-horreum-倉庫

雑多です。
#かのひとはうつくしく
#クロヒル
#ロレマリ
18.sequel:C&H

 ヒルダはパルミラ王国の公文書に独自の視点を持った剃刀のように鋭い王妃であった、と記されている。
「クロードくん、どうやって帰るの?」
 クロードは新生軍の中でヒルダにだけは真の身分を告げていた。ガルグ=マクから母国パルミラに帰るにはアミッド大河沿いに東へ進むか北上しデアドラ港もしくはエドマンド港から船で東に向かう二つの道がある。デアドラに戻ってしまえばクロードはナデル以外の家臣たちに囲まれて船に乗るのも一苦労だしエドマンド港に行けば辺境伯の耳に入ってしまう。
「飛竜で東かな」
 明日、大司教代理であるベレトの名において新生軍の解散とフォドラの統一それと首都がデアドラであることが宣言される。ようやく帰郷できることもあり皆、浮き足立っていた。残務処理があるのでと言ってベレトとリーガン領から連れてきた兵たちを先にデアドラへ送り出し上空警備が緩やかになったら誰にも告げずそっと単騎で出発するつもりでいる。
 その道程はこの先の孤独を象徴している気がしてならない。クロードは友人が多い人気者だが七年間も王宮に姿を現さなかったカリードを父と母以外に気にかける者はいるだろうか。
「あの子を置いていくなら私にちょうだい」
 クロードの腕の中で怠そうにしているヒルダが言うあの子、はクロードがいつも騎乗している白い飛竜のことだ。元々の気質のせいなのか白子であったせいなのかは分からないがとにかく兄弟仲が悪く除け者にされている姿を見てクロードが引き取った。クロードに懐いているがヒルダにも懐いている。
「元から頼むつもりだった」
 あの白い飛竜に乗って帰れば名乗りを上げながら東へ移動しているのと同じなので別の飛竜を見つくろう予定だった。幸い路銀には困らないので宿場町ごとに飛竜を確保することも可能だろう。
「あのねぇクロードくん、怠けるのってすっごく気を使うんだから!」
 それまでクロードに背中を預けていたヒルダは真っ白な身体の向きを変えた。褐色の喉元で輝く翠玉の首飾りを弄りながらツィリルが聞いたら本当に機嫌を悪くしそうな話をし始める。
「喜んで仕事を引き受けてもらうには日頃から好かれなきゃいけないしどれくらい仕事を押し付けられる人なのか見極めなきゃいけないし!」
 言っていることは本当にひどいが全ての仕事を自力でやるわけにいかない立場であるクロードにとって実に示唆に富んでいる発言だった。そしてこのヒルダに部屋の片付けを手伝わせるマリアンヌはやはり大物なのではなかろうか。
「真理だな」
「船がいいよ。クロードくんがいなくなったってわかったらセイロス騎士団の人たちはきっと空しか見ないだろうから」
 学友たちがいればクロードが敢えて船や馬を使う可能性に気付くだろうが共に戦った貴族の嫡子たちは連れてきた兵たちを連れて自領に戻らねばならない。新生軍結成以来一度も帰省していないラファエルはベレト、クロード、ローレンツ、それにマリアンヌから書いてもらった紹介状を手に入れ妹と祖父を安心させるため一日早く出発した。帰路の補佐を、というわけでレオニーはマリアンヌにイグナーツはローレンツに雇われているためおそらくクロードの捜索はセイロス騎士団が主体となって行うことになる。
「参考にする」
「じゃあそろそろ自分の部屋に戻って。クロードくん明日は大変なんだからもう眠らないと」
 こんな風に同じ寝台で夜を過ごせる日が次にいつ来るのかクロードにもヒルダにも全く分からない。これまでずっとヒルダは修道院ではちょっと、と言っていたのに今晩に限ってお許しが出たのはそういうことだろう。クロードは白い肌の手触りや汗と香水の混ざった匂いをヒルダの部屋でもう少し楽しみたかったのだがどうやらヒルダはお開きにしたいらしい。
「こう言う時って普通、離れたくないから私も一緒に行く、とか無駄だって分かってるけど行かないで、と言うもんじゃないのか?」
 クロードがそう言って茶化すとヒルダは褐色の手を臍の下辺りに導いた。褐色の指を吸い付くような白い肌の上で遊ばせようとしたが強く掴まれる。
「私にはいつか命を賭ける日が来るの」
 フォドラでもパルミラでも貴族の娘が子を望まれるのは変わらないし出産が命懸けであることも同じだ。だがその前の段階でクロードがしくじって王宮内での政争に負ければクロードもヒルダも毎日命を狙われながら暮らすことになる。ヒルダはクロードの子を宿す日のことを真剣に話していた。妊娠出産以外で危険な目に遭わずに済むよう地均しをしておけ、と言っている。
 本気を出したヒルダはすごいのだ。こんなに精神的な興奮を掻き立てられる「部屋から出ていけ」の言い方が世の中に存在するとクロードは知らなかった。頭や体に溜まった熱を逃すために大きく息を吐く。
「何の憂いもないように整えておくよ。そうだ、こいつも預かってもらえないか?」
 クロードは首飾りを外してヒルダにつけてやった。しかし鎖が長く翠玉は小柄な彼女の豊かな胸の谷間に挟まれている。見張り役にはちょうど良いのかもしれなかった。母から餞別としてフォドラ風の女物の指輪を持たされているが人によって指の太さは違うしパルミラ育ちのクロードに指輪はどうにも馴染まない。
「あのね、クロードくん。こう言う時って普通、指輪を渡すもんじゃないの?」
「パルミラだと交換するのは首飾りなんだよ」
 ヒルダが桃色の瞳を見開いた。クロードが首飾りを服の下に着けていた理由がわかったからだろう。フォドラで言うならば結婚していないのに薬指に指輪を嵌めているようなものなので本当に居た堪れない気持ちになるのだ。特にツィリルに見つかって気まずい雰囲気になることを絶対に避けたかったので襯衣の内側に隠していた。このように両国では文化の違いがある。砦でヒルダから首飾りを着け直して貰った時は黙っていたが明るい未来を先取りできたような気がしてクロードはとても嬉しかったのだ。
「じゃあ次会える日までに私もクロードくんの分を用意しなきゃ。鎖の長さは少し短めにするからね」
 ヒルダの趣味は宝飾品作りだからきっとクロードに似合うような首飾りを作ってくれるだろう。会えない間、彼女が喜びそうなものをたまに贈ってそれに手紙を添えるのも楽しいかもしれない。

 王宮は上空も含めて手練れの衛兵に守られ何者の侵入も許さない。安全が確保されているからか王子は開放的な気分が味わえる屋外で昼食を取るのが好きだ。召使いたちは昼になると中庭にいつも絨毯を敷きそこに大きな銀の盆を置いてその上に飲み物や食べ物を用意している。
 王子は庭の出来になど目もくれなかったが数ヶ月前のある時、庭師に庭を花でいっぱいにしろと命じ、いつなら花が満開になるのかと問うた。庭師が恐る恐る六月には、と答えると王子は庭師に聞き取れない言葉で何事かをつぶやいた。王子の瞳はパルミラでは珍しい緑色だ。パルミラでは人を食い殺す化け物の瞳が緑色だと言われており七年も失踪していた彼には数々の怪しい噂がある。恐ろしい王子の機嫌を損ねてしまったかと思い庭師が怯えていると彼は懐から取り出した金貨を渡した。
 六月は王都が最も美しい月と言われる。花が咲き乱れ雨は滅多に降らず真夏ほど太陽の光は眩しくない。太陽の下でも月明かりの下でも快適に過ごせるのだ。そんな雲一つない真っ青な空で真っ白な飛竜が一頭、気持ちよさそうに飛んでいる。王宮の周りを旋回し何かを探しているようだ。しかし衛兵たちが弓砲台で狙おうとしないのでどうやら許可は取っているらしい。
 飛竜に気づいた王子は用意された昼食には目もくれず色とりどりの花で溢れかえる中庭の真ん中に立ち親指と人差し指を口に咥えると指笛を鳴らした。その音を聞きつけた真っ白な飛竜が王子を目掛けて一直線に降下し始める。騎手は飛竜が急に自分の言うことを聞かなくなったので一瞬焦ったようだが何が起きたのかを悟り手綱から手を離した。旅装から察するにパルミラの者ではない。騎手が外套の頭巾を外すと桃色の髪が風に煽られた。真っ白な顔は遠目に見ても喜びに染まり髪と同じ桃色の瞳が潤んでいるのか先ほどから手袋をしたまま目元を拭っている。見た目からしてどうやらフォドラの者のようだ。
 王子は先ほどから周りにかしずく召使いたちが分かる言葉を一言も発していない。だが召使いたちにも王子がずっと口にしているヒルダ、というのが騎手の名前であることが分かった。王子が大きく手を広げ彼女が着地するのを待っている姿を見れば立太子の礼を経たというのに喉元に首飾りを巻こうとしない理由も分かろうというものだ。
 飛竜は降下している最中でまだ王宮の二階にある露台くらいの高さだというのにヒルダは鎧から足を外し始めている。右足から外し鞍に手をついて左向きの横座りになると彼女は手を広げて待っている王子目掛けて飛び降りた。
 彼女は小柄だが勢いがついているので流石に王子も支えきれず二人は絨毯の上に転がってしまった。はしゃぐ二人の間に飛竜が白い鼻先をつっこむとそれがくすぐったいのか二人揃って笑っている。
「クロードくん本当に久しぶりだね、元気だった?」
「まあな。来てくれて嬉しいよ。こいつの面倒も見てくれてありがとな」
「置いていかれた者同士すっごく仲良くなったんだから!」
 召使いたちは言葉を理解できないというのにそれが分かっていないのかヒルダは王子の耳元に口を寄せた。
「それでパルミラ語が全くわからないふりは何ヶ月くらいすれば良いの?」
 通常であれば立太子の礼を経た王子が結婚すれば国を挙げての祝事となり王太子妃はそこで披露される。だが王太子妃が当時はまだ和平条約も締結していないフォドラ出身であったためお披露目はカリード王子の即位と同時となった。それまでも王太子夫妻のご学友とやらは非公式に度々フォドラからパルミラを訪れていたが皆とにかく変わり者揃いであった、と文書官の個人的な備忘録に記されている。パルミラとフォドラの国交は個人同士の強い結びつきがきっかけとなって樹立されたがその詳細な経過はエドマンド辺境伯となったグロスタール伯夫人の手記にも残されている。

 "小鳥が西風に乗って飛んでいった。辿り着いた東の地でどう羽ばたいたのかは皆も知る通りなのでここには記さない。ただ細やかながらフォドラ=パルミラ和平条約に携わった者として、あの二人の学友として、知っていることをきちんと書き残し時の流れに抗っておきたい。意志を持って残しておかねば全てが時の流れに覆い隠されてしまうことを私は身を持って知っている。ヒルダ=ヴァレンティン=ゴネリルは和平の証として異国の王に嫁いだのではない。学友クロード=フォン=リーガンの元に嫁いだのだ。二人は元から愛し合う恋人同士であったし何よりも気があう親友同士であったのだ"畳む
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19.sequel:L&M

 紋章を持つ貴族同士の婚姻は動物の品種改良と似ている。好ましい形質が確実に顕になるよう交配していくからだ。逆に好ましくない形質を持つものは間引かれる。マリアンヌの実父は"おこり"を恐れていた。モーリスの紋章を持つ子供はそれはそれは美しく生まれてくるのだという。両親は美しい乳児を愛さずにはいられない。子供は自分の一族にかかった呪いを知らずに育つが子供の成長と時を同じくして呪いはゆっくりと親を侵蝕していく。
 "おこり"いや"興り"が訪れると最初はぼんやりする時間が増える。言動に異常をきたしてしまえばもう死ぬまで止まらない。人格が崩れ獣性が剥き出しになっていく。獣性が剥き出しになれば社会的に破綻し最後はヒトの形を保てなくなる。ヒトのまま尊厳を保ち周囲から愛されて生涯を終えたいなら早く死ぬしかない。モーリスの紋章を持つ一族は前線で全く武器を持たず治療に専念する修道士や都市の消火隊など危険な仕事に従事するようになった。その結果かつて社会から根絶やしにされかけた一族は信頼を回復し地方で領主を務めるまでになった。それでもモーリスの紋章を持つ一族の生存戦略は変わらない。
 聡い子供だったマリアンヌは父方の一族が他者からの愛や情けを人質に生き延び子をなしているのだと気づいた時、女神に独身のまま死なせて欲しいと祈った。しかしその祈りは聞き入れられず父は"おこり"を迎え母は実家の力を使ってでも生き延びるよう娘に伝え父と共に姿を消している。その全てを悟った上でマリアンヌを引き取ったエドマンド辺境伯は多忙な身でありながら死に取り憑かれた養女から目を離さなかった。

 彼は周り中からやり手だと恐れられていたがマリアンヌの両親について語ると感情が処理しきれず泣いてしまうことが多い。それを本人も自覚しているのか近頃は召使いや家臣たちに見られぬよう出先で話すようになった。血が繋がっているせいかマリアンヌもエドマンド辺境伯も馬が大好きで今日も子馬が生まれたという馬場まで二人で赴いている。そして不思議なことに普通なら子馬を守るために気が立っている時期の母馬に近寄っても二人とも嫌がられることがない。血統管理を徹底して行った周囲の期待通り見事な子馬を産んだ母馬は牧場で誇らしげにしている。
「お養父さま、私の計算があっていればこの子は芦毛です」
 芦毛は馬の毛色の中で最も興味深いかもしれない。成長や老化に伴って色味が変わっていくからだ。そして芦毛同士で掛け合わせても子馬が芦毛になるとは限らない。
「そうか、マリアンヌがいうならきっとそうなのだろう。お前の結婚相手も馬が好きだといいな」
「私は結婚しません……お養父さまも結婚していないではありませんか」
 エドマンド辺境伯は周囲から結婚を勧められても自分に正直であるためだ、と嘯きずっと独身を貫いていた。だからといって女遊びが激しいという訳でもない。マリアンヌを引き取ったことは次善の策として周囲から歓迎されたがマリアンヌ本人は自分と実父がエドマンド家に入り込んだ異物だと認識している。
「お養父さま、私のことが邪魔になったらいつでも養子縁組を解消してください」
 マリアンヌはエドマンド辺境伯の血が繋がった姪だが養父が結婚し子を成したら絶対に実子を優先して欲しいと思っている。だが結婚せずとも満たされているから、と言って頑なに妻を娶ろうとしない。
「私は自分の愛が報われた証をそんな風に手放しても平然と生きていられるほど強い男ではないよ」
 死に瀕して子供を託されるほどの愛や信頼を手に入れた証がマリアンヌなのだ、とエドマンド辺境伯は繰り返す。だがそこには大きな謎があった。
「では何故私を士官学校へやるのですか?」
「ああ!マリアンヌ見てご覧!もう歯が生えている!」
 エドマンド辺境伯は鼻を擦り寄せてきた子馬の咥内が一瞬見えたのが嬉しかったのか養女であるマリアンヌの声を遮ってしまった。だが同じ動物好きとしてマリアンヌにもその気持ちは分かる。
「まあ!なんて可愛らしいんでしょうか!」
「だがどうやらまだ前歯だけだ」
 生まれたばかりの子馬は臼歯がないのでまだ飼い葉が食べられず母乳頼りだ。馬は歯が生え揃っても臼歯と前歯の間に大きな隙間がある。セイロス教ではこの馬銜を噛ませるのにおあつらえ向きのこの隙間こそが女神がヒトに馬を与えた証だと言われている。馬銜がなければヒトは馬を使役することができない。豚や鶏のように食糧として繁殖させるだけにとどまっただろう。モーリスの紋章は隙間なく歯が生えた馬のようだ。モーリスの紋章を持っている者は馬銜と手綱で操ることが出来ない馬に乗せられて死ぬまで下馬することが叶わない。エドマンド辺境伯は母馬の真似をして水桶に顔を突っ込んでいる子馬を眺めながら話を戻した。
「先ほどの話だが……ガルグ=マクで友人を作ってほしいからだ。運が良ければ私のように愛と信頼を手に入れられるかもしれない」
 愛も信頼もマリアンヌには縁遠く感じられた。あまり乗り気にはなれなかったが逆らう気力もない。新生活の支度に熱心なのはエドマンド辺境伯だけで身の回りの品をああでもないこうでもないと忙しいだろうに選んでいてなんだか現実感がなかった。

 そして今も現実感がない。薄明の中でローレンツがマリアンヌの前で膝をついている。場所は現在ではベレトが住み着いている旧リーガン邸の四阿屋だ。空の色は刻々と変わり太陽の赤と空の青を混ぜたような紫色になっている。晴れの日のデアドラは陽が落ちるたびに数分間、色を塗り替えられるのだ。
「マリアンヌさん、僕と生涯を共に過ごしてほしい。僕はいかなる時も貴女の支えになる」
 戦後、雲隠れしたクロードの代わりにマリアンヌもローレンツも水の都と名高いデアドラに呼び出され戦後処理の手伝いをしていた。二人とも一度は自領の復興のため地元に戻ったがベレトに呼び出された後はデアドラの上屋敷に来てもらっているだけで領地には戻れていない。季節が一巡し流石にもう一度きちんと領地に戻らねばという頃になってマリアンヌはローレンツと共にベレトから夕食に招かれた。その帰り道にこのような状態になっている。
 家格も釣り合っているし戦争も終わった。親に言えば全てがお膳立てされた筈だ。だがきっとローレンツはそれが嫌だったのだ。名家の者同士の結婚は事業と変わらない。マリアンヌの為だけの言葉をいつどこで告げるのかくらいは二人だけのものにしたかったのだろう。
 マリアンヌが黙って頷くとローレンツは左手の薬指に指輪をつけてくれた。いつの間にか陽は完全に落ちリーガンの紋章のような月と瞬く星が辺りを白く照らしている。

「私、自分にこんな未来が待っているなんて想像もしませんでした。毎日笑顔でいられるのはローレンツさんのおかげです」
「承諾してくれてありがとうマリアンヌさん。この手紙も無駄にならずに済んだ」

 ローレンツが胸元から取り出した封筒を月明かりの下で確認すると宛先はマリアンヌの養父であるエドマンド辺境伯になっている。
「お気遣いありがとうございます」
「速やかに直接ご挨拶に伺うつもりでいるから待っていて欲しい」
「ところでローレンツさん、この指輪はもしかしてヒルダさんが?」
「指の寸法を知らないかと手紙で問い合わせたらこれが届いてね。貴女がたの友情の証でもあるからこれを渡すべきと思ったのだ。だが結婚指輪は二人で選びたいな」
 クロードが会えない間のご機嫌取りにパルミラから宝石や研磨用の道具を寄越してくる、とヒルダが言っていた。大ぶりの金剛石は何かの牽制や誇示のつもりなのかもしれないがそれが流れ流れてマリアンヌの元へ辿り着いている。その思い切りの良さが実にヒルダらしくマリアンヌとローレンツは笑いを堪えることができなかった。

 エドマンド辺境伯は養女が持参したローレンツからの手紙を受け取り中身を確認するとマリアンヌの両親を偲ぶ祭壇にそっと置き深い深いため息をつくと右手で瞼を押さえた。この手紙を受け取るべきだった二人はもうこの世にいない。
「何か嫌なことがあればすぐにこちらに戻って来なさい。いつでも歓迎する」
「その……宜しいのでしょうか?」
 将来のエドマンド辺境伯としてマリアンヌは引き取られている。共同で双方の領地を統治している夫妻もいるがやはり今までのようにはいかない。
「そうだな、寂しくないと言えば嘘になる。だが円卓会議で婿殿をいびる楽しみができたから差し引きで損はしていない」
 養父がローレンツを婿殿と呼んだのでこの話は本決まりなのだとマリアンヌは察した。自然と笑みが溢れだす。
「あの……!ありがとうございます!」
「仕立て屋を呼ぼう。未来の婿殿を迎えるにあたってマリアンヌも私も美しく装わねば」
 一年近く自領に戻れなかったせいかローレンツがエドマンド領を訪問出来たのはデアドラで婚約指輪を受け取って貰えた日から数えて二節後だった。レスター諸侯同盟の南西部にあるグロスタール領と北東部にあるエドマンド領はかなり離れておりそもそも移動にも日数を要する。
 将来の舅からデアドラでは何度もきつい物言いをされたのでローレンツはそれなりに緊張していたが二ヶ月ぶりに小間使いの手を借りて美しく装ったマリアンヌの顔を目にすれば旅の疲れも含めて消え失せた。儀礼を完璧にこなすのが得意なローレンツは今のところエドマンド辺境伯から突飛なことを言われていない。この後は食事を共にしローレンツが日帰りできない遠方から訪れているためこの屋敷に一泊して帰る。当然泊まるのは客室だ。
 将来の花嫁の父は途中二年間の抜けがあるとはいえ十一年間大切に育ててきた娘を手放すのが寂しいのか気がつくと食事の手を止めてマリアンヌの顔を見つめている。正式な養女になっているがマリアンヌはエドマンド辺境伯の妹の娘、つまり姪だ。森の奥深くで人語を話す魔獣を倒した晩にマリアンヌが全くの他人ではないのだと話してくれた。二人の佇まいが似ているのは血縁者だからかもしれない。ローレンツがエドマンド領の名物である固い麺麭の上に香草のソースと魚介と野菜を何層にも重ねたサラダを褒めると二人とも満足そうに微笑んだ。
「モーリスの紋章はマリアンヌの実父やマリアンヌの本質ではないのだ」
 そういうとマリアンヌの養父は一気に葡萄酒の杯を空けた。本来なら召使いがお代わりを注ぐべきだが人払いをしているので皆、手酌で呑んでいる。例外中の例外だが繊細な話題を扱うので仕方なかった。
 ローレンツはマリアンヌから縁を切られるのが嫌で一度は聞くことを拒絶したモーリスの紋章に関する話もあの晩に聞いている。モーリスの紋章を宿す一族のうち社会に尽くそうとしなかった者は身を持ち崩しても誰も助けてくれなかった。"おこり"がいずれ来ると分かっていても見捨てられなかったのは献身的に社会に尽くした者たちだ。人懐こい犬だけが社会に受け入れられ愛されたように彼らは生き残りを賭けて自制心を強く持ち献身的に社会に尽くしてきた。
「狂おしいまでの生への渇望やそれを後押しする自制心や献身的な態度こそが本質だと私は考えている」
 そういうとエドマンド辺境伯は自領の名物である栗の粉で作ったパスタを口に運んだ。ローレンツは生まれて初めて食べたが絡めてある胡桃から作ったソースと実によく合う。
「僕も同意見です。モーリスの紋章はマリアンヌさんが愛されない理由にはならない」
「その通りだ。ローレンツくん。だから私も妹もあいつが……マリアンヌの実父がとても好きだった。我々は領地と門地に尽くし守るために生きろと言われて育ったがそれを破ってしまうほどに」
 ローレンツは自分が見ているものが信じられなかった。あのエドマンド辺境伯が人前でしかも重要な食事中に手巾で目元をぬぐっている。エドマンド辺境伯の弱さに触れたのは初めてだ。
「世間から見れば正しくない愛なのだろうがそんなことはどうでもよくなるほど私も妹もマリアンヌの実父のことが好きだった」
「そのお気持ちは……僕にもわかるつもりです。痛いほどに」
「マリアンヌは私にとって妹とあいつからの愛と信頼の証なのだ。だがモーリスの紋章にまつわる悪評は根強い。この子は見違えるほど強くなったがそれでも守ってやってほしい」
 エドマンド辺境伯はマリアンヌを守るためにあのハンネマンに検査を諦めさせるほどの大金を積んだ。市井の紋章学者が押しかけたこともあったが小物だったから金を握らせておくべき学者に入らなかったのだろう。
「お養父さま……今まで本当にお世話になりました」
 それまで二人の会話を妨げないために黙って食事と葡萄酒に口をつけていたマリアンヌが口を開いた。あからさまに飲みすぎている養父を心配して差し伸べた手の薬指ではヒルダが作った指輪が光っている。
「めでたいことがあったから今晩は呑みすぎたな。私は先に休ませてもらう」
 既に皆の皿は空になっていたのでマリアンヌが鈴を鳴らし召使いたちに皿を片付けさせた。瞼が上がらなくなりつつある主人の姿を見て執事が肩を貸している。マリアンヌはローレンツを連れてそっとその場を離れ客間に通してくれた。到着した時に渡した旅行鞄が既に運び込まれている。
 マリアンヌが後ろ手で鍵を閉めてくれたのでローレンツはずっと疑問に思っていた、本来ならば口にするべきではないことをようやく口に出来た。確かめておかねば今後、舅相手に失言する可能性もある。
「ところで……その……どうしても気になってしまうのだが」
 ローレンツには三人のうちにいくつも成立する相関関係が全く分からない。辺境伯の言う正しくない愛の対象が妹なのか妹の夫なのかすら分からない。
「お養父さまに確認したことはありません。学生時代は道に外れた愛に身を捧げた親たちのことが全く理解できませんでした」
 確かに学生時代のマリアンヌは死によって救われることを望んでいた。だが今は見違えるように明るくなっている。
「でもローレンツさんを好きになって少しは理解できたような気がします」
 それは光栄だ、と言葉で伝えようとしたがつま先立ちになったマリアンヌの唇で口を塞がれてしまったのでそれは叶わなかった。畳む
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これは昔カレー沢薫先生にオンラインサイン会で描いていただいたローレンツくんです。
今使っているデザインだと投稿にユーザーアイコンが要らないんですが気が変わった時の為にアップしておきます。
HN
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鳥だったところにこの単語で登録するために前後を飾り付けただけなので数字は読んでも読まなくてもよいです。名前なんてものはしょせん記号に過ぎないので……。

おたくがらみの傾向
好きなもの
・生理痛が重そうな二次元のイケメン
・権力構造に敏感な存在

苦手なもの
・R18において人間と実在する動物(馬とか犬とか)が絡むやつ
・推しカプが社会の機能不全の犠牲になることを美化する話
・キャラに作者がマウントを取っているように感じられる作風
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canvaで適当に作ったこのサイトのバナーです。
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同じくcanvaで適当に作ったこのサイトのヘッダーです。

本当に倉庫や物置でしかないのでこのサイトの名前はhorreumです。
万が一リンクを貼りたいという場合は
https://horreum.sub.jp/teg/tegalog.cgi?
に貼ってください。
バナーは持ち帰りでお願いします。
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#[れいほし3]
黎明の星の下にて3開催おめでとうございます!
ポイピクやくるっぷが重かった時に備えて個人サイトにも展示物を置いています。
てがろぐの仕様でハッシュタグに数字が入っていると分離されてしまうのでTwitterのタグと違って[]で囲んだ独自タグを使っています。

「雷雨」
翠風ルートのクロヒル+ロレマリ小説です。
戦後、クロードとヒルダが暮らす宮殿に金鹿の皆で遊びに行く話です。

通販の一覧です

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翠風ルートのクロヒル+ロレマリ小説です。支援Cから結婚するところまでの長編です。
本文はこちらのハッシュタグから
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本文はこちらのハッシュタグから
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真昼の月と花冠-通販
無双青ルートのクロヒル+ロレマリ小説です。
本文はこちらのハッシュタグから
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