-horreum-倉庫

雑多です。
#かのひとはうつくしく
#クロヒル
#ロレマリ
7.B(side:L)

 ローレンツが厩舎の管理をマリアンヌと共に担当していた時に上空警備を担当していたクロードとヒルダが戻ってきた。金鹿の学級で軽業師の真似事が流行ったことがある。ナイフ投げも軽業もレオニーが飛び抜けて上手いのだがクロードも負けていない。下馬の際に左足を鎧から抜き忘れた人の真似、というのがクロードの得意技だ。羽ばたきや天馬の嗎に混ざってヒルダが楽しそうに笑っている声が聞こえる。
「また同じことを繰り返して……ヒルダさんも飽きたと言ってやれば良いのに寛容なことだ」
「最初拝見した時は心臓が止まりそうになりました……」
 それはそうだろう。普通の馬であったとしても肝が冷える光景だがクロードはなんとそれを上空でやっているのだ。何かひとつでも間違いがあれば死にかねない。好きな人に良いところを見せたいと言う気持ちは分からなくもないがレスター諸侯同盟の次期盟主として相応しくない振る舞いなのは言うまでもなかった。
「おい!クロード!愚かなことはやめてさっさと下馬したまえ!先生も待っているし僕とマリアンヌさんの仕事が終わらん!」
 ローレンツが口に両手を添えよく通る声で上空にいるクロードに向かって叫ぶと何故かヒルダが私が見たいって言ったの!と言い返してきた。ローレンツの声が耳に届いたのかクロードは鞍に触れている指先と足首の力だけで身体の向きを変え普通に鞍に跨った。
「でもお二人ともとっても楽しそうです……」
 マリアンヌはそう言って眩しそうに降下してくる二人をみつめた。何となく腐してはみたもののローレンツにもそこだけは否定出来ない。大はしゃぎしながらも二人は正確にローレンツたちが天馬のために用意した水桶の前に着地した。腕は良いのにとにかくふざける二人を見ているとローレンツの心は何故かかき乱されてしまう。
「えへへ、女神の塔を上から見てきちゃった!どこも壊れてなかったよ!」
「そうでしたか。すぐに汗を拭いてあげないと冷えてしまいますから急ぎましょう」
 騎乗していた天馬の汗を拭きながらヒルダがマリアンヌに話しかけているが会話が微妙に噛み合っていない。
 そろそろ白鷺杯がありそれが終われば舞踏会だ。舞踏会が行われる日に女神の塔の中で男女が交わした約束は女神が必ず成就させてくれるという。若い男女の交わす約束と言えば内容はほぼ決まったようなものだ。
「いやあ誰と誰が塔に行くのか見るのが楽しみだな!」
 素直になった方が良い時に限ってクロードは露悪的なことを言う。ヒルダが近くにいるのにどうしてそんなことを口にするのかさっぱり分からない。ローレンツは横目でちらりと天馬の尻尾やたてがみを手分けして櫛ですいてしているヒルダとマリアンヌの様子を伺った。どうやらクロードの問題発言は彼女たちの耳に届いていないらしい。何故かローレンツの方がほっとした。
「君はそんな物言いばかりするがそれで得をしたことはあったのかね?」
「お前こそ間口狭めて得したことあるのかよ!」
 確かにクロードが言う通り散々な目にあっている。担任であるベレトから素行を改めるように直々に注意され平民の学生からはあらぬ誤解を受けた。ローレンツは基本、父の言うことに逆らわない。だが結婚相手を自力で探そうともしないのは嫌だと思って学生のうちに見つけられなければ素直に見合いで結婚すると言う条件付きで猶予が欲しいと父に願い出たのだ。
「僕は本当に自領を共に治めてくれる妻を探しているだけで君のように秘密はない!」
 クロードが騎乗していたペガサスの手入れを手伝いながらローレンツは低い声で言い返した。声を張り上げたいところだがそうするとペガサスがおびえてしまう。そういえばリーガン公はクロードの将来についてどう考えているのだろうか。紋章を持っゴネリル家のご令嬢であればなんの不満もないはずだが気になった。
「ふふ……綺麗になりましたから馬房に戻りましょうね」
「マリアンヌちゃん羽根の手入れすっごい上手で感心しちゃった〜!」
 マリアンヌが優しく天馬に語りかけている。贔屓目かもしれないが天馬もどことなく嬉しそうだ。他者のために手を動かすマリアンヌからは日頃の卑屈さが失せて内面の美が表に現れている。早く本人がそこに気付くべきなのに彼女は無頓着だった。
「マリアンヌさん申し訳ない!もう少し待ってくれたまえ」
「悪いヒルダ!もう少し待っててくれ!」
 クロードと無駄口を叩いていたせいかローレンツたちはまだ羽根の手入れが終わっていなかった。天馬は空を飛ぶので普通の馬のように蹄に塵や汚れがたまることは殆どないのだが、その代わり羽根に色々と塵が引っかかってしまう。それを羽根の流れに沿って優しく取り除いてやらねばならない。
「お待ちしますので急ぐよりも丁寧に手入れしてあげてください」
「男の子の方がよっぽどお喋りなんじゃな〜い?」
 担任への報告は二人揃って、という規則になっている。ローレンツもクロードも口を閉じ必死になって天馬の羽根を繕ってやった。畳む
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8.B(side:H)

 季節が進むのは早いものでそろそろ冬至をむかえつつあった。距離は離れているものの共に気候が温暖で冬にあまり雪の降らない地方出身であるヒルダとクロードは襟巻や手袋が手放せないが、ファーガス出身の学生たちは標高の高いガルグ=マクで冬を迎えているのにまだ薄着で修道院内を闊歩している。時期が時期だけに士官学校の学生たちの話題は自然と白鷺杯や舞踏会のことが中心になりつつあった。金鹿の学級はクロードをはじめとして舞踊に興味がない者が多いが前節ルミール村で地獄のような光景を目にしたこともあり皆、気分を変えたがっている。ヒルダのように楽しみにしている者も舞踏会という行事に対し拒否感を示す者もいるが考えが違う者同士ありやなしやと語り合い盛り上がることで必死に前節の恐ろしい記憶に抗っていた。
 そんなある日のことベレトから白鷺杯の代表はマリアンヌ、その指導役はローレンツにするという発表があった。ベレト自身も傭兵上がりのため舞踊が得意ではない。誰かに任せようにも金鹿の学級は平民が多く宮廷舞踊の心得があるのはローレンツとヒルダそれにリシテアだけなので指導役は妥当な人選と言えるだろう。
 どうしてヒルダではないのか、とマリアンヌは嘆いていたが指導役にも学級代表にもなる可能性があったヒルダとしてはマリアンヌの足の早さとローレンツの真面目さに感謝するしかない。踊り子は再行動したい者の元へすぐに駆けつけねばならない兵種だからだ。
 白鷺杯を理由にずっとマリアンヌにくっついていられるせいか近ごろのローレンツはとても幸せそうにしている。配偶者探しと称して学内にいるありとあらゆる領主の娘に声をかけていた頃のことが嘘のようだ。しかしたまにベレトに呼び出されクロードと三人で食事をしている時の態度は対照的であの張りのある声でずっとクロードの礼儀作法を注意し続けるのでとてもうるさい。
 クロードは食事を共にする度にローレンツを自分の母親より煩い、マリアンヌはあんな奴に指導されて大丈夫なのか?と大袈裟に嘆くが本当に不思議なくらいローレンツとマリアンヌは話さなくなった。無理に会話を続けようとして周囲を凍り付かせるようなことが減り今もクロードとヒルダが熱々のゴーティエチーズグラタンを冷ましながら食べている食卓の数列向こうで二人静かに何も語らず共に昼食をとっている。どうやら二人とも沈黙が苦ではないらしい。言葉を尽くして朗々と自論を語るのがローレンツの本質だと思っていたヒルダはその激しい変化に驚いた。普通なら口数が減ることを激しいと表現しない。だがヒルダはその態度にローレンツの強烈な意志を感じるのだ。
「そんなに気になるならこっそり二人の様子を見に行けば?」
 ヒルダのいる席からは見えないが向かいに座っているクロードの席からはマリアンヌとローレンツの姿がよく見えたらしい。繰り返しになるがヒルダの席からは見えないので想像するしかない。無駄話をせずに昼食を終えた二人は今ごろクロードが見つけた人目につかない穴場で練習に励んでいることだろう。他人の前で体を動かすことに強い抵抗感があるマリアンヌの為に人目につかないところを教えてほしいとローレンツはクロードに頭を下げている。それを知った上でヒルダはクロードに問うていた。
「いやそれはどうだろう……流石にマリアンヌに悪いなと……」
 クロードはクロードなりにマリアンヌの好ましい部分や欠落そして大きな秘密があることに気付いている。男らしく少し太めの眉と眉の間に皺が刻まれ顔が悩ましげになった。当然、好奇心は身をもたげているが人として守らねばならない一線というものがある。
「信頼するしかない時ってあると思うのよね」
 猜疑心の塊と自称するクロードの緑の瞳がヒルダを見つめた。珍しく内側に閉じ込めた迷いが現れているような気がする。このままクロードに話を続けさせても良いのだろうか。
「踊りなあ……俺もリーガン家に入る時に練習したがやっぱりあんまり得意じゃないんだよな。自分の足がもつれるだけならいいんだがお相手の足を踏みつけちまう」
 クロードはリーガン家に連なる騎士の家の出なのかもしれない。それなら舞踊よりも武芸優先だろうしクロードに武芸の師匠がいるのも納得だ。
「ふーん軽業は得意なのにねえ……でもレオニーちゃんも踊りは苦手なんだっけ」
 だがあの身軽さだ。彼女は村育ちだから慣れていないだけで宮廷式の舞踊に親しみを持って育っていればさぞ素晴らしい踊り手になったことだろう。
「なんだかあの密着する感じに慣れないんだ。だから集中出来なくて」
「そんなこと言って慣れる気がないの丸分かりだよ!」
 先日、クロードは日頃出さない本気を出せとヒルダを焚き付けた。しかしクロードの方こそ本気を出していない。そんな態度を取っていては宮廷式の舞踊が象徴するものよりもっと大事なものがあるのだと顔に書いて暮らしているのと同じだ。ヒルダはクロードが隠している大事なものが何なのか知る日が来るのだろうか。それはヒルダにだけ告げてくれるのだろうか?それとも皆と一緒に知ることになるのだろうか?畳む
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9.interval(side:C)

 カリードの父と母が出会ったのはまだ父が王位を継ぐ前のことで思い切って国を捨てた母もまさか自分の夫が王になるとは考えもしなかったようだ。しかし大国の王ともなれば情勢を安定させるために妻をたくさん娶らねばならない。そこからカリードの苦難は始まっている。王宮で若き日の父の不始末について八つ当たりをされながら育ち異母兄弟たちから追い詰められいよいよ進退が極まった時に顔を見たことすらない母方の祖父からフォドラへ呼び出された。カリードは王宮という閉ざされた世界からリーガン家を経由しクロードという名で学校という閉ざされた世界へ移り住むことになった。

 綺麗事で秘密を覆い隠すセイロス教会のお膝元での暮らして何になるのかと祖父相手に粋がってみたもののガルグ=マクでの生活はクロードの想像を超えていた。閉ざされた未開の国と思っていたがとんでもない。紋章や英雄の遺産への興味は尽きなかったが何よりもクロードの心を動かしたのは士官学校という場に集う人々の来歴だった。
 兵士ですらない孤児のツィリルが前線であるフォドラの首飾りからガルグ=マクまで流れ着いていることを知りクロードは己の無知さを恥じた。異国出身であろうと気にしないということを周りに示すため敢えてツィリルに身の回りの世話をさせているレアや孤児であり紋章を持たぬ身でありながら騎士団の団長を務めるアロイスそれに戦場をよく知る傭兵上がりの担任ベレトはクロードの蒙を啓いた。組織の長としてどう振る舞うべきか彼らから学べた気がする。
 学友たちも負けていない。典型的なフォドラの貴族だと思って正直なところ見下していたローレンツは印象より遥かに懐が広いしイグナーツはフォドラの外でも通用するような素晴らしい絵を描く。ラファエルは許すことの強さを教えてくれた。レオニーと共に過ごさなかったら慎ましく生きることと誇り高く生きることが両立出来ることを知らなかっただろう。残り時間を見据えて必死に生きるリシテアの強さ、大きな秘密に押しつぶされそうになりながらも戦場を駆け回るマリアンヌの勇敢さには感銘を受けた。そしてパルミラの王宮にまでその名が伝わるホルストの妹ヒルダがいたことに、彼女が小柄で陽気であることに驚いた。

 そんな人々に囲まれて子供でいられる最後の一年を満喫していたクロードだが穏やかな日々は終わりを迎えつつある。
「心当たりは全くないがエーデルガルトは会う前から俺が嫌いだったんだろうな」
 クロードの言葉を聞いてディミトリがため息をついた。
「……確かに宣戦布告の内容は個人的な好き嫌いで始めたのかと思うくらい支離滅裂だったが……」
 きちんと整理整頓されたディミトリの部屋で二人は今どうやって学生たちを全員無事に帰宅させるか相談をしていた。皆ペトラのように帝国の人質になるわけにはいかないからだ。青獅子の者たちは帝国軍の追跡を避けるためオグマ山脈を縦走し全員でまずイングリットの故郷であるガラテアを目指す。ところが金鹿の者たちは全員でというわけにいかない。クロードやマリアンヌのような北部出身の学生の他にアミッド大河沿いに自宅のある学生が沢山いる。だがクロードは何としても北上しデアドラに戻らねばならない。
「俺たちは冷静になって全員帰宅させてやろう」
「そうだな。こちらは全員一緒に動けるがクロードの方は二手に分かれるから大変だな。船は出してもらえそうなのか?」
 だからクロードはヒルダとはここでお別れだ。クロードはダブネルまでディミトリたちと行動を共にするが東部出身の彼女はリシテアたちと共にガルグ=マクからアミッド大河を目指す。
「船は出してくれるだろうが対岸が帝国領だからなあ……」
「東に向かう者たちが心配なのは分かるが出来ることをやろう。彼らの無事は信じるしかない」
 お気に入りの妃ティアナが産んだたった一人の王子が潜入中ということでクロードの父がフォドラ方面への軍事行動に制限をかけている。だからきっとゴネリル家には船と騎士団を出す余裕があるはずだ。
 修道院の敷地内にいる者たちに敵襲を知らせる鐘が鳴り響いたその時、クロードは自室で寝台から敷布を剥がし切れ目を入れていた。山の中に何箇所か逃走用物資の集積場所を作って用意したが例え布きれ一枚であろうと余計に持ち込んでおきたい。少し手を加えておけばすぐに割いて包帯にできるし風避けに使いたいときはそのままかぶれば良い。冬山の中ではたった一枚の布が命を救う場合もある。
「クロードくん!先生が呼んでる!大広間だよ!」
「他の皆は?」
「寮に残ってるのはクロードくんだけだから迎えに来たの!」
 ヒルダは僅かに見えている床の隙間を飛び石を伝うように器用に伝ってクロードの元へやってきた。白く小さな手が褐色の手首を力強く引っ張り寝台から立ち上がらせる。そのまま手を離さずクロードのを引っ張りながらすたすたと大股の急ぎ足で廊下を歩いていくので先ほど切れ目を入れていた布は畳む暇もなく左手で鷲掴みにしたままだ。
「待ってくれ!肩が!」
「え、でも急がなきゃ!」
 よほど焦っていたのかヒルダは自分がクロードの手首を掴みっぱなしであることに気付いていなかったらしい。クロードとしても二人きりであったし手を離してほしくないような気もしたが肩が壊れては本末転倒だ。
「本当に力が強いな……腕がもげるかと思った……」
 彼女の身に宿る紋章のせいだとわかっていてもこの小さな身体のどこから力が湧いてくるのかと不思議な気持ちになってしまう。
「ひどーい!」
「流石に大広間までの道は手を引かれなくても分かる。それと十秒だけ時間をくれ」
 クロードは軽く肩を回し鷲掴みにしていた敷布を両手で広げた。先ほど入れた切れ目のところを持ち前後に引っ張って半分に割いていく。これで一枚の布は二枚になった。片方は素早く畳んで上着の隠しにしまいもう片方を不思議そうな顔をしてクロードを見つめているヒルダの桃色の頭に面紗のように被せてやる。頭から腰の辺りまで覆われるだろうと思っていたがヒルダが小柄なせいか布が顔に被さり口元まで隠れてしまう。
 ヒルダのその姿がクロードにパルミラで見合いに臨む貴族の女性を思い起こさせた。貴族の女性は見合いをする際に面紗で顔を隠す。当然前が見えないので兄弟やいとこが付き添い二人きりになることはないし正式に婚約するまで見合い相手といえども素顔を見ることは許されない。結婚しても構わないと思えば面紗を引っ張り上げてその時、初めて素顔を見せる。
「ささやかだけど餞別だよ。切れ目が入れてあるから包帯にもしやすいしこの大きさなら風よけにも使えるだろ」
 ヒルダが頭巾のようになっている部分をそっと引っ張って顔を出した。ここはフォドラなのでヒルダの行為には何の意味もない。
「ありがとうクロードくん。怪我をしないで帰る自信がないからとっても嬉しい」
 微笑んではいるが髪と揃いの桃色の瞳には闘志が宿っていた。クロードは以前、日頃出さない本気を出せ、とヒルダを焚きつけている。だがクロードはヒルダが本気を出して戦う姿を見ることはできない。ヒルダが東方面へ逃げる学生たちのまとめ役になってくれたようにクロードも北のダフネルを目指す学生たちのまとめ役になっているからだ。畳む
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10.interval(side:M)

 エドマンド辺境伯は書斎に通された妹の娘を生まれて初めて見た瞬間に泣いた。目をきつく強く閉じたせいで頬にこぼれ落ちた涙を手巾で拭きながらもすぐ書類を取り出せたことから分かる通りずっと前から覚悟して用意していたのだろう。自分や妹と同じ水色の髪そして彼女の父と同じ薄茶色の目をした娘は言われるがままに署名しマリアンヌ=フォン=エドマンドとなった。
「ただいま戻りました」
 マリアンヌが帰宅の挨拶をするため養父の書斎に顔を出すとエドマンド辺境伯は棚の上に作った小さな祭壇の蝋燭に火を灯していた。マリアンヌの両親を偲ぶもので彼女の実母が家を出る前に残していった髪の毛と彼女の実父がエドマンド辺境伯に当てた直筆の手紙が飾ってある。彼女の亡骸は見つからず妻の死に関係があったであろうマリアンヌの父は失踪したのでこの髪の毛と手紙しかマリアンヌとエドマンド辺境伯には残されていない。
「おかえり。リーガン家のひよっこはなかなかやり手のようだ。誰か一人くらい捕虜になるかと思ったが皆見事に逃げおおせた」
 養父は皆、と言ったのできっと東に逃げた者たちも無事に帰宅できたのだ。
「はい、クロードさんはすごい方です。でもすごい方はクロードさんだけではありません」
「マリアンヌ、入学前は友人など出来るはずもないと言っていたがそんなことはなかっただろう?」
「はい……」
「色々大変な目にもあったとは思うがマリアンヌをガルグ=マクへやって良かった。私があいつと知り合ったのもガルグ=マクでね……」
 マリアンヌはヒルダと選んだ手巾を養父にそっと差し出した。養父は滅多にマリアンヌの父について語らないのだが語り始めると泣いてしまうことが多い。
「お養父さま、そんなに話すのがお辛いのでしたらその、私の父のことは……」
「いいや、話したいんだ。少しずつしか話せないが……いつも取り乱してしまって申し訳ない。明日の午後仕立て屋が来るまでゆっくり休みなさい」
「仕立て屋……ですか?」
「そうだ。リーガン公の葬儀に間に合うように新しい喪服を作りなさい」
 エドマンド辺境伯は同盟きっての論客で交渉の場に立てば彼に勝てる者は殆どいないと言われている。ローレンツの父であるグロスタール伯もマリアンヌの養父は敵に回したくないのだという。多分こういうところが原因だ。

 数節後、マリアンヌは作りたての喪服を身に纏って養父であるエドマンド辺境伯と共にデアドラのリーガン邸にいた。侍女を帯同させているのでガルグ=マクにいた頃のように編み上げた部分から髪の毛がこぼれ落ちることもない。リーガン邸は長く盟主を務めていたオズワルドを悼む弔問客でごった返している。その中に見覚えのある髪型をした桃色の頭が見えた。
「私はリーガン家の家臣たちと少し話をしてくる」
「あの……私は……」
 マリアンヌは辺境伯の地位を継ぐ者として養女となったので養父の出る会合には帯同せねばならない。眉尻を下げている養女を見て養父は実母と同じ場所に笑窪を浮かべた。
「お友達が来ていたのだろう?せっかくだから話しておいで。私は少し時間がかかるからね。ああ、弔い酒は飲んでも構わないがもう無理だと思ったら私の名を出してきちんと断りなさい」
 許可を得て広い邸内を再び探し歩いたがヒルダはなかなか見つからない。もしかしたら人違いなのかもしれなかった。マリアンヌは後継者として顔と名を売らねばならないがヒルダはそんなことをする必要がない。きっとゴネリル家を代表してリーガン公の葬儀に出席するのはヒルダではなく彼女の兄か父だ。
「マリアンヌさん!」
 騒々しい邸内でもよく通る声がマリアンヌの鼓膜を叩く。振り向いてみればそこに喪服姿のローレンツが立っていた。見慣れた制服姿ではないので少し違和感がある。
「ローレンツさんお久しぶりです。あの……ヒルダさんを見かけませんでしたか?」
 ローレンツは給仕たちが注いで回っている弔い酒を空けると首を横に振った。脱出行の際に伸びた紫の髪が長さはそのままに整えられている。
「ふむ……クロードとリシテアさんには会ったがヒルダさんは見かけていないな。良かったら探すのを手伝わせてもらえないだろうか?」
 コーデリア家はリシテアが主体となって近々爵位を返上するのだという。その関係でデアドラに来ていてもおかしくはない。
「ありがとうございます。ヒルダさんから手紙はいただいたのですが直接お会いできるならお会いしたくて」
 ローレンツはマリアンヌの言葉を聞いて小さく頷いてくれた。彼はいつからかマリアンヌの言葉を黙って待ってくれるようになった。背が高いローレンツが見渡してくれればすぐに見つかるような気がするし口籠もってしまうマリアンヌが声をかけるより本来は朗々と語るローレンツが声をかければすぐに気づいてもらえるだろう。ところが中々ヒルダは見つからない。
「人違いだったのでしょうか?」
「いや、マリアンヌさんが彼女を見間違えるはずはない。今日は前夜式でごった返しているから会えないだけで明日には貴賓席で会えるだろう。リシテアさんの居場所なら分かるが挨拶していくかい?」
 マリアンヌが頷くとローレンツは弔問客用の軽食が用意されている部屋に連れて行ってくれた。そこにはリーガン家の使用人たちが総出で作った菓子や弔い酒用の肴がおいてある。
「また会いましたね、ローレンツ。ああ!マリアンヌ!元気にしてましたか?この揚げ菓子最高ですから食べた方がいいですよ」
 リシテアは生地に干し葡萄が練り込んである揚げ菓子を頬張っていた。
「ええ、私は元気です。リシテアさん、ヒルダさんを見かけませんでしたか?」
「あれ?ヒルダ居ないんですか?私はここについたばかりの時に会ったんですが……帰っちゃったのかもしれませんね。まあ焦らずとも明日にはヒルダにもクロードにも貴賓席で会えますよ」
 リシテアはローレンツと同じことを言った。そもそもデアドラでヒルダと会う約束をしていたわけでもない。それでも少し残念に思いながらマリアンヌはようやく給仕から弔い酒受け取り杯に口をつけた。死者に捧げる杯なので空ければ空けるほど良いとされている。
「私だけお会いできないなんて……」
「いやマリアンヌさん、僕もヒルダさんに会えていないのだからそれは違う」
 空きっ腹に流し込んだせいか酒の周りが早くマリアンヌの頬は赤く染まった。給仕がまたマリアンヌの杯に酒を注いでくれたので空けようとするとローレンツにそっと杯を取り上げられてしまった。
「それ以上は明日に障りが出てしまう」
 おかげでマリアンヌも養父からもう無理だと思ったら断るようにと言われていたことを思い出せた。
「すいません、ありがとうございます。ふふ……ローレンツさんは私が養父の名を出さなくても止めてくれるのですね」
 マリアンヌは酒を飲むと気持ち悪くなってしまうことの方が多いのだが今日は違った。いつも心から離れない重りはどこへ行ってしまったのだろう。リシテアが絶賛していた揚げ菓子のように心がふわふわと軽い。
「マリアンヌさん、それは当然のことだ。貴族というか男として守らねばならない一線がある」
 その後のことをマリアンヌはよく覚えていないのだがきちんと養父と共にデアドラの上屋敷へ帰り帯同していた侍女にずっとローレンツの話をしていたらしいということは翌朝養父から聞いた。畳む
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11.interval(side:L)

 他人の秘密は財産と同じだ。握る秘密の数が多ければ多いほど自分の意のままに過ごすことが出来る。ローレンツは初対面の時からクロードを訝しみ何とかして秘密を暴こうとしていたがその結果思いもよらない秘密をその手に握ってしまった。クロードのことだけなら計算づくで淡々と処理するだけだがヒルダの名誉も絡んでいる。
 釘を刺すような祖父は亡くクロードですら無視ができないようなリーガン家の年嵩の家臣たちはエドマンド辺境伯と話していたし国境を守るゴネリル家からはヒルダしかデアドラに来ていない。きっと今後は身動きの取れない父と兄に代わってヒルダが様々な場所に顔を出すのだろう。将来の円卓会議をクロード、マリアンヌ、ローレンツと共に彼女が担うのかもしれない。
 そんな遠い将来のはともかく年頃の男女のことであるし葬儀の場というのはただでさえ感情が昂るものだ。ローレンツにしてもリーガン公を悼む気持ちとクロードへの苛立ちが混ざりあっている。弔い酒と共に苦々しい思いを飲み下していた時にローレンツはマリアンヌを見かけたのだ。ガルグ=マクにいる時と違い身の回りの世話をする侍女が帯同しているのか今晩の彼女は美しく髪を結い上げている。一瞬で苛立ちが吹き飛び給仕が注いだ弔い酒を今度は心を落ち着けるために飲み干した。
 マリアンヌは当然ヒルダに会いたがっているが握ってしまった秘密がローレンツに歯止めをかける。少し早めにリーガン邸に到着しクロードと一言二言話したローレンツは父であるグロスタール伯に連れられ共に他の弔問客たちと歓談していた。その場を学友たちがいるので挨拶を、と言って中座した時にローレンツはクロードが姿を消していることに気づいた。
 そして彼を探すうちに物陰で抱き合う喪服姿の二人を目撃し今に至る。気づかないふりをして通り過ぎたが未だに弔問客のうろつく一階や二階に戻っていないなら二人は客が入れないようになっている三階にでもいるのかもしれない。その先のことはマリアンヌと共にいる今は考えたくなかった。
「すいません……私があの時すぐヒルダさんに声をかけておけばこんな風にローレンツさんにご迷惑をかけることもなかったのに」
「迷惑だなんてとんでもない。中々お役に立てなくて申し訳ないね」
 杯を持って邸内を歩いていると周りからどうしても献杯を、と言われる。ローレンツは可能な限りマリアンヌに代わって献杯しているつもりだったがそれでもマリアンヌに全く呑ませずに済んだわけではない。それなりに弔い酒を口にしていたせいだろうか。彼女の顔はかなり赤くなっているし足元も少しおぼつかなくなっている。ローレンツも父であるグロスタール伯と共にリーガン邸を訪れているのでとてもではないがクロードやヒルダのような振る舞いは出来ない。ヒルダを探すふりをやめて本当にエドマンド辺境伯を探した方が良さそうだった。
「マリアンヌさん、今晩はもうお養父上と上屋敷へ戻った方がいい」
 マリアンヌによるとエドマンド辺境伯はリーガン家の家臣たちと話がある、とのことだったのでローレンツは改めて足元のおぼつかない彼女に肘を差し出し会議が出来そうな大きさの部屋を順ぐりに確かめていく。三部屋目でようやくローレンツはマリアンヌと同じ水色の髪をした壮年の男性を見つけることが出来た。円卓会議に帯同した際に顔を見たことがあるので人違いではない。話し合いはちょうど終わったところのようだった。
「失礼します、エドマンド辺境伯」
 ローレンツはエドマンド辺境伯とマリアンヌが並んでいるところを初めて見た。二人を見比べてみると顔立ちや体つきがよく似ていて実の親子ではないにしても血縁関係にあることが分かる。ただし二人が醸し出す雰囲気は全く違う。酒に酔っていない時のマリアンヌが常に何かにおびえて伏し目がちであるのに対しエドマンド辺境伯は自信に満ち溢れ何者にも譲らない気の強さを感じる。
「君はグロスタール伯の嫡子だね」
「はい。ローレンツ=ヘルマン=グロスタールです」
 ローレンツはクロードが現れる前には五大諸侯の家に生まれた唯一の紋章を受け継ぐ男子であったのでエドマンド辺境伯が自分の名を知らぬはずがない。しかし彼はローレンツの名を呼ばなかった。彼の口元は笑っているが酔ったマリアンヌの白い指先が添えられている肘とローレンツの顔を見比べていてその二点間を行き来する視線がまるで刃物のようだ。ローレンツの肉体も危険を感じているのかマリアンヌの代わりにかなり弔い酒を煽ったと言うのに酔いが急激に冷めていく。
「まあ、お養父様!こんなところにいらしたのですね、ローレンツさんが探していたのでここでお会いできて本当に良かったです」
 酔っているマリアンヌの頭からは誰のためにエドマンド辺境伯を探していたのかがすっぽ抜けてしまったらしい。養女の毒気のない言葉を聞いてローレンツの言動には何ひとつやましいところがない、と判断しエドマンド辺境伯は肘とローレンツの顔を交互に見ることをやめた。
「マリアンヌは少々酒が過ぎたようだね。デアドラは水路が多いから酔って歩けば命取りだ。感謝するよローレンツくん」
「いいえ、名誉ある貴族として当然のことです」
 マリアンヌがエドマンド辺境伯の腕を取り二人が退室するまでローレンツは生きた心地がしなかった。それもこれも全てクロードのせいだ。ローレンツはマリアンヌがくれた手巾で汗を拭きながら明日は絶対にクロードに何か言ってやろうと誓った。

 翌日、葬儀の会場であるデアドラ中央教会に訪れたローレンツは神妙な顔をして喪主として振る舞っているクロードの足の甲を貴賓席に着席しているのを良いことに他の者には分からないように思いきり強く踏んだ。一瞬、クロードは後で仕返ししてやるから覚えていろ、という顔をしてローレンツを睨みつけてきたがどうやら葬儀が終わるまでの間に同じく貴賓席に座っていたヒルダとマリアンヌの会話を小耳に挟んだらしい。教会での一連の儀式が終わるとクロードは慌ててローレンツを人気のないところへ連れ出した。
「マリアンヌのこと誤魔化してくれたんだな」
「ふん、どうやら心当たりがあるようだな」
「言っておくがあの状況じゃ風呂は使えないしうちはじいさんと俺の男所帯で子馬がない。だからそこまでやましいことはしてない」
 子馬とは女性が足や下腹部を洗う時に使う椅子型の器具のことだ。跨って使うので子馬と呼ばれる。ローレンツは自分の頬に熱が集まっていることを自覚した。きっと顔は真っ赤に染まっていることだろう。
「君、なんてこと言うのだ!そもそも前夜式の最中に姿を消したから僕相手に取り繕う羽目になっているのだぞ!」
「ヒルダのためにもまずお前の誤解を解かないとまずいだろう!」
 ローレンツは頭が痛くなってきた。そこまで、という含みのある表現も気になったがそもそも当事者抜きに男二人でこんな言い争いをしていることが間違っている。
「分かった。この話はこの場限りにしておく。言っておくがヒルダさんのためだぞ」
 クロードからは珍しく恩にきる、と言われたがそんなことより頼むからもっと上手くやってくれ、と言うのが身分や立場を全て取り去ったローレンツの本音だった。畳む
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 12.interval(side:H)

 クロードは三つ編みを切り落とし少し大きめの黒い喪服に身を包み喉には白い襟締を付けていた。彼は二十歳にもならないというのにリーガン公の葬儀が終わればレスター諸侯同盟の盟主になる。彼がいなければローレンツの父グロスタール伯がその立場についていただろう。
「遠くから来てくれてありがとうな」
「クロードくん大変だったね。兄さんと父さんはやっぱり前線を離れられなくて……」
 リーガン公の訃報を知ったゴネリル公は娘のヒルダに飛竜を宿場町で乗り継ぎデアドラへ行くよう命じた。ゴネリル公もホルストもリーガン公の死に乗じてパルミラ軍が攻勢をかけてくる可能性が高く前線から動くことができない。いつもなら面倒臭がって言うことを聞きたがらないヒルダだが今回ばかりは二つ返事で引き受けた。ゴネリル家がクロードを支持していることを世間に知らしめねばならないしデアドラで買い物をしたかったし別れ際に思わせぶりなことをした理由をクロードから直接聞きたいと思ったからだ。
 当然喪服姿では長時間の騎乗など出来るはずもないのでヒルダはデアドラの上屋敷に寄って持参した喪服に着替えている。いつ必要になるか分からないのだからと作らされた真っ黒で地味な喪服に白い襟締を付けていてもクロードはすぐにヒルダのことを見つけた。
「取り敢えず一杯どうだ?」
 弔い酒をすすめてきたクロードの目元には長い睫毛のせいで影が出来ていたがそれでも隈を隠しきれていない。
「いただこうかな、喉乾いちゃったし」
「美人に献杯して貰えてじいさんも喜んでるよ」
「他の人にも同じこと言ってるんでしょ?」
「はは……手厳しいな……」
 リーガン家が用意した弔い酒は口当たりが良く飲みやすかった。きっと故人が決めたのだろう。クロードが選んだならもっと強い酒にしたはずだ。
「誰か来てる?」
 クロードは正確にヒルダの意図を察しリシテアとローレンツがいる、と教えてくれた。マリアンヌが到着していないのは残念だが共にガルグ=マクからアミッド大河に向かった仲間であるリシテアが来ているなら絶対会っておきたい。
「リシテアは俺にしか用事がないからもう話せると思うぜ。あいつは酒より甘味だから軽食を置いてあるところにいるんじゃないかな」
 ローレンツはグロスタール伯に帯同しており葬儀の場に集まってきた者たちに用事がある。おそらくヒルダと世間話をする余裕はないだろう。ヒルダは杯を手にリシテアの元へ向かった。彼女は船上でヒルダに詳細を教えようとはしなかったが爵位返上の件と言いコーデリア家ではおかしなことが起きている。
 リシテアはクロードの言う通りの場所でデアドラの銘菓を堪能していた。おそらく既に全種類味見して気に入ったものをお代わりしている。
「ねえいつまでデアドラにいるの?お葬式が終わったら一緒にお買い物しない?」
「そうですね。次にいつデアドラに来られるかわかりませんから書店には行っておきたいです」
 実にリシテアらしい答えが返ってきた。明日に備えてそろそろコーデリア家の上屋敷に戻ると言う彼女と約束を取り付けたヒルダは他の弔問客に挨拶をしつつ友人や知人が来ていないのかリーガン邸の中を再び探し始めた。ゴネリル家の者がきちんと出席していると周りから認識してもらわねばならない。
 思い出話に花を咲かせている者は皆歓談用の椅子や卓が置いてある部屋の中央に集まっている。まだ挨拶をしていない者はいないかとヒルダが部屋の隅を眺めた時、月が明るいせいか質の良い織物で作られた窓掛の奥に人が隠れているのが見えた。露台への出入り口として作られたかなり大きな窓の窓掛なので葬儀の場を狙う輩が身を潜めるのにはちょうど良いのかもしれない。
 追悼のために百合の花を活けた花瓶が飾ってある卓の隅にヒルダはそっと自分の杯を置いた。相手が固い仮面で顔を隠している場合は硝子の杯で叩くより直接顔面に握り拳を叩き込んだ方が効果が高い。気付かれないようにそっと窓掛に近寄っていく。この部屋にいるのは酔っぱらいと給仕ばかりで助太刀は望めそうにないから一撃で仕留めねばならない。潜んでいる者の正体を確かめるべくヒルダは窓掛の縁にそっと手を掛け引っ張ると褐色の手が見えた。
「え?クロードくん?」
「え、あ、ヒルダ?まずいんだ……物が二重に見える」
 ヒルダは慌てて人に見られない様にそっと窓掛けの内側に入った。物が二重に見えるのは失神の前兆だ。クロードは人前で失神するわけにいかないと思って咄嗟に隠れたようだがそんな判断をする時点でもうおかしくなっている。
「平気なの?」
 そう問うた時にはクロードはもうヒルダに縋りついて失神していた。脱出行の疲れが取れないうちにリーガン公がなくなり精神に負荷がかかったせいだろう。強がってはいるがクロードはヒルダより年下で彼から聞いた話によると同盟諸侯の名家の者として育てられていたわけではない。長く祖父に仕えていた家臣たちに言うことを聞いてもらうだけでも大変なはずだ。
 ヒルダはクロードが前のめりに倒れて床に頭をぶつけないよう抱きかかえてやった。クロードの鼓動が直接ヒルダに伝わってくる。修道士の資格を持っているマリアンヌほど上手く判断はできないが少し鼓動が早めのような気がした。そして喪服ごしに触れた身体はやはり細い。
 クロードたちは帝国軍の追手をかわすために街道を使わずオグマ山脈をダフネル領を目指して縦走した。ヒルダも山岳地帯であるフォドラの喉元を要するゴネリル領育ちだから分かるが登山は本当に大変なのだ。しかも彼らが縦走したのは雪山で温暖なデアドラに住んでいたクロードにはさぞ辛かったことだろう。ヒルダはそっと薄い背中を喪服越しに撫でた。あと少し様子を見て意識が戻らなかったら流石に助けを呼ばねばならない。でももう少しヒルダだけでクロードのことを労ってやりたかった。
「クロードくん、一人ぼっちは大変だねえ」
 聞こえているかどうかは分からないがヒルダはクロードの耳元で囁いた。ヒルダの父ゴネリル公が亡くなったとしてもヒルダにはホルストがいる。そのことを思えば入学当初のローレンツの焦りも分からなくはないのだ。彼も一人っ子でグロスタール伯が亡くなれば全ての責任を彼一人で負わねばならない。だから共に自領を治めてくれる配偶者を探して躍起になっていたのだ。迷惑行為になっていたが。
「でも今だけは私が一緒にいるからね」
 だがリーガン家とゴネリル家の間には何の話もないのでクロードが意識を取り戻し窓掛けを捲れば二人はまた単なる同窓生に戻る。ヒルダの背中に回された指が微かに動いた。どうやら意識が戻ったらしい。
「すまん!ヒルダ!」
「頭打たなくて良かったね。それとどうせなら御礼言ってくれない?」
 クロードが頭を預けていた肩が急に軽くなる。大丈夫そうだと察したヒルダがそっと離れようとした時、背中に回されたクロードの腕に力が入った。
「ごめん、ありがとう。もう大丈夫だ」
「ねえ……人が入って来られないようなところはないの?」
「えっ……その、それって」
「襟締、きつく結びすぎなのよ。解いて休まないと」
 ヒルダは喪主が他人の前で服装を乱すわけにいかない、と言う話をしているのだがクロードの反応を見るにあの餞別はそういうことだったのだろう。畳む
#かのひとはうつくしく
#クロヒル
#ロレマリ
13.A-(side:L)

 冬のオグマ山脈の寒さは皆の身体を痛めつけたが修道士の資格を持つマリアンヌとメルセデスの活躍により誰も手足の指を失うことなく帰郷することが出来た。魔道学院に続き士官学校も最後まで通うことが叶わなかったローレンツは暖炉の火に照らされながらグロスタール家が各地方に放っている密偵からの報告書を読んでいる。どうやらファーガスで政変が起きたらしい。ディミトリが亡くなった、逃亡した、と情報がかなり錯綜している。共に冬山を踏破したファーガス出身の者たちのことを思うとローレンツは心が痛んだ。皆ディミトリ王に仕える日を楽しみにしていたのだ。
 ローレンツの掌に円形の魔法陣が浮かぶ。暖炉で燃やせば燃えさしが残る可能性がある。読み終わった報告書を暖炉ではなく掌の上で完全に灰になるまで燃やした。紙は貴重だが仕方ない。近々また円卓会議が開かれる。その際にグロスタール家が本当はどこまで事態を把握しているのか気取られてはならない。ローレンツは幼い子供の頃から物覚えを父から試されながら育っていた。すれ違った者の服装やちらりと見せられた紙に書いてある文章などをよく見て覚えておく遊びだと思っていたが自然と訓練されていたらしい。そんなこともあり灰となった報告書の中身はローレンツの脳内に残っている。ある密偵は従者が命懸けでディミトリを逃したと報告したが他の密偵はディミトリは処断されたと報告した。
 帝国軍の侵攻から命からがら逃げ帰った士官学校の学生たちはファーガスの者であれレスターの者であれどうしても大人たちに信じさせねばならないことがある。それは敵が身分や姿形を乗っ取り身体を操ることだ。魔法であればあまりに高度すぎて荒唐無稽すぎてローレンツにしても見ていなければ信じられない。ディミトリが再び現れたとしてそれが本物のディミトリなのかどうかも考える必要がある。もし敵がローレンツの身分や姿形を乗っ取ったらどれほど無念だろうか。オックス家のモニカは彼女の身分と姿形を乗っ取ったクロニエという者が迂闊だったおかげで死後といえども名誉は回復されたが同じ目にあったらと考えるだけでも血の気が引いてしまう。それを避けるためにはどうふるまうべきなのか考える必要がある。ルミール村で見かけたエーデルガルトの周りにいたような怪しい魔道士を遠ざけねばならない。大人たちが信じなかったとしてもクロードに必ず時間を作らせ二人で対策を練る必要があった。
 ローレンツには跡取りとしてデアドラで名と顔を売るように言われる時と父の名代として他の土地を訪れたり自領を治めねばならぬ時があり円卓会議の度に必ずデアドラへ行けるわけではない。マリアンヌも似たような立場で円卓会議に帯同すれば必ず彼女と会えるというわけではなかった。分かっていてもリーガン邸の応接間に彼女の姿が見えないとローレンツは残念だと思ってしまうし自分が不在であった時にマリアンヌがどう感じているのかが気になってしまう。
 父であるグロスタール伯と共にリーガン邸の応接間に通されるとエドマンド辺境伯が一人静かに会議が始まるのを待っていた。今回は残念ながらマリアンヌは帯同していないようでそうすると若輩者であるローレンツは口を噤むしかない。
「グロスタール伯、人払いを願いたい」
 マリアンヌと同じ水色の髪をしたエドマンド辺境伯にそう話しかけられたグロスタール伯はローレンツと同じ紫色の瞳で彼を見つめた。
「ここにいるのは辺境伯と私と私の息子だけだが」
「そう、ご子息がいらっしゃるので人払いを願いたいのです」
「私がその話を息子の耳に入れるべきと判断したらどうするのかね」
 グロスタール伯は淡々とした口調でエドマンド辺境伯に異を唱えた。一体二人で何の話をするつもりなのか。
「それはご自由に。ですが私がご子息に聞かせたくないと考えていることはご理解いただきたい」
 父はエドマンド辺境伯に一応反論したがそれでも後でローレンツに内密の話を教えてくれる保証などない。幼い頃からここがこう言う場だとは知っていたが士官学校でそれぞれの家の後継者たちと親交を深めた後のローレンツには耐えがたく自分から退室を求めた。

 その晩、円卓会議を終えたクロードと話すためローレンツはまだデアドラに残っていた。クロードはリーガン邸の他にもデアドラ市内にいくつか拠点を持っていてローレンツはそのうちのひとつに足を運んでいる。
「ああ疲れた!いずれ慣れるんだろうが爺さんが生きてた頃とは大違いだ」
 クロードは踵が高く足の甲に飾りがついている婦人物の靴を手に取った。手持ち無沙汰なのか褐色の手は買いもしない売り物を弄り回している。ローレンツたちは地味な平服に身を包み本物の靴屋で話し合いをしていた。何故靴屋を拠点にしているのかクロードに問うたら薬屋だと分かり易すぎるから、という答えが返ってきたので本当になんの意味もないらしい。
 代行を務めていた時のように祖父オズワルドの許可を得た内容ならば諸侯たちも納得するがどんなに些細なことであってもクロード独自の発想ならばきっと皆納得しない。彼らを説得し新しいことを始めるのはさぞ骨が折れることだろう。
「毎度思うのだが……僕がここで君から聞いた話を父に報告したら、とは考えないのか?」
「確かにお前って大した弱みもないし買収しにくいし完全に操れるとは言い難いもんな」
 これがクロードのよくないところだ。露悪的で信頼を軽んじるような物言いをする。ローレンツはクロードから靴を取り上げ彼の手が届かない上の棚に置いた。
「猜疑心の塊である君から理由もないのに信用してもらえるとは光栄なことだ」
「マリアンヌの足の寸法でも知ってたら別だったろうなあ」
「クロード!!」
 だがもし知ることが出来たら靴を贈りたい。マリアンヌは自分が美しいと信じていないがローレンツならきっと彼女を引き立てる靴を選べる。
「贈ったものを履いてるところを見せてもらうのも命懸けだな。ヒルダやリシテアと違ってマリアンヌはいつも丈の長い服着てるだろ?」
 だがクロードの言う通り裾を捲ってもらわねば履いているところを見ることすら叶わないだろう。婚約をした後ですら難しいのではないだろうか。
「なんてことを言うのだ……」
「お前さっきから真っ赤になったり真っ青になったり忙しいなあ……冗談に決まってるだろ!話を元に戻すが親どもが信じない件に関してはお前たちに警戒してもらうしかないんだ」
 クロードが言うにはディミトリも身分や姿形を乗っ取る者たちについて調べていたらしい。労力を思えば職位が低い者や平民になる意味がないので身分が高く権力に近い者が狙われる。クロードを亡き者にしたい場合はローレンツ、マリアンヌ、ヒルダそしてリシテアが狙われることだろう。誰かが疑わしいと思った時は右手の親指と人差し指で丸を作り左手の人差し指で右手の人差し指の爪に触れる。自分から本人であることを示したい時は右手の人差し指を伸ばし左手の人差し指で右手人差し指の第二関節に触れると言うことになった。文書で伝えるわけにはいかないので誰かと直接、会うたびに伝えていくしかない。リーガン公の葬儀以来ヒルダは自領からあまり出てこなくなった。今日決めた符牒をヒルダに伝えるのは誰になるのだろうか。
「君は僕と同じく若輩者なのだから色んな場所へ視察に行って顔を売ることだな。ああ、グロスタール領へは来なくて結構だ」
「何をやったところでこれ以上嫌われようも好かれようもないからな」
 エドマンドには良港がありアミッド大河の対岸は帝国でフォドラの喉元の東はパルミラだ。どちらも就任したばかりのレスター諸侯同盟の盟主がなるべく早く視察に行くべき場所と言える。

 ガルグ=マクが陥落して三年が経過した。冬が来る度にローレンツは死に物狂いで自領へ戻ろうとしていたあの時のことを思い出す。オグマ山脈を縦走した者たちは皆同じだろうとローレンツは信じている。レスター諸侯同盟はアドラステア帝国が攻め込んでこようとパルミラ側の国境警備を怠るわけにはいかない。挟撃する好機と見てパルミラが攻め込んでくる可能性は排除できない。ローレンツはグロスタール領から物資を運びつつフォドラの首飾りへ向かう兵士たちに帯同していた。
 国境を守る要塞ではホルスト卿だけでなく懐かしい顔がローレンツを出迎えてくれた。ヒルダは学生時代は二つ結びにしていた髪を後ろでひとまとめにしている。
「ローレンツくんお疲れ様!」
 ローレンツは要塞から少し離れたところにあるゴネリル家の本宅には顔を出さずにそのまま北上して自領へ戻る予定だったので意外な再会だった。自称か弱い妹のヒルダはゴネリル公に命じられ近頃は要塞で兄の手伝いをしているのだという。ヒルダと共に物資の検分をすると予定よりかなり早く仕事が終わった。
「その結い方もお似合いだ」
「ありがとう、ローレンツくんもその髪型すっごく似合ってる!」
 二人は今、視察と案内という名目で誰からも話を聞かれない望楼に上りパルミラを見ながら密談をしている。望楼の上は風が強く伸ばした紫の髪が風に煽られた。魔道学院にいた頃の長さまで伸ばすつもりでいる。
「クロードくんが結構な博打うちだから冷や冷やしちゃって……ローレンツくん家から物資や兵が援助してもらえて兄さんはどう考えてるか分かんないけど私個人は助かった〜って感じなの」
「クロードは何に金貨を賭けているのだろうか?」
 ヒルダは目の前に広がる荒涼とした平原を指差した。パルミラ軍がフォドラの喉元を越えようとしたことをきっかけにガルグ=マクに士官学校が設立されている。この国境地帯から全ては始まっているのかもしれない。
「パルミラ軍が攻めてこない、に全財産賭けてるわ。この間、クロードくんの指示で捕虜も全員交換したの」
「交換……ということは身代金を払わせなかったのか?」
 ヒルダは首を縦に振った。捕虜交換ならばこちらも身代金を払わずに捕虜になった兵を取り戻すことができるが実入りは全くない。解放する捕虜の人数が多かった場合は衣食住を保障した分だけ損をしてしまう。
「うん。一応それぞれ人数は同じだったんだけど中に密偵が紛れ込んでるかもしれないじゃない?それなのに大丈夫だから、しか言ってくれなくて」
 私にすら事情を話してくれないなんて、とヒルダは失望しているのかもしれない。だがローレンツがヒルダの失望を感じ取ってしまっていることを悟られるわけにいかなかった。前夜式の晩にローレンツが何を見たのかがヒルダに分かってしまう。それでもどうにかして友人を慰めたいのだが何も確実なことを言ってやれなかった。
「でも私ツィリルくんがうちにいたことすら知らなかったでしょ?そんなだからクロードくんが何考えてるのか全然理解できないのかな。パルミラに密偵はいっぱい放ってるみたいだけど……」
 士官学校にいた者たちにとって身近なパルミラ人といえばツィリルだ。ツィリルはゴネリル家の下働きをしていた時に酷く扱われているのを見たレアがガルグ=マクに引き取り従僕にしたのだという。クロードが厄介な隣国をどう捉えているのかよく分からないことをヒルダは気にしていた。
「だが子供は邸内で働かせないものだろう?」
 一般的な話になるが名家の者は身の安全を守るため邸内に出入りする使用人の顔と名前は全て覚えるように躾けられながら育つ。ヒルダは自分が世間知らずであったことを悔いているがツィリルが馬丁や庭師の下働きをしていたならばヒルダには彼の顔を見る機会すらなかったのではないだろうか。
「兄さんは私と違ってクロードくんに全く異議を唱えなかったの。だからなんだか二人のこと遠く感じちゃったな……」
「先生とは真逆だな。クロードは余計なことはべらべらしゃべる癖に肝心な時には口を閉じる」
 寂しそうなヒルダを元気付けてやりたいがローレンツにそれは出来ない。彼女が求めているのはクロードの言葉だからだ。
「先生かぁ……生きてると良いね。この間マリアンヌちゃんと会った時にも話したんだけど私たちは千年祭の日に顔を出してみるつもり」
「顔を出せばヒルダさんたちには確実に会えるわけか」
 同窓会をしようと言い出したのはクロードだからヒルダはクロードとは必ず会える。だが自分とマリアンヌは再会出来るのだろうか。ローレンツはずっと疑問を抱えていたが思わぬところで答えを得た。
「途中からうちの学級に来た子たちも来てくれると良いね」
 特異な経歴のベレトを慕って黒鷲や青獅子から金鹿の学級に転籍した者たちが何名かいる。
「残念ながらフェルディナントくんとは未だに連絡が取れない」
「そっか……ローレンツくんでも無理なんだ……マリアンヌちゃんも全然連絡が取れないって……」
 フェルディナントはローレンツともヒルダともマリアンヌとも仲が良かった。帝国軍がガルグ=マクに侵攻してきた際エーデルガルトに置き去りにされた黒鷲の学級の者たちは開戦と同時に帝国軍に降伏し帰郷している。彼らは帝国に残る家族を即位したエーデルガルトとその側近であるヒューベルトから守るためにガルグ=マクを去ったのだがその際、意見の取りまとめをしたのがフェルディナントだ。
「息災であると信じるしかない」
 ローレンツは伸ばした真っ直ぐな紫の髪をかきあげた。ヒルダも目を逸らし唇を噛んでいる。礼儀正しく陽気で好奇心が強く紅茶と乗馬が好きなフェルディナントとローレンツはすぐに仲良くなった。同じ学級の者たちからは鬱陶しいと思われていたようだがそんなことは関係ない。
「うん、元気じゃないフェルディナントくんって想像がつかないわ」
 実際は帝国軍によるガルグ=マク侵攻と父親が蟄居させられたことに衝撃を受けかなり落ち込んでいたのだがローレンツもどうせ思い出すなら溌剌としていたフェルディナントの姿を思い出したい。
「約束の日に皆で会えると信じよう。さあこれ以上ご婦人が風に当たるのはよろしくない」
 そう言うとローレンツはヒルダの手を取った。ゴネリル公の差し金なのか父の差し金なのかは分からない。だが父の名代として他所の土地に赴くとこうして鳥籠の扉が開いていることが多々ある。クロードの顔が脳裏にちらついたが本気でヒルダに惚れてしまいそうな者が手を取るより遥かにましだろう。それが分かっているヒルダもローレンツの肩に軽く頭を預けた。実に見事に笑顔を作っている。箱入り娘は箱の底に穴を開けるのに協力する友人さえいれば親の目を気にせず案外好き勝手にやれるのだ。
「マリアンヌちゃんじゃなくて残念ね」
「いや、クロードに妬かれるかと思うと僕は気分がいい。今月は僕で何人目かな?」
「五人目よ!嫌になっちゃう!」
「どの名家の親も似たようなものだろうな……」
 協力関係を結ぶ寄せ餌としての見合いはしょっちゅうだ。リーガン公が生きていたらとっくにクロードとヒルダの縁談は本決まりになっていたのかもしれない。だが取り計らってくれる年長者が周りにいないクロードはありとあらゆることを自分で決めねばならない立場だ。ヒルダはかなり長く待たされる可能性が高い。

 一一八五年星辰の節、ローレンツは廃墟と化したガルグ=マクを訪れていた。壮麗な聖堂は瓦礫だらけで盗賊の棲家になっている。同じ入口から侵入したイグナーツと共に矢羽が空を切る音や悲鳴が聞こえた方に向かうと再会を願っていた人がそこにいた。教え子が辿り着く度に彼は驚いていたが教え子たちは皆驚かされたのはこちらだと思っている。
 クロードはこの五年間ずっとガルグ=マクの様子を窺っていたらしい。ベレトと会うために帝国からやってきたリンハルトとフェルディナントを質問攻めにしているが何故この利便性に優れたガルグ=マクをエーデルガルトが放棄したのかについて満足がいく答えは得られなさそうだった。
「そんなことよりクロード、君が奪った玩具をエーデルガルトさんが取り返しに来た時の算段はついているのかね?」
「俺はここに籠るつもりはないよ。セイロス騎士団だって守りきれなかったんだぜ?」
「え〜!じゃあどうする気なの?」
 ヒルダの問いは当然のものだ。嫌な予感がしたローレンツの視線が彷徨い同じことを危惧しているマリアンヌの視線と絡みあう。
「こちらから攻め込む」
「攻め込むって……どこまで?」
「最終的には帝都アンヴァルだ」
 皆同窓会に出るためガルグ=マクに来たのであってクロードによる帝国侵攻作戦に参加するために遠路はるばるやってきた訳ではない。枢機卿の間に集まっていた者たちは一斉にクロードへ文句を言い始めた。たとえ信用を失ってしまうとしても傭兵として働き始めたレオニーやまだ仕える主人を持たず実家の手伝いをしているイグナーツやラファエルはクロードとの友情故に当分戻れない、と地元に伝えることすらできない。クロードには奇襲以外に勝ち目がないからだ。
「クロード、この件を家臣たちに話したのか?」
 話している訳がない。もし話していたらベレトと共に盗賊たちに囲まれて冷や汗をかくようなことをする訳がない。
「答えがわかってるくせに聞くなよ」
「ではせめて平民の学生たちとは雇用契約を結びたまえ!僕のような貴族の子弟はともかく彼らには生活がかかっているのだぞ」
 イグナーツ、ラファエル、レオニーそれに元傭兵のベレトもローレンツの言葉に頷いてくれた。特にレオニーは借金をして士官学校に入学している。クロードが空しか見ないならローレンツが地面を見るしかない。レオニーたちとクロードの交渉が長時間に渡るのは明白なのでローレンツはレオニーたちに持参した茶葉で紅茶を淹れてやった。アッシュがこの場にいれば更に交渉は厳しいものとなっただろう。
「では皆さんごゆっくり。実りある話し合いをしてくれたまえ」
「相手を焚き付けるだけ焚き付けておいて俺の味方はしないのかよ!」
「事前に説明があれば助太刀できたかもしれないが情報が少なすぎて自信がないので撤退させてもらう」
「ローレンツくんに無理なら私にはもっと無理だわ〜」
 ヒルダの言葉に頷くとローレンツは自分と同じく生活がかかっていない階層の出であるヒルダとマリアンヌの手を取りまさに両手に花という状態で枢機卿の間から去った。扉の向こうからはレオニーだけでなくイグナーツの声も聞こえてくる。商家出身のイグナーツは正式な帳簿が作れるのでもしかしたらレオニーより手強いかもしれない。
「これで気は済んだかね?ヒルダさん」
「うん、意地悪はこれでおしまい。この後はずっと味方してあげるつもり」
「こうなるとお義父さまへすぐに手紙が出せないことがありがたいような……」
 もう子供ではないのだから感情に振り回されてはならない、家のために生きろと諦めを強いる実家での暮らしに三人ともそれぞれ追い詰められていた。もし戦争が起きなかったら今頃ローレンツはマリアンヌの前で片膝をついていたかもしれない。家格は釣り合っているし三年もあれば彼女の信頼を得る自信はあった。だが戦争の影響でそれどころではなくなってしまった。
 未婚であるエドマンド辺境伯はともかくローレンツとヒルダの両親はそれなりに幸せそうではある。しかしローレンツとヒルダは五年も持ち越してしまったせいかまだその境地に達することができなかった。ローレンツはマリアンヌもそうであれば良いと願っている。だから今回、家族と縁が薄く孤独なクロードが引っ掻き回してくれたお陰で人生の階段を登ることを先延ばしに出来てありがたく思っていた。

 一人勝手に根回しをしていたクロードに付き合い皆で武装してアリルに向かうことになった。ダフネル家の援助を受けミルディン大橋を確保できればきっと親たちも親不孝な嫡子たちを許す。その為にはまず無事に合流場所まで辿り着かねばならないので馬上のローレンツは密かに緊張していたが呑気なことにマリアンヌとクロードは谷にまつわる不気味な話で盛り上がっていた。ますます自分がしっかりせねばとローレンツが上を見上げると軍旗を掲げた集団が見えた。先方も存在を知られてはならないのでアリルに潜んで待っているという話だったがあれは違う。
「クロード、お喋りの時間は終わりだ。あそこを見たまえ」
「おっと……。誰がお出迎えに来てくれたんだ?」
 頭上ではディミトリやその友人たちを裏切りあっさりとファーガス公国に鞍替えしたローベ家の軍旗が翻っている。ローレンツが情勢に詳しくないベレトにわかるように解説すると彼ははすぐに部隊を二つに分けイングリットにペガサスで様子を伺うように命じた。ペガサスやドラゴンは弓兵に弱いが彼女はとにかく矢を避けるのが上手い。一方でローレンツはベレトから別働隊を率いるように言われた。
「挟み撃ちされそうな気がする、と思わせるだけでいい。実際は不可能だからな」
 裏を返せば溶岩のせいで足元が覚束ない戦場でそれくらい積極的に攻め込まねばならないということだ。これは確かに誰にも任せられない。
「ローレンツはそういうのが得意だろう?」
 ベレトはそういうと五年前のように剣帯を鳴らしながらあっという間に本隊の前線へ行ってしまった。敵軍の様子を伺っていたイングリットがかなり前方に移動したベレトの元へ急降下しているのが見えたが何があったのかはもう遠すぎてよくわからない。馬が地熱で足を痛めないよう足元をよく見て手綱を捌かねばならず本隊の動静を確かめる余裕などローレンツにはなかった。
 必死になって敵の増援部隊と戦闘しているうちにクロードがジュディッド自身の率いる援軍と合流しローレンツたちは灼熱の谷を出ることが叶った。何故イングリットがあの時大慌てで降下したのか分かったのは全てが終わりローレンツが谷の修道院側の出口に辿り着いた時のことだった。ファーガス情勢は混迷を極めており板挟みになったアッシュはグェンダルと共に死地に引き摺り出されたのだろう。ベレトを慕ってやってきたファーガス出身者たちはアッシュを囲み汗を拭うふりをして涙を拭いている。ベレトは父ジェラルドの仇と手を組んでいたエーデルガルトにはあっさり斬りかかったがアッシュには手を差し伸べた。クロードは笑顔でその様子を眺めている。
「煉獄の次は地獄の釜の蓋か?」
「お前んとこの穀物あてにしてるぜ」
 ミルディン大橋という地獄の釜の蓋を取り戻してもその先に待っているのは帝国との総力戦だ。クロードの本当の願いは一体何なのか。誰かに語ったことはあるのかとローレンツは問いたかったがどうせまともに答えるわけがないので聞くのを止めた。畳む