#かのひとはうつくしく
#クロヒル
#ロレマリ
7.B(side:L)
ローレンツが厩舎の管理をマリアンヌと共に担当していた時に上空警備を担当していたクロードとヒルダが戻ってきた。金鹿の学級で軽業師の真似事が流行ったことがある。ナイフ投げも軽業もレオニーが飛び抜けて上手いのだがクロードも負けていない。下馬の際に左足を鎧から抜き忘れた人の真似、というのがクロードの得意技だ。羽ばたきや天馬の嗎に混ざってヒルダが楽しそうに笑っている声が聞こえる。
「また同じことを繰り返して……ヒルダさんも飽きたと言ってやれば良いのに寛容なことだ」
「最初拝見した時は心臓が止まりそうになりました……」
それはそうだろう。普通の馬であったとしても肝が冷える光景だがクロードはなんとそれを上空でやっているのだ。何かひとつでも間違いがあれば死にかねない。好きな人に良いところを見せたいと言う気持ちは分からなくもないがレスター諸侯同盟の次期盟主として相応しくない振る舞いなのは言うまでもなかった。
「おい!クロード!愚かなことはやめてさっさと下馬したまえ!先生も待っているし僕とマリアンヌさんの仕事が終わらん!」
ローレンツが口に両手を添えよく通る声で上空にいるクロードに向かって叫ぶと何故かヒルダが私が見たいって言ったの!と言い返してきた。ローレンツの声が耳に届いたのかクロードは鞍に触れている指先と足首の力だけで身体の向きを変え普通に鞍に跨った。
「でもお二人ともとっても楽しそうです……」
マリアンヌはそう言って眩しそうに降下してくる二人をみつめた。何となく腐してはみたもののローレンツにもそこだけは否定出来ない。大はしゃぎしながらも二人は正確にローレンツたちが天馬のために用意した水桶の前に着地した。腕は良いのにとにかくふざける二人を見ているとローレンツの心は何故かかき乱されてしまう。
「えへへ、女神の塔を上から見てきちゃった!どこも壊れてなかったよ!」
「そうでしたか。すぐに汗を拭いてあげないと冷えてしまいますから急ぎましょう」
騎乗していた天馬の汗を拭きながらヒルダがマリアンヌに話しかけているが会話が微妙に噛み合っていない。
そろそろ白鷺杯がありそれが終われば舞踏会だ。舞踏会が行われる日に女神の塔の中で男女が交わした約束は女神が必ず成就させてくれるという。若い男女の交わす約束と言えば内容はほぼ決まったようなものだ。
「いやあ誰と誰が塔に行くのか見るのが楽しみだな!」
素直になった方が良い時に限ってクロードは露悪的なことを言う。ヒルダが近くにいるのにどうしてそんなことを口にするのかさっぱり分からない。ローレンツは横目でちらりと天馬の尻尾やたてがみを手分けして櫛ですいてしているヒルダとマリアンヌの様子を伺った。どうやらクロードの問題発言は彼女たちの耳に届いていないらしい。何故かローレンツの方がほっとした。
「君はそんな物言いばかりするがそれで得をしたことはあったのかね?」
「お前こそ間口狭めて得したことあるのかよ!」
確かにクロードが言う通り散々な目にあっている。担任であるベレトから素行を改めるように直々に注意され平民の学生からはあらぬ誤解を受けた。ローレンツは基本、父の言うことに逆らわない。だが結婚相手を自力で探そうともしないのは嫌だと思って学生のうちに見つけられなければ素直に見合いで結婚すると言う条件付きで猶予が欲しいと父に願い出たのだ。
「僕は本当に自領を共に治めてくれる妻を探しているだけで君のように秘密はない!」
クロードが騎乗していたペガサスの手入れを手伝いながらローレンツは低い声で言い返した。声を張り上げたいところだがそうするとペガサスがおびえてしまう。そういえばリーガン公はクロードの将来についてどう考えているのだろうか。紋章を持っゴネリル家のご令嬢であればなんの不満もないはずだが気になった。
「ふふ……綺麗になりましたから馬房に戻りましょうね」
「マリアンヌちゃん羽根の手入れすっごい上手で感心しちゃった〜!」
マリアンヌが優しく天馬に語りかけている。贔屓目かもしれないが天馬もどことなく嬉しそうだ。他者のために手を動かすマリアンヌからは日頃の卑屈さが失せて内面の美が表に現れている。早く本人がそこに気付くべきなのに彼女は無頓着だった。
「マリアンヌさん申し訳ない!もう少し待ってくれたまえ」
「悪いヒルダ!もう少し待っててくれ!」
クロードと無駄口を叩いていたせいかローレンツたちはまだ羽根の手入れが終わっていなかった。天馬は空を飛ぶので普通の馬のように蹄に塵や汚れがたまることは殆どないのだが、その代わり羽根に色々と塵が引っかかってしまう。それを羽根の流れに沿って優しく取り除いてやらねばならない。
「お待ちしますので急ぐよりも丁寧に手入れしてあげてください」
「男の子の方がよっぽどお喋りなんじゃな〜い?」
担任への報告は二人揃って、という規則になっている。ローレンツもクロードも口を閉じ必死になって天馬の羽根を繕ってやった。畳む
#クロヒル
#ロレマリ
7.B(side:L)
ローレンツが厩舎の管理をマリアンヌと共に担当していた時に上空警備を担当していたクロードとヒルダが戻ってきた。金鹿の学級で軽業師の真似事が流行ったことがある。ナイフ投げも軽業もレオニーが飛び抜けて上手いのだがクロードも負けていない。下馬の際に左足を鎧から抜き忘れた人の真似、というのがクロードの得意技だ。羽ばたきや天馬の嗎に混ざってヒルダが楽しそうに笑っている声が聞こえる。
「また同じことを繰り返して……ヒルダさんも飽きたと言ってやれば良いのに寛容なことだ」
「最初拝見した時は心臓が止まりそうになりました……」
それはそうだろう。普通の馬であったとしても肝が冷える光景だがクロードはなんとそれを上空でやっているのだ。何かひとつでも間違いがあれば死にかねない。好きな人に良いところを見せたいと言う気持ちは分からなくもないがレスター諸侯同盟の次期盟主として相応しくない振る舞いなのは言うまでもなかった。
「おい!クロード!愚かなことはやめてさっさと下馬したまえ!先生も待っているし僕とマリアンヌさんの仕事が終わらん!」
ローレンツが口に両手を添えよく通る声で上空にいるクロードに向かって叫ぶと何故かヒルダが私が見たいって言ったの!と言い返してきた。ローレンツの声が耳に届いたのかクロードは鞍に触れている指先と足首の力だけで身体の向きを変え普通に鞍に跨った。
「でもお二人ともとっても楽しそうです……」
マリアンヌはそう言って眩しそうに降下してくる二人をみつめた。何となく腐してはみたもののローレンツにもそこだけは否定出来ない。大はしゃぎしながらも二人は正確にローレンツたちが天馬のために用意した水桶の前に着地した。腕は良いのにとにかくふざける二人を見ているとローレンツの心は何故かかき乱されてしまう。
「えへへ、女神の塔を上から見てきちゃった!どこも壊れてなかったよ!」
「そうでしたか。すぐに汗を拭いてあげないと冷えてしまいますから急ぎましょう」
騎乗していた天馬の汗を拭きながらヒルダがマリアンヌに話しかけているが会話が微妙に噛み合っていない。
そろそろ白鷺杯がありそれが終われば舞踏会だ。舞踏会が行われる日に女神の塔の中で男女が交わした約束は女神が必ず成就させてくれるという。若い男女の交わす約束と言えば内容はほぼ決まったようなものだ。
「いやあ誰と誰が塔に行くのか見るのが楽しみだな!」
素直になった方が良い時に限ってクロードは露悪的なことを言う。ヒルダが近くにいるのにどうしてそんなことを口にするのかさっぱり分からない。ローレンツは横目でちらりと天馬の尻尾やたてがみを手分けして櫛ですいてしているヒルダとマリアンヌの様子を伺った。どうやらクロードの問題発言は彼女たちの耳に届いていないらしい。何故かローレンツの方がほっとした。
「君はそんな物言いばかりするがそれで得をしたことはあったのかね?」
「お前こそ間口狭めて得したことあるのかよ!」
確かにクロードが言う通り散々な目にあっている。担任であるベレトから素行を改めるように直々に注意され平民の学生からはあらぬ誤解を受けた。ローレンツは基本、父の言うことに逆らわない。だが結婚相手を自力で探そうともしないのは嫌だと思って学生のうちに見つけられなければ素直に見合いで結婚すると言う条件付きで猶予が欲しいと父に願い出たのだ。
「僕は本当に自領を共に治めてくれる妻を探しているだけで君のように秘密はない!」
クロードが騎乗していたペガサスの手入れを手伝いながらローレンツは低い声で言い返した。声を張り上げたいところだがそうするとペガサスがおびえてしまう。そういえばリーガン公はクロードの将来についてどう考えているのだろうか。紋章を持っゴネリル家のご令嬢であればなんの不満もないはずだが気になった。
「ふふ……綺麗になりましたから馬房に戻りましょうね」
「マリアンヌちゃん羽根の手入れすっごい上手で感心しちゃった〜!」
マリアンヌが優しく天馬に語りかけている。贔屓目かもしれないが天馬もどことなく嬉しそうだ。他者のために手を動かすマリアンヌからは日頃の卑屈さが失せて内面の美が表に現れている。早く本人がそこに気付くべきなのに彼女は無頓着だった。
「マリアンヌさん申し訳ない!もう少し待ってくれたまえ」
「悪いヒルダ!もう少し待っててくれ!」
クロードと無駄口を叩いていたせいかローレンツたちはまだ羽根の手入れが終わっていなかった。天馬は空を飛ぶので普通の馬のように蹄に塵や汚れがたまることは殆どないのだが、その代わり羽根に色々と塵が引っかかってしまう。それを羽根の流れに沿って優しく取り除いてやらねばならない。
「お待ちしますので急ぐよりも丁寧に手入れしてあげてください」
「男の子の方がよっぽどお喋りなんじゃな〜い?」
担任への報告は二人揃って、という規則になっている。ローレンツもクロードも口を閉じ必死になって天馬の羽根を繕ってやった。畳む
#かのひとはうつくしく
#クロヒル
#ロレマリ
8.B(side:H)
季節が進むのは早いものでそろそろ冬至をむかえつつあった。距離は離れているものの共に気候が温暖で冬にあまり雪の降らない地方出身であるヒルダとクロードは襟巻や手袋が手放せないが、ファーガス出身の学生たちは標高の高いガルグ=マクで冬を迎えているのにまだ薄着で修道院内を闊歩している。時期が時期だけに士官学校の学生たちの話題は自然と白鷺杯や舞踏会のことが中心になりつつあった。金鹿の学級はクロードをはじめとして舞踊に興味がない者が多いが前節ルミール村で地獄のような光景を目にしたこともあり皆、気分を変えたがっている。ヒルダのように楽しみにしている者も舞踏会という行事に対し拒否感を示す者もいるが考えが違う者同士ありやなしやと語り合い盛り上がることで必死に前節の恐ろしい記憶に抗っていた。
そんなある日のことベレトから白鷺杯の代表はマリアンヌ、その指導役はローレンツにするという発表があった。ベレト自身も傭兵上がりのため舞踊が得意ではない。誰かに任せようにも金鹿の学級は平民が多く宮廷舞踊の心得があるのはローレンツとヒルダそれにリシテアだけなので指導役は妥当な人選と言えるだろう。
どうしてヒルダではないのか、とマリアンヌは嘆いていたが指導役にも学級代表にもなる可能性があったヒルダとしてはマリアンヌの足の早さとローレンツの真面目さに感謝するしかない。踊り子は再行動したい者の元へすぐに駆けつけねばならない兵種だからだ。
白鷺杯を理由にずっとマリアンヌにくっついていられるせいか近ごろのローレンツはとても幸せそうにしている。配偶者探しと称して学内にいるありとあらゆる領主の娘に声をかけていた頃のことが嘘のようだ。しかしたまにベレトに呼び出されクロードと三人で食事をしている時の態度は対照的であの張りのある声でずっとクロードの礼儀作法を注意し続けるのでとてもうるさい。
クロードは食事を共にする度にローレンツを自分の母親より煩い、マリアンヌはあんな奴に指導されて大丈夫なのか?と大袈裟に嘆くが本当に不思議なくらいローレンツとマリアンヌは話さなくなった。無理に会話を続けようとして周囲を凍り付かせるようなことが減り今もクロードとヒルダが熱々のゴーティエチーズグラタンを冷ましながら食べている食卓の数列向こうで二人静かに何も語らず共に昼食をとっている。どうやら二人とも沈黙が苦ではないらしい。言葉を尽くして朗々と自論を語るのがローレンツの本質だと思っていたヒルダはその激しい変化に驚いた。普通なら口数が減ることを激しいと表現しない。だがヒルダはその態度にローレンツの強烈な意志を感じるのだ。
「そんなに気になるならこっそり二人の様子を見に行けば?」
ヒルダのいる席からは見えないが向かいに座っているクロードの席からはマリアンヌとローレンツの姿がよく見えたらしい。繰り返しになるがヒルダの席からは見えないので想像するしかない。無駄話をせずに昼食を終えた二人は今ごろクロードが見つけた人目につかない穴場で練習に励んでいることだろう。他人の前で体を動かすことに強い抵抗感があるマリアンヌの為に人目につかないところを教えてほしいとローレンツはクロードに頭を下げている。それを知った上でヒルダはクロードに問うていた。
「いやそれはどうだろう……流石にマリアンヌに悪いなと……」
クロードはクロードなりにマリアンヌの好ましい部分や欠落そして大きな秘密があることに気付いている。男らしく少し太めの眉と眉の間に皺が刻まれ顔が悩ましげになった。当然、好奇心は身をもたげているが人として守らねばならない一線というものがある。
「信頼するしかない時ってあると思うのよね」
猜疑心の塊と自称するクロードの緑の瞳がヒルダを見つめた。珍しく内側に閉じ込めた迷いが現れているような気がする。このままクロードに話を続けさせても良いのだろうか。
「踊りなあ……俺もリーガン家に入る時に練習したがやっぱりあんまり得意じゃないんだよな。自分の足がもつれるだけならいいんだがお相手の足を踏みつけちまう」
クロードはリーガン家に連なる騎士の家の出なのかもしれない。それなら舞踊よりも武芸優先だろうしクロードに武芸の師匠がいるのも納得だ。
「ふーん軽業は得意なのにねえ……でもレオニーちゃんも踊りは苦手なんだっけ」
だがあの身軽さだ。彼女は村育ちだから慣れていないだけで宮廷式の舞踊に親しみを持って育っていればさぞ素晴らしい踊り手になったことだろう。
「なんだかあの密着する感じに慣れないんだ。だから集中出来なくて」
「そんなこと言って慣れる気がないの丸分かりだよ!」
先日、クロードは日頃出さない本気を出せとヒルダを焚き付けた。しかしクロードの方こそ本気を出していない。そんな態度を取っていては宮廷式の舞踊が象徴するものよりもっと大事なものがあるのだと顔に書いて暮らしているのと同じだ。ヒルダはクロードが隠している大事なものが何なのか知る日が来るのだろうか。それはヒルダにだけ告げてくれるのだろうか?それとも皆と一緒に知ることになるのだろうか?畳む
#クロヒル
#ロレマリ
8.B(side:H)
季節が進むのは早いものでそろそろ冬至をむかえつつあった。距離は離れているものの共に気候が温暖で冬にあまり雪の降らない地方出身であるヒルダとクロードは襟巻や手袋が手放せないが、ファーガス出身の学生たちは標高の高いガルグ=マクで冬を迎えているのにまだ薄着で修道院内を闊歩している。時期が時期だけに士官学校の学生たちの話題は自然と白鷺杯や舞踏会のことが中心になりつつあった。金鹿の学級はクロードをはじめとして舞踊に興味がない者が多いが前節ルミール村で地獄のような光景を目にしたこともあり皆、気分を変えたがっている。ヒルダのように楽しみにしている者も舞踏会という行事に対し拒否感を示す者もいるが考えが違う者同士ありやなしやと語り合い盛り上がることで必死に前節の恐ろしい記憶に抗っていた。
そんなある日のことベレトから白鷺杯の代表はマリアンヌ、その指導役はローレンツにするという発表があった。ベレト自身も傭兵上がりのため舞踊が得意ではない。誰かに任せようにも金鹿の学級は平民が多く宮廷舞踊の心得があるのはローレンツとヒルダそれにリシテアだけなので指導役は妥当な人選と言えるだろう。
どうしてヒルダではないのか、とマリアンヌは嘆いていたが指導役にも学級代表にもなる可能性があったヒルダとしてはマリアンヌの足の早さとローレンツの真面目さに感謝するしかない。踊り子は再行動したい者の元へすぐに駆けつけねばならない兵種だからだ。
白鷺杯を理由にずっとマリアンヌにくっついていられるせいか近ごろのローレンツはとても幸せそうにしている。配偶者探しと称して学内にいるありとあらゆる領主の娘に声をかけていた頃のことが嘘のようだ。しかしたまにベレトに呼び出されクロードと三人で食事をしている時の態度は対照的であの張りのある声でずっとクロードの礼儀作法を注意し続けるのでとてもうるさい。
クロードは食事を共にする度にローレンツを自分の母親より煩い、マリアンヌはあんな奴に指導されて大丈夫なのか?と大袈裟に嘆くが本当に不思議なくらいローレンツとマリアンヌは話さなくなった。無理に会話を続けようとして周囲を凍り付かせるようなことが減り今もクロードとヒルダが熱々のゴーティエチーズグラタンを冷ましながら食べている食卓の数列向こうで二人静かに何も語らず共に昼食をとっている。どうやら二人とも沈黙が苦ではないらしい。言葉を尽くして朗々と自論を語るのがローレンツの本質だと思っていたヒルダはその激しい変化に驚いた。普通なら口数が減ることを激しいと表現しない。だがヒルダはその態度にローレンツの強烈な意志を感じるのだ。
「そんなに気になるならこっそり二人の様子を見に行けば?」
ヒルダのいる席からは見えないが向かいに座っているクロードの席からはマリアンヌとローレンツの姿がよく見えたらしい。繰り返しになるがヒルダの席からは見えないので想像するしかない。無駄話をせずに昼食を終えた二人は今ごろクロードが見つけた人目につかない穴場で練習に励んでいることだろう。他人の前で体を動かすことに強い抵抗感があるマリアンヌの為に人目につかないところを教えてほしいとローレンツはクロードに頭を下げている。それを知った上でヒルダはクロードに問うていた。
「いやそれはどうだろう……流石にマリアンヌに悪いなと……」
クロードはクロードなりにマリアンヌの好ましい部分や欠落そして大きな秘密があることに気付いている。男らしく少し太めの眉と眉の間に皺が刻まれ顔が悩ましげになった。当然、好奇心は身をもたげているが人として守らねばならない一線というものがある。
「信頼するしかない時ってあると思うのよね」
猜疑心の塊と自称するクロードの緑の瞳がヒルダを見つめた。珍しく内側に閉じ込めた迷いが現れているような気がする。このままクロードに話を続けさせても良いのだろうか。
「踊りなあ……俺もリーガン家に入る時に練習したがやっぱりあんまり得意じゃないんだよな。自分の足がもつれるだけならいいんだがお相手の足を踏みつけちまう」
クロードはリーガン家に連なる騎士の家の出なのかもしれない。それなら舞踊よりも武芸優先だろうしクロードに武芸の師匠がいるのも納得だ。
「ふーん軽業は得意なのにねえ……でもレオニーちゃんも踊りは苦手なんだっけ」
だがあの身軽さだ。彼女は村育ちだから慣れていないだけで宮廷式の舞踊に親しみを持って育っていればさぞ素晴らしい踊り手になったことだろう。
「なんだかあの密着する感じに慣れないんだ。だから集中出来なくて」
「そんなこと言って慣れる気がないの丸分かりだよ!」
先日、クロードは日頃出さない本気を出せとヒルダを焚き付けた。しかしクロードの方こそ本気を出していない。そんな態度を取っていては宮廷式の舞踊が象徴するものよりもっと大事なものがあるのだと顔に書いて暮らしているのと同じだ。ヒルダはクロードが隠している大事なものが何なのか知る日が来るのだろうか。それはヒルダにだけ告げてくれるのだろうか?それとも皆と一緒に知ることになるのだろうか?畳む
#かのひとはうつくしく
#クロヒル
#ロレマリ
9.interval(side:C)
カリードの父と母が出会ったのはまだ父が王位を継ぐ前のことで思い切って国を捨てた母もまさか自分の夫が王になるとは考えもしなかったようだ。しかし大国の王ともなれば情勢を安定させるために妻をたくさん娶らねばならない。そこからカリードの苦難は始まっている。王宮で若き日の父の不始末について八つ当たりをされながら育ち異母兄弟たちから追い詰められいよいよ進退が極まった時に顔を見たことすらない母方の祖父からフォドラへ呼び出された。カリードは王宮という閉ざされた世界からリーガン家を経由しクロードという名で学校という閉ざされた世界へ移り住むことになった。
綺麗事で秘密を覆い隠すセイロス教会のお膝元での暮らして何になるのかと祖父相手に粋がってみたもののガルグ=マクでの生活はクロードの想像を超えていた。閉ざされた未開の国と思っていたがとんでもない。紋章や英雄の遺産への興味は尽きなかったが何よりもクロードの心を動かしたのは士官学校という場に集う人々の来歴だった。
兵士ですらない孤児のツィリルが前線であるフォドラの首飾りからガルグ=マクまで流れ着いていることを知りクロードは己の無知さを恥じた。異国出身であろうと気にしないということを周りに示すため敢えてツィリルに身の回りの世話をさせているレアや孤児であり紋章を持たぬ身でありながら騎士団の団長を務めるアロイスそれに戦場をよく知る傭兵上がりの担任ベレトはクロードの蒙を啓いた。組織の長としてどう振る舞うべきか彼らから学べた気がする。
学友たちも負けていない。典型的なフォドラの貴族だと思って正直なところ見下していたローレンツは印象より遥かに懐が広いしイグナーツはフォドラの外でも通用するような素晴らしい絵を描く。ラファエルは許すことの強さを教えてくれた。レオニーと共に過ごさなかったら慎ましく生きることと誇り高く生きることが両立出来ることを知らなかっただろう。残り時間を見据えて必死に生きるリシテアの強さ、大きな秘密に押しつぶされそうになりながらも戦場を駆け回るマリアンヌの勇敢さには感銘を受けた。そしてパルミラの王宮にまでその名が伝わるホルストの妹ヒルダがいたことに、彼女が小柄で陽気であることに驚いた。
そんな人々に囲まれて子供でいられる最後の一年を満喫していたクロードだが穏やかな日々は終わりを迎えつつある。
「心当たりは全くないがエーデルガルトは会う前から俺が嫌いだったんだろうな」
クロードの言葉を聞いてディミトリがため息をついた。
「……確かに宣戦布告の内容は個人的な好き嫌いで始めたのかと思うくらい支離滅裂だったが……」
きちんと整理整頓されたディミトリの部屋で二人は今どうやって学生たちを全員無事に帰宅させるか相談をしていた。皆ペトラのように帝国の人質になるわけにはいかないからだ。青獅子の者たちは帝国軍の追跡を避けるためオグマ山脈を縦走し全員でまずイングリットの故郷であるガラテアを目指す。ところが金鹿の者たちは全員でというわけにいかない。クロードやマリアンヌのような北部出身の学生の他にアミッド大河沿いに自宅のある学生が沢山いる。だがクロードは何としても北上しデアドラに戻らねばならない。
「俺たちは冷静になって全員帰宅させてやろう」
「そうだな。こちらは全員一緒に動けるがクロードの方は二手に分かれるから大変だな。船は出してもらえそうなのか?」
だからクロードはヒルダとはここでお別れだ。クロードはダブネルまでディミトリたちと行動を共にするが東部出身の彼女はリシテアたちと共にガルグ=マクからアミッド大河を目指す。
「船は出してくれるだろうが対岸が帝国領だからなあ……」
「東に向かう者たちが心配なのは分かるが出来ることをやろう。彼らの無事は信じるしかない」
お気に入りの妃ティアナが産んだたった一人の王子が潜入中ということでクロードの父がフォドラ方面への軍事行動に制限をかけている。だからきっとゴネリル家には船と騎士団を出す余裕があるはずだ。
修道院の敷地内にいる者たちに敵襲を知らせる鐘が鳴り響いたその時、クロードは自室で寝台から敷布を剥がし切れ目を入れていた。山の中に何箇所か逃走用物資の集積場所を作って用意したが例え布きれ一枚であろうと余計に持ち込んでおきたい。少し手を加えておけばすぐに割いて包帯にできるし風避けに使いたいときはそのままかぶれば良い。冬山の中ではたった一枚の布が命を救う場合もある。
「クロードくん!先生が呼んでる!大広間だよ!」
「他の皆は?」
「寮に残ってるのはクロードくんだけだから迎えに来たの!」
ヒルダは僅かに見えている床の隙間を飛び石を伝うように器用に伝ってクロードの元へやってきた。白く小さな手が褐色の手首を力強く引っ張り寝台から立ち上がらせる。そのまま手を離さずクロードのを引っ張りながらすたすたと大股の急ぎ足で廊下を歩いていくので先ほど切れ目を入れていた布は畳む暇もなく左手で鷲掴みにしたままだ。
「待ってくれ!肩が!」
「え、でも急がなきゃ!」
よほど焦っていたのかヒルダは自分がクロードの手首を掴みっぱなしであることに気付いていなかったらしい。クロードとしても二人きりであったし手を離してほしくないような気もしたが肩が壊れては本末転倒だ。
「本当に力が強いな……腕がもげるかと思った……」
彼女の身に宿る紋章のせいだとわかっていてもこの小さな身体のどこから力が湧いてくるのかと不思議な気持ちになってしまう。
「ひどーい!」
「流石に大広間までの道は手を引かれなくても分かる。それと十秒だけ時間をくれ」
クロードは軽く肩を回し鷲掴みにしていた敷布を両手で広げた。先ほど入れた切れ目のところを持ち前後に引っ張って半分に割いていく。これで一枚の布は二枚になった。片方は素早く畳んで上着の隠しにしまいもう片方を不思議そうな顔をしてクロードを見つめているヒルダの桃色の頭に面紗のように被せてやる。頭から腰の辺りまで覆われるだろうと思っていたがヒルダが小柄なせいか布が顔に被さり口元まで隠れてしまう。
ヒルダのその姿がクロードにパルミラで見合いに臨む貴族の女性を思い起こさせた。貴族の女性は見合いをする際に面紗で顔を隠す。当然前が見えないので兄弟やいとこが付き添い二人きりになることはないし正式に婚約するまで見合い相手といえども素顔を見ることは許されない。結婚しても構わないと思えば面紗を引っ張り上げてその時、初めて素顔を見せる。
「ささやかだけど餞別だよ。切れ目が入れてあるから包帯にもしやすいしこの大きさなら風よけにも使えるだろ」
ヒルダが頭巾のようになっている部分をそっと引っ張って顔を出した。ここはフォドラなのでヒルダの行為には何の意味もない。
「ありがとうクロードくん。怪我をしないで帰る自信がないからとっても嬉しい」
微笑んではいるが髪と揃いの桃色の瞳には闘志が宿っていた。クロードは以前、日頃出さない本気を出せ、とヒルダを焚きつけている。だがクロードはヒルダが本気を出して戦う姿を見ることはできない。ヒルダが東方面へ逃げる学生たちのまとめ役になってくれたようにクロードも北のダフネルを目指す学生たちのまとめ役になっているからだ。畳む
#クロヒル
#ロレマリ
9.interval(side:C)
カリードの父と母が出会ったのはまだ父が王位を継ぐ前のことで思い切って国を捨てた母もまさか自分の夫が王になるとは考えもしなかったようだ。しかし大国の王ともなれば情勢を安定させるために妻をたくさん娶らねばならない。そこからカリードの苦難は始まっている。王宮で若き日の父の不始末について八つ当たりをされながら育ち異母兄弟たちから追い詰められいよいよ進退が極まった時に顔を見たことすらない母方の祖父からフォドラへ呼び出された。カリードは王宮という閉ざされた世界からリーガン家を経由しクロードという名で学校という閉ざされた世界へ移り住むことになった。
綺麗事で秘密を覆い隠すセイロス教会のお膝元での暮らして何になるのかと祖父相手に粋がってみたもののガルグ=マクでの生活はクロードの想像を超えていた。閉ざされた未開の国と思っていたがとんでもない。紋章や英雄の遺産への興味は尽きなかったが何よりもクロードの心を動かしたのは士官学校という場に集う人々の来歴だった。
兵士ですらない孤児のツィリルが前線であるフォドラの首飾りからガルグ=マクまで流れ着いていることを知りクロードは己の無知さを恥じた。異国出身であろうと気にしないということを周りに示すため敢えてツィリルに身の回りの世話をさせているレアや孤児であり紋章を持たぬ身でありながら騎士団の団長を務めるアロイスそれに戦場をよく知る傭兵上がりの担任ベレトはクロードの蒙を啓いた。組織の長としてどう振る舞うべきか彼らから学べた気がする。
学友たちも負けていない。典型的なフォドラの貴族だと思って正直なところ見下していたローレンツは印象より遥かに懐が広いしイグナーツはフォドラの外でも通用するような素晴らしい絵を描く。ラファエルは許すことの強さを教えてくれた。レオニーと共に過ごさなかったら慎ましく生きることと誇り高く生きることが両立出来ることを知らなかっただろう。残り時間を見据えて必死に生きるリシテアの強さ、大きな秘密に押しつぶされそうになりながらも戦場を駆け回るマリアンヌの勇敢さには感銘を受けた。そしてパルミラの王宮にまでその名が伝わるホルストの妹ヒルダがいたことに、彼女が小柄で陽気であることに驚いた。
そんな人々に囲まれて子供でいられる最後の一年を満喫していたクロードだが穏やかな日々は終わりを迎えつつある。
「心当たりは全くないがエーデルガルトは会う前から俺が嫌いだったんだろうな」
クロードの言葉を聞いてディミトリがため息をついた。
「……確かに宣戦布告の内容は個人的な好き嫌いで始めたのかと思うくらい支離滅裂だったが……」
きちんと整理整頓されたディミトリの部屋で二人は今どうやって学生たちを全員無事に帰宅させるか相談をしていた。皆ペトラのように帝国の人質になるわけにはいかないからだ。青獅子の者たちは帝国軍の追跡を避けるためオグマ山脈を縦走し全員でまずイングリットの故郷であるガラテアを目指す。ところが金鹿の者たちは全員でというわけにいかない。クロードやマリアンヌのような北部出身の学生の他にアミッド大河沿いに自宅のある学生が沢山いる。だがクロードは何としても北上しデアドラに戻らねばならない。
「俺たちは冷静になって全員帰宅させてやろう」
「そうだな。こちらは全員一緒に動けるがクロードの方は二手に分かれるから大変だな。船は出してもらえそうなのか?」
だからクロードはヒルダとはここでお別れだ。クロードはダブネルまでディミトリたちと行動を共にするが東部出身の彼女はリシテアたちと共にガルグ=マクからアミッド大河を目指す。
「船は出してくれるだろうが対岸が帝国領だからなあ……」
「東に向かう者たちが心配なのは分かるが出来ることをやろう。彼らの無事は信じるしかない」
お気に入りの妃ティアナが産んだたった一人の王子が潜入中ということでクロードの父がフォドラ方面への軍事行動に制限をかけている。だからきっとゴネリル家には船と騎士団を出す余裕があるはずだ。
修道院の敷地内にいる者たちに敵襲を知らせる鐘が鳴り響いたその時、クロードは自室で寝台から敷布を剥がし切れ目を入れていた。山の中に何箇所か逃走用物資の集積場所を作って用意したが例え布きれ一枚であろうと余計に持ち込んでおきたい。少し手を加えておけばすぐに割いて包帯にできるし風避けに使いたいときはそのままかぶれば良い。冬山の中ではたった一枚の布が命を救う場合もある。
「クロードくん!先生が呼んでる!大広間だよ!」
「他の皆は?」
「寮に残ってるのはクロードくんだけだから迎えに来たの!」
ヒルダは僅かに見えている床の隙間を飛び石を伝うように器用に伝ってクロードの元へやってきた。白く小さな手が褐色の手首を力強く引っ張り寝台から立ち上がらせる。そのまま手を離さずクロードのを引っ張りながらすたすたと大股の急ぎ足で廊下を歩いていくので先ほど切れ目を入れていた布は畳む暇もなく左手で鷲掴みにしたままだ。
「待ってくれ!肩が!」
「え、でも急がなきゃ!」
よほど焦っていたのかヒルダは自分がクロードの手首を掴みっぱなしであることに気付いていなかったらしい。クロードとしても二人きりであったし手を離してほしくないような気もしたが肩が壊れては本末転倒だ。
「本当に力が強いな……腕がもげるかと思った……」
彼女の身に宿る紋章のせいだとわかっていてもこの小さな身体のどこから力が湧いてくるのかと不思議な気持ちになってしまう。
「ひどーい!」
「流石に大広間までの道は手を引かれなくても分かる。それと十秒だけ時間をくれ」
クロードは軽く肩を回し鷲掴みにしていた敷布を両手で広げた。先ほど入れた切れ目のところを持ち前後に引っ張って半分に割いていく。これで一枚の布は二枚になった。片方は素早く畳んで上着の隠しにしまいもう片方を不思議そうな顔をしてクロードを見つめているヒルダの桃色の頭に面紗のように被せてやる。頭から腰の辺りまで覆われるだろうと思っていたがヒルダが小柄なせいか布が顔に被さり口元まで隠れてしまう。
ヒルダのその姿がクロードにパルミラで見合いに臨む貴族の女性を思い起こさせた。貴族の女性は見合いをする際に面紗で顔を隠す。当然前が見えないので兄弟やいとこが付き添い二人きりになることはないし正式に婚約するまで見合い相手といえども素顔を見ることは許されない。結婚しても構わないと思えば面紗を引っ張り上げてその時、初めて素顔を見せる。
「ささやかだけど餞別だよ。切れ目が入れてあるから包帯にもしやすいしこの大きさなら風よけにも使えるだろ」
ヒルダが頭巾のようになっている部分をそっと引っ張って顔を出した。ここはフォドラなのでヒルダの行為には何の意味もない。
「ありがとうクロードくん。怪我をしないで帰る自信がないからとっても嬉しい」
微笑んではいるが髪と揃いの桃色の瞳には闘志が宿っていた。クロードは以前、日頃出さない本気を出せ、とヒルダを焚きつけている。だがクロードはヒルダが本気を出して戦う姿を見ることはできない。ヒルダが東方面へ逃げる学生たちのまとめ役になってくれたようにクロードも北のダフネルを目指す学生たちのまとめ役になっているからだ。畳む
#かのひとはうつくしく
#クロヒル
#ロレマリ
10.interval(side:M)
エドマンド辺境伯は書斎に通された妹の娘を生まれて初めて見た瞬間に泣いた。目をきつく強く閉じたせいで頬にこぼれ落ちた涙を手巾で拭きながらもすぐ書類を取り出せたことから分かる通りずっと前から覚悟して用意していたのだろう。自分や妹と同じ水色の髪そして彼女の父と同じ薄茶色の目をした娘は言われるがままに署名しマリアンヌ=フォン=エドマンドとなった。
「ただいま戻りました」
マリアンヌが帰宅の挨拶をするため養父の書斎に顔を出すとエドマンド辺境伯は棚の上に作った小さな祭壇の蝋燭に火を灯していた。マリアンヌの両親を偲ぶもので彼女の実母が家を出る前に残していった髪の毛と彼女の実父がエドマンド辺境伯に当てた直筆の手紙が飾ってある。彼女の亡骸は見つからず妻の死に関係があったであろうマリアンヌの父は失踪したのでこの髪の毛と手紙しかマリアンヌとエドマンド辺境伯には残されていない。
「おかえり。リーガン家のひよっこはなかなかやり手のようだ。誰か一人くらい捕虜になるかと思ったが皆見事に逃げおおせた」
養父は皆、と言ったのできっと東に逃げた者たちも無事に帰宅できたのだ。
「はい、クロードさんはすごい方です。でもすごい方はクロードさんだけではありません」
「マリアンヌ、入学前は友人など出来るはずもないと言っていたがそんなことはなかっただろう?」
「はい……」
「色々大変な目にもあったとは思うがマリアンヌをガルグ=マクへやって良かった。私があいつと知り合ったのもガルグ=マクでね……」
マリアンヌはヒルダと選んだ手巾を養父にそっと差し出した。養父は滅多にマリアンヌの父について語らないのだが語り始めると泣いてしまうことが多い。
「お養父さま、そんなに話すのがお辛いのでしたらその、私の父のことは……」
「いいや、話したいんだ。少しずつしか話せないが……いつも取り乱してしまって申し訳ない。明日の午後仕立て屋が来るまでゆっくり休みなさい」
「仕立て屋……ですか?」
「そうだ。リーガン公の葬儀に間に合うように新しい喪服を作りなさい」
エドマンド辺境伯は同盟きっての論客で交渉の場に立てば彼に勝てる者は殆どいないと言われている。ローレンツの父であるグロスタール伯もマリアンヌの養父は敵に回したくないのだという。多分こういうところが原因だ。
数節後、マリアンヌは作りたての喪服を身に纏って養父であるエドマンド辺境伯と共にデアドラのリーガン邸にいた。侍女を帯同させているのでガルグ=マクにいた頃のように編み上げた部分から髪の毛がこぼれ落ちることもない。リーガン邸は長く盟主を務めていたオズワルドを悼む弔問客でごった返している。その中に見覚えのある髪型をした桃色の頭が見えた。
「私はリーガン家の家臣たちと少し話をしてくる」
「あの……私は……」
マリアンヌは辺境伯の地位を継ぐ者として養女となったので養父の出る会合には帯同せねばならない。眉尻を下げている養女を見て養父は実母と同じ場所に笑窪を浮かべた。
「お友達が来ていたのだろう?せっかくだから話しておいで。私は少し時間がかかるからね。ああ、弔い酒は飲んでも構わないがもう無理だと思ったら私の名を出してきちんと断りなさい」
許可を得て広い邸内を再び探し歩いたがヒルダはなかなか見つからない。もしかしたら人違いなのかもしれなかった。マリアンヌは後継者として顔と名を売らねばならないがヒルダはそんなことをする必要がない。きっとゴネリル家を代表してリーガン公の葬儀に出席するのはヒルダではなく彼女の兄か父だ。
「マリアンヌさん!」
騒々しい邸内でもよく通る声がマリアンヌの鼓膜を叩く。振り向いてみればそこに喪服姿のローレンツが立っていた。見慣れた制服姿ではないので少し違和感がある。
「ローレンツさんお久しぶりです。あの……ヒルダさんを見かけませんでしたか?」
ローレンツは給仕たちが注いで回っている弔い酒を空けると首を横に振った。脱出行の際に伸びた紫の髪が長さはそのままに整えられている。
「ふむ……クロードとリシテアさんには会ったがヒルダさんは見かけていないな。良かったら探すのを手伝わせてもらえないだろうか?」
コーデリア家はリシテアが主体となって近々爵位を返上するのだという。その関係でデアドラに来ていてもおかしくはない。
「ありがとうございます。ヒルダさんから手紙はいただいたのですが直接お会いできるならお会いしたくて」
ローレンツはマリアンヌの言葉を聞いて小さく頷いてくれた。彼はいつからかマリアンヌの言葉を黙って待ってくれるようになった。背が高いローレンツが見渡してくれればすぐに見つかるような気がするし口籠もってしまうマリアンヌが声をかけるより本来は朗々と語るローレンツが声をかければすぐに気づいてもらえるだろう。ところが中々ヒルダは見つからない。
「人違いだったのでしょうか?」
「いや、マリアンヌさんが彼女を見間違えるはずはない。今日は前夜式でごった返しているから会えないだけで明日には貴賓席で会えるだろう。リシテアさんの居場所なら分かるが挨拶していくかい?」
マリアンヌが頷くとローレンツは弔問客用の軽食が用意されている部屋に連れて行ってくれた。そこにはリーガン家の使用人たちが総出で作った菓子や弔い酒用の肴がおいてある。
「また会いましたね、ローレンツ。ああ!マリアンヌ!元気にしてましたか?この揚げ菓子最高ですから食べた方がいいですよ」
リシテアは生地に干し葡萄が練り込んである揚げ菓子を頬張っていた。
「ええ、私は元気です。リシテアさん、ヒルダさんを見かけませんでしたか?」
「あれ?ヒルダ居ないんですか?私はここについたばかりの時に会ったんですが……帰っちゃったのかもしれませんね。まあ焦らずとも明日にはヒルダにもクロードにも貴賓席で会えますよ」
リシテアはローレンツと同じことを言った。そもそもデアドラでヒルダと会う約束をしていたわけでもない。それでも少し残念に思いながらマリアンヌはようやく給仕から弔い酒受け取り杯に口をつけた。死者に捧げる杯なので空ければ空けるほど良いとされている。
「私だけお会いできないなんて……」
「いやマリアンヌさん、僕もヒルダさんに会えていないのだからそれは違う」
空きっ腹に流し込んだせいか酒の周りが早くマリアンヌの頬は赤く染まった。給仕がまたマリアンヌの杯に酒を注いでくれたので空けようとするとローレンツにそっと杯を取り上げられてしまった。
「それ以上は明日に障りが出てしまう」
おかげでマリアンヌも養父からもう無理だと思ったら断るようにと言われていたことを思い出せた。
「すいません、ありがとうございます。ふふ……ローレンツさんは私が養父の名を出さなくても止めてくれるのですね」
マリアンヌは酒を飲むと気持ち悪くなってしまうことの方が多いのだが今日は違った。いつも心から離れない重りはどこへ行ってしまったのだろう。リシテアが絶賛していた揚げ菓子のように心がふわふわと軽い。
「マリアンヌさん、それは当然のことだ。貴族というか男として守らねばならない一線がある」
その後のことをマリアンヌはよく覚えていないのだがきちんと養父と共にデアドラの上屋敷へ帰り帯同していた侍女にずっとローレンツの話をしていたらしいということは翌朝養父から聞いた。畳む
#クロヒル
#ロレマリ
10.interval(side:M)
エドマンド辺境伯は書斎に通された妹の娘を生まれて初めて見た瞬間に泣いた。目をきつく強く閉じたせいで頬にこぼれ落ちた涙を手巾で拭きながらもすぐ書類を取り出せたことから分かる通りずっと前から覚悟して用意していたのだろう。自分や妹と同じ水色の髪そして彼女の父と同じ薄茶色の目をした娘は言われるがままに署名しマリアンヌ=フォン=エドマンドとなった。
「ただいま戻りました」
マリアンヌが帰宅の挨拶をするため養父の書斎に顔を出すとエドマンド辺境伯は棚の上に作った小さな祭壇の蝋燭に火を灯していた。マリアンヌの両親を偲ぶもので彼女の実母が家を出る前に残していった髪の毛と彼女の実父がエドマンド辺境伯に当てた直筆の手紙が飾ってある。彼女の亡骸は見つからず妻の死に関係があったであろうマリアンヌの父は失踪したのでこの髪の毛と手紙しかマリアンヌとエドマンド辺境伯には残されていない。
「おかえり。リーガン家のひよっこはなかなかやり手のようだ。誰か一人くらい捕虜になるかと思ったが皆見事に逃げおおせた」
養父は皆、と言ったのできっと東に逃げた者たちも無事に帰宅できたのだ。
「はい、クロードさんはすごい方です。でもすごい方はクロードさんだけではありません」
「マリアンヌ、入学前は友人など出来るはずもないと言っていたがそんなことはなかっただろう?」
「はい……」
「色々大変な目にもあったとは思うがマリアンヌをガルグ=マクへやって良かった。私があいつと知り合ったのもガルグ=マクでね……」
マリアンヌはヒルダと選んだ手巾を養父にそっと差し出した。養父は滅多にマリアンヌの父について語らないのだが語り始めると泣いてしまうことが多い。
「お養父さま、そんなに話すのがお辛いのでしたらその、私の父のことは……」
「いいや、話したいんだ。少しずつしか話せないが……いつも取り乱してしまって申し訳ない。明日の午後仕立て屋が来るまでゆっくり休みなさい」
「仕立て屋……ですか?」
「そうだ。リーガン公の葬儀に間に合うように新しい喪服を作りなさい」
エドマンド辺境伯は同盟きっての論客で交渉の場に立てば彼に勝てる者は殆どいないと言われている。ローレンツの父であるグロスタール伯もマリアンヌの養父は敵に回したくないのだという。多分こういうところが原因だ。
数節後、マリアンヌは作りたての喪服を身に纏って養父であるエドマンド辺境伯と共にデアドラのリーガン邸にいた。侍女を帯同させているのでガルグ=マクにいた頃のように編み上げた部分から髪の毛がこぼれ落ちることもない。リーガン邸は長く盟主を務めていたオズワルドを悼む弔問客でごった返している。その中に見覚えのある髪型をした桃色の頭が見えた。
「私はリーガン家の家臣たちと少し話をしてくる」
「あの……私は……」
マリアンヌは辺境伯の地位を継ぐ者として養女となったので養父の出る会合には帯同せねばならない。眉尻を下げている養女を見て養父は実母と同じ場所に笑窪を浮かべた。
「お友達が来ていたのだろう?せっかくだから話しておいで。私は少し時間がかかるからね。ああ、弔い酒は飲んでも構わないがもう無理だと思ったら私の名を出してきちんと断りなさい」
許可を得て広い邸内を再び探し歩いたがヒルダはなかなか見つからない。もしかしたら人違いなのかもしれなかった。マリアンヌは後継者として顔と名を売らねばならないがヒルダはそんなことをする必要がない。きっとゴネリル家を代表してリーガン公の葬儀に出席するのはヒルダではなく彼女の兄か父だ。
「マリアンヌさん!」
騒々しい邸内でもよく通る声がマリアンヌの鼓膜を叩く。振り向いてみればそこに喪服姿のローレンツが立っていた。見慣れた制服姿ではないので少し違和感がある。
「ローレンツさんお久しぶりです。あの……ヒルダさんを見かけませんでしたか?」
ローレンツは給仕たちが注いで回っている弔い酒を空けると首を横に振った。脱出行の際に伸びた紫の髪が長さはそのままに整えられている。
「ふむ……クロードとリシテアさんには会ったがヒルダさんは見かけていないな。良かったら探すのを手伝わせてもらえないだろうか?」
コーデリア家はリシテアが主体となって近々爵位を返上するのだという。その関係でデアドラに来ていてもおかしくはない。
「ありがとうございます。ヒルダさんから手紙はいただいたのですが直接お会いできるならお会いしたくて」
ローレンツはマリアンヌの言葉を聞いて小さく頷いてくれた。彼はいつからかマリアンヌの言葉を黙って待ってくれるようになった。背が高いローレンツが見渡してくれればすぐに見つかるような気がするし口籠もってしまうマリアンヌが声をかけるより本来は朗々と語るローレンツが声をかければすぐに気づいてもらえるだろう。ところが中々ヒルダは見つからない。
「人違いだったのでしょうか?」
「いや、マリアンヌさんが彼女を見間違えるはずはない。今日は前夜式でごった返しているから会えないだけで明日には貴賓席で会えるだろう。リシテアさんの居場所なら分かるが挨拶していくかい?」
マリアンヌが頷くとローレンツは弔問客用の軽食が用意されている部屋に連れて行ってくれた。そこにはリーガン家の使用人たちが総出で作った菓子や弔い酒用の肴がおいてある。
「また会いましたね、ローレンツ。ああ!マリアンヌ!元気にしてましたか?この揚げ菓子最高ですから食べた方がいいですよ」
リシテアは生地に干し葡萄が練り込んである揚げ菓子を頬張っていた。
「ええ、私は元気です。リシテアさん、ヒルダさんを見かけませんでしたか?」
「あれ?ヒルダ居ないんですか?私はここについたばかりの時に会ったんですが……帰っちゃったのかもしれませんね。まあ焦らずとも明日にはヒルダにもクロードにも貴賓席で会えますよ」
リシテアはローレンツと同じことを言った。そもそもデアドラでヒルダと会う約束をしていたわけでもない。それでも少し残念に思いながらマリアンヌはようやく給仕から弔い酒受け取り杯に口をつけた。死者に捧げる杯なので空ければ空けるほど良いとされている。
「私だけお会いできないなんて……」
「いやマリアンヌさん、僕もヒルダさんに会えていないのだからそれは違う」
空きっ腹に流し込んだせいか酒の周りが早くマリアンヌの頬は赤く染まった。給仕がまたマリアンヌの杯に酒を注いでくれたので空けようとするとローレンツにそっと杯を取り上げられてしまった。
「それ以上は明日に障りが出てしまう」
おかげでマリアンヌも養父からもう無理だと思ったら断るようにと言われていたことを思い出せた。
「すいません、ありがとうございます。ふふ……ローレンツさんは私が養父の名を出さなくても止めてくれるのですね」
マリアンヌは酒を飲むと気持ち悪くなってしまうことの方が多いのだが今日は違った。いつも心から離れない重りはどこへ行ってしまったのだろう。リシテアが絶賛していた揚げ菓子のように心がふわふわと軽い。
「マリアンヌさん、それは当然のことだ。貴族というか男として守らねばならない一線がある」
その後のことをマリアンヌはよく覚えていないのだがきちんと養父と共にデアドラの上屋敷へ帰り帯同していた侍女にずっとローレンツの話をしていたらしいということは翌朝養父から聞いた。畳む
#かのひとはうつくしく
#クロヒル
#ロレマリ
11.interval(side:L)
他人の秘密は財産と同じだ。握る秘密の数が多ければ多いほど自分の意のままに過ごすことが出来る。ローレンツは初対面の時からクロードを訝しみ何とかして秘密を暴こうとしていたがその結果思いもよらない秘密をその手に握ってしまった。クロードのことだけなら計算づくで淡々と処理するだけだがヒルダの名誉も絡んでいる。
釘を刺すような祖父は亡くクロードですら無視ができないようなリーガン家の年嵩の家臣たちはエドマンド辺境伯と話していたし国境を守るゴネリル家からはヒルダしかデアドラに来ていない。きっと今後は身動きの取れない父と兄に代わってヒルダが様々な場所に顔を出すのだろう。将来の円卓会議をクロード、マリアンヌ、ローレンツと共に彼女が担うのかもしれない。
そんな遠い将来のはともかく年頃の男女のことであるし葬儀の場というのはただでさえ感情が昂るものだ。ローレンツにしてもリーガン公を悼む気持ちとクロードへの苛立ちが混ざりあっている。弔い酒と共に苦々しい思いを飲み下していた時にローレンツはマリアンヌを見かけたのだ。ガルグ=マクにいる時と違い身の回りの世話をする侍女が帯同しているのか今晩の彼女は美しく髪を結い上げている。一瞬で苛立ちが吹き飛び給仕が注いだ弔い酒を今度は心を落ち着けるために飲み干した。
マリアンヌは当然ヒルダに会いたがっているが握ってしまった秘密がローレンツに歯止めをかける。少し早めにリーガン邸に到着しクロードと一言二言話したローレンツは父であるグロスタール伯に連れられ共に他の弔問客たちと歓談していた。その場を学友たちがいるので挨拶を、と言って中座した時にローレンツはクロードが姿を消していることに気づいた。
そして彼を探すうちに物陰で抱き合う喪服姿の二人を目撃し今に至る。気づかないふりをして通り過ぎたが未だに弔問客のうろつく一階や二階に戻っていないなら二人は客が入れないようになっている三階にでもいるのかもしれない。その先のことはマリアンヌと共にいる今は考えたくなかった。
「すいません……私があの時すぐヒルダさんに声をかけておけばこんな風にローレンツさんにご迷惑をかけることもなかったのに」
「迷惑だなんてとんでもない。中々お役に立てなくて申し訳ないね」
杯を持って邸内を歩いていると周りからどうしても献杯を、と言われる。ローレンツは可能な限りマリアンヌに代わって献杯しているつもりだったがそれでもマリアンヌに全く呑ませずに済んだわけではない。それなりに弔い酒を口にしていたせいだろうか。彼女の顔はかなり赤くなっているし足元も少しおぼつかなくなっている。ローレンツも父であるグロスタール伯と共にリーガン邸を訪れているのでとてもではないがクロードやヒルダのような振る舞いは出来ない。ヒルダを探すふりをやめて本当にエドマンド辺境伯を探した方が良さそうだった。
「マリアンヌさん、今晩はもうお養父上と上屋敷へ戻った方がいい」
マリアンヌによるとエドマンド辺境伯はリーガン家の家臣たちと話がある、とのことだったのでローレンツは改めて足元のおぼつかない彼女に肘を差し出し会議が出来そうな大きさの部屋を順ぐりに確かめていく。三部屋目でようやくローレンツはマリアンヌと同じ水色の髪をした壮年の男性を見つけることが出来た。円卓会議に帯同した際に顔を見たことがあるので人違いではない。話し合いはちょうど終わったところのようだった。
「失礼します、エドマンド辺境伯」
ローレンツはエドマンド辺境伯とマリアンヌが並んでいるところを初めて見た。二人を見比べてみると顔立ちや体つきがよく似ていて実の親子ではないにしても血縁関係にあることが分かる。ただし二人が醸し出す雰囲気は全く違う。酒に酔っていない時のマリアンヌが常に何かにおびえて伏し目がちであるのに対しエドマンド辺境伯は自信に満ち溢れ何者にも譲らない気の強さを感じる。
「君はグロスタール伯の嫡子だね」
「はい。ローレンツ=ヘルマン=グロスタールです」
ローレンツはクロードが現れる前には五大諸侯の家に生まれた唯一の紋章を受け継ぐ男子であったのでエドマンド辺境伯が自分の名を知らぬはずがない。しかし彼はローレンツの名を呼ばなかった。彼の口元は笑っているが酔ったマリアンヌの白い指先が添えられている肘とローレンツの顔を見比べていてその二点間を行き来する視線がまるで刃物のようだ。ローレンツの肉体も危険を感じているのかマリアンヌの代わりにかなり弔い酒を煽ったと言うのに酔いが急激に冷めていく。
「まあ、お養父様!こんなところにいらしたのですね、ローレンツさんが探していたのでここでお会いできて本当に良かったです」
酔っているマリアンヌの頭からは誰のためにエドマンド辺境伯を探していたのかがすっぽ抜けてしまったらしい。養女の毒気のない言葉を聞いてローレンツの言動には何ひとつやましいところがない、と判断しエドマンド辺境伯は肘とローレンツの顔を交互に見ることをやめた。
「マリアンヌは少々酒が過ぎたようだね。デアドラは水路が多いから酔って歩けば命取りだ。感謝するよローレンツくん」
「いいえ、名誉ある貴族として当然のことです」
マリアンヌがエドマンド辺境伯の腕を取り二人が退室するまでローレンツは生きた心地がしなかった。それもこれも全てクロードのせいだ。ローレンツはマリアンヌがくれた手巾で汗を拭きながら明日は絶対にクロードに何か言ってやろうと誓った。
翌日、葬儀の会場であるデアドラ中央教会に訪れたローレンツは神妙な顔をして喪主として振る舞っているクロードの足の甲を貴賓席に着席しているのを良いことに他の者には分からないように思いきり強く踏んだ。一瞬、クロードは後で仕返ししてやるから覚えていろ、という顔をしてローレンツを睨みつけてきたがどうやら葬儀が終わるまでの間に同じく貴賓席に座っていたヒルダとマリアンヌの会話を小耳に挟んだらしい。教会での一連の儀式が終わるとクロードは慌ててローレンツを人気のないところへ連れ出した。
「マリアンヌのこと誤魔化してくれたんだな」
「ふん、どうやら心当たりがあるようだな」
「言っておくがあの状況じゃ風呂は使えないしうちはじいさんと俺の男所帯で子馬がない。だからそこまでやましいことはしてない」
子馬とは女性が足や下腹部を洗う時に使う椅子型の器具のことだ。跨って使うので子馬と呼ばれる。ローレンツは自分の頬に熱が集まっていることを自覚した。きっと顔は真っ赤に染まっていることだろう。
「君、なんてこと言うのだ!そもそも前夜式の最中に姿を消したから僕相手に取り繕う羽目になっているのだぞ!」
「ヒルダのためにもまずお前の誤解を解かないとまずいだろう!」
ローレンツは頭が痛くなってきた。そこまで、という含みのある表現も気になったがそもそも当事者抜きに男二人でこんな言い争いをしていることが間違っている。
「分かった。この話はこの場限りにしておく。言っておくがヒルダさんのためだぞ」
クロードからは珍しく恩にきる、と言われたがそんなことより頼むからもっと上手くやってくれ、と言うのが身分や立場を全て取り去ったローレンツの本音だった。畳む
#クロヒル
#ロレマリ
11.interval(side:L)
他人の秘密は財産と同じだ。握る秘密の数が多ければ多いほど自分の意のままに過ごすことが出来る。ローレンツは初対面の時からクロードを訝しみ何とかして秘密を暴こうとしていたがその結果思いもよらない秘密をその手に握ってしまった。クロードのことだけなら計算づくで淡々と処理するだけだがヒルダの名誉も絡んでいる。
釘を刺すような祖父は亡くクロードですら無視ができないようなリーガン家の年嵩の家臣たちはエドマンド辺境伯と話していたし国境を守るゴネリル家からはヒルダしかデアドラに来ていない。きっと今後は身動きの取れない父と兄に代わってヒルダが様々な場所に顔を出すのだろう。将来の円卓会議をクロード、マリアンヌ、ローレンツと共に彼女が担うのかもしれない。
そんな遠い将来のはともかく年頃の男女のことであるし葬儀の場というのはただでさえ感情が昂るものだ。ローレンツにしてもリーガン公を悼む気持ちとクロードへの苛立ちが混ざりあっている。弔い酒と共に苦々しい思いを飲み下していた時にローレンツはマリアンヌを見かけたのだ。ガルグ=マクにいる時と違い身の回りの世話をする侍女が帯同しているのか今晩の彼女は美しく髪を結い上げている。一瞬で苛立ちが吹き飛び給仕が注いだ弔い酒を今度は心を落ち着けるために飲み干した。
マリアンヌは当然ヒルダに会いたがっているが握ってしまった秘密がローレンツに歯止めをかける。少し早めにリーガン邸に到着しクロードと一言二言話したローレンツは父であるグロスタール伯に連れられ共に他の弔問客たちと歓談していた。その場を学友たちがいるので挨拶を、と言って中座した時にローレンツはクロードが姿を消していることに気づいた。
そして彼を探すうちに物陰で抱き合う喪服姿の二人を目撃し今に至る。気づかないふりをして通り過ぎたが未だに弔問客のうろつく一階や二階に戻っていないなら二人は客が入れないようになっている三階にでもいるのかもしれない。その先のことはマリアンヌと共にいる今は考えたくなかった。
「すいません……私があの時すぐヒルダさんに声をかけておけばこんな風にローレンツさんにご迷惑をかけることもなかったのに」
「迷惑だなんてとんでもない。中々お役に立てなくて申し訳ないね」
杯を持って邸内を歩いていると周りからどうしても献杯を、と言われる。ローレンツは可能な限りマリアンヌに代わって献杯しているつもりだったがそれでもマリアンヌに全く呑ませずに済んだわけではない。それなりに弔い酒を口にしていたせいだろうか。彼女の顔はかなり赤くなっているし足元も少しおぼつかなくなっている。ローレンツも父であるグロスタール伯と共にリーガン邸を訪れているのでとてもではないがクロードやヒルダのような振る舞いは出来ない。ヒルダを探すふりをやめて本当にエドマンド辺境伯を探した方が良さそうだった。
「マリアンヌさん、今晩はもうお養父上と上屋敷へ戻った方がいい」
マリアンヌによるとエドマンド辺境伯はリーガン家の家臣たちと話がある、とのことだったのでローレンツは改めて足元のおぼつかない彼女に肘を差し出し会議が出来そうな大きさの部屋を順ぐりに確かめていく。三部屋目でようやくローレンツはマリアンヌと同じ水色の髪をした壮年の男性を見つけることが出来た。円卓会議に帯同した際に顔を見たことがあるので人違いではない。話し合いはちょうど終わったところのようだった。
「失礼します、エドマンド辺境伯」
ローレンツはエドマンド辺境伯とマリアンヌが並んでいるところを初めて見た。二人を見比べてみると顔立ちや体つきがよく似ていて実の親子ではないにしても血縁関係にあることが分かる。ただし二人が醸し出す雰囲気は全く違う。酒に酔っていない時のマリアンヌが常に何かにおびえて伏し目がちであるのに対しエドマンド辺境伯は自信に満ち溢れ何者にも譲らない気の強さを感じる。
「君はグロスタール伯の嫡子だね」
「はい。ローレンツ=ヘルマン=グロスタールです」
ローレンツはクロードが現れる前には五大諸侯の家に生まれた唯一の紋章を受け継ぐ男子であったのでエドマンド辺境伯が自分の名を知らぬはずがない。しかし彼はローレンツの名を呼ばなかった。彼の口元は笑っているが酔ったマリアンヌの白い指先が添えられている肘とローレンツの顔を見比べていてその二点間を行き来する視線がまるで刃物のようだ。ローレンツの肉体も危険を感じているのかマリアンヌの代わりにかなり弔い酒を煽ったと言うのに酔いが急激に冷めていく。
「まあ、お養父様!こんなところにいらしたのですね、ローレンツさんが探していたのでここでお会いできて本当に良かったです」
酔っているマリアンヌの頭からは誰のためにエドマンド辺境伯を探していたのかがすっぽ抜けてしまったらしい。養女の毒気のない言葉を聞いてローレンツの言動には何ひとつやましいところがない、と判断しエドマンド辺境伯は肘とローレンツの顔を交互に見ることをやめた。
「マリアンヌは少々酒が過ぎたようだね。デアドラは水路が多いから酔って歩けば命取りだ。感謝するよローレンツくん」
「いいえ、名誉ある貴族として当然のことです」
マリアンヌがエドマンド辺境伯の腕を取り二人が退室するまでローレンツは生きた心地がしなかった。それもこれも全てクロードのせいだ。ローレンツはマリアンヌがくれた手巾で汗を拭きながら明日は絶対にクロードに何か言ってやろうと誓った。
翌日、葬儀の会場であるデアドラ中央教会に訪れたローレンツは神妙な顔をして喪主として振る舞っているクロードの足の甲を貴賓席に着席しているのを良いことに他の者には分からないように思いきり強く踏んだ。一瞬、クロードは後で仕返ししてやるから覚えていろ、という顔をしてローレンツを睨みつけてきたがどうやら葬儀が終わるまでの間に同じく貴賓席に座っていたヒルダとマリアンヌの会話を小耳に挟んだらしい。教会での一連の儀式が終わるとクロードは慌ててローレンツを人気のないところへ連れ出した。
「マリアンヌのこと誤魔化してくれたんだな」
「ふん、どうやら心当たりがあるようだな」
「言っておくがあの状況じゃ風呂は使えないしうちはじいさんと俺の男所帯で子馬がない。だからそこまでやましいことはしてない」
子馬とは女性が足や下腹部を洗う時に使う椅子型の器具のことだ。跨って使うので子馬と呼ばれる。ローレンツは自分の頬に熱が集まっていることを自覚した。きっと顔は真っ赤に染まっていることだろう。
「君、なんてこと言うのだ!そもそも前夜式の最中に姿を消したから僕相手に取り繕う羽目になっているのだぞ!」
「ヒルダのためにもまずお前の誤解を解かないとまずいだろう!」
ローレンツは頭が痛くなってきた。そこまで、という含みのある表現も気になったがそもそも当事者抜きに男二人でこんな言い争いをしていることが間違っている。
「分かった。この話はこの場限りにしておく。言っておくがヒルダさんのためだぞ」
クロードからは珍しく恩にきる、と言われたがそんなことより頼むからもっと上手くやってくれ、と言うのが身分や立場を全て取り去ったローレンツの本音だった。畳む
#かのひとはうつくしく
#クロヒル
#ロレマリ
12.interval(side:H)
クロードは三つ編みを切り落とし少し大きめの黒い喪服に身を包み喉には白い襟締を付けていた。彼は二十歳にもならないというのにリーガン公の葬儀が終わればレスター諸侯同盟の盟主になる。彼がいなければローレンツの父グロスタール伯がその立場についていただろう。
「遠くから来てくれてありがとうな」
「クロードくん大変だったね。兄さんと父さんはやっぱり前線を離れられなくて……」
リーガン公の訃報を知ったゴネリル公は娘のヒルダに飛竜を宿場町で乗り継ぎデアドラへ行くよう命じた。ゴネリル公もホルストもリーガン公の死に乗じてパルミラ軍が攻勢をかけてくる可能性が高く前線から動くことができない。いつもなら面倒臭がって言うことを聞きたがらないヒルダだが今回ばかりは二つ返事で引き受けた。ゴネリル家がクロードを支持していることを世間に知らしめねばならないしデアドラで買い物をしたかったし別れ際に思わせぶりなことをした理由をクロードから直接聞きたいと思ったからだ。
当然喪服姿では長時間の騎乗など出来るはずもないのでヒルダはデアドラの上屋敷に寄って持参した喪服に着替えている。いつ必要になるか分からないのだからと作らされた真っ黒で地味な喪服に白い襟締を付けていてもクロードはすぐにヒルダのことを見つけた。
「取り敢えず一杯どうだ?」
弔い酒をすすめてきたクロードの目元には長い睫毛のせいで影が出来ていたがそれでも隈を隠しきれていない。
「いただこうかな、喉乾いちゃったし」
「美人に献杯して貰えてじいさんも喜んでるよ」
「他の人にも同じこと言ってるんでしょ?」
「はは……手厳しいな……」
リーガン家が用意した弔い酒は口当たりが良く飲みやすかった。きっと故人が決めたのだろう。クロードが選んだならもっと強い酒にしたはずだ。
「誰か来てる?」
クロードは正確にヒルダの意図を察しリシテアとローレンツがいる、と教えてくれた。マリアンヌが到着していないのは残念だが共にガルグ=マクからアミッド大河に向かった仲間であるリシテアが来ているなら絶対会っておきたい。
「リシテアは俺にしか用事がないからもう話せると思うぜ。あいつは酒より甘味だから軽食を置いてあるところにいるんじゃないかな」
ローレンツはグロスタール伯に帯同しており葬儀の場に集まってきた者たちに用事がある。おそらくヒルダと世間話をする余裕はないだろう。ヒルダは杯を手にリシテアの元へ向かった。彼女は船上でヒルダに詳細を教えようとはしなかったが爵位返上の件と言いコーデリア家ではおかしなことが起きている。
リシテアはクロードの言う通りの場所でデアドラの銘菓を堪能していた。おそらく既に全種類味見して気に入ったものをお代わりしている。
「ねえいつまでデアドラにいるの?お葬式が終わったら一緒にお買い物しない?」
「そうですね。次にいつデアドラに来られるかわかりませんから書店には行っておきたいです」
実にリシテアらしい答えが返ってきた。明日に備えてそろそろコーデリア家の上屋敷に戻ると言う彼女と約束を取り付けたヒルダは他の弔問客に挨拶をしつつ友人や知人が来ていないのかリーガン邸の中を再び探し始めた。ゴネリル家の者がきちんと出席していると周りから認識してもらわねばならない。
思い出話に花を咲かせている者は皆歓談用の椅子や卓が置いてある部屋の中央に集まっている。まだ挨拶をしていない者はいないかとヒルダが部屋の隅を眺めた時、月が明るいせいか質の良い織物で作られた窓掛の奥に人が隠れているのが見えた。露台への出入り口として作られたかなり大きな窓の窓掛なので葬儀の場を狙う輩が身を潜めるのにはちょうど良いのかもしれない。
追悼のために百合の花を活けた花瓶が飾ってある卓の隅にヒルダはそっと自分の杯を置いた。相手が固い仮面で顔を隠している場合は硝子の杯で叩くより直接顔面に握り拳を叩き込んだ方が効果が高い。気付かれないようにそっと窓掛に近寄っていく。この部屋にいるのは酔っぱらいと給仕ばかりで助太刀は望めそうにないから一撃で仕留めねばならない。潜んでいる者の正体を確かめるべくヒルダは窓掛の縁にそっと手を掛け引っ張ると褐色の手が見えた。
「え?クロードくん?」
「え、あ、ヒルダ?まずいんだ……物が二重に見える」
ヒルダは慌てて人に見られない様にそっと窓掛けの内側に入った。物が二重に見えるのは失神の前兆だ。クロードは人前で失神するわけにいかないと思って咄嗟に隠れたようだがそんな判断をする時点でもうおかしくなっている。
「平気なの?」
そう問うた時にはクロードはもうヒルダに縋りついて失神していた。脱出行の疲れが取れないうちにリーガン公がなくなり精神に負荷がかかったせいだろう。強がってはいるがクロードはヒルダより年下で彼から聞いた話によると同盟諸侯の名家の者として育てられていたわけではない。長く祖父に仕えていた家臣たちに言うことを聞いてもらうだけでも大変なはずだ。
ヒルダはクロードが前のめりに倒れて床に頭をぶつけないよう抱きかかえてやった。クロードの鼓動が直接ヒルダに伝わってくる。修道士の資格を持っているマリアンヌほど上手く判断はできないが少し鼓動が早めのような気がした。そして喪服ごしに触れた身体はやはり細い。
クロードたちは帝国軍の追手をかわすために街道を使わずオグマ山脈をダフネル領を目指して縦走した。ヒルダも山岳地帯であるフォドラの喉元を要するゴネリル領育ちだから分かるが登山は本当に大変なのだ。しかも彼らが縦走したのは雪山で温暖なデアドラに住んでいたクロードにはさぞ辛かったことだろう。ヒルダはそっと薄い背中を喪服越しに撫でた。あと少し様子を見て意識が戻らなかったら流石に助けを呼ばねばならない。でももう少しヒルダだけでクロードのことを労ってやりたかった。
「クロードくん、一人ぼっちは大変だねえ」
聞こえているかどうかは分からないがヒルダはクロードの耳元で囁いた。ヒルダの父ゴネリル公が亡くなったとしてもヒルダにはホルストがいる。そのことを思えば入学当初のローレンツの焦りも分からなくはないのだ。彼も一人っ子でグロスタール伯が亡くなれば全ての責任を彼一人で負わねばならない。だから共に自領を治めてくれる配偶者を探して躍起になっていたのだ。迷惑行為になっていたが。
「でも今だけは私が一緒にいるからね」
だがリーガン家とゴネリル家の間には何の話もないのでクロードが意識を取り戻し窓掛けを捲れば二人はまた単なる同窓生に戻る。ヒルダの背中に回された指が微かに動いた。どうやら意識が戻ったらしい。
「すまん!ヒルダ!」
「頭打たなくて良かったね。それとどうせなら御礼言ってくれない?」
クロードが頭を預けていた肩が急に軽くなる。大丈夫そうだと察したヒルダがそっと離れようとした時、背中に回されたクロードの腕に力が入った。
「ごめん、ありがとう。もう大丈夫だ」
「ねえ……人が入って来られないようなところはないの?」
「えっ……その、それって」
「襟締、きつく結びすぎなのよ。解いて休まないと」
ヒルダは喪主が他人の前で服装を乱すわけにいかない、と言う話をしているのだがクロードの反応を見るにあの餞別はそういうことだったのだろう。畳む
#クロヒル
#ロレマリ
12.interval(side:H)
クロードは三つ編みを切り落とし少し大きめの黒い喪服に身を包み喉には白い襟締を付けていた。彼は二十歳にもならないというのにリーガン公の葬儀が終わればレスター諸侯同盟の盟主になる。彼がいなければローレンツの父グロスタール伯がその立場についていただろう。
「遠くから来てくれてありがとうな」
「クロードくん大変だったね。兄さんと父さんはやっぱり前線を離れられなくて……」
リーガン公の訃報を知ったゴネリル公は娘のヒルダに飛竜を宿場町で乗り継ぎデアドラへ行くよう命じた。ゴネリル公もホルストもリーガン公の死に乗じてパルミラ軍が攻勢をかけてくる可能性が高く前線から動くことができない。いつもなら面倒臭がって言うことを聞きたがらないヒルダだが今回ばかりは二つ返事で引き受けた。ゴネリル家がクロードを支持していることを世間に知らしめねばならないしデアドラで買い物をしたかったし別れ際に思わせぶりなことをした理由をクロードから直接聞きたいと思ったからだ。
当然喪服姿では長時間の騎乗など出来るはずもないのでヒルダはデアドラの上屋敷に寄って持参した喪服に着替えている。いつ必要になるか分からないのだからと作らされた真っ黒で地味な喪服に白い襟締を付けていてもクロードはすぐにヒルダのことを見つけた。
「取り敢えず一杯どうだ?」
弔い酒をすすめてきたクロードの目元には長い睫毛のせいで影が出来ていたがそれでも隈を隠しきれていない。
「いただこうかな、喉乾いちゃったし」
「美人に献杯して貰えてじいさんも喜んでるよ」
「他の人にも同じこと言ってるんでしょ?」
「はは……手厳しいな……」
リーガン家が用意した弔い酒は口当たりが良く飲みやすかった。きっと故人が決めたのだろう。クロードが選んだならもっと強い酒にしたはずだ。
「誰か来てる?」
クロードは正確にヒルダの意図を察しリシテアとローレンツがいる、と教えてくれた。マリアンヌが到着していないのは残念だが共にガルグ=マクからアミッド大河に向かった仲間であるリシテアが来ているなら絶対会っておきたい。
「リシテアは俺にしか用事がないからもう話せると思うぜ。あいつは酒より甘味だから軽食を置いてあるところにいるんじゃないかな」
ローレンツはグロスタール伯に帯同しており葬儀の場に集まってきた者たちに用事がある。おそらくヒルダと世間話をする余裕はないだろう。ヒルダは杯を手にリシテアの元へ向かった。彼女は船上でヒルダに詳細を教えようとはしなかったが爵位返上の件と言いコーデリア家ではおかしなことが起きている。
リシテアはクロードの言う通りの場所でデアドラの銘菓を堪能していた。おそらく既に全種類味見して気に入ったものをお代わりしている。
「ねえいつまでデアドラにいるの?お葬式が終わったら一緒にお買い物しない?」
「そうですね。次にいつデアドラに来られるかわかりませんから書店には行っておきたいです」
実にリシテアらしい答えが返ってきた。明日に備えてそろそろコーデリア家の上屋敷に戻ると言う彼女と約束を取り付けたヒルダは他の弔問客に挨拶をしつつ友人や知人が来ていないのかリーガン邸の中を再び探し始めた。ゴネリル家の者がきちんと出席していると周りから認識してもらわねばならない。
思い出話に花を咲かせている者は皆歓談用の椅子や卓が置いてある部屋の中央に集まっている。まだ挨拶をしていない者はいないかとヒルダが部屋の隅を眺めた時、月が明るいせいか質の良い織物で作られた窓掛の奥に人が隠れているのが見えた。露台への出入り口として作られたかなり大きな窓の窓掛なので葬儀の場を狙う輩が身を潜めるのにはちょうど良いのかもしれない。
追悼のために百合の花を活けた花瓶が飾ってある卓の隅にヒルダはそっと自分の杯を置いた。相手が固い仮面で顔を隠している場合は硝子の杯で叩くより直接顔面に握り拳を叩き込んだ方が効果が高い。気付かれないようにそっと窓掛に近寄っていく。この部屋にいるのは酔っぱらいと給仕ばかりで助太刀は望めそうにないから一撃で仕留めねばならない。潜んでいる者の正体を確かめるべくヒルダは窓掛の縁にそっと手を掛け引っ張ると褐色の手が見えた。
「え?クロードくん?」
「え、あ、ヒルダ?まずいんだ……物が二重に見える」
ヒルダは慌てて人に見られない様にそっと窓掛けの内側に入った。物が二重に見えるのは失神の前兆だ。クロードは人前で失神するわけにいかないと思って咄嗟に隠れたようだがそんな判断をする時点でもうおかしくなっている。
「平気なの?」
そう問うた時にはクロードはもうヒルダに縋りついて失神していた。脱出行の疲れが取れないうちにリーガン公がなくなり精神に負荷がかかったせいだろう。強がってはいるがクロードはヒルダより年下で彼から聞いた話によると同盟諸侯の名家の者として育てられていたわけではない。長く祖父に仕えていた家臣たちに言うことを聞いてもらうだけでも大変なはずだ。
ヒルダはクロードが前のめりに倒れて床に頭をぶつけないよう抱きかかえてやった。クロードの鼓動が直接ヒルダに伝わってくる。修道士の資格を持っているマリアンヌほど上手く判断はできないが少し鼓動が早めのような気がした。そして喪服ごしに触れた身体はやはり細い。
クロードたちは帝国軍の追手をかわすために街道を使わずオグマ山脈をダフネル領を目指して縦走した。ヒルダも山岳地帯であるフォドラの喉元を要するゴネリル領育ちだから分かるが登山は本当に大変なのだ。しかも彼らが縦走したのは雪山で温暖なデアドラに住んでいたクロードにはさぞ辛かったことだろう。ヒルダはそっと薄い背中を喪服越しに撫でた。あと少し様子を見て意識が戻らなかったら流石に助けを呼ばねばならない。でももう少しヒルダだけでクロードのことを労ってやりたかった。
「クロードくん、一人ぼっちは大変だねえ」
聞こえているかどうかは分からないがヒルダはクロードの耳元で囁いた。ヒルダの父ゴネリル公が亡くなったとしてもヒルダにはホルストがいる。そのことを思えば入学当初のローレンツの焦りも分からなくはないのだ。彼も一人っ子でグロスタール伯が亡くなれば全ての責任を彼一人で負わねばならない。だから共に自領を治めてくれる配偶者を探して躍起になっていたのだ。迷惑行為になっていたが。
「でも今だけは私が一緒にいるからね」
だがリーガン家とゴネリル家の間には何の話もないのでクロードが意識を取り戻し窓掛けを捲れば二人はまた単なる同窓生に戻る。ヒルダの背中に回された指が微かに動いた。どうやら意識が戻ったらしい。
「すまん!ヒルダ!」
「頭打たなくて良かったね。それとどうせなら御礼言ってくれない?」
クロードが頭を預けていた肩が急に軽くなる。大丈夫そうだと察したヒルダがそっと離れようとした時、背中に回されたクロードの腕に力が入った。
「ごめん、ありがとう。もう大丈夫だ」
「ねえ……人が入って来られないようなところはないの?」
「えっ……その、それって」
「襟締、きつく結びすぎなのよ。解いて休まないと」
ヒルダは喪主が他人の前で服装を乱すわけにいかない、と言う話をしているのだがクロードの反応を見るにあの餞別はそういうことだったのだろう。畳む
#クロヒル
#ロレマリ
6.B-(side:H)
担任であるベレト親子がよく逗留していたというルミール村で異変が起きた。疫病か呪いか分からないため調査に当たっているマヌエラが席を外していることが多いのに少し寒くなってきたせいかリシテアが体調を崩すことが多く困っている。
「病気や体質によっては安易に治癒魔法を使わない方が良い場合があって私にはまだそこの判断が……」
「マリアンヌさんは功を焦らず線引きがきちんと出来たことを評価した方がいい」
伏せっているリシテアの部屋から申し訳なさそうな顔をして出てきたマリアンヌをローレンツが庇った。彼女の心に届きやすいよう彼の好きな気障な言葉遣いを控えている。
「ローレンツなんでお前がここにいるんだ?」
「君が煎じたおかしな薬を自己判断でリシテアさんに飲ませようとしたら止めるためだ!」
「扉一枚向こうに病人がいるんだから大きな声を出すなよ……被験体にするならお前みたいに頑丈なやつにするさ」
彼はクロードをだしにしているがマリアンヌを庇うためにくっ付いてきたことをヒルダは知っている。もしかしたらローレンツ本人は気が付いていないのかもしれない。
「もー!ローレンツくんのこと分かってるくせに煽らないで!それとクロードくん穴場教えてよ。静かなとこ!」
そそくさと去ろうとするマリアンヌと腕を組みヒルダは言い争いをしながら歩くクロードとローレンツの後ろをついて行った。ローレンツは一人で歩いていると恐ろしく足が早いのだが今はクロードに歩調を合わせている。旧礼拝堂の地べたに座り込んだクロードを見たローレンツが座りやすそうな瓦礫の上に手巾をさり気なく二枚広げてくれたのでヒルダは礼を言ってマリアンヌと共に手巾の上に座った。
「もしかしたら次の課題でルミール村へ行くことになるかもしれない。調査の補助でな」
「だがまだ疫病か呪いか判明していないのだろう?」
疫病なら病弱なリシテアを出撃させるわけにはいかないと言うのがこの場にいる四人の共通認識だった。
「あの、調査にあたっている皆さんの装備を見れば結論はともかく騎士団が現時点でどう判断しているのかはわかるかもしれません……」
「なるほど護符か……さすがマリアンヌさんだ。クロード、後で確かめてこい」
呪いの場合はその対象が人か土地かで対応が変わる。土地が呪われているなら正しい護符を身につけておけば影響を受けずに済む。
「お前日頃俺のこと雲隠れするなとか散々非難しておいてよくもぬけぬけと……」
セイロス教会は必ずいつも何かを隠そうとしてきたのだ、という認識が皆の中に芽生えている。英雄の遺産に危険な面があることを十傑の子孫たちにすら告げず長い間隠していたからだ。当事者に伝えないなんてひどい話だ、とヒルダは思う。
「現状を把握することと礼節を守ることが矛盾するなら前者を優先せねば。リシテアさんの健康がかかっているのだからな」
「ローレンツ、お前さあ……貴族の誇りだとか責務じゃなくて日頃からそういうところを押し出せよ」
ヒルダは彼の考えが印象より遥かに柔軟であることに驚いたがローレンツへの礼節を守るためその驚きを表面化しないことにした。
結局、事態は急変し疫病よりも呪いよりも更におぞましい真実が明らかになった。試しにやってみただけで別にこの村でなくてもよかったのだという。正気を失った村人が我が子を手にかけ自らの家に火を放っている。リシテアが見つけた怪しい者たちは一旦放置しラファエルの提案通り皆でまだ生きている村人を正気狂気は問わず分離して確保することになった。
「どいてください!消火します!」
ブリザーが使えるマリアンヌは地獄と化した村中を駆け回っている。火を消しながら怯えて泣き叫ぶ人々の元へ駆け寄り回復魔法をかけてから安全な場所へと逃していた。
マリアンヌは足が早いから良い修道士になる。
ベレトの言葉通りだった。正気を失い己に向かって刃物を振り翳してくる村人のことなど気にせず彼女は地獄の中を走り抜けていく。助けを求める怪我人の元へ駆けつけるためだ。彼女が走り回れば走り回るだけ救いがもたらされる。
マリアンヌの活躍もあり救出可能だった村人は皆救うことが出来た。ジェラルドとベレトから作戦終了の合図が告げられるとマリアンヌはその場にへたり込んでしまった。骨折した怪我人のために持ち歩いている添え木を支えに立ち上がろうとするのだが上手くいかない。肩を貸してやりたいがヒルダも疲労困憊だ。
「マリアンヌちゃん待ってて!フレンちゃん呼んでくる!」
救助した村人の治療に当たっているフレンを連れ出し向こうでうずくまっているマリアンヌに治癒魔法をかけてほしいとヒルダが頼むとフレンが唇の前に指をあてた。
「しーっ!しーっですわよ!ヒルダさん!」
若草色の瞳がきらきらと輝いている。彼女の視線の先にはマリアンヌとローレンツがいた。彼は疲れて立ち上がれなくなったマリアンヌを抱き上げている。二人の服は泥と血に塗れているがそれでもマリアンヌが身につけている修道着が元は白いのでまるで横抱きにされた花嫁のようだった。二人は何か話しているのだが聞き取れないことが悔しくて仕方がない。いつかマリアンヌの口からきけるだろうか。それは悪夢の終わりを告げるに相応しい本当に美しい光景だった。畳む