#真昼の月と花冠
#クロヒル
#ロレマリ
6.
───ヒルダさん、直接お会いする方が先かもしれませんが、私の身に何かあった時のためにやはり手紙を書いておくことにします。帝国はフォドラ三国の中で最も歴史が長く領土も広い国でした。しかし今後、三国の有り様は変化を迎えることでしょう。レスター出身の私どもにとって望ましくとも帝国の人々にとって耐えがたいのは明白です。
王国軍にはアンヴァルで何があったのか把握している方は存在しません。私のみたところ、エーデルガルトさんは聡明な方でした。だからこそ帝国の方々は皆諦めきれないのでしょう。
こちらの主だった将に戦死者がいないことが不思議なほど抵抗は激しくなってきました。私が基地にある礼拝堂で祈りを捧げられるのは、今こうしてヒルダさんに宛てた手紙が書くことができるのはローレンツさんのおかげなのです。
敵に囲まれ命を落としそうになった私をかばった彼は重傷を負いました。そして頭を強く打ち、意識を失ってしまったのです。たまたま近くにラファエルさんがいらしたのでローレンツさんを安全な場所に連れて行くことができました。
メルセデスさんやリンハルトさんの助けをお借りしたおかげで、ローレンツさんはもう元気にしています。全て私の失態で、消えてしまいたいとすら思ったのですが彼は意識を回復してすぐ、落ち込む私を気遣って下さったのです。
生きたいと願うことに資格はいらない、とローレンツさんから言われた晩、私はずっと自分の天幕で泣いていました。それは今回のことだけでなく、ヒルダさんにお教えしていなかったこれまでのことが関係しています。
人間は安心しても泣いてしまうものなのですね。流石に手紙に書き記すわけにいかないので、ゆっくりお話しできそうな時にこれまでのことを聞いていただきたいです。激戦に次ぐ激戦で命を落とす方も増えてきました。私がその一員に加わるかどうかは女神様がお決めになります。その時、ローレンツさんの言葉でどれほど救われたか書き記しておかねば後悔する。そんな気がしたのでこうして筆を取ることにしました───
王国に派遣した部隊はへヴリング領辺りにいる頃だろうか。クロードたちはベルグリーズ領にいる帝国軍に気取られずに軍を二分し、アリルに向けて進軍せねばならない。うまく説明できないが、そろそろその辺りの事情が読まれているような気がした。
「これは拙いかもしれない」
領主にとって何よりも大切な自領を守るための戦いにも関わらず、彼らはあまりにあっさりと撤退しようとしている。ベルグリーズ伯の部隊を本気で追撃するかどうか決めなくてはならない。
「どう拙いのか教えて!」
フライクーゲルを手にしたヒルダがきびきびとした口調で問うてくる。兵たちはこれまでになくベルグリーズ領の奥深くに侵入できたので大いに沸いていた。突撃できてしまったことを不審に思う者は殆どいないだろう。
心の内が外に漏れていたこと、喧騒の中でヒルダに聞き取られてしまったことにクロードは驚いた。フォドラに来て以来クロードは独り言を言わないように心がけている。パルミラ語とフォドラ語、どちらの言葉で言ってしまうか分からない。いつの間にか夢はフォドラ語で見るようになった。悪夢の舞台も王宮からフォドラに移っている。
「ベルグリーズ伯に俺たちが本気でないことがばれちまったかもしれない」
「マリアンヌちゃんたちの方に行っちゃうかもしれないってこと?」
そう言うとヒルダは口を閉ざした。よどみなく話すべきなのに何故かクロードの舌はいつものように動いてくれない。
「いや、まだ確証がある訳じゃないんだ。帝都で見過ごせない何かがあったのかもしれないし……」
クロードが見る悪夢の中でヒルダは二度と話しかけてくれなくなる。自分のしくじりのせいで彼女は命を失ってしまうからだ。
「マリアンヌちゃんたちならきっとベルグリーズ伯に負けないよ!」
フライクーゲルを握りしめていた右手がクロードの背中を勢いよく叩く。勝てるよ、と言わないその冷静さが素晴らしい。
「ギュスタヴさんだって褒めてたし、それに心配なら合流地点に一番乗りすれば良いんだよ!」
クロードは素直にヒルダを美しい、と思った。外見の問題ではない。友人たちを信頼しているその姿勢が、咄嗟に最適解を出せる賢さが、この上なく美しいと思った。
───マリアンヌちゃん、手紙読んだよ!二人が無事なこと、それと私を証人に選んでくれたことがとっても嬉しい。マリアンヌちゃんを守ってくれてありがとう、って直接ローレンツくんに言える日が早く来てくれたら良いのに!その時には何かお礼の贈り物がしたいな。邪魔にならなくて楽しい気分になれてローレンツくんにぴったりの物が何なのか考えておかなきゃ。
すぐに休校になっちゃったからこれは本当に仮の話だけど、もしガルグ=マクで舞踏会があったら二人は踊る相手が決まったのと同じだよね!マリアンヌちゃんがローレンツくんと踊るところを見たかったな。私と違ってマリアンヌちゃんは背が高いからきっとローレンツくんとお似合いだと思うよ。
学生時代のローレンツくんは空回りしがちでちょっと見ていられなかったけど、今の彼はとっても偉いと思う。クロードくんからお家がらみで酷い扱いをされてもめげずに頑張ってたからかな。
でも、もしかしたらクロードくんが一番この状況を喜んでるのかもしれない。実際にどうしてふたつに分けた軍のファーガスに派遣される方にローレンツくんを配置したのか質問したらクロードくんは絶対にはぐらかすだろうし、今の状況を狙ってたのかどうか聞いてもどっちに転んでもいいと思ってた、としか言わないと思う。ああ見えてクロードくんはすごい照れ屋だから。
でもどうせなら幸せになる人数が多い方が良いに決まってるもの。だから私は自分のためにもクロードくんのためにもクロードくんはローレンツくんが汚名を濯ぐと信じて活躍しやすい場所に派遣した、と信じることにするね。
めげないローレンツくんみたいに私も格好よくありたいな。そのために必要なものって何だろうね?薔薇かな?勿論これは冗談だけど。
マリアンヌちゃんたちと別行動になって以来、クロードくんが敵を騙すために短期目標と長期目標が食い違って見える作戦を立てるもんだから毎日すっごく大変!自分が今、何をやってるのかよく分からなくなる生活をしている中でマリアンヌちゃんに手紙を書いている時間は嘘や矛盾がないの───
個人的なことだから皆を巻き込むわけにいかない、と言って沈黙を選んでいたシェズの良識が最悪の結果を生んでいた。戦いには勝ったが王国の前哨基地はひどく沈んでいる。目の前で父ロドリグを失ったフェリクス、己の全てを分かってくれる後見人であった前フラルダリウス公を失ったディミトリのことを思うとローレンツは口を閉ざすしかない。
自然とレスター出身者同士でまた同じ火に当たっていた。流石に皆どう話したものか考えあぐね、口を閉ざしている。暖かな光に照らされるマリアンヌの顔は沈んでいたが、それでもローレンツからすればその美しさは賞賛に値する。しばらくは火の爆ぜる音だけがあたりに漂っていたのだが、ラファエルが大きく手を叩いた。何かが彼の中で定まったらしい。
「よぉし!オデたちに出来ることをしよう!」
「わ、びっくりした!急に大きな声出さないでくださいよ、ラファエルくん。それで一体、何をするんですか?」
「見回りだ!」
確かに悲しみに暮れる今は警戒が緩んでいるかもしれない。その隙に乗じてあの恐ろしい灰色の悪魔───今やファーガス全軍の敵だ───が再び攻めてくる可能性もある。
「声のでっかいオデとローレンツくんが喋りながら皆で歩けばいいと思うぞ。そしたら、少なくとも獣は寄ってこねえ」
「それでは静かにしていたい者たちの迷惑になるではないか」
「足音だけでも動物たちは充分警戒しますので必ずしも話すことはないかと……」
埒が開かないと思ったのかイグナーツが三人の会話に割って入り、二手に別れて前哨基地の中を見回ることになった。
騎士となったイグナーツは優秀で、豪商の次男である彼を入り婿にしたい名家の者は多い。ローレンツはマリアンヌを高く評価していたが、見合い相手と結婚後に恋愛をする自信もある。
だが、ローレンツはマリアンヌと二人きり、無言で並んで歩いたこの晩のことを生涯忘れないだろう。そして、そっと背中を押してくれた頼もしい騎士の手に込められていたのは主人への忖度ではなく友情であった、そう信じている。畳む
#クロヒル
#ロレマリ
6.
───ヒルダさん、直接お会いする方が先かもしれませんが、私の身に何かあった時のためにやはり手紙を書いておくことにします。帝国はフォドラ三国の中で最も歴史が長く領土も広い国でした。しかし今後、三国の有り様は変化を迎えることでしょう。レスター出身の私どもにとって望ましくとも帝国の人々にとって耐えがたいのは明白です。
王国軍にはアンヴァルで何があったのか把握している方は存在しません。私のみたところ、エーデルガルトさんは聡明な方でした。だからこそ帝国の方々は皆諦めきれないのでしょう。
こちらの主だった将に戦死者がいないことが不思議なほど抵抗は激しくなってきました。私が基地にある礼拝堂で祈りを捧げられるのは、今こうしてヒルダさんに宛てた手紙が書くことができるのはローレンツさんのおかげなのです。
敵に囲まれ命を落としそうになった私をかばった彼は重傷を負いました。そして頭を強く打ち、意識を失ってしまったのです。たまたま近くにラファエルさんがいらしたのでローレンツさんを安全な場所に連れて行くことができました。
メルセデスさんやリンハルトさんの助けをお借りしたおかげで、ローレンツさんはもう元気にしています。全て私の失態で、消えてしまいたいとすら思ったのですが彼は意識を回復してすぐ、落ち込む私を気遣って下さったのです。
生きたいと願うことに資格はいらない、とローレンツさんから言われた晩、私はずっと自分の天幕で泣いていました。それは今回のことだけでなく、ヒルダさんにお教えしていなかったこれまでのことが関係しています。
人間は安心しても泣いてしまうものなのですね。流石に手紙に書き記すわけにいかないので、ゆっくりお話しできそうな時にこれまでのことを聞いていただきたいです。激戦に次ぐ激戦で命を落とす方も増えてきました。私がその一員に加わるかどうかは女神様がお決めになります。その時、ローレンツさんの言葉でどれほど救われたか書き記しておかねば後悔する。そんな気がしたのでこうして筆を取ることにしました───
王国に派遣した部隊はへヴリング領辺りにいる頃だろうか。クロードたちはベルグリーズ領にいる帝国軍に気取られずに軍を二分し、アリルに向けて進軍せねばならない。うまく説明できないが、そろそろその辺りの事情が読まれているような気がした。
「これは拙いかもしれない」
領主にとって何よりも大切な自領を守るための戦いにも関わらず、彼らはあまりにあっさりと撤退しようとしている。ベルグリーズ伯の部隊を本気で追撃するかどうか決めなくてはならない。
「どう拙いのか教えて!」
フライクーゲルを手にしたヒルダがきびきびとした口調で問うてくる。兵たちはこれまでになくベルグリーズ領の奥深くに侵入できたので大いに沸いていた。突撃できてしまったことを不審に思う者は殆どいないだろう。
心の内が外に漏れていたこと、喧騒の中でヒルダに聞き取られてしまったことにクロードは驚いた。フォドラに来て以来クロードは独り言を言わないように心がけている。パルミラ語とフォドラ語、どちらの言葉で言ってしまうか分からない。いつの間にか夢はフォドラ語で見るようになった。悪夢の舞台も王宮からフォドラに移っている。
「ベルグリーズ伯に俺たちが本気でないことがばれちまったかもしれない」
「マリアンヌちゃんたちの方に行っちゃうかもしれないってこと?」
そう言うとヒルダは口を閉ざした。よどみなく話すべきなのに何故かクロードの舌はいつものように動いてくれない。
「いや、まだ確証がある訳じゃないんだ。帝都で見過ごせない何かがあったのかもしれないし……」
クロードが見る悪夢の中でヒルダは二度と話しかけてくれなくなる。自分のしくじりのせいで彼女は命を失ってしまうからだ。
「マリアンヌちゃんたちならきっとベルグリーズ伯に負けないよ!」
フライクーゲルを握りしめていた右手がクロードの背中を勢いよく叩く。勝てるよ、と言わないその冷静さが素晴らしい。
「ギュスタヴさんだって褒めてたし、それに心配なら合流地点に一番乗りすれば良いんだよ!」
クロードは素直にヒルダを美しい、と思った。外見の問題ではない。友人たちを信頼しているその姿勢が、咄嗟に最適解を出せる賢さが、この上なく美しいと思った。
───マリアンヌちゃん、手紙読んだよ!二人が無事なこと、それと私を証人に選んでくれたことがとっても嬉しい。マリアンヌちゃんを守ってくれてありがとう、って直接ローレンツくんに言える日が早く来てくれたら良いのに!その時には何かお礼の贈り物がしたいな。邪魔にならなくて楽しい気分になれてローレンツくんにぴったりの物が何なのか考えておかなきゃ。
すぐに休校になっちゃったからこれは本当に仮の話だけど、もしガルグ=マクで舞踏会があったら二人は踊る相手が決まったのと同じだよね!マリアンヌちゃんがローレンツくんと踊るところを見たかったな。私と違ってマリアンヌちゃんは背が高いからきっとローレンツくんとお似合いだと思うよ。
学生時代のローレンツくんは空回りしがちでちょっと見ていられなかったけど、今の彼はとっても偉いと思う。クロードくんからお家がらみで酷い扱いをされてもめげずに頑張ってたからかな。
でも、もしかしたらクロードくんが一番この状況を喜んでるのかもしれない。実際にどうしてふたつに分けた軍のファーガスに派遣される方にローレンツくんを配置したのか質問したらクロードくんは絶対にはぐらかすだろうし、今の状況を狙ってたのかどうか聞いてもどっちに転んでもいいと思ってた、としか言わないと思う。ああ見えてクロードくんはすごい照れ屋だから。
でもどうせなら幸せになる人数が多い方が良いに決まってるもの。だから私は自分のためにもクロードくんのためにもクロードくんはローレンツくんが汚名を濯ぐと信じて活躍しやすい場所に派遣した、と信じることにするね。
めげないローレンツくんみたいに私も格好よくありたいな。そのために必要なものって何だろうね?薔薇かな?勿論これは冗談だけど。
マリアンヌちゃんたちと別行動になって以来、クロードくんが敵を騙すために短期目標と長期目標が食い違って見える作戦を立てるもんだから毎日すっごく大変!自分が今、何をやってるのかよく分からなくなる生活をしている中でマリアンヌちゃんに手紙を書いている時間は嘘や矛盾がないの───
個人的なことだから皆を巻き込むわけにいかない、と言って沈黙を選んでいたシェズの良識が最悪の結果を生んでいた。戦いには勝ったが王国の前哨基地はひどく沈んでいる。目の前で父ロドリグを失ったフェリクス、己の全てを分かってくれる後見人であった前フラルダリウス公を失ったディミトリのことを思うとローレンツは口を閉ざすしかない。
自然とレスター出身者同士でまた同じ火に当たっていた。流石に皆どう話したものか考えあぐね、口を閉ざしている。暖かな光に照らされるマリアンヌの顔は沈んでいたが、それでもローレンツからすればその美しさは賞賛に値する。しばらくは火の爆ぜる音だけがあたりに漂っていたのだが、ラファエルが大きく手を叩いた。何かが彼の中で定まったらしい。
「よぉし!オデたちに出来ることをしよう!」
「わ、びっくりした!急に大きな声出さないでくださいよ、ラファエルくん。それで一体、何をするんですか?」
「見回りだ!」
確かに悲しみに暮れる今は警戒が緩んでいるかもしれない。その隙に乗じてあの恐ろしい灰色の悪魔───今やファーガス全軍の敵だ───が再び攻めてくる可能性もある。
「声のでっかいオデとローレンツくんが喋りながら皆で歩けばいいと思うぞ。そしたら、少なくとも獣は寄ってこねえ」
「それでは静かにしていたい者たちの迷惑になるではないか」
「足音だけでも動物たちは充分警戒しますので必ずしも話すことはないかと……」
埒が開かないと思ったのかイグナーツが三人の会話に割って入り、二手に別れて前哨基地の中を見回ることになった。
騎士となったイグナーツは優秀で、豪商の次男である彼を入り婿にしたい名家の者は多い。ローレンツはマリアンヌを高く評価していたが、見合い相手と結婚後に恋愛をする自信もある。
だが、ローレンツはマリアンヌと二人きり、無言で並んで歩いたこの晩のことを生涯忘れないだろう。そして、そっと背中を押してくれた頼もしい騎士の手に込められていたのは主人への忖度ではなく友情であった、そう信じている。畳む
#真昼の月と花冠
#クロヒル
#ロレマリ
7.
ガラテア領の合流場所に到着してみると既にクロードたちは前哨基地の設営を終えていた。円卓会議に出席する父に帯同してデアドラに来ていたのですれ違う顔になんとなく見覚えがある。だがそれでもローレンツはリーガン家の軍旗に里心を刺激された自分が信じられない。ほんの数節とはいえフェルディアにいたこともあるし、それなりに王国軍に馴染めていたつもりだというのに。
「ローレンツくん!みてください!クロードくんたちですよ!」
はしゃぐイグナーツがディミトリたちと話すクロードを指さした。彼らの傍にはヒルダもいる。父エルヴィンからの手紙によるとホルストもこちらに来ているらしい。
「先を越されるとは思わなかったな。一体どんな手を使ったのやら」
ローレンツも薄々は勘づいている。クロードたちの軍勢は街道もない山を越えたのだ。そうでなければこちらの方が早く着いていただろう。戦後の論功行賞を見据えてクロードは行動している。和平が成立する際は負けた側が賠償金を支払うものだが、国土の荒れ方から言っても今の帝国には支払い能力がない。
そうなるとやはり領土の割譲が視野に入ってくる。クロードはミルディン大橋を擁するベルグリーズ領、アミッド大河の河口を擁するフリュム領をレスター諸侯同盟に併合するつもりだろう。彼は下調べも兼ねてベルグリーズ領にちょっかいを出していたのだ。全くもって油断ならない。
中央教会や王国の者たちと打ち合わせをクロードに任せたヒルダがローレンツたちの元にやってきた。
「マリアンヌちゃん!良かった〜!元気そうで!」
「はい、激戦に次ぐ激戦でしたがこうして今、お元気そうなヒルダさんの前に立てています」
久しぶりにヒルダに会えたマリアンヌはここ数節で一番の笑顔を浮かべている。付かず離れずという位置からその姿を見られただけでもローレンツは命をかけた甲斐があった。はしゃぐ二人を見てイグナーツとラファエルも嬉しそうにしている。ああいう触れ合いは邪魔するべきではない。
「ヒルダさんが元気そうで僕、安心しました。それにいつ帰れるのか分からなくて不安でしたけど、クロードくんと合流できたってことはそろそろですよね?」
「つまりは戦果を立てる機会も残り少ないということだ」
まさかこのまま帝都アンヴァルにまで進軍することはないだろう。クロードも現時点では大修道院を奪還し、中央教会が有利なように和平を結ぶことまでしか考えていないはずだ。
「オデはクロードくんに頼まれたから今回、参加したけど早く大修道院を取り戻してマーヤのところに帰りてえな」
「そうだな。まずは生き残らねばならないが、ラファエルくんの活躍については僕からも報告しておく。クロードからたんまりと報奨金も貰うといい」
この件に関してグロスタール家の懐は全く傷まないのでローレンツは大盤振る舞いが出来る。男三人を放置していることに気づいたヒルダが手を振って近寄ってきた。こんな華奢な身体であのホルストですら扱うことのできないフライクーゲルを振るうのだから人間は見た目で判断してはならない。
ヒルダに案内され、ローレンツは少し離れた場所にある同盟の前哨基地にやってきた。道すがらヒルダからも説明があったが、確かに手狭でここに同盟側の全軍が合流するのは難しいだろう。またすぐにアリルに向けて出発することもあり礼拝堂などは組み立てていない。
「本部はこっちだよ」
手招きされるがままにローレンツは大きな天幕の中に入った。久しぶりに会ったクロードは悔しいが強行軍の疲れを表に出していない。鉄筆をもって蝋引きの書字板に何かを書きつけていた。
「ようローレンツ、一度死にかけた割に元気そうじゃないか。安心したぞ」
何故そんなことをクロードが知っているのだろうか。父宛の手紙にすら負傷したがもう復帰した、としか書いていない。だがヒルダの唇の端が上がり頬には笑窪が出来ている。
「私とマリアンヌちゃん手紙のやり取りしてるのよねー。私すっごく感動しちゃった!あっ、ローレンツくんにも見せ……」
「駄目だ駄目だ、ヒルダさん!それは貴族らしい振る舞いではない!」
きっと褒めてくれたのだろうと思う。ヒルダ相手にどんな風にローレンツを誉めてくれたのか、直に教えてもらえる日は来るのだろうか。
「はい、ヒルダちゃんの勝ち〜!」
書字板を取り上げたヒルダは得意げだがクロードは少し頬を膨らませローレンツを睨みつけている。だがどことなく嬉しそうだった。
「ローレンツ、お前どうしてヒルダの言葉を遮ったんだよ!」
「呆れたな!まさか君たちバルタザールくんのように賭けごとをしていたのかね?この僕で?」
クロードは口を尖らせたままで反省の色を見せない。レスター諸侯同盟の盟主だというのに子供っぽいにも程がある。だがそれも後見人であるダフネル家のジュディッドが健在だからかもしれない。
「うん、そうだよ。私の提案をいつローレンツくんが遮るか、でね」
あくまでも最後まで言わせないかどうか、が賭けの対象であったことにローレンツは安心した。そこはこの二人から信頼されているらしい。
「参考までに聞かせて欲しいのだが、クロードが勝ったらヒルダさんは何をする予定だったのだ?」
それに何故、ヒルダはクロードの書字板を取り上げたのだろうか。ローレンツには全く理解できなかった。
「髪を切ってあげる筈だったの」
「確かにヒルダさんは随分と器用だが、理髪の心得もあるのかね?」
「いや、そんな複雑なことは頼んでないさ。願掛けしてたんだよ」
胼胝だらけのクロードの指が前髪で編んだ三つ編みをつまんでいる。彼の人相書きには必ず三つ編みが明記されていることだろう。
「宿願は叶ったのかね?」
「まぁな、だが賭けにも負けちまったし、この戦争が終わるまでは持ち越しだな」
それを切り落とす際にヒルダを指名するとはクロードも随分とわかりやすい。
「ヒルダさんは何故、書字板をとりあげたかったのだろうか?」
「だってこれが手元にあるとクロードくんずーっと休憩しないんだもの。戦場では休むのも仕事ってこと!」
何故クロードが休憩を取らずにいる、とヒルダが知っているのか。ずっと見張っていなければそんなことは分からない。どうやら、ローレンツと別行動をとっていた間に二人は随分と親密な仲になっていたようだ。ローレンツはエドマンド辺境伯だけで済むがクロードは近々ホルスト卿と前ゴネリル公爵の前で話す羽目になるだろう。畳む
#クロヒル
#ロレマリ
7.
ガラテア領の合流場所に到着してみると既にクロードたちは前哨基地の設営を終えていた。円卓会議に出席する父に帯同してデアドラに来ていたのですれ違う顔になんとなく見覚えがある。だがそれでもローレンツはリーガン家の軍旗に里心を刺激された自分が信じられない。ほんの数節とはいえフェルディアにいたこともあるし、それなりに王国軍に馴染めていたつもりだというのに。
「ローレンツくん!みてください!クロードくんたちですよ!」
はしゃぐイグナーツがディミトリたちと話すクロードを指さした。彼らの傍にはヒルダもいる。父エルヴィンからの手紙によるとホルストもこちらに来ているらしい。
「先を越されるとは思わなかったな。一体どんな手を使ったのやら」
ローレンツも薄々は勘づいている。クロードたちの軍勢は街道もない山を越えたのだ。そうでなければこちらの方が早く着いていただろう。戦後の論功行賞を見据えてクロードは行動している。和平が成立する際は負けた側が賠償金を支払うものだが、国土の荒れ方から言っても今の帝国には支払い能力がない。
そうなるとやはり領土の割譲が視野に入ってくる。クロードはミルディン大橋を擁するベルグリーズ領、アミッド大河の河口を擁するフリュム領をレスター諸侯同盟に併合するつもりだろう。彼は下調べも兼ねてベルグリーズ領にちょっかいを出していたのだ。全くもって油断ならない。
中央教会や王国の者たちと打ち合わせをクロードに任せたヒルダがローレンツたちの元にやってきた。
「マリアンヌちゃん!良かった〜!元気そうで!」
「はい、激戦に次ぐ激戦でしたがこうして今、お元気そうなヒルダさんの前に立てています」
久しぶりにヒルダに会えたマリアンヌはここ数節で一番の笑顔を浮かべている。付かず離れずという位置からその姿を見られただけでもローレンツは命をかけた甲斐があった。はしゃぐ二人を見てイグナーツとラファエルも嬉しそうにしている。ああいう触れ合いは邪魔するべきではない。
「ヒルダさんが元気そうで僕、安心しました。それにいつ帰れるのか分からなくて不安でしたけど、クロードくんと合流できたってことはそろそろですよね?」
「つまりは戦果を立てる機会も残り少ないということだ」
まさかこのまま帝都アンヴァルにまで進軍することはないだろう。クロードも現時点では大修道院を奪還し、中央教会が有利なように和平を結ぶことまでしか考えていないはずだ。
「オデはクロードくんに頼まれたから今回、参加したけど早く大修道院を取り戻してマーヤのところに帰りてえな」
「そうだな。まずは生き残らねばならないが、ラファエルくんの活躍については僕からも報告しておく。クロードからたんまりと報奨金も貰うといい」
この件に関してグロスタール家の懐は全く傷まないのでローレンツは大盤振る舞いが出来る。男三人を放置していることに気づいたヒルダが手を振って近寄ってきた。こんな華奢な身体であのホルストですら扱うことのできないフライクーゲルを振るうのだから人間は見た目で判断してはならない。
ヒルダに案内され、ローレンツは少し離れた場所にある同盟の前哨基地にやってきた。道すがらヒルダからも説明があったが、確かに手狭でここに同盟側の全軍が合流するのは難しいだろう。またすぐにアリルに向けて出発することもあり礼拝堂などは組み立てていない。
「本部はこっちだよ」
手招きされるがままにローレンツは大きな天幕の中に入った。久しぶりに会ったクロードは悔しいが強行軍の疲れを表に出していない。鉄筆をもって蝋引きの書字板に何かを書きつけていた。
「ようローレンツ、一度死にかけた割に元気そうじゃないか。安心したぞ」
何故そんなことをクロードが知っているのだろうか。父宛の手紙にすら負傷したがもう復帰した、としか書いていない。だがヒルダの唇の端が上がり頬には笑窪が出来ている。
「私とマリアンヌちゃん手紙のやり取りしてるのよねー。私すっごく感動しちゃった!あっ、ローレンツくんにも見せ……」
「駄目だ駄目だ、ヒルダさん!それは貴族らしい振る舞いではない!」
きっと褒めてくれたのだろうと思う。ヒルダ相手にどんな風にローレンツを誉めてくれたのか、直に教えてもらえる日は来るのだろうか。
「はい、ヒルダちゃんの勝ち〜!」
書字板を取り上げたヒルダは得意げだがクロードは少し頬を膨らませローレンツを睨みつけている。だがどことなく嬉しそうだった。
「ローレンツ、お前どうしてヒルダの言葉を遮ったんだよ!」
「呆れたな!まさか君たちバルタザールくんのように賭けごとをしていたのかね?この僕で?」
クロードは口を尖らせたままで反省の色を見せない。レスター諸侯同盟の盟主だというのに子供っぽいにも程がある。だがそれも後見人であるダフネル家のジュディッドが健在だからかもしれない。
「うん、そうだよ。私の提案をいつローレンツくんが遮るか、でね」
あくまでも最後まで言わせないかどうか、が賭けの対象であったことにローレンツは安心した。そこはこの二人から信頼されているらしい。
「参考までに聞かせて欲しいのだが、クロードが勝ったらヒルダさんは何をする予定だったのだ?」
それに何故、ヒルダはクロードの書字板を取り上げたのだろうか。ローレンツには全く理解できなかった。
「髪を切ってあげる筈だったの」
「確かにヒルダさんは随分と器用だが、理髪の心得もあるのかね?」
「いや、そんな複雑なことは頼んでないさ。願掛けしてたんだよ」
胼胝だらけのクロードの指が前髪で編んだ三つ編みをつまんでいる。彼の人相書きには必ず三つ編みが明記されていることだろう。
「宿願は叶ったのかね?」
「まぁな、だが賭けにも負けちまったし、この戦争が終わるまでは持ち越しだな」
それを切り落とす際にヒルダを指名するとはクロードも随分とわかりやすい。
「ヒルダさんは何故、書字板をとりあげたかったのだろうか?」
「だってこれが手元にあるとクロードくんずーっと休憩しないんだもの。戦場では休むのも仕事ってこと!」
何故クロードが休憩を取らずにいる、とヒルダが知っているのか。ずっと見張っていなければそんなことは分からない。どうやら、ローレンツと別行動をとっていた間に二人は随分と親密な仲になっていたようだ。ローレンツはエドマンド辺境伯だけで済むがクロードは近々ホルスト卿と前ゴネリル公爵の前で話す羽目になるだろう。畳む
#真昼の月と花冠
#クロヒル
#ロレマリ
8.
熊を狩る前に毛皮を売るような事態を避けるためディミトリもクロードもセイロス騎士団の意見を聞き、慎重に部隊を配置していた。クロードとの別れ際の会話がローレンツの脳裏に浮かぶ。
「魔道士の件、さっきも言ったが念を押しておくぜ。それと活躍、期待してるぜ。ローレンツ先生。なんてったって今後のことが絡んでるからな」
「魔道士の件は他の者にも伝えておく。他人をあてにしないで君自身もこの僕のように奮闘努力したまえ」
だが離れて行動している間に随分と神経を使ったのだろう。ベルグリーズ伯を騙し、東側に引きつけるために本当に複雑な作戦を立てていた、と言う話が多方面から流れてきた。気取られないように演技していたが少し顔も疲れていたし、ヒルダが心配するのも納得できる。
全軍の方針を決めるのはディミトリとクロードだが、王国軍に組み込まれたままのローレンツたちの配置を決めるのは彼の信頼が厚いシェズだ。彼女はたまにらしくない冴えを見せる時があって、皆そこにも一目置いている。
シェズはクロードたちと連携がとりやすくなるよう自分の近くにローレンツとマリアンヌを配置していた。周辺の砦から落として帝国軍を押し出し、ガルグ=マクへ一直線に向かう予定だと言う。とにかく足の速い彼女に振り落とされないようにするのは大変だ。
ローレンツたちの遥か前方では皇帝直属軍の軍旗が翻っている。国内の惨状を放置してエーデルガルトは今まで何をやっていたのだろうか。
「誰がアリルまで来ているのでしょう……気になりますね……」
傍にいるマリアンヌが手の甲で汗を拭いながらそう呟いた。今から手巾を使っていたのでは何枚あっても足りないだろう。アリルはどの土地と比べても暑いところだが最近まで王国にいたせいで余計に暑く感じる。王国軍に降ってローレンツたちと行動を共にしているペトラやリンハルトも同じ気持ちだろう。
フェルディナントやヒューベルト、それに確か亡骸を確認できていないモニカはどこで何をしているのか。マリアンヌは彼らを気にかけている。あの三人が健在なら自己を厳しく律しているディミトリが帝国に攻め込むほど国土が荒れることはなかったはずだ。
「フェルディナントくんと相見えたいものだ」
「はい、フェルディナントさんを捕虜にすればエーギル公と交渉出来る可能性が高まりますし……」
クロードとヒルダが随分親密な仲になった、と思ったが自分もどうやらマリアンヌと親密な仲になれたらしい。これデフォドラの趨勢が決まる、と言う戦いを前にして二人で都合の良い妄想をしているのだから。
フェルディナントは人当たりの良い好青年でローレンツともマリアンヌとも仲が良かった。ガルグ=マク奪還後に彼の安否が判ると良い。
ローレンツは飛竜に跨り上空で檄を飛ばすクロードを指差した。よく通る声を持つ彼の言葉に兵たちが耳を傾けている。きっとその傍らにヒルダがいるのだろう。
「その手の交渉ごとはクロードに任せよう」
マリアンヌはローレンツの言葉に頷いてくれた。生き残ることが出来たなら新しい年がやってくる。年越しの瞬間くらいは楽しいことだけ考えていたい。その時、自分の傍らにマリアンヌが居てくれたら言うことはない。そんな未来を確実にするためにローレンツは槍を握った。
ローレンツたちが落とした砦に伝令兵がやってきた。死神騎士が現れたので彼を捕縛するためクロードの指示に従って欲しいのだと言う。だが一対一では絶対に勝てないのだ。熊のように罠にかけるしかない。
「クロードさんの予想通りになりましたね」
辺りにいる傷病兵たちに回復魔法をかけおえたマリアンヌはそう言った。ガルグ=マクを抜かれたら帝国は後がないので死に物狂いで連合軍をつぶしにかかってくる。分かっていたからこそ、彼らにはみつかりたくなかったのだがこうなってしまっては粛々と対処するしかない。
「やつの悪巧みが成功するよう微力を尽くすとしようか」
クロードは枝分かれしていく未来に可能な限り対応しようと努力していた。死神騎士が追い込まれた砦に向けて、矢が降り注ぐ雨のように放たれている。あれで死なないのだからやはりクロードが正しかったのだろう。
カスパルと彼の父ベルグリーズ伯もアリルに現れていた。ローレンツたちは目視したわけではないが、それなら本当にこのアリルにエーデルガルトがいる。影武者の可能性はこれで消えた。彼女さえ倒してしまえばこの戦争は終わる。全てはディミトリの選択にかかっていた。
あくまでも友軍に過ぎないローレンツたちは最初からこれまでずっと節度を守っている。もしクロードが直接、行動を共にしていたらディミトリやフェリクスの事情を嗅ぎ回っていた筈だ。クロードからはガルグ=マク奪還まではディミトリたちと行動を共にするようにと言われている。だが彼らがエーデルガルトに固執して遠回りをしたらどうすべきか。
「どうしてこちらに?!」
マリアンヌは滅多に大きな声を出さない。死にかけたローレンツが意識を取り戻した時も消え入りそうな静かな声で話していた。驚いて振り向くとクロードと共にいるはずのヒルダが飛竜にまたがってマリアンヌの目の前にいる。ローレンツがあんな風に再会を喜んでもらえる立場になる、そんな日が早く来てほしい。
「伝令兵が足りなくなっちゃったの!それにこっちの様子を見てきて欲しいってクロードくんが!」
連合軍は大所帯な上に死神騎士を罠にかけるため、かなり広範囲に部隊が散ってしまった。ミルディン以降、目がまわるような忙しさだったろうにヒルダがドラゴンマスターの資格を取っているのは何故か。答えは言うまでもない。
「分かった。それでヒルダさん、クロードは僕らにどうしろ、と?」
「ディミトリくんのそばにいて見届けてくれって言ってた!」
ダスカーの悲劇にまつわる噂話はローレンツたちも耳にしている。あれで人生が狂った者は多くディミトリたちはその筆頭だ。
「だが、ヒルダさんそれでは!」
エーデルガルトを失えば帝国の崩壊は確実となってしまう。それを避けるため決死隊のようになっている兵をクロードたちだけで押し留めなければならない。
「兄さんと私がいるからクロードくんは大丈夫!だから行って!」
咄嗟にホルストの名を出すのがとてもヒルダらしかった。こんな時でもこちらの心を軽くしようとする彼女を早くクロードの元へ戻してやらねばならない。ローレンツとマリアンヌは彼女に背を向けた。畳む
#クロヒル
#ロレマリ
8.
熊を狩る前に毛皮を売るような事態を避けるためディミトリもクロードもセイロス騎士団の意見を聞き、慎重に部隊を配置していた。クロードとの別れ際の会話がローレンツの脳裏に浮かぶ。
「魔道士の件、さっきも言ったが念を押しておくぜ。それと活躍、期待してるぜ。ローレンツ先生。なんてったって今後のことが絡んでるからな」
「魔道士の件は他の者にも伝えておく。他人をあてにしないで君自身もこの僕のように奮闘努力したまえ」
だが離れて行動している間に随分と神経を使ったのだろう。ベルグリーズ伯を騙し、東側に引きつけるために本当に複雑な作戦を立てていた、と言う話が多方面から流れてきた。気取られないように演技していたが少し顔も疲れていたし、ヒルダが心配するのも納得できる。
全軍の方針を決めるのはディミトリとクロードだが、王国軍に組み込まれたままのローレンツたちの配置を決めるのは彼の信頼が厚いシェズだ。彼女はたまにらしくない冴えを見せる時があって、皆そこにも一目置いている。
シェズはクロードたちと連携がとりやすくなるよう自分の近くにローレンツとマリアンヌを配置していた。周辺の砦から落として帝国軍を押し出し、ガルグ=マクへ一直線に向かう予定だと言う。とにかく足の速い彼女に振り落とされないようにするのは大変だ。
ローレンツたちの遥か前方では皇帝直属軍の軍旗が翻っている。国内の惨状を放置してエーデルガルトは今まで何をやっていたのだろうか。
「誰がアリルまで来ているのでしょう……気になりますね……」
傍にいるマリアンヌが手の甲で汗を拭いながらそう呟いた。今から手巾を使っていたのでは何枚あっても足りないだろう。アリルはどの土地と比べても暑いところだが最近まで王国にいたせいで余計に暑く感じる。王国軍に降ってローレンツたちと行動を共にしているペトラやリンハルトも同じ気持ちだろう。
フェルディナントやヒューベルト、それに確か亡骸を確認できていないモニカはどこで何をしているのか。マリアンヌは彼らを気にかけている。あの三人が健在なら自己を厳しく律しているディミトリが帝国に攻め込むほど国土が荒れることはなかったはずだ。
「フェルディナントくんと相見えたいものだ」
「はい、フェルディナントさんを捕虜にすればエーギル公と交渉出来る可能性が高まりますし……」
クロードとヒルダが随分親密な仲になった、と思ったが自分もどうやらマリアンヌと親密な仲になれたらしい。これデフォドラの趨勢が決まる、と言う戦いを前にして二人で都合の良い妄想をしているのだから。
フェルディナントは人当たりの良い好青年でローレンツともマリアンヌとも仲が良かった。ガルグ=マク奪還後に彼の安否が判ると良い。
ローレンツは飛竜に跨り上空で檄を飛ばすクロードを指差した。よく通る声を持つ彼の言葉に兵たちが耳を傾けている。きっとその傍らにヒルダがいるのだろう。
「その手の交渉ごとはクロードに任せよう」
マリアンヌはローレンツの言葉に頷いてくれた。生き残ることが出来たなら新しい年がやってくる。年越しの瞬間くらいは楽しいことだけ考えていたい。その時、自分の傍らにマリアンヌが居てくれたら言うことはない。そんな未来を確実にするためにローレンツは槍を握った。
ローレンツたちが落とした砦に伝令兵がやってきた。死神騎士が現れたので彼を捕縛するためクロードの指示に従って欲しいのだと言う。だが一対一では絶対に勝てないのだ。熊のように罠にかけるしかない。
「クロードさんの予想通りになりましたね」
辺りにいる傷病兵たちに回復魔法をかけおえたマリアンヌはそう言った。ガルグ=マクを抜かれたら帝国は後がないので死に物狂いで連合軍をつぶしにかかってくる。分かっていたからこそ、彼らにはみつかりたくなかったのだがこうなってしまっては粛々と対処するしかない。
「やつの悪巧みが成功するよう微力を尽くすとしようか」
クロードは枝分かれしていく未来に可能な限り対応しようと努力していた。死神騎士が追い込まれた砦に向けて、矢が降り注ぐ雨のように放たれている。あれで死なないのだからやはりクロードが正しかったのだろう。
カスパルと彼の父ベルグリーズ伯もアリルに現れていた。ローレンツたちは目視したわけではないが、それなら本当にこのアリルにエーデルガルトがいる。影武者の可能性はこれで消えた。彼女さえ倒してしまえばこの戦争は終わる。全てはディミトリの選択にかかっていた。
あくまでも友軍に過ぎないローレンツたちは最初からこれまでずっと節度を守っている。もしクロードが直接、行動を共にしていたらディミトリやフェリクスの事情を嗅ぎ回っていた筈だ。クロードからはガルグ=マク奪還まではディミトリたちと行動を共にするようにと言われている。だが彼らがエーデルガルトに固執して遠回りをしたらどうすべきか。
「どうしてこちらに?!」
マリアンヌは滅多に大きな声を出さない。死にかけたローレンツが意識を取り戻した時も消え入りそうな静かな声で話していた。驚いて振り向くとクロードと共にいるはずのヒルダが飛竜にまたがってマリアンヌの目の前にいる。ローレンツがあんな風に再会を喜んでもらえる立場になる、そんな日が早く来てほしい。
「伝令兵が足りなくなっちゃったの!それにこっちの様子を見てきて欲しいってクロードくんが!」
連合軍は大所帯な上に死神騎士を罠にかけるため、かなり広範囲に部隊が散ってしまった。ミルディン以降、目がまわるような忙しさだったろうにヒルダがドラゴンマスターの資格を取っているのは何故か。答えは言うまでもない。
「分かった。それでヒルダさん、クロードは僕らにどうしろ、と?」
「ディミトリくんのそばにいて見届けてくれって言ってた!」
ダスカーの悲劇にまつわる噂話はローレンツたちも耳にしている。あれで人生が狂った者は多くディミトリたちはその筆頭だ。
「だが、ヒルダさんそれでは!」
エーデルガルトを失えば帝国の崩壊は確実となってしまう。それを避けるため決死隊のようになっている兵をクロードたちだけで押し留めなければならない。
「兄さんと私がいるからクロードくんは大丈夫!だから行って!」
咄嗟にホルストの名を出すのがとてもヒルダらしかった。こんな時でもこちらの心を軽くしようとする彼女を早くクロードの元へ戻してやらねばならない。ローレンツとマリアンヌは彼女に背を向けた。畳む
#真昼の月と花冠
#クロヒル
#ロレマリ
9.
クロードの目論見は悔しいが当たっていた。エーギル公、そしてシェズの仇である灰色の悪魔がディミトリとエーデルガルトの間には立ちはだかっている。ディミトリたちに助太刀が必要なのは確かだった。
何故か帝国軍はアリルからガルグ=マクへ直行するせず、ガルグ=マク周辺を彷徨っているのだという。軍議では罠かもしれないので各方面を力押しをするべし、という結論になっていた。しかしマリアンヌの意見は違うらしい。軍議の後、ローレンツたちは出立前にシェズと食事をすることになった。形勢が決定的になったと看做した商人たちが品を持ってくるので食事の質は以前より上がっている。ラファエルはイグナーツを連れて塊肉を貰いに行ってしまった。
マリアンヌには気になることがあるようで、シェズを待っている間も口を開かず考えごとをしている。
「帝国軍も、というかエーギル公も私どもと同じくエーデルガルトさんを探しているのではないでしょうか?」
その成果を真っ先に聞けたことがローレンツは嬉しい。
「それならこの不可解な帝国軍の動きも理解できる」
「ここから先は最悪を避けるため、いつ彼女を諦めるか、の駆け引きになっていく筈です」
エーデルガルトを確保し、ガルグ=マクを奪還することが最良の結果だが双方を追い求めてガルグ=マク奪還に失敗しては意味がない。エーギル公もエーデルガルトを確保しガルグ=マク防衛に成功したいので事情が似ている。
「戦列を伸ばさないように心がけよう」
ディミトリとシェズがどんな駆け引きをするか、ローレンツもマリアンヌもその目で確認せねばならない。足の早いシェズに着いていくのは大変な筈だ。
戦場には相変わらずローレンツたちが探しているフェルディナント、そして全軍をあげて探しているエーデルガルトの姿が見えない。エーギル公を撃破した勢いをどちらに活かすのかローレンツたちが見守っていると遠くから兵たちの悲鳴が聞こえてきた。皆、口々に灰色の悪魔、と言っている。
双剣を手にしたシェズが兵たちの流れに逆らうようにして走り出した。このフォドラには紋章の力を超えたような武の力を持つ者がいる。クロードがそんな者たちと相対する際は武で競うようなことはせず、災害か何かのように扱う。だがシェズは正面から打って出た。
白い光と紫の光に誰に包まれて戦う二人はまるで災害のようで、誰も手出しはできない。シェズはロドリグを死なせてしまったことを深く悔いていた。士官学校にやってきた当初は皆に馴染む自信がなかったのだろう。何故ジェラルド傭兵団を探しているのか、すら明かしていなかった。今もなお奪われ、奪い、を繰り返しているのはそんな遠慮のせいかもしれない。
「ローレンツさん、あれは一体、何の力なのでしょう……?」
王国に降ったリンハルトも全く分からないと言っていた。ローレンツも紋章の力を身に宿している。だからこそ彼女たちがそんな枠を超えたところで戦っていることが分かるのだ。武器同士がぶつかり合う音が聞こえなければ光に包まれたニ人が何をしているのか分からなかっただろう。永遠に続くかと思われたその殺し合いは緑の光が消えたところで決着がついた。
ローレンツはどうも学校とは縁がないらしい。魔道学院も政情不安の煽りを受けて退学し士官学校に戻る数節しか居られなかった。王国軍も同盟軍もあの時、士官学校にいた者が多い。皆二年ぶりにガルグ=マク修道院を目にして何とも言い難い表情を浮かべている。そして当然と言えば当然だがここにもフェルディナントの姿がない。
マリアンヌもローレンツもじわじわと彼のことを諦めつつあった。ディミトリの気質なのか痛くもない腹を探られたくないための方便なのか王国の者たちは降伏した敵将が尋問で明かしたことをローレンツたちと共有してくれる。
「ねえ、ローレンツとマリアンヌに同盟軍との合流場所の確保を任せてもいい?確かあっちなんだけど」
仇討ちに成功したシェズが指差した方向に砦はない。足は早いが彼女はとにかく道を間違えるのだ。
「良いだろう。このローレンツ=ヘルマン=グロスタールに全て任せたまえ」
もしアリルに置き去りにしたクロードが帝国軍相手に負けていたらローレンツたちは王国軍を守る盾にならねばならない。
「シェズさんのおかげで真っ先にヒルダさんとクロードさんをお迎えできますね」
そんなことは承知した上でマリアンヌは顔に笑みを浮かべた。彼女は自己否定の度が過ぎる時も多い。だが自然とこういうことを言える人物でもあるのでヒルダもマリアンヌを好いているのだ。
敵もローレンツたちが陥落させた砦が何に使われるのか分かっているらしい。帝国軍であると偽装することを止めた怪しげな魔道士たちが群れをなして攻め込んでくる。これまで散々、苦しめられてきた怪しげな兵器も惜しみなく投入されている。敵もここを占拠されれば終わりなことがわかっているのだろう。
降り注ぐ悪意の中、無我夢中で槍を振るい続けたローレンツは敵将を倒した。本隊の者たちがいつの間にやら砲台や怪しげな兵器を停止させたようで空は静かになっている。
おかげで飛竜の羽音がよく聞こえた。疲れで目が霞んでいるがイグナーツが弓を構えていないので警戒する必要はない。
「ちょっと遅れちゃったかな?みんな、王国軍に加勢するよー!」
ヒルダの声がして、喜ぶマリアンヌの声を耳にしてローレンツはようやく安堵のため息をつくことができた。疲れ果てた身体にマリアンヌが申し訳なさそうにかけてくれた白魔法の力が満ちていく。
「すみません、私……副官なのにローレンツさんのことを放置してしまって。クロードさんも無事で、後から来るそうです」
「きっと何か企んでいるのだろうな」
これは予感ですらなく、単なる確信に過ぎなかった。
「そうだよ!今は言えないけどローレンツくんもきっとびっくりするよ!」
「ヒルダさんに先陣を切らせたことにまず驚いたよ」
いつも楽をしたいヒルダが今回は敵を切り開く過酷な役目を引き受けている。つまりクロードが率いる部隊はもっと厄介なことに従事しているのだ。偽りの臣従作戦と違って秘密にされても腹は立たない。
「まあこれで最後だろうから私もちょっとだけ頑張ろうかな〜?って」
自称・猜疑心の塊が随分と甘え上手になったものだ、ローレンツは素直にそう思う。
「クロードを出迎えてやるに相応しい場所はどこだろうか?」
ヒルダは黙ってフライクーゲルでガルグ=マクの高層防衛門を指した。畳む
#クロヒル
#ロレマリ
9.
クロードの目論見は悔しいが当たっていた。エーギル公、そしてシェズの仇である灰色の悪魔がディミトリとエーデルガルトの間には立ちはだかっている。ディミトリたちに助太刀が必要なのは確かだった。
何故か帝国軍はアリルからガルグ=マクへ直行するせず、ガルグ=マク周辺を彷徨っているのだという。軍議では罠かもしれないので各方面を力押しをするべし、という結論になっていた。しかしマリアンヌの意見は違うらしい。軍議の後、ローレンツたちは出立前にシェズと食事をすることになった。形勢が決定的になったと看做した商人たちが品を持ってくるので食事の質は以前より上がっている。ラファエルはイグナーツを連れて塊肉を貰いに行ってしまった。
マリアンヌには気になることがあるようで、シェズを待っている間も口を開かず考えごとをしている。
「帝国軍も、というかエーギル公も私どもと同じくエーデルガルトさんを探しているのではないでしょうか?」
その成果を真っ先に聞けたことがローレンツは嬉しい。
「それならこの不可解な帝国軍の動きも理解できる」
「ここから先は最悪を避けるため、いつ彼女を諦めるか、の駆け引きになっていく筈です」
エーデルガルトを確保し、ガルグ=マクを奪還することが最良の結果だが双方を追い求めてガルグ=マク奪還に失敗しては意味がない。エーギル公もエーデルガルトを確保しガルグ=マク防衛に成功したいので事情が似ている。
「戦列を伸ばさないように心がけよう」
ディミトリとシェズがどんな駆け引きをするか、ローレンツもマリアンヌもその目で確認せねばならない。足の早いシェズに着いていくのは大変な筈だ。
戦場には相変わらずローレンツたちが探しているフェルディナント、そして全軍をあげて探しているエーデルガルトの姿が見えない。エーギル公を撃破した勢いをどちらに活かすのかローレンツたちが見守っていると遠くから兵たちの悲鳴が聞こえてきた。皆、口々に灰色の悪魔、と言っている。
双剣を手にしたシェズが兵たちの流れに逆らうようにして走り出した。このフォドラには紋章の力を超えたような武の力を持つ者がいる。クロードがそんな者たちと相対する際は武で競うようなことはせず、災害か何かのように扱う。だがシェズは正面から打って出た。
白い光と紫の光に誰に包まれて戦う二人はまるで災害のようで、誰も手出しはできない。シェズはロドリグを死なせてしまったことを深く悔いていた。士官学校にやってきた当初は皆に馴染む自信がなかったのだろう。何故ジェラルド傭兵団を探しているのか、すら明かしていなかった。今もなお奪われ、奪い、を繰り返しているのはそんな遠慮のせいかもしれない。
「ローレンツさん、あれは一体、何の力なのでしょう……?」
王国に降ったリンハルトも全く分からないと言っていた。ローレンツも紋章の力を身に宿している。だからこそ彼女たちがそんな枠を超えたところで戦っていることが分かるのだ。武器同士がぶつかり合う音が聞こえなければ光に包まれたニ人が何をしているのか分からなかっただろう。永遠に続くかと思われたその殺し合いは緑の光が消えたところで決着がついた。
ローレンツはどうも学校とは縁がないらしい。魔道学院も政情不安の煽りを受けて退学し士官学校に戻る数節しか居られなかった。王国軍も同盟軍もあの時、士官学校にいた者が多い。皆二年ぶりにガルグ=マク修道院を目にして何とも言い難い表情を浮かべている。そして当然と言えば当然だがここにもフェルディナントの姿がない。
マリアンヌもローレンツもじわじわと彼のことを諦めつつあった。ディミトリの気質なのか痛くもない腹を探られたくないための方便なのか王国の者たちは降伏した敵将が尋問で明かしたことをローレンツたちと共有してくれる。
「ねえ、ローレンツとマリアンヌに同盟軍との合流場所の確保を任せてもいい?確かあっちなんだけど」
仇討ちに成功したシェズが指差した方向に砦はない。足は早いが彼女はとにかく道を間違えるのだ。
「良いだろう。このローレンツ=ヘルマン=グロスタールに全て任せたまえ」
もしアリルに置き去りにしたクロードが帝国軍相手に負けていたらローレンツたちは王国軍を守る盾にならねばならない。
「シェズさんのおかげで真っ先にヒルダさんとクロードさんをお迎えできますね」
そんなことは承知した上でマリアンヌは顔に笑みを浮かべた。彼女は自己否定の度が過ぎる時も多い。だが自然とこういうことを言える人物でもあるのでヒルダもマリアンヌを好いているのだ。
敵もローレンツたちが陥落させた砦が何に使われるのか分かっているらしい。帝国軍であると偽装することを止めた怪しげな魔道士たちが群れをなして攻め込んでくる。これまで散々、苦しめられてきた怪しげな兵器も惜しみなく投入されている。敵もここを占拠されれば終わりなことがわかっているのだろう。
降り注ぐ悪意の中、無我夢中で槍を振るい続けたローレンツは敵将を倒した。本隊の者たちがいつの間にやら砲台や怪しげな兵器を停止させたようで空は静かになっている。
おかげで飛竜の羽音がよく聞こえた。疲れで目が霞んでいるがイグナーツが弓を構えていないので警戒する必要はない。
「ちょっと遅れちゃったかな?みんな、王国軍に加勢するよー!」
ヒルダの声がして、喜ぶマリアンヌの声を耳にしてローレンツはようやく安堵のため息をつくことができた。疲れ果てた身体にマリアンヌが申し訳なさそうにかけてくれた白魔法の力が満ちていく。
「すみません、私……副官なのにローレンツさんのことを放置してしまって。クロードさんも無事で、後から来るそうです」
「きっと何か企んでいるのだろうな」
これは予感ですらなく、単なる確信に過ぎなかった。
「そうだよ!今は言えないけどローレンツくんもきっとびっくりするよ!」
「ヒルダさんに先陣を切らせたことにまず驚いたよ」
いつも楽をしたいヒルダが今回は敵を切り開く過酷な役目を引き受けている。つまりクロードが率いる部隊はもっと厄介なことに従事しているのだ。偽りの臣従作戦と違って秘密にされても腹は立たない。
「まあこれで最後だろうから私もちょっとだけ頑張ろうかな〜?って」
自称・猜疑心の塊が随分と甘え上手になったものだ、ローレンツは素直にそう思う。
「クロードを出迎えてやるに相応しい場所はどこだろうか?」
ヒルダは黙ってフライクーゲルでガルグ=マクの高層防衛門を指した。畳む
#真昼の月と花冠
#クロヒル
#ロレマリ
10.
───ガルグ=マク講和会議でベルグリーズ領とフリュム領がレスター諸侯同盟に割譲されるのは勿論、僕やマリアンヌさん、僕の騎士であるイグナーツくん、そしてラファエルくんの活躍あってのことだが───それも君の人選が正しかったからだ。西部派遣部隊として、短期間だがフェルディアに滞在したことがある僕を、そして僕と相性が良い者を選んでくれたことに改めて感謝する。
これでレスター諸侯同盟はアミッド大河の両岸と豊かな穀倉地帯を擁することになった。百年後も彼の地がレスター諸侯同盟のものであり続けるよう我々は努力せねばならない。他人の顔を奪って成り代わる者たちが跋扈していた土地だ。平民たちの間にもどんな禍根が残されているかわからない。
恥を晒すのは忍びないがグロスタール家も数年前、彼らに入り込まれていたことが判明した。リーガン家にも関係があることなので現当主として報告させてもらおう。父の家臣から顔を奪った者が傭兵団を使ってリーガン領との境で商人を襲っていたのだ。犠牲者の中にゴトフロア卿とラファエルくんのご両親が含まれている。
クロード、認めたくはないが君は奇跡のような存在なのだ。君がいなければリーガン家は絶えていたしあの難局をここまで有利な形で終えられたとは思えない。講和条約が結ばれ血を流さずに済む現状は君がもたらしたのだ。今後、我々は民と土地を癒すことに全力を尽くさねばならない。
旧ベルグリーズ領はアミッド大河の対岸にある我がグロスタール家とコーデリア家が、旧フリュム領はゴネリル家が暫定的に統治する件も了承した。父は元々そうせざるを得ないと考えていたらしい。僕たちがガルグ=マクで王国、帝国の者たちと会議を重ねている間にコーデリア伯や前ゴネリル公やホルスト卿と既に会っていた。爵位は継いだがまだまだ先達の手助けが必要だ。これは僕たちが頼りないからではない。先代の領主たちと違って大乱を経た分だけ多忙だ、ということだ。
前ゴネリル公そしてホルスト卿も今後はフリュム領の件でますます忙しくなる。君も早いうちに時間を作ってゴネリル領へ挨拶に行くべきではないだろうか。その際には花束と指輪そして特効薬を多めに持っていくことをお勧めする───
エドマンド家には毎日ひっきりなしに書簡が届く。和平成立前はその殆どがマリアンヌの義父エドマンド辺境伯に宛てたものだった。引っ込み思案なマリアンヌへこまめに手紙を書いてくれるのはヒルダくらいだったが今は違う。爵位を継ぎグロスタール伯となったローレンツがヒルダの倍は手紙を寄越してくる。手紙だけではなくちょっとした贈り物が添えてあることも多い。
こんなことができるのは両家共にデアドラに上屋敷があるからだ。自領の本宅と上屋敷は定期的に荷物や文書のやり取りがあり、そこからエドマンド家の上屋敷へ使用人が届けに行く。両家の幾人もの使用人を介したやりとりはしっかりと身内に知れ渡っている。
そんな中、珍しくクロードからマリアンヌにあてた手紙が届いた。年越しの晩餐会への招待状だったが短い私信もついている。煩わしい連中は呼んでいない、親しい者しかいない気軽なものだから軽率に来てほしい、と書いてあった。その書きぶりが彼らしくて思わず顔が綻んでしまう。
マリアンヌは私信を引き出しにしまい、招待状だけを手にしてエドマンド辺境伯の執務室に向かった。商才と弁舌に長けた彼を苦手とする者は多い。ローレンツによると彼の父エルヴィンですらそうだと聞く。
「お義父さま、今年の年越しについてお話があります」
「デアドラで過ごすのか?」
クロードは義父にも手紙を書いたのかもしれないし手紙を振り分けた秘書が差出人と宛名について報告したのかもしれない。だがマリアンヌはもう慣れることにした。そんな風に思い切れるようになったのはあの戦いの日々───成長の糧であった、と言うか成長の糧にせざるを得なかった、と言うか───があったからなのだろう。
「はい、クロードさんの……リーガン公主催の晩餐会に出席しようと思います」
エドマンド辺境伯はマリアンヌ宛の紹介状を手に取った。目を細めているのは感情を誤魔化すため、のように思えるが老いのせいなのかもしれない。彼はいつも洒脱に装っているが、それでも引き取った養女に結婚の話が出てくるような、そんな年齢になったことは事実だ。
───頼もしい年寄りたちには当分、ややこしい戦後処理などでもご活躍いただこう。帝国と比べれば随分まし、と言っても人手不足なことに変わりはない。
頼もしさで言えばローレンツ、お前も同等だ。ミルディン大橋の件でグロスタール家には大きな負担がかかってしまった。失陥についても奪還についても、だ。その負担の中に名誉にまつわるものがあったことを本当に申し訳なく思う。
だが現グロスタール伯の西部戦線における活躍で汚名は十分に濯げたようだ。お前の武勲は家中や同盟内部での問題を解決したがそれだけに止まらない。
王国に派遣した連中が皆、誠実だったからベルグリーズ領とフリュム領の割譲が王国や中央教会から円滑に認められた、と思う。これは俺のような、人を信じることが苦手な人間には絶対にできないことだ。
これぞまさに花冠を賜るに相応しい戦果と言える。ヒルダはずっとローレンツに会えたら仮の贈り物をする、と言っていたが分かるだろう?アリルからガルグ=マクまでは余裕が全くなかったから、ヒルダがどうするつもりなのか正直言って俺には見当もつかなかった。
ディミトリがタレスを討って、大修道院の安全が確保された途端にヒルダが温室へ行った時には流石だと思ったね。なんと言っても仮の贈り物だ。てっきり収穫しそびれた果物でも適当にもいで籠に盛って終わりにするのかと思ったよ。
だが出来上がったのはあの色鮮やかな花冠だ。赤い薔薇だけで作れなかったことを残念がっていたがそれでも挫けず手作りするところがヒルダらしい。本人は自分は直ぐにへこたれる、と考えているらしいが俺から言わせればそんなことはない。直ぐにへこたれる面倒くさがり屋は宝飾品作りを趣味にしないと思わないか?
気も器も小さかったヴァーリ伯が温室の価値は分かっていた、と言うだけの話かもしれない。だが激しい戦闘が終わってもなお、温室に色とりどりの花が咲いていたこと、それらがローレンツの頭を飾っていたことを奇跡のように感じたよ。
温室で花を編んでいるところをずっと眺めていたがあれもまた魔法の一種だな。俺は黒魔法も白魔法もヒルダが使う魔法もまともに習得できそうにない───
マリアンヌも随分と変わったがローレンツもここ数年でかなり人柄が丸くなった、とヒルダは思う。学生時代の彼には失敗を恐れてかえって失敗を呼び込むようなところがあった。ホルストのように長子として厳しくも暖かく見守られながら育ったのだから、あとほんの少し鷹揚にするだけで皆が付いてくる。
ただ、そんなことを言っても相手を困惑させてしまう。だからヒルダは口を噤んでいたのだが士官学校が休校になり戦争が始まってしまった。いつ誰が亡くなってもおかしくないなら何でも直ぐに行動を起こした方がいい。遠方の友人たちにまめに差し入れや手紙を送り、クロードにも言いたいことを全て言い、人目を忍ぶようなことも含め───してやりたいことは全てやった。
その一連の流れでローレンツたちはヒルダから温室前に呼び出された。彼への感謝の念を表すために作った花冠はクロードにじっと見つめられつつ、有り合わせのもので作った割に良くできたと思う。赤い薔薇だけで作ってやりたかったが仕方がない。だがこれはあくまでも仮の贈り物だ。
「マリアンヌちゃんの命を救ってくれてありがとう。これは急場凌ぎで拵えた物だけど受け取ってくれると嬉しいな」
背の低いヒルダがそう言って腕を上に伸ばすと彼は石畳の上で膝をついて首を垂れた。真っ直ぐな紫の髪がマリアンヌに撫で付けらる日はきっと近いだろう。髪の手入れのこつを聞かれるかもしれない。
「貴族として、というか人として当然のことをしたまでだが、褒賞はありがたく受け取ろう」
確かに平民でも罪人でも想い人が危ない目に遭っていたら無我夢中で助けようとするはずだ。
「ローレンツさん、とってもお似合いです!ヒルダさん、ありがとうございました!」
大真面目な二人を見たクロードが顔に笑みを浮かべていた。あんな光景を見たら誰でも笑みを浮かべるだろう。だが、それは兵たちを落ち着かせるための演技ではなく、柔らかな───ヒルダと二人きりの時にしか見せないような笑顔だった。畳む
#クロヒル
#ロレマリ
10.
───ガルグ=マク講和会議でベルグリーズ領とフリュム領がレスター諸侯同盟に割譲されるのは勿論、僕やマリアンヌさん、僕の騎士であるイグナーツくん、そしてラファエルくんの活躍あってのことだが───それも君の人選が正しかったからだ。西部派遣部隊として、短期間だがフェルディアに滞在したことがある僕を、そして僕と相性が良い者を選んでくれたことに改めて感謝する。
これでレスター諸侯同盟はアミッド大河の両岸と豊かな穀倉地帯を擁することになった。百年後も彼の地がレスター諸侯同盟のものであり続けるよう我々は努力せねばならない。他人の顔を奪って成り代わる者たちが跋扈していた土地だ。平民たちの間にもどんな禍根が残されているかわからない。
恥を晒すのは忍びないがグロスタール家も数年前、彼らに入り込まれていたことが判明した。リーガン家にも関係があることなので現当主として報告させてもらおう。父の家臣から顔を奪った者が傭兵団を使ってリーガン領との境で商人を襲っていたのだ。犠牲者の中にゴトフロア卿とラファエルくんのご両親が含まれている。
クロード、認めたくはないが君は奇跡のような存在なのだ。君がいなければリーガン家は絶えていたしあの難局をここまで有利な形で終えられたとは思えない。講和条約が結ばれ血を流さずに済む現状は君がもたらしたのだ。今後、我々は民と土地を癒すことに全力を尽くさねばならない。
旧ベルグリーズ領はアミッド大河の対岸にある我がグロスタール家とコーデリア家が、旧フリュム領はゴネリル家が暫定的に統治する件も了承した。父は元々そうせざるを得ないと考えていたらしい。僕たちがガルグ=マクで王国、帝国の者たちと会議を重ねている間にコーデリア伯や前ゴネリル公やホルスト卿と既に会っていた。爵位は継いだがまだまだ先達の手助けが必要だ。これは僕たちが頼りないからではない。先代の領主たちと違って大乱を経た分だけ多忙だ、ということだ。
前ゴネリル公そしてホルスト卿も今後はフリュム領の件でますます忙しくなる。君も早いうちに時間を作ってゴネリル領へ挨拶に行くべきではないだろうか。その際には花束と指輪そして特効薬を多めに持っていくことをお勧めする───
エドマンド家には毎日ひっきりなしに書簡が届く。和平成立前はその殆どがマリアンヌの義父エドマンド辺境伯に宛てたものだった。引っ込み思案なマリアンヌへこまめに手紙を書いてくれるのはヒルダくらいだったが今は違う。爵位を継ぎグロスタール伯となったローレンツがヒルダの倍は手紙を寄越してくる。手紙だけではなくちょっとした贈り物が添えてあることも多い。
こんなことができるのは両家共にデアドラに上屋敷があるからだ。自領の本宅と上屋敷は定期的に荷物や文書のやり取りがあり、そこからエドマンド家の上屋敷へ使用人が届けに行く。両家の幾人もの使用人を介したやりとりはしっかりと身内に知れ渡っている。
そんな中、珍しくクロードからマリアンヌにあてた手紙が届いた。年越しの晩餐会への招待状だったが短い私信もついている。煩わしい連中は呼んでいない、親しい者しかいない気軽なものだから軽率に来てほしい、と書いてあった。その書きぶりが彼らしくて思わず顔が綻んでしまう。
マリアンヌは私信を引き出しにしまい、招待状だけを手にしてエドマンド辺境伯の執務室に向かった。商才と弁舌に長けた彼を苦手とする者は多い。ローレンツによると彼の父エルヴィンですらそうだと聞く。
「お義父さま、今年の年越しについてお話があります」
「デアドラで過ごすのか?」
クロードは義父にも手紙を書いたのかもしれないし手紙を振り分けた秘書が差出人と宛名について報告したのかもしれない。だがマリアンヌはもう慣れることにした。そんな風に思い切れるようになったのはあの戦いの日々───成長の糧であった、と言うか成長の糧にせざるを得なかった、と言うか───があったからなのだろう。
「はい、クロードさんの……リーガン公主催の晩餐会に出席しようと思います」
エドマンド辺境伯はマリアンヌ宛の紹介状を手に取った。目を細めているのは感情を誤魔化すため、のように思えるが老いのせいなのかもしれない。彼はいつも洒脱に装っているが、それでも引き取った養女に結婚の話が出てくるような、そんな年齢になったことは事実だ。
───頼もしい年寄りたちには当分、ややこしい戦後処理などでもご活躍いただこう。帝国と比べれば随分まし、と言っても人手不足なことに変わりはない。
頼もしさで言えばローレンツ、お前も同等だ。ミルディン大橋の件でグロスタール家には大きな負担がかかってしまった。失陥についても奪還についても、だ。その負担の中に名誉にまつわるものがあったことを本当に申し訳なく思う。
だが現グロスタール伯の西部戦線における活躍で汚名は十分に濯げたようだ。お前の武勲は家中や同盟内部での問題を解決したがそれだけに止まらない。
王国に派遣した連中が皆、誠実だったからベルグリーズ領とフリュム領の割譲が王国や中央教会から円滑に認められた、と思う。これは俺のような、人を信じることが苦手な人間には絶対にできないことだ。
これぞまさに花冠を賜るに相応しい戦果と言える。ヒルダはずっとローレンツに会えたら仮の贈り物をする、と言っていたが分かるだろう?アリルからガルグ=マクまでは余裕が全くなかったから、ヒルダがどうするつもりなのか正直言って俺には見当もつかなかった。
ディミトリがタレスを討って、大修道院の安全が確保された途端にヒルダが温室へ行った時には流石だと思ったね。なんと言っても仮の贈り物だ。てっきり収穫しそびれた果物でも適当にもいで籠に盛って終わりにするのかと思ったよ。
だが出来上がったのはあの色鮮やかな花冠だ。赤い薔薇だけで作れなかったことを残念がっていたがそれでも挫けず手作りするところがヒルダらしい。本人は自分は直ぐにへこたれる、と考えているらしいが俺から言わせればそんなことはない。直ぐにへこたれる面倒くさがり屋は宝飾品作りを趣味にしないと思わないか?
気も器も小さかったヴァーリ伯が温室の価値は分かっていた、と言うだけの話かもしれない。だが激しい戦闘が終わってもなお、温室に色とりどりの花が咲いていたこと、それらがローレンツの頭を飾っていたことを奇跡のように感じたよ。
温室で花を編んでいるところをずっと眺めていたがあれもまた魔法の一種だな。俺は黒魔法も白魔法もヒルダが使う魔法もまともに習得できそうにない───
マリアンヌも随分と変わったがローレンツもここ数年でかなり人柄が丸くなった、とヒルダは思う。学生時代の彼には失敗を恐れてかえって失敗を呼び込むようなところがあった。ホルストのように長子として厳しくも暖かく見守られながら育ったのだから、あとほんの少し鷹揚にするだけで皆が付いてくる。
ただ、そんなことを言っても相手を困惑させてしまう。だからヒルダは口を噤んでいたのだが士官学校が休校になり戦争が始まってしまった。いつ誰が亡くなってもおかしくないなら何でも直ぐに行動を起こした方がいい。遠方の友人たちにまめに差し入れや手紙を送り、クロードにも言いたいことを全て言い、人目を忍ぶようなことも含め───してやりたいことは全てやった。
その一連の流れでローレンツたちはヒルダから温室前に呼び出された。彼への感謝の念を表すために作った花冠はクロードにじっと見つめられつつ、有り合わせのもので作った割に良くできたと思う。赤い薔薇だけで作ってやりたかったが仕方がない。だがこれはあくまでも仮の贈り物だ。
「マリアンヌちゃんの命を救ってくれてありがとう。これは急場凌ぎで拵えた物だけど受け取ってくれると嬉しいな」
背の低いヒルダがそう言って腕を上に伸ばすと彼は石畳の上で膝をついて首を垂れた。真っ直ぐな紫の髪がマリアンヌに撫で付けらる日はきっと近いだろう。髪の手入れのこつを聞かれるかもしれない。
「貴族として、というか人として当然のことをしたまでだが、褒賞はありがたく受け取ろう」
確かに平民でも罪人でも想い人が危ない目に遭っていたら無我夢中で助けようとするはずだ。
「ローレンツさん、とってもお似合いです!ヒルダさん、ありがとうございました!」
大真面目な二人を見たクロードが顔に笑みを浮かべていた。あんな光景を見たら誰でも笑みを浮かべるだろう。だが、それは兵たちを落ち着かせるための演技ではなく、柔らかな───ヒルダと二人きりの時にしか見せないような笑顔だった。畳む
#かのひとはうつくしく
#クロヒル
#ロレマリ
翠風ルートのクロヒル+ロレマリ小説です。
1.C-(side:L)
ガルグ=マク修道院附属士官学校にはフォドラ中の者が集まる。出身地別に学級は分かれるがそれでも一年間身分に関係なく共に同じ学び舎で学ぶ。礼服に身を包んだローレンツは級長になれなかったことで落胆していた。ただあの胡散臭いクロード=フォン=リーガンを見極める機会は得られたし生涯の伴侶をガルグ=マクで見つけることができるかもしれない。親からは士官学校で見つけられなければ見合いをするようにと言われている。結婚した後で妻を愛せるようになるのだろうと思っていてもローレンツは最初から親を頼るのは嫌だった。
職員の指示に従い壮麗な聖堂での長い式典の後それぞれの教室で待機することになった。こうして改めて学友たちを眺めてみると金鹿の学級は他の学級と比べて平民の学生の割合が多く逆にグロスタール家の嫡子であるローレンツが気を使わねばならないような名家の出の者は少ない。ゴネリル家、エドマンド家、コーデリア家のご令嬢くらいだろうか。ローレンツは彼女たちとは初対面だが失礼のないように名前と髪の色、瞳の色は先に覚えておいた。
そのうちの一人であるリシテアは長い長い式典に参加中、人混みに酔ってしまったらしく教室までは何とか堪えたものの今は真っ青な顔をして椅子に座り込んでいる。
「大丈夫かい?水か何か持ってこようか?医務室まで歩けないなら僕が抱えていくが」
「少し休めば大丈夫です」
本人は大丈夫と言っているが本当にその言葉を信じても良いのだろうか。今日は礼服なので身につけてはいないが明日からは級長の証である黄色の外套を身につける予定のクロードはリシテアの体調不良に気づいていないのか女子学生の中で小柄だが最も華やかで目立っていたゴネリル家のご令嬢ヒルダに話しかけている。
「だから手伝って欲しいんだよ」
「えぇ〜でもマヌエラ先生の方が話しやすいんじゃないかな」
「おい、クロード!こちらに来てくれ」
クロードとは円卓会議に出席する父グロスタール伯に随行した際に名乗りあった程度でほぼ初対面だが同じ五大諸侯の家柄でもあるので敬語は使ってやらない。ローレンツが呼ぶとクロードはすぐにやってきてリシテアの異変に気づいた。
「リシテア、一体何枚着てるんだ?確かにここは山の中だから寒いが着込みすぎも身体が締まって良くないぞ」
「ご婦人相手になんてことを聞くのだ!君は将来レスター諸侯同盟の盟主になるのだぞ!」
「必要だから聞いただけだ!」
ローレンツの剣幕に押されずクロードは言い返してきた。久しぶりに顔を見たが自分が身につけることのできない級長の証である黄色の外套はきっと少し浅黒い肌の彼によく似合うことだろう。
「君は必要なことなら何でも聞き出すのか?!他人のいる場で!」
「ローレンツ、お前はもういいよ。な、ヒルダ。言った通りになっただろう?」
ヒルダはため息をつくと堪えきれずに机に突っ伏しているリシテアに話しかけた。その口調はとても優しい。
「クロードくんは男子だから言い出しにくいよね、これからはマヌエラ先生がいない場で体調のことで不安があったら私に言って欲しいの」
士官学校では学級単位かつ男女共同で奉仕活動にあたる。クロードは具合が悪い女子に大変な仕事を割り振らずに済むよう内密に聞き取っておいて貰いたいようだ。
「とりあえず制服の襟元と腰回りを緩めようね、少しは楽になるだろうから」
青い顔をしているリシテアにヒルダが優しく話しかけたのがきっかけになったのかリシテアの周りに女子学生たちが集まっている。これ以上、淑女を凝視しては失礼なのでローレンツは目を逸らした。年代物の教卓と黒板が目に入る。ローレンツの父もこの教室で学んでいた。教室の内装は細かいところまで父から聞いた通りでその記憶力の良さに身内ながら舌を巻いてしまう。父と同じように鷲獅子戦で勝利を収めねばどんな叱言を言われるのか分かったものではない。その為にはまず当日、体調不良の者がいないことが大前提だ。ローレンツは水を汲む為にそっと席を離れた。黒鷲や青獅子の教室の前を通ったがどうやら特に体調を崩した者はいないらしい。
リシテアの為に水を汲んで戻ってきたローレンツは女子学生の輪に入りそびれた水色の髪の女子学生がいることに気づいた。きっとエドマンド辺境伯の養女マリアンヌだろう。輪に入りそびれていてもリシテアのことが心配なのか壁際から小柄な彼女を薄茶色の瞳でちらちらと見ている。マリアンヌは背が高いことを気にかけているのか少し猫背気味だがローレンツは長身だ。彼女は自分と並んで歩けば俯く必要はない。
入学式の日に起きた細やかな事件は初めての野営訓練の夜に起きた大事件によって上書きされてしまい皆すっかり忘れていたが後になって思い返してみるにあの時点で充分に帝国はその策謀をもってレスター諸侯同盟へ深く強く介入していた。クロードがリーガン家の嫡子になったのもリシテアの体調が悪いのも元を正せばこの時点で帝国の工作が成功していたからだ。ただその中途半端な成功ゆえに帝国によるフォドラ統一は失敗した、とも言える。畳む
#クロヒル
#ロレマリ
翠風ルートのクロヒル+ロレマリ小説です。
1.C-(side:L)
ガルグ=マク修道院附属士官学校にはフォドラ中の者が集まる。出身地別に学級は分かれるがそれでも一年間身分に関係なく共に同じ学び舎で学ぶ。礼服に身を包んだローレンツは級長になれなかったことで落胆していた。ただあの胡散臭いクロード=フォン=リーガンを見極める機会は得られたし生涯の伴侶をガルグ=マクで見つけることができるかもしれない。親からは士官学校で見つけられなければ見合いをするようにと言われている。結婚した後で妻を愛せるようになるのだろうと思っていてもローレンツは最初から親を頼るのは嫌だった。
職員の指示に従い壮麗な聖堂での長い式典の後それぞれの教室で待機することになった。こうして改めて学友たちを眺めてみると金鹿の学級は他の学級と比べて平民の学生の割合が多く逆にグロスタール家の嫡子であるローレンツが気を使わねばならないような名家の出の者は少ない。ゴネリル家、エドマンド家、コーデリア家のご令嬢くらいだろうか。ローレンツは彼女たちとは初対面だが失礼のないように名前と髪の色、瞳の色は先に覚えておいた。
そのうちの一人であるリシテアは長い長い式典に参加中、人混みに酔ってしまったらしく教室までは何とか堪えたものの今は真っ青な顔をして椅子に座り込んでいる。
「大丈夫かい?水か何か持ってこようか?医務室まで歩けないなら僕が抱えていくが」
「少し休めば大丈夫です」
本人は大丈夫と言っているが本当にその言葉を信じても良いのだろうか。今日は礼服なので身につけてはいないが明日からは級長の証である黄色の外套を身につける予定のクロードはリシテアの体調不良に気づいていないのか女子学生の中で小柄だが最も華やかで目立っていたゴネリル家のご令嬢ヒルダに話しかけている。
「だから手伝って欲しいんだよ」
「えぇ〜でもマヌエラ先生の方が話しやすいんじゃないかな」
「おい、クロード!こちらに来てくれ」
クロードとは円卓会議に出席する父グロスタール伯に随行した際に名乗りあった程度でほぼ初対面だが同じ五大諸侯の家柄でもあるので敬語は使ってやらない。ローレンツが呼ぶとクロードはすぐにやってきてリシテアの異変に気づいた。
「リシテア、一体何枚着てるんだ?確かにここは山の中だから寒いが着込みすぎも身体が締まって良くないぞ」
「ご婦人相手になんてことを聞くのだ!君は将来レスター諸侯同盟の盟主になるのだぞ!」
「必要だから聞いただけだ!」
ローレンツの剣幕に押されずクロードは言い返してきた。久しぶりに顔を見たが自分が身につけることのできない級長の証である黄色の外套はきっと少し浅黒い肌の彼によく似合うことだろう。
「君は必要なことなら何でも聞き出すのか?!他人のいる場で!」
「ローレンツ、お前はもういいよ。な、ヒルダ。言った通りになっただろう?」
ヒルダはため息をつくと堪えきれずに机に突っ伏しているリシテアに話しかけた。その口調はとても優しい。
「クロードくんは男子だから言い出しにくいよね、これからはマヌエラ先生がいない場で体調のことで不安があったら私に言って欲しいの」
士官学校では学級単位かつ男女共同で奉仕活動にあたる。クロードは具合が悪い女子に大変な仕事を割り振らずに済むよう内密に聞き取っておいて貰いたいようだ。
「とりあえず制服の襟元と腰回りを緩めようね、少しは楽になるだろうから」
青い顔をしているリシテアにヒルダが優しく話しかけたのがきっかけになったのかリシテアの周りに女子学生たちが集まっている。これ以上、淑女を凝視しては失礼なのでローレンツは目を逸らした。年代物の教卓と黒板が目に入る。ローレンツの父もこの教室で学んでいた。教室の内装は細かいところまで父から聞いた通りでその記憶力の良さに身内ながら舌を巻いてしまう。父と同じように鷲獅子戦で勝利を収めねばどんな叱言を言われるのか分かったものではない。その為にはまず当日、体調不良の者がいないことが大前提だ。ローレンツは水を汲む為にそっと席を離れた。黒鷲や青獅子の教室の前を通ったがどうやら特に体調を崩した者はいないらしい。
リシテアの為に水を汲んで戻ってきたローレンツは女子学生の輪に入りそびれた水色の髪の女子学生がいることに気づいた。きっとエドマンド辺境伯の養女マリアンヌだろう。輪に入りそびれていてもリシテアのことが心配なのか壁際から小柄な彼女を薄茶色の瞳でちらちらと見ている。マリアンヌは背が高いことを気にかけているのか少し猫背気味だがローレンツは長身だ。彼女は自分と並んで歩けば俯く必要はない。
入学式の日に起きた細やかな事件は初めての野営訓練の夜に起きた大事件によって上書きされてしまい皆すっかり忘れていたが後になって思い返してみるにあの時点で充分に帝国はその策謀をもってレスター諸侯同盟へ深く強く介入していた。クロードがリーガン家の嫡子になったのもリシテアの体調が悪いのも元を正せばこの時点で帝国の工作が成功していたからだ。ただその中途半端な成功ゆえに帝国によるフォドラ統一は失敗した、とも言える。畳む
#クロヒル
#ロレマリ
5.
───ヒルダさん、差し入れをありがとうございました。先日、義父からの手紙を受け取りました。返事を書かねばならないのですが多忙を理由にまだ書いていません。とにかく、それでようやくクロードさんの意図が分かったような気がしました。
それとヒルダさんがお尋ねの件について紙面に余裕があるうちに書いてしまいます。ラファエルさんは干し肉が大層気に入ったのかすぐに食べ切ってしまいました。イグナーツさんは休憩のたびにヒルダさんが贈った本を開いています。きっとこれから何度も読む、生涯お気に入りの本になることでしょう。ローレンツさんは茶葉が痛まないうちに飲み切ってしまいたい、とのことでしょっちゅう私どもにお茶をふるまって下さいます。
何でもお父上が携行用の小さな茶器を一揃え持たせて下さったそうです。行軍用の銅の器で飲む時と味が違うのは私が自分のために適当に淹れるかローレンツさんが本気で淹れるか、の違いだと思われます。
ヒルダさんからいただいたお菓子は生地に練り込まれた香ばしい木の実がとても美味しくて、ローレンツさんも気に入ったようでした。私もお礼の品を何か見繕って贈りたいのですが、残念ながら今いる土地はかなり荒廃しています。おそらくヒルダさんが今いらっしゃるところも同じではないでしょうか?
理屈の上では飲み込めても心が納得し難い、というのがファーガスに派遣された私どもの当初の心境でしたが今は違います。後日、経路をお教えすれば私どもの心変わりの理由がお分かりになることでしょう。一刻も早くこんな事態を引き起こしている者たちを止め、可能であればその理由を突き止めねばなりません。
行く先々で目にした惨状を上書きするためか皆、好んで遠乗りをするようになりました。皆さん口下手な私のことを慮って色々と話しかけてくださるのに私自身は特に話せるような面白いことがありません。きっとクロードさんなら困らないのでしょうね。
ヒルダさんが感動したと言う白いラクダの話、私もクロードさんから直接聞いてみたくなりました。でもヒルダさんだから聞かせてくれたのかもしれません───
クロードたちはアミッド大河を越え、ベルグリーズ領へと侵入した。フェルディアでの密約通り、あくまでも本命はガルグ=マクなので加減が難しい。だが将来的な併合を見据えるにはちょうど良かった。盟主の直轄領にするかグロスタール領としてしまうか、考えねばならないことはいくらでもあった。
カスパルの父が治めるベルグリーズ領は西部と比べればまだ、荒廃していないらしい。だがクロードがこちらに残した三人は毎日顔を顰めている。エーデルガルト、もしくは彼女の名を騙る者たちの意図が全く分からない。
「どこも南や西から逃げてきた人でいっぱいだね、クロードくん……」
流民の溜まり場でクロードたちは聞き取り調査をしていた。紛れ込む良からぬ者たちが命を狙えばヒルダの斧で一刀両断されるだろう。護衛を頼むとヒルダは働きすぎないように見ててあげる、と言ってついて来てくれた。彼女が軽々と振り回す禍々しい斧と愛らしい佇まいの格差は激しい。クロードは安心して背中を預けられる人がいる幸せをフォドラで初めて知った。それだけでも首飾りを越えた甲斐はあると思う。
「出来れば故郷を離れたくなかっただろうな……」
自分でも眉間に皺が寄っているのがわかる。レスターは豊かな土地なのでクロードはディミトリほど追い詰められていない。だが故郷や生計の手段を奪われた者たちの生活をどう保証するのか、はどの為政者も皆、深く悩むだろう。
リシテアもアランデル領から逃げ出してきた者たちの話を熱心に聞いている。不届き者が小柄な彼女に何かしないよう帯剣したままのレオニーが目を光らせていた。
「やはり皆、怪しげな魔道士たちの姿を見ています」
ただし見かけたのは姿だけだという。リシテアもそれ以上の具体的な証言は期待していないようだった。彼らにとって都合が悪い何かを見てしまった者はおそらく、もう生きていないだろう。ローレンツと気が合っていたフェルディナントは、実はリシテアに親切だったというヒューベルトまだ生きているのだろうか。
───マリアンヌちゃん、そちらがどんな状態なのか、逃げてくる人たちからの聞き取りでなんとなくわかるようになりました。この戦争全体からすれば単なる気休めに過ぎないのかもしれないけれど、ディミトリくんたちが顔見知りに降伏をすすめてくれて私個人はありがたいな。バル兄が生きてることを兄さんへの手紙に書けて本当に嬉しかった!ほんの数節しか通えなかったけれど士官学校ってそういうことのためにあったと思うから。
この調子で行けば年内に皆とどこかで会えるんだろうけど、それとは別に戦争が終わったあとデアドラで会いたいな。レオニーちゃんやラファエルくんはデアドラと縁がないけれど、それは上屋敷のある誰かが泊めてあげればいいんだもの。それに皆にも白いラクダの話は聞いてもらいたいな!
白いラクダの話は置いておいて、近頃、人前ではクロードくんたちと当たり障りのないことだけを話すことにしてるの。どこに誰がいるか分からないから用心しようね、ってことで。
だから安心して話すためにクロードくんを誘って二人で遠乗りに行ったんだけれど、相変わらず自分の話は全然しなくて私から話を聞き出すばっかりで参っちゃう。お陰でするつもりがなかった話をいっぱいしちゃった。平和になったら叶えたい夢の話とか自慢になるから敢えて言わなかった兄さんとの思い出話とか。
ローレンツくんがこっちにいたらクロードくんの様子も違ったかもしれない。でもファーガスに派遣されるのがあの真面目なローレンツくんで良かったと思う。皆すっごい大活躍だよね。ファーガスから派遣されてるアネットちゃんのお父さんもほめてたよ。私だったらディミトリくんたちからあてにされなかったと思う。やっぱり家督を継がなきゃいけない皆と私は違うかなーって。
話が繰り返しになっちゃうけどやっぱりクロードくんはもう少し周りを頼るべきだと思うから言葉が心に届くまで頑張ってみるね。頑張るなんて私の主義に反するけど、ありとあらゆることを自分だけでなんとかしようとするなんて絶対に無理だもの───
バルタザールが王国の将として迎えられた。彼はヒルダの兄ホルストの親友だというが、質実剛健なホルストとは天と地ほどの違いがある。そしてその暮らし由来で負った借金を返すための金をエルヴィンが貸してやったらしい。
その件を申告されて以来、バルタザールとローレンツの距離は縮まっていた。マリアンヌがベルナデッタと過ごしている時、つまりローレンツが手持ち無沙汰な時に見計らったように話しかけてくる。
「繰り返しになるが僕もクロードについて探るよう命じられていた」
「クロードのやつも俺に言われたくはないだろうが胡散臭いからな!」
一人きりの食事も味気ない、ということでローレンツはバルタザールと昼食を共にしていた。粗野な見た目や仕草と違いバルタザールはこれまでずっとローレンツから言質を取られないよう慎重に話している。彼は確かに嫡子としての教育を受けていた。
どんな事情があって彼はアダルブレヒト家を出たのだろうか。エルヴィンはそこを探ることを主目的としてバルタザールに金を貸してやったのかもしれない。
バルタザール自身はローレンツの内心など全く気にせずキャベツの丸煮込みを丁寧に切り分けている。こういうところに育ちが出るのだ。
「我が父ながらクロードに関しては随分と苦戦していたのだな。君を頼るなど……」
「お、そしたらローレンツ、今度はお前個人が俺のこと雇ってみないか?金さえ弾んでくれたら何でも探ってきてやるぜ」
マリアンヌのこと、を仄めかしているのだろうか。一瞬そう思ってしまったがクロードのことに決まっている。だが、ローレンツは心の奥底に眠る欲求を見透かされたような気がした。父は元から秘密主義だったしリシテアもクロードもマリアンヌもローレンツには何も教えてくれない。
「これ以上、僕の未熟さを自覚させないでくれ」
「拗ねるなよ、皆ローレンツに嫌われたくないだけなんだぜ」
もしそうなら絶対に自分から皆の秘密を暴くような真似はしまい、とローレンツは誓った。遠回りでも信用を得て打ち明けてくれる時を待つ方が美しい。畳む