアドラ港を訪れていた。現在、日雇い労働者である沖仲士たちは労働条件の改善を求めて組合を作り船会社と荷役会社相手に激しい交渉を行なっている。交渉しなければ荷役会社から足元を見られて賃金は下がり食い詰めてしまうから仕方ないのだがそのせいで社会的なイメージは悪化し彼らから番組に寄せられる葉書や手紙は社会から除け者にされたという思いで満ちていた。彼らの仕事は船の入港時間に左右される。いつ仕事が始まりいつ仕事が終わるのか誰にも分からない。定時で終わる仕事についている者と親しくなるのは無理だ。だがマリアンヌは彼らと社会を結びつけたい。
労使交渉が行われている荷役会社のオフィスの前には仲間を応援しようと沖仲士たちが屯している。腕っ節の強い荒くれ者と見られたがる彼らが今回求めているのはロッカーとシャワーだ。マリアンヌは上着にラジオデアドラの腕章を付け屯す強面の男たちに声をかけた。
「失礼ですが……お話を伺ってもよろしいでしょうか?」
身内しかいないはずの交渉の場に場違いな女性が現れたので荒くれ者たちの目に動揺が浮かんだが左腕の腕章を見て納得がいったらしい。長引く交渉が終わるまでのいい暇つぶしになったのか皆マリアンヌに協力的で手帳一冊分のメモが取れた。
レオニーの番組は深夜から始まるのでマリアンヌは夕方までに放送局に入ればよい。深夜12時までに台本を仕上げてヒルダに内容を確認してもらいレオニーに渡す。
「粉シャンプー派か液体シャンプー派かって……こんなしょうもないこと聞くためにわざわざあんなに揉めてる現場まで行ったのか??葉書でよくないか?」
レオニーはマリアンヌが渡した台本に一通り目を通すとそう叫んだ。ラジオには爪弾きにされている人々と社会を結びつける力があるとマリアンヌは信じている。だから労働争議の場へ敢えて関係ない話を山ほど聞きに行ったのだ。畳む
#ラジオ・デアドラ
#完売本
#ヒルマリ
4.
マリアンヌはヒルダの家に転がり込んでいるが二人は始終一緒にいるわけではない。ふらふらと街を歩きがちなヒルダよりマリアンヌの方が早くラジオ局に着いていることが殆どだ。しかし今晩は珍しくヒルダは余計な寄り道をせず局内で調べ物をしていたらしい。今は目処がついた、とのことで気分転換なのか自分の席に座って夕刊に目を通している。へヴリングにある炭鉱が閉山するという記事が一面を飾っていた。確かに水上バスも蒸気船は減ってきている。
「おかえりマリアンヌちゃん」
「はい、ただいま戻りました。今から台本を書きます」
「これ、今日かける予定の曲一覧ね。曲紹介も台本に書いてあげて。レオニーちゃんもそのうち曲飛ばしとかするようになっちゃうのかなあ……。あれ地味に困るのよね、始末書書くの私だもの」
話が盛り上がり過ぎて尺の中に収まらなくなってしまった結果、かけるべき曲をかけられないことを曲飛ばしという。レオニーは番組当初と比べて更に喋りが達者になって来た。たまに書いておいた台本を無視することもある。彼女が直接ヒルダから曲一覧を受け取りマリアンヌの書いた台本を必要としなくなる日がそう遠くないうちにやってくるのだろう。
マリアンヌは愛用している大きめのノートに縦の線を引いた。速記もどきでメモした内容を対比出来るように清書していく。よく葉書を送ってくる不眠症の理容師に意見を求めるのも良いかもしれない。名指しすると律儀に皆、返信の葉書を寄越すのだ。マリアンヌもそちら側だったので気持ちはよくわかる。
「うちのリスナーって頑固かと思いきや結構新しもの好きよね」
マリアンヌの手元をヒルダが覗き込んでいた。ヒルダは液体シャンプー派でゴネリル邸の広い浴室に何種類もの瓶が整然と並べられている。別々に入浴した時にヒルダがどのシャンプーを使うのか予想するのはマリアンヌの密かな楽しみで的中したらテフにひとつ余計に角砂糖を入れることにしている。
番組では冒頭でレオニーは今日がどんな一日であったのかを話す。レオニー本人のことを話すときもあれば番組スタッフのことを話すときもある。よく出歩き観察眼の鋭いヒルダの話は受けが良いのだが今日は出歩いていなかったようなのでレオニーにはマリアンヌのことを喋ってもらうことにした。労働争議の現場で番組の名前入り名刺を大量に配ったからだ。
レオニーは最終の一本手前の市電で放送局に通っている。酔っ払いが多いのではないかとヒルダたちに心配されているが今のところ特に問題はない。放送局に着くと関係者用出入り口にラファエルが立っていた。
「ようレオニーさん!遅くから仕事で大変だな!」
「ラファエルこそ遅くまでお疲れさま!」
すっかり友人になった二人だがそれでも規則は規則なので入館証を見せて局内に入っていく。当然まだスタジオには入れないのでレオニーはいつもヒルダが用意してくれる会議室でマリアンヌの台本に目を通す。手狭だが心地良く過ごせるように飲み物も軽食も参考資料も用意してある空間でヒルダとマリアンヌが地図を見ながらああでもないこうでもないと話し合っている。
「次の企画の相談でもしてるのか?」
「うん、でもまだ雲を掴むような感じでしっくり来なくて」
ヒルダは眉間に皺を寄せながら眠気覚ましのテフに口をつけた。耳元では彼女お手製のイヤリングが輝いている。ヒルダは華やかな業界にいる華やかな女性だが案外地道な手作業も好きなのだ。
「ヒルダさん、把握しているのに敢えて言及しない、と把握出来なかったから言及すら出来なかった、には天地の差があります」
「マリアンヌの言ってることが哲学的でよく分かんないぞ」
実際には途中から話を聞いたせいだがレオニーはわざと見当違いなことを言った。レオニーは放送中、番組を途中から聞き始めた人にもわかるように何の話をしていたのか説明を入れるようディレクターのヒルダから指示されることがある。その際の要約もマリアンヌは台本に書いておいてくれる。実に分かりやすい文を書くのだが実際に喋らせると本当に何が言いたいのか伝わってこない。
その晩のレオニーは番組の冒頭で台本通りマリアンヌの話をした。
「頼めば葉書が山のように来るわけだからさ、待てばいいと思うんだよ。でもうちの作家は待てが出来なくてすぐ直接話を聞きにいっちゃうわけ!」
目の下の隈は色濃く鏡を見る間を惜しんで必死にペンを走らせたせいで結い上げた水色の髪は崩れている。そんなマリアンヌを陰気で不器用と評価する者は多いし本人の自己評価も変わらない。だがレオニーやヒルダには私たちは新聞より早く伝えることが出来て新聞より人々の本音に寄り添うことが出来る、と誇らしげに語るマリアンヌが輝いて見えるのだ。畳む
#完売本
#ヒルマリ
4.
マリアンヌはヒルダの家に転がり込んでいるが二人は始終一緒にいるわけではない。ふらふらと街を歩きがちなヒルダよりマリアンヌの方が早くラジオ局に着いていることが殆どだ。しかし今晩は珍しくヒルダは余計な寄り道をせず局内で調べ物をしていたらしい。今は目処がついた、とのことで気分転換なのか自分の席に座って夕刊に目を通している。へヴリングにある炭鉱が閉山するという記事が一面を飾っていた。確かに水上バスも蒸気船は減ってきている。
「おかえりマリアンヌちゃん」
「はい、ただいま戻りました。今から台本を書きます」
「これ、今日かける予定の曲一覧ね。曲紹介も台本に書いてあげて。レオニーちゃんもそのうち曲飛ばしとかするようになっちゃうのかなあ……。あれ地味に困るのよね、始末書書くの私だもの」
話が盛り上がり過ぎて尺の中に収まらなくなってしまった結果、かけるべき曲をかけられないことを曲飛ばしという。レオニーは番組当初と比べて更に喋りが達者になって来た。たまに書いておいた台本を無視することもある。彼女が直接ヒルダから曲一覧を受け取りマリアンヌの書いた台本を必要としなくなる日がそう遠くないうちにやってくるのだろう。
マリアンヌは愛用している大きめのノートに縦の線を引いた。速記もどきでメモした内容を対比出来るように清書していく。よく葉書を送ってくる不眠症の理容師に意見を求めるのも良いかもしれない。名指しすると律儀に皆、返信の葉書を寄越すのだ。マリアンヌもそちら側だったので気持ちはよくわかる。
「うちのリスナーって頑固かと思いきや結構新しもの好きよね」
マリアンヌの手元をヒルダが覗き込んでいた。ヒルダは液体シャンプー派でゴネリル邸の広い浴室に何種類もの瓶が整然と並べられている。別々に入浴した時にヒルダがどのシャンプーを使うのか予想するのはマリアンヌの密かな楽しみで的中したらテフにひとつ余計に角砂糖を入れることにしている。
番組では冒頭でレオニーは今日がどんな一日であったのかを話す。レオニー本人のことを話すときもあれば番組スタッフのことを話すときもある。よく出歩き観察眼の鋭いヒルダの話は受けが良いのだが今日は出歩いていなかったようなのでレオニーにはマリアンヌのことを喋ってもらうことにした。労働争議の現場で番組の名前入り名刺を大量に配ったからだ。
レオニーは最終の一本手前の市電で放送局に通っている。酔っ払いが多いのではないかとヒルダたちに心配されているが今のところ特に問題はない。放送局に着くと関係者用出入り口にラファエルが立っていた。
「ようレオニーさん!遅くから仕事で大変だな!」
「ラファエルこそ遅くまでお疲れさま!」
すっかり友人になった二人だがそれでも規則は規則なので入館証を見せて局内に入っていく。当然まだスタジオには入れないのでレオニーはいつもヒルダが用意してくれる会議室でマリアンヌの台本に目を通す。手狭だが心地良く過ごせるように飲み物も軽食も参考資料も用意してある空間でヒルダとマリアンヌが地図を見ながらああでもないこうでもないと話し合っている。
「次の企画の相談でもしてるのか?」
「うん、でもまだ雲を掴むような感じでしっくり来なくて」
ヒルダは眉間に皺を寄せながら眠気覚ましのテフに口をつけた。耳元では彼女お手製のイヤリングが輝いている。ヒルダは華やかな業界にいる華やかな女性だが案外地道な手作業も好きなのだ。
「ヒルダさん、把握しているのに敢えて言及しない、と把握出来なかったから言及すら出来なかった、には天地の差があります」
「マリアンヌの言ってることが哲学的でよく分かんないぞ」
実際には途中から話を聞いたせいだがレオニーはわざと見当違いなことを言った。レオニーは放送中、番組を途中から聞き始めた人にもわかるように何の話をしていたのか説明を入れるようディレクターのヒルダから指示されることがある。その際の要約もマリアンヌは台本に書いておいてくれる。実に分かりやすい文を書くのだが実際に喋らせると本当に何が言いたいのか伝わってこない。
その晩のレオニーは番組の冒頭で台本通りマリアンヌの話をした。
「頼めば葉書が山のように来るわけだからさ、待てばいいと思うんだよ。でもうちの作家は待てが出来なくてすぐ直接話を聞きにいっちゃうわけ!」
目の下の隈は色濃く鏡を見る間を惜しんで必死にペンを走らせたせいで結い上げた水色の髪は崩れている。そんなマリアンヌを陰気で不器用と評価する者は多いし本人の自己評価も変わらない。だがレオニーやヒルダには私たちは新聞より早く伝えることが出来て新聞より人々の本音に寄り添うことが出来る、と誇らしげに語るマリアンヌが輝いて見えるのだ。畳む
#ラジオ・デアドラ
#完売本
#ヒルマリ
5.
ヒルダは放送局全体を巻き込むべくチャリティ企画を立てた。番組内でレオニーがマリアンヌを元軍人の、と言って散々弄っていたし半年以上レオニーの番組を聴いているリスナーならマリアンヌのアパートで火事があったことは皆知っている。その上で職務質問されがちなリスナーと警察官の距離を縮めるような企画を、と提案したらえらく受けが良かったのだ。
昔から木を隠すなら森の中という。我々の暮らしを支える公安三職つまり軍人、警察官、消防官に感謝を込めて彼らの詰所の休憩室にラジオを贈呈しようというのがヒルダの立てた企画だった。一度繋がりが出来ればその後どうなったのか等いくらでも好意的な第三者を装って接触することができる。
レオニーがマイクのスイッチを入れた。目の前には構成作家のマリアンヌが用意したベルと箱が二つ置いてある。どちらの箱にもリスナーからの葉書が入っており三通ずつ読んだらどちらの箱がよく出来たウソでどちらの箱が道端で寝ていた時に本当にあった話なのか当てねばならない。正解すればマリアンヌがベルを鳴らしフレスベルク電機提供のラジオが贈呈される。
「茶色の箱三通目!"一週間前、競馬場前の広場で目が覚めた時、一面に広がる割れた酒瓶の欠片に日の出の光が当たってキラキラと美しく輝いていたので感動して泣いてしまいました"って……一週間前のレースってあれか?とんでもない番狂せがあったやつ?」
レオニーの目の前に座っているマリアンヌが無言で頷いた。馬券は買わないがマリアンヌは馬が好きなので競馬にそこそこ興味を持っている。レオニーがいう通りレースが荒れたので乱闘があった。酒瓶を割る者がいてもおかしくはない。
「む、今ので分かったぞ!茶色の箱が本当にあった話の箱だな?乱闘があったのにすやすや寝てるのは大物の証拠じゃないぞ。耳鼻科に行って耳を診てもらえ」
マリアンヌが真顔でベルを鳴らした。これでヒルダはデアドラ西消防署にラジオを届けることができる。火災の捜査は警察ではなく消防が行う。マリアンヌが前に住んでいたアパートはデアドラ西消防署の管轄だ。番組はつつがなく終わりいつもとは違いダイナーから飲み物や食べ物を取り寄せた。
出前はしてくれない店なのだが目の前であること、早朝でまだ店が混んでいないことが功を奏しヒルダのおねだりが通っている。マリアンヌたちを前にしてレオニーが顔を顰めながらテフを啜っていた。壁の地図を凝視していたベレトがドーナツを一山食べ切ってしまったからではない。
「報道機関は捜査権はないが取材が出来る」
「報道されなかった小火騒ぎの話も聞きたいですね。火災防止週間のような理由があれば聞かせてもらえると思います」
「こんな話、どうやって私たちの手のひらにおさまるような大きさにするんだ……」
壁に貼ってあるデアドラ市の大きな地図は印だらけ物騒な書き込みがされた付箋紙だらけになっていた。
「柄じゃないのは分かってるってば〜!」
「だが対象がもっと広がったら厄介だ。学校で異端狩りのことは習っただろう?」
ヒルダは先端技術に関わる人々を狙う連続放火犯がいると予想している。単独犯なのか複数犯なのかは分からない。
「ええ、暴動を抑え死人の数を最小限にするためにも迅速に誰かを火炙りにせねばならなかったとか……」
火炙り、という単語を口にしたマリアンヌは腕をさすった。感じた寒気は体感温度とは関係ないのだがすかさずヒルダがマリアンヌに後ろから抱きつく。
「どうやって収束したのかは知っているか?」
「そもそも何であんなことが始まったのか私知らないわ」
マリアンヌの背中ごしの回答から察するにヒルダはとりあえずテストを凌げればいい派であったらしい。
「あの時代は疾病のせいで社会が崩れかけた。不安に駆られた人々が集団で起こしたヒステリー発作と言われているが収束した理由と同じくはっきりしない」
「収束したのは啓蒙思想の信奉者が裁判官の多数派になって無罪を言い渡すことが増えたからだという本を読みました」
面白そうな本なので題名を教えて欲しい、とせがんだベレトはヒルダとマリアンヌの間にするりとわ入り込んでいる。彼女たちが付き合っていると知った男性は負け惜しみを言うことが多いのだが彼は微塵もそういうところがない。レオニーの見たところ自分たちに近づくを男性を警戒しがちなヒルダが珍しくベレトそしてラファエルには心を許していた。二人とも邪心がない。
「同調圧力に逆らえる者が増えたからだ。俺はこの番組が同調圧力に抗う者が集う砦になると思う」
「荷が重い!こっちは言われるがままマイクの前で話すだけで精一杯なのに!」
「レオニー、砦を守るのは人だ。そして君たちを守るのが俺の仕事だ。俺もひとつ仮説を立てた。立証するのを手伝って欲しい」
ヒルダの推理もかなり尖った代物だがベレトの仮説は更に尖っていた。畳む
#完売本
#ヒルマリ
5.
ヒルダは放送局全体を巻き込むべくチャリティ企画を立てた。番組内でレオニーがマリアンヌを元軍人の、と言って散々弄っていたし半年以上レオニーの番組を聴いているリスナーならマリアンヌのアパートで火事があったことは皆知っている。その上で職務質問されがちなリスナーと警察官の距離を縮めるような企画を、と提案したらえらく受けが良かったのだ。
昔から木を隠すなら森の中という。我々の暮らしを支える公安三職つまり軍人、警察官、消防官に感謝を込めて彼らの詰所の休憩室にラジオを贈呈しようというのがヒルダの立てた企画だった。一度繋がりが出来ればその後どうなったのか等いくらでも好意的な第三者を装って接触することができる。
レオニーがマイクのスイッチを入れた。目の前には構成作家のマリアンヌが用意したベルと箱が二つ置いてある。どちらの箱にもリスナーからの葉書が入っており三通ずつ読んだらどちらの箱がよく出来たウソでどちらの箱が道端で寝ていた時に本当にあった話なのか当てねばならない。正解すればマリアンヌがベルを鳴らしフレスベルク電機提供のラジオが贈呈される。
「茶色の箱三通目!"一週間前、競馬場前の広場で目が覚めた時、一面に広がる割れた酒瓶の欠片に日の出の光が当たってキラキラと美しく輝いていたので感動して泣いてしまいました"って……一週間前のレースってあれか?とんでもない番狂せがあったやつ?」
レオニーの目の前に座っているマリアンヌが無言で頷いた。馬券は買わないがマリアンヌは馬が好きなので競馬にそこそこ興味を持っている。レオニーがいう通りレースが荒れたので乱闘があった。酒瓶を割る者がいてもおかしくはない。
「む、今ので分かったぞ!茶色の箱が本当にあった話の箱だな?乱闘があったのにすやすや寝てるのは大物の証拠じゃないぞ。耳鼻科に行って耳を診てもらえ」
マリアンヌが真顔でベルを鳴らした。これでヒルダはデアドラ西消防署にラジオを届けることができる。火災の捜査は警察ではなく消防が行う。マリアンヌが前に住んでいたアパートはデアドラ西消防署の管轄だ。番組はつつがなく終わりいつもとは違いダイナーから飲み物や食べ物を取り寄せた。
出前はしてくれない店なのだが目の前であること、早朝でまだ店が混んでいないことが功を奏しヒルダのおねだりが通っている。マリアンヌたちを前にしてレオニーが顔を顰めながらテフを啜っていた。壁の地図を凝視していたベレトがドーナツを一山食べ切ってしまったからではない。
「報道機関は捜査権はないが取材が出来る」
「報道されなかった小火騒ぎの話も聞きたいですね。火災防止週間のような理由があれば聞かせてもらえると思います」
「こんな話、どうやって私たちの手のひらにおさまるような大きさにするんだ……」
壁に貼ってあるデアドラ市の大きな地図は印だらけ物騒な書き込みがされた付箋紙だらけになっていた。
「柄じゃないのは分かってるってば〜!」
「だが対象がもっと広がったら厄介だ。学校で異端狩りのことは習っただろう?」
ヒルダは先端技術に関わる人々を狙う連続放火犯がいると予想している。単独犯なのか複数犯なのかは分からない。
「ええ、暴動を抑え死人の数を最小限にするためにも迅速に誰かを火炙りにせねばならなかったとか……」
火炙り、という単語を口にしたマリアンヌは腕をさすった。感じた寒気は体感温度とは関係ないのだがすかさずヒルダがマリアンヌに後ろから抱きつく。
「どうやって収束したのかは知っているか?」
「そもそも何であんなことが始まったのか私知らないわ」
マリアンヌの背中ごしの回答から察するにヒルダはとりあえずテストを凌げればいい派であったらしい。
「あの時代は疾病のせいで社会が崩れかけた。不安に駆られた人々が集団で起こしたヒステリー発作と言われているが収束した理由と同じくはっきりしない」
「収束したのは啓蒙思想の信奉者が裁判官の多数派になって無罪を言い渡すことが増えたからだという本を読みました」
面白そうな本なので題名を教えて欲しい、とせがんだベレトはヒルダとマリアンヌの間にするりとわ入り込んでいる。彼女たちが付き合っていると知った男性は負け惜しみを言うことが多いのだが彼は微塵もそういうところがない。レオニーの見たところ自分たちに近づくを男性を警戒しがちなヒルダが珍しくベレトそしてラファエルには心を許していた。二人とも邪心がない。
「同調圧力に逆らえる者が増えたからだ。俺はこの番組が同調圧力に抗う者が集う砦になると思う」
「荷が重い!こっちは言われるがままマイクの前で話すだけで精一杯なのに!」
「レオニー、砦を守るのは人だ。そして君たちを守るのが俺の仕事だ。俺もひとつ仮説を立てた。立証するのを手伝って欲しい」
ヒルダの推理もかなり尖った代物だがベレトの仮説は更に尖っていた。畳む
#ラジオ・デアドラ
#完売本
#ヒルマリ
6.
社員の名簿が入手できた順ではないかと言うのがヒルダの仮説だったがベレトはそれすらしていないのでは、と言う。
「確かに軍事機密と関わる企業の場合は名簿を手に入れるのも手間がかかるはずです」
「例えばマリアンヌが前に住んでいたアパートの件なんだが……隣室の住人は科学雑誌で会社の研究室について語っていた」
ベレトが雑誌を開いて机の上にそっと置いた。確かにマリアンヌの隣人が顔写真付きでインタビューに答えていた。ご近所付き合いというものをきちんとしていればマリアンヌが自力で気づいたのかもしれない。
「新聞や雑誌だけではなく放送で名前があがっていた被害者がいる可能性もある。放送局は最先端技術の塊だろう?」
飄々として燃え残った私物をレオニーの番組に提供していたがマリアンヌも恐ろしかったのだろう。後ろから胸の下に回されたヒルダの手にインクの染みだらけの手を重ねて握りしめている。
「それは簡単に調べられます……。あの、わ、私もですが皆さんもずっと放送で名前が出て……」
「マリアンヌちゃん、大丈夫。私が守ってあげるから」
マリアンヌはレオニー宛の悪意たっぷりな手紙は目立つ女性への嫌がらせに過ぎずヒルダが調べている一連の放火騒ぎとは無関係だと考えていた。表面には出さないがヒルダは激しく怒っている。マリアンヌと違いヒルダは怒れば怒るほど冷静になるのだ。
「俺の仮説が正しいかどうかは報道されなかった小火の件を取材する時に雑誌や新聞に載ったことがあるかどうか聞けば分かる」
「でもそのせいで変な噂が流れたら……」
「それって丁度いいじゃない」
ヒルダはマリアンヌの言葉を遮った。どういうことかと訝しむマリアンヌそれにどういうことかと困惑するレオニーと違いベレトは意図を察したらしい。
「ヒルダの言う通りだ。取材を受ければ放火されるという噂が流れれば犯人たちの手の内がばれたも同然だ。どこから漏れたのか疑心暗鬼に駆られてくれたらいい、と俺は思っている」
「完全に証明できても警察や消防には教えないのか?こんな危ない連中さっさと逮捕して欲しいのに」
レオニーはほとんど警察と縁がなかったので映画などで培った美しい誤解をしている。
「あのね、民間人の推理ってことで警察に情報提供すると……」
「むしろ警察はその可能性を完全に排除してから捜査を始めます。警察は捜査権がない民間人の推理をあてにしてはならないのです」
苦虫を噛み潰したようなヒルダとマリアンヌを見てレオニーもそれが現状だと察したらしい。苦労が報われないことは世の常だがそれでも明快さを求めるのがヒトという生き物だ。
「だがもしかしたら……あれ、中々出てこないな」
ベレトは胸元から革製の免許証入れを取り出した。本来なら免許証しか入れない物にぎっしりと小さなカードを詰めているのか取り出すのに四苦八苦している。
「ああもう……!貸してくれ!」
レオニーはベレトから免許証入れを受け取り両端に力を入れてたわませると一枚ずつ小さなカードを取り出していった。よくわからない店の会員証に混ざって銃火器携帯許可証や小型船舶の運転免許証、黒魔法使用許可証や四輪や二輪の免許証などが机の上に広げられていく。
「お!マリアンヌやヒルダは見たことあるかもしれないけど私はこれ初めて見た!」
厄災の箱の中に最後に残っていた希望のように免許証入れから最後に取り出されたのは探偵業免許証だった。警察学校に開設されている探偵用のコースに通って単位を取得し二年間助手として実務に就かなければ取得できない。ヒルダもマリアンヌも目を丸くして見ている。
「これが物を言うかもしれない。多少は警察も聞く耳を持つ。それに科学捜査を得意とする探偵、と言うことで番組から取材してもらえれば……」
「囮になるって言うのか?そんな危ないことをするほど給料が高いと思えない」
レオニーは深夜帯のパーソナリティなのでデパートに勤めていた頃とあまり収入に差がない。ヒルダやマリアンヌも高給取りではないが今の二人は家賃を払う必要がない。そして拘束時間が長いので無駄遣いをする暇がなかった。
「いや、日給が発生するから収入的には安定してくれたくらいなんだ」
ベレトは再び革製の免許証入れに一枚ずつ様々な免許をしまい始めた。今度は一番目立つところに探偵業免許証を入れている。
「結構世知辛いもんなんだな……」
レオニーの呟きに重ねるようにしてデアドラ中央教会の朝を告げる鐘の音が鳴り響いた。何世紀経とうと荘厳な音は変わらない。防音室になっているスタジオやラジオがかかっているダイナーではあまり聞こえてこないが自然な音は体に直接呼びかけてくるような気がする。
「もう船も市電も始発が出た頃だな。今朝はもう帰りなさい。後片付けは俺がしておくから」
マリアンヌはこう言う時にその気もないのに食い下がってしまいがちなのだがその朝は何故かレオニーやヒルダのように自然にベレトの厚意に甘えることができた。畳む
#完売本
#ヒルマリ
6.
社員の名簿が入手できた順ではないかと言うのがヒルダの仮説だったがベレトはそれすらしていないのでは、と言う。
「確かに軍事機密と関わる企業の場合は名簿を手に入れるのも手間がかかるはずです」
「例えばマリアンヌが前に住んでいたアパートの件なんだが……隣室の住人は科学雑誌で会社の研究室について語っていた」
ベレトが雑誌を開いて机の上にそっと置いた。確かにマリアンヌの隣人が顔写真付きでインタビューに答えていた。ご近所付き合いというものをきちんとしていればマリアンヌが自力で気づいたのかもしれない。
「新聞や雑誌だけではなく放送で名前があがっていた被害者がいる可能性もある。放送局は最先端技術の塊だろう?」
飄々として燃え残った私物をレオニーの番組に提供していたがマリアンヌも恐ろしかったのだろう。後ろから胸の下に回されたヒルダの手にインクの染みだらけの手を重ねて握りしめている。
「それは簡単に調べられます……。あの、わ、私もですが皆さんもずっと放送で名前が出て……」
「マリアンヌちゃん、大丈夫。私が守ってあげるから」
マリアンヌはレオニー宛の悪意たっぷりな手紙は目立つ女性への嫌がらせに過ぎずヒルダが調べている一連の放火騒ぎとは無関係だと考えていた。表面には出さないがヒルダは激しく怒っている。マリアンヌと違いヒルダは怒れば怒るほど冷静になるのだ。
「俺の仮説が正しいかどうかは報道されなかった小火の件を取材する時に雑誌や新聞に載ったことがあるかどうか聞けば分かる」
「でもそのせいで変な噂が流れたら……」
「それって丁度いいじゃない」
ヒルダはマリアンヌの言葉を遮った。どういうことかと訝しむマリアンヌそれにどういうことかと困惑するレオニーと違いベレトは意図を察したらしい。
「ヒルダの言う通りだ。取材を受ければ放火されるという噂が流れれば犯人たちの手の内がばれたも同然だ。どこから漏れたのか疑心暗鬼に駆られてくれたらいい、と俺は思っている」
「完全に証明できても警察や消防には教えないのか?こんな危ない連中さっさと逮捕して欲しいのに」
レオニーはほとんど警察と縁がなかったので映画などで培った美しい誤解をしている。
「あのね、民間人の推理ってことで警察に情報提供すると……」
「むしろ警察はその可能性を完全に排除してから捜査を始めます。警察は捜査権がない民間人の推理をあてにしてはならないのです」
苦虫を噛み潰したようなヒルダとマリアンヌを見てレオニーもそれが現状だと察したらしい。苦労が報われないことは世の常だがそれでも明快さを求めるのがヒトという生き物だ。
「だがもしかしたら……あれ、中々出てこないな」
ベレトは胸元から革製の免許証入れを取り出した。本来なら免許証しか入れない物にぎっしりと小さなカードを詰めているのか取り出すのに四苦八苦している。
「ああもう……!貸してくれ!」
レオニーはベレトから免許証入れを受け取り両端に力を入れてたわませると一枚ずつ小さなカードを取り出していった。よくわからない店の会員証に混ざって銃火器携帯許可証や小型船舶の運転免許証、黒魔法使用許可証や四輪や二輪の免許証などが机の上に広げられていく。
「お!マリアンヌやヒルダは見たことあるかもしれないけど私はこれ初めて見た!」
厄災の箱の中に最後に残っていた希望のように免許証入れから最後に取り出されたのは探偵業免許証だった。警察学校に開設されている探偵用のコースに通って単位を取得し二年間助手として実務に就かなければ取得できない。ヒルダもマリアンヌも目を丸くして見ている。
「これが物を言うかもしれない。多少は警察も聞く耳を持つ。それに科学捜査を得意とする探偵、と言うことで番組から取材してもらえれば……」
「囮になるって言うのか?そんな危ないことをするほど給料が高いと思えない」
レオニーは深夜帯のパーソナリティなのでデパートに勤めていた頃とあまり収入に差がない。ヒルダやマリアンヌも高給取りではないが今の二人は家賃を払う必要がない。そして拘束時間が長いので無駄遣いをする暇がなかった。
「いや、日給が発生するから収入的には安定してくれたくらいなんだ」
ベレトは再び革製の免許証入れに一枚ずつ様々な免許をしまい始めた。今度は一番目立つところに探偵業免許証を入れている。
「結構世知辛いもんなんだな……」
レオニーの呟きに重ねるようにしてデアドラ中央教会の朝を告げる鐘の音が鳴り響いた。何世紀経とうと荘厳な音は変わらない。防音室になっているスタジオやラジオがかかっているダイナーではあまり聞こえてこないが自然な音は体に直接呼びかけてくるような気がする。
「もう船も市電も始発が出た頃だな。今朝はもう帰りなさい。後片付けは俺がしておくから」
マリアンヌはこう言う時にその気もないのに食い下がってしまいがちなのだがその朝は何故かレオニーやヒルダのように自然にベレトの厚意に甘えることができた。畳む
#ラジオ・デアドラ
#完売本
#ヒルマリ
7.
まともな仕事についていないリスナーばかりの番組で扱うには壮大すぎるというレオニーの意見をマリアンヌはきちんと受け止めてくれた。ヒルダの人を見る目は素晴らしい。
「深夜放送と言えば怖い話だ!今日も引き続き調べたら怖かった話について話そう。図書館に置いてあるもの、例えば本や新聞の縮刷判や雑誌のバックナンバーで確かめられるもの限定だぞ」
マリアンヌの人を見る目も素晴らしい、となるようにレオニーも精一杯話さねばならない。絶対に手のひらに収まるようにしてみせる、と言う宣言通り手のひらに収まるような企画になっている。人間はどう科学技術と付き合っていくべきか、危険な秘密結社にどう対抗するかという雲を掴むような話にすると殆どの者が語るべき言葉を持たない。
「火力発電所と駐輪場のたとえを知っていますか?」
「その言いぶりだとなんだか聖典みたいだな」
台本の趣旨を説明するのに必要なのかマリアンヌはレオニーが聞いたことのない例えを口にした。町内に火力発電所を作るから何か聞きたいことがあれば遠慮なく、と言われても想像がつかないが駐輪場なら屋根付きなのか何台収容なのかなど皆細かく具体的なことを質問できる。火力発電所について質問したかったら火力発電所について具体的なことを知らねばならない。
小さな話から始めて具体的にヒルダやベレトが何をしたのかリスナーにも想像がつくようになったら何を突き止めたのかを番組でも取り上げていく。
「この企画が始まるまで他の番組やアナウンサーあてにもあのおかしな魔法陣が描かれた手紙は継続して届いていた」
ガラス越しにスタジオを眺めながらベレトはそう言った。マイクを挟んでレオニーとマリアンヌが座っている。レオニーが口籠もり目の前のマリアンヌがさらさらとノートに何かを書き付けていた。ペンを握る手はインクのしみだらけで昨日ヒルダが塗ってやったマニキュアは既にところどころ剥げている。
「あ、マリアンヌちゃんがきちんと対処したから!」
ヒルダは目を丸くした。専門知識のあるマリアンヌがきちんと被害を報告し事態を深刻に捉えた上層部がラファエルとベレトを雇ったせいで犯人たちの目論見は失敗している。何としても成果を得たいと考え継続していたのだろう。ベレトは自分の顔の前でVサインを作った。お前のことを見ているぞ、と挑発するジェスチャーだ。
「そしてこれ、をされただけで相手は動きを止めた」
ヒルダもマリアンヌも薄々気付いているがとにかく被害は広範囲にわたり個人や同好の士によるささやかな集団の規模を超えている。軍、消防、警察のような組織が新たに作られつつあるのだ。
「ひと睨みでひいてくれてよかった」
「今のところ刑法に違反してるからな」
ベレトとマリアンヌが盛り上がっていたのでヒルダも異端者狩りについて本を読んでみた。当時のフォドラは病禍に苦しみ不安に覆われていた。何とかしたいという切なる思いがさらなる暗黒を呼び寄せていく。ヒルダたちが生きる現代も貧困問題や環境問題などさまざまな問題を抱えている。だがそれらを解決するために小火騒ぎや火事を起こして回るという手段には全く賛成できない。
ガラスの向こうではレオニーが葉書を読み上げマリアンヌが笑っている。ヒルダはマイクに拾われないように静かに笑う彼女が好きだ。このままではアガルタの民のように女神に滅ぼされてしまう、と焦る人々は最新技術で救われる人の顔を見ようとしない。ヒルダはそこに憤慨している。
ラジオという全く新しいメディアがなければマリアンヌは軍をやめた後まだ孤独にダイナーで働き続けていただろう。だがヒルダが関わっていた番組に宛てて彼女は葉書を出した。放送は今のところ唯一生中継が可能なメディアだが当時の番組を介したマリアンヌとヒルダのやりとりは古式ゆかしき文通に等しい。ヒルダは顔も知らないうちに彼女の独特な観察眼やわかりやすい文章に惚れ込んでいた。今回発揮された調査に関する技術力はマリアンヌを探すときに培ったのだろう。
「先端技術を禁止する法律を作られたらどうしようかな」
答えが返ってくることを期待せずヒルダは呟いた。新聞の一面は近頃宗教警察のことばかり伝えてくる。賛否はかろうじて否の方が多いが今後は分からない。不規則で享楽的で周囲からの理解を諦めた暮らしを送る番組のリスナーたちはもちろん嫌がっている。
「何度でもそれはおかしいと言い続けるんだ。愛おしいと思うものがあるなら尚のこと言い続けるしかない」
ベレトは声荒げず静かに、しかし聞き取りやすく話す。そして基本無表情なのだが珍しく柔らかい笑顔を浮かべながらヒルダの問いに答えた。意外性が全くない、とレオニーに指摘されたこともある通り学生時代のヒルダは勉強があまり好きではなかった。しかしベレトのような教師と出会っていたら少しは真面目に勉強したかもしれない。畳む
#完売本
#ヒルマリ
7.
まともな仕事についていないリスナーばかりの番組で扱うには壮大すぎるというレオニーの意見をマリアンヌはきちんと受け止めてくれた。ヒルダの人を見る目は素晴らしい。
「深夜放送と言えば怖い話だ!今日も引き続き調べたら怖かった話について話そう。図書館に置いてあるもの、例えば本や新聞の縮刷判や雑誌のバックナンバーで確かめられるもの限定だぞ」
マリアンヌの人を見る目も素晴らしい、となるようにレオニーも精一杯話さねばならない。絶対に手のひらに収まるようにしてみせる、と言う宣言通り手のひらに収まるような企画になっている。人間はどう科学技術と付き合っていくべきか、危険な秘密結社にどう対抗するかという雲を掴むような話にすると殆どの者が語るべき言葉を持たない。
「火力発電所と駐輪場のたとえを知っていますか?」
「その言いぶりだとなんだか聖典みたいだな」
台本の趣旨を説明するのに必要なのかマリアンヌはレオニーが聞いたことのない例えを口にした。町内に火力発電所を作るから何か聞きたいことがあれば遠慮なく、と言われても想像がつかないが駐輪場なら屋根付きなのか何台収容なのかなど皆細かく具体的なことを質問できる。火力発電所について質問したかったら火力発電所について具体的なことを知らねばならない。
小さな話から始めて具体的にヒルダやベレトが何をしたのかリスナーにも想像がつくようになったら何を突き止めたのかを番組でも取り上げていく。
「この企画が始まるまで他の番組やアナウンサーあてにもあのおかしな魔法陣が描かれた手紙は継続して届いていた」
ガラス越しにスタジオを眺めながらベレトはそう言った。マイクを挟んでレオニーとマリアンヌが座っている。レオニーが口籠もり目の前のマリアンヌがさらさらとノートに何かを書き付けていた。ペンを握る手はインクのしみだらけで昨日ヒルダが塗ってやったマニキュアは既にところどころ剥げている。
「あ、マリアンヌちゃんがきちんと対処したから!」
ヒルダは目を丸くした。専門知識のあるマリアンヌがきちんと被害を報告し事態を深刻に捉えた上層部がラファエルとベレトを雇ったせいで犯人たちの目論見は失敗している。何としても成果を得たいと考え継続していたのだろう。ベレトは自分の顔の前でVサインを作った。お前のことを見ているぞ、と挑発するジェスチャーだ。
「そしてこれ、をされただけで相手は動きを止めた」
ヒルダもマリアンヌも薄々気付いているがとにかく被害は広範囲にわたり個人や同好の士によるささやかな集団の規模を超えている。軍、消防、警察のような組織が新たに作られつつあるのだ。
「ひと睨みでひいてくれてよかった」
「今のところ刑法に違反してるからな」
ベレトとマリアンヌが盛り上がっていたのでヒルダも異端者狩りについて本を読んでみた。当時のフォドラは病禍に苦しみ不安に覆われていた。何とかしたいという切なる思いがさらなる暗黒を呼び寄せていく。ヒルダたちが生きる現代も貧困問題や環境問題などさまざまな問題を抱えている。だがそれらを解決するために小火騒ぎや火事を起こして回るという手段には全く賛成できない。
ガラスの向こうではレオニーが葉書を読み上げマリアンヌが笑っている。ヒルダはマイクに拾われないように静かに笑う彼女が好きだ。このままではアガルタの民のように女神に滅ぼされてしまう、と焦る人々は最新技術で救われる人の顔を見ようとしない。ヒルダはそこに憤慨している。
ラジオという全く新しいメディアがなければマリアンヌは軍をやめた後まだ孤独にダイナーで働き続けていただろう。だがヒルダが関わっていた番組に宛てて彼女は葉書を出した。放送は今のところ唯一生中継が可能なメディアだが当時の番組を介したマリアンヌとヒルダのやりとりは古式ゆかしき文通に等しい。ヒルダは顔も知らないうちに彼女の独特な観察眼やわかりやすい文章に惚れ込んでいた。今回発揮された調査に関する技術力はマリアンヌを探すときに培ったのだろう。
「先端技術を禁止する法律を作られたらどうしようかな」
答えが返ってくることを期待せずヒルダは呟いた。新聞の一面は近頃宗教警察のことばかり伝えてくる。賛否はかろうじて否の方が多いが今後は分からない。不規則で享楽的で周囲からの理解を諦めた暮らしを送る番組のリスナーたちはもちろん嫌がっている。
「何度でもそれはおかしいと言い続けるんだ。愛おしいと思うものがあるなら尚のこと言い続けるしかない」
ベレトは声荒げず静かに、しかし聞き取りやすく話す。そして基本無表情なのだが珍しく柔らかい笑顔を浮かべながらヒルダの問いに答えた。意外性が全くない、とレオニーに指摘されたこともある通り学生時代のヒルダは勉強があまり好きではなかった。しかしベレトのような教師と出会っていたら少しは真面目に勉強したかもしれない。畳む
#完売本
#ヒルマリ
1.
一九二五年
フォドラにおける無線通信の歴史はデアドラ港から始まっている。パルミラの電気技術者による無線音声送受信実験成功を受けてデアドラ港と船舶が連絡を取るための船舶無線が導入された。安全情報などの業務用でこの時点ではまだ電波を利用した航行用レーダーは開発されていない。音質が悪かったので通話には使えず船舶無線用の信号、次に電報のコードが決められ電報局が開局しフォドラの人々は新たな双方向通信手段を手に入れた。
数年後、首都であるガルグ=マク新市街に放送塔が建てられ試験放送が開始されると各地で開局申請が出された。しかしガルグ=マクの逓信省が許可を出したのは首都のガルグ=マク、アンヴァル、フェルディア、デアドラの四局だけだった。
ラジオデアドラは他局と違い日曜夜以外は二十四時間放送をし続けている。深夜帯のラジオパーソナリティとして雇用されたレオニーは元々は百貨店のエレベーターガールとして働いていたのだが買い物に訪れたラジオ局の構成作家が彼女の声の美しさと客の話し声に埋没しないその通りの良さに目を、いや耳を付けてスカウトしたのだった。
深夜帯一時から五時のうち三時から五時が彼女の担当で番組を終える時はおはようございます、という。早寝早起き派だったレオニーの生活は一変してしまった。
百貨店のエレベーターガールは街の小さな女の子なら誰もが憧れる花形職業だ。それだけで済んだらまだレオニーは動きやすく華やかな黄色と黒のチェック柄のジャケットに黒のスカートに身を包みエレベーターガールを続けていただろう。そんな素敵な制服に身を包みにこやかに客と接する姿が誘蛾灯の様におかしな男性を惹きつけることがある。
それは休日にレオニーが客として職場に買い物に来たときのことだった。あの時あのエレベーターにマリアンヌが乗っていなかったらレオニーは今でも百貨店で働いていたかもしれない。縁や運は本当に不思議なものだ。
その日、レオニーとマリアンヌが乗り合わせたエレベーターの中でレオニーは同僚が男性客から触られていることに気づいた。前からたちの悪い客がいるという話がエレベーターガール達の間で共有されていた。
モスグリーンのスカートが捲れ上がりストッキング用のガーターベルト着けた太ももが露わになることもストッキングが傷むこともいとわずレオニーは不埒な振る舞いに及んだ男性客の腰に膝蹴りをくらわせ怯んだところで腕を捻じ上げて確保した。体が咄嗟に動いたのだという。レオニーは自分が男を確保している隙に早く非常ボタンを押す様に言ったのだが恐怖で竦んでいる同僚は手が震えて何も出来ずその場にいたマリアンヌが隙間から腕を伸ばして非常ボタンを押した。通信回線が開き何事か問う声に対して痴漢が出た、エレベーター内で既に確保したから警備員を呼んで欲しい、とレオニーが報告した。
「今日はもう仕事って気分じゃないだろうから許可が出たら私が代わってやるよ」
警察での手続きの都合上結局代わりに入ることは出来なかったようですが被害にあわれた方にそう提案したレオニーさんには後光がさして見えました、とマリアンヌは警察で証言している。
緊急停止したエレベーターの前には買い物客に犯人を見せない為か被害者が誰なのかを隠す為か警備員によって従業員用の出入り口まで衝立が並べられていた。人目につかぬよう搬入口に警察車両も到着していたがそれが地味な紺色だったのはどうやら百貨店側が配慮をと警察に頼んだかららしい。
警察の事情聴取まで受けたマリアンヌは警察署前にある二十四時間営業のダイナーでレオニーに温かいココアを奢ってもらっていた。そこそこ消耗していたのでありがたくいただく。マリアンヌにとって久しぶりのココアだった。朝の情報番組担当のリシテアが死にたくなった時には大体脳に甘味が足りていないからまずココアを飲め、としつこく言っていたせいで一時期店頭からココアは姿を消していたが再び街中で見かけるようになった。リシテアは迂闊に自分の好きなものを番組内で挙げるせいで好物をなかなか食べられなくなる飲めなくなると言うことを繰り返している。
「マリアンヌだっけ?さっきはありがとな!」
ハキハキと喋るレオニーはエレベーターガールという機械的なイメージのある職についているせいか私服も女性の曲線美を目立たせる保守的ものではなく直線的なシルエットをつくるツーピースの体が動かしやすそうな服を身に付けていた。
「警察は第三者の証言があると動きやすいそうです」
「慣れてるんで驚いた!私なんか時間がかかりすぎてびっくりしたのに。予定とか合ったんじゃないか?大丈夫?」
レオニーは改めて物好きにも警察で証言してくれたマリアンヌを見つめた。流行りの釣鐘型をした帽子に収まっている水色の髪は短くしているようにも見えたがどうやら編み上げているらしい。書き物をする仕事なのか所作に問題があるのかその両方なのか短めにまくった上着から見えたブラウスの袖にインクの染みがついていた。
「私はラジオデアドラの構成作家で取材の手伝いもします。警察の方からお話を伺ったこともあります。だから慣れていると言ってもいい、のかもしれません」
遅れましたがと言ってマリアンヌが差し出した名刺には確かにラジオデアドラの物で表面に名前と部署とラジオ局の住所、裏には彼女が担当する番組名と放送時間が書いてある。レオニーが聞いたことのない深夜から早朝にかけて放送される番組ばかりだった。
「うちには受信機がないから職場の社員食堂で聞いてる。昼のドラマにみんな夢中だよ!作家ってことはあれの脚本書いたりしてるのか?」
マリアンヌは構成作家なので台本は書くが脚本は書かない。口で説明するのは面倒なのでこの誤解についてはいつも言葉を濁してしまう。書き言葉ならばどんな面倒なことでもすらすらと説明が出来るのに話すとなると途端に口が動かなくなる。
「部署が違うので…」
「そっか。警察沙汰をきっかけにして営業をかけるのも変な話だけどさ、良かったらまた買い物に来てくれよな!私はエレベーターに乗りっぱなしだから値引きはできないけどさ」
「買い物もですがラジオデアドラの社員として百貨店に取材に伺うこともあるかもしれません。その時にもよろしくお願いします」
「分かった。上司にもそれとなく話しておくさ。とりあえず疲れたから今日は素直に帰るよ」
そう言うとレオニーは残りのココアを飲み干し伝票を手に取った。彼女がきびきびと動くので幅広の帽子についた大ぶりな羽飾りが楽しげに揺れる。躍動感と自信に満ち溢れる都会の働く女性そのものだった。
レオニーが去った後マリアンヌはココアのおかわりを頼み鞄から手帳を取り出した。忘れないうちに警察で逆に何を聞き出せたのか必死で書き留める。レオニーの溌剌さはこれで伝わるだろう。そう思ってメモを満足気に読み返していたマリアンヌだったがこの時、彼女はレオニーの個人的な連絡先を聞き忘れていた。その為思ったより早くラジオデアドラの社員として百貨店へ訪れることになる。
レオニーがガラス越しに出されたディレクターであるヒルダの合図に合わせてマイクロホンのスイッチを切った。目の前には構成作家のマリアンヌが座っていて清々しい日の出の光が放送を終えたばかりのレオニーたちを照らす。
「今日もなんてひどい台本なんだ!」
「ええ〜そうかなあ〜?マリアンヌちゃんの台本すっごく良かったと思うけど!」
「なんなんだよこの焦げた私物プレゼントって!」
「レオニーさんなら絶対に面白く出来ると思いまして」
先週新市街にあるマリアンヌの住むアパートが火事で半焼した。半分残っている、とだけ聞くと暮らせそうな気もするが実際の現場は酷いものでとても生活など出来ない。幸いなことにその時、彼女は不在で焼けずに残った物もあった。余談だがその話を聞いたラジオデアドラの関係者たちは皆、一瞬はマリアンヌの不注意を疑ったという。彼女は顔見知りからいきなり静謐の美を称えられるほど美しい女性なのだが構成作家として書く台本はレオニーに言わせればネジが飛んだ物ばかりだ。レオニーとマリアンヌの間にある机には番組で使った焦げた帽子それに焦げた辞書や焦げた詩集が数冊積み上げられている。
「使い物にならない上に番組パーソナリティの私物ですらないと言う事実とレオニーさんの真っ当さが正面からぶつかった時に笑いが生まれる、と思いまして」
「私マリアンヌちゃんの嫌なことがあってもタダで起きないところ大好き〜!」
「ありがとうございます。私も親切なヒルダさんがとても……好きです」
今はディレクターのヒルダが焼け出されたマリアンヌを「うちは部屋が余ってるから」という理由で自宅に住まわせてやっている。今日マリアンヌが着ている洋服も彼女の借り物だ。きっと一人暮らしをしていた数日前よりまともな生活を送っている筈だ。ヒルダはマリアンヌと違って化粧品を腐らせない。
「レオニーちゃんも一緒に朝ご飯食べよ!」
レオニーはこの二人に言い返してやろう、と番組放送中はいつも思っているのだが終わる頃には疲れと空腹で言い返す気力が残っていない。三人がやって来たラジオ局の目の前にあるダイナーは関係者御用達で二十四時間営業をしている。当然、この店の店内放送はラジオデアドラだ。早朝のニュース番組でアナウンサーが読み上げるニュースを聞きながら番組スタッフ達と朝食をとっているとまた火事が起きたようだった。火事のニュースを耳にしたマリアンヌが焼けたアパートのことを思い出して伏し目がちになる。
「なんか最近火事が多くない?取材に行ったら怒られるかなあ?」
目玉焼きの黄身を潰しながら何か思い付いたらしいヒルダがメモをし始めた。レオニーが担当している二時間はこんな時間はどうせ誰も聞いていない、と言う理由でやりたい放題の枠だ。こんな時間帯でも聞いているのは荷揚げや荷下ろしの為に待機しているデアドラ港の沖仲仕達が多く彼らに向けてボートレースや競馬中継の予告が入る。しかし朝五時を過ぎて嘘のように内容が真面目になった。今は解説員が最近の天候不順について語っている。
「焼け出された直後は忙しいので…」
マリアンヌがスクランブルエッグをケチャップとかき混ぜながら応じた。この口ぶりだと先方の都合がつきそうな頃に取材に行っても不思議ではない。相手を怒らせても泣かせても放送ではレオニーならなんとかしてくれるだろうと思っているので2人ともやりたい放題だ。
「そっかあ、それもそうだよね!あ、レオニーちゃんにまた手紙が来てるよ。食べ終わったら読んであげて」
ヒルダから渡される手紙の束はいつも開封済みだ。あんな時間に聞いていてわざわざレオニー宛の手紙を出すような聴取者は基本、好意があって好かれようとして手紙を出すが中にはきっと見るに耐えないようなものもあるだろう。しかし ヒルダはそういった類の手紙がレオニーの目に触れないようにしてくれている。
「あんた達がパーソナリティに見せられなかった手紙特集を出来ないんだからきっとすごいのをみてるんだろうな」
レオニーは塩で味付けしてある豆の煮物をトーストに乗せふたつ折りにして頬張った。朝食についての葉書やお便りを募集した際に書いてあった食べ方で試してみたら美味しかったのでよく真似している。豆が溢れないように器用に食べるとレオニーは手についたパン屑を払って手紙の束を手に取った。
「さあ、路面電車も動き始めたしレオニーちゃんは帰って一眠りして!」
「ヒルダ達は水上バスの始発待ちか。歴史地区は素敵だけど住むには少し不便だな」
ヒルダの自宅がある一帯は十五年前に歴史地区に指定されてから手押しの台車と乳母車と車椅子以外の車輪は使用が禁止されている。移動には足と船しか使えない。デアドラの新市街にあるマリーナに自家用船を係留するには莫大な費用がかかり空きがなかなか出ない為どうしても水上バスと水上タクシーを利用する様になる。
ヒルダはレスター地方屈指の名家であるゴネリル家の娘だ。ゴネリル家のルーツはパルミラの首飾り建設時までは確実に遡ることが可能でそれ以前になるとお伽話や神話の領域になる。ヒルダ言うところの由緒正しいご先祖サマ、がまだデアドラがレスター諸侯同盟の首都だった頃に建てた上屋敷は現在の新市街にあったのでまだその上屋敷を所有していればヒルダもレオニーの様に路面電車で帰宅できただろう。しかし彼女の曽祖父がその上屋敷をデアドラ市に売却し改めて網の様に水路が張り巡らされている旧市街へ家を建て直した。船着場がある立派な屋敷で ヒルダの曽祖父は毎朝、自宅からボートで釣りに出てその日に食べる魚を釣っていたらしい。ヒルダは釣りに興味がないが同居している父や兄は釣りが好きなので活用している。
「それじゃ遠慮なくお先に失礼するよ、二人ともおやすみ!」
レオニーが去るとヒルダはハンドバッグから彼女に渡さなかった開封済みの封筒を取り出した。マリアンヌに中身を確認させる。
「分かりにくいですがファイアーの術式です。レオニーさんに魔法適性があった場合、読み上げさせたらスタジオが火事になります」
マリアンヌは意外性の宝庫だ。口下手なのに文章を書かせれば誰よりも奇抜なものを書くし引っ込み思案で人付き合いが苦手なのに全寮制の士官学校で理学魔法の訓練を受けていたのでメイジとプリースト双方の資格を持っている。寮でのあだ名はその無口さからサイレスだったらしい。
「あーあ、女だけで番組を作ってるからかしら?また警察に行かないと。その前に上に相談か」
「そうですね、誰かに読み上げられる前に加筆して術式を無効にしますから証言してください」
マリアンヌが万年筆で悪意の塊の様な便箋に記号や文字列を書き込むとそれらは一瞬だけ青く光って輝きを失っていく。もしかしたら彼女のアパートの住人にもこんな手紙が来て知らずに読み上げた結果、火事になったのかもしれない。ヒルダもマリアンヌと同じことを考えたのか無言で頷いた。
ヒルダとマリアンヌから報告を受けた上司が悪意のある攻撃をされたと判断し局の法務部にこの案件は委ねられた。ラジオデアドラは警備体制の強化が必要と判断し警備員を新たに二名雇い入れた。大柄な金髪で玄関に立っているだけで抑止力になるであろうラファエルと魔法を使った嫌がらせに対処出来るベレトだ。
ラファエルは休憩中、筋肉をいじめると称して背中に誰かを座らせながら腕立て伏せをしている姿が評判を呼び、たまにギャラなしで番組に出演させられている。もう一人のベレトは誰かの過去を思い起こさせる静かさなので番組でパーソナリティがたまに話題に出すものの出演したことはない。ただ、マリアンヌとは通じ合うものがあったのかすぐに打ち解けた為その姿を見た局内の男性陣は衝撃を受けた。今日もまた二人で立ち話をしている。
「ヒルダさん、一瞬だけ便箋に環が見えたんだそうです」
「魔法適性検査は」
「本家筋の方々は十傑の遺産絡みで受けていると聞いたことはありますがヒルダさん本人はどうなのか分かりません」
「今時はそんなものか……。自分のものと捉えないと皆ますます魔法とは縁遠くなるな」
ファイアーの術式が仕込んである新たな手紙をマリアンヌに見せられた際ベレトは線をたった1本書き足すだけで無効にした。マリアンヌはガルグ=マクの士官学校で正式な訓練を受けた身なので目の前のベレトの腕が本物であることがそれだけで分かる。彼なら警察や軍の魔法部門で上級職にだってつける筈だが地方で警備員をやっていると言うことはきっと訳ありなのだろう。
「でも私がプリーストの資格を持っていると知ると皆さんレストやライブをかけてもらいたがるんです。訳のわからない医薬品より自然で良い、と」
ふふ、と静かに笑うマリアンヌが内心で何を考えているのかベレトには手に取るようにわかる。レストやライブの術式だって訳がわからない癖に、と思っているのだ。今のマリアンヌはそこで笑えるから構成作家が出来る。ベレトが最初に出会ったマリアンヌなら無理だった筈だ。改めて良い時代になったと思う。豊かさで紋章も魔法も存在意義を薄められ最初のマリアンヌが背負っていた重荷は今やないに等しい。
「人間は身勝手なものだ。だがそれも今や飯の種だね?今後は番組宛の手紙の開封は警備部がするべきだ。それと局員全ての魔法適性検査が必要だ」
「このおかしな嫌がらせがデアドラで横行しているなら皆自分の状態を知るべきですね、確かに」
ベレトはマリアンヌの言葉を首肯しながら大欠伸をした。もう交代要員も来たので帰る前に男性用仮眠室で寝るのだという。ラジオデアドラの男性用仮眠室はいつシーツを交換したのか誰も知らない為殆どの局員はここで寝るなら廊下の床に、という代物だ。一体どんな生き方をしてきたのだろう。マリアンヌだって紆余曲折あったがベレトのそれはなんだか途方もない様な気がした。
一方その頃ヒルダは損害保険代理店で一連の火事に火災保険の詐欺の可能性があるかどうか意見を聞き終え市立図書館で新聞の縮刷版を読んでいた。不審な火事が起きたのはどこの誰の家なのかを調べている。まるで科学から魔法に立ち返れと言わんばかりに先端技術に関わる人の家ばかりが火事を起こしていた。放送局が狙われてもおかしくない。それに確かマリアンヌの隣人はレスター光学の研究所勤務だった。
続けてヒルダは警察白書にも手を伸ばした。犯罪被害者の分析が載っている筈だ。だが警察白書には年齢・性別・年収・居住地別の被害者分析は載っていても職業での分析はなかった。では加害者はどうだろうか。単独犯なのか組織なのか。脅迫の為に放火するのは犯罪組織の手口だと書いてあるが技術者を脅迫する犯罪組織とは一体どんな組織なのだろう。ヒルダには見当がつかなかった。一人で考え込んでいてもこれ以上いい考えは浮かびそうにない。今日のところはこれで時間切れのようだった。
ラジオ局に戻るとちょうど休憩室で放送終了後のリシテアが一人でココアを飲んでいた。ヒルダも自動販売機でソーダを買って向かいに座る。
「マリアンヌなら打ち合わせで会議室に行きましたよ」
「あーいいのいいの。リシテアちゃんにも考えてもらいたいんだけどこれ見てくれる?」
ヒルダのメモを見たリシテアが口に手を当ててうーん、と唸りながら考え込んでいる。年上のヒルダに頼られたからには気の利いたことを言いたいと思っていた。
「えっこれはマリアンヌのアパートも関係あるんですか……」
「それにレオニーちゃん宛にも変な手紙が来たの。おかしいって気がついてマリアンヌちゃんが無効にしてくれた」
「レオニーにもですか……私にも来るかもしれませんね。その変な手紙」
リシテアはカップの底に残っていたココアを飲み干すと彼女なりの答えを出した。
「宗教関係とか?」
「えーっ!うちの局、司祭様の人生相談番組もあるのに?」
デアドラのセイロス教会聖職者は番組を持っているだけでなく大規模な記念礼拝を行うときはラジオデアドラに広告も出すしラジオで説法もする。ラジオという新しい場と積極的に関わっていた。
「いやデアドラのセイロス教会がどうのって話ではないです。今って二十世紀ですよ?ラジオもガス灯もある今そんな主張をするならよっぽど強い後ろ盾がある、と確信していないと無理です。言えません。だから女神様が自分達の味方だと信じ込んでいる人達、それで宗教関係と言いました」
リシテアの説明はヒルダの腑に落ちたので大げさに礼を言った。彼女は手短に宗教関係、とは言ったが町中の小さな聖堂を守り託児所を開いている修道女や神父の様な地に足がついた人々ではなく暗黒時代の異端審問官の様な集団のことを指している。己の身に宿る魔力を蔑ろにしていた技術者達を彼ら自身が持つ魔力で罰するという残酷な発想はなかなか出てくるものではない。
リシテアが気がついたようなことを警察や保険会社の保険調査員が見逃すとも思えないが警備部には伝えておくべきだろう。ヒルダが自分の机でベレト宛にメモを書きおえた時に近所の教会の鐘が鳴った。ヒルダにとっては放送準備の時間を知らせる鐘の音なのでスタジオにいかねばならない。放送終了後にベレトにすぐ渡せるようわかりやすい場所にメモを置いた。
放送中、誰もいなくなった部屋に緑の髪をした社員がそっと入り込みヒルダがベレトに渡す筈だったメモはその社員の手の中で燃やされた。最新の火災報知器も感知できないくらい小さな魔法の炎だった。
翌日、デイリーレスターの一面を宗教警察設立が検討されているという記事が飾った。写真は白黒なので読者は全く気がつかなかったがガルグ=マクでその準備にあたる人々は皆全て緑の髪に緑の目をしていた。畳む