#かのひとはうつくしく
#クロヒル
#ロレマリ
16.A(side:H)
ヒューベルトが生前に残した手紙の件でクロードをはじめ調べ物が苦ではない者たちは書庫に籠ったりレアに話を聞きに行ったりと忙しそうだ。マリアンヌもローレンツも夜更けまでずっと何かを読んでいる。物資の調達を担当するヒルダはその集団に加わっていないがこの先の未来のために絶対に必要な調べ物なのだ、とマリアンヌもローレンツも言っていた。闇に蠢く者たちはガルグ=マクには光の杭を落とせないがそれもレアが存命であればという条件付きらしい。クロードたちはフォドラ統一後のことだけでなく既に五年間帝国軍に捕らえられ弱ったレアの死後についても考え始めていた。
アンヴァルでのクロードの告白にヒルダは驚かされた。やるかやらないかそのどちらかしかない、と学びながら育ったクロードは自分自身を肯定するためにフォドラ全土を引っ掻き回したことになる。ファーガス神聖王国とアドラステア帝国が滅亡しレスター諸侯同盟の在り方も変化していく。その前にヒルダに色々と伝えておきたかったようだ。疎まれるのが恐ろしくて出自について中々皆に言えなかった、というクロードの発想や心の中に根付く恐怖はマリアンヌとも重なる。クロードはヒルダの前でだけ気を失いヒルダの前でだけ震えていた。震えていたことに気づいたのは最後、抱きしめてやった時だったが。
「やだ、エーデルガルトちゃんより私の方が怖いってこと?」
そう言ってふざけてみたものの五年間持ち越された理由はヒルダにも納得できるものだった。だから統一国家の王にもならない、ではなく王にはなれないのだとクロードは言う。確かに大司教レアの代理を務めるフォドラ人のベレトこそが王には相応しい。
「そうだな、怖いよ。嫌いなやつに嫌われるのなんかどうでもいいがヒルダは違う」
「我らが盟主様がそんな顔しないでよ」
「道半ばではあるんだがようやくここまで来たんだ。今更自分のことを嫌いになりたくない」
あの時ヒルダが爪先立ちになったのはクロードが泣きそうな顔をしていたからだ。あんな顔を見せられて拒めるはずがない。いつも好奇心で輝いている緑の瞳があの時ばかりは潤んでいた。クロードは両親のことを誇らしく思っているがそれでも社会情勢の影響は受ける。自己否定や自己嫌悪に苛まれ苦しんだ結果クロードには掲げざるをえなかった理想があってそれを他者から壊されないように心にしまいこんで大切にしてきた。
「頼りない盟主様の隣にはやっぱり私がいないとね!」
ヒルダもそれを大切にしてやりたいと思う。クロードが好きだからだ。きっと口さがない者たちが嘲笑するだろうがクロードの理想を空虚だと嘯き現実に屈服する者たちよりも夢を見る力がある者の方が素晴らしいのだ。
近々、光の杭が打てるような恐ろしい敵の元へ行くと言うのにあの時の少し幼げなクロードの表情を思い出すとヒルダは自然と微笑んでしまう。ヒルダの機嫌が良いと動物たちにもそれが伝わるようだ。ペガサスの羽根をそっと整え指で一つずつ塵を取り除いてやると嬉しそうに鼻をヒルダの頬に押し付けてきた。馬と同じく鼻先が温かく柔らかくて気持ちがいい。
「あ、珍しくヒルダが仕事してる」
ペガサスの厩舎を掃除しにやってきたツィリルがペガサスの手入れをしているヒルダを見て思わず呟いた。かつてヒルダはツィリルからパルミラではこんな怠け者を見たことがない、と言われている。ゴネリル領の実家にいた頃は更にひどくツィリルが使用人であったことすらヒルダは知らなかった。
「マリアンヌちゃんに頼まれたのよ。手入れする人の機嫌が大事だから変わってほしいって」
ヒルダが上機嫌な一方でマリアンヌはやはり塞いでいる。ヒルダには教えたくないと言う秘密を近々ローレンツに教えるつもりだからだ。
「そうなんだ、マリアンヌって無口だけど真面目でどんな動物もあの人に面倒みられるのが好きなのにどうしたんだろ?」
「おうちのことでいろいろあるみたい」
「そうなんだ、一緒に食事でもしてあげなよ」
勿論そのつもりだ、とヒルダは答えた。ツィリルに信頼されているマリアンヌがヒルダは誇らしい。気になるのはマリアンヌの告白に対してローレンツがどう反応するのか、だった。ヒルダにすら言えないようなことならばきっと彼女の秘密はグロスタール家にも悪い影響を及ぼす。ローレンツは将来の奥方のためマリアンヌとの付き合いを季節の挨拶程度にするのか?これからもせめて生涯に渡って良き友であってほしい、と言うのだろうか?ヒルダが聞いて一番小気味良いであろう答えはそんなことは全く気にしない、だ。しかしエドマンド辺境伯ですら解決出来ず金を積んで隠蔽しているような問題をローレンツ個人の心意気でなんとか出来るとは思えない。
備品の場所も知らないのか、と学生時代はツィリルから叱られていたヒルダだが使っていた桶を元に戻し厩舎を去った。食事に行く前に部屋で身体を拭いて藁だらけになった服を着替えたいからだ。クロードとローレンツのようにヒルダとマリアンヌは学生時代と同じ部屋を使っている。隣同士で何かと面倒が見やすくて便利だ。
「そろそろ食事に行かない?」
身支度を終えたヒルダが部屋の扉を叩くと中で椅子を引いて立ち上がる音がした。廊下に出てきたマリアンヌは手に本を持っている。ローレンツに貸す約束をしているのだと言う。食堂に行く前に渡してしまおうとマリアンヌが扉を叩いて声をかけるとローレンツが出てきて大喜びで本を受け取った。かつては修道院の書庫にもあったがどうやら二十年前の大火で焼けてしまった本らしい。
食堂に着くとヒルダはマリアンヌとローレンツが向かい合わせになるように座らせて自分はマリアンヌの隣に座った。いつもなら何も話さずただ幸せそうに相手をちらちら見ながら食事をする二人だが今日は話題がある。きっとマリアンヌの隣で食事をとりながらローレンツを観察しても不自然にはならない。ヒルダは観察していることを悟られないように全く興味はなかったが先ほどの本について二人に質問した。
ヒューベルトの残した資料によると闇に蠢く者たちの本拠地はゴネリル領の近くにある。彼らがシャンバラと呼んでいるそこへ向かう前に近くの砦で休息を取っていた。ここで一晩過ごし朝になれば戦場に向かう。
「ヒルダさんやゴネリル家には手間をとらせてしまったが首飾りに配置される兵のふりをして近づくことが出来て助かったな」
ローレンツの言葉を聞いたマリアンヌが頷いた。首飾りに向かう兵を攻撃すれば自身の存在が宿願を果たす前に明るみに出てしまう。神話のような時代から復讐の機会を望んでセイロス教関係者から隠れてきた彼らには耐えがたいはずだ。
「討ち漏らしたらゴネリル家の負担が増えちゃう!」
「そうそう、だからヒルダは引き続き本気出してくれよな」
クロードがそう言ってヒルダを揶揄うと周りの皆が釣られて笑った。この戦いが終わればクロードはおそらくフォドラを去る。迎えに来るのを待つのか自分から行くのかヒルダは決めねばならない。そしてクロードはヒルダの父ゴネリル公と兄ホルストを納得させなければならない。
その晩、この砦に泊まる際にはいつも使っている部屋でクロードのお粗末なサイレスがそれなりに役に立つようなことをしたヒルダはクロードが襯衣の下に首飾りをしていることを初めて知った。喉元に視線が注がれていると気づいたクロードが首の後ろに手を回す。
「死んだ叔父さんの形見だ。五年前は付けないで上着の隠しに入れて持ち歩いてたんだが失くしちまってな。マリアンヌに見つけて貰って以来失くさないように服の下に着けてたんだ」
白い掌にそっと乗せられた首飾りは三日月と鹿の顔をかたどっており緑の瞳の者が多いリーガン家に相応しく鹿の顔が丸ごと翠玉で出来ていた。金細工で出来た顔の輪郭や角や顔を囲む三日月もよく出来ている。おそらくリーガン家の嫡子が代々受け継いできた逸品だ。
「はぁ……私の知らないことばっかり」
「お、もう声が出せるのか。俺やっぱり魔法の才能ないなあ」
クロードから差し出された杯の水は先ほど身体を拭いた時と同様に生ぬるいが喉は潤すことが出来る。行軍への影響を考えてクロードには踏みとどまって貰ったがそれでも汗だくだし声は消せても喉は渇く。
「こんないい物持ってるなら見えるようにつければいいのに」
「う、故郷の風習がらみでそれはちょっとな……独り身の男はつけないんだよ」
フォドラ暮らしも長いと言うのにクロードにはまだ受け入れ難い習慣があるらしい。
「クロードくん、秘密があるってどんな気分なの?」
「誰にだって隠しごとのひとつやふたつあるだろ?ヒルダだって今晩のことは家族に隠すだろうし」
ヒルダは既にこの砦に元から置いておいた寝巻きを身に付けているが傍で伸びをするクロードはまだ暑いのか下穿きしか身に付けていない。褐色の身体には随分と傷跡が増えた。
「……私に話してクロードくんは楽にはなったの?」
「うーん……俺は元々俺の半分を恥じてた訳じゃあないからなあ……。あ、マリアンヌか!」
片方の血を恥じろと言われるのが嫌でフォドラ中を引っかきまわしたクロードは近々、自分の故郷を引っかきまわしに戻るのだろう。新生軍の幹部たちは皆クロードの出身地について知っているが現時点でクロードの出自について知っているのはおそらくヒルダだけだ。そしてどうやらクロードはクロードでマリアンヌのことを案じていたらしい。確かに同じく秘密を隠しながら学生生活を送った仲間でもある。
「自分から遠ざかってもらうために近々ローレンツくんに秘密を打ち明けるって……」
ヒルダは背中から抱きついてクロードに首飾りをつけてやりながらマリアンヌの計画について話した。クロードは背後から聞こえるヒルダの浮かぬ声でマリアンヌの秘密がどんな物であるか彼なりに察したらしい。
「それ、絶対に上手くいかないと思うぞ」
学生時代のローレンツがクロードに直接、気に食わないだの正体を暴くだのと宣言しながらしつこくまとわりついていた姿は強烈でヒルダも覚えている。そして今思えば彼はある意味真実に到達していた。
「う、確かにローレンツくんって割り切り方が独特だわ」
「俺はあいつの普通じゃあないところに期待するね」
猜疑心の塊、を自称していた割にクロードはローレンツを信頼しているらしい。前衛と後衛で組まされることが多い分クロードはヒルダの知らないローレンツの顔を知っているのだろう。友人を信頼するクロードの姿勢は美しい、とヒルダは思った。
「私もクロードくんが誰にも見られないで自分の部屋に戻れるって期待してるからね」
ちなみにクロードに割り当てられた部屋は当然ローレンツの隣で体調不良を押してこの戦いに加わろうとしている大司教レアの寝室と同じ階だ。
シャンバラと呼ばれる敵の本拠地はとにかく広大な地下空間で今まで誰もその存在に気づいていなかったと言う事実が地元の人間であるヒルダにとっては何よりも恐ろしい。それに加えてイグナーツもこの空間で使われている装飾はこれまで見たことがないものだ、と言っていた。リシテアの言う通り遥か昔の遺跡のようであるのに誰かが使っているせいか生活感があり気味が悪い。
いくつかの部屋に分かれている内部は絡繰仕掛けの魔獣のような何か、としか言いようのないものが密集している。幸い魔法が良く効くのでリシテアとローレンツが扉の向こうから黒魔法を放って攻撃していた。
「どんな罠がはられているか分からないから慎重に行こう」
シャンバラに突入する寸前ベレトから言われた言葉にヒルダもクロードも耳を疑った。アンヴァルではベレトの立案した作戦が短期決戦型だったせいで二人揃って本当に酷い目に遭っている。
慎重に中を確かめながら進み最後に残った真ん中の部屋に首魁と呼ぶべき者がいた。ヒルダが直接調べたわけではないがベレトがアンヴァルからガルグ=マクへ持ち帰らせた膨大な資料によると彼らがダスカーの乱と七貴族の変を起こしクロードの叔父一家を殺害しルミール村で惨劇を起こした。彼らのせいで人生が狂った者は数多く存在する。死者への手向けになると信じてヒルダもローレンツも必死になって斧と槍を振るいベレトとクロードの露払いをした。クロードがタレス相手に減らず口を叩く姿を見たかったしベレトのふるう天帝の剣がタレスに届くと知っていたからだ。畳む
#クロヒル
#ロレマリ
16.A(side:H)
ヒューベルトが生前に残した手紙の件でクロードをはじめ調べ物が苦ではない者たちは書庫に籠ったりレアに話を聞きに行ったりと忙しそうだ。マリアンヌもローレンツも夜更けまでずっと何かを読んでいる。物資の調達を担当するヒルダはその集団に加わっていないがこの先の未来のために絶対に必要な調べ物なのだ、とマリアンヌもローレンツも言っていた。闇に蠢く者たちはガルグ=マクには光の杭を落とせないがそれもレアが存命であればという条件付きらしい。クロードたちはフォドラ統一後のことだけでなく既に五年間帝国軍に捕らえられ弱ったレアの死後についても考え始めていた。
アンヴァルでのクロードの告白にヒルダは驚かされた。やるかやらないかそのどちらかしかない、と学びながら育ったクロードは自分自身を肯定するためにフォドラ全土を引っ掻き回したことになる。ファーガス神聖王国とアドラステア帝国が滅亡しレスター諸侯同盟の在り方も変化していく。その前にヒルダに色々と伝えておきたかったようだ。疎まれるのが恐ろしくて出自について中々皆に言えなかった、というクロードの発想や心の中に根付く恐怖はマリアンヌとも重なる。クロードはヒルダの前でだけ気を失いヒルダの前でだけ震えていた。震えていたことに気づいたのは最後、抱きしめてやった時だったが。
「やだ、エーデルガルトちゃんより私の方が怖いってこと?」
そう言ってふざけてみたものの五年間持ち越された理由はヒルダにも納得できるものだった。だから統一国家の王にもならない、ではなく王にはなれないのだとクロードは言う。確かに大司教レアの代理を務めるフォドラ人のベレトこそが王には相応しい。
「そうだな、怖いよ。嫌いなやつに嫌われるのなんかどうでもいいがヒルダは違う」
「我らが盟主様がそんな顔しないでよ」
「道半ばではあるんだがようやくここまで来たんだ。今更自分のことを嫌いになりたくない」
あの時ヒルダが爪先立ちになったのはクロードが泣きそうな顔をしていたからだ。あんな顔を見せられて拒めるはずがない。いつも好奇心で輝いている緑の瞳があの時ばかりは潤んでいた。クロードは両親のことを誇らしく思っているがそれでも社会情勢の影響は受ける。自己否定や自己嫌悪に苛まれ苦しんだ結果クロードには掲げざるをえなかった理想があってそれを他者から壊されないように心にしまいこんで大切にしてきた。
「頼りない盟主様の隣にはやっぱり私がいないとね!」
ヒルダもそれを大切にしてやりたいと思う。クロードが好きだからだ。きっと口さがない者たちが嘲笑するだろうがクロードの理想を空虚だと嘯き現実に屈服する者たちよりも夢を見る力がある者の方が素晴らしいのだ。
近々、光の杭が打てるような恐ろしい敵の元へ行くと言うのにあの時の少し幼げなクロードの表情を思い出すとヒルダは自然と微笑んでしまう。ヒルダの機嫌が良いと動物たちにもそれが伝わるようだ。ペガサスの羽根をそっと整え指で一つずつ塵を取り除いてやると嬉しそうに鼻をヒルダの頬に押し付けてきた。馬と同じく鼻先が温かく柔らかくて気持ちがいい。
「あ、珍しくヒルダが仕事してる」
ペガサスの厩舎を掃除しにやってきたツィリルがペガサスの手入れをしているヒルダを見て思わず呟いた。かつてヒルダはツィリルからパルミラではこんな怠け者を見たことがない、と言われている。ゴネリル領の実家にいた頃は更にひどくツィリルが使用人であったことすらヒルダは知らなかった。
「マリアンヌちゃんに頼まれたのよ。手入れする人の機嫌が大事だから変わってほしいって」
ヒルダが上機嫌な一方でマリアンヌはやはり塞いでいる。ヒルダには教えたくないと言う秘密を近々ローレンツに教えるつもりだからだ。
「そうなんだ、マリアンヌって無口だけど真面目でどんな動物もあの人に面倒みられるのが好きなのにどうしたんだろ?」
「おうちのことでいろいろあるみたい」
「そうなんだ、一緒に食事でもしてあげなよ」
勿論そのつもりだ、とヒルダは答えた。ツィリルに信頼されているマリアンヌがヒルダは誇らしい。気になるのはマリアンヌの告白に対してローレンツがどう反応するのか、だった。ヒルダにすら言えないようなことならばきっと彼女の秘密はグロスタール家にも悪い影響を及ぼす。ローレンツは将来の奥方のためマリアンヌとの付き合いを季節の挨拶程度にするのか?これからもせめて生涯に渡って良き友であってほしい、と言うのだろうか?ヒルダが聞いて一番小気味良いであろう答えはそんなことは全く気にしない、だ。しかしエドマンド辺境伯ですら解決出来ず金を積んで隠蔽しているような問題をローレンツ個人の心意気でなんとか出来るとは思えない。
備品の場所も知らないのか、と学生時代はツィリルから叱られていたヒルダだが使っていた桶を元に戻し厩舎を去った。食事に行く前に部屋で身体を拭いて藁だらけになった服を着替えたいからだ。クロードとローレンツのようにヒルダとマリアンヌは学生時代と同じ部屋を使っている。隣同士で何かと面倒が見やすくて便利だ。
「そろそろ食事に行かない?」
身支度を終えたヒルダが部屋の扉を叩くと中で椅子を引いて立ち上がる音がした。廊下に出てきたマリアンヌは手に本を持っている。ローレンツに貸す約束をしているのだと言う。食堂に行く前に渡してしまおうとマリアンヌが扉を叩いて声をかけるとローレンツが出てきて大喜びで本を受け取った。かつては修道院の書庫にもあったがどうやら二十年前の大火で焼けてしまった本らしい。
食堂に着くとヒルダはマリアンヌとローレンツが向かい合わせになるように座らせて自分はマリアンヌの隣に座った。いつもなら何も話さずただ幸せそうに相手をちらちら見ながら食事をする二人だが今日は話題がある。きっとマリアンヌの隣で食事をとりながらローレンツを観察しても不自然にはならない。ヒルダは観察していることを悟られないように全く興味はなかったが先ほどの本について二人に質問した。
ヒューベルトの残した資料によると闇に蠢く者たちの本拠地はゴネリル領の近くにある。彼らがシャンバラと呼んでいるそこへ向かう前に近くの砦で休息を取っていた。ここで一晩過ごし朝になれば戦場に向かう。
「ヒルダさんやゴネリル家には手間をとらせてしまったが首飾りに配置される兵のふりをして近づくことが出来て助かったな」
ローレンツの言葉を聞いたマリアンヌが頷いた。首飾りに向かう兵を攻撃すれば自身の存在が宿願を果たす前に明るみに出てしまう。神話のような時代から復讐の機会を望んでセイロス教関係者から隠れてきた彼らには耐えがたいはずだ。
「討ち漏らしたらゴネリル家の負担が増えちゃう!」
「そうそう、だからヒルダは引き続き本気出してくれよな」
クロードがそう言ってヒルダを揶揄うと周りの皆が釣られて笑った。この戦いが終わればクロードはおそらくフォドラを去る。迎えに来るのを待つのか自分から行くのかヒルダは決めねばならない。そしてクロードはヒルダの父ゴネリル公と兄ホルストを納得させなければならない。
その晩、この砦に泊まる際にはいつも使っている部屋でクロードのお粗末なサイレスがそれなりに役に立つようなことをしたヒルダはクロードが襯衣の下に首飾りをしていることを初めて知った。喉元に視線が注がれていると気づいたクロードが首の後ろに手を回す。
「死んだ叔父さんの形見だ。五年前は付けないで上着の隠しに入れて持ち歩いてたんだが失くしちまってな。マリアンヌに見つけて貰って以来失くさないように服の下に着けてたんだ」
白い掌にそっと乗せられた首飾りは三日月と鹿の顔をかたどっており緑の瞳の者が多いリーガン家に相応しく鹿の顔が丸ごと翠玉で出来ていた。金細工で出来た顔の輪郭や角や顔を囲む三日月もよく出来ている。おそらくリーガン家の嫡子が代々受け継いできた逸品だ。
「はぁ……私の知らないことばっかり」
「お、もう声が出せるのか。俺やっぱり魔法の才能ないなあ」
クロードから差し出された杯の水は先ほど身体を拭いた時と同様に生ぬるいが喉は潤すことが出来る。行軍への影響を考えてクロードには踏みとどまって貰ったがそれでも汗だくだし声は消せても喉は渇く。
「こんないい物持ってるなら見えるようにつければいいのに」
「う、故郷の風習がらみでそれはちょっとな……独り身の男はつけないんだよ」
フォドラ暮らしも長いと言うのにクロードにはまだ受け入れ難い習慣があるらしい。
「クロードくん、秘密があるってどんな気分なの?」
「誰にだって隠しごとのひとつやふたつあるだろ?ヒルダだって今晩のことは家族に隠すだろうし」
ヒルダは既にこの砦に元から置いておいた寝巻きを身に付けているが傍で伸びをするクロードはまだ暑いのか下穿きしか身に付けていない。褐色の身体には随分と傷跡が増えた。
「……私に話してクロードくんは楽にはなったの?」
「うーん……俺は元々俺の半分を恥じてた訳じゃあないからなあ……。あ、マリアンヌか!」
片方の血を恥じろと言われるのが嫌でフォドラ中を引っかきまわしたクロードは近々、自分の故郷を引っかきまわしに戻るのだろう。新生軍の幹部たちは皆クロードの出身地について知っているが現時点でクロードの出自について知っているのはおそらくヒルダだけだ。そしてどうやらクロードはクロードでマリアンヌのことを案じていたらしい。確かに同じく秘密を隠しながら学生生活を送った仲間でもある。
「自分から遠ざかってもらうために近々ローレンツくんに秘密を打ち明けるって……」
ヒルダは背中から抱きついてクロードに首飾りをつけてやりながらマリアンヌの計画について話した。クロードは背後から聞こえるヒルダの浮かぬ声でマリアンヌの秘密がどんな物であるか彼なりに察したらしい。
「それ、絶対に上手くいかないと思うぞ」
学生時代のローレンツがクロードに直接、気に食わないだの正体を暴くだのと宣言しながらしつこくまとわりついていた姿は強烈でヒルダも覚えている。そして今思えば彼はある意味真実に到達していた。
「う、確かにローレンツくんって割り切り方が独特だわ」
「俺はあいつの普通じゃあないところに期待するね」
猜疑心の塊、を自称していた割にクロードはローレンツを信頼しているらしい。前衛と後衛で組まされることが多い分クロードはヒルダの知らないローレンツの顔を知っているのだろう。友人を信頼するクロードの姿勢は美しい、とヒルダは思った。
「私もクロードくんが誰にも見られないで自分の部屋に戻れるって期待してるからね」
ちなみにクロードに割り当てられた部屋は当然ローレンツの隣で体調不良を押してこの戦いに加わろうとしている大司教レアの寝室と同じ階だ。
シャンバラと呼ばれる敵の本拠地はとにかく広大な地下空間で今まで誰もその存在に気づいていなかったと言う事実が地元の人間であるヒルダにとっては何よりも恐ろしい。それに加えてイグナーツもこの空間で使われている装飾はこれまで見たことがないものだ、と言っていた。リシテアの言う通り遥か昔の遺跡のようであるのに誰かが使っているせいか生活感があり気味が悪い。
いくつかの部屋に分かれている内部は絡繰仕掛けの魔獣のような何か、としか言いようのないものが密集している。幸い魔法が良く効くのでリシテアとローレンツが扉の向こうから黒魔法を放って攻撃していた。
「どんな罠がはられているか分からないから慎重に行こう」
シャンバラに突入する寸前ベレトから言われた言葉にヒルダもクロードも耳を疑った。アンヴァルではベレトの立案した作戦が短期決戦型だったせいで二人揃って本当に酷い目に遭っている。
慎重に中を確かめながら進み最後に残った真ん中の部屋に首魁と呼ぶべき者がいた。ヒルダが直接調べたわけではないがベレトがアンヴァルからガルグ=マクへ持ち帰らせた膨大な資料によると彼らがダスカーの乱と七貴族の変を起こしクロードの叔父一家を殺害しルミール村で惨劇を起こした。彼らのせいで人生が狂った者は数多く存在する。死者への手向けになると信じてヒルダもローレンツも必死になって斧と槍を振るいベレトとクロードの露払いをした。クロードがタレス相手に減らず口を叩く姿を見たかったしベレトのふるう天帝の剣がタレスに届くと知っていたからだ。畳む
#かのひとはうつくしく
#クロヒル
#ロレマリ
17.anecdote(side:L)
修道院が帝国軍に襲撃された際にローレンツも白きものを目撃した。セイロス教の瑞獣は自らの意志で人間の形を保つが人間は時と場合によって人間の形を保てなくなる。コナン塔でもルミール村でも目撃したし幾度となく撃退した帝国の魔獣のことを考えると流石にローレンツと言えども精神が揺らぐ。ローレンツは思わずマリアンヌから借りた本を手に取った。この本は修道院の書庫にもかつて置いてあったようだが二十年ほど前の大火で失われている。借りたものはかなり古びているのでおそらく元の持ち主はエドマンド辺境伯なのだろう。この詩篇の解説書は実に興味深く感銘を受けた部分はこっそり詩を綴っている帳面に書き留めてしまったほどだ。
貴重な本を貸してくれた礼としてお茶に誘うとマリアンヌはローレンツのために時間を作ってくれた。領地から取り寄せた焼き菓子や茶葉のうちマリアンヌが好きそうなものを考えるだけでもローレンツは楽しくなってしまう。近頃、彼女は何だか塞ぎがちなので気晴らしになってくれたらと思った。
アンヴァルで勝利し闇に蠢く者たちの本拠地を壊滅させガルグ=マクが盛夏を迎えつつあるようにローレンツたちの青春も終わりつつある。ローレンツはもう二十代半ばなので良き嫡子としての務めを果たさねばならない。そしてローレンツには絶対も永遠もないこの世の中でクロードのようにたった一人で全てを取り仕切る自信はなかった。父と家臣たちには戦争が終わっても結婚相手を見つけられなかったら見合いを再開すると伝えてある。叶うことならばという願いはあるがとりあえずローレンツは自分にできることをするしかない。
魔道学院や士官学校は王族や皇族であれば従者と共に学生生活を過ごせるがそれ以外の者は身の回りのことは全て自分でやる。集団生活を送る前に一通りのことができるよう実家の使用人に教えて貰ってからローレンツは実家を出た。だから掃除や人寄せのための支度は別に苦ではない。来客と自分の目を楽しませるため最後に卓の上にベレトから貰った薔薇の花を飾った。これでいつでもマリアンヌを招き入れることが出来る。
控えめに扉を叩く音がして待ち人が現れた。これまでの茶会や食事の際に彼女が好んでいたものから予想して供したものは全て気に入ったらしい。マリアンヌとローレンツは味の好みも合っている。またお茶の相手をしてほしいと頼むとローレンツの部屋に入ってから初めてマリアンヌの表情が曇った。
「私で、良いのでしょうか……」
「何を言う!僕は君が良いのだよ」
「………………。私、実は……あなたに言わなければいけないことが……」
マリアンヌは美しくエドマンド家は豊かなのでもしかしたら秘密裡に縁談がまとまったのかもしれない。彼女がグロスタール家の嫡子である自分と親しげにしているせいで婚約者が不愉快な思いをしているのならば確かに距離をとってほしい、と告げる必要がある。この世には絶対や永遠がないとローレンツは知っていた。だからこそ辛くても受け入れてきちんとマリアンヌを祝福してやりたいと思っている。
「ずっと、隠してきたことがあるんです。実は……あの……私には……忌まわしい……紋章が……」
先ほどまで顔を綻ばせながら紅茶を楽しんでいたというのにマリアンヌは今にも崩れ落ちてしまいそうだった。自領を守ることに役立つ紋章は貴族たちの間では天佑と言われる。それだけに彼女が怯えながら自分へ告げようとしていることがどれだけ重大であるか瞬時にローレンツは悟った。紋章を持っている学生たちは士官学校に入った後すぐに集められ専門家であるハンネマンの検査を受けている。ローレンツの記憶が確かならば彼女は検査を受けていない。きっとエドマンド辺境伯は修道院に膨大な額の寄進をしている。
「もういい!やめたまえ、マリアンヌさん!」
ローレンツはこれ以上マリアンヌが宿すという謎の紋章に彼女自身を傷付けさせるわけにいかなかった。
「震えているじゃないか。そうまでして僕に何かを打ち明ける必要などない!」
マリアンヌとエドマンド辺境伯は血縁者だが実の親子ではない。母方のものに姓を変えねばならなかった理由はおそらく彼女の実父にある。ローレンツはマリアンヌが何に苛まれて生きてきたのかを察した。そして彼女はローレンツをそこから遠ざけようとしている。
「僕が見たいのは、そんな君じゃない。笑顔の君が見たいんだ。きっと、今、君が言いかけた言葉の先に、君の魅力の秘密が隠されているのだろう。それでも、君が笑顔で話せる日が来るまで、僕は聞きたいとは思わない」
彼女は陰鬱さこそが己自身だと信じ込んでいるがそんなことはない。他人を巻き込むまいとする頑固さは彼女の善良さの表れだ。それは宝石の輝きのように決して色褪せない。
今、マリアンヌから具体的なことを告げられたらローレンツは今後は彼女の話を聞いてやることすら不可能になる。話を聞くためにもこの話を聞いてはならないのだ。
「僕はね、相手のすべてを知りたいなどという貪欲で下品な男とは違うのだよ。謎めいた君のままで、十分素敵だ。いや、むしろ謎めいているからこそ魅力的……」
あのエドマンド辺境伯が解決出来なかった案件をローレンツ個人に解決出来る可能性は低い。だがここでグロスタール家やローレンツ自身の利にならないからと言ってマリアンヌから距離を置かれてしまうのはどうしても嫌だった。必死になって説得しているとローレンツのその姿が滑稽だったのかマリアンヌが声を上げて笑った。その朗らかな笑顔を見ているとやはり陰鬱さが彼女の本質である、とローレンツには思えない。マリアンヌはローレンツに変わりたい、と言ったが彼女は変わる必要などない。内に秘められた良さを表に出すだけで充分だしどうやらローレンツはその手伝いをさせてもらえそうだ。
ある日ローレンツはベレトから遠出をしたいので武装して付き合ってほしいと頼まれた。大量の特効薬と松明とテュルソスの杖も持参して欲しいというのだから只事ではない。
「どこまで行くのだろうか?」
「エドマンド領だ」
数日前マリアンヌは自領に用事があるといってガルグ=マクを離れている。
「夜に魔獣がうじゃうじゃ出る森ねえ……なんで昼はダメなんだ?」
森に最も近い宿場町でベレトから簡単な説明を受けたクロードが当たり前のことを問うた。昼間の方が視認性が高く人間にとっては戦いやすい。
「討伐したい魔獣が夜にしか出てこないんだ」
「うーん、それなら巣を見つけて昼間にアグネアの矢みたいな黒魔法を放っちゃった方が安全じゃない?」
「つまり僕か?それならそれで別に構わないが……」
ヒルダの言うことには一理ある。わざわざ魔獣が最も活動的な時間帯に戦闘する必要はない。そしてそんな方法で済むなら忙しい二人がこの時期こんなところに来る必要はない。ローレンツは並んで座る恋人同士を見て腕を組んだ。ベレトの庇護の下にあるからこんな我儘が通る。だが戦争が終わり新生軍が解散すればそれも終わりだと思うと叱る気にはなれない。
「察していると思うがマリアンヌの依頼だ。全てに理由があるし追及しないで欲しい」
リンハルト以外の者は素直にベレトの言葉に頷いた。ベレトは今回マリアンヌと縁が深い者に声をかけている。マリアンヌは己の本質が陰鬱さだと思い込んでいるが絶対に違う。もしそうなら皆こんな風に心配しない筈だ。
普通の獣ならば火を避けるが魔獣は火を見ると寄ってくる。霧深い森の中で視野を確保するため松明をかざすとベレトの説明通り魔獣それに加えて幻影兵がいた。この森は普通ではない。森全体が魔獣の巣になっていて複数の群れが住んでいる。
「確かに領内にこんな所があっては……マリアンヌさんが先生に助力を求めるのもわかるよ」
「奥にこの群れの主がいる。それが今回の標的だ」
松明があって視野が確保できても単独行動が危険なことに変わりはないので別行動はせず一頭ずつ倒していくしかない。奥の方からひときわ大きな叫び声が聞こえてきた。
「もはや止まらぬ。おぬしの血肉を喰らうまで……!」
皆一斉に口を閉じた。こんな危険な森の奥に自分たち以外に誰かいる。しかも発言内容が不穏だ。
「そんな……いけません!」
そしてマリアンヌの声が続いた。ベレトが視野を確保するため右手で松明を掲げるとかつてコナン塔で見たマイクランのような姿をした魔獣が見える。どうやらマリアンヌはその魔獣を説得しようとしているようだ。人語を話す魔獣など今まで見たことがない。ヒルダがあれやこれや言いだそうとしたクロードの口を後ろ手で塞いでベレトの顔を見た。ヒルダもマリアンヌの意志を尊重し知らぬまま通すつもりらしい。
「行こうか」
全てを知るベレトは口止めをされているのか余計なことを一言も言わない。きっとあれがあの光景こそがマリアンヌがローレンツに告げようとしてくれた秘密なのだ。ローレンツに門地や領地がなかったら遠ざけるためでなく助けを請うためにマリアンヌは全てを告げてくれたのかもしれない。だが全ては仮の話に過ぎずベレトはローレンツに手伝いを乞うてくれた。それならばローレンツはテュルソスの杖の力を借り己に宿る紋章の力を使い、なすべきことをなすしかない。
人語を話していた魔獣は最後にマリアンヌとベレトに感謝し人の骨と剣を残して消えていった。人語を話すのだから他にどんな能力があっても不思議ではないがあれほど立ち込めていた霧が晴れ空には月が輝いている。
マリアンヌの足元には古びた人骨が転がっていた。月光が作る影のせいでローレンツのいる位置からは彼女が手にしている剣はよく見えないがテュルソスの杖やフェイルノートと質感が似ている。白い光を浴びた彼女は深々と頭を下げた。
「皆さんありがとうございました。これで私の無実が証明されます」
好奇心が身をもたげてくるがクロード、ヒルダ、リンハルトがガルグ=マクに戻る道すがらローレンツの代わりにマリアンヌから聞きたいことを全て聞き出してくれるだろう。先ほどヒルダから口を塞がれたクロードはきっと質問で頭がいっぱいの筈だ。
皆に謝意を示したマリアンヌは剣を傍に置き戦闘中にずっと身につけていた紺色の外套を脱いだ。じきに夜が明けるとは言え返り血が染みて乾かないと冷えてしまうし上着に染み込んだ血が乾いたとしても広範囲にできた硬く薄い血の塊が肌にこすれて痛い時もある。
ローレンツは自分の外套を脱ぎ彼女の肩にそっとかけてやった。五年前の彼女なら自分の不幸が感染るから、と悲鳴を上げて払いのけていただろう。共に過ごした年月は無駄ではなかったようでマリアンヌは厚意を素直に受け取るようになってくれた。今晩のローレンツは魔法しか使わなかったので外套に煤は多少ついているが魔物の返り血はついていない。
「すいません、ローレンツさん、お借りしたまま作業してもよろしいでしょうか?」
マリアンヌはぶかぶかの外套を身につけたままローレンツに許可を取るとしゃがみ込み自分の外套を地面に広げてその上に頭蓋骨や小さめの骨を載せ始めた。その姿を見て困惑したヒルダが叫ぶ。もうこの森の中で一番強い生き物は人間だ。聞きつけられたところで何の問題もない。
「マリアンヌちゃん!ちょっと待って!それどうするの?」
「持ち帰って一族の墓地に埋葬します」
「他の骨はどうするの?」
亡骸の扱いは千差万別だ。ローレンツは遺言に可能であれば自分の亡骸は貴族に相応しく扱って欲しいと明記してあるし火葬用に薪を買う金貨も遺言に同封してある。頭蓋骨の持ち主がどんな身分なのかは分からないが兵士であれば敵の怪しげな魔道士に亡骸を悪用されないため墓標も作らず穴を掘って埋めてしまうことも多い。故郷の墓に埋葬するため全身を持ち帰れることもあれば一部しか持ち帰れないこともある。
「でもこれ以上みなさんのお手を煩わせるわけには……」
「私にはまだどういうことか分からないけど本当は全身持って帰ってあげたいんでしょ?」
ローレンツも聞き逃さなかったがヒルダも一族の、という言葉を聞き逃さなかった。マリアンヌにはきっと遠慮せねばならない、と判断する根拠がある。だがそんなことは度外視したくなるのが友情や愛情だ。マリアンヌがヒルダの言葉に頷いたので頭蓋骨はマリアンヌが外套に包んで運び他の骨はそれぞれ手分けして皆で運ぶことになった。人体には約二百本の骨がある。
「重たければそれも僕が持つが」
「大丈夫です。それに皆さんに持っていただいているのに私だけ手ぶらというわけには……」
森の奥からエドマンド家が持っている屋敷へ向かう道中、こういう時には食事と風呂どちらが必要か皆で語り合っているうちに夜が明けた。日の出に照らされると改めて皆の格好がひどい有様なことがよく分かる。マリアンヌが身につけているローレンツの外套には思ったより煤がついていた。そのせいで彼女の白い頬が黒く汚れてしまっている。
「これは風呂だな」
絶対に食事だ、と主張していたクロードが陽の光の下であっさりと意見を変えた。今更自分の惨状に気付いたらしい。外套なしで一晩過ごしていたローレンツは早く風呂に入ってあったまりたいと思っていたのでヒルダと同じく風呂派だった。
ローレンツの見たところエドマンド家の使用人たちはよく躾けられていた。マリアンヌが男物の外套を身につけ魔獣の血にまみれた襤褸きれのような格好で現れ真っ先に使っていない敷布を玄関に持ってくるように命じても動じなかったしそこで同じく襤褸きれのような格好をした客人たちが古い骨を並べて検分しても狼狽するようなこともない。クロードとリンハルトによる検分は中々終わらず彼らの議論がマリアンヌの望まぬ方向へ行かないようにローレンツはずっと見張る羽目になった。結果として食事が先になったのだが検分しながらであったのでスープなどはなく手でつまめる物だけで済ませている。
入浴を済ませベレトやクロードたちが糸が切れた操り人形のように眠っている最中、マリアンヌがローレンツが休んでいる客室の扉をそっと叩いた。
「お休みのところ申し訳ありませんがお時間いただけないでしょうか?」
扉越しにローレンツに呼びかける声は落ち着いている。熟睡して昼夜を逆転させるわけにもいかないと考え椅子でうたた寝をするに留めていたのですぐにローレンツはマリアンヌの声に気がつくことができた。好きな人の声で起こされると心が躍る。彼女はうたた寝から目覚めたローレンツが使用人たちから誤解を受けぬように応接間に連れ出してくれてグロスタール家の嫡子として今後エドマンド辺境伯家の養女と深く付き合うならば知っておくべきことを手短に話してくれた。先日と違って本当に心から自分の話を聞いて欲しいのだとマリアンヌの表情も物語っている。だからだろうか。ローレンツは彼女のことを少し揶揄いたくなってしまった。クロードに笑われるのは癪だがマリアンヌを笑わせるのは全く嫌ではない。
「マリアンヌさんは本当に僕で良いのだろうか?」
この時のマリアンヌの表情をローレンツは一生、忘れないだろう。ぽかんと口を開け目を丸くしてローレンツのことを凝視していた。つい先日のやりとりだから彼女もきちんと覚えている。
「まあ!ローレンツさんたら何をおっしゃるのですか?私はあなたが良いのです。優しくて面白くて……」
その後はお互いに笑ってしまって全く言葉にならなかった。
六年前クロードがリーガン家の嫡子として発表された時にローレンツは自分の手から将来の栄誉がすり抜けていったことに落胆しひたすら不愉快で納得いかなかった。ところが六年経ってみればローレンツは親に逆らいクロードに命を預けている。彼は度量が違うのだ。そしてローレンツは六年前には想像すらしなかった神話のような戦場に身を置いている。セイロス教の瑞獣と同じ色をした飛竜にまたがり上空から敵の様子を窺うクロードと本日彼の前衛を務めるヒルダの姿はきっとイグナーツが絵にする筈だ。
「砲台だらけで北の方に行くの嫌になっちゃう」
「二人とも気をつけてくれたまえ」
砲台の奪取とヒルダが発見した毒の沼を発生させている魔道士の排除がローレンツが率いる別働隊の役目だ。ヒルダは滅多にやる気を出さないがホルストの件があるので今日は戦う前から偵察などで大活躍している。マリアンヌも心配そうにヒルダとクロードを見つめていた。その視線に気づいたヒルダが飛竜の上から手を振る。
「大丈夫!地上ならともかくクロードくんは空の上なら一番当てになるんだから!」
「確かに俺も地上ならヒルダの方が良いな」
ローレンツは学生の頃、修道院の上空警備の際に上空でふざけていた二人を注意したことを思い出した。今にして思えばあの頃からクロードはヒルダに好意を持っていたのだろう。自分がマリアンヌに好意を持っていたのと同じく。畳む
#クロヒル
#ロレマリ
17.anecdote(side:L)
修道院が帝国軍に襲撃された際にローレンツも白きものを目撃した。セイロス教の瑞獣は自らの意志で人間の形を保つが人間は時と場合によって人間の形を保てなくなる。コナン塔でもルミール村でも目撃したし幾度となく撃退した帝国の魔獣のことを考えると流石にローレンツと言えども精神が揺らぐ。ローレンツは思わずマリアンヌから借りた本を手に取った。この本は修道院の書庫にもかつて置いてあったようだが二十年ほど前の大火で失われている。借りたものはかなり古びているのでおそらく元の持ち主はエドマンド辺境伯なのだろう。この詩篇の解説書は実に興味深く感銘を受けた部分はこっそり詩を綴っている帳面に書き留めてしまったほどだ。
貴重な本を貸してくれた礼としてお茶に誘うとマリアンヌはローレンツのために時間を作ってくれた。領地から取り寄せた焼き菓子や茶葉のうちマリアンヌが好きそうなものを考えるだけでもローレンツは楽しくなってしまう。近頃、彼女は何だか塞ぎがちなので気晴らしになってくれたらと思った。
アンヴァルで勝利し闇に蠢く者たちの本拠地を壊滅させガルグ=マクが盛夏を迎えつつあるようにローレンツたちの青春も終わりつつある。ローレンツはもう二十代半ばなので良き嫡子としての務めを果たさねばならない。そしてローレンツには絶対も永遠もないこの世の中でクロードのようにたった一人で全てを取り仕切る自信はなかった。父と家臣たちには戦争が終わっても結婚相手を見つけられなかったら見合いを再開すると伝えてある。叶うことならばという願いはあるがとりあえずローレンツは自分にできることをするしかない。
魔道学院や士官学校は王族や皇族であれば従者と共に学生生活を過ごせるがそれ以外の者は身の回りのことは全て自分でやる。集団生活を送る前に一通りのことができるよう実家の使用人に教えて貰ってからローレンツは実家を出た。だから掃除や人寄せのための支度は別に苦ではない。来客と自分の目を楽しませるため最後に卓の上にベレトから貰った薔薇の花を飾った。これでいつでもマリアンヌを招き入れることが出来る。
控えめに扉を叩く音がして待ち人が現れた。これまでの茶会や食事の際に彼女が好んでいたものから予想して供したものは全て気に入ったらしい。マリアンヌとローレンツは味の好みも合っている。またお茶の相手をしてほしいと頼むとローレンツの部屋に入ってから初めてマリアンヌの表情が曇った。
「私で、良いのでしょうか……」
「何を言う!僕は君が良いのだよ」
「………………。私、実は……あなたに言わなければいけないことが……」
マリアンヌは美しくエドマンド家は豊かなのでもしかしたら秘密裡に縁談がまとまったのかもしれない。彼女がグロスタール家の嫡子である自分と親しげにしているせいで婚約者が不愉快な思いをしているのならば確かに距離をとってほしい、と告げる必要がある。この世には絶対や永遠がないとローレンツは知っていた。だからこそ辛くても受け入れてきちんとマリアンヌを祝福してやりたいと思っている。
「ずっと、隠してきたことがあるんです。実は……あの……私には……忌まわしい……紋章が……」
先ほどまで顔を綻ばせながら紅茶を楽しんでいたというのにマリアンヌは今にも崩れ落ちてしまいそうだった。自領を守ることに役立つ紋章は貴族たちの間では天佑と言われる。それだけに彼女が怯えながら自分へ告げようとしていることがどれだけ重大であるか瞬時にローレンツは悟った。紋章を持っている学生たちは士官学校に入った後すぐに集められ専門家であるハンネマンの検査を受けている。ローレンツの記憶が確かならば彼女は検査を受けていない。きっとエドマンド辺境伯は修道院に膨大な額の寄進をしている。
「もういい!やめたまえ、マリアンヌさん!」
ローレンツはこれ以上マリアンヌが宿すという謎の紋章に彼女自身を傷付けさせるわけにいかなかった。
「震えているじゃないか。そうまでして僕に何かを打ち明ける必要などない!」
マリアンヌとエドマンド辺境伯は血縁者だが実の親子ではない。母方のものに姓を変えねばならなかった理由はおそらく彼女の実父にある。ローレンツはマリアンヌが何に苛まれて生きてきたのかを察した。そして彼女はローレンツをそこから遠ざけようとしている。
「僕が見たいのは、そんな君じゃない。笑顔の君が見たいんだ。きっと、今、君が言いかけた言葉の先に、君の魅力の秘密が隠されているのだろう。それでも、君が笑顔で話せる日が来るまで、僕は聞きたいとは思わない」
彼女は陰鬱さこそが己自身だと信じ込んでいるがそんなことはない。他人を巻き込むまいとする頑固さは彼女の善良さの表れだ。それは宝石の輝きのように決して色褪せない。
今、マリアンヌから具体的なことを告げられたらローレンツは今後は彼女の話を聞いてやることすら不可能になる。話を聞くためにもこの話を聞いてはならないのだ。
「僕はね、相手のすべてを知りたいなどという貪欲で下品な男とは違うのだよ。謎めいた君のままで、十分素敵だ。いや、むしろ謎めいているからこそ魅力的……」
あのエドマンド辺境伯が解決出来なかった案件をローレンツ個人に解決出来る可能性は低い。だがここでグロスタール家やローレンツ自身の利にならないからと言ってマリアンヌから距離を置かれてしまうのはどうしても嫌だった。必死になって説得しているとローレンツのその姿が滑稽だったのかマリアンヌが声を上げて笑った。その朗らかな笑顔を見ているとやはり陰鬱さが彼女の本質である、とローレンツには思えない。マリアンヌはローレンツに変わりたい、と言ったが彼女は変わる必要などない。内に秘められた良さを表に出すだけで充分だしどうやらローレンツはその手伝いをさせてもらえそうだ。
ある日ローレンツはベレトから遠出をしたいので武装して付き合ってほしいと頼まれた。大量の特効薬と松明とテュルソスの杖も持参して欲しいというのだから只事ではない。
「どこまで行くのだろうか?」
「エドマンド領だ」
数日前マリアンヌは自領に用事があるといってガルグ=マクを離れている。
「夜に魔獣がうじゃうじゃ出る森ねえ……なんで昼はダメなんだ?」
森に最も近い宿場町でベレトから簡単な説明を受けたクロードが当たり前のことを問うた。昼間の方が視認性が高く人間にとっては戦いやすい。
「討伐したい魔獣が夜にしか出てこないんだ」
「うーん、それなら巣を見つけて昼間にアグネアの矢みたいな黒魔法を放っちゃった方が安全じゃない?」
「つまり僕か?それならそれで別に構わないが……」
ヒルダの言うことには一理ある。わざわざ魔獣が最も活動的な時間帯に戦闘する必要はない。そしてそんな方法で済むなら忙しい二人がこの時期こんなところに来る必要はない。ローレンツは並んで座る恋人同士を見て腕を組んだ。ベレトの庇護の下にあるからこんな我儘が通る。だが戦争が終わり新生軍が解散すればそれも終わりだと思うと叱る気にはなれない。
「察していると思うがマリアンヌの依頼だ。全てに理由があるし追及しないで欲しい」
リンハルト以外の者は素直にベレトの言葉に頷いた。ベレトは今回マリアンヌと縁が深い者に声をかけている。マリアンヌは己の本質が陰鬱さだと思い込んでいるが絶対に違う。もしそうなら皆こんな風に心配しない筈だ。
普通の獣ならば火を避けるが魔獣は火を見ると寄ってくる。霧深い森の中で視野を確保するため松明をかざすとベレトの説明通り魔獣それに加えて幻影兵がいた。この森は普通ではない。森全体が魔獣の巣になっていて複数の群れが住んでいる。
「確かに領内にこんな所があっては……マリアンヌさんが先生に助力を求めるのもわかるよ」
「奥にこの群れの主がいる。それが今回の標的だ」
松明があって視野が確保できても単独行動が危険なことに変わりはないので別行動はせず一頭ずつ倒していくしかない。奥の方からひときわ大きな叫び声が聞こえてきた。
「もはや止まらぬ。おぬしの血肉を喰らうまで……!」
皆一斉に口を閉じた。こんな危険な森の奥に自分たち以外に誰かいる。しかも発言内容が不穏だ。
「そんな……いけません!」
そしてマリアンヌの声が続いた。ベレトが視野を確保するため右手で松明を掲げるとかつてコナン塔で見たマイクランのような姿をした魔獣が見える。どうやらマリアンヌはその魔獣を説得しようとしているようだ。人語を話す魔獣など今まで見たことがない。ヒルダがあれやこれや言いだそうとしたクロードの口を後ろ手で塞いでベレトの顔を見た。ヒルダもマリアンヌの意志を尊重し知らぬまま通すつもりらしい。
「行こうか」
全てを知るベレトは口止めをされているのか余計なことを一言も言わない。きっとあれがあの光景こそがマリアンヌがローレンツに告げようとしてくれた秘密なのだ。ローレンツに門地や領地がなかったら遠ざけるためでなく助けを請うためにマリアンヌは全てを告げてくれたのかもしれない。だが全ては仮の話に過ぎずベレトはローレンツに手伝いを乞うてくれた。それならばローレンツはテュルソスの杖の力を借り己に宿る紋章の力を使い、なすべきことをなすしかない。
人語を話していた魔獣は最後にマリアンヌとベレトに感謝し人の骨と剣を残して消えていった。人語を話すのだから他にどんな能力があっても不思議ではないがあれほど立ち込めていた霧が晴れ空には月が輝いている。
マリアンヌの足元には古びた人骨が転がっていた。月光が作る影のせいでローレンツのいる位置からは彼女が手にしている剣はよく見えないがテュルソスの杖やフェイルノートと質感が似ている。白い光を浴びた彼女は深々と頭を下げた。
「皆さんありがとうございました。これで私の無実が証明されます」
好奇心が身をもたげてくるがクロード、ヒルダ、リンハルトがガルグ=マクに戻る道すがらローレンツの代わりにマリアンヌから聞きたいことを全て聞き出してくれるだろう。先ほどヒルダから口を塞がれたクロードはきっと質問で頭がいっぱいの筈だ。
皆に謝意を示したマリアンヌは剣を傍に置き戦闘中にずっと身につけていた紺色の外套を脱いだ。じきに夜が明けるとは言え返り血が染みて乾かないと冷えてしまうし上着に染み込んだ血が乾いたとしても広範囲にできた硬く薄い血の塊が肌にこすれて痛い時もある。
ローレンツは自分の外套を脱ぎ彼女の肩にそっとかけてやった。五年前の彼女なら自分の不幸が感染るから、と悲鳴を上げて払いのけていただろう。共に過ごした年月は無駄ではなかったようでマリアンヌは厚意を素直に受け取るようになってくれた。今晩のローレンツは魔法しか使わなかったので外套に煤は多少ついているが魔物の返り血はついていない。
「すいません、ローレンツさん、お借りしたまま作業してもよろしいでしょうか?」
マリアンヌはぶかぶかの外套を身につけたままローレンツに許可を取るとしゃがみ込み自分の外套を地面に広げてその上に頭蓋骨や小さめの骨を載せ始めた。その姿を見て困惑したヒルダが叫ぶ。もうこの森の中で一番強い生き物は人間だ。聞きつけられたところで何の問題もない。
「マリアンヌちゃん!ちょっと待って!それどうするの?」
「持ち帰って一族の墓地に埋葬します」
「他の骨はどうするの?」
亡骸の扱いは千差万別だ。ローレンツは遺言に可能であれば自分の亡骸は貴族に相応しく扱って欲しいと明記してあるし火葬用に薪を買う金貨も遺言に同封してある。頭蓋骨の持ち主がどんな身分なのかは分からないが兵士であれば敵の怪しげな魔道士に亡骸を悪用されないため墓標も作らず穴を掘って埋めてしまうことも多い。故郷の墓に埋葬するため全身を持ち帰れることもあれば一部しか持ち帰れないこともある。
「でもこれ以上みなさんのお手を煩わせるわけには……」
「私にはまだどういうことか分からないけど本当は全身持って帰ってあげたいんでしょ?」
ローレンツも聞き逃さなかったがヒルダも一族の、という言葉を聞き逃さなかった。マリアンヌにはきっと遠慮せねばならない、と判断する根拠がある。だがそんなことは度外視したくなるのが友情や愛情だ。マリアンヌがヒルダの言葉に頷いたので頭蓋骨はマリアンヌが外套に包んで運び他の骨はそれぞれ手分けして皆で運ぶことになった。人体には約二百本の骨がある。
「重たければそれも僕が持つが」
「大丈夫です。それに皆さんに持っていただいているのに私だけ手ぶらというわけには……」
森の奥からエドマンド家が持っている屋敷へ向かう道中、こういう時には食事と風呂どちらが必要か皆で語り合っているうちに夜が明けた。日の出に照らされると改めて皆の格好がひどい有様なことがよく分かる。マリアンヌが身につけているローレンツの外套には思ったより煤がついていた。そのせいで彼女の白い頬が黒く汚れてしまっている。
「これは風呂だな」
絶対に食事だ、と主張していたクロードが陽の光の下であっさりと意見を変えた。今更自分の惨状に気付いたらしい。外套なしで一晩過ごしていたローレンツは早く風呂に入ってあったまりたいと思っていたのでヒルダと同じく風呂派だった。
ローレンツの見たところエドマンド家の使用人たちはよく躾けられていた。マリアンヌが男物の外套を身につけ魔獣の血にまみれた襤褸きれのような格好で現れ真っ先に使っていない敷布を玄関に持ってくるように命じても動じなかったしそこで同じく襤褸きれのような格好をした客人たちが古い骨を並べて検分しても狼狽するようなこともない。クロードとリンハルトによる検分は中々終わらず彼らの議論がマリアンヌの望まぬ方向へ行かないようにローレンツはずっと見張る羽目になった。結果として食事が先になったのだが検分しながらであったのでスープなどはなく手でつまめる物だけで済ませている。
入浴を済ませベレトやクロードたちが糸が切れた操り人形のように眠っている最中、マリアンヌがローレンツが休んでいる客室の扉をそっと叩いた。
「お休みのところ申し訳ありませんがお時間いただけないでしょうか?」
扉越しにローレンツに呼びかける声は落ち着いている。熟睡して昼夜を逆転させるわけにもいかないと考え椅子でうたた寝をするに留めていたのですぐにローレンツはマリアンヌの声に気がつくことができた。好きな人の声で起こされると心が躍る。彼女はうたた寝から目覚めたローレンツが使用人たちから誤解を受けぬように応接間に連れ出してくれてグロスタール家の嫡子として今後エドマンド辺境伯家の養女と深く付き合うならば知っておくべきことを手短に話してくれた。先日と違って本当に心から自分の話を聞いて欲しいのだとマリアンヌの表情も物語っている。だからだろうか。ローレンツは彼女のことを少し揶揄いたくなってしまった。クロードに笑われるのは癪だがマリアンヌを笑わせるのは全く嫌ではない。
「マリアンヌさんは本当に僕で良いのだろうか?」
この時のマリアンヌの表情をローレンツは一生、忘れないだろう。ぽかんと口を開け目を丸くしてローレンツのことを凝視していた。つい先日のやりとりだから彼女もきちんと覚えている。
「まあ!ローレンツさんたら何をおっしゃるのですか?私はあなたが良いのです。優しくて面白くて……」
その後はお互いに笑ってしまって全く言葉にならなかった。
六年前クロードがリーガン家の嫡子として発表された時にローレンツは自分の手から将来の栄誉がすり抜けていったことに落胆しひたすら不愉快で納得いかなかった。ところが六年経ってみればローレンツは親に逆らいクロードに命を預けている。彼は度量が違うのだ。そしてローレンツは六年前には想像すらしなかった神話のような戦場に身を置いている。セイロス教の瑞獣と同じ色をした飛竜にまたがり上空から敵の様子を窺うクロードと本日彼の前衛を務めるヒルダの姿はきっとイグナーツが絵にする筈だ。
「砲台だらけで北の方に行くの嫌になっちゃう」
「二人とも気をつけてくれたまえ」
砲台の奪取とヒルダが発見した毒の沼を発生させている魔道士の排除がローレンツが率いる別働隊の役目だ。ヒルダは滅多にやる気を出さないがホルストの件があるので今日は戦う前から偵察などで大活躍している。マリアンヌも心配そうにヒルダとクロードを見つめていた。その視線に気づいたヒルダが飛竜の上から手を振る。
「大丈夫!地上ならともかくクロードくんは空の上なら一番当てになるんだから!」
「確かに俺も地上ならヒルダの方が良いな」
ローレンツは学生の頃、修道院の上空警備の際に上空でふざけていた二人を注意したことを思い出した。今にして思えばあの頃からクロードはヒルダに好意を持っていたのだろう。自分がマリアンヌに好意を持っていたのと同じく。畳む
#かのひとはうつくしく
#クロヒル
#ロレマリ
18.sequel:C&H
ヒルダはパルミラ王国の公文書に独自の視点を持った剃刀のように鋭い王妃であった、と記されている。
「クロードくん、どうやって帰るの?」
クロードは新生軍の中でヒルダにだけは真の身分を告げていた。ガルグ=マクから母国パルミラに帰るにはアミッド大河沿いに東へ進むか北上しデアドラ港もしくはエドマンド港から船で東に向かう二つの道がある。デアドラに戻ってしまえばクロードはナデル以外の家臣たちに囲まれて船に乗るのも一苦労だしエドマンド港に行けば辺境伯の耳に入ってしまう。
「飛竜で東かな」
明日、大司教代理であるベレトの名において新生軍の解散とフォドラの統一それと首都がデアドラであることが宣言される。ようやく帰郷できることもあり皆、浮き足立っていた。残務処理があるのでと言ってベレトとリーガン領から連れてきた兵たちを先にデアドラへ送り出し上空警備が緩やかになったら誰にも告げずそっと単騎で出発するつもりでいる。
その道程はこの先の孤独を象徴している気がしてならない。クロードは友人が多い人気者だが七年間も王宮に姿を現さなかったカリードを父と母以外に気にかける者はいるだろうか。
「あの子を置いていくなら私にちょうだい」
クロードの腕の中で怠そうにしているヒルダが言うあの子、はクロードがいつも騎乗している白い飛竜のことだ。元々の気質のせいなのか白子であったせいなのかは分からないがとにかく兄弟仲が悪く除け者にされている姿を見てクロードが引き取った。クロードに懐いているがヒルダにも懐いている。
「元から頼むつもりだった」
あの白い飛竜に乗って帰れば名乗りを上げながら東へ移動しているのと同じなので別の飛竜を見つくろう予定だった。幸い路銀には困らないので宿場町ごとに飛竜を確保することも可能だろう。
「あのねぇクロードくん、怠けるのってすっごく気を使うんだから!」
それまでクロードに背中を預けていたヒルダは真っ白な身体の向きを変えた。褐色の喉元で輝く翠玉の首飾りを弄りながらツィリルが聞いたら本当に機嫌を悪くしそうな話をし始める。
「喜んで仕事を引き受けてもらうには日頃から好かれなきゃいけないしどれくらい仕事を押し付けられる人なのか見極めなきゃいけないし!」
言っていることは本当にひどいが全ての仕事を自力でやるわけにいかない立場であるクロードにとって実に示唆に富んでいる発言だった。そしてこのヒルダに部屋の片付けを手伝わせるマリアンヌはやはり大物なのではなかろうか。
「真理だな」
「船がいいよ。クロードくんがいなくなったってわかったらセイロス騎士団の人たちはきっと空しか見ないだろうから」
学友たちがいればクロードが敢えて船や馬を使う可能性に気付くだろうが共に戦った貴族の嫡子たちは連れてきた兵たちを連れて自領に戻らねばならない。新生軍結成以来一度も帰省していないラファエルはベレト、クロード、ローレンツ、それにマリアンヌから書いてもらった紹介状を手に入れ妹と祖父を安心させるため一日早く出発した。帰路の補佐を、というわけでレオニーはマリアンヌにイグナーツはローレンツに雇われているためおそらくクロードの捜索はセイロス騎士団が主体となって行うことになる。
「参考にする」
「じゃあそろそろ自分の部屋に戻って。クロードくん明日は大変なんだからもう眠らないと」
こんな風に同じ寝台で夜を過ごせる日が次にいつ来るのかクロードにもヒルダにも全く分からない。これまでずっとヒルダは修道院ではちょっと、と言っていたのに今晩に限ってお許しが出たのはそういうことだろう。クロードは白い肌の手触りや汗と香水の混ざった匂いをヒルダの部屋でもう少し楽しみたかったのだがどうやらヒルダはお開きにしたいらしい。
「こう言う時って普通、離れたくないから私も一緒に行く、とか無駄だって分かってるけど行かないで、と言うもんじゃないのか?」
クロードがそう言って茶化すとヒルダは褐色の手を臍の下辺りに導いた。褐色の指を吸い付くような白い肌の上で遊ばせようとしたが強く掴まれる。
「私にはいつか命を賭ける日が来るの」
フォドラでもパルミラでも貴族の娘が子を望まれるのは変わらないし出産が命懸けであることも同じだ。だがその前の段階でクロードがしくじって王宮内での政争に負ければクロードもヒルダも毎日命を狙われながら暮らすことになる。ヒルダはクロードの子を宿す日のことを真剣に話していた。妊娠出産以外で危険な目に遭わずに済むよう地均しをしておけ、と言っている。
本気を出したヒルダはすごいのだ。こんなに精神的な興奮を掻き立てられる「部屋から出ていけ」の言い方が世の中に存在するとクロードは知らなかった。頭や体に溜まった熱を逃すために大きく息を吐く。
「何の憂いもないように整えておくよ。そうだ、こいつも預かってもらえないか?」
クロードは首飾りを外してヒルダにつけてやった。しかし鎖が長く翠玉は小柄な彼女の豊かな胸の谷間に挟まれている。見張り役にはちょうど良いのかもしれなかった。母から餞別としてフォドラ風の女物の指輪を持たされているが人によって指の太さは違うしパルミラ育ちのクロードに指輪はどうにも馴染まない。
「あのね、クロードくん。こう言う時って普通、指輪を渡すもんじゃないの?」
「パルミラだと交換するのは首飾りなんだよ」
ヒルダが桃色の瞳を見開いた。クロードが首飾りを服の下に着けていた理由がわかったからだろう。フォドラで言うならば結婚していないのに薬指に指輪を嵌めているようなものなので本当に居た堪れない気持ちになるのだ。特にツィリルに見つかって気まずい雰囲気になることを絶対に避けたかったので襯衣の内側に隠していた。このように両国では文化の違いがある。砦でヒルダから首飾りを着け直して貰った時は黙っていたが明るい未来を先取りできたような気がしてクロードはとても嬉しかったのだ。
「じゃあ次会える日までに私もクロードくんの分を用意しなきゃ。鎖の長さは少し短めにするからね」
ヒルダの趣味は宝飾品作りだからきっとクロードに似合うような首飾りを作ってくれるだろう。会えない間、彼女が喜びそうなものをたまに贈ってそれに手紙を添えるのも楽しいかもしれない。
王宮は上空も含めて手練れの衛兵に守られ何者の侵入も許さない。安全が確保されているからか王子は開放的な気分が味わえる屋外で昼食を取るのが好きだ。召使いたちは昼になると中庭にいつも絨毯を敷きそこに大きな銀の盆を置いてその上に飲み物や食べ物を用意している。
王子は庭の出来になど目もくれなかったが数ヶ月前のある時、庭師に庭を花でいっぱいにしろと命じ、いつなら花が満開になるのかと問うた。庭師が恐る恐る六月には、と答えると王子は庭師に聞き取れない言葉で何事かをつぶやいた。王子の瞳はパルミラでは珍しい緑色だ。パルミラでは人を食い殺す化け物の瞳が緑色だと言われており七年も失踪していた彼には数々の怪しい噂がある。恐ろしい王子の機嫌を損ねてしまったかと思い庭師が怯えていると彼は懐から取り出した金貨を渡した。
六月は王都が最も美しい月と言われる。花が咲き乱れ雨は滅多に降らず真夏ほど太陽の光は眩しくない。太陽の下でも月明かりの下でも快適に過ごせるのだ。そんな雲一つない真っ青な空で真っ白な飛竜が一頭、気持ちよさそうに飛んでいる。王宮の周りを旋回し何かを探しているようだ。しかし衛兵たちが弓砲台で狙おうとしないのでどうやら許可は取っているらしい。
飛竜に気づいた王子は用意された昼食には目もくれず色とりどりの花で溢れかえる中庭の真ん中に立ち親指と人差し指を口に咥えると指笛を鳴らした。その音を聞きつけた真っ白な飛竜が王子を目掛けて一直線に降下し始める。騎手は飛竜が急に自分の言うことを聞かなくなったので一瞬焦ったようだが何が起きたのかを悟り手綱から手を離した。旅装から察するにパルミラの者ではない。騎手が外套の頭巾を外すと桃色の髪が風に煽られた。真っ白な顔は遠目に見ても喜びに染まり髪と同じ桃色の瞳が潤んでいるのか先ほどから手袋をしたまま目元を拭っている。見た目からしてどうやらフォドラの者のようだ。
王子は先ほどから周りにかしずく召使いたちが分かる言葉を一言も発していない。だが召使いたちにも王子がずっと口にしているヒルダ、というのが騎手の名前であることが分かった。王子が大きく手を広げ彼女が着地するのを待っている姿を見れば立太子の礼を経たというのに喉元に首飾りを巻こうとしない理由も分かろうというものだ。
飛竜は降下している最中でまだ王宮の二階にある露台くらいの高さだというのにヒルダは鎧から足を外し始めている。右足から外し鞍に手をついて左向きの横座りになると彼女は手を広げて待っている王子目掛けて飛び降りた。
彼女は小柄だが勢いがついているので流石に王子も支えきれず二人は絨毯の上に転がってしまった。はしゃぐ二人の間に飛竜が白い鼻先をつっこむとそれがくすぐったいのか二人揃って笑っている。
「クロードくん本当に久しぶりだね、元気だった?」
「まあな。来てくれて嬉しいよ。こいつの面倒も見てくれてありがとな」
「置いていかれた者同士すっごく仲良くなったんだから!」
召使いたちは言葉を理解できないというのにそれが分かっていないのかヒルダは王子の耳元に口を寄せた。
「それでパルミラ語が全くわからないふりは何ヶ月くらいすれば良いの?」
通常であれば立太子の礼を経た王子が結婚すれば国を挙げての祝事となり王太子妃はそこで披露される。だが王太子妃が当時はまだ和平条約も締結していないフォドラ出身であったためお披露目はカリード王子の即位と同時となった。それまでも王太子夫妻のご学友とやらは非公式に度々フォドラからパルミラを訪れていたが皆とにかく変わり者揃いであった、と文書官の個人的な備忘録に記されている。パルミラとフォドラの国交は個人同士の強い結びつきがきっかけとなって樹立されたがその詳細な経過はエドマンド辺境伯となったグロスタール伯夫人の手記にも残されている。
"小鳥が西風に乗って飛んでいった。辿り着いた東の地でどう羽ばたいたのかは皆も知る通りなのでここには記さない。ただ細やかながらフォドラ=パルミラ和平条約に携わった者として、あの二人の学友として、知っていることをきちんと書き残し時の流れに抗っておきたい。意志を持って残しておかねば全てが時の流れに覆い隠されてしまうことを私は身を持って知っている。ヒルダ=ヴァレンティン=ゴネリルは和平の証として異国の王に嫁いだのではない。学友クロード=フォン=リーガンの元に嫁いだのだ。二人は元から愛し合う恋人同士であったし何よりも気があう親友同士であったのだ"畳む
#クロヒル
#ロレマリ
18.sequel:C&H
ヒルダはパルミラ王国の公文書に独自の視点を持った剃刀のように鋭い王妃であった、と記されている。
「クロードくん、どうやって帰るの?」
クロードは新生軍の中でヒルダにだけは真の身分を告げていた。ガルグ=マクから母国パルミラに帰るにはアミッド大河沿いに東へ進むか北上しデアドラ港もしくはエドマンド港から船で東に向かう二つの道がある。デアドラに戻ってしまえばクロードはナデル以外の家臣たちに囲まれて船に乗るのも一苦労だしエドマンド港に行けば辺境伯の耳に入ってしまう。
「飛竜で東かな」
明日、大司教代理であるベレトの名において新生軍の解散とフォドラの統一それと首都がデアドラであることが宣言される。ようやく帰郷できることもあり皆、浮き足立っていた。残務処理があるのでと言ってベレトとリーガン領から連れてきた兵たちを先にデアドラへ送り出し上空警備が緩やかになったら誰にも告げずそっと単騎で出発するつもりでいる。
その道程はこの先の孤独を象徴している気がしてならない。クロードは友人が多い人気者だが七年間も王宮に姿を現さなかったカリードを父と母以外に気にかける者はいるだろうか。
「あの子を置いていくなら私にちょうだい」
クロードの腕の中で怠そうにしているヒルダが言うあの子、はクロードがいつも騎乗している白い飛竜のことだ。元々の気質のせいなのか白子であったせいなのかは分からないがとにかく兄弟仲が悪く除け者にされている姿を見てクロードが引き取った。クロードに懐いているがヒルダにも懐いている。
「元から頼むつもりだった」
あの白い飛竜に乗って帰れば名乗りを上げながら東へ移動しているのと同じなので別の飛竜を見つくろう予定だった。幸い路銀には困らないので宿場町ごとに飛竜を確保することも可能だろう。
「あのねぇクロードくん、怠けるのってすっごく気を使うんだから!」
それまでクロードに背中を預けていたヒルダは真っ白な身体の向きを変えた。褐色の喉元で輝く翠玉の首飾りを弄りながらツィリルが聞いたら本当に機嫌を悪くしそうな話をし始める。
「喜んで仕事を引き受けてもらうには日頃から好かれなきゃいけないしどれくらい仕事を押し付けられる人なのか見極めなきゃいけないし!」
言っていることは本当にひどいが全ての仕事を自力でやるわけにいかない立場であるクロードにとって実に示唆に富んでいる発言だった。そしてこのヒルダに部屋の片付けを手伝わせるマリアンヌはやはり大物なのではなかろうか。
「真理だな」
「船がいいよ。クロードくんがいなくなったってわかったらセイロス騎士団の人たちはきっと空しか見ないだろうから」
学友たちがいればクロードが敢えて船や馬を使う可能性に気付くだろうが共に戦った貴族の嫡子たちは連れてきた兵たちを連れて自領に戻らねばならない。新生軍結成以来一度も帰省していないラファエルはベレト、クロード、ローレンツ、それにマリアンヌから書いてもらった紹介状を手に入れ妹と祖父を安心させるため一日早く出発した。帰路の補佐を、というわけでレオニーはマリアンヌにイグナーツはローレンツに雇われているためおそらくクロードの捜索はセイロス騎士団が主体となって行うことになる。
「参考にする」
「じゃあそろそろ自分の部屋に戻って。クロードくん明日は大変なんだからもう眠らないと」
こんな風に同じ寝台で夜を過ごせる日が次にいつ来るのかクロードにもヒルダにも全く分からない。これまでずっとヒルダは修道院ではちょっと、と言っていたのに今晩に限ってお許しが出たのはそういうことだろう。クロードは白い肌の手触りや汗と香水の混ざった匂いをヒルダの部屋でもう少し楽しみたかったのだがどうやらヒルダはお開きにしたいらしい。
「こう言う時って普通、離れたくないから私も一緒に行く、とか無駄だって分かってるけど行かないで、と言うもんじゃないのか?」
クロードがそう言って茶化すとヒルダは褐色の手を臍の下辺りに導いた。褐色の指を吸い付くような白い肌の上で遊ばせようとしたが強く掴まれる。
「私にはいつか命を賭ける日が来るの」
フォドラでもパルミラでも貴族の娘が子を望まれるのは変わらないし出産が命懸けであることも同じだ。だがその前の段階でクロードがしくじって王宮内での政争に負ければクロードもヒルダも毎日命を狙われながら暮らすことになる。ヒルダはクロードの子を宿す日のことを真剣に話していた。妊娠出産以外で危険な目に遭わずに済むよう地均しをしておけ、と言っている。
本気を出したヒルダはすごいのだ。こんなに精神的な興奮を掻き立てられる「部屋から出ていけ」の言い方が世の中に存在するとクロードは知らなかった。頭や体に溜まった熱を逃すために大きく息を吐く。
「何の憂いもないように整えておくよ。そうだ、こいつも預かってもらえないか?」
クロードは首飾りを外してヒルダにつけてやった。しかし鎖が長く翠玉は小柄な彼女の豊かな胸の谷間に挟まれている。見張り役にはちょうど良いのかもしれなかった。母から餞別としてフォドラ風の女物の指輪を持たされているが人によって指の太さは違うしパルミラ育ちのクロードに指輪はどうにも馴染まない。
「あのね、クロードくん。こう言う時って普通、指輪を渡すもんじゃないの?」
「パルミラだと交換するのは首飾りなんだよ」
ヒルダが桃色の瞳を見開いた。クロードが首飾りを服の下に着けていた理由がわかったからだろう。フォドラで言うならば結婚していないのに薬指に指輪を嵌めているようなものなので本当に居た堪れない気持ちになるのだ。特にツィリルに見つかって気まずい雰囲気になることを絶対に避けたかったので襯衣の内側に隠していた。このように両国では文化の違いがある。砦でヒルダから首飾りを着け直して貰った時は黙っていたが明るい未来を先取りできたような気がしてクロードはとても嬉しかったのだ。
「じゃあ次会える日までに私もクロードくんの分を用意しなきゃ。鎖の長さは少し短めにするからね」
ヒルダの趣味は宝飾品作りだからきっとクロードに似合うような首飾りを作ってくれるだろう。会えない間、彼女が喜びそうなものをたまに贈ってそれに手紙を添えるのも楽しいかもしれない。
王宮は上空も含めて手練れの衛兵に守られ何者の侵入も許さない。安全が確保されているからか王子は開放的な気分が味わえる屋外で昼食を取るのが好きだ。召使いたちは昼になると中庭にいつも絨毯を敷きそこに大きな銀の盆を置いてその上に飲み物や食べ物を用意している。
王子は庭の出来になど目もくれなかったが数ヶ月前のある時、庭師に庭を花でいっぱいにしろと命じ、いつなら花が満開になるのかと問うた。庭師が恐る恐る六月には、と答えると王子は庭師に聞き取れない言葉で何事かをつぶやいた。王子の瞳はパルミラでは珍しい緑色だ。パルミラでは人を食い殺す化け物の瞳が緑色だと言われており七年も失踪していた彼には数々の怪しい噂がある。恐ろしい王子の機嫌を損ねてしまったかと思い庭師が怯えていると彼は懐から取り出した金貨を渡した。
六月は王都が最も美しい月と言われる。花が咲き乱れ雨は滅多に降らず真夏ほど太陽の光は眩しくない。太陽の下でも月明かりの下でも快適に過ごせるのだ。そんな雲一つない真っ青な空で真っ白な飛竜が一頭、気持ちよさそうに飛んでいる。王宮の周りを旋回し何かを探しているようだ。しかし衛兵たちが弓砲台で狙おうとしないのでどうやら許可は取っているらしい。
飛竜に気づいた王子は用意された昼食には目もくれず色とりどりの花で溢れかえる中庭の真ん中に立ち親指と人差し指を口に咥えると指笛を鳴らした。その音を聞きつけた真っ白な飛竜が王子を目掛けて一直線に降下し始める。騎手は飛竜が急に自分の言うことを聞かなくなったので一瞬焦ったようだが何が起きたのかを悟り手綱から手を離した。旅装から察するにパルミラの者ではない。騎手が外套の頭巾を外すと桃色の髪が風に煽られた。真っ白な顔は遠目に見ても喜びに染まり髪と同じ桃色の瞳が潤んでいるのか先ほどから手袋をしたまま目元を拭っている。見た目からしてどうやらフォドラの者のようだ。
王子は先ほどから周りにかしずく召使いたちが分かる言葉を一言も発していない。だが召使いたちにも王子がずっと口にしているヒルダ、というのが騎手の名前であることが分かった。王子が大きく手を広げ彼女が着地するのを待っている姿を見れば立太子の礼を経たというのに喉元に首飾りを巻こうとしない理由も分かろうというものだ。
飛竜は降下している最中でまだ王宮の二階にある露台くらいの高さだというのにヒルダは鎧から足を外し始めている。右足から外し鞍に手をついて左向きの横座りになると彼女は手を広げて待っている王子目掛けて飛び降りた。
彼女は小柄だが勢いがついているので流石に王子も支えきれず二人は絨毯の上に転がってしまった。はしゃぐ二人の間に飛竜が白い鼻先をつっこむとそれがくすぐったいのか二人揃って笑っている。
「クロードくん本当に久しぶりだね、元気だった?」
「まあな。来てくれて嬉しいよ。こいつの面倒も見てくれてありがとな」
「置いていかれた者同士すっごく仲良くなったんだから!」
召使いたちは言葉を理解できないというのにそれが分かっていないのかヒルダは王子の耳元に口を寄せた。
「それでパルミラ語が全くわからないふりは何ヶ月くらいすれば良いの?」
通常であれば立太子の礼を経た王子が結婚すれば国を挙げての祝事となり王太子妃はそこで披露される。だが王太子妃が当時はまだ和平条約も締結していないフォドラ出身であったためお披露目はカリード王子の即位と同時となった。それまでも王太子夫妻のご学友とやらは非公式に度々フォドラからパルミラを訪れていたが皆とにかく変わり者揃いであった、と文書官の個人的な備忘録に記されている。パルミラとフォドラの国交は個人同士の強い結びつきがきっかけとなって樹立されたがその詳細な経過はエドマンド辺境伯となったグロスタール伯夫人の手記にも残されている。
"小鳥が西風に乗って飛んでいった。辿り着いた東の地でどう羽ばたいたのかは皆も知る通りなのでここには記さない。ただ細やかながらフォドラ=パルミラ和平条約に携わった者として、あの二人の学友として、知っていることをきちんと書き残し時の流れに抗っておきたい。意志を持って残しておかねば全てが時の流れに覆い隠されてしまうことを私は身を持って知っている。ヒルダ=ヴァレンティン=ゴネリルは和平の証として異国の王に嫁いだのではない。学友クロード=フォン=リーガンの元に嫁いだのだ。二人は元から愛し合う恋人同士であったし何よりも気があう親友同士であったのだ"畳む
#かのひとはうつくしく
#クロヒル
#ロレマリ
19.sequel:L&M
紋章を持つ貴族同士の婚姻は動物の品種改良と似ている。好ましい形質が確実に顕になるよう交配していくからだ。逆に好ましくない形質を持つものは間引かれる。マリアンヌの実父は"おこり"を恐れていた。モーリスの紋章を持つ子供はそれはそれは美しく生まれてくるのだという。両親は美しい乳児を愛さずにはいられない。子供は自分の一族にかかった呪いを知らずに育つが子供の成長と時を同じくして呪いはゆっくりと親を侵蝕していく。
"おこり"いや"興り"が訪れると最初はぼんやりする時間が増える。言動に異常をきたしてしまえばもう死ぬまで止まらない。人格が崩れ獣性が剥き出しになっていく。獣性が剥き出しになれば社会的に破綻し最後はヒトの形を保てなくなる。ヒトのまま尊厳を保ち周囲から愛されて生涯を終えたいなら早く死ぬしかない。モーリスの紋章を持つ一族は前線で全く武器を持たず治療に専念する修道士や都市の消火隊など危険な仕事に従事するようになった。その結果かつて社会から根絶やしにされかけた一族は信頼を回復し地方で領主を務めるまでになった。それでもモーリスの紋章を持つ一族の生存戦略は変わらない。
聡い子供だったマリアンヌは父方の一族が他者からの愛や情けを人質に生き延び子をなしているのだと気づいた時、女神に独身のまま死なせて欲しいと祈った。しかしその祈りは聞き入れられず父は"おこり"を迎え母は実家の力を使ってでも生き延びるよう娘に伝え父と共に姿を消している。その全てを悟った上でマリアンヌを引き取ったエドマンド辺境伯は多忙な身でありながら死に取り憑かれた養女から目を離さなかった。
彼は周り中からやり手だと恐れられていたがマリアンヌの両親について語ると感情が処理しきれず泣いてしまうことが多い。それを本人も自覚しているのか近頃は召使いや家臣たちに見られぬよう出先で話すようになった。血が繋がっているせいかマリアンヌもエドマンド辺境伯も馬が大好きで今日も子馬が生まれたという馬場まで二人で赴いている。そして不思議なことに普通なら子馬を守るために気が立っている時期の母馬に近寄っても二人とも嫌がられることがない。血統管理を徹底して行った周囲の期待通り見事な子馬を産んだ母馬は牧場で誇らしげにしている。
「お養父さま、私の計算があっていればこの子は芦毛です」
芦毛は馬の毛色の中で最も興味深いかもしれない。成長や老化に伴って色味が変わっていくからだ。そして芦毛同士で掛け合わせても子馬が芦毛になるとは限らない。
「そうか、マリアンヌがいうならきっとそうなのだろう。お前の結婚相手も馬が好きだといいな」
「私は結婚しません……お養父さまも結婚していないではありませんか」
エドマンド辺境伯は周囲から結婚を勧められても自分に正直であるためだ、と嘯きずっと独身を貫いていた。だからといって女遊びが激しいという訳でもない。マリアンヌを引き取ったことは次善の策として周囲から歓迎されたがマリアンヌ本人は自分と実父がエドマンド家に入り込んだ異物だと認識している。
「お養父さま、私のことが邪魔になったらいつでも養子縁組を解消してください」
マリアンヌはエドマンド辺境伯の血が繋がった姪だが養父が結婚し子を成したら絶対に実子を優先して欲しいと思っている。だが結婚せずとも満たされているから、と言って頑なに妻を娶ろうとしない。
「私は自分の愛が報われた証をそんな風に手放しても平然と生きていられるほど強い男ではないよ」
死に瀕して子供を託されるほどの愛や信頼を手に入れた証がマリアンヌなのだ、とエドマンド辺境伯は繰り返す。だがそこには大きな謎があった。
「では何故私を士官学校へやるのですか?」
「ああ!マリアンヌ見てご覧!もう歯が生えている!」
エドマンド辺境伯は鼻を擦り寄せてきた子馬の咥内が一瞬見えたのが嬉しかったのか養女であるマリアンヌの声を遮ってしまった。だが同じ動物好きとしてマリアンヌにもその気持ちは分かる。
「まあ!なんて可愛らしいんでしょうか!」
「だがどうやらまだ前歯だけだ」
生まれたばかりの子馬は臼歯がないのでまだ飼い葉が食べられず母乳頼りだ。馬は歯が生え揃っても臼歯と前歯の間に大きな隙間がある。セイロス教ではこの馬銜を噛ませるのにおあつらえ向きのこの隙間こそが女神がヒトに馬を与えた証だと言われている。馬銜がなければヒトは馬を使役することができない。豚や鶏のように食糧として繁殖させるだけにとどまっただろう。モーリスの紋章は隙間なく歯が生えた馬のようだ。モーリスの紋章を持っている者は馬銜と手綱で操ることが出来ない馬に乗せられて死ぬまで下馬することが叶わない。エドマンド辺境伯は母馬の真似をして水桶に顔を突っ込んでいる子馬を眺めながら話を戻した。
「先ほどの話だが……ガルグ=マクで友人を作ってほしいからだ。運が良ければ私のように愛と信頼を手に入れられるかもしれない」
愛も信頼もマリアンヌには縁遠く感じられた。あまり乗り気にはなれなかったが逆らう気力もない。新生活の支度に熱心なのはエドマンド辺境伯だけで身の回りの品をああでもないこうでもないと忙しいだろうに選んでいてなんだか現実感がなかった。
そして今も現実感がない。薄明の中でローレンツがマリアンヌの前で膝をついている。場所は現在ではベレトが住み着いている旧リーガン邸の四阿屋だ。空の色は刻々と変わり太陽の赤と空の青を混ぜたような紫色になっている。晴れの日のデアドラは陽が落ちるたびに数分間、色を塗り替えられるのだ。
「マリアンヌさん、僕と生涯を共に過ごしてほしい。僕はいかなる時も貴女の支えになる」
戦後、雲隠れしたクロードの代わりにマリアンヌもローレンツも水の都と名高いデアドラに呼び出され戦後処理の手伝いをしていた。二人とも一度は自領の復興のため地元に戻ったがベレトに呼び出された後はデアドラの上屋敷に来てもらっているだけで領地には戻れていない。季節が一巡し流石にもう一度きちんと領地に戻らねばという頃になってマリアンヌはローレンツと共にベレトから夕食に招かれた。その帰り道にこのような状態になっている。
家格も釣り合っているし戦争も終わった。親に言えば全てがお膳立てされた筈だ。だがきっとローレンツはそれが嫌だったのだ。名家の者同士の結婚は事業と変わらない。マリアンヌの為だけの言葉をいつどこで告げるのかくらいは二人だけのものにしたかったのだろう。
マリアンヌが黙って頷くとローレンツは左手の薬指に指輪をつけてくれた。いつの間にか陽は完全に落ちリーガンの紋章のような月と瞬く星が辺りを白く照らしている。
「私、自分にこんな未来が待っているなんて想像もしませんでした。毎日笑顔でいられるのはローレンツさんのおかげです」
「承諾してくれてありがとうマリアンヌさん。この手紙も無駄にならずに済んだ」
ローレンツが胸元から取り出した封筒を月明かりの下で確認すると宛先はマリアンヌの養父であるエドマンド辺境伯になっている。
「お気遣いありがとうございます」
「速やかに直接ご挨拶に伺うつもりでいるから待っていて欲しい」
「ところでローレンツさん、この指輪はもしかしてヒルダさんが?」
「指の寸法を知らないかと手紙で問い合わせたらこれが届いてね。貴女がたの友情の証でもあるからこれを渡すべきと思ったのだ。だが結婚指輪は二人で選びたいな」
クロードが会えない間のご機嫌取りにパルミラから宝石や研磨用の道具を寄越してくる、とヒルダが言っていた。大ぶりの金剛石は何かの牽制や誇示のつもりなのかもしれないがそれが流れ流れてマリアンヌの元へ辿り着いている。その思い切りの良さが実にヒルダらしくマリアンヌとローレンツは笑いを堪えることができなかった。
エドマンド辺境伯は養女が持参したローレンツからの手紙を受け取り中身を確認するとマリアンヌの両親を偲ぶ祭壇にそっと置き深い深いため息をつくと右手で瞼を押さえた。この手紙を受け取るべきだった二人はもうこの世にいない。
「何か嫌なことがあればすぐにこちらに戻って来なさい。いつでも歓迎する」
「その……宜しいのでしょうか?」
将来のエドマンド辺境伯としてマリアンヌは引き取られている。共同で双方の領地を統治している夫妻もいるがやはり今までのようにはいかない。
「そうだな、寂しくないと言えば嘘になる。だが円卓会議で婿殿をいびる楽しみができたから差し引きで損はしていない」
養父がローレンツを婿殿と呼んだのでこの話は本決まりなのだとマリアンヌは察した。自然と笑みが溢れだす。
「あの……!ありがとうございます!」
「仕立て屋を呼ぼう。未来の婿殿を迎えるにあたってマリアンヌも私も美しく装わねば」
一年近く自領に戻れなかったせいかローレンツがエドマンド領を訪問出来たのはデアドラで婚約指輪を受け取って貰えた日から数えて二節後だった。レスター諸侯同盟の南西部にあるグロスタール領と北東部にあるエドマンド領はかなり離れておりそもそも移動にも日数を要する。
将来の舅からデアドラでは何度もきつい物言いをされたのでローレンツはそれなりに緊張していたが二ヶ月ぶりに小間使いの手を借りて美しく装ったマリアンヌの顔を目にすれば旅の疲れも含めて消え失せた。儀礼を完璧にこなすのが得意なローレンツは今のところエドマンド辺境伯から突飛なことを言われていない。この後は食事を共にしローレンツが日帰りできない遠方から訪れているためこの屋敷に一泊して帰る。当然泊まるのは客室だ。
将来の花嫁の父は途中二年間の抜けがあるとはいえ十一年間大切に育ててきた娘を手放すのが寂しいのか気がつくと食事の手を止めてマリアンヌの顔を見つめている。正式な養女になっているがマリアンヌはエドマンド辺境伯の妹の娘、つまり姪だ。森の奥深くで人語を話す魔獣を倒した晩にマリアンヌが全くの他人ではないのだと話してくれた。二人の佇まいが似ているのは血縁者だからかもしれない。ローレンツがエドマンド領の名物である固い麺麭の上に香草のソースと魚介と野菜を何層にも重ねたサラダを褒めると二人とも満足そうに微笑んだ。
「モーリスの紋章はマリアンヌの実父やマリアンヌの本質ではないのだ」
そういうとマリアンヌの養父は一気に葡萄酒の杯を空けた。本来なら召使いがお代わりを注ぐべきだが人払いをしているので皆、手酌で呑んでいる。例外中の例外だが繊細な話題を扱うので仕方なかった。
ローレンツはマリアンヌから縁を切られるのが嫌で一度は聞くことを拒絶したモーリスの紋章に関する話もあの晩に聞いている。モーリスの紋章を宿す一族のうち社会に尽くそうとしなかった者は身を持ち崩しても誰も助けてくれなかった。"おこり"がいずれ来ると分かっていても見捨てられなかったのは献身的に社会に尽くした者たちだ。人懐こい犬だけが社会に受け入れられ愛されたように彼らは生き残りを賭けて自制心を強く持ち献身的に社会に尽くしてきた。
「狂おしいまでの生への渇望やそれを後押しする自制心や献身的な態度こそが本質だと私は考えている」
そういうとエドマンド辺境伯は自領の名物である栗の粉で作ったパスタを口に運んだ。ローレンツは生まれて初めて食べたが絡めてある胡桃から作ったソースと実によく合う。
「僕も同意見です。モーリスの紋章はマリアンヌさんが愛されない理由にはならない」
「その通りだ。ローレンツくん。だから私も妹もあいつが……マリアンヌの実父がとても好きだった。我々は領地と門地に尽くし守るために生きろと言われて育ったがそれを破ってしまうほどに」
ローレンツは自分が見ているものが信じられなかった。あのエドマンド辺境伯が人前でしかも重要な食事中に手巾で目元をぬぐっている。エドマンド辺境伯の弱さに触れたのは初めてだ。
「世間から見れば正しくない愛なのだろうがそんなことはどうでもよくなるほど私も妹もマリアンヌの実父のことが好きだった」
「そのお気持ちは……僕にもわかるつもりです。痛いほどに」
「マリアンヌは私にとって妹とあいつからの愛と信頼の証なのだ。だがモーリスの紋章にまつわる悪評は根強い。この子は見違えるほど強くなったがそれでも守ってやってほしい」
エドマンド辺境伯はマリアンヌを守るためにあのハンネマンに検査を諦めさせるほどの大金を積んだ。市井の紋章学者が押しかけたこともあったが小物だったから金を握らせておくべき学者に入らなかったのだろう。
「お養父さま……今まで本当にお世話になりました」
それまで二人の会話を妨げないために黙って食事と葡萄酒に口をつけていたマリアンヌが口を開いた。あからさまに飲みすぎている養父を心配して差し伸べた手の薬指ではヒルダが作った指輪が光っている。
「めでたいことがあったから今晩は呑みすぎたな。私は先に休ませてもらう」
既に皆の皿は空になっていたのでマリアンヌが鈴を鳴らし召使いたちに皿を片付けさせた。瞼が上がらなくなりつつある主人の姿を見て執事が肩を貸している。マリアンヌはローレンツを連れてそっとその場を離れ客間に通してくれた。到着した時に渡した旅行鞄が既に運び込まれている。
マリアンヌが後ろ手で鍵を閉めてくれたのでローレンツはずっと疑問に思っていた、本来ならば口にするべきではないことをようやく口に出来た。確かめておかねば今後、舅相手に失言する可能性もある。
「ところで……その……どうしても気になってしまうのだが」
ローレンツには三人のうちにいくつも成立する相関関係が全く分からない。辺境伯の言う正しくない愛の対象が妹なのか妹の夫なのかすら分からない。
「お養父さまに確認したことはありません。学生時代は道に外れた愛に身を捧げた親たちのことが全く理解できませんでした」
確かに学生時代のマリアンヌは死によって救われることを望んでいた。だが今は見違えるように明るくなっている。
「でもローレンツさんを好きになって少しは理解できたような気がします」
それは光栄だ、と言葉で伝えようとしたがつま先立ちになったマリアンヌの唇で口を塞がれてしまったのでそれは叶わなかった。畳む
#クロヒル
#ロレマリ
19.sequel:L&M
紋章を持つ貴族同士の婚姻は動物の品種改良と似ている。好ましい形質が確実に顕になるよう交配していくからだ。逆に好ましくない形質を持つものは間引かれる。マリアンヌの実父は"おこり"を恐れていた。モーリスの紋章を持つ子供はそれはそれは美しく生まれてくるのだという。両親は美しい乳児を愛さずにはいられない。子供は自分の一族にかかった呪いを知らずに育つが子供の成長と時を同じくして呪いはゆっくりと親を侵蝕していく。
"おこり"いや"興り"が訪れると最初はぼんやりする時間が増える。言動に異常をきたしてしまえばもう死ぬまで止まらない。人格が崩れ獣性が剥き出しになっていく。獣性が剥き出しになれば社会的に破綻し最後はヒトの形を保てなくなる。ヒトのまま尊厳を保ち周囲から愛されて生涯を終えたいなら早く死ぬしかない。モーリスの紋章を持つ一族は前線で全く武器を持たず治療に専念する修道士や都市の消火隊など危険な仕事に従事するようになった。その結果かつて社会から根絶やしにされかけた一族は信頼を回復し地方で領主を務めるまでになった。それでもモーリスの紋章を持つ一族の生存戦略は変わらない。
聡い子供だったマリアンヌは父方の一族が他者からの愛や情けを人質に生き延び子をなしているのだと気づいた時、女神に独身のまま死なせて欲しいと祈った。しかしその祈りは聞き入れられず父は"おこり"を迎え母は実家の力を使ってでも生き延びるよう娘に伝え父と共に姿を消している。その全てを悟った上でマリアンヌを引き取ったエドマンド辺境伯は多忙な身でありながら死に取り憑かれた養女から目を離さなかった。
彼は周り中からやり手だと恐れられていたがマリアンヌの両親について語ると感情が処理しきれず泣いてしまうことが多い。それを本人も自覚しているのか近頃は召使いや家臣たちに見られぬよう出先で話すようになった。血が繋がっているせいかマリアンヌもエドマンド辺境伯も馬が大好きで今日も子馬が生まれたという馬場まで二人で赴いている。そして不思議なことに普通なら子馬を守るために気が立っている時期の母馬に近寄っても二人とも嫌がられることがない。血統管理を徹底して行った周囲の期待通り見事な子馬を産んだ母馬は牧場で誇らしげにしている。
「お養父さま、私の計算があっていればこの子は芦毛です」
芦毛は馬の毛色の中で最も興味深いかもしれない。成長や老化に伴って色味が変わっていくからだ。そして芦毛同士で掛け合わせても子馬が芦毛になるとは限らない。
「そうか、マリアンヌがいうならきっとそうなのだろう。お前の結婚相手も馬が好きだといいな」
「私は結婚しません……お養父さまも結婚していないではありませんか」
エドマンド辺境伯は周囲から結婚を勧められても自分に正直であるためだ、と嘯きずっと独身を貫いていた。だからといって女遊びが激しいという訳でもない。マリアンヌを引き取ったことは次善の策として周囲から歓迎されたがマリアンヌ本人は自分と実父がエドマンド家に入り込んだ異物だと認識している。
「お養父さま、私のことが邪魔になったらいつでも養子縁組を解消してください」
マリアンヌはエドマンド辺境伯の血が繋がった姪だが養父が結婚し子を成したら絶対に実子を優先して欲しいと思っている。だが結婚せずとも満たされているから、と言って頑なに妻を娶ろうとしない。
「私は自分の愛が報われた証をそんな風に手放しても平然と生きていられるほど強い男ではないよ」
死に瀕して子供を託されるほどの愛や信頼を手に入れた証がマリアンヌなのだ、とエドマンド辺境伯は繰り返す。だがそこには大きな謎があった。
「では何故私を士官学校へやるのですか?」
「ああ!マリアンヌ見てご覧!もう歯が生えている!」
エドマンド辺境伯は鼻を擦り寄せてきた子馬の咥内が一瞬見えたのが嬉しかったのか養女であるマリアンヌの声を遮ってしまった。だが同じ動物好きとしてマリアンヌにもその気持ちは分かる。
「まあ!なんて可愛らしいんでしょうか!」
「だがどうやらまだ前歯だけだ」
生まれたばかりの子馬は臼歯がないのでまだ飼い葉が食べられず母乳頼りだ。馬は歯が生え揃っても臼歯と前歯の間に大きな隙間がある。セイロス教ではこの馬銜を噛ませるのにおあつらえ向きのこの隙間こそが女神がヒトに馬を与えた証だと言われている。馬銜がなければヒトは馬を使役することができない。豚や鶏のように食糧として繁殖させるだけにとどまっただろう。モーリスの紋章は隙間なく歯が生えた馬のようだ。モーリスの紋章を持っている者は馬銜と手綱で操ることが出来ない馬に乗せられて死ぬまで下馬することが叶わない。エドマンド辺境伯は母馬の真似をして水桶に顔を突っ込んでいる子馬を眺めながら話を戻した。
「先ほどの話だが……ガルグ=マクで友人を作ってほしいからだ。運が良ければ私のように愛と信頼を手に入れられるかもしれない」
愛も信頼もマリアンヌには縁遠く感じられた。あまり乗り気にはなれなかったが逆らう気力もない。新生活の支度に熱心なのはエドマンド辺境伯だけで身の回りの品をああでもないこうでもないと忙しいだろうに選んでいてなんだか現実感がなかった。
そして今も現実感がない。薄明の中でローレンツがマリアンヌの前で膝をついている。場所は現在ではベレトが住み着いている旧リーガン邸の四阿屋だ。空の色は刻々と変わり太陽の赤と空の青を混ぜたような紫色になっている。晴れの日のデアドラは陽が落ちるたびに数分間、色を塗り替えられるのだ。
「マリアンヌさん、僕と生涯を共に過ごしてほしい。僕はいかなる時も貴女の支えになる」
戦後、雲隠れしたクロードの代わりにマリアンヌもローレンツも水の都と名高いデアドラに呼び出され戦後処理の手伝いをしていた。二人とも一度は自領の復興のため地元に戻ったがベレトに呼び出された後はデアドラの上屋敷に来てもらっているだけで領地には戻れていない。季節が一巡し流石にもう一度きちんと領地に戻らねばという頃になってマリアンヌはローレンツと共にベレトから夕食に招かれた。その帰り道にこのような状態になっている。
家格も釣り合っているし戦争も終わった。親に言えば全てがお膳立てされた筈だ。だがきっとローレンツはそれが嫌だったのだ。名家の者同士の結婚は事業と変わらない。マリアンヌの為だけの言葉をいつどこで告げるのかくらいは二人だけのものにしたかったのだろう。
マリアンヌが黙って頷くとローレンツは左手の薬指に指輪をつけてくれた。いつの間にか陽は完全に落ちリーガンの紋章のような月と瞬く星が辺りを白く照らしている。
「私、自分にこんな未来が待っているなんて想像もしませんでした。毎日笑顔でいられるのはローレンツさんのおかげです」
「承諾してくれてありがとうマリアンヌさん。この手紙も無駄にならずに済んだ」
ローレンツが胸元から取り出した封筒を月明かりの下で確認すると宛先はマリアンヌの養父であるエドマンド辺境伯になっている。
「お気遣いありがとうございます」
「速やかに直接ご挨拶に伺うつもりでいるから待っていて欲しい」
「ところでローレンツさん、この指輪はもしかしてヒルダさんが?」
「指の寸法を知らないかと手紙で問い合わせたらこれが届いてね。貴女がたの友情の証でもあるからこれを渡すべきと思ったのだ。だが結婚指輪は二人で選びたいな」
クロードが会えない間のご機嫌取りにパルミラから宝石や研磨用の道具を寄越してくる、とヒルダが言っていた。大ぶりの金剛石は何かの牽制や誇示のつもりなのかもしれないがそれが流れ流れてマリアンヌの元へ辿り着いている。その思い切りの良さが実にヒルダらしくマリアンヌとローレンツは笑いを堪えることができなかった。
エドマンド辺境伯は養女が持参したローレンツからの手紙を受け取り中身を確認するとマリアンヌの両親を偲ぶ祭壇にそっと置き深い深いため息をつくと右手で瞼を押さえた。この手紙を受け取るべきだった二人はもうこの世にいない。
「何か嫌なことがあればすぐにこちらに戻って来なさい。いつでも歓迎する」
「その……宜しいのでしょうか?」
将来のエドマンド辺境伯としてマリアンヌは引き取られている。共同で双方の領地を統治している夫妻もいるがやはり今までのようにはいかない。
「そうだな、寂しくないと言えば嘘になる。だが円卓会議で婿殿をいびる楽しみができたから差し引きで損はしていない」
養父がローレンツを婿殿と呼んだのでこの話は本決まりなのだとマリアンヌは察した。自然と笑みが溢れだす。
「あの……!ありがとうございます!」
「仕立て屋を呼ぼう。未来の婿殿を迎えるにあたってマリアンヌも私も美しく装わねば」
一年近く自領に戻れなかったせいかローレンツがエドマンド領を訪問出来たのはデアドラで婚約指輪を受け取って貰えた日から数えて二節後だった。レスター諸侯同盟の南西部にあるグロスタール領と北東部にあるエドマンド領はかなり離れておりそもそも移動にも日数を要する。
将来の舅からデアドラでは何度もきつい物言いをされたのでローレンツはそれなりに緊張していたが二ヶ月ぶりに小間使いの手を借りて美しく装ったマリアンヌの顔を目にすれば旅の疲れも含めて消え失せた。儀礼を完璧にこなすのが得意なローレンツは今のところエドマンド辺境伯から突飛なことを言われていない。この後は食事を共にしローレンツが日帰りできない遠方から訪れているためこの屋敷に一泊して帰る。当然泊まるのは客室だ。
将来の花嫁の父は途中二年間の抜けがあるとはいえ十一年間大切に育ててきた娘を手放すのが寂しいのか気がつくと食事の手を止めてマリアンヌの顔を見つめている。正式な養女になっているがマリアンヌはエドマンド辺境伯の妹の娘、つまり姪だ。森の奥深くで人語を話す魔獣を倒した晩にマリアンヌが全くの他人ではないのだと話してくれた。二人の佇まいが似ているのは血縁者だからかもしれない。ローレンツがエドマンド領の名物である固い麺麭の上に香草のソースと魚介と野菜を何層にも重ねたサラダを褒めると二人とも満足そうに微笑んだ。
「モーリスの紋章はマリアンヌの実父やマリアンヌの本質ではないのだ」
そういうとマリアンヌの養父は一気に葡萄酒の杯を空けた。本来なら召使いがお代わりを注ぐべきだが人払いをしているので皆、手酌で呑んでいる。例外中の例外だが繊細な話題を扱うので仕方なかった。
ローレンツはマリアンヌから縁を切られるのが嫌で一度は聞くことを拒絶したモーリスの紋章に関する話もあの晩に聞いている。モーリスの紋章を宿す一族のうち社会に尽くそうとしなかった者は身を持ち崩しても誰も助けてくれなかった。"おこり"がいずれ来ると分かっていても見捨てられなかったのは献身的に社会に尽くした者たちだ。人懐こい犬だけが社会に受け入れられ愛されたように彼らは生き残りを賭けて自制心を強く持ち献身的に社会に尽くしてきた。
「狂おしいまでの生への渇望やそれを後押しする自制心や献身的な態度こそが本質だと私は考えている」
そういうとエドマンド辺境伯は自領の名物である栗の粉で作ったパスタを口に運んだ。ローレンツは生まれて初めて食べたが絡めてある胡桃から作ったソースと実によく合う。
「僕も同意見です。モーリスの紋章はマリアンヌさんが愛されない理由にはならない」
「その通りだ。ローレンツくん。だから私も妹もあいつが……マリアンヌの実父がとても好きだった。我々は領地と門地に尽くし守るために生きろと言われて育ったがそれを破ってしまうほどに」
ローレンツは自分が見ているものが信じられなかった。あのエドマンド辺境伯が人前でしかも重要な食事中に手巾で目元をぬぐっている。エドマンド辺境伯の弱さに触れたのは初めてだ。
「世間から見れば正しくない愛なのだろうがそんなことはどうでもよくなるほど私も妹もマリアンヌの実父のことが好きだった」
「そのお気持ちは……僕にもわかるつもりです。痛いほどに」
「マリアンヌは私にとって妹とあいつからの愛と信頼の証なのだ。だがモーリスの紋章にまつわる悪評は根強い。この子は見違えるほど強くなったがそれでも守ってやってほしい」
エドマンド辺境伯はマリアンヌを守るためにあのハンネマンに検査を諦めさせるほどの大金を積んだ。市井の紋章学者が押しかけたこともあったが小物だったから金を握らせておくべき学者に入らなかったのだろう。
「お養父さま……今まで本当にお世話になりました」
それまで二人の会話を妨げないために黙って食事と葡萄酒に口をつけていたマリアンヌが口を開いた。あからさまに飲みすぎている養父を心配して差し伸べた手の薬指ではヒルダが作った指輪が光っている。
「めでたいことがあったから今晩は呑みすぎたな。私は先に休ませてもらう」
既に皆の皿は空になっていたのでマリアンヌが鈴を鳴らし召使いたちに皿を片付けさせた。瞼が上がらなくなりつつある主人の姿を見て執事が肩を貸している。マリアンヌはローレンツを連れてそっとその場を離れ客間に通してくれた。到着した時に渡した旅行鞄が既に運び込まれている。
マリアンヌが後ろ手で鍵を閉めてくれたのでローレンツはずっと疑問に思っていた、本来ならば口にするべきではないことをようやく口に出来た。確かめておかねば今後、舅相手に失言する可能性もある。
「ところで……その……どうしても気になってしまうのだが」
ローレンツには三人のうちにいくつも成立する相関関係が全く分からない。辺境伯の言う正しくない愛の対象が妹なのか妹の夫なのかすら分からない。
「お養父さまに確認したことはありません。学生時代は道に外れた愛に身を捧げた親たちのことが全く理解できませんでした」
確かに学生時代のマリアンヌは死によって救われることを望んでいた。だが今は見違えるように明るくなっている。
「でもローレンツさんを好きになって少しは理解できたような気がします」
それは光栄だ、と言葉で伝えようとしたがつま先立ちになったマリアンヌの唇で口を塞がれてしまったのでそれは叶わなかった。畳む

これは昔カレー沢薫先生にオンラインサイン会で描いていただいたローレンツくんです。
今使っているデザインだと投稿にユーザーアイコンが要らないんですが気が変わった時の為にアップしておきます。
HN
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鳥だったところにこの単語で登録するために前後を飾り付けただけなので数字は読んでも読まなくてもよいです。名前なんてものはしょせん記号に過ぎないので……。
おたくがらみの傾向
好きなもの
・生理痛が重そうな二次元のイケメン
・権力構造に敏感な存在
苦手なもの
・R18において人間と実在する動物(馬とか犬とか)が絡むやつ
・推しカプが社会の機能不全の犠牲になることを美化する話
・キャラに作者がマウントを取っているように感じられる作風

#クロヒル
#ロレマリ
15.A(side:L)
ローレンツはベレトと共に中庭で茶会をしていた。竪琴の節から花冠の節にかけて咲く花は美しくグロンダーズで見た嫌な景色が上書きされていくかのようだ。野宿でも天蓋付きの寝台で寝ているように寛いで眠り野草を楽しんで食べるような強さを持つ恩師がローレンツの取り寄せた茶菓子に舌鼓を打っている。
「クロードとヒルダを二人一緒にしておくと俺の考えることが減って便利だな。お陰でローレンツと二人、こうしてのんびり過ごすことができる」
メリセウス要塞に入り込む計略を考えるクロードとヒルダは互いを補い合っていた。ただしその後、援軍として派遣されそうな帝国の将は誰なのか考えてくれと頼まれたフェルディナントとリンハルトは苦労したらしい。主にフェルディナントが。
「ご相伴にあずかれて光栄だよ。僕といえども気晴らしは必要だ」
アッシュ、メルセデス、イングリットが失ったもののことを思うと気晴らしに騎士物語や戦記物を読む気にもなれなかった。ファーガス王国は完全に崩壊している。
「気晴らしと言えばクロードが子供の頃に聞かされた御伽話が結構面白くて気晴らしになるらしい」
「らしい、とは?」
「俺は聞いたことがない。だが先日、ヒルダが感動して泣いたと言っていた」
クロードの話でそんなに心動かされるのはおそらくヒルダだけだ。二人は学生の頃から子犬のように戯れあっていたのでつまりはそういうことだろう。
「きっと僕が聞いたら苛々するだけだな」
「ローレンツにはフェルディナントの話をよく聞いてやって欲しい。きっと色々と聞いて欲しい話があるはずだ」
帝国の大貴族たちは領地と帝都の上屋敷を行き来して育つのでフェルディナントとリンハルトはアンヴァルに詳しい。メリセウス要塞攻略後のことを見据えるならば二人の話が今後大きく役に立つはずだ。
「それと間違えないで欲しいんだが……」
「何をだろうか?」
「何かを聞き出して欲しいわけではない。ただフェルディナントの話を聞いてやって欲しいんだ。絶対に必要だから」
若草色の瞳がじっとローレンツを見つめていた。ローレンツは一生、ベレトには敵わない気がする。
帝都アンヴァルを攻める拠点にするためメリセウス要塞は絶対に手に入れねばならない。可能なら設備をなるべく傷つけず備蓄してある物資も込みで、とベレトは述べた。
「これまで通りクロードから現場の裁量は全て任されているので従って欲しい」
ローレンツたちは同盟軍に攻撃されメリセウス要塞へ逃げ込もうとする帝国軍のふりをする直前、最後の打ち合わせをしている。
「こんな時にクロードがいないとは」
「あはは、確かにクロードくん一番演技がうまいもんねえ」
グロンダーズでもやっていたがクロードは敵兵を誘い出すため逃げ遅れたふりをするのが上手い。ここで大将首を取って形勢を一気に逆転したいという追い詰められた敵兵の欲望をとことん煽るのだ。ローレンツは何度見ても学生時代、ヒルダ相手に上空で軽業を披露している姿を見た時と同じく血の気が引いてしまう。
「だがクロードも今回は本気だ。フェルディナントもリンハルトも本気を出すように」
「先生、そうは言ってもやはり人選が倒錯しているような気がするのだが……」
今回フェルディナントはメリセウス要塞の中には入らない。ローレンツたちを要塞へ追い込む追手の同盟軍役をする。
「最後にもう一度言っておく。設備と物資目当ての作戦だ。雑兵に構わず司令官を目指す」
死神騎士を人質にすれば残りの兵たちは交渉の場に参加せざるを得ない。捕縛が叶わず殺害してしまった場合は代行を務める将を捕らえて再び交渉をする。敵兵を全滅させるより遥かに効率が良い。
ヒルダが考案しクロードが整えた作戦通りローレンツたちはメリセウス要塞の内部に侵入することができた。初めて入り込む老将軍はいかにも堅牢で正攻法で陥落させるには三倍どころのか五倍は兵が必要になっただろう。
「フェルディナントくんの本気、すごかったね」
「クロードの本気が同じくらい凄まじいことを願おう」
ローレンツとヒルダはお互いささやかな回復魔法を掛け合った。これからあの死神騎士と戦うのでフレンやマリアンヌの回復魔法を無駄遣いするわけにいかない。マリアンヌは申し訳なさそうにローレンツたちに小さく頭を下げた。
「ヒルダ、クロードを探して必ず一度本隊と合流するように伝えてくれ。合流と移動が最優先でその為の戦闘ならば許可するがそれ以外は許可しない」
「それならカスパルくんとは戦わずに済みそう……」
斥候の報告によるとカスパルもメリセウス要塞に来ているらしい。フェルディナントとリンハルトを要塞内部に潜入する部隊に入れていないのはベレトの温情であり同盟の諸侯たちへの気遣いだ。
「気になるだろうが無視してクロードとの合流を優先してほしい」
それくらいやらねば死神騎士を捕縛出来ないとベレトは判断している。ヒルダは珍しく緊張した面持ちでベレトの言葉に頷いた。
死神騎士を直接攻撃するベレト、リシテア、イグナーツ、ラファエルを攻撃させないためにローレンツとレオニーが増援と彼らの間に立ちはだかったが倒しても倒しても兵が減ってくれない。ローレンツは先にレオニーを輸送隊に武器を取りに行かせた。手元にはもう手槍しか残っていない。ダークスパイクΤが死神騎士を直撃し手応えを感じたリシテアが今です!と叫んだと同時に気の利くレオニーがローレンツの分も新しい槍を持ってきてくれると信じ最後の手槍を投擲した。死にかけでもなければ捕縛などできない。いつの間にか合流したクロードが死神騎士の動きを封じる為に肘を狙ったが躱されてしまう。
「くそ!外したか!魔獣の方がよっぽど当てやすい!!」
魔獣の分厚い毛皮に突き刺さるほどの強さで矢を放てる者にしか言えない台詞だ。
「殺したければ追ってこい。そろそろ刻限だ……」
「何か隠してやがるな……相手の言うとおりに動くのは癪だが、仕方ない。追うぞ!」
クロードの命令に従い皆一斉に死神騎士を追いかける。入り込む時はあれほど苦労した要塞を出ていくのは簡単だった。どうやってまた戻るのか、この後どうするのか考えねばならないことだらけだったがそんな焦りや困惑は突如、空から落ちてきた光の杭のせいで消え失せた。帝都アンヴァル攻略のため奪取しようとしていた要塞が全壊している。中に残っていた帝国軍の将兵たちがどうなったのか全く分からない。カスパルは遺体すら見つからないのかもしれない。そんな有様だというのにクロードは目の前の光景に夢中になって考え事を始めてしまった。
「ちょっと、悩んでる場合じゃないよー!また光の杭が降ってきたら死んじゃうよ!」
逃げようとしないクロードに痺れを切らしたヒルダが逃げるようにうながす。あんなものが再び降ってきたらどんな風に抗えば良いのだろうか。クロードが言う通りこんな途轍もない攻撃方法があるならなぜ今まで使われなかったのか。疑問は尽きない。その一方でローレンツもそしておそらくヒルダもメリセウス要塞を消し去った光の杭ですら消しさることが出来ない疑問をクロードに対して持ちはじめた。
「クロード、君には聞きたいことがあるが、まずは撤収を急がねばなるまい」
しかしミルディンへ退却することの方が先だった。ミルディンならば光の杭が落ちてこない、とは断言できないのだが。
命からがら逃げかえったミルディンでローレンツはクロードをかなり厳しく追及してしまった。この拒絶ぶりを予想できていたからリーガン公オズワルドはクロードの出自を徹底的に隠したのだろう。士官学校で一年を共に過ごし五年の時を経て共に戦いグロンダーズで勝利したローレンツとヒルダですらクロードに対する戸惑いと苛立ちを隠せない。
ヒルダは途中で戸惑いながらも譲歩していたがジュディッドにたしなめられたことからも分かる通りローレンツは明らかに言いすぎたのだ。入浴後、先日は屍山血河といった有様だったアミッド大河を眺めながらローレンツはため息をついた。ガルグ=マクに戻ってもここミルディンでも割り当てられた部屋がクロードの隣なのだ。いずれわだかまりなく話せる日が来ると分かっていても今日は気まずい。石造りの欄干に肘をかけたローレンツは下流を眺めている。視線の先にヒルダの故郷がありもっと先にはクロードの故郷がある。縁があったと婉曲表現を使っていたがクロードはパルミラで育ったのだ。そうでなければ諸侯たちやヒューベルトがクロードの正確な出自に辿り着けないわけがない。
「ローレンツさん」
振り向くと負傷者の治療を終えて砦に戻ってきたマリアンヌがいた。治療中、前掛けはしていたようでそこだけは怪我人の血はついていないがあとはどこもかしこも乾いた血がこびりついている。彼女が戦場で必死で重傷者の救護にあたった証拠だ。きっとこれから入浴するのだろう。小脇に荷物を抱えている。
「マリアンヌさん」
「これは私の血ではないので……」
ローレンツが心配そうに自分を頭のてっぺんから下まで眺めていることに気付いたマリアンヌが取り繕うように笑った。乾いて茶色くなった血が袖や裾にべっとりこびりついていようと彼女の笑顔は美しい。
「ローレンツさんこそ大丈夫ですか?」
「何がだろうか?幸い大した怪我を負うこともなくこうしてミルディンに戻れたが」
「クロードさんのことです」
「お恥ずかしながら僕とやつの言い争いなど珍しくもないはずだが……」
マリアンヌはそっとローレンツの隣に立ちローレンツと同じものを見た。下流にはヒルダの出身地であるゴネリル領、それにクロードの故郷パルミラがある。彼女は何を思うのだろうか。
「私にはローレンツさんがとても悲しそうに見えます」
そう語るマリアンヌの方こそ悲しそうだった。お前らは俺が嫌いに決まっている、だから世界を変えに来たんだといきなり宣言されても戸惑うだけだ。このローレンツ=ヘルマン=グロスタールを凡百どもと同じ枠に入れお前から嫌われるのが怖かったから言えなかった、と告白されても腹立たしいだけだった。
「いや全ては僕の不徳の致すところだ。驚いてあんな風に反発してしまったから結果としてクロードの主張が正しくなってしまったな」
雰囲気を変えたくて少しふざけてみたがマリアンヌがローレンツの冗談に気付いているのか無視しているのかが読み取れない。だがマリアンヌの指摘通りローレンツは悲しみを感じたのかもしれなかった。
「ガルグ=マクに戻ったらお二人のために聖典を最初から全て読み返してみます」
一千年の歴史を誇るセイロス教の聖典は正典と外典それに詩篇の三つからなる。礼拝の際に読み上げられるのは正典が殆どだ。マリアンヌはクロードの本当に反するのか、と言う発言が正しいかどうか確かめようとしている。
「膨大な量だ。マリアンヌさん一人ですることはない。僕も読もう。正典から始めるとして奇数の章はマリアンヌさんが偶数の章は僕が担当すると言うのはどうだろうか?」
全て合わせると六十六章あるので読む量は二人とも全く同じになる。マリアンヌはローレンツの提案を喜んで受け入れてくれた。
ミルディンから帝都アンヴァルまでの補給線を確保するのに散々苦労したがそれにも目処がついた。担当していたヒルダとフェルディナントが頑張ったおかげで想定していたより遥かに早く進軍が開始できる。ローレンツは二人を労うために茶会を開いていた。アンヴァルを陥落させれば長きに渡った戦乱もこれで終わりを告げるだろう。手持ちの茶葉を使い切ることに躊躇はなかった。
「だって帝国軍が態勢を整える前に進軍したいってクロードくんが言ってたから〜!」
ヒルダが先ほどからずっとクロードの話ばかりしているのでフェルディナントが眉尻を下げ声を出さずに笑っている。ローレンツも同じ気持ちだった。彼女は出来るのにやらない、とずっと言われていた。この心境の変化は実に喜ばしい。
「クロードもヒルダさんが奴の希望を叶えるために東奔西走していたことを知ればきっと喜ぶだろう」
そうだと良いんだけど、と言ってヒルダは照れ臭そうに笑っている。フォドラ最古にして最大の都市に攻め込む前の細やかな憩いのひと時だった。
ヒューベルトはクロードの倫理観を信頼しているらしい。ミルディンから帝都アンヴァルまでの街道はこちらの物資を狙った野盗は出るもののそれ以外は不自然なほどに無防備で不気味だった。
「斥候はいるんだろうが軍装を解かれると正直言ってこちらには見分けがつかん」
「でもクロードくん、この段階で今更大胆に方針を変えちゃおう、なんてことはもうお互いに出来ないでしょ?」
迎撃しやすいように先方がわざと開けた穴から侵入して罠を食い破りエーデルガルトを目指す以外に新生軍には勝ち目がない。正攻法で戦って打ち破るために必要な兵や物資を用意する間に向こうは占領したファーガスを更に搾り上げて更に軍備を増強するだろうしこちらの開戦準備の妨害もするはずだ。クロードがヒルダの言葉に頷く。
それまで散々皆で議論を尽くしていたせいかアンヴァルに最も近い宿場町で行った最後の軍議はかなり短く終わった。一度突入してしまえばエーデルガルトを倒さなければ出られないということは皆分かっていたからだ。
帝都アンヴァルはセイロス教の開祖セイロスが教えを説き始めたセイロス教にとっての聖地でもある。帝国軍の優秀な工兵たちはその聖地を躊躇せずに破壊し街中を砲台だらけにしていた。開戦前の帝都アンヴァルをよく知るフェルディナントとリンハルトは苦虫を噛み潰したような顔をしている。迎撃用の魔獣が闊歩する街中はクロードが腕を振り下ろす前から既に破壊されていた。自然に発生する魔獣と違い帝国軍が使役する特有の魔獣が何で出来ているのか新生軍の者たちは皆知っている。
「私とエーデルガルトはそりが合わなかったがそれでも私ならエーデルガルトの名でこんなことはしない」
辛そうなフェルディナントを慰める言葉をローレンツは持っていない。この後本格的な戦闘が開始されれば街は瓦礫の山と化す。
本隊を率いるベレトが死神騎士を倒しローレンツたちがヒューベルトを倒したらそこままエーデルガルトが籠城している宮城へ攻め込むことになっている。エーデルガルトはヒューベルトの信頼や忠誠に応えるため自らを新生軍を引き寄せる餌にしていた。
「早急に終わらせてしまおう。長引かせては市街地への影響が出るばかりだ」
ローレンツの言葉を聞いたフェルディナントは投石機や砲台だらけの街を迷うことなく駆けていった。魔法に弱いフェルディナントだが魔法職の者の胸元に入ってしまえばあとは腕力の問題になる。ローレンツはフェルディナントにマジックシールドをかけてやるため彼の後を追いかけた。
こちらもあちらも命懸けの大将戦は辛うじて新生軍の勝利に終わった。ドゥドゥが宮城の構造について教えてくれたおかげなのか、教えてくれたせいなのかクロードとヒルダは酷い目にあっている。鍵で施錠された空間にリシテアのワープでベレトと三人揃って放り出されエーデルガルトと直接対決する羽目になったからだ。
ベレトは平然とした顔で追いついてくれた後続部隊の者にあれやこれやと指示を出しているがクロードもヒルダもフェイルノートとフライクーゲルに縋り付かねば立っていられない。兵士たちの手前、倒れたり座り込んだりするわけにはいかないが足も腕も限界を迎えつつある。
「きょうだい、いくらなんでも無茶がすぎる……」
「死んじゃうかと思った……」
鍵を開けつつ徒歩で移動していたため玉座の間への到着が遅れたマリアンヌが安堵の涙を流しながらヒルダとクロードに回復魔法をかけていた。たまたま後続の部隊に配置されただけのイグナーツとアッシュも顔を真っ青にしている。二人ともハンターボレーが使えるのでドロテアやペトラ相手にクロードと同じことをやらされていたがエーデルガルトは格が違う。
「残敵の掃討とレアの捜索をするついでにこの宮城にある書類を全て持ち帰る。暖炉の中の燃えさしも回収してくれ」
実は皆、事がここに至るまで何故エーデルガルトが戦端を開いたのか分かっていない。確かに宣戦布告はあったが誰もあれが真の理由だと思っていなかった。マリアンヌのおかげで支えなしに立てるようになったクロードが手を叩く。
「もう一踏ん張りだ。皆、頑張ってレアさんと書類を探して欲しい。誤解を避けるため宝物には触れないように。だがこれだけ迷惑をかけられたんだ。エーデルガルトから酒くらいは奢ってもらっても良いだろう」
「あの……こういうところですので毒や呪いがかかっている可能性もありますから……」
宮廷内の権力争いのことを思えばマリアンヌの発言は至極真っ当だった。勝ったその日に毒入りの酒を飲んで死んでしまったら死んでも死にきれないだろう。
「確かすっごい大きな広間があったよね!じゃあそこに皆で持ち寄って飲んでも平気か確かめようよ!」
ヒルダの提案どおり晩餐会用の大広間に書類と酒や食糧を集めることになった。散開し本来の主が失せた巨大な宮城の中を歩いているとこれが現実なのか夢なのか分からなくなってくる。大司教であるレアと書類を探さねばならないのだがローレンツの足は地下の貯蔵庫を目指していた。酒蔵は大抵、気温が低く安定している地下にあるものだ。歴史の古いこの宮城ならばレスター諸侯同盟が出来た頃の葡萄酒も酒蔵に置いてあるかもしれない。長い廊下に敷かれた絨毯がローレンツの靴底の血を拭き取っていく。彷徨い歩いているうちにようやく二階にも地下にも繋がる階段を見つけた。欲望の赴くままに地下に降りるか名目を保つために一応、二階の部屋を漁るかローレンツが考えていると上から足音が聞こえてきた。それなら階段を上らざるを得ない。踊り場に差し掛かると慌てた様子のマリアンヌから声をかけられた。
「ローレンツさん!あの、ええと……」
「マリアンヌさん、どうしたのだ?!」
マリアンヌは治療以外では人との間に距離を保つというのに持っていた書類を床に置くと慌てて手を上に伸ばしローレンツの口を塞いだ。とにかくローレンツに声をひそめて欲しいということは充分伝わったので一旦離れて口を閉じ内緒話がしやすいように首を傾ける。律儀なマリアンヌがローレンツの耳元に口を寄せた。
「ここの二階には行かないでください!あの、その、ヒルダさんとクロードさんが二人きりでいるので……」
代々国境をパルミラから守ってきた一族の娘であるヒルダと明言はしなかったがパルミラの血を引くであろうクロードには話し合わねばならないことが山ほどある。きっと両国の口さがない者たちは受け継いだ伝統を蔑ろにして敵国の者と愛を育むのか、と二人に言いたてるだろう。そんな連中を黙らせるには二人の絆が何よりも重要になる。
「繋がっている階段はここだけだろうか?」
「隠し部屋の類がなければおそらくは……」
「では書類を置いていって貰えないだろうか。ここで僕が検分していれば誰も二階には上がれない」
集められた酒や肴の安全確認が出来るのはマリアンヌとフレンだけだ。早めに大広間に行ってもらわねば仲間達の恨みを買う。ローレンツはマリアンヌが外すのを手伝ってくれた籠手と槍を傍に置き階段に座り込んで建前や形式を守るために書類を眺めていたがそれでも興味深く夢中になってしまった。
「よ、ローレンツ先生。ガルグ=マクに戻るまで我慢できなかったのか?」
上段から声をかけてきたクロードの顔は逆光でよく見えないがひどく機嫌の良さそうな声をしている。我慢できなかったのはどちらなのだと少し腹の立ったローレンツはズボンの隠しから手巾を取り出しさっさと階段を降りて逃げようとしているクロードに渡した。彼はこの階段を無人にするために逃げようとしている。クロードが逃げればローレンツは追いかけざるを得ない。きっと後から時間差をつけてヒルダが降りてくるのだ。
「人前に出る前にこれで顔を拭け」
クロードは頬を、続けて口元を拭い自分で手巾を確かめている。自白したも同然のクロードは軽く首を横に振り舌打ちをした。
「ローレンツって他人のこと、そういう嵌め方するんだな!」
ローレンツは引ったくるようにして手巾をクロードから取り返した。五年前マリアンヌから貰った手巾に口紅の跡は残っていない。当然だろう。ヒルダに化粧直しなどする時間はなかったからだ。
「言っておくが君たちが二人きりになったことに最初に気付いたのはマリアンヌさんだからな?!」
ローレンツの言葉を聞いたクロードは呻き声をあげている。傍を通りかかってしまったマリアンヌのためにも軍規のためにもどうか二人の立てた物音が話し声だけでありますようにと願いながら書類を半分クロードに持たせた。畳む