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雑多です。
「説明できない」21.消息
#説明できない #クロロレ #完売本

 伝書フクロウがローレンツの左腕で羽根を休めていた。ウズラの肉を与えたので目を細めて喜んでいる。黄色く鋭い爪で抉られたり嘴で突かれると拷問のように痛いのでローレンツは左腕には肘より長い革手袋を嵌めていた。だが、彼らの信頼を得るには肉を持つ方の手は素手でなくてはならない。家禽ですら信頼を求めるのだ。
 一方通行で戻ってくることが出来ない伝書鳩と違い、伝書フクロウは訓練すればある地点からある地点へ行って戻ってくることが出来る。そして夜に羽音を立てずに飛ぶ習性があるため、昼行性の鷹や鷲では駆除ができない。グロスタール家は他の名家と同じく、お抱えの鷹匠に鷹狩り用の鷹と共に大量の伝書フクロウを飼育させ、フォドラの各地に通ずる自前の通信網を持っていた。密偵たちからの報告も伝書フクロウで届けられる事が多い。
 伝書フクロウは顔の真正面についた二つの瞳が猫のようで愛らしく、笑顔に似た表情も浮かべるが血抜きしていない肉を好む。目を細め与えられた肉を飲み込む姿は荒々しく、鷲の仲間と言われるのも納得だった。食事を終え伝書フクロウが落ち着いたところでローレンツが足革を探ると小さな筒が収まっていた。右手で引き抜き皮手袋を高く掲げる。
「ご苦労だった。笛が鳴るまで遊んでおいで」
 グロスタール家お抱えの鷹匠やクロードは指笛で伝書フクロウに指示が出せるのだが、ローレンツは指笛が吹けない。指示を出すため小さな笛を使っている。指笛は唇と舌の形さえ理解すれば吹けるそうで、ガルグ=マクにいた頃は教えてやる、と嘯くクロードから咥内に曲げた指を突っ込まれたり逆に舌の形を教えるからと言ってクロードの咥内に指を突っ込まされたりもした。しかしその全てが徒労に終わっている。
 国境を越える大役を果たした伝書フクロウはローレンツを一瞥もせず、森の奥深くに向かって飛んでいってしまった。伝書フクロウは人間からの信頼を求めるが人間に愛想を振りまくような生き物ではない。ローレンツは皮手袋を外すと念のため辺りを見回してから狩猟小屋の扉を開けた。ここはグロスタール家が持つ狩猟小屋のひとつなのでローレンツがいても不自然ではないが、警戒は怠らない方が良いだろう。
 先ほど嵌めていた皮手袋を作業台に置きローレンツは小さな筒から折り畳まれた紙を取り出した。シルヴァンの持つ、隠しきれない神経質さが現れた文字と文を眺める。走り書きで構わなかったのにどこかへ正式に提出するかのような書体と文章だった。
───汝の探し人も我の探し人も未だ見つからず。何処なるや絶えてわからず───
 予想通りだが大きなため息が出てしまう。ガルグ=マク陥落から既に三年経っていた。ディミトリとドゥドゥが行方不明になってからは二年だ。シルヴァンはローレンツとクロードの記憶にまつわる事情を全く知らない。
 脱出行でファーガスの者たちとかなり親しくなったとはいえディミトリではなく、ドゥドゥの所在や生死についてローレンツから問われたシルヴァンはかなり面食らったはずだ。しかしなんとなく意図を察したらしい。
 彼はゴーティエ家嫡子としての権限を利用し、こっそりダスカー出身の流民を傭兵として雇っている。国境を守る人手が足りない、と言うのが建前だ。ガルグ=マクで一年を共に過ごしたドゥドゥに愛着をもっているから、と思われがちだがそれは副産物に過ぎない。
 ダスカー人ならばドゥドゥの逃亡を助けた可能性がある。そしてドゥドゥが生きているならディミトリも生きている可能性が高い。どこに潜伏しているか知っている可能性もある。シルヴァンはディミトリを探すために出来ることは何だってしていた。流民は仕事を得る、ゴーティエ家は戦力を得る、シルヴァンは情報を得る。女性が絡まなければシルヴァンは実に真っ当なのだ。
 ローレンツは受け取った手紙を掌の上で燃やすためファイアーの呪文を唱えた。親帝国派として知られるグロスタール家の嫡子がファーガスの旧王制派ゴーティエ家の嫡子と連絡を取る、など正気の沙汰ではない。知られてしまえば利敵行為だとして帝国から非難されるだろう。
 だが貴族としての本分をきっちりと守ったかつてのローレンツは命を失った。逆縁は親不孝の極みだ。自領や一族の未来を繋ぐための死ではあったが同じことを繰り返して同じ目に遭うつもりはない。
「前の自分なら絶対にやらなかったことをやってみようぜ」
 いつのことだったか、とにかく閨を共にした晩にクロードから言われた言葉がローレンツの脳裏に甦る。父であるグロスタール伯が円卓会議に出るたびに、謝肉祭のたびにローレンツはデアドラに赴いた。
 かつての自分なら絶対にやらないことをクロードとするためだ。援軍としてミルディン大橋に行け、と父から命じられたあの頃の自分が、もし記憶の中のクロードと今のような関係だったらどうしたのだろうか?おそらく怠業したはずだ。〝そちらへ向かっている最中だが敵の別働隊から攻撃された。救援を求む〟とでも言ってフェルディナントとその手勢を迎えにこさせ、彼をミルディン大橋から引き剥がしたかもしれない。そんな可能性があったことに当時のローレンツは全く気がつかなかった。

 圧倒的な戦力を誇っていた帝国軍だが戦況は膠着している。ファーガス公国という出先機関は成立したが、三年経っても国境線はあのままだ。帝国は同盟諸侯による猿芝居を猿芝居である、として処断しない。エーデルガルトにも何か事情があるのかもしれないが、あからさまに彼女の動きは鈍っていた。ガルグ=マク陥落で心が折れたまま、理想を捨てて現実に屈服したかつてのローレンツにはそう判断できなかった。だが今は違う。
 ローレンツが掌に息を吹きかけると手紙だった灰がファーガスに降る雪のように宙を舞い、床に落ちた。畳む
「説明できない」25.岩漿
#説明できない #クロロレ #完売本

 ローレンツは前回の人生ではダフネル家のジュディッドに親しみをもてるほど関わりを持っていない。だが今回の人生は違う。命からがら帝国軍から逃れた際にようやくまともな風呂に入れさせてくれたのはジュディッドだし、援軍まで用意してくれたと言う。ただしアリルまで迎えにいかねばならない。
 クロードは毎日鍛錬や諸侯への根回しに忙しそうだ。調べ物に割く時間がないと溢すので、ローレンツが代わりに書庫でアリルに関する本を探したりセイロス騎士団の中にいるアリル近辺出身者から話を聞いている。これは戦場の霧はない方が良い、と常々言っていたベレトの影響だ。
 今晩も皆が寝静まった後でローレンツとクロードは意見を交換している。クロードの部屋は相変わらず片付いていないので場所はローレンツの部屋だ。給茶器でお湯を沸かしているので、夜も火を落とすまではクロードの部屋より暖かい。
「俺の部屋にも給茶器を置こうかな」
「置ける場所を作りたまえ」
 この給茶機はローレンツが魔道学院にいた頃、寒さに厳しいファーガスで買い求めたもので三段重ねになっている。一番下に燃料である炭を入れ、蛇口がついた二段目には水を入れて沸かす。一番上にお湯と茶葉を入れっぱなしの茶器が置いてある。当然煮えて濃くなってしまうので飲む際は二段目で沸かしたお湯で薄めて飲む。
 ダフネル家からの物資を受け取るまでは山の恵みも最大限に活用すべしと言うことで皆、積極的に狩に行っていた。基本的には鳥と鹿、それに猪だが薬の材料にも食材にもなるので冬眠しそびれた熊は皆が密かに狙っている。そんな中、ベレトが冬眠している蜜蜂の巣を見つけて持ち帰ってきた。何故そんなことをローレンツが知っているかというと修道院の敷地内で恐慌状態になって巣から飛び出してきた蜂の群れに出くわし、ファイアーで仕留めたからだ。手伝いをしてくれたお礼に、と小さな瓶だがベレトからひと瓶貰っている。今晩クロードに振る舞っている紅茶にもその蜂蜜が入っていた。
「お、甘い。これ先生とメルセデスが割った巣から取ったやつか?」
「ファーガス出身の者は皆、野趣に溢れている」
 益虫といえどもローレンツは虫の群れを注視したくない。だが修道士を目指していたメルセデスは修道院は養蜂もやるから、と言って平気で巣の中をいじっていた。人は見た目によらない。
「いや、大助かりだよな。皆それぞれ事情もあるだろうに来てくれたのはやっぱりあの縦走かな?」
「そうだな、あんな体験をしたらやはり皆に会いたくなるだろう。僕も青獅子の者たちと会えて嬉しかった」
「気分転換に顔を見にきただけの連中も多そうだが俺に巻き込まれて気の毒なことだ」
「だが皆、手詰まりだと思っていたのだろう」
 ファーガスの者たちはディミトリが見つからない限りフェルディア奪還への決め手に欠ける。フェルディナントはいつどんな難癖をつけられて処断されるか分からない。ドロテアは歌劇団の疎開に協力し地方の現状を見ていくうちにエーデルガルトにはついていけない、と感じたらしい。
「今日訓練のついでに話してみたんだが、ペトラはブリギットとの条約改正より戦争を優先させたエーデルガルトに失望したらしい」
「軽んじられたように感じたのかもしれない」
 ドロテアとペトラがエーデルガルトのお気に入り、という点においてはクロードとローレンツの記憶が珍しく一致していたので二人ともガルグ=マクで彼女たちを見た時にはかなり驚いた。
「フェルディナントたちに千年祭の約束について連絡したのはローレンツだよな?」
「グロスタール家は親帝国派なのでね」
 縦走中にこの有りさまでは五年後の約束はどうなるのか、という話を散々したので青獅子の者たちにはわざわざ伝えずとも知られている。
「縦走のおかげで縁故関係は前回の人生より遥かに広がった。でも縦走が実行できたのは〝きょうだい〟のおかげだ」
 籠城を視野に入れていたかもしれないセイロス騎士団から逃避行用の物資を分けて貰うため、青獅子の者たちだけでなくペトラやドロテア、それにフェルディナントにも名義を金鹿の学級に貸して欲しい、と言って頭を下げていた。ベレトのあの姿に皆、絆されているのは確かだろう。
「立場が僕の知る青獅子の者たちと入れ替わっている。君がここでの同窓会を強行したからかもしれない」
「ガルグ=マクと〝きょうだい〟どちらが鍵なんだろうな」
 その考えは危険だ、とローレンツの心の奥から声がした。もしベレトから選ばれることだけが鍵であったなら今までのクロードの努力もローレンツの努力も全て無意味であった、ということになる。ローレンツは思わず、空にした白磁の茶器を受け皿に戻す際にがちゃりと大きな音を立ててしまった。
「失礼。クロード、それは今答えを出す必要がある問いなのか?」
 自分が何を言ったのか理解したクロードが首を小さく横に振る。問が正しいとするならば、クロードもローレンツも全ての責任から解放される代わりに主体性が消失してしまう。
「ないな。お前が作法を忘れてしまうような異常なことを言って申し訳ない」
「明日にはアリルに向けて進軍開始だ。とにかく暑いらしいから手巾を沢山持って行かねばな」
 ローレンツの下手な冗談を聞いてクロードが笑ったところでその晩はお開きとなった。



 ベレトの背に浮かぶ炎の紋章を軍旗に掲げ、クロードたちは進軍を開始した。アリルに近づくにつれてファーガス出身者たちの冬山での頼もしさは溶けて消えていってしまったらしい。皆、口々に暑い暑いと言って頭を抱えている。あの時と立場が逆転したかのようだ。
 クロードは比較的暑さに強いこともあり、前の人生では知る由もなかったアリルにまつわる伝説に少しだけ心が躍っていた。マリアンヌが語ってくれた女神の怒りの話はパルミラで信仰の対象となっている精霊と似通っていて実に興味深い。力はあるのに感情に振り回されて失敗してしまうのだ。
 聖典に記されたセイロス教の女神をクロードは機構のように感じている。神々というのは皆、凡百の人間などより遥かに優れた力を持っているがその分、気まぐれで恐ろしい存在であり、祟られぬように平伏して懇願する対象だと思っていた。だがセイロス教の女神にはこれといった欠点がない。もしかしたら聖典に記す際に、そう言った要素を消してしまったのだろうか。誰が何故そんなことをしたのだろうか。
「慈悲深いはずの女神様が、森を、大地を焼き払ったってのか?」
「あくまで、この地域の伝承です。聖典にも記されてはいませんし……」
「じゃあきっと誰かの創作なんだろう。でなきゃ、女神様はまるで化け物……」
 だがガルグ=マクでクロードが遭遇した白きものは化け物、としか言いようがなかった。炎を吐く生き物は生き物なのだろうか。生き物と化け物の違いとは何なのだろうか。
「クロード、お喋りの時間は終わりだ。あそこを見たまえ」
 ローべ家の軍旗を掲げる軍団が頭上に展開していた。つい数年前までファーガスは東西ひとつの国だった。西にあるファーガス公国の者を完全に排除しようとすれば自然と東部の王制派諸侯まで排除せざるを得ない。血縁で繋がっているからだ。こちらの動きを察知した密偵はそこを突いたのだろう。公国への嫌悪感はファーガス出身者たちの方が強く、皆不機嫌そうな顔をしていた。
「イングリット、上空からの偵察を手伝ってくれ」
 飛行職であれば足元の溶岩を気にせず移動が出来る。額から流れ落ちる汗を拭いながら承諾してくれたイングリットが天馬の手綱を引くとその勢いで抜けた羽根がはらはらと落ちた。羽根が足元の溶岩に触れた瞬間、音を立てて消滅する。
 馬も慎重に操らねば火傷させてしまう。ローレンツもシルヴァンもフェルディナントも馬が歩行可能な場所を慎重に選んで歩みを進めていた。そこへ様子を伺い終え、血相を変えたイングリットがやってきてシルヴァンと何事かを話している。クロードがいるところからは彼らが何を話しているのか全く聞き取れないが、ローレンツがベレトの方へ向かっていくのがクロードにも見えた。ベレトの動向も気になるがクロードは早くジュディッドたちと合流せねばならない。二手に分かれるという当初の作戦どおり進軍していくしかなかった。
 敵に弓兵が多く撃ち落とされないように距離を取っているとクロードは自然にイングリットに近寄ることになる。汗だくの彼女は逸る気持ちを抑えるかのように唇を噛み締めていた。手綱をとる手も心なしか震えている。
「よう、さっきあっちで何があったんだ?ローレンツは〝きょうだい〟に何を伝えに行ったんだ?」
「敵軍の中にアッシュがいたのです……!」
 絞り出すような声でイングリットが王国西部の事情を話してくれた。知らず知らずのうちに、民草の心の支えである西方教会が帝国の尖兵となっていた影響は拭いきれていない。彼らが乱した政情が安定しない為、アッシュは領民と公国に鞍替えしたローべ伯の板挟みになっている。
「生け捕りに出来たら説得できるか?」
 意地を張ってつっかかってこられたらこちらとしても生き残るためにアッシュを攻撃せねばならない。同じ弓兵であるクロードは彼の実力もよく分かっていた。
「説得というかその……身代金を払ってくれるような身内が彼にはもういないので名分も立つと思います」
 捕虜になったら命を守るための行動が求められる。捕まえられたら生き延びるために言うことを聞くしかない。これがローレンツがかつてミルディン大橋で降伏出来なかった理由だ。嫡子である彼が捕縛され、グロスタール家が身代金の支払ったり彼本人が王国軍の一員となって生き長らえた場合、帝国への利敵行為であると看做されてしまう可能性が高い。そして自分のせいで領地や一族が危険に晒されても捕虜の身では手も足も出せないのだ。
「なんだ、俺たちにとっちゃ都合がいい話だがローべ伯は薄情だな。アッシュに命を賭けさせたくせに」
 皆の話を聞きたいと常に願っていたベレトなので、きっと上手く取り計らってくれるだろう。クロードは少し上昇して前方の様子を伺った。ベレトはアッシュとの距離を詰めつつある。
「私は先生を信じます」
「そうだな。そろそろ露払いも終わった頃だし、前進するか。俺はラファエルと行くよ」
「では私は先生の立てた作戦どおりレオニーと共に前進します」
 誰が何をやっているのか全て分かるほど狭い戦場ではないが、ベレトが何をするのか全て分かっていたのでクロードに不安はなかった。畳む
「説明できない」27.幕間
#説明できない #完売本 #クロロレ

 ベレトに自領を見せる機会が訪れるなど、ローレンツは考えたことすらなかった。ミルディン大橋から北上するとすぐにグロスタール領に入る。ようやく春が来た領内には菜の花が咲き乱れていた。来年には同じ場所で燕麦など別の作物が育てられているだろう。
「まるで黄色い敷物のようだ」
 箱馬車の窓から流れ行く景色を見てベレトが呟いた。園芸好きな彼らしい賛辞で、聞いているだけでローレンツの心が温かいもので満たされる。
「先生、あれは休耕中の畑だ。休ませている間に菜の花を植えていてね。素朴で美しいし土が豊かになるんだ」
 ベルグリーズ領ほどの規模ではないがグロスタール領も穀倉地帯を抱えている。ローレンツは実り豊かな自領と一族を守るため一度はその命を捧げた。今度は生き延びて人生を捧げねばならないと思っている。
 グロスタールを南北に貫きデアドラに向かう街道は最も重要な街道だ。石畳はこまめに整備され、盗賊が出没しないよう数里おきに騎士たちの駐屯所も作ってある。道沿いの景色には法則があり、集落と施設と畑が繰り返し繰り返し現れた。マリアンヌは代わり映えしない景色に眠気を誘われ瞼が下がっている。その隣に座るベレトも身体を休められる時はどこであれ遠慮なく休む、という傭兵時代の癖が抜けず菜の花の話を聞いた後、腕を組んで眠り始めてしまった。クロードも眠ってしまうかと思ったがじっと窓から見える景色を眺めている。ローレンツは中腰になって頭上の棚から二枚毛布を取り出し二人の膝にかけてやった。
「あ、教会だ。また居ると思うか?」
「居るだろうね。身体を伸ばすのにちょうど良いと思いたまえ」
「いや休憩出来るのはありがたいが……」
 愚痴をこぼそうとしたクロードのことをローレンツはじっと見つめた。
「どんな乗り物でもたまに降りて身体を伸ばさないと腰を痛めるぞ」
「ダフネル領に入ったら本当に休憩しかしないからな」
「それは好きにしたまえ」
 街道沿いをグロスタール家の紋章を付けた四頭立ての箱馬車で走っているので、休憩を取るたびに地元の郷士や司祭が挨拶だ差し入れだ、とローレンツたちのところへ顔を出す。特に司祭がクロードにとっては問題だった。だがクロードの困惑など知る由もない馭者は道端に待ち構えていた司祭に呼び止められたから、という理由でローレンツの予想通り馬車の速度を落としていく。
「マリアンヌを起こしたいんだ。起きてくれ〝きょうだい〟」
 正式に婚約したならば話は別だが、俗人であるローレンツやクロードが名家に連なる者であるマリアンヌの肩を揺らすわけにいかない。だが女神の代理人であるベレトならば彼女に軽く触れても名誉は傷付かない。クロードに揺り起こされたベレトはマリアンヌの肩にそっと触れ、居眠りしている彼女を起こした。
 二段ほどの踏み台は元よりついているがそれでも馬車の扉と地面はかなり離れている。男だけなら気にせず飛び降りるがマリアンヌがいるので皆、馭者が持ってきた補助の踏み台を使う。まずは女性から、と言うわけでマリアンヌが表に出た。踏み台を用意して扉を開けてくれた御者に小さな声で礼を言い、その手に掴まる彼女の姿に戦場で躊躇せずに毒見をした時の面影はない。
 昔から噂が広まるのは雷鳴より早い、と言われている。この教会の司祭もローレンツが乗る馬車に大司教レアから直々に後事を託されたベレト、レスター諸侯同盟の盟主であるクロード、エドマンド辺境伯の養女であるマリアンヌが同乗していると既に知っていた。滅多に顔を見る機会がない大物たちを迎え、司祭は緊張しきっている。何度もつっかえながら茶菓を勧めようとしていたが上手くいかない。だが元から顔を知っているローレンツから司祭どの、と呼ばれた途端に安心したのか舌の動きが滑らかになった。
「ああ若様!ご無事でしたか!女神に無事をお祈りしていた甲斐がありました!」
「この通り無事に自領に戻って来られたよ。君の教会で感謝の祈りを捧げても良いだろうか?」
 この展開は今日だけで三度目だ。ベレトは元々表情に乏しいのでクロードが茶番と断じるこのやりとりに何を思うのか、顔を見るだけでは分からない。マリアンヌは元より信心深く教会には可能な限り顔を出したがるので、なんとも思っていない可能性が高い。どうやらローレンツの振る舞いに白けているのはクロードだけのようだ。ローレンツはクロードの微かな表情の変化に気づいていないふりをして司祭に微笑んでいる。
 権力者が実際にどんな顔をしているのか知っている、と言うのは大きな武器となる。ローレンツは領民たちに気前よく情報と体験を与えていた。そして会ってみれば実に気さくで、という噂が敵対していたグロスタール領で流れることはクロードにとって悪くはない。だからクロードは薄い微笑みを顔に浮かべ黙ってローレンツと司祭の会話を聞いておくしかない。
 礼拝堂での祈祷が終わり、小さな教会の応接間に通された四人は素朴な焼き菓子ともう何杯目なのか覚えていない紅茶に口をつけた。畳む