-horreum-倉庫

雑多です。
#ラジオ・デアドラ
#完売本
#ヒルマリ
2.

「それでは皆様、今日もよい1日を」

 レオニーは番組の内容がどれだけ荒れようと最後に必ずこう言って番組を終える。マイクのスイッチをオフにしてレオニーは首を回しマリアンヌを睨みつけた。目の前には矢車菊の花が積まれている。

「矢車菊の花言葉で誤魔化せるわけないだろうが!」
「ええー!私たちの女の子らしさが出せてよかったと思うんだけど??」

 ディレクターのヒルダが選んだ今晩のテーマは"過大評価されていると思うレストランはどこか、何故過大評価されていると思ったのか"だった。当然度を超えた内容の葉書がリスナーから寄せられる。

「大丈夫です。この時間帯の番組を好んで聴いているリスナーなら気にしません」

 放送中レオニーの向かいで黙って話を聞いている構成作家のマリアンヌが拙そうな話だ、と判断する度レオニーに矢車菊が一本渡される。その度にレオニーは台本に書いてあった通り"以上、矢車菊の花言葉でした"と言ってその話を打ち切っていく。番組が終わる頃にはレオニーの目の前に矢車菊の山が出現した。

「でもウェイトレス同士でウェイター取り合ってる店は正直行ってみたい!!ものすごーく気になる!!」

 レオニーは食事中に背後で女の戦いが繰り広げられ味は良いはずなのに食べた気がしないようなレストランには行きたくないが矢車菊を紐でくくって紙で包んでいるヒルダは違う考えらしい。

「だってほら!キャバレーみたいなもんでしょ?」

 キャバレーではショーガールのレビューを見ながら食事ができる。内装も華やかで音楽も生演奏だ。

「あちらは勝敗が決まる類のものではないですが……」

 流石にマリアンヌがヒルダに反論した。彼女は本当に話し方が静かで清楚な見た目をしているのでレオニーは未だにマリアンヌが厳しい訓練で知られる士官学校出身だと信じられない。レオニーの知る軍関係者は受けた訓練が何であるのか実にわかりやすい見た目をしていた。

「じゃあボートレース!」

 ボートレース場の貴賓席でも食事を取ることができる。

「……そちらの方がまだ近いかもしれませんね」
「どっちも違うだろ……なんでも良いから早くなんか食べに行こう!」

 三人は防音のため布張りになっているスタジオを後にした。局の前にあるダイナーで朝食を食べて市電や水上バスの始発を待つためだ。いつも市電で帰れるレオニーが最初に席を立つ。マリアンヌの住むアパートが火事で半焼する前はマリアンヌとレオニーが先に帰っていた。水上バスが動くようになるまで一人で待つ羽目になるヒルダが少し辛そうなのは分かる。だがレオニーと共に市電の駅まで行くマリアンヌが寂しそうなのは正直言って納得がいかなかった。でも今は違う。リシテアがこっそり教えてくれたのだがマリアンヌとヒルダは付き合っているらしい。

「ええっ?正反対なのに?」

 レオニーの知る女性同士のカップルは男女同士のカップルと違って見た目や雰囲気が似通っている。好みの同性がしているような格好は自分でも真似ができるからだ。

「レオニーの言いたいことはわかりますよ。でもあの二人の場合は正反対なのが良いんでしょう」

 楚々としていかにも尽くす側に見えるマリアンヌの方が焼け出された後のことも含めて華やかなヒルダに面倒を見られている。

 デアドラの街は朝日に照らされ目覚めつつあった。水路を行き来する船は出勤する人を乗せて街を巡る。レオニーは矢車菊の花束を手に船着場から職場へ向かう人々の流れに逆らい駅に向かっていった。いったい誰が聞いているのだろうかという時間帯の番組ではあるがきちんと葉書は届くし街中でサインが欲しい、と話しかけられることもある。人生に何が起こるのか本当にわからない。

 翌日の昼過ぎに出社したヒルダはココアを飲みながらデスクの上に置いてあった報告書を読んでいた。先日のおかしな手紙が気になったヒルダはベレトにレオニーの警護を頼んでいる。時系列にまとめられた報告書の最後にデアドラ市警の地域担当部門に相談してレオニーの自宅近辺の警邏を増やしてもらうべきだと書いてあった。確かに彼はラジオ局の警備担当であってレオニー個人を守るために雇われた護衛ではない。彼の身体は一つしか存在しないし捜査権もない。

 マリアンヌは取材に出ているのでヒルダは一人で考えるしかなかった。連続放火犯が捕まるまで警戒すべきだと言うことはわかっている。問題はそれがいつか、ということだ。警察は第三者である素人の推理など参考にしない。ラジオ局への嫌がらせでは当事者であるので警察も親身になってくれたが先端技術に関わる人々を対象にした連続放火事件として見てはいないだろう。ラジオ局の一社員にどうこうできる問題ではないのは明白だ。

 だが。

 ヒルダは机の上にデアドラ市の地図を広げその傍らに電話帳を置いた。消防署を表す二本の斧が交差する地図記号は思ったより数が多いが諦めるわけにはいかない。畳む
#ラジオ・デアドラ
#完売本
#ヒルマリ
3.

 マリアンヌはガルグ=マクの士官学校を出て軍で数年過ごし人間関係に躓いて除隊している。軍にいた頃にも軍用放送は聞いていたが音楽ばかりだったので大して印象に残っていない。だが軍を辞め何となく働いていたダイナーが一日中ラジオを流していた。そんな些細なことがマリアンヌの人生を変えている。自分のしくじりや店にやってきたおかしな客について様々な番組宛の手紙や葉書に書いて出してみるとそこそこ読まれた。士官学校時代も軍にいた時も話下手で共感してもらえることなど滅多になかったのに全く違う。初めて社会とつながることか出来たような、そんな気がした。

 怠け者のアシスタントディレクターのヒルダ、としていろんな番組でしょっちゅう名前が出てきていたので女性のスタッフがいることはラジオデアドラのリスナーなら皆知っている。だが目の前にいる薄紅色の髪をした小柄な愛らしい女性がそのヒルダであると言われても俄に信じがたい。それに怠け者だというのにマリアンヌが今までラジオ局に出した葉書や手紙を読み込んで推理して働いているダイナーを探し当てていた。呆気に取られて渡された名刺とヒルダの顔を何度も見比べてしまう。

 そして僅か数年とはいえ軍にいたマリアンヌはあることに気がついた。

「もしかしてゴネリル少佐のご親族ですか?」
「あー、そっか元軍人だって葉書に書いてたもんね。ホルストは私の兄なの」

 見るからに明るそうな彼女も兄と同じ道へ進まなかった程度には優秀な兄に対して何か思うところがあるらしい。マリアンヌが兄の名を出した時に髪とお揃いのピンク色の瞳にほんの少し失望が浮かんだ。言うべきではなかったのかもしれない。こう言うしくじりを積み上げていった結果マリアンヌは軍を辞めることになったのに人間の本質というものはつくづく変わらないようだ。

「とは言っても私が一方的に存じ上げているだけですが……それよりラジオデアドラの方が私に何の御用でしょうか?」
「引き抜きにきたのよ」

 具体的な労働条件はお世辞にも良いとは言えなかったが最後にいつか女性だけで番組を作るのが夢だ、と言われマリアンヌはその場でダイナーに辞表を書いた。ダイナーで客の頭にジュースをこぼしたり皿を割り続けるよりずっと良い。物心ついた時から陰気なたちで発言で人を笑わせたことはない。だが書いたもので顔も知らない誰かを笑わせることが出来た。

 最初の数年はヒルダと共に様々な番組の下働きをしていたがマリアンヌがレオニーという最後のピースを見つけた結果、深夜三時から五時という時間帯ではあるがヒルダの夢を叶えることが出来た。まともな生活を送っている者には到底聞けない時間帯だがそれでも構わない。番組のリスナーを解析し調査することさえできればマリアンヌは彼らが喜ぶ台本を書くことができる。

 マリアンヌは放送作家として台本を書くため基本的には放送局に常駐しているが取材に出ることもある。今日はデアドラ港を訪れていた。現在、日雇い労働者である沖仲士たちは労働条件の改善を求めて組合を作り船会社と荷役会社相手に激しい交渉を行なっている。交渉しなければ荷役会社から足元を見られて賃金は下がり食い詰めてしまうから仕方ないのだがそのせいで社会的なイメージは悪化し彼らから番組に寄せられる葉書や手紙は社会から除け者にされたという思いで満ちていた。彼らの仕事は船の入港時間に左右される。いつ仕事が始まりいつ仕事が終わるのか誰にも分からない。定時で終わる仕事についている者と親しくなるのは無理だ。だがマリアンヌは彼らと社会を結びつけたい。

 労使交渉が行われている荷役会社のオフィスの前には仲間を応援しようと沖仲士たちが屯している。腕っ節の強い荒くれ者と見られたがる彼らが今回求めているのはロッカーとシャワーだ。マリアンヌは上着にラジオデアドラの腕章を付け屯す強面の男たちに声をかけた。

「失礼ですが……お話を伺ってもよろしいでしょうか?」

 身内しかいないはずの交渉の場に場違いな女性が現れたので荒くれ者たちの目に動揺が浮かんだが左腕の腕章を見て納得がいったらしい。長引く交渉が終わるまでのいい暇つぶしになったのか皆マリアンヌに協力的で手帳一冊分のメモが取れた。

 レオニーの番組は深夜から始まるのでマリアンヌは夕方までに放送局に入ればよい。深夜12時までに台本を仕上げてヒルダに内容を確認してもらいレオニーに渡す。

「粉シャンプー派か液体シャンプー派かって……こんなしょうもないこと聞くためにわざわざあんなに揉めてる現場まで行ったのか??葉書でよくないか?」

 レオニーはマリアンヌが渡した台本に一通り目を通すとそう叫んだ。ラジオには爪弾きにされている人々と社会を結びつける力があるとマリアンヌは信じている。だから労働争議の場へ敢えて関係ない話を山ほど聞きに行ったのだ。畳む
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4.

 マリアンヌはヒルダの家に転がり込んでいるが二人は始終一緒にいるわけではない。ふらふらと街を歩きがちなヒルダよりマリアンヌの方が早くラジオ局に着いていることが殆どだ。しかし今晩は珍しくヒルダは余計な寄り道をせず局内で調べ物をしていたらしい。今は目処がついた、とのことで気分転換なのか自分の席に座って夕刊に目を通している。へヴリングにある炭鉱が閉山するという記事が一面を飾っていた。確かに水上バスも蒸気船は減ってきている。

「おかえりマリアンヌちゃん」
「はい、ただいま戻りました。今から台本を書きます」
「これ、今日かける予定の曲一覧ね。曲紹介も台本に書いてあげて。レオニーちゃんもそのうち曲飛ばしとかするようになっちゃうのかなあ……。あれ地味に困るのよね、始末書書くの私だもの」

 話が盛り上がり過ぎて尺の中に収まらなくなってしまった結果、かけるべき曲をかけられないことを曲飛ばしという。レオニーは番組当初と比べて更に喋りが達者になって来た。たまに書いておいた台本を無視することもある。彼女が直接ヒルダから曲一覧を受け取りマリアンヌの書いた台本を必要としなくなる日がそう遠くないうちにやってくるのだろう。

 マリアンヌは愛用している大きめのノートに縦の線を引いた。速記もどきでメモした内容を対比出来るように清書していく。よく葉書を送ってくる不眠症の理容師に意見を求めるのも良いかもしれない。名指しすると律儀に皆、返信の葉書を寄越すのだ。マリアンヌもそちら側だったので気持ちはよくわかる。

「うちのリスナーって頑固かと思いきや結構新しもの好きよね」

 マリアンヌの手元をヒルダが覗き込んでいた。ヒルダは液体シャンプー派でゴネリル邸の広い浴室に何種類もの瓶が整然と並べられている。別々に入浴した時にヒルダがどのシャンプーを使うのか予想するのはマリアンヌの密かな楽しみで的中したらテフにひとつ余計に角砂糖を入れることにしている。

 番組では冒頭でレオニーは今日がどんな一日であったのかを話す。レオニー本人のことを話すときもあれば番組スタッフのことを話すときもある。よく出歩き観察眼の鋭いヒルダの話は受けが良いのだが今日は出歩いていなかったようなのでレオニーにはマリアンヌのことを喋ってもらうことにした。労働争議の現場で番組の名前入り名刺を大量に配ったからだ。

 レオニーは最終の一本手前の市電で放送局に通っている。酔っ払いが多いのではないかとヒルダたちに心配されているが今のところ特に問題はない。放送局に着くと関係者用出入り口にラファエルが立っていた。

「ようレオニーさん!遅くから仕事で大変だな!」
「ラファエルこそ遅くまでお疲れさま!」

 すっかり友人になった二人だがそれでも規則は規則なので入館証を見せて局内に入っていく。当然まだスタジオには入れないのでレオニーはいつもヒルダが用意してくれる会議室でマリアンヌの台本に目を通す。手狭だが心地良く過ごせるように飲み物も軽食も参考資料も用意してある空間でヒルダとマリアンヌが地図を見ながらああでもないこうでもないと話し合っている。

「次の企画の相談でもしてるのか?」
「うん、でもまだ雲を掴むような感じでしっくり来なくて」

 ヒルダは眉間に皺を寄せながら眠気覚ましのテフに口をつけた。耳元では彼女お手製のイヤリングが輝いている。ヒルダは華やかな業界にいる華やかな女性だが案外地道な手作業も好きなのだ。

「ヒルダさん、把握しているのに敢えて言及しない、と把握出来なかったから言及すら出来なかった、には天地の差があります」
「マリアンヌの言ってることが哲学的でよく分かんないぞ」

 実際には途中から話を聞いたせいだがレオニーはわざと見当違いなことを言った。レオニーは放送中、番組を途中から聞き始めた人にもわかるように何の話をしていたのか説明を入れるようディレクターのヒルダから指示されることがある。その際の要約もマリアンヌは台本に書いておいてくれる。実に分かりやすい文を書くのだが実際に喋らせると本当に何が言いたいのか伝わってこない。

 その晩のレオニーは番組の冒頭で台本通りマリアンヌの話をした。

「頼めば葉書が山のように来るわけだからさ、待てばいいと思うんだよ。でもうちの作家は待てが出来なくてすぐ直接話を聞きにいっちゃうわけ!」

 目の下の隈は色濃く鏡を見る間を惜しんで必死にペンを走らせたせいで結い上げた水色の髪は崩れている。そんなマリアンヌを陰気で不器用と評価する者は多いし本人の自己評価も変わらない。だがレオニーやヒルダには私たちは新聞より早く伝えることが出来て新聞より人々の本音に寄り添うことが出来る、と誇らしげに語るマリアンヌが輝いて見えるのだ。畳む
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5.

 ヒルダは放送局全体を巻き込むべくチャリティ企画を立てた。番組内でレオニーがマリアンヌを元軍人の、と言って散々弄っていたし半年以上レオニーの番組を聴いているリスナーならマリアンヌのアパートで火事があったことは皆知っている。その上で職務質問されがちなリスナーと警察官の距離を縮めるような企画を、と提案したらえらく受けが良かったのだ。
 昔から木を隠すなら森の中という。我々の暮らしを支える公安三職つまり軍人、警察官、消防官に感謝を込めて彼らの詰所の休憩室にラジオを贈呈しようというのがヒルダの立てた企画だった。一度繋がりが出来ればその後どうなったのか等いくらでも好意的な第三者を装って接触することができる。
 レオニーがマイクのスイッチを入れた。目の前には構成作家のマリアンヌが用意したベルと箱が二つ置いてある。どちらの箱にもリスナーからの葉書が入っており三通ずつ読んだらどちらの箱がよく出来たウソでどちらの箱が道端で寝ていた時に本当にあった話なのか当てねばならない。正解すればマリアンヌがベルを鳴らしフレスベルク電機提供のラジオが贈呈される。

「茶色の箱三通目!"一週間前、競馬場前の広場で目が覚めた時、一面に広がる割れた酒瓶の欠片に日の出の光が当たってキラキラと美しく輝いていたので感動して泣いてしまいました"って……一週間前のレースってあれか?とんでもない番狂せがあったやつ?」

 レオニーの目の前に座っているマリアンヌが無言で頷いた。馬券は買わないがマリアンヌは馬が好きなので競馬にそこそこ興味を持っている。レオニーがいう通りレースが荒れたので乱闘があった。酒瓶を割る者がいてもおかしくはない。

「む、今ので分かったぞ!茶色の箱が本当にあった話の箱だな?乱闘があったのにすやすや寝てるのは大物の証拠じゃないぞ。耳鼻科に行って耳を診てもらえ」

 マリアンヌが真顔でベルを鳴らした。これでヒルダはデアドラ西消防署にラジオを届けることができる。火災の捜査は警察ではなく消防が行う。マリアンヌが前に住んでいたアパートはデアドラ西消防署の管轄だ。番組はつつがなく終わりいつもとは違いダイナーから飲み物や食べ物を取り寄せた。
 出前はしてくれない店なのだが目の前であること、早朝でまだ店が混んでいないことが功を奏しヒルダのおねだりが通っている。マリアンヌたちを前にしてレオニーが顔を顰めながらテフを啜っていた。壁の地図を凝視していたベレトがドーナツを一山食べ切ってしまったからではない。

「報道機関は捜査権はないが取材が出来る」
「報道されなかった小火騒ぎの話も聞きたいですね。火災防止週間のような理由があれば聞かせてもらえると思います」
「こんな話、どうやって私たちの手のひらにおさまるような大きさにするんだ……」

 壁に貼ってあるデアドラ市の大きな地図は印だらけ物騒な書き込みがされた付箋紙だらけになっていた。

「柄じゃないのは分かってるってば〜!」
「だが対象がもっと広がったら厄介だ。学校で異端狩りのことは習っただろう?」

 ヒルダは先端技術に関わる人々を狙う連続放火犯がいると予想している。単独犯なのか複数犯なのかは分からない。

「ええ、暴動を抑え死人の数を最小限にするためにも迅速に誰かを火炙りにせねばならなかったとか……」

 火炙り、という単語を口にしたマリアンヌは腕をさすった。感じた寒気は体感温度とは関係ないのだがすかさずヒルダがマリアンヌに後ろから抱きつく。

「どうやって収束したのかは知っているか?」
「そもそも何であんなことが始まったのか私知らないわ」

 マリアンヌの背中ごしの回答から察するにヒルダはとりあえずテストを凌げればいい派であったらしい。

「あの時代は疾病のせいで社会が崩れかけた。不安に駆られた人々が集団で起こしたヒステリー発作と言われているが収束した理由と同じくはっきりしない」
「収束したのは啓蒙思想の信奉者が裁判官の多数派になって無罪を言い渡すことが増えたからだという本を読みました」

 面白そうな本なので題名を教えて欲しい、とせがんだベレトはヒルダとマリアンヌの間にするりとわ入り込んでいる。彼女たちが付き合っていると知った男性は負け惜しみを言うことが多いのだが彼は微塵もそういうところがない。レオニーの見たところ自分たちに近づくを男性を警戒しがちなヒルダが珍しくベレトそしてラファエルには心を許していた。二人とも邪心がない。

「同調圧力に逆らえる者が増えたからだ。俺はこの番組が同調圧力に抗う者が集う砦になると思う」
「荷が重い!こっちは言われるがままマイクの前で話すだけで精一杯なのに!」
「レオニー、砦を守るのは人だ。そして君たちを守るのが俺の仕事だ。俺もひとつ仮説を立てた。立証するのを手伝って欲しい」

 ヒルダの推理もかなり尖った代物だがベレトの仮説は更に尖っていた。畳む
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6.

 社員の名簿が入手できた順ではないかと言うのがヒルダの仮説だったがベレトはそれすらしていないのでは、と言う。

「確かに軍事機密と関わる企業の場合は名簿を手に入れるのも手間がかかるはずです」
「例えばマリアンヌが前に住んでいたアパートの件なんだが……隣室の住人は科学雑誌で会社の研究室について語っていた」

 ベレトが雑誌を開いて机の上にそっと置いた。確かにマリアンヌの隣人が顔写真付きでインタビューに答えていた。ご近所付き合いというものをきちんとしていればマリアンヌが自力で気づいたのかもしれない。

「新聞や雑誌だけではなく放送で名前があがっていた被害者がいる可能性もある。放送局は最先端技術の塊だろう?」

 飄々として燃え残った私物をレオニーの番組に提供していたがマリアンヌも恐ろしかったのだろう。後ろから胸の下に回されたヒルダの手にインクの染みだらけの手を重ねて握りしめている。

「それは簡単に調べられます……。あの、わ、私もですが皆さんもずっと放送で名前が出て……」
「マリアンヌちゃん、大丈夫。私が守ってあげるから」

 マリアンヌはレオニー宛の悪意たっぷりな手紙は目立つ女性への嫌がらせに過ぎずヒルダが調べている一連の放火騒ぎとは無関係だと考えていた。表面には出さないがヒルダは激しく怒っている。マリアンヌと違いヒルダは怒れば怒るほど冷静になるのだ。

「俺の仮説が正しいかどうかは報道されなかった小火の件を取材する時に雑誌や新聞に載ったことがあるかどうか聞けば分かる」
「でもそのせいで変な噂が流れたら……」
「それって丁度いいじゃない」

 ヒルダはマリアンヌの言葉を遮った。どういうことかと訝しむマリアンヌそれにどういうことかと困惑するレオニーと違いベレトは意図を察したらしい。

「ヒルダの言う通りだ。取材を受ければ放火されるという噂が流れれば犯人たちの手の内がばれたも同然だ。どこから漏れたのか疑心暗鬼に駆られてくれたらいい、と俺は思っている」
「完全に証明できても警察や消防には教えないのか?こんな危ない連中さっさと逮捕して欲しいのに」

 レオニーはほとんど警察と縁がなかったので映画などで培った美しい誤解をしている。

「あのね、民間人の推理ってことで警察に情報提供すると……」
「むしろ警察はその可能性を完全に排除してから捜査を始めます。警察は捜査権がない民間人の推理をあてにしてはならないのです」

 苦虫を噛み潰したようなヒルダとマリアンヌを見てレオニーもそれが現状だと察したらしい。苦労が報われないことは世の常だがそれでも明快さを求めるのがヒトという生き物だ。

「だがもしかしたら……あれ、中々出てこないな」

 ベレトは胸元から革製の免許証入れを取り出した。本来なら免許証しか入れない物にぎっしりと小さなカードを詰めているのか取り出すのに四苦八苦している。

「ああもう……!貸してくれ!」

 レオニーはベレトから免許証入れを受け取り両端に力を入れてたわませると一枚ずつ小さなカードを取り出していった。よくわからない店の会員証に混ざって銃火器携帯許可証や小型船舶の運転免許証、黒魔法使用許可証や四輪や二輪の免許証などが机の上に広げられていく。

「お!マリアンヌやヒルダは見たことあるかもしれないけど私はこれ初めて見た!」

 厄災の箱の中に最後に残っていた希望のように免許証入れから最後に取り出されたのは探偵業免許証だった。警察学校に開設されている探偵用のコースに通って単位を取得し二年間助手として実務に就かなければ取得できない。ヒルダもマリアンヌも目を丸くして見ている。

「これが物を言うかもしれない。多少は警察も聞く耳を持つ。それに科学捜査を得意とする探偵、と言うことで番組から取材してもらえれば……」
「囮になるって言うのか?そんな危ないことをするほど給料が高いと思えない」

 レオニーは深夜帯のパーソナリティなのでデパートに勤めていた頃とあまり収入に差がない。ヒルダやマリアンヌも高給取りではないが今の二人は家賃を払う必要がない。そして拘束時間が長いので無駄遣いをする暇がなかった。

「いや、日給が発生するから収入的には安定してくれたくらいなんだ」

 ベレトは再び革製の免許証入れに一枚ずつ様々な免許をしまい始めた。今度は一番目立つところに探偵業免許証を入れている。

「結構世知辛いもんなんだな……」

 レオニーの呟きに重ねるようにしてデアドラ中央教会の朝を告げる鐘の音が鳴り響いた。何世紀経とうと荘厳な音は変わらない。防音室になっているスタジオやラジオがかかっているダイナーではあまり聞こえてこないが自然な音は体に直接呼びかけてくるような気がする。

「もう船も市電も始発が出た頃だな。今朝はもう帰りなさい。後片付けは俺がしておくから」

 マリアンヌはこう言う時にその気もないのに食い下がってしまいがちなのだがその朝は何故かレオニーやヒルダのように自然にベレトの厚意に甘えることができた。畳む
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7.

 まともな仕事についていないリスナーばかりの番組で扱うには壮大すぎるというレオニーの意見をマリアンヌはきちんと受け止めてくれた。ヒルダの人を見る目は素晴らしい。

「深夜放送と言えば怖い話だ!今日も引き続き調べたら怖かった話について話そう。図書館に置いてあるもの、例えば本や新聞の縮刷判や雑誌のバックナンバーで確かめられるもの限定だぞ」

 マリアンヌの人を見る目も素晴らしい、となるようにレオニーも精一杯話さねばならない。絶対に手のひらに収まるようにしてみせる、と言う宣言通り手のひらに収まるような企画になっている。人間はどう科学技術と付き合っていくべきか、危険な秘密結社にどう対抗するかという雲を掴むような話にすると殆どの者が語るべき言葉を持たない。

「火力発電所と駐輪場のたとえを知っていますか?」
「その言いぶりだとなんだか聖典みたいだな」

 台本の趣旨を説明するのに必要なのかマリアンヌはレオニーが聞いたことのない例えを口にした。町内に火力発電所を作るから何か聞きたいことがあれば遠慮なく、と言われても想像がつかないが駐輪場なら屋根付きなのか何台収容なのかなど皆細かく具体的なことを質問できる。火力発電所について質問したかったら火力発電所について具体的なことを知らねばならない。
 小さな話から始めて具体的にヒルダやベレトが何をしたのかリスナーにも想像がつくようになったら何を突き止めたのかを番組でも取り上げていく。

「この企画が始まるまで他の番組やアナウンサーあてにもあのおかしな魔法陣が描かれた手紙は継続して届いていた」

 ガラス越しにスタジオを眺めながらベレトはそう言った。マイクを挟んでレオニーとマリアンヌが座っている。レオニーが口籠もり目の前のマリアンヌがさらさらとノートに何かを書き付けていた。ペンを握る手はインクのしみだらけで昨日ヒルダが塗ってやったマニキュアは既にところどころ剥げている。

「あ、マリアンヌちゃんがきちんと対処したから!」

 ヒルダは目を丸くした。専門知識のあるマリアンヌがきちんと被害を報告し事態を深刻に捉えた上層部がラファエルとベレトを雇ったせいで犯人たちの目論見は失敗している。何としても成果を得たいと考え継続していたのだろう。ベレトは自分の顔の前でVサインを作った。お前のことを見ているぞ、と挑発するジェスチャーだ。

「そしてこれ、をされただけで相手は動きを止めた」

 ヒルダもマリアンヌも薄々気付いているがとにかく被害は広範囲にわたり個人や同好の士によるささやかな集団の規模を超えている。軍、消防、警察のような組織が新たに作られつつあるのだ。

「ひと睨みでひいてくれてよかった」
「今のところ刑法に違反してるからな」

 ベレトとマリアンヌが盛り上がっていたのでヒルダも異端者狩りについて本を読んでみた。当時のフォドラは病禍に苦しみ不安に覆われていた。何とかしたいという切なる思いがさらなる暗黒を呼び寄せていく。ヒルダたちが生きる現代も貧困問題や環境問題などさまざまな問題を抱えている。だがそれらを解決するために小火騒ぎや火事を起こして回るという手段には全く賛成できない。
 ガラスの向こうではレオニーが葉書を読み上げマリアンヌが笑っている。ヒルダはマイクに拾われないように静かに笑う彼女が好きだ。このままではアガルタの民のように女神に滅ぼされてしまう、と焦る人々は最新技術で救われる人の顔を見ようとしない。ヒルダはそこに憤慨している。
 ラジオという全く新しいメディアがなければマリアンヌは軍をやめた後まだ孤独にダイナーで働き続けていただろう。だがヒルダが関わっていた番組に宛てて彼女は葉書を出した。放送は今のところ唯一生中継が可能なメディアだが当時の番組を介したマリアンヌとヒルダのやりとりは古式ゆかしき文通に等しい。ヒルダは顔も知らないうちに彼女の独特な観察眼やわかりやすい文章に惚れ込んでいた。今回発揮された調査に関する技術力はマリアンヌを探すときに培ったのだろう。

「先端技術を禁止する法律を作られたらどうしようかな」

 答えが返ってくることを期待せずヒルダは呟いた。新聞の一面は近頃宗教警察のことばかり伝えてくる。賛否はかろうじて否の方が多いが今後は分からない。不規則で享楽的で周囲からの理解を諦めた暮らしを送る番組のリスナーたちはもちろん嫌がっている。

「何度でもそれはおかしいと言い続けるんだ。愛おしいと思うものがあるなら尚のこと言い続けるしかない」

 ベレトは声荒げず静かに、しかし聞き取りやすく話す。そして基本無表情なのだが珍しく柔らかい笑顔を浮かべながらヒルダの問いに答えた。意外性が全くない、とレオニーに指摘されたこともある通り学生時代のヒルダは勉強があまり好きではなかった。しかしベレトのような教師と出会っていたら少しは真面目に勉強したかもしれない。畳む
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8.

 マリアンヌのアパートや机を燃やした男はラファエルに羽交い締めにされながらも炎で浄化しなかったら世界が滅ぼされてしまう、と熱弁していた。緑の瞳は熱に浮かされていて激怒するレオニーとヒルダの姿が脳内で像を結んでいるかどうかは怪しい。
 ベレトに依頼された通り録音機材を回していたので一部始終の音声が録れている。最新型のマイクは机を漁る音や呪文を詠唱する声、それを阻止するため殴りかかるラファエルの叫び声を拾った筈だ。
 日頃はこの時間帯に見かけない他の階で働く者たちも騒ぎを聞きつけてやってきたので本番一時間前だというのに人だかりが出来ている。残念ながらテープを一本使い切ってしまったのでこの先のやり取りは音声に残せない。ベレトが取り上げた社員証はマリアンヌが確認したところ残念ながら本物だった。営業部門で働いていたらしい。
 通報を受けやってきた警察に男を引き渡す際ベレトは火事を起こせば世界が救われるなんて有り得ないだろう、と語りかけていた。いつもは表情に乏しい彼が珍しくうんざりとした表情を浮かべていたので強くマリアンヌの印象に残っている。
 男が狙っていたのは皆で調べた嫌がらせの小火や火事の記録をまとめて作った資料だ。公的機関へ訴えられる前に手を打とうとしたらしいが独断専行なのか命じられてのことなのかは分からない。
 餌にしたので仕方ないことだがマリアンヌの机が焦げている。煙や臭いを取るため大きく窓が開けられ入ってきた風のせいで水色の髪が乱れていた。

「イメージの問題だろうな……取り敢えずお高い録音機材が燃えなくて良かったと思おう」

 内密の話をするため野次馬たちを追い払ったレオニーが呆然としているマリアンヌの肩を軽く叩いた。レオニーは番組を続けていくうちに混沌とした場面に慣れたらしい。
 もしかしたら局内にいる危険人物を誘き出せるかもしれないとヒルダがベレトに提案した時マリアンヌは一連の放火事件の被害者として賛成できないと反対した。ヒルダの机や私物が燃えてしまうなど耐え難い。調査結果を集計し綺麗にまとめたのはヒルダでそれは彼女の机に入っていたのだが隙をついて資料を隠滅しようとした男は何故かマリアンヌの机を燃やした。

「なあマリアンヌさん、その机もう使い物にならないだろうからオデが下に運んでやるよ!」
「調書を取られるだろうから俺が下書きしておこうか」
「マリアンヌちゃん、下の方の引き出しに入ってるものなら無事なんじゃない?」

 黙っていればしっかり者に見えるマリアンヌが呆然としている姿はヒルダにもレオニーにも見慣れた光景だ。脳内だけが猛烈に動いている時もあれば本当に何も考えていない時もある。裏方として番組を支える構成作家の生活を支えるディレクターと本来支えられるだけの筈だった番組パーソナリティは無事だった引き出しの中から大量の書き付けと糊のチューブを七本、消しゴムを八個そして半年ほど前に失くしたと言って再発行してもらっていた黒魔法使用許可証を見つけ出した。士官学校を卒業し何年か軍務に就いていれば普通なら整理整頓の達人になる。厳しい訓練を経ても尚矯正されなかった散らかし癖はマリアンヌの強烈な個性なのだ。

「犯人、私とヒルダさんのことを何重にも間違えたんですね……」

 放送中、レオニーはヒルダにもよく言及する。かなり際どい企画の度に私が責任取るからやってみようの一言で押し切られた、とこぼすので知名度自体は高い。それとこれまでの番組でつけられた怠け者のヒルダ、という二つ名が印象に残っていたせいで混沌としたマリアンヌの机をヒルダの机だと思ったのだ。レオニーのせいでマリアンヌは再び被害に遭った、と言えなくもない。

「ああ、なんてことでしょう……ヒルダさん!恐ろしくありませんでしたか?」

 マリアンヌは片付けのため軍手をしていたヒルダの手を煤がつくことも気にせず白い手で取り握りしめている。レオニーは初めてマリアンヌが正面から誰かの顔を見つめている姿を目にした。彼女は常に伏し目がちに過ごし正面から誰かの顔を見るとしてもそれはヒルダだけだ。

「大丈夫だよ、資料も録音機材も燃えなかったし後で偉い人たちからたーくさん叱られるだろうけど今は大丈夫!」
「それにしてもヒルダさんと私を間違えるなんて……耐えがたいです……!」

 問題はそこではないのだがヒルダが何故マリアンヌを見つけ出さねばと思ったのかレオニーにも分かるような気がした。他の者が彼女の美徳に気付く前に唾をつけておかねば掻っ攫われてしまう。もたもたしているうちに小鳥の雛のようなマリアンヌの前に自分以外の誰かが現れてしまったら。彼女がそいつの顔を真っ直ぐに見ることがヒルダには耐え難かったのだ。畳む