「BOTH」番外編「かわいい」「食欲」「コスモス」(クロロレワンドロワンライ参加作品)
#クロロレ #完売本 #現パロ #BOTH
昼間のローレンツはかなりよく食べる方だ。装いが異なる夜に会う時は全く食事をしない。部屋へ向かう前に彼は一杯だけ赤ワインを飲むが、コルセットでの締め上げ方を見るにおそらくそれが限界なのだ。棘を持たぬ薔薇はない、という諺の通りどんなに完璧に思えるものにも欠点がある。ローレンツは作り上げた外見に満足しているが苦しいはずだ。夜に会う時は目的が目的なのですぐにお互い一糸まとわぬ姿になる。勿論早く彼の身体を堪能したい、という思いもあるが近頃では窮屈さから早くローレンツを解放してやりたいという思いもクロードの中に芽生えつつあった。
今日はブランチではなくきちんとした昼食を二人で共にするためローレンツが選んだ店に来ていた。ジャケットを着用するように、と事前に言われたのでクロードは先日彼から見立ててもらったジャケットを着ている。常連客であるローレンツのために用意された席からはガラスごしにコスモスが咲き乱れる庭がよく見えた。クロードはローレンツに教えてもらうまで知らなかったが、コスモスは秋にならなければ咲かない。季節は徐々に移り変わり、ちょっと試しに、ということで始まった二人の交際もいくつかの季節を越えていた。
男同士の気楽さはいくつもあるが、昼食時に重いものを食べられることもそのひとつだとクロードは思う。クロードは女性と付き合っていた時には遠慮して品数が多いコースを選んだことがない。食べ終わる時間に差が出ないよう、気を使って食べるくらいなら物足りない方がマシだと思っていたからだ。クロードがマグロのハーブ焼きを食べおわるのと同時にローレンツは鯛のソテーを平らげた。
「次はステーキか。楽しみだな」
「この店のミディアムレアが絶品でね。君に食べさせたかった」
気が利く給仕がローレンツの目くばせだけで皿を下げワインのお代わりを注いでくれる。今日は二人とも車ではないので昼から酒を飲んでいた。ローレンツはこの店のソムリエを信頼しているらしく、最初に予算を告げその後は何も言わず全てを任せている。腹の中が落ち着くタイミングを見計らっているのか肉料理が出てくるまで少し間があった。
ローレンツは飽きもせず席から見えるコスモスを眺めながらグラスを傾けている。クロードは花を見て綺麗だとは思うがすぐに飽きてしまう。上手に生けたり面倒を見ることはできない。しかし美しい花を見て嬉しそうにしているローレンツはとても可愛い、とクロードは思う。夜の姿はひたすら美しく妖艶でとてもではないが可愛いと言う表現は使えない。
「ローレンツは本当に花が好きなんだな」
「君は人工物の方が好みだったな」
上手いことを言ったと思い込んでくすくす笑うローレンツの顔は酒精で少し赤くなっている。まるで彼が一番好きだと言う薔薇のようだ。今日は食前酒から始まりこの時点で何杯も呑んでいるので、頬が赤くなるのはまったく不思議ではないが油断している彼は本当に可愛い。
「いや、確かにそうだが花の美しさがわからないわけじゃあないぞ」
「では花の美しさを讃えてみたまえ」
花は種子植物の生殖器官だ。受粉を手伝わせるために他の動物を魅了するように出来ている。虫も鳥もヒトも花に夢中と言えるだろう。クロードは花に夢中なローレンツに夢中だ。
「色だな」
「他には?」
今日のローレンツは酒のせいなのか随分とクロードに絡んでくる。だがクロードの花に関する知識は本当にお粗末だ。と言うかあまり自然に詳しくない。美しい景色もすぐに飽きてしまう。ローレンツの言う通りクロードは人が作り出したものの方が好きだった。
「は、花びらの枚数がフィボナッチ数列に従っているところとか?」
「あっはっは!クロード、君!そんな粋がった高校生みたいなことをいい歳して!ふふっ!」
クロードの苦し紛れの発言が何故かツボにハマったローレンツは口に手を当て、肩を震わせながら笑っている。クロードはしばらくそんな隙だらけのローレンツを眺めていたかったが焼きたてのステーキが運ばれてきたので中断せざるを得なかった。どうしても温められた白い皿の上に乗せられたステーキに視線がいってしまう。ローレンツも目尻の涙を白く長い指で拭い、外側に置いてあるフォークとナイフを手に取った。彼もまた目の前のステーキに集中している。ローレンツの大好物だと言うステーキは確かに絶妙な焼き加減で、ナイフで切り分けた時に現れた断面は美しいピンク色をしていた。食材管理が雑な店で食べれば食中毒を起こしても不思議ではない。どこかの誰かを思い起こさせるそんな危ういステーキだった。
「カトラリー越しでも柔らかさを感じるだろう?」
フォークやナイフを刺した時の感触が確かにローレンツの言う通り柔らかい。フォークを使い口の中に入れると肉汁が溢れ出してくる。赤ワインとフォンドボーのソースは基本に忠実で肉の味によく馴染んでいた。クロードがしみじみと咀嚼し目の前のローレンツのように味に集中していると音も立てずにやってきた給仕によってグラスが取り替えられ、今度は肉に合わせたのであろう赤ワインが注がれた。隙だらけのローレンツは肉を食べつつペースを落とさず、ぐいぐいと飲み続けている。脂で艶やかになった唇が赤い液体で満たされたワイングラスに触れるさまがどこか夜に出会う彼の姿を思わせた。
今日は昼食後このまま解散する予定だが本当にそれでいいのだろうか。酒が抜けた後でも同じように感じるのだろうか。クロードは真剣に考える必要があった。畳む
#クロロレ #完売本 #現パロ #BOTH
昼間のローレンツはかなりよく食べる方だ。装いが異なる夜に会う時は全く食事をしない。部屋へ向かう前に彼は一杯だけ赤ワインを飲むが、コルセットでの締め上げ方を見るにおそらくそれが限界なのだ。棘を持たぬ薔薇はない、という諺の通りどんなに完璧に思えるものにも欠点がある。ローレンツは作り上げた外見に満足しているが苦しいはずだ。夜に会う時は目的が目的なのですぐにお互い一糸まとわぬ姿になる。勿論早く彼の身体を堪能したい、という思いもあるが近頃では窮屈さから早くローレンツを解放してやりたいという思いもクロードの中に芽生えつつあった。
今日はブランチではなくきちんとした昼食を二人で共にするためローレンツが選んだ店に来ていた。ジャケットを着用するように、と事前に言われたのでクロードは先日彼から見立ててもらったジャケットを着ている。常連客であるローレンツのために用意された席からはガラスごしにコスモスが咲き乱れる庭がよく見えた。クロードはローレンツに教えてもらうまで知らなかったが、コスモスは秋にならなければ咲かない。季節は徐々に移り変わり、ちょっと試しに、ということで始まった二人の交際もいくつかの季節を越えていた。
男同士の気楽さはいくつもあるが、昼食時に重いものを食べられることもそのひとつだとクロードは思う。クロードは女性と付き合っていた時には遠慮して品数が多いコースを選んだことがない。食べ終わる時間に差が出ないよう、気を使って食べるくらいなら物足りない方がマシだと思っていたからだ。クロードがマグロのハーブ焼きを食べおわるのと同時にローレンツは鯛のソテーを平らげた。
「次はステーキか。楽しみだな」
「この店のミディアムレアが絶品でね。君に食べさせたかった」
気が利く給仕がローレンツの目くばせだけで皿を下げワインのお代わりを注いでくれる。今日は二人とも車ではないので昼から酒を飲んでいた。ローレンツはこの店のソムリエを信頼しているらしく、最初に予算を告げその後は何も言わず全てを任せている。腹の中が落ち着くタイミングを見計らっているのか肉料理が出てくるまで少し間があった。
ローレンツは飽きもせず席から見えるコスモスを眺めながらグラスを傾けている。クロードは花を見て綺麗だとは思うがすぐに飽きてしまう。上手に生けたり面倒を見ることはできない。しかし美しい花を見て嬉しそうにしているローレンツはとても可愛い、とクロードは思う。夜の姿はひたすら美しく妖艶でとてもではないが可愛いと言う表現は使えない。
「ローレンツは本当に花が好きなんだな」
「君は人工物の方が好みだったな」
上手いことを言ったと思い込んでくすくす笑うローレンツの顔は酒精で少し赤くなっている。まるで彼が一番好きだと言う薔薇のようだ。今日は食前酒から始まりこの時点で何杯も呑んでいるので、頬が赤くなるのはまったく不思議ではないが油断している彼は本当に可愛い。
「いや、確かにそうだが花の美しさがわからないわけじゃあないぞ」
「では花の美しさを讃えてみたまえ」
花は種子植物の生殖器官だ。受粉を手伝わせるために他の動物を魅了するように出来ている。虫も鳥もヒトも花に夢中と言えるだろう。クロードは花に夢中なローレンツに夢中だ。
「色だな」
「他には?」
今日のローレンツは酒のせいなのか随分とクロードに絡んでくる。だがクロードの花に関する知識は本当にお粗末だ。と言うかあまり自然に詳しくない。美しい景色もすぐに飽きてしまう。ローレンツの言う通りクロードは人が作り出したものの方が好きだった。
「は、花びらの枚数がフィボナッチ数列に従っているところとか?」
「あっはっは!クロード、君!そんな粋がった高校生みたいなことをいい歳して!ふふっ!」
クロードの苦し紛れの発言が何故かツボにハマったローレンツは口に手を当て、肩を震わせながら笑っている。クロードはしばらくそんな隙だらけのローレンツを眺めていたかったが焼きたてのステーキが運ばれてきたので中断せざるを得なかった。どうしても温められた白い皿の上に乗せられたステーキに視線がいってしまう。ローレンツも目尻の涙を白く長い指で拭い、外側に置いてあるフォークとナイフを手に取った。彼もまた目の前のステーキに集中している。ローレンツの大好物だと言うステーキは確かに絶妙な焼き加減で、ナイフで切り分けた時に現れた断面は美しいピンク色をしていた。食材管理が雑な店で食べれば食中毒を起こしても不思議ではない。どこかの誰かを思い起こさせるそんな危ういステーキだった。
「カトラリー越しでも柔らかさを感じるだろう?」
フォークやナイフを刺した時の感触が確かにローレンツの言う通り柔らかい。フォークを使い口の中に入れると肉汁が溢れ出してくる。赤ワインとフォンドボーのソースは基本に忠実で肉の味によく馴染んでいた。クロードがしみじみと咀嚼し目の前のローレンツのように味に集中していると音も立てずにやってきた給仕によってグラスが取り替えられ、今度は肉に合わせたのであろう赤ワインが注がれた。隙だらけのローレンツは肉を食べつつペースを落とさず、ぐいぐいと飲み続けている。脂で艶やかになった唇が赤い液体で満たされたワイングラスに触れるさまがどこか夜に出会う彼の姿を思わせた。
今日は昼食後このまま解散する予定だが本当にそれでいいのだろうか。酒が抜けた後でも同じように感じるのだろうか。クロードは真剣に考える必要があった。畳む
「BOTH」番外編「旅行」「色づく」(クロロレワンドロワンライ参加作品)
#クロロレ #完売本 #現パロ #BOTH
クロードがローレンツの目の前で膝をついてから暫く経った。クロードの母国とクロードが現在、ローレンツと共に住んでいる国の結婚に関する文化がかなり異なっている上にお互いに仕事があるので準備は中々進まない。クロードの母国では結婚する二人はとにかく挙式前に写真を撮りまくり、写真集を作って親族や友人に渡す風習がある。
新婚カップルがその写真集を作るために年収と同じくらいの金額を費やすことも珍しくない。カメラマンやメーキャップアーティストを雇って衣装を借り、遠方までロケに行きスタジオも使う。最初は面食らっていたローレンツだがクロードの母国の花嫁たちと同じく楽しくなってきたらしく、様々な衣装を身につけて二人の写真を撮った。
ローレンツは性的指向について職場でオープンにしている。空港で制服姿の彼とそれなりにめかし込んだクロードがカメラマンを連れて写真を撮っていた時には地上職員や真っ赤な制服に身を包んだ女性乗務員や黒い制服に身を包んだ男性乗務員が通りがかりにチーフおめでとうございます、チーフお幸せに、と口々に声をかけてきた。
つまり初対面でクロードはローレンツの職業に気付いていた、ということになる。いつもと違い後ろにひとまとめにされた紫の髪が新鮮だった。男性乗務員の制服である赤いファスナーのラインが目立つ黒の詰襟のスーツは彼の手足の長さを引き立てている。機内では黒一点で働くことも多い、という彼はきっと目立つだろう。だが彼は職場にも実家にも異性装については話していないようだ。職場での写真の他にお約束のタキシード、クロードの母国の民族衣装、それにこちらの国の中世の騎士めいた格好など様々な衣装やシチュエーションで撮影をしたが、彼が一番着たがりそうな衣装の写真は撮っていない。そこでクロードはあることを思いつき、敢えて旅行代理店に電話で予約を入れた。
ローレンツがフライトを終えて五日ぶりに帰宅すると郵便受けにクロードからの手紙が入っていた。お互いのスケジュールはカレンダーアプリで完全に共有しているし、連絡を取り合うならメッセンジャーアプリの方がレスポンスが早い。クロードは良くも悪くも理屈が先行するタイプだ。こういう効率が悪いことは基本、好まないので絶対に何か裏がある。
不審に思って封を開けると中から日付とフライトナンバーが書かれたバーコード入りのカードが二枚出てきた。素直に行き先を書けば良いものを、そう言うところを省略してしまうのは実にクロードらしい。直近の方は最初の数字が一で末尾が奇数なので、ここから西か南へ行く便だろう。ローレンツは脳内で時刻表を広げると玄関に荷物を放り出し、夏物が入れてある箱をクローゼットの奥から取り出した。
クロードに自動手荷物預け機での手続きを任せてローレンツは近くのソファに座って騒めく乗客たちの様子を見ていた。私用搭乗で乗客目線を味わうことはサービスの向上に役立つ。楽しそうな親子連れには、ビジネスマンにはそれぞれどんなサービスを提供するべきか。ローレンツが真剣に考え込んでいるとクロードが戻ってきた。引きずるトランクがないので足取りが軽い。
「はいこれ手荷物の引換券」
見慣れた感熱紙を受け取るとメモ欄にHEAと印字されている。クロードから受け取ったカードに書いてある自社のフライトナンバーを見た時からきっと同僚たちから何か仕掛けられる、とは思っていたがこんなに素早く最初の一手を打ってくるとは考えていなかった。ローレンツが思わず、熱くなった目元を押さえていると心配したクロードが声をかけてきた。
「どうしたんだよさっきからずっと黙りこくっててさ」
「HappyEverAfterの略だ。同僚たちの悪戯だよ」
涙を拭った白い指がメモ欄を指差した。航空業界は仲間意識が強いらしい。一方でクロードの仕事はフリーランスの通訳兼翻訳家で、医療保険のための通訳士組合以外どこにも属していない。クロードとローレンツは見た目も働き方も正反対だった。搭乗手続きの際にも性別を問わず地上職員がチーフ、と嬉しそうにローレンツに声をかけてくる。好かれてるんだな、とクロードが言うとローレンツは微笑んだ。
クロードはローレンツが狭い席で長い手足を持て余さないよう、非常口近くの広い座席を予約したのだが向かいには乗務員席がある。ローレンツの部下が赤い制服を身につけて座っているので何となく寛げない。
職業病なのかローレンツの性分なのか、飲み物や食事を持ってきた部下にトイレを軽く掃除しておいただの何番の客は顔色が悪いから気にかけておくようにだのと耳打ちしている。数時間のフライトは全く休まらずに終わったし、到着した空港でも降機した途端に地上職員からチーフ、と呼び止められていた。
出発した空港でもそうだったがその度にクロードは値踏みされているような気がして緊張してしまう。女社会のトップに立つ女性たちからすればクロードなど吹けば飛ぶような立場だろう。
「やれやれお眼鏡に適ったのかね、俺は」
「今後、フライトに影響が出るようなことをしなければ何も言われないさ」
「例えば?」
「そうだな、婚約破棄とか?」
真顔でそんなこと言ってくるので絶対にそんなことしない、と眉間に皺を寄せてクロードは反論した。生活時間が噛み合わず寂しさや疑念を募らせ、フライトに行くなと言い出すパートナーと別れる者はとても多いとローレンツは言う。クロードは今まで一度もそんなことを言わなかったが翌日にフライトを控えていたのにも関わらず抑えの効かなかった晩はあり、流石にその翌朝は涙目で怒鳴りつけられた。
急ぎの時は通勤にも制服を着用せねばならず社則で制服着用時は笑顔を保つことになっている。身体の痛みを堪えて優雅な笑顔を浮かべていると思うと流石に申し訳なかったし、怒られて当たり前ではあった。
窓の外には青い空が広がり飛行機はひっきりなしに離着陸を繰り返している。ローレンツからすれば日常だが、クロードにとってはどこか心が沸き立つ光景を横目に見ながら人の流れに乗っていく。辿り着いた到着手荷物受取所はごった返しているが、航空会社の職員はいないのでトランクが出てくるのを待ちながらクロードはローレンツの腰に手を回した。脱いだコートを腕にかけているローレンツはまだクロードが何を企んでいるのか知らない。
トランクを受け取り、出口の目の前にあるタクシー乗り場から中距離のタクシーに乗るとようやく気が抜けたのかローレンツはクロードの肩に寄りかかって眠ってしまった。他人の目があると休めないのだろう。クロードはスマホで改めて滞在期間中の天気と日没の時間を調べた。長期予報と同じく予報は全て晴天だったのでおもわず拳を握ってしまう。ビーチリゾートでの写真撮影はクロードの母国の女性たちも憧れるシチュエーションだ。
プライベートビーチがあるホテルのバンガローもカメラマンも衣装もスタイリストも全て手配してある。旅行代理店の女性社員はクロードの話を聞くと全て無駄になるかもしれない、と把握した上でそれはそれは熱心に手配をしてくれた。彼女のためにも撮影を成功させたい。承諾してくれるのかどうか判らないが、クロードはローレンツが女性の格好をしている姿も記念に残したいと思っていた。勿論その写真を配ったり家族に見せて回るつもりはない。自分たちだけの大切な思い出を残すためにプロの手を借りたい。
クロードはそっと眠っているローレンツの髪を撫でながら車窓から外を眺めた。タクシーの窓から見える高速道路沿いに植えられた椰子の木は排気ガスにも負けず、青い空に向かってぐいぐいと背を伸ばし南国特有の雰囲気を醸し出している。
フォドラは同性婚は珍しくないがそれでも異性装をする人は少数派だ。トランスジェンダーということであれば本来の性別に寄せていく経過のひとつとして社会も理解を示すが、ローレンツの場合は単に好きな格好がしたいだけなので理解を得にくい。しかし彼が異性装をしていなかったら自分たちは出会うことはなかったのだ。対外的には美術館で出会ったということになっている。秘密にするのは構わないが自分たちに嘘はつきたくない。
タクシーは一時間ほどでホテルに到着した。クロードが寝息を立てているローレンツの口に軽くキスをすると下りていた白い瞼が一瞬で上がり美しい紫の瞳が現れる。
「え、あ?もう着いたのか?」
「よく寝てたから起こさなかった」
ローレンツが眠っている間にタクシーの会計を済ませボーイに荷物も預けたらしい。タクシーに乗っている間にクロードから何故、ここに自分を招待したのか聞きだそうと思っていたのに謎は持ち越しだ。チェックインに時間がかかるらしくクロードはしょっちゅう時計を見てはまだなのか、とぶつぶつこぼしている。待ちきれなさそうなクロードの気を紛らわせるためにローレンツはウェルカムドリンクとしてテーブルの上に置いてあるジュースをグラスに注いで渡してやった。いつも待ち合わせ場所にしているホテルのバーでもこんな感じでローレンツを待っているのだろうか。
「乾杯は?」
悪戯っぽく笑ってクロードにグラスを掲げて見せるとようやく気が変わったらしい。二人でグラスを合わせると思ったより遥かに軽やかな音がした。ピンク色のジュースを口にするとグァバの香りが鼻腔に広がる。ローレンツたちが今住んでいる街でも似たようなジュースを出す店はあるのだが、吹き抜けになっている豪華なリゾートホテルのロビーで青い空と青い海を見ながら飲むのではやはり味が違う。
「リーガン様、ご案内いたします」
「間に合いそうか?」
「はい、全て手配済みです」
部屋に案内するため荷物を乗せたカートを押しながら、数歩先を行くスタッフの耳に入らないようにローレンツはクロードに小声で話しかけた。
「何を企んでいるのかそろそろ僕にも話したまえ」
「ちょっと忙しくなる、かもしれない」
「忙しい?どういうことだ?」
ホテル本館の外に出て南国の太陽に照らされながら敷地内を歩いているとプライベートビーチが目に入る。今はシーズンオフだが夏になればきっと水着姿の宿泊客でごった返すのだろう。クロードが予約したバンガローは一番奥にある大きなものだった。カードキーをかざし荷物を運び込んだスタッフからお入りください、と言われたローレンツは室内を見て言葉を失った。バンガローのリビングにはウェディングドレスを着たトルソーがいくつも飾られている。靴やアクセサリーなどの小物も選べるようにいくつも用意されていた。
「キャンセルも出来るぜ。その可能性も込みで手配したからな。でも着るならカメラマンとスタッフを呼ぶ。このホテル、式場としても人気あるんだ」
気を使ってくれたのだろう。男性の格好でドレスの試着室に行けば嫌でも目立つ。クロードはホテルに事情を説明しローレンツが安心して衣裳や小物を選べるように運び込んでもらったのだ。それにこのホテルは空港から離れていて同じ職場の者と遭遇する可能性もかなり低い。
「ここまで手を煩わせてしまったのだ。着ないわけにいかないだろう。クロード、ありがとう。気遣いがとても嬉しいよ」
「はぁー!無駄にならないで良かった!カメラマンとスタッフに電話して俺も支度してくるわ」
ローレンツは一日に二度も涙ぐむことになるとは思わなかった。
「それと日没まであと三時間くらいだからそれまでにドレスと小物を選んで支度してくれ」
そしてクロードからとんでもない爆弾を落とされた。素人の作業時間予測ほど恐ろしいものはない。
「はあっ?!三時間?僕が夜、君に会う時ですら支度に二時間かかるんだぞ!」
涙を拭くようにとクロードから渡されたタオルを握りしめたローレンツは思わず叫んでしまった。
「じゃあ見通しが甘い俺のこと叱ってる時間が勿体ないな!」
小言を避けるためするりと外に出てしまったクロードに憤慨しながらもローレンツは運び込まれたアクセサリーや靴、それにドレスを眺めた。クロードがどう説明したのか見当はつく。きっと自分のサイズを測ったあとスタッフたちを相手に「俺よりデカくて、でも細身で」と何回も繰り返したのだろう。クロードが手配したというスタッフが来たらしく、ドアホンが鳴ったのでローレンツは立ち上がってドアを開けた。時間に追われるのは本業で慣れている。満席の大型機で食事を提供する時のことを思えばヘアもメイクも着替えも全て間に合わせられるような気がした。
なんたって僕はローレンツ=ヘルマン=グロスタールなのだからね!
一方、クロードはローレンツが撮影を承諾してくれたことに胸を撫で下ろしていた。ボトムになるための小細工に過ぎないから記録なんかしない、と怖がった彼が言い張って断られる可能性はかなり高かったと思う。
髪が短い男の身支度は大して時間がかからない。理容室で髭と髪を整えてもらいタキシードを着るだけだ。今日の自分は添え物に過ぎないのでそれで良い。時間調整のためバーに行き、冷えたビールで喉を潤しながらスマホのメッセージアプリを立ち上げた。尽力してくれた旅行代理店の担当者に承諾してくれた、とメッセージを送る。彼女もきっと喜んでくれるだろう。
ローレンツから女装姿を全く写真に残していない、と聞いた時からクロードはもったいないと思っていたのだ。マッチングアプリ内にあった僅かな画像は彼がアカウント削除した際、同時に消去されている。初めて会った時の美しい姿は未だにクロードの脳裏に焼き付いていた。
万が一のことがあって家族や職場に知られたくないという考えはクロードにも分かる。分かるのだが夜の彼だって紛れもなく彼なのだ。誰にも迷惑をかけていないのだから、プロの手を借りてとびきり美しい姿を残しておいて何が悪いのだろうかと思う。
一般論の域は出ないがパルミラの既婚者たちは皆、写真に一家言ある。それは皆、この結婚写真の撮影を経験しているからだ。おかげでクロードも写真やカメラにほんの少しだけ詳しくなってしまった。バーの窓から見えるこの抜けるような青空が、天候にもよるが日が暮れるわずかな間だけオレンジやピンクそれに紫に彩られる。特に日没後の十分から三十分の間はマジックアワーと呼ばれ、殆ど影のない不思議な写真が撮影出来る。何だか自分たちに相応しいような気がしたのだ。軽口なせいか飲みやすい地ビールのグラスを空にするとクロードは席を立った。
支度を整えバンガローに戻り、カードキーで玄関のドアを開けると何某かを担当しているスタッフとローレンツが真剣な口調で何事かを相談する話し声が聞こえてきた。クロードは通訳と翻訳が本業だが女性のファッションには詳しくないので皆、フォドラの言葉で話している筈なのに何を話しているのか全く分からない。辛うじて意味がわかったのはスタッフのこうするともっとお綺麗ですよ、という言葉だけだ。
「進捗は?」
「八割くらいだからまだ外で遊んでいたまえ」
「タキシード姿でか?!」
「……おとなしく座っていられるならこちらにきたまえ」
クロードは自分が着ていた服の入っているガーメントケースをクローゼットにしまい、ソファーの上で座って忙しくしているローレンツたちを眺めていた。床に広げられている名前も分からない何か、を踏まないように座面の上で胡座を組んだ方が良いのかもしれない。これまでに男性姿で撮った結婚写真を見たスタッフが選んだドレスはどれも似合いそうだったが、ローレンツは肩も首も腕も出ているデザインのものを選んでいた。それで良いのだ、とクロードも思う。
ビーチへの移動時間も計算して設定したアラームが鳴ると同時にスタッフが座っているローレンツにティアラを被せた。どうやらこれで完成らしい。
「似合うかね?」
プロの手による化粧やヘアメイクそれにドレスも確かに素晴らしいのだが、女性のファッションに疎いクロードは的確に褒める言葉を持たない。だが喜びのあまり照れているローレンツの顔はいくらでも褒められる。この時の顔をクロードは一生忘れないだろう。この顔が見たくて大枚をはたいたのだ。
「似合ってるさ!すごく綺麗だよ。じきに日が沈む。俺たちに相応しいと思わないか?」
一人で身動きが取れる格好ではないのでスタッフが一人、ローレンツについて撮影場所であるビーチまでベールやドレスの裾を持ってついてきてくれた。カメラマンの指示に従ってベールやドレスの裾の形を微調整する係でもあるのだという。
流石に緊張していたのかローレンツが無言で移動していたので、通りすがりの宿泊客は皆、広告写真か何かの撮影とでも思ったらしい。彼の声さえ聞かなければそう考えるのが合理的なようだった。
夕暮れの光の中で写真を撮るのに化粧がいるのだろうかとクロードは訝しく思っていたが日が暮れる前、青空の下を移動したのできちんと化粧を施しておいて正解だったらしい。てっぺんから爪先まで美しく装ったローレンツとすれ違った宿泊客はウェディングドレスを身につけたローレンツを見て「モデルさんだよ、背が高いね」と口々に呟いていた。
青空の下でも予行演習としてカメラマンに言われるがままに二人でいくつかポーズをとった。夕暮れの中オレンジの光に照らされて金色に染まる白いベールやドレスの裾を翻し、微笑むローレンツの姿は動画で残しておきたいほど美しかった。だが後で見返してもこれほどの感動がないことはクロードにも分かっている。カメラマンの指示に従って二人、砂の上で飛んだり跳ねたり抱きついたりじゃれあったりしているうちに日は完全に沈み、マジックアワーは終わりを告げた。ビーチからバンガローのあるエリアやホテル本館を見ると煌々と明かりがついている。
「夢のような時間だったよ。ありがとうクロード」
衣装や小物を返却しスタッフたちとカメラマンに重ね重ね礼を言い、二人きりになるまではあっという間だった。写真の選別は明日ということになっている。
「化粧を落として着替えたら食事をしに行こう」
「化粧を落とすのは待ってくれ」
プロのメイクを落とすのは惜しいがローレンツが持参した着替えは男物のみだ。顔がここまで作り込んであるのに男物の服を着たら台無しになってしまう。だからさっさと顔を洗って外出できる状態になりたいのにまだ何かあるのだろうか。バスローブ姿のローレンツが腕組みをして待っているとクロードから袋を手渡された。開けて中身を確認すると白地に赤い縁取りと紺のメーカーロゴが入った、某ビールメーカーのキャンペーン用ワンピースが出てきた。チューブトップで丈は相当短い。
「このメイクにこの服は合わない!」
「そんなの俺には分からないよ!」
ローレンツは改めてクロードが何故、女性から逃げられてしまったのかを理解した。
「こんな格好で外に出られるわけないだろう!靴だってローファーと男物のサンダルしかないのだぞ」
「食事の前にちょっとだけ!着てるとこが見たいだけだって!」
理解したが、今日のローレンツは彼女たちが求めてやまなかった彼からの気遣いを過剰に受けている。身体の線を整えてくれるようなビスチェもないしこれだけ丈が短いならば股間が目立たないように固定する必要もある。クロードが求めているであろう身体の線は作れないが駄々を捏ねている子供に等しい彼を説得するため、ローレンツはバスローブを脱ぎ渡されたワンピースを着た。鏡で確認する気にもなれないがメイクも全く噛み合っていないだろう。
「やはり丈が短すぎる」
ローレンツは男物の肌着が見えないように白い手で裾を引っ張ったが、やりすぎると今度は胸がずり下がる。困っているとクロードが抱きついてきた。裾をめくりあげ肌着の中に褐色の手を入れてくる。南国とはいえずっと外で撮影していたので冷えた身体にクロードの温かい手が心地よかった。
「短くないよ、こういうことがしたくて着て貰ったんだから。あれ?なんだか思ったより身体が冷えてるな」
褐色の手が冷えた白い臀部を撫で回す。触られたところからクロードの持つ精気を与えられているような気がした。
「ンッ……君と違って肩も腕も剥き出しだったからな」
じゃああっためてやらないと、とクロードが耳元で囁いた時にローレンツはレストランでの夕食を諦めた。運が良ければ日付が変わる前にルームサービスを頼めるかもしれない。畳む
#クロロレ #完売本 #現パロ #BOTH
クロードがローレンツの目の前で膝をついてから暫く経った。クロードの母国とクロードが現在、ローレンツと共に住んでいる国の結婚に関する文化がかなり異なっている上にお互いに仕事があるので準備は中々進まない。クロードの母国では結婚する二人はとにかく挙式前に写真を撮りまくり、写真集を作って親族や友人に渡す風習がある。
新婚カップルがその写真集を作るために年収と同じくらいの金額を費やすことも珍しくない。カメラマンやメーキャップアーティストを雇って衣装を借り、遠方までロケに行きスタジオも使う。最初は面食らっていたローレンツだがクロードの母国の花嫁たちと同じく楽しくなってきたらしく、様々な衣装を身につけて二人の写真を撮った。
ローレンツは性的指向について職場でオープンにしている。空港で制服姿の彼とそれなりにめかし込んだクロードがカメラマンを連れて写真を撮っていた時には地上職員や真っ赤な制服に身を包んだ女性乗務員や黒い制服に身を包んだ男性乗務員が通りがかりにチーフおめでとうございます、チーフお幸せに、と口々に声をかけてきた。
つまり初対面でクロードはローレンツの職業に気付いていた、ということになる。いつもと違い後ろにひとまとめにされた紫の髪が新鮮だった。男性乗務員の制服である赤いファスナーのラインが目立つ黒の詰襟のスーツは彼の手足の長さを引き立てている。機内では黒一点で働くことも多い、という彼はきっと目立つだろう。だが彼は職場にも実家にも異性装については話していないようだ。職場での写真の他にお約束のタキシード、クロードの母国の民族衣装、それにこちらの国の中世の騎士めいた格好など様々な衣装やシチュエーションで撮影をしたが、彼が一番着たがりそうな衣装の写真は撮っていない。そこでクロードはあることを思いつき、敢えて旅行代理店に電話で予約を入れた。
ローレンツがフライトを終えて五日ぶりに帰宅すると郵便受けにクロードからの手紙が入っていた。お互いのスケジュールはカレンダーアプリで完全に共有しているし、連絡を取り合うならメッセンジャーアプリの方がレスポンスが早い。クロードは良くも悪くも理屈が先行するタイプだ。こういう効率が悪いことは基本、好まないので絶対に何か裏がある。
不審に思って封を開けると中から日付とフライトナンバーが書かれたバーコード入りのカードが二枚出てきた。素直に行き先を書けば良いものを、そう言うところを省略してしまうのは実にクロードらしい。直近の方は最初の数字が一で末尾が奇数なので、ここから西か南へ行く便だろう。ローレンツは脳内で時刻表を広げると玄関に荷物を放り出し、夏物が入れてある箱をクローゼットの奥から取り出した。
クロードに自動手荷物預け機での手続きを任せてローレンツは近くのソファに座って騒めく乗客たちの様子を見ていた。私用搭乗で乗客目線を味わうことはサービスの向上に役立つ。楽しそうな親子連れには、ビジネスマンにはそれぞれどんなサービスを提供するべきか。ローレンツが真剣に考え込んでいるとクロードが戻ってきた。引きずるトランクがないので足取りが軽い。
「はいこれ手荷物の引換券」
見慣れた感熱紙を受け取るとメモ欄にHEAと印字されている。クロードから受け取ったカードに書いてある自社のフライトナンバーを見た時からきっと同僚たちから何か仕掛けられる、とは思っていたがこんなに素早く最初の一手を打ってくるとは考えていなかった。ローレンツが思わず、熱くなった目元を押さえていると心配したクロードが声をかけてきた。
「どうしたんだよさっきからずっと黙りこくっててさ」
「HappyEverAfterの略だ。同僚たちの悪戯だよ」
涙を拭った白い指がメモ欄を指差した。航空業界は仲間意識が強いらしい。一方でクロードの仕事はフリーランスの通訳兼翻訳家で、医療保険のための通訳士組合以外どこにも属していない。クロードとローレンツは見た目も働き方も正反対だった。搭乗手続きの際にも性別を問わず地上職員がチーフ、と嬉しそうにローレンツに声をかけてくる。好かれてるんだな、とクロードが言うとローレンツは微笑んだ。
クロードはローレンツが狭い席で長い手足を持て余さないよう、非常口近くの広い座席を予約したのだが向かいには乗務員席がある。ローレンツの部下が赤い制服を身につけて座っているので何となく寛げない。
職業病なのかローレンツの性分なのか、飲み物や食事を持ってきた部下にトイレを軽く掃除しておいただの何番の客は顔色が悪いから気にかけておくようにだのと耳打ちしている。数時間のフライトは全く休まらずに終わったし、到着した空港でも降機した途端に地上職員からチーフ、と呼び止められていた。
出発した空港でもそうだったがその度にクロードは値踏みされているような気がして緊張してしまう。女社会のトップに立つ女性たちからすればクロードなど吹けば飛ぶような立場だろう。
「やれやれお眼鏡に適ったのかね、俺は」
「今後、フライトに影響が出るようなことをしなければ何も言われないさ」
「例えば?」
「そうだな、婚約破棄とか?」
真顔でそんなこと言ってくるので絶対にそんなことしない、と眉間に皺を寄せてクロードは反論した。生活時間が噛み合わず寂しさや疑念を募らせ、フライトに行くなと言い出すパートナーと別れる者はとても多いとローレンツは言う。クロードは今まで一度もそんなことを言わなかったが翌日にフライトを控えていたのにも関わらず抑えの効かなかった晩はあり、流石にその翌朝は涙目で怒鳴りつけられた。
急ぎの時は通勤にも制服を着用せねばならず社則で制服着用時は笑顔を保つことになっている。身体の痛みを堪えて優雅な笑顔を浮かべていると思うと流石に申し訳なかったし、怒られて当たり前ではあった。
窓の外には青い空が広がり飛行機はひっきりなしに離着陸を繰り返している。ローレンツからすれば日常だが、クロードにとってはどこか心が沸き立つ光景を横目に見ながら人の流れに乗っていく。辿り着いた到着手荷物受取所はごった返しているが、航空会社の職員はいないのでトランクが出てくるのを待ちながらクロードはローレンツの腰に手を回した。脱いだコートを腕にかけているローレンツはまだクロードが何を企んでいるのか知らない。
トランクを受け取り、出口の目の前にあるタクシー乗り場から中距離のタクシーに乗るとようやく気が抜けたのかローレンツはクロードの肩に寄りかかって眠ってしまった。他人の目があると休めないのだろう。クロードはスマホで改めて滞在期間中の天気と日没の時間を調べた。長期予報と同じく予報は全て晴天だったのでおもわず拳を握ってしまう。ビーチリゾートでの写真撮影はクロードの母国の女性たちも憧れるシチュエーションだ。
プライベートビーチがあるホテルのバンガローもカメラマンも衣装もスタイリストも全て手配してある。旅行代理店の女性社員はクロードの話を聞くと全て無駄になるかもしれない、と把握した上でそれはそれは熱心に手配をしてくれた。彼女のためにも撮影を成功させたい。承諾してくれるのかどうか判らないが、クロードはローレンツが女性の格好をしている姿も記念に残したいと思っていた。勿論その写真を配ったり家族に見せて回るつもりはない。自分たちだけの大切な思い出を残すためにプロの手を借りたい。
クロードはそっと眠っているローレンツの髪を撫でながら車窓から外を眺めた。タクシーの窓から見える高速道路沿いに植えられた椰子の木は排気ガスにも負けず、青い空に向かってぐいぐいと背を伸ばし南国特有の雰囲気を醸し出している。
フォドラは同性婚は珍しくないがそれでも異性装をする人は少数派だ。トランスジェンダーということであれば本来の性別に寄せていく経過のひとつとして社会も理解を示すが、ローレンツの場合は単に好きな格好がしたいだけなので理解を得にくい。しかし彼が異性装をしていなかったら自分たちは出会うことはなかったのだ。対外的には美術館で出会ったということになっている。秘密にするのは構わないが自分たちに嘘はつきたくない。
タクシーは一時間ほどでホテルに到着した。クロードが寝息を立てているローレンツの口に軽くキスをすると下りていた白い瞼が一瞬で上がり美しい紫の瞳が現れる。
「え、あ?もう着いたのか?」
「よく寝てたから起こさなかった」
ローレンツが眠っている間にタクシーの会計を済ませボーイに荷物も預けたらしい。タクシーに乗っている間にクロードから何故、ここに自分を招待したのか聞きだそうと思っていたのに謎は持ち越しだ。チェックインに時間がかかるらしくクロードはしょっちゅう時計を見てはまだなのか、とぶつぶつこぼしている。待ちきれなさそうなクロードの気を紛らわせるためにローレンツはウェルカムドリンクとしてテーブルの上に置いてあるジュースをグラスに注いで渡してやった。いつも待ち合わせ場所にしているホテルのバーでもこんな感じでローレンツを待っているのだろうか。
「乾杯は?」
悪戯っぽく笑ってクロードにグラスを掲げて見せるとようやく気が変わったらしい。二人でグラスを合わせると思ったより遥かに軽やかな音がした。ピンク色のジュースを口にするとグァバの香りが鼻腔に広がる。ローレンツたちが今住んでいる街でも似たようなジュースを出す店はあるのだが、吹き抜けになっている豪華なリゾートホテルのロビーで青い空と青い海を見ながら飲むのではやはり味が違う。
「リーガン様、ご案内いたします」
「間に合いそうか?」
「はい、全て手配済みです」
部屋に案内するため荷物を乗せたカートを押しながら、数歩先を行くスタッフの耳に入らないようにローレンツはクロードに小声で話しかけた。
「何を企んでいるのかそろそろ僕にも話したまえ」
「ちょっと忙しくなる、かもしれない」
「忙しい?どういうことだ?」
ホテル本館の外に出て南国の太陽に照らされながら敷地内を歩いているとプライベートビーチが目に入る。今はシーズンオフだが夏になればきっと水着姿の宿泊客でごった返すのだろう。クロードが予約したバンガローは一番奥にある大きなものだった。カードキーをかざし荷物を運び込んだスタッフからお入りください、と言われたローレンツは室内を見て言葉を失った。バンガローのリビングにはウェディングドレスを着たトルソーがいくつも飾られている。靴やアクセサリーなどの小物も選べるようにいくつも用意されていた。
「キャンセルも出来るぜ。その可能性も込みで手配したからな。でも着るならカメラマンとスタッフを呼ぶ。このホテル、式場としても人気あるんだ」
気を使ってくれたのだろう。男性の格好でドレスの試着室に行けば嫌でも目立つ。クロードはホテルに事情を説明しローレンツが安心して衣裳や小物を選べるように運び込んでもらったのだ。それにこのホテルは空港から離れていて同じ職場の者と遭遇する可能性もかなり低い。
「ここまで手を煩わせてしまったのだ。着ないわけにいかないだろう。クロード、ありがとう。気遣いがとても嬉しいよ」
「はぁー!無駄にならないで良かった!カメラマンとスタッフに電話して俺も支度してくるわ」
ローレンツは一日に二度も涙ぐむことになるとは思わなかった。
「それと日没まであと三時間くらいだからそれまでにドレスと小物を選んで支度してくれ」
そしてクロードからとんでもない爆弾を落とされた。素人の作業時間予測ほど恐ろしいものはない。
「はあっ?!三時間?僕が夜、君に会う時ですら支度に二時間かかるんだぞ!」
涙を拭くようにとクロードから渡されたタオルを握りしめたローレンツは思わず叫んでしまった。
「じゃあ見通しが甘い俺のこと叱ってる時間が勿体ないな!」
小言を避けるためするりと外に出てしまったクロードに憤慨しながらもローレンツは運び込まれたアクセサリーや靴、それにドレスを眺めた。クロードがどう説明したのか見当はつく。きっと自分のサイズを測ったあとスタッフたちを相手に「俺よりデカくて、でも細身で」と何回も繰り返したのだろう。クロードが手配したというスタッフが来たらしく、ドアホンが鳴ったのでローレンツは立ち上がってドアを開けた。時間に追われるのは本業で慣れている。満席の大型機で食事を提供する時のことを思えばヘアもメイクも着替えも全て間に合わせられるような気がした。
なんたって僕はローレンツ=ヘルマン=グロスタールなのだからね!
一方、クロードはローレンツが撮影を承諾してくれたことに胸を撫で下ろしていた。ボトムになるための小細工に過ぎないから記録なんかしない、と怖がった彼が言い張って断られる可能性はかなり高かったと思う。
髪が短い男の身支度は大して時間がかからない。理容室で髭と髪を整えてもらいタキシードを着るだけだ。今日の自分は添え物に過ぎないのでそれで良い。時間調整のためバーに行き、冷えたビールで喉を潤しながらスマホのメッセージアプリを立ち上げた。尽力してくれた旅行代理店の担当者に承諾してくれた、とメッセージを送る。彼女もきっと喜んでくれるだろう。
ローレンツから女装姿を全く写真に残していない、と聞いた時からクロードはもったいないと思っていたのだ。マッチングアプリ内にあった僅かな画像は彼がアカウント削除した際、同時に消去されている。初めて会った時の美しい姿は未だにクロードの脳裏に焼き付いていた。
万が一のことがあって家族や職場に知られたくないという考えはクロードにも分かる。分かるのだが夜の彼だって紛れもなく彼なのだ。誰にも迷惑をかけていないのだから、プロの手を借りてとびきり美しい姿を残しておいて何が悪いのだろうかと思う。
一般論の域は出ないがパルミラの既婚者たちは皆、写真に一家言ある。それは皆、この結婚写真の撮影を経験しているからだ。おかげでクロードも写真やカメラにほんの少しだけ詳しくなってしまった。バーの窓から見えるこの抜けるような青空が、天候にもよるが日が暮れるわずかな間だけオレンジやピンクそれに紫に彩られる。特に日没後の十分から三十分の間はマジックアワーと呼ばれ、殆ど影のない不思議な写真が撮影出来る。何だか自分たちに相応しいような気がしたのだ。軽口なせいか飲みやすい地ビールのグラスを空にするとクロードは席を立った。
支度を整えバンガローに戻り、カードキーで玄関のドアを開けると何某かを担当しているスタッフとローレンツが真剣な口調で何事かを相談する話し声が聞こえてきた。クロードは通訳と翻訳が本業だが女性のファッションには詳しくないので皆、フォドラの言葉で話している筈なのに何を話しているのか全く分からない。辛うじて意味がわかったのはスタッフのこうするともっとお綺麗ですよ、という言葉だけだ。
「進捗は?」
「八割くらいだからまだ外で遊んでいたまえ」
「タキシード姿でか?!」
「……おとなしく座っていられるならこちらにきたまえ」
クロードは自分が着ていた服の入っているガーメントケースをクローゼットにしまい、ソファーの上で座って忙しくしているローレンツたちを眺めていた。床に広げられている名前も分からない何か、を踏まないように座面の上で胡座を組んだ方が良いのかもしれない。これまでに男性姿で撮った結婚写真を見たスタッフが選んだドレスはどれも似合いそうだったが、ローレンツは肩も首も腕も出ているデザインのものを選んでいた。それで良いのだ、とクロードも思う。
ビーチへの移動時間も計算して設定したアラームが鳴ると同時にスタッフが座っているローレンツにティアラを被せた。どうやらこれで完成らしい。
「似合うかね?」
プロの手による化粧やヘアメイクそれにドレスも確かに素晴らしいのだが、女性のファッションに疎いクロードは的確に褒める言葉を持たない。だが喜びのあまり照れているローレンツの顔はいくらでも褒められる。この時の顔をクロードは一生忘れないだろう。この顔が見たくて大枚をはたいたのだ。
「似合ってるさ!すごく綺麗だよ。じきに日が沈む。俺たちに相応しいと思わないか?」
一人で身動きが取れる格好ではないのでスタッフが一人、ローレンツについて撮影場所であるビーチまでベールやドレスの裾を持ってついてきてくれた。カメラマンの指示に従ってベールやドレスの裾の形を微調整する係でもあるのだという。
流石に緊張していたのかローレンツが無言で移動していたので、通りすがりの宿泊客は皆、広告写真か何かの撮影とでも思ったらしい。彼の声さえ聞かなければそう考えるのが合理的なようだった。
夕暮れの光の中で写真を撮るのに化粧がいるのだろうかとクロードは訝しく思っていたが日が暮れる前、青空の下を移動したのできちんと化粧を施しておいて正解だったらしい。てっぺんから爪先まで美しく装ったローレンツとすれ違った宿泊客はウェディングドレスを身につけたローレンツを見て「モデルさんだよ、背が高いね」と口々に呟いていた。
青空の下でも予行演習としてカメラマンに言われるがままに二人でいくつかポーズをとった。夕暮れの中オレンジの光に照らされて金色に染まる白いベールやドレスの裾を翻し、微笑むローレンツの姿は動画で残しておきたいほど美しかった。だが後で見返してもこれほどの感動がないことはクロードにも分かっている。カメラマンの指示に従って二人、砂の上で飛んだり跳ねたり抱きついたりじゃれあったりしているうちに日は完全に沈み、マジックアワーは終わりを告げた。ビーチからバンガローのあるエリアやホテル本館を見ると煌々と明かりがついている。
「夢のような時間だったよ。ありがとうクロード」
衣装や小物を返却しスタッフたちとカメラマンに重ね重ね礼を言い、二人きりになるまではあっという間だった。写真の選別は明日ということになっている。
「化粧を落として着替えたら食事をしに行こう」
「化粧を落とすのは待ってくれ」
プロのメイクを落とすのは惜しいがローレンツが持参した着替えは男物のみだ。顔がここまで作り込んであるのに男物の服を着たら台無しになってしまう。だからさっさと顔を洗って外出できる状態になりたいのにまだ何かあるのだろうか。バスローブ姿のローレンツが腕組みをして待っているとクロードから袋を手渡された。開けて中身を確認すると白地に赤い縁取りと紺のメーカーロゴが入った、某ビールメーカーのキャンペーン用ワンピースが出てきた。チューブトップで丈は相当短い。
「このメイクにこの服は合わない!」
「そんなの俺には分からないよ!」
ローレンツは改めてクロードが何故、女性から逃げられてしまったのかを理解した。
「こんな格好で外に出られるわけないだろう!靴だってローファーと男物のサンダルしかないのだぞ」
「食事の前にちょっとだけ!着てるとこが見たいだけだって!」
理解したが、今日のローレンツは彼女たちが求めてやまなかった彼からの気遣いを過剰に受けている。身体の線を整えてくれるようなビスチェもないしこれだけ丈が短いならば股間が目立たないように固定する必要もある。クロードが求めているであろう身体の線は作れないが駄々を捏ねている子供に等しい彼を説得するため、ローレンツはバスローブを脱ぎ渡されたワンピースを着た。鏡で確認する気にもなれないがメイクも全く噛み合っていないだろう。
「やはり丈が短すぎる」
ローレンツは男物の肌着が見えないように白い手で裾を引っ張ったが、やりすぎると今度は胸がずり下がる。困っているとクロードが抱きついてきた。裾をめくりあげ肌着の中に褐色の手を入れてくる。南国とはいえずっと外で撮影していたので冷えた身体にクロードの温かい手が心地よかった。
「短くないよ、こういうことがしたくて着て貰ったんだから。あれ?なんだか思ったより身体が冷えてるな」
褐色の手が冷えた白い臀部を撫で回す。触られたところからクロードの持つ精気を与えられているような気がした。
「ンッ……君と違って肩も腕も剥き出しだったからな」
じゃああっためてやらないと、とクロードが耳元で囁いた時にローレンツはレストランでの夕食を諦めた。運が良ければ日付が変わる前にルームサービスを頼めるかもしれない。畳む





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カラー口絵はおまけデータか何かでみられるようにしておきます。畳む