「さかしま」34.#クロロレ #R18 #さかしま #完売本 #オメガバース 18↑?→y/n
12/1DozenRose 東5ホール
に44bプチマル
かつて完売した本の加筆修正再録本セットがあります。サークルカットの時点では350ページ前後×4 と書いていましたが現実はこのザマですよ!!


翠風まとめ
その他まとめ
収録作品についてはこちらをご覧ください。
https://horreum.sub.jp/teg/?postid=87畳む
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「有情たちの夜」1.檻の中 紅花ルート フェヒュ前提#クロロレ #有情たちの夜 #ヒューベルト
黒い仮面を付けた部下二人が扉の両脇に立っている。ヒューベルトが片手を挙げると左側に立っている部下が恭しく扉を開けた。彼らが帝都アンヴァルに生還できるかどうかはまだ誰にもわからない。だが、とりあえずデアドラでは生き延びた。
物理的に距離を作るために置かれた机の反対側には背もたれ付きの椅子がある。この背もたれは着席するものが快適に過ごすために存在するわけではない。縛りつけるための物だ。そしてそこにはクロード=フォン=リーガンが座って───いや、座らされている。腰を椅子の背もたれに、足首を椅子の脚に縛り付けられても尚、余裕ある態度を崩さない。
「これなら最後の祈りも滞りなく捧げられそうだ。身包みも剥がされなかったし案外、慈悲深いんだな」
緑色の瞳にはまだ強い意志の光が宿っている。時間の感覚を奪うため窓を潰したこの部屋をぼんやりと照らす洋燈よりも輝いていた。デアドラでの戦闘が終わり、戦闘不能となったヒルダと彼はベレスの意志で助命されている。彼の出自とゴネリル家が担ってきた役割を考えれば冷静な判断なのかもしれない。
だがヒューベルトはベレスの為人を多少は知っている。きっと彼女は反射的に、その場で最も危険に晒されている存在の命を助けてしまうのだろう。聖墓で大司教レアの命令に刃向かった時もそうだった。
容赦はしない───そう決めていたせいか柄にもなく、あの時のベレスの振る舞いに感動してしまった己への罰として、ヒューベルトは誓いを立てた。彼女のわがままを、それがどんな物であれ二つは無条件で受け入れる。エーデルガルトは案外君に甘いな、というフェルディナントの指摘は正しい。
「高度な政治的判断です」
ヒューベルトの主君エーデルガルトが何よりも求めるのは確実さだ。だから中央教会とも完全に袂を分かっている。アドラステア帝国の皇帝にとってクロードがこの先、反帝国派の旗印にならないという状態であることが重要なのだ。彼の生死を問うてはいない。殺してしまった方が確実ですらある。
「手を合わせて感謝すべきか迷うところだ」
クロードはおどけて顔の前で手を組んだ。その手首には鎖が巻かれている。気を失った彼の身体を検めた後に鎖を巻いたのはヒューベルトだ。彼の言葉が真実なら誰にも───闇に蠢くものたちにも知られるわけにはいかない。
後ろ手に縛られていないことがどうにもクロードには不思議だった。親指に鎖を絡ませてあるものの手首から先が鬱血しないような配慮を感じる。
「貴殿にいくつか確認したいことがあります」
クロードは幼かった頃、父の子でなかったらという妄想をしていた。受け継ぐのではなく己で国を興す、自分ならあんな国にはしない───だが今回ばかりは父から受け継いだ王の血に感謝するしかなかった。パルミラの王家には変わった風習がある。王族の男子が国外で殺害されたら必ず復讐をするのだ。砦ひとつ滅ぼすだけで済ませる場合もあるが国丸ごと滅ぼした例もある。どうやらアドラステア帝国はゴネリル家を捨て石とするつもりがないようだった。
「知らない方が良い話もあるぜ?」
「その線引きをするのは貴殿ではありません」
ヒューベルトは煩わしげに目を細めている。彼は学生時代と比べて随分と雰囲気が変わった。敗者が勝者を慮るのはおかしな話だが、あの時期は思い詰めていたのだろう。周りの目を欺く暮らしはクロードの身にも覚えがある。
「貴殿がガルグ=マクで見聞きしたもの全てについて話を伺いたい」
「アビスについてはコンスタンツェにでも聞けよ」
ロナート卿やアルファルドの顛末を思うとクロードはエーデルガルトたちの気持ちが分からなくもない。逆の立場なら彼女を殺したくはなかったはずだ。
「何が重要かを確定するのは私であって貴殿ではありません」
黒衣の男はクロードに五年前の春から大修道院が襲撃されたあの日までを詳らかにせよ、と言っている。デアドラは陥落し、王国にとって地獄の釜の蓋は開いた。この勢いを借りて北部へ攻め込みたいが、クロードから得られる情報は全て得ておきたい。ヒューベルトがそう考えているならこの尋問はかなりの長丁場になるだろう。
「今晩は長い夜になりそうだ」
クロードは鎌をかけてみたが今が朝なのか夜なのかヒューベルトの佇まいから読み取ることはできなかった。畳む
黒い仮面を付けた部下二人が扉の両脇に立っている。ヒューベルトが片手を挙げると左側に立っている部下が恭しく扉を開けた。彼らが帝都アンヴァルに生還できるかどうかはまだ誰にもわからない。だが、とりあえずデアドラでは生き延びた。
物理的に距離を作るために置かれた机の反対側には背もたれ付きの椅子がある。この背もたれは着席するものが快適に過ごすために存在するわけではない。縛りつけるための物だ。そしてそこにはクロード=フォン=リーガンが座って───いや、座らされている。腰を椅子の背もたれに、足首を椅子の脚に縛り付けられても尚、余裕ある態度を崩さない。
「これなら最後の祈りも滞りなく捧げられそうだ。身包みも剥がされなかったし案外、慈悲深いんだな」
緑色の瞳にはまだ強い意志の光が宿っている。時間の感覚を奪うため窓を潰したこの部屋をぼんやりと照らす洋燈よりも輝いていた。デアドラでの戦闘が終わり、戦闘不能となったヒルダと彼はベレスの意志で助命されている。彼の出自とゴネリル家が担ってきた役割を考えれば冷静な判断なのかもしれない。
だがヒューベルトはベレスの為人を多少は知っている。きっと彼女は反射的に、その場で最も危険に晒されている存在の命を助けてしまうのだろう。聖墓で大司教レアの命令に刃向かった時もそうだった。
容赦はしない───そう決めていたせいか柄にもなく、あの時のベレスの振る舞いに感動してしまった己への罰として、ヒューベルトは誓いを立てた。彼女のわがままを、それがどんな物であれ二つは無条件で受け入れる。エーデルガルトは案外君に甘いな、というフェルディナントの指摘は正しい。
「高度な政治的判断です」
ヒューベルトの主君エーデルガルトが何よりも求めるのは確実さだ。だから中央教会とも完全に袂を分かっている。アドラステア帝国の皇帝にとってクロードがこの先、反帝国派の旗印にならないという状態であることが重要なのだ。彼の生死を問うてはいない。殺してしまった方が確実ですらある。
「手を合わせて感謝すべきか迷うところだ」
クロードはおどけて顔の前で手を組んだ。その手首には鎖が巻かれている。気を失った彼の身体を検めた後に鎖を巻いたのはヒューベルトだ。彼の言葉が真実なら誰にも───闇に蠢くものたちにも知られるわけにはいかない。
後ろ手に縛られていないことがどうにもクロードには不思議だった。親指に鎖を絡ませてあるものの手首から先が鬱血しないような配慮を感じる。
「貴殿にいくつか確認したいことがあります」
クロードは幼かった頃、父の子でなかったらという妄想をしていた。受け継ぐのではなく己で国を興す、自分ならあんな国にはしない───だが今回ばかりは父から受け継いだ王の血に感謝するしかなかった。パルミラの王家には変わった風習がある。王族の男子が国外で殺害されたら必ず復讐をするのだ。砦ひとつ滅ぼすだけで済ませる場合もあるが国丸ごと滅ぼした例もある。どうやらアドラステア帝国はゴネリル家を捨て石とするつもりがないようだった。
「知らない方が良い話もあるぜ?」
「その線引きをするのは貴殿ではありません」
ヒューベルトは煩わしげに目を細めている。彼は学生時代と比べて随分と雰囲気が変わった。敗者が勝者を慮るのはおかしな話だが、あの時期は思い詰めていたのだろう。周りの目を欺く暮らしはクロードの身にも覚えがある。
「貴殿がガルグ=マクで見聞きしたもの全てについて話を伺いたい」
「アビスについてはコンスタンツェにでも聞けよ」
ロナート卿やアルファルドの顛末を思うとクロードはエーデルガルトたちの気持ちが分からなくもない。逆の立場なら彼女を殺したくはなかったはずだ。
「何が重要かを確定するのは私であって貴殿ではありません」
黒衣の男はクロードに五年前の春から大修道院が襲撃されたあの日までを詳らかにせよ、と言っている。デアドラは陥落し、王国にとって地獄の釜の蓋は開いた。この勢いを借りて北部へ攻め込みたいが、クロードから得られる情報は全て得ておきたい。ヒューベルトがそう考えているならこの尋問はかなりの長丁場になるだろう。
「今晩は長い夜になりそうだ」
クロードは鎌をかけてみたが今が朝なのか夜なのかヒューベルトの佇まいから読み取ることはできなかった。畳む
「有情たちの夜」2.箱の中 紅花ルート フェヒュ前提 #クロロレ #有情たちの夜 #ヒューベルト
もしフォドラにクロード=フォン=リーガンが現れなかったらレスター諸侯同盟はどうなっていただろうか。オズワルド公亡き後はエルヴィン=フリッツ=グロスタール伯が盟主の座に就いたはずだ。親帝国派の彼をどのように遇するか、で意見が割れたかもしれない。闇に蠢くものたちが彼に成り代わった可能性もあった。
その場合、彼の嫡子ローレンツはヒューベルトたちと同じ地獄を見ただろう。彼はクロードのもたらした混沌に救われている。そんなローレンツは───クロードを見極めねばならない─── そう言ってベレスの勧誘に対し、首を頑として振らなかった。不規則な彼女の意志は混沌を呼び、世界は撹拌され不規則な救いをもたらす。
目の前で口角を上げている緑の瞳の男が、金継ぎしやすい形で皿を割れたのはグロスタール家の協力があってこそだが、その協力も或いは───という気持ちになる。腹立たしいのが帝国の国庫を当てにしてデアドラの軍港を派手に壊したことだ。これから直接、王国と戦うには海上における補給路を確保せねばならない。黒鷲遊撃軍の中では比較的港湾経営に明るいフェルディナントにこの件を任せる必要があった。
「貴殿が士官学校に入学したのは何故でしょうか」
パルミラ王家での彼の立場について問うても無意味だ。ベレスが彼の命を救ってしまった以上、アドラステア帝国としてはパルミラを親帝国の国家に作り変えるため、今後はクロード───いや、ヒューベルトの目の前にいる名無しの殿下を後押しする他ない。
「祖父さんの狙いは人脈作りだが俺の狙いは謎解きさ。目当ては英雄の遺産だったがいざ中で暮らしてみると不自然過ぎてな」
ヒューベルトは主君であるエーデルガルトと共に天帝の剣を入手し、中央教会とセイロス騎士団の内情を知るため士官学校の生徒となった。自分たちの学生生活の犠牲となったモニカへの罪悪感はいまだに消えない。だが正直言って、ガルグ=マクで過ごした日々は案外楽しかったのだ。
黒衣の男には迷いがない。好奇心に負けるかと思ったが当ての外れたクロードは五年前、初めてガルグ=マクに足を踏み入れた時のことを思い出していた。隣室はローレンツで、彼の気直さに度肝を抜かれたことをまだ覚えている。
現在、クロードが捕えられているのはデアドラ近郊の砦だろう。砦を守るのは人だ、とローレンツから指摘されていたのにデアドラへ兵力を集中させるため放棄させてしまった。後日再会する機会を得られたら、きっととんでもない嫌味を言われるだろう。そのためにもこの尋問を早く、無事に終わらせる必要がある。
「何が貴殿に不信感を抱かせたのでしょう」
「全てだよ。敷地内では窓の数や柱の数が広さと合わないし、教会の配置もそうだ。軍の屯所を置きたいところに必ず教会がある」
隠し部屋だらけの王宮育ちであるクロードは真っ先に間取りの不自然さに気がついた。アンヴァルにもフェルディアにも行ったことはないが、エーデルガルトもディミトリも察していたのではないだろうか。その上で彼は別の調べ物をしていた。ディミトリが謎を解けたのかどうか、クロードは知らない。
「それは騎士団を抱えているからではありませんか?」
ガルグ=マクを陥落させた側だと言うのにヒューベルトはしらを切った。網のように張り巡らされた教会の目を掻い潜り、大軍を展開するのは相当骨が折れたに違いない。
「無謬気取りが気に食わないって理由で網を切り裂く側がそれを言うか?」
「貴殿こそ網ごと食らい尽くすおつもりだったのでは?」
クロードには自らの手でフォドラを統一するつもりがなかった。自分がフォドラ方面軍の将だったとしても鉱山があり豊かな南の土地は欲しいが、寒くて貧しい北の土地は持て余してしまうだろう。商行為に制限を掛け、しばらく放置しておけば飢饉が起きて勝手に人口が減っていく。
それが分かっていても尚、エーデルガルトは軍を北に進めようとしている。彼女は一体、フォドラ北部に何を求めているのか。一方的に取り調べを受けるだけでは益がない。
「心外だな。こう見えても俺は美食家でね」
クロードは微笑みを浮かべた。手首を縛られ足首と腰が椅子に括り付けられていようと顔の筋肉だけは自分の思い通りに出来る。畳む
もしフォドラにクロード=フォン=リーガンが現れなかったらレスター諸侯同盟はどうなっていただろうか。オズワルド公亡き後はエルヴィン=フリッツ=グロスタール伯が盟主の座に就いたはずだ。親帝国派の彼をどのように遇するか、で意見が割れたかもしれない。闇に蠢くものたちが彼に成り代わった可能性もあった。
その場合、彼の嫡子ローレンツはヒューベルトたちと同じ地獄を見ただろう。彼はクロードのもたらした混沌に救われている。そんなローレンツは───クロードを見極めねばならない─── そう言ってベレスの勧誘に対し、首を頑として振らなかった。不規則な彼女の意志は混沌を呼び、世界は撹拌され不規則な救いをもたらす。
目の前で口角を上げている緑の瞳の男が、金継ぎしやすい形で皿を割れたのはグロスタール家の協力があってこそだが、その協力も或いは───という気持ちになる。腹立たしいのが帝国の国庫を当てにしてデアドラの軍港を派手に壊したことだ。これから直接、王国と戦うには海上における補給路を確保せねばならない。黒鷲遊撃軍の中では比較的港湾経営に明るいフェルディナントにこの件を任せる必要があった。
「貴殿が士官学校に入学したのは何故でしょうか」
パルミラ王家での彼の立場について問うても無意味だ。ベレスが彼の命を救ってしまった以上、アドラステア帝国としてはパルミラを親帝国の国家に作り変えるため、今後はクロード───いや、ヒューベルトの目の前にいる名無しの殿下を後押しする他ない。
「祖父さんの狙いは人脈作りだが俺の狙いは謎解きさ。目当ては英雄の遺産だったがいざ中で暮らしてみると不自然過ぎてな」
ヒューベルトは主君であるエーデルガルトと共に天帝の剣を入手し、中央教会とセイロス騎士団の内情を知るため士官学校の生徒となった。自分たちの学生生活の犠牲となったモニカへの罪悪感はいまだに消えない。だが正直言って、ガルグ=マクで過ごした日々は案外楽しかったのだ。
黒衣の男には迷いがない。好奇心に負けるかと思ったが当ての外れたクロードは五年前、初めてガルグ=マクに足を踏み入れた時のことを思い出していた。隣室はローレンツで、彼の気直さに度肝を抜かれたことをまだ覚えている。
現在、クロードが捕えられているのはデアドラ近郊の砦だろう。砦を守るのは人だ、とローレンツから指摘されていたのにデアドラへ兵力を集中させるため放棄させてしまった。後日再会する機会を得られたら、きっととんでもない嫌味を言われるだろう。そのためにもこの尋問を早く、無事に終わらせる必要がある。
「何が貴殿に不信感を抱かせたのでしょう」
「全てだよ。敷地内では窓の数や柱の数が広さと合わないし、教会の配置もそうだ。軍の屯所を置きたいところに必ず教会がある」
隠し部屋だらけの王宮育ちであるクロードは真っ先に間取りの不自然さに気がついた。アンヴァルにもフェルディアにも行ったことはないが、エーデルガルトもディミトリも察していたのではないだろうか。その上で彼は別の調べ物をしていた。ディミトリが謎を解けたのかどうか、クロードは知らない。
「それは騎士団を抱えているからではありませんか?」
ガルグ=マクを陥落させた側だと言うのにヒューベルトはしらを切った。網のように張り巡らされた教会の目を掻い潜り、大軍を展開するのは相当骨が折れたに違いない。
「無謬気取りが気に食わないって理由で網を切り裂く側がそれを言うか?」
「貴殿こそ網ごと食らい尽くすおつもりだったのでは?」
クロードには自らの手でフォドラを統一するつもりがなかった。自分がフォドラ方面軍の将だったとしても鉱山があり豊かな南の土地は欲しいが、寒くて貧しい北の土地は持て余してしまうだろう。商行為に制限を掛け、しばらく放置しておけば飢饉が起きて勝手に人口が減っていく。
それが分かっていても尚、エーデルガルトは軍を北に進めようとしている。彼女は一体、フォドラ北部に何を求めているのか。一方的に取り調べを受けるだけでは益がない。
「心外だな。こう見えても俺は美食家でね」
クロードは微笑みを浮かべた。手首を縛られ足首と腰が椅子に括り付けられていようと顔の筋肉だけは自分の思い通りに出来る。畳む
「有情たちの夜」3.枠の中 紅花ルート フェヒュ前提 #クロロレ #有情たちの夜 #ヒューベルト
(1)
春の日差しの中、礼服に身を包んだ学生たちが大聖堂に集まる様をヒューベルトは他人事のように眺めていた。今となっては遠い昔のように感じる。実りある一年を過ごして欲しい、と語るレアの言葉に吐き気を覚えた。
「ではまず一年のはじめである春から、話していただきましょう」
「春が一年の初め?誰がそんなことを決めたんだ?暦に対する違和感は今も残ってるぜ」
クロードはもう隣国出身であることを隠そうともしない。ヒューベルトも夜目が効く方だがそれでもあの時の彼が何故あんなことが出来たのか、本当に謎だった。クロードは答え合わせの機会など与えてやる気はなかっただろう。だがヒューベルトは先ほど意識を失ったクロードの身体を検めた際、ゆったりとした袖の中にフォドラで禁じられている遠眼鏡を見つけた。レンズが縦に並び、フォドラで流通している品よりもはるか遠くを見渡せる。星を見て方角を把握していたから彼はあの時、駆け出せたのだ。
「ぼろを出さずに済んだのは結構なことですな」
「春と言ったら先生だろ、盗賊から俺たちを救ってくれた」
あの時、コスタスが依頼通りクロードかディミトリの殺害に成功していたら中央教会やセイロス騎士団の権威は権威は失墜していただろう。
「偶然ですかな?」
「おいおい、ルミール村は帝国領だろう?それに先生はエーデルガルトを選んだ」
オズワルド公の手のもの───もっと言うならばパルミラの密偵がいた、と言うわけではないらしい。ヒューベルトは偶然というものに頼りたくなかった。だが五年間膠着していた状況が彼女の復帰で動き始めている。現に同盟領は今や帝国のものだ。
「当然のことです。貴殿たちよりエーデルガルト様の方があらゆる面で優れておいでですので」
「度胸があるのは認めるさ、それに俺より確実に頑強だ」
クロードはわざとらしく手首に巻いた鎖を引っ張り、軽く音を立てている。エーデルガルトではないから引きちぎれない、と訴えかけているのだ。本当に彼を生かしておいてよいのか───実に疑わしい。
あの節にあの課題を与えられたのが金鹿の学級ならどうなっていただろうか。クロードはこれまでその件について考えてみたことがなかった。ハンネマンやマヌエラがいればデアドラを守れたか、と言えばそれは違う。だがコスタスならばベレスがおらずと、も当時のクロードたちだけで何とかなったのではないかと思う。
国境付近には密猟者や旅人を狙った盗賊が出る。クロードは村のものたちが自警団を雇っているのではないか、と咄嗟に思いついた自分をこれまでずっと褒めてきた。しかし手首に鎖を巻かれている現状を鑑みるとしくじったような気がしてならない。苦々しいことにベレスとエーデルガルトの火力にしてやられたのだ。ミルディン陥落までは計算の範囲内で、陥落した時に備えてクロードはグロスタール伯にちょっとした依頼もしてあった。だがそれもデアドラを守れたら、という条件つきだったのだ。
野営の訓練中に他国のものたちを捨て石にして、金鹿の学級のものたちだけを助けていたら今こんな風に手首に鎖をかけられていただろうか。クロードはつくづく己の甘さ、いや、全方面に対して取り繕おうとしたことが嫌になった。エーデルガルトのようになりふり構わないものに敵うわけがない。
「話を続けるとしますか」
学生時代より髪を短くしたヒューベルトは記憶力に自信があるのか何も書き留めずひたすらクロードを観察している。
「あのあと確かエーデルガルトたちはザナドへ行ったんだよな。前から気になってたんだが……あそこは一体、何が赤いんだ?」
五年前、課題協力でザナドに行ったローレンツが首を傾げながら帰還してきた。岩も木の葉も別に赤くなかったらしい。それなのに何故、ザナドは昔から赤き谷と呼ばれるのだろうか。素朴だが大切な疑問であるような気がした。
「……とりあえず盗賊の血で赤く染まりましたな」
現にヒューベルトはほんの少しだけ言い淀んだ。どこまで明かすのか迷っているのかもしれない。
「その前から赤き谷、なんだろう?誰の血で染まったから赤き谷なんて呼ばれるようになったんだろうな」
名付けには意志が表れる。ザナドを見て赤い、と感じたものが居たのだ。
(2)
同胞の血で染まった谷を見て赤い、と感じたのは白きものたちだ。やはりクロードは恐ろしく勘が良い。彼はレアが白きものである、と知らないはずだ。
「その件に関して推測をお話ししたいのであればお聞きしましょう」
「拒否する。それよりロナート卿の話をしようぜ」
緑色の瞳がゆらぐ蝋燭の灯りを受けている。蝋燭は新品を用意させたので当分尽きてしまうことはないだろう。西方教会関連の工作を担当していたのはアランデル公たちだ。彼らに利用されたものたちは皆、捨て石にされまともな取り調べも裁判もなしに処刑されている。ダスカーの際もそうだったが、セイロス騎士団と中央教会の乱暴なやり方を目の当たりにしたヒューベルトは改めて彼らを味方に付ける気を失った。事がなった後で神がかった言いがかりをつけ、後ろから背中を刺しかねない。
ロナート卿が中央教会の振る舞いに耐えかねた事情はヒューベルトもうっすらと把握していた。いくらなんでも幕引きが粗雑すぎる。───こんな時期に散発的に反乱を起こされてもなんの後押しもしてやれない───一報が入った晩にそう嘆いた主君をモニカならどう励ましただろうか。あの頃は主君と二人きり、ガルグ=マクであれ宮城であれお互い以外に信頼できる存在はなかった。だが今はベレスに背中を任せられる。だからこうしてヒューベルト自身でクロードの尋問が出来るのだ。
「なあ、ヒューベルト。命よりも大切なものはあると思うか?」
ある。ヒューベルトにとって、そしてモニカにとって自分の命よりもずっと大切なのがエーデルガルトだ。
「答えなくて良いぜ。ロナート卿には命より大切なものがあったから勝ち目もないのに蜂起したんだ」
ロナート卿を突き動かしたものはヒューベルトたちも突き動かしている。中央教会を打ち砕くか命を落とすその時まで止まれないだろう。
「私どもに勝ち目がないと仰るのですか?」
「俺にはないんだよ。俺にとって命より大切なものはない」
クロードはそう、断言してから顔を歪めた。こちらに質問しておいて返答を拒否する傲慢さに気づいているのだろうか。捨て身の人間が何をやるのか、ロナート卿のことがあったのにきちんと理解出来なかったのが悔しいのだろう。だが彼となら未だ会話や交渉が可能だ。だから答えによっては水くらいなら飲ませてやってもいい。
ヒューベルトは隠しごとをしている。つまりエーデルガルトもまだ何かを隠している、と言うことだ。この部屋に囚われている限り、残念ながらクロードにもう隠しごとはない。ガルグ=マクにいた頃、クロードもディミトリもエーデルガルトもいくつか秘密を持っていて、そう言う意味では対等だったように思う。だがクロードは父の名を告げてしまったことで強みを失った。それに比べたら些細なことだが意識が戻った時の感触からして、隠し持っていた武器や薬品の類も取り上げられている。
「それが王国と盟約を結ばず中途半端な形で我々に抗った理由ですかな?」
僅かだがヒューベルトの声に好奇心が含まれていた。当然の疑問でローレンツと再会する機会があれば何故、諸侯を結集して事に当たらなかったのか、と詰られるだろう。シルヴァンやメルセデス、それにアネットと親しかった彼は、親帝国派の自分には無理でも盟主になら、という期待を持っていたはずだ。
「違う。イーハ公もディミトリもロナート卿の件について中央教会に苦情申し立てをしなかっただろう?」
国力が落ちてしまった王国が中央教会に鎮圧や捕縛を依頼するところまではクロードにも理解できる。だがどんな小国であろうと死刑に処すならば為政者の名において処さねばならない。
「彼らは委ねてはならないものを教会に委ねました」
ヒューベルトは吐き捨てるようにそう言ったが、王国をそこまで弱体化させたのは帝国の手のものたちだろう。そしておそらくその件を成功させたのはヒューベルトと敵対する派閥のものたちだ。些か身勝手だがその失望はクロードにもよく分かる。戦後の論功行賞に向けた味方同士の争いもすでに始まっているのだ。ヒューベルトは、いや、エーデルガルトは敵より憎い同胞を圧倒せねばならない。
「神懸かった理由で背中を刺されるのはごめんでね」
きっとディミトリはそんなことを望まない。だがそうせよと勧めるものは彼の周りに必ず存在する。そして彼にもイーハ公にもその暴発を抑える力はない。だからクロードはディミトリと盟約を結ぶ気になれなかった。
(3)
同盟と帝国が手を取る未来もあったのかもしれない。アミッド大河とデアドラを血に染めておきながらヒューベルトがそんな妄想をした、とフェルディナントに知られたら彼はどんな顔をするだろうか。
エーギル公失脚後、彼は五年間辛酸を舐めたが真っ直ぐなままだ。折れた骨は強くなるのだ、と言って朗らかに笑う。ヒューベルトに嬉しい驚きをもたらした彼はデアドラで戦うにあたって、元から親帝国派であったグロスタール伯そしてエドマンド辺境伯に宛てた書状を書いている。ヒューベルトが前もって作った文面を確認したエーデルガルトがこれでは威圧的すぎる、と眉を顰めたからだ。
「カトリーヌさんはレアさんのお気に入りだったが、俺としてはああいうのが一番困るんだよ」
彼女はロナート卿の嫡子クリストフを中央教会に突き出した張本人で、雷霆を振るってセイロス教会に仇なすものを屠る。
「あの様な狂信者が大手を振って歩いているのが中央教会です」
ダスカーでの沙汰はヒューベルトを絶望させた。闇に蠢くものたちが存在する証拠を集めて中央教会に駆け込めば庇護を受けられるのではないか。そう考えていた頃もあったのだ。幼かった自分の見通しの悪さに呆れてしまう。
「ローレンツによると彼女はカロン家のものだとか。なあ、俺の邪推を聞くか?」
クロードが指の節で机を叩いたのでヒューベルトが手首と親指に巻いた鎖も音を立てた。場の主導権を奪うつもりらしい。
「愉快な気分になれそうですな」
「ツィリルもカトリーヌもレアさんが己の器量が如何にでかいのか、を示すための生きた装身具なのさ」
パルミラ人とお尋ね者、と言うわけで二人とも一般的なフォドラ人からは眉を顰められる。従者程度なら構わないが、どう見ても経歴が明らかな彼女に偽名と騎士団での役職を与え、英雄の遺産である雷霆も持たせたままだ。気まぐれな慈悲を与えられた側はますますレアに傾倒する。
「私から言わせれば器量の小ささの表れです」
ベレスの判断は間違っていないのかもしれない。ヒューベルトは自分の口角が微かとはいえ、上がっていることに気がついた。
内装からも分かる通り、この部屋は尋問を受ける側の感覚が鈍るように工夫されている。クロードが敗北してしまったので時を告げる教会の鐘を鳴らすものも失せてしまった。風や自然光を遮られているので喉の渇きや空腹感などの身体感覚で時間経過を把握するしかない。
「機嫌がよさそうだ」
───勝ち戦のあとですので寛大な気分にもなろうというものです───クロードの言葉にそう返した癖にヒューベルトは視界を遮るため頭に布の袋を被せた。深く被せる際の動作で自分が頭を打っていたことを思い出す。最後、ベルナデッタに射られて落竜したのだ。
頭を振って外せないようにわざわざ喉元を紐で縛られた時は流石に不愉快だったが、それでも得られるものはある。人間は耳を閉じることはできない。クロードの耳は布の袋越しに扉が開閉される音をとらえた。
他にも何か聞こえないだろうか。クロードの耳がとらえるのは己の鼓動や呼吸音だけで他には何も新しく把握することができない。しばらくの間、焦る気持ちを押し殺していると再び扉が開閉され、喉元の紐が解かれ頭から袋を外してもらえた。目の前にいる人物は変わらないが目の前に水差しと銀の杯が二つある。
ヒューベルトはクロードの目の前で銀の杯に水を汲んで口をつけた。毒に反応する銀の器に加え、行動でこの水に毒は入っていない、と表明している。世の中には無色無臭透明な毒など数えきれないほど存在するし、ヒューベルトが本気でクロードを油断させて毒殺するならやはり今のように目の前で毒入りの水を飲むだろう。多少は苦しむことになるがその後で解毒剤を服用すればいい。
「喉が渇いては大変ですからな。まだ話していただきたいこともありますので」
「そっちこそずっと話し通しだから水を飲みながらの方がいいだろ?もうひとつの杯でいただくよ」
そう言ってクロードが白い歯を見せると意外なことにヒューベルトは親指に巻いた鎖を外してくれた。両手で抱え込む不恰好な形になるが、杯を口元に当てられながら飲むよりもずっとありがたい。
(4)
クロードは一気に杯を空けるようなことはせず、一口ずつ味わって飲んだ。喉を潤せた礼のつもりか両手首をヒューベルトに差し出している。
「結構です」
どうせ尋問が終わったら解放するのだ。親指に鎖を巻き直すより聞き取りを再開したい。ロナート卿の事件の後、ベレスが天帝の剣を手にした。あれこそが淀んだ空気が入れ替わる予兆だったのかもしれない。ガルグ=マクに潜入していた自分に何の断りもなく手を突っ込んできたものたちが失敗したのは愉快だった。
「水の礼をしたいが今は手持ちがなくてね」
「憶測で構いません」
クロードが帝国のものに直接語りかける機会は当分訪れない。ヒューベルトに回答を用意する義務はないが、彼が英雄の遺産についてどんなことを考えているのかは知りたかった。それに統一後はパルミラとも国交を樹立することになる。クロードの考えを把握しておくのは必要なことだ。
「俺たちは天帝の剣にしてやられたわけだが……」
緑の瞳は己の手のひらを見つめている。こぼれ落ちた命を惜しんでいるようにも見えた。ベレスの気まぐれに救われたのは学友のみで彼はオズワルドに次ぐ有力な後見人であったジュディッドを失っている。
「英雄の遺産について答え合わせは出来ましたかな?」
「まともな推論すら立てられなかったのは誰のせいだ?まあ良いさ。周知の事実だがあれは形状がなんであれ、弓だ。つまり矢と射手が必要な代物だ」
弓は矢がなければ使用できない。弓が遺産、矢が紋章石、射手が紋章保持者、というわけだ。弓と矢は入れ替わっても構わない。凡庸な例えだがよくまとまっていて分かりやすい。
「天帝の剣には紋章石がはまっていません」
「だからフレンだけでなく先生も誘拐すべきだったのさ」
「それなら同盟は今も健在であったかもしれませんな」
もしベレスが黒鷲優撃軍に合流していなかったら東回りで王国を目指すことは叶わず、アランデル公が地均しした西回りの経路で進軍していただろう。だがそれでは戦後の争いで不利になってしまう。ヒューベルトたちにとって本当の戦いはそこから始まるのだ。
戦争という営為は実に複雑なので現実にはたった一人にしてやられることなどあり得ない。ただもう少し時間が稼げればエーデルガルトが諦めて西から北上する、クロードはそう思っていた。だが事態がこうなってしまってはグロスタール伯たちがうまく後始末をしてくれるよう願うしかない。
「そうかもな。この後は東回りで北上するんだろう?ガスパール領やコナン塔の件はいい予行演習になったな」
もし自分が父のように強い力を持っていたらミルディン大橋を通行不可能になるまで破壊させた。輜重隊の兵も食べねば移動出来ないので補給路が延びれば延びるほど必要な物資が増加していく。そういったことを考えると帝国はミルディン大橋を再建せざるをえないのだ。戦争はただでさえ金がかかる。大橋の再建を妨害しながら時間稼ぎをしているうちに帝国の国庫から戦費が尽きるのではないか───クロードはそう考えたが、残念ながら諸侯たちの理解は得られなかった。
「破裂の槍が射手を選ぶさまは実におぞましかったですよ」
「ローレンツから聞いたよ。神罰、なんていう奴もいたな」
もし神罰というなら神はたまにひどく悪趣味になるらしい。当時の噂話を思い出したのかヒューベルトは失笑している。
「貴殿はどうお考えですか」
クロードは意図的に国を二分して茶番を続けたが王国は本当に国が二分されている。帝国もエーデルガルトが全権を握っているように見えるが、実際は内部にエーデルガルトと敵対する勢力が存在するのだろう。ヒューベルトは彼らを出し抜く手がかりを探すため、打てる手は全て打っている最中なのだ。そうでなければクロードの意見など聞く必要がない。
「陳腐なら単なる願望だし、再現性があるなら神罰と言う印象は受けないな。うまく言えないがもっと神罰ってやつは稀なんじゃないのか?ほら、アリルみたいな」
ガルグ=マクにいた頃、マリアンヌが教えてくれたが、女神の怒りに触れたためアリルはあのような土地になったのだと言う。あれこそ、どうすれば人の手で再現できるのかクロードにとって全く見当がつかない事象だった。
(5)
他文化を知り、セイロス教の影響を受けずに育っているクロードは時に思いもよらないようなことを言う。
「再現性ですか」
「俺やヒューベルトだってやろうと思えば人間が魔獣に変化する条件を整えられるんじゃないのか?」
それには紋章石が必須で、白きものの血液もあるに越したことはない。だから彼らはフレンを拐かしたのだ。レアの要請がなければセテスとフレンはガルグ=マクにやって来なかったのだから、彼らだけに責を負わせるのは間違っている。それでもヒューベルトはどうして人里離れた土地で安全を確保してくれなかったのか、と思ってしまう。
「それともあれはトマシュさんの顔を奪ったような連中にしか出来ないのか?」
ヒューベルトの答えを待たずに話し続けたクロードは、暗に取り上げられたフェイルノートとフライクーゲルのことを言っている。紋章を持たないものに英雄の遺産を握らせれば魔獣になるだろう。だがヒューベルトの脳裏に浮かんだのは闇に蠢くものたちの拠点のことだった。奪ったら即座に破壊せよ、と主君であるエーデルガルトから命じられている。だが───
「同じような下衆になれ、と?」
「逆に考えろよ、魔獣から人間に戻す手がかりがあるかもしれないじゃないか。それにトマシュの爺さんに成りすましていた奴みたいに任意で姿を選べた方が有利だろ」
確かに闇に蠢くものたちは都合よく姿を使い分けていた。ヒューベルトは顔と名を奪われる前のアランデル公のことを、モニカのことを覚えている。真の二人はあのような振る舞いをするものたちではなかった。だからこそヒューベルトは闇に蠢くものたちを絶対に許せない。人の手にこの世を取り戻し、彼らの名誉を回復せねばならない。
「その技術が確立され、普及した後はどうやって己が己である、と示すのでしょう?社会から信頼が失われますな」
「少し考えが足りなかったか」
クロードはわざとらしく咳払いをした。全くもって地に足がついていない。ヒューベルトは敬虔なセイロス教徒たちと打ち解けることができなかった。理由は異なるが、クロードとも彼らとは打ち解けられそうにない。円卓会議に出席していた諸侯たちは暴走しがちな彼を止めるのにかなり苦労したはずだ。
ヒューベルトがクロードの言葉に何かを見出している。だがそれは母国パルミラ関連ではない。客観的に見ればデアドラを奪われ同盟の諸侯たちに合わせる顔もなく───という敗軍の将、クロードのどこに価値を見出しているのか、段々と分からなくなってきた。ガルグ=マクで見聞きしたことを話せ、と言われているがこの五年間自由に出入り可能だった帝国のものたちの方が修道院やアビスに詳しいに決まっている。では五年前にクロードが夜の探索中に偶然見てしまった何か、に価値があるのだろうか。考える時間を稼ぐためにも無駄話を続けるしかない。問題は無駄話が思ったより楽しいことだ。
「でもな、アリルのようなことですら再現できる存在がいるかもしれない」
「おや、意外ですな。女神が実在する、と?」
「違う。そんなことは言っていない。再現できるならアリルのようなことですら女神の御業とは言えないってことだ」
一般論として、千年も続く組織が清廉潔白なわけがない。ディミトリの考えは聞いてみなければ分からないが、クロードが中央教会に改善を求めなかったのは完全に他人事だったからだ。仮の話だがフォドラがパルミラ王国の新たな領土になるならば、対応が全く異なってくる。内心は問わないとして言動は法律に従わせねばならない。心のうちでは何を信じても構わないが───例えば異教徒の子供を生贄にするような儀式は法律で禁ずる。それが植民地経営というものだ。
「ではどう言うことが女神の御業になるのでしょうか?」
クロードの視線に気づいたヒューベルトがそう問いかけながら再び杯に水を注ぐ。話を引き延ばさねばならない立場だが、教会のものたちと積極的に話そうとしなかったヒューベルトがまだ女神について語り続けることがクロードにとって意外だった。小さな丸い水面に視線を落としたが都合よく自分の顔など映ってくれない。
「この世界を作るとかそういう、本当に一度きりしか起きないようなことを起こすのが神様ってやつなんだと思うぜ」
一考に値すると思ったのだろうか。ヒューベルトは顎に手を当て口を閉じてしまった。
(6)
ヒューベルトは主君であるエーデルガルトの身の安全が脅かされること以外に怖いものはない。中央教会も闇に蠢くものたちも強大な敵だが対処できる。いや、対処できるように手を打ってきた。
頭は心にそのように感じよ、という命令を出す。しかし心は理屈通りにいかないものだ。無理やりねじ伏せた心は次第に何も感じなくなっていったが、近頃はその心に肉迫するものたちがいる。
工作のため主君に付き従って入学した士官学校時代の知己たちは皆、個性的で誰一人として重なるところがない。名前と姿を奪われたアランデル公やモニカのことを思えば、良くないことだとわかっていてもこの五年間ですっかり級友たちに情が湧いてしまった。彼らが顔と名を奪われてしまったら、と考えるだけでヒューベルトの心は千々に乱れる。一度緩んだ蓋はすぐ開いてしまうらしい。
諦めにも似た予測を、予測より遥かに上をいくことで驚かされるのは嬉しいのだ。尋問の前にわざわざ時間を作ってヒューベルトを訪ねてくれたフェルディナントの言葉が脳裏に浮かぶ。彼の言う通り、クロードのような人間を打ち解けさせる鍵は素直さや誠実さかもしれない。
「意外でした。その手のことは一括して否定にかかるたちかと」
「否定するにしても信仰するにしても全ては知ることから始まるもんだろ」
そう言ったあとクロードは失念していたことでも思い出したのか───あ、と一言だけ声を発すると黙ってしまった。彼は闇に蠢くものたちの行いが人の営為の範疇に収まるという。ルミール村や宮城で連中が何をしたのか詳しく知らないからそんな浮世離れをした解釈が出来るのだ。知らないということは本当に恐ろしい。
「敵を知らねばならないのは私とて承知しておりますよ」
苛立ちを隠さずそう伝えた。クロードは思索に耽ることで干渉を遮断しようとしているがそうはさせない。ヒューベルトは、いやヒューベルトたちは目を閉じて見ないふりが出来るような環境にいたことがない。そんなことをすれば処断した父と同じになってしまうし、立場が弱かった頃は誰かが痛めつけられているうちに必死で安全を確保せねばならなかった。
「こっちは知識の扱い方がおかしいんだ。せっかく中央教会に宣戦布告したんだから、色々と固執してくれるなよ?」
ヒューベルトに共鳴したかのように緑の瞳にも苛立ちが浮かんだ。クロードはもう笑顔で感情を覆い隠していない。
人生には夜空と宝石が必要、とクロードが悟ったのは前髪が伸びて三つ編みを作れるようになった頃のこと、このままパルミラにいても宝石が手に入らないと悟ったのは初めて毒を盛られた時のことだった。
「何を仰りたいのやら……測りかねますな」
フォドラに住むものたちはセイロス教によって作り上げられた柔らかで強靱な繭に包まれてこの千年を過ごしている。そこにはどこまでも広がる夜空のような思索の広がりが存在しない。
「俺たちは中央教会を知っているが信じていない。だが〝知る〟と〝信じる〟の違いは何だ?」
「経験で信じない、と判断しました」
ヒューベルトの理性的な答えを聞き、クロードは眉を顰めた。やはり自由の何たるかを知らずに生きてきたエーデルガルトとヒューベルトには限界がある。
「その経験を以って誰よりも自分たちの方が上手くやれると〝信じた〟わけだ」
今度はヒューベルトが眉を顰める番だった。
「我々は現実逃避をしません」
ディミトリであればクロードの言葉に引っかからず、そのまま流すだろう。迷いのないヒューベルトの言葉を聞いたクロードはエーデルガルトかディミトリどちらかが死ぬまでこの戦争は終わらない、と悟った。
「中央教会は女神の不在が証明されることを許さなかったから学問や技術に制限をかけたんだろうな。なあ……ヒューベルト、エーデルガルトはどこまでなら許容するんだ?」
例えば、レンズを縦に二枚並べて肉眼では見えない遠くを───夜空を眺めることを中央教会は禁忌としている。この手法を禁じられては肉眼では見えない小さな物体を観察することが出来ない。きっと女神が実存するか否かに関係がある分野なのだ。
「エーデルガルト様は人の世を取り戻すために立ち上がられたのです」
「答えになってないぜ」
この質問が敗軍の将であるクロードからレスターの民、いや、フォドラ全ての民にあてた最後の贈り物になるかどうかはヒューベルトにかかっている。
(7)
聖墓での誓いなど反故にしてやりたい。この距離で椅子に括り付けられたクロードにダークスパイクを直撃させてやったらどれだけ気分がいいだろうか。だがこれまでに嵩んだ戦費の件が絡んでいる。主君であるエーデルガルトがベレスの提案を受け入れたのはそういう冷静な判断があってのことだ。ほぼ無傷の同盟領はともかく荒廃した王国を併合すれば復興費用がかかる。それをパルミラとの貿易で賄う算段がついて安堵できたことは否定できない。
ベレスが黒鷲遊撃軍に合流して以来───あと一押し何かあれば、一気に戦局を傾けられるのに───という主君エーデルガルトの口癖はすっかり鳴りを潜めていた。正直言ってヒューベルトにはベレスが何を考えいるのかさっぱり分からない。分からないがそれで構わないとも思っている。ヒューベルトにとってそんな存在は彼女しかいなかった。だからこそクロードが何を腹に抱えているのかを知らねばならない。
水を取りに行った時のようにまた頭に袋を被せてやってもいいのだが、それもクロードの思惑通りのように感じてしまう。ヒューベルトは黒髪をかき上げると緑の瞳をまっすぐ見つめた。この瞳がベレスの行動以外の全てを見通しているとしても、帝国の勝利に変わりはない。
「今は戦時下ですので勝つために必要な制限はかけるでしょうな」
だが自分の返答は何とつまらないのだろう。中央教会を否定するなら終戦後すぐに可能な限り情報を公開し、技術にかけられた制限を取り払ってレアとの違いを打ち出す必要がある。覚悟はしているがやはりどうしても活版印刷が厄介だ。
ヒューベルトも元より情報戦に利用するつもりでいたが、闇に蠢くものたちが活版印刷を悪用しないわけがない。政策に関する的外れな意見はいざとなったら権力で押さえつけることは可能だが、それでは軋轢や遺恨が残る。
「英雄の遺産に関してはどうするんだ?何のために墓荒らしをしたんだ?」
敗軍の将だからこそクロードは追求の手を緩めなかった。今の立場で取れる限りの責任を取ろうとしている。戦闘終了後、武装解除をさせた時にクロードからはフェイルノートを、ヒルダからはフライクーゲルを取り上げているので気にかけて当然だった。
フォドラでは世界を作りたもうた女神の御業の詳細を知り、信仰を深めるために学問が存在する。セイロス教会がフォドラの知識を独占するための方便だ。情熱が都合の悪い真実に到達しそうになったら涜神行為だ、と言って阻止すれば良い。地理的な条件でセイロス教の教会は分裂しているが、この中央教会のやり方が激しい反発を呼んだのも分裂した理由の一つだろう。
「残念ながら中央教会の秘密保持は及第点だったようです」
ヒューベルトはもうクロードと話すつもりがないのか尋問を切り上げようとしている。しかしクロードは彼の常識に楔を打ち込めればそれで良かったので───馬鹿正直にパルミラの哲学者たちの間でも未だに〝知る〟と〝信じる〟はどちらが高度な状態であるか論争が続いていることを伝えていない。
「残念ながら、な。ヒューベルト、お前はこれまでも周囲を疑って来たんだろうが、今後の猜疑心はこれまでとは一味違うぜ」
ヒューベルトはこれまで己の全てが中央教会のものたちと異なると〝信じて〟いた。だが今後はその根拠を周囲に、何よりも己に知らしめねばならない。これがクロードが猜疑心の塊を自称する理由だ。
敵の逆張りをするだけなら敵と同じ輪に閉じ込められてしまう。〝知る〟ことは否定を伴うので己を蝕んでいく。そんな心苦しい毎日を送るものは自由な夜空と何があろうと砕けないほど硬く、色褪せずに輝きを放つ───宝石のような何かを心に持たねばならない。
「受けて立ちましょう」
揺らぐ蝋燭の灯りに照らされるヒューベルトは心に宝石を持っているのだろうか。クロードは民に堪えることを止めさせたが、ディミトリには命より大切なものがある。きっと命が尽きるまで抗うはずだ。
幼い頃に願った、全てを帳消しにするような奇跡は結局、今に至るまでクロードの身には起きなかった。故に絶対という言葉や奇跡の実現をクロードが〝信じる〟ことはない。それでも人生にはそんな言葉を必要とする局面がある。
───クロード、君の追悼文はこの僕が書いてやる。だが、それは遠い未来の話なのだから絶対にまだ死んでくれるなよ───
だからクロードはあの時、どんなに見苦しくも出自を匂わせて命乞いすることが出来たのだ。
畳む
(1)
春の日差しの中、礼服に身を包んだ学生たちが大聖堂に集まる様をヒューベルトは他人事のように眺めていた。今となっては遠い昔のように感じる。実りある一年を過ごして欲しい、と語るレアの言葉に吐き気を覚えた。
「ではまず一年のはじめである春から、話していただきましょう」
「春が一年の初め?誰がそんなことを決めたんだ?暦に対する違和感は今も残ってるぜ」
クロードはもう隣国出身であることを隠そうともしない。ヒューベルトも夜目が効く方だがそれでもあの時の彼が何故あんなことが出来たのか、本当に謎だった。クロードは答え合わせの機会など与えてやる気はなかっただろう。だがヒューベルトは先ほど意識を失ったクロードの身体を検めた際、ゆったりとした袖の中にフォドラで禁じられている遠眼鏡を見つけた。レンズが縦に並び、フォドラで流通している品よりもはるか遠くを見渡せる。星を見て方角を把握していたから彼はあの時、駆け出せたのだ。
「ぼろを出さずに済んだのは結構なことですな」
「春と言ったら先生だろ、盗賊から俺たちを救ってくれた」
あの時、コスタスが依頼通りクロードかディミトリの殺害に成功していたら中央教会やセイロス騎士団の権威は権威は失墜していただろう。
「偶然ですかな?」
「おいおい、ルミール村は帝国領だろう?それに先生はエーデルガルトを選んだ」
オズワルド公の手のもの───もっと言うならばパルミラの密偵がいた、と言うわけではないらしい。ヒューベルトは偶然というものに頼りたくなかった。だが五年間膠着していた状況が彼女の復帰で動き始めている。現に同盟領は今や帝国のものだ。
「当然のことです。貴殿たちよりエーデルガルト様の方があらゆる面で優れておいでですので」
「度胸があるのは認めるさ、それに俺より確実に頑強だ」
クロードはわざとらしく手首に巻いた鎖を引っ張り、軽く音を立てている。エーデルガルトではないから引きちぎれない、と訴えかけているのだ。本当に彼を生かしておいてよいのか───実に疑わしい。
あの節にあの課題を与えられたのが金鹿の学級ならどうなっていただろうか。クロードはこれまでその件について考えてみたことがなかった。ハンネマンやマヌエラがいればデアドラを守れたか、と言えばそれは違う。だがコスタスならばベレスがおらずと、も当時のクロードたちだけで何とかなったのではないかと思う。
国境付近には密猟者や旅人を狙った盗賊が出る。クロードは村のものたちが自警団を雇っているのではないか、と咄嗟に思いついた自分をこれまでずっと褒めてきた。しかし手首に鎖を巻かれている現状を鑑みるとしくじったような気がしてならない。苦々しいことにベレスとエーデルガルトの火力にしてやられたのだ。ミルディン陥落までは計算の範囲内で、陥落した時に備えてクロードはグロスタール伯にちょっとした依頼もしてあった。だがそれもデアドラを守れたら、という条件つきだったのだ。
野営の訓練中に他国のものたちを捨て石にして、金鹿の学級のものたちだけを助けていたら今こんな風に手首に鎖をかけられていただろうか。クロードはつくづく己の甘さ、いや、全方面に対して取り繕おうとしたことが嫌になった。エーデルガルトのようになりふり構わないものに敵うわけがない。
「話を続けるとしますか」
学生時代より髪を短くしたヒューベルトは記憶力に自信があるのか何も書き留めずひたすらクロードを観察している。
「あのあと確かエーデルガルトたちはザナドへ行ったんだよな。前から気になってたんだが……あそこは一体、何が赤いんだ?」
五年前、課題協力でザナドに行ったローレンツが首を傾げながら帰還してきた。岩も木の葉も別に赤くなかったらしい。それなのに何故、ザナドは昔から赤き谷と呼ばれるのだろうか。素朴だが大切な疑問であるような気がした。
「……とりあえず盗賊の血で赤く染まりましたな」
現にヒューベルトはほんの少しだけ言い淀んだ。どこまで明かすのか迷っているのかもしれない。
「その前から赤き谷、なんだろう?誰の血で染まったから赤き谷なんて呼ばれるようになったんだろうな」
名付けには意志が表れる。ザナドを見て赤い、と感じたものが居たのだ。
(2)
同胞の血で染まった谷を見て赤い、と感じたのは白きものたちだ。やはりクロードは恐ろしく勘が良い。彼はレアが白きものである、と知らないはずだ。
「その件に関して推測をお話ししたいのであればお聞きしましょう」
「拒否する。それよりロナート卿の話をしようぜ」
緑色の瞳がゆらぐ蝋燭の灯りを受けている。蝋燭は新品を用意させたので当分尽きてしまうことはないだろう。西方教会関連の工作を担当していたのはアランデル公たちだ。彼らに利用されたものたちは皆、捨て石にされまともな取り調べも裁判もなしに処刑されている。ダスカーの際もそうだったが、セイロス騎士団と中央教会の乱暴なやり方を目の当たりにしたヒューベルトは改めて彼らを味方に付ける気を失った。事がなった後で神がかった言いがかりをつけ、後ろから背中を刺しかねない。
ロナート卿が中央教会の振る舞いに耐えかねた事情はヒューベルトもうっすらと把握していた。いくらなんでも幕引きが粗雑すぎる。───こんな時期に散発的に反乱を起こされてもなんの後押しもしてやれない───一報が入った晩にそう嘆いた主君をモニカならどう励ましただろうか。あの頃は主君と二人きり、ガルグ=マクであれ宮城であれお互い以外に信頼できる存在はなかった。だが今はベレスに背中を任せられる。だからこうしてヒューベルト自身でクロードの尋問が出来るのだ。
「なあ、ヒューベルト。命よりも大切なものはあると思うか?」
ある。ヒューベルトにとって、そしてモニカにとって自分の命よりもずっと大切なのがエーデルガルトだ。
「答えなくて良いぜ。ロナート卿には命より大切なものがあったから勝ち目もないのに蜂起したんだ」
ロナート卿を突き動かしたものはヒューベルトたちも突き動かしている。中央教会を打ち砕くか命を落とすその時まで止まれないだろう。
「私どもに勝ち目がないと仰るのですか?」
「俺にはないんだよ。俺にとって命より大切なものはない」
クロードはそう、断言してから顔を歪めた。こちらに質問しておいて返答を拒否する傲慢さに気づいているのだろうか。捨て身の人間が何をやるのか、ロナート卿のことがあったのにきちんと理解出来なかったのが悔しいのだろう。だが彼となら未だ会話や交渉が可能だ。だから答えによっては水くらいなら飲ませてやってもいい。
ヒューベルトは隠しごとをしている。つまりエーデルガルトもまだ何かを隠している、と言うことだ。この部屋に囚われている限り、残念ながらクロードにもう隠しごとはない。ガルグ=マクにいた頃、クロードもディミトリもエーデルガルトもいくつか秘密を持っていて、そう言う意味では対等だったように思う。だがクロードは父の名を告げてしまったことで強みを失った。それに比べたら些細なことだが意識が戻った時の感触からして、隠し持っていた武器や薬品の類も取り上げられている。
「それが王国と盟約を結ばず中途半端な形で我々に抗った理由ですかな?」
僅かだがヒューベルトの声に好奇心が含まれていた。当然の疑問でローレンツと再会する機会があれば何故、諸侯を結集して事に当たらなかったのか、と詰られるだろう。シルヴァンやメルセデス、それにアネットと親しかった彼は、親帝国派の自分には無理でも盟主になら、という期待を持っていたはずだ。
「違う。イーハ公もディミトリもロナート卿の件について中央教会に苦情申し立てをしなかっただろう?」
国力が落ちてしまった王国が中央教会に鎮圧や捕縛を依頼するところまではクロードにも理解できる。だがどんな小国であろうと死刑に処すならば為政者の名において処さねばならない。
「彼らは委ねてはならないものを教会に委ねました」
ヒューベルトは吐き捨てるようにそう言ったが、王国をそこまで弱体化させたのは帝国の手のものたちだろう。そしておそらくその件を成功させたのはヒューベルトと敵対する派閥のものたちだ。些か身勝手だがその失望はクロードにもよく分かる。戦後の論功行賞に向けた味方同士の争いもすでに始まっているのだ。ヒューベルトは、いや、エーデルガルトは敵より憎い同胞を圧倒せねばならない。
「神懸かった理由で背中を刺されるのはごめんでね」
きっとディミトリはそんなことを望まない。だがそうせよと勧めるものは彼の周りに必ず存在する。そして彼にもイーハ公にもその暴発を抑える力はない。だからクロードはディミトリと盟約を結ぶ気になれなかった。
(3)
同盟と帝国が手を取る未来もあったのかもしれない。アミッド大河とデアドラを血に染めておきながらヒューベルトがそんな妄想をした、とフェルディナントに知られたら彼はどんな顔をするだろうか。
エーギル公失脚後、彼は五年間辛酸を舐めたが真っ直ぐなままだ。折れた骨は強くなるのだ、と言って朗らかに笑う。ヒューベルトに嬉しい驚きをもたらした彼はデアドラで戦うにあたって、元から親帝国派であったグロスタール伯そしてエドマンド辺境伯に宛てた書状を書いている。ヒューベルトが前もって作った文面を確認したエーデルガルトがこれでは威圧的すぎる、と眉を顰めたからだ。
「カトリーヌさんはレアさんのお気に入りだったが、俺としてはああいうのが一番困るんだよ」
彼女はロナート卿の嫡子クリストフを中央教会に突き出した張本人で、雷霆を振るってセイロス教会に仇なすものを屠る。
「あの様な狂信者が大手を振って歩いているのが中央教会です」
ダスカーでの沙汰はヒューベルトを絶望させた。闇に蠢くものたちが存在する証拠を集めて中央教会に駆け込めば庇護を受けられるのではないか。そう考えていた頃もあったのだ。幼かった自分の見通しの悪さに呆れてしまう。
「ローレンツによると彼女はカロン家のものだとか。なあ、俺の邪推を聞くか?」
クロードが指の節で机を叩いたのでヒューベルトが手首と親指に巻いた鎖も音を立てた。場の主導権を奪うつもりらしい。
「愉快な気分になれそうですな」
「ツィリルもカトリーヌもレアさんが己の器量が如何にでかいのか、を示すための生きた装身具なのさ」
パルミラ人とお尋ね者、と言うわけで二人とも一般的なフォドラ人からは眉を顰められる。従者程度なら構わないが、どう見ても経歴が明らかな彼女に偽名と騎士団での役職を与え、英雄の遺産である雷霆も持たせたままだ。気まぐれな慈悲を与えられた側はますますレアに傾倒する。
「私から言わせれば器量の小ささの表れです」
ベレスの判断は間違っていないのかもしれない。ヒューベルトは自分の口角が微かとはいえ、上がっていることに気がついた。
内装からも分かる通り、この部屋は尋問を受ける側の感覚が鈍るように工夫されている。クロードが敗北してしまったので時を告げる教会の鐘を鳴らすものも失せてしまった。風や自然光を遮られているので喉の渇きや空腹感などの身体感覚で時間経過を把握するしかない。
「機嫌がよさそうだ」
───勝ち戦のあとですので寛大な気分にもなろうというものです───クロードの言葉にそう返した癖にヒューベルトは視界を遮るため頭に布の袋を被せた。深く被せる際の動作で自分が頭を打っていたことを思い出す。最後、ベルナデッタに射られて落竜したのだ。
頭を振って外せないようにわざわざ喉元を紐で縛られた時は流石に不愉快だったが、それでも得られるものはある。人間は耳を閉じることはできない。クロードの耳は布の袋越しに扉が開閉される音をとらえた。
他にも何か聞こえないだろうか。クロードの耳がとらえるのは己の鼓動や呼吸音だけで他には何も新しく把握することができない。しばらくの間、焦る気持ちを押し殺していると再び扉が開閉され、喉元の紐が解かれ頭から袋を外してもらえた。目の前にいる人物は変わらないが目の前に水差しと銀の杯が二つある。
ヒューベルトはクロードの目の前で銀の杯に水を汲んで口をつけた。毒に反応する銀の器に加え、行動でこの水に毒は入っていない、と表明している。世の中には無色無臭透明な毒など数えきれないほど存在するし、ヒューベルトが本気でクロードを油断させて毒殺するならやはり今のように目の前で毒入りの水を飲むだろう。多少は苦しむことになるがその後で解毒剤を服用すればいい。
「喉が渇いては大変ですからな。まだ話していただきたいこともありますので」
「そっちこそずっと話し通しだから水を飲みながらの方がいいだろ?もうひとつの杯でいただくよ」
そう言ってクロードが白い歯を見せると意外なことにヒューベルトは親指に巻いた鎖を外してくれた。両手で抱え込む不恰好な形になるが、杯を口元に当てられながら飲むよりもずっとありがたい。
(4)
クロードは一気に杯を空けるようなことはせず、一口ずつ味わって飲んだ。喉を潤せた礼のつもりか両手首をヒューベルトに差し出している。
「結構です」
どうせ尋問が終わったら解放するのだ。親指に鎖を巻き直すより聞き取りを再開したい。ロナート卿の事件の後、ベレスが天帝の剣を手にした。あれこそが淀んだ空気が入れ替わる予兆だったのかもしれない。ガルグ=マクに潜入していた自分に何の断りもなく手を突っ込んできたものたちが失敗したのは愉快だった。
「水の礼をしたいが今は手持ちがなくてね」
「憶測で構いません」
クロードが帝国のものに直接語りかける機会は当分訪れない。ヒューベルトに回答を用意する義務はないが、彼が英雄の遺産についてどんなことを考えているのかは知りたかった。それに統一後はパルミラとも国交を樹立することになる。クロードの考えを把握しておくのは必要なことだ。
「俺たちは天帝の剣にしてやられたわけだが……」
緑の瞳は己の手のひらを見つめている。こぼれ落ちた命を惜しんでいるようにも見えた。ベレスの気まぐれに救われたのは学友のみで彼はオズワルドに次ぐ有力な後見人であったジュディッドを失っている。
「英雄の遺産について答え合わせは出来ましたかな?」
「まともな推論すら立てられなかったのは誰のせいだ?まあ良いさ。周知の事実だがあれは形状がなんであれ、弓だ。つまり矢と射手が必要な代物だ」
弓は矢がなければ使用できない。弓が遺産、矢が紋章石、射手が紋章保持者、というわけだ。弓と矢は入れ替わっても構わない。凡庸な例えだがよくまとまっていて分かりやすい。
「天帝の剣には紋章石がはまっていません」
「だからフレンだけでなく先生も誘拐すべきだったのさ」
「それなら同盟は今も健在であったかもしれませんな」
もしベレスが黒鷲優撃軍に合流していなかったら東回りで王国を目指すことは叶わず、アランデル公が地均しした西回りの経路で進軍していただろう。だがそれでは戦後の争いで不利になってしまう。ヒューベルトたちにとって本当の戦いはそこから始まるのだ。
戦争という営為は実に複雑なので現実にはたった一人にしてやられることなどあり得ない。ただもう少し時間が稼げればエーデルガルトが諦めて西から北上する、クロードはそう思っていた。だが事態がこうなってしまってはグロスタール伯たちがうまく後始末をしてくれるよう願うしかない。
「そうかもな。この後は東回りで北上するんだろう?ガスパール領やコナン塔の件はいい予行演習になったな」
もし自分が父のように強い力を持っていたらミルディン大橋を通行不可能になるまで破壊させた。輜重隊の兵も食べねば移動出来ないので補給路が延びれば延びるほど必要な物資が増加していく。そういったことを考えると帝国はミルディン大橋を再建せざるをえないのだ。戦争はただでさえ金がかかる。大橋の再建を妨害しながら時間稼ぎをしているうちに帝国の国庫から戦費が尽きるのではないか───クロードはそう考えたが、残念ながら諸侯たちの理解は得られなかった。
「破裂の槍が射手を選ぶさまは実におぞましかったですよ」
「ローレンツから聞いたよ。神罰、なんていう奴もいたな」
もし神罰というなら神はたまにひどく悪趣味になるらしい。当時の噂話を思い出したのかヒューベルトは失笑している。
「貴殿はどうお考えですか」
クロードは意図的に国を二分して茶番を続けたが王国は本当に国が二分されている。帝国もエーデルガルトが全権を握っているように見えるが、実際は内部にエーデルガルトと敵対する勢力が存在するのだろう。ヒューベルトは彼らを出し抜く手がかりを探すため、打てる手は全て打っている最中なのだ。そうでなければクロードの意見など聞く必要がない。
「陳腐なら単なる願望だし、再現性があるなら神罰と言う印象は受けないな。うまく言えないがもっと神罰ってやつは稀なんじゃないのか?ほら、アリルみたいな」
ガルグ=マクにいた頃、マリアンヌが教えてくれたが、女神の怒りに触れたためアリルはあのような土地になったのだと言う。あれこそ、どうすれば人の手で再現できるのかクロードにとって全く見当がつかない事象だった。
(5)
他文化を知り、セイロス教の影響を受けずに育っているクロードは時に思いもよらないようなことを言う。
「再現性ですか」
「俺やヒューベルトだってやろうと思えば人間が魔獣に変化する条件を整えられるんじゃないのか?」
それには紋章石が必須で、白きものの血液もあるに越したことはない。だから彼らはフレンを拐かしたのだ。レアの要請がなければセテスとフレンはガルグ=マクにやって来なかったのだから、彼らだけに責を負わせるのは間違っている。それでもヒューベルトはどうして人里離れた土地で安全を確保してくれなかったのか、と思ってしまう。
「それともあれはトマシュさんの顔を奪ったような連中にしか出来ないのか?」
ヒューベルトの答えを待たずに話し続けたクロードは、暗に取り上げられたフェイルノートとフライクーゲルのことを言っている。紋章を持たないものに英雄の遺産を握らせれば魔獣になるだろう。だがヒューベルトの脳裏に浮かんだのは闇に蠢くものたちの拠点のことだった。奪ったら即座に破壊せよ、と主君であるエーデルガルトから命じられている。だが───
「同じような下衆になれ、と?」
「逆に考えろよ、魔獣から人間に戻す手がかりがあるかもしれないじゃないか。それにトマシュの爺さんに成りすましていた奴みたいに任意で姿を選べた方が有利だろ」
確かに闇に蠢くものたちは都合よく姿を使い分けていた。ヒューベルトは顔と名を奪われる前のアランデル公のことを、モニカのことを覚えている。真の二人はあのような振る舞いをするものたちではなかった。だからこそヒューベルトは闇に蠢くものたちを絶対に許せない。人の手にこの世を取り戻し、彼らの名誉を回復せねばならない。
「その技術が確立され、普及した後はどうやって己が己である、と示すのでしょう?社会から信頼が失われますな」
「少し考えが足りなかったか」
クロードはわざとらしく咳払いをした。全くもって地に足がついていない。ヒューベルトは敬虔なセイロス教徒たちと打ち解けることができなかった。理由は異なるが、クロードとも彼らとは打ち解けられそうにない。円卓会議に出席していた諸侯たちは暴走しがちな彼を止めるのにかなり苦労したはずだ。
ヒューベルトがクロードの言葉に何かを見出している。だがそれは母国パルミラ関連ではない。客観的に見ればデアドラを奪われ同盟の諸侯たちに合わせる顔もなく───という敗軍の将、クロードのどこに価値を見出しているのか、段々と分からなくなってきた。ガルグ=マクで見聞きしたことを話せ、と言われているがこの五年間自由に出入り可能だった帝国のものたちの方が修道院やアビスに詳しいに決まっている。では五年前にクロードが夜の探索中に偶然見てしまった何か、に価値があるのだろうか。考える時間を稼ぐためにも無駄話を続けるしかない。問題は無駄話が思ったより楽しいことだ。
「でもな、アリルのようなことですら再現できる存在がいるかもしれない」
「おや、意外ですな。女神が実在する、と?」
「違う。そんなことは言っていない。再現できるならアリルのようなことですら女神の御業とは言えないってことだ」
一般論として、千年も続く組織が清廉潔白なわけがない。ディミトリの考えは聞いてみなければ分からないが、クロードが中央教会に改善を求めなかったのは完全に他人事だったからだ。仮の話だがフォドラがパルミラ王国の新たな領土になるならば、対応が全く異なってくる。内心は問わないとして言動は法律に従わせねばならない。心のうちでは何を信じても構わないが───例えば異教徒の子供を生贄にするような儀式は法律で禁ずる。それが植民地経営というものだ。
「ではどう言うことが女神の御業になるのでしょうか?」
クロードの視線に気づいたヒューベルトがそう問いかけながら再び杯に水を注ぐ。話を引き延ばさねばならない立場だが、教会のものたちと積極的に話そうとしなかったヒューベルトがまだ女神について語り続けることがクロードにとって意外だった。小さな丸い水面に視線を落としたが都合よく自分の顔など映ってくれない。
「この世界を作るとかそういう、本当に一度きりしか起きないようなことを起こすのが神様ってやつなんだと思うぜ」
一考に値すると思ったのだろうか。ヒューベルトは顎に手を当て口を閉じてしまった。
(6)
ヒューベルトは主君であるエーデルガルトの身の安全が脅かされること以外に怖いものはない。中央教会も闇に蠢くものたちも強大な敵だが対処できる。いや、対処できるように手を打ってきた。
頭は心にそのように感じよ、という命令を出す。しかし心は理屈通りにいかないものだ。無理やりねじ伏せた心は次第に何も感じなくなっていったが、近頃はその心に肉迫するものたちがいる。
工作のため主君に付き従って入学した士官学校時代の知己たちは皆、個性的で誰一人として重なるところがない。名前と姿を奪われたアランデル公やモニカのことを思えば、良くないことだとわかっていてもこの五年間ですっかり級友たちに情が湧いてしまった。彼らが顔と名を奪われてしまったら、と考えるだけでヒューベルトの心は千々に乱れる。一度緩んだ蓋はすぐ開いてしまうらしい。
諦めにも似た予測を、予測より遥かに上をいくことで驚かされるのは嬉しいのだ。尋問の前にわざわざ時間を作ってヒューベルトを訪ねてくれたフェルディナントの言葉が脳裏に浮かぶ。彼の言う通り、クロードのような人間を打ち解けさせる鍵は素直さや誠実さかもしれない。
「意外でした。その手のことは一括して否定にかかるたちかと」
「否定するにしても信仰するにしても全ては知ることから始まるもんだろ」
そう言ったあとクロードは失念していたことでも思い出したのか───あ、と一言だけ声を発すると黙ってしまった。彼は闇に蠢くものたちの行いが人の営為の範疇に収まるという。ルミール村や宮城で連中が何をしたのか詳しく知らないからそんな浮世離れをした解釈が出来るのだ。知らないということは本当に恐ろしい。
「敵を知らねばならないのは私とて承知しておりますよ」
苛立ちを隠さずそう伝えた。クロードは思索に耽ることで干渉を遮断しようとしているがそうはさせない。ヒューベルトは、いやヒューベルトたちは目を閉じて見ないふりが出来るような環境にいたことがない。そんなことをすれば処断した父と同じになってしまうし、立場が弱かった頃は誰かが痛めつけられているうちに必死で安全を確保せねばならなかった。
「こっちは知識の扱い方がおかしいんだ。せっかく中央教会に宣戦布告したんだから、色々と固執してくれるなよ?」
ヒューベルトに共鳴したかのように緑の瞳にも苛立ちが浮かんだ。クロードはもう笑顔で感情を覆い隠していない。
人生には夜空と宝石が必要、とクロードが悟ったのは前髪が伸びて三つ編みを作れるようになった頃のこと、このままパルミラにいても宝石が手に入らないと悟ったのは初めて毒を盛られた時のことだった。
「何を仰りたいのやら……測りかねますな」
フォドラに住むものたちはセイロス教によって作り上げられた柔らかで強靱な繭に包まれてこの千年を過ごしている。そこにはどこまでも広がる夜空のような思索の広がりが存在しない。
「俺たちは中央教会を知っているが信じていない。だが〝知る〟と〝信じる〟の違いは何だ?」
「経験で信じない、と判断しました」
ヒューベルトの理性的な答えを聞き、クロードは眉を顰めた。やはり自由の何たるかを知らずに生きてきたエーデルガルトとヒューベルトには限界がある。
「その経験を以って誰よりも自分たちの方が上手くやれると〝信じた〟わけだ」
今度はヒューベルトが眉を顰める番だった。
「我々は現実逃避をしません」
ディミトリであればクロードの言葉に引っかからず、そのまま流すだろう。迷いのないヒューベルトの言葉を聞いたクロードはエーデルガルトかディミトリどちらかが死ぬまでこの戦争は終わらない、と悟った。
「中央教会は女神の不在が証明されることを許さなかったから学問や技術に制限をかけたんだろうな。なあ……ヒューベルト、エーデルガルトはどこまでなら許容するんだ?」
例えば、レンズを縦に二枚並べて肉眼では見えない遠くを───夜空を眺めることを中央教会は禁忌としている。この手法を禁じられては肉眼では見えない小さな物体を観察することが出来ない。きっと女神が実存するか否かに関係がある分野なのだ。
「エーデルガルト様は人の世を取り戻すために立ち上がられたのです」
「答えになってないぜ」
この質問が敗軍の将であるクロードからレスターの民、いや、フォドラ全ての民にあてた最後の贈り物になるかどうかはヒューベルトにかかっている。
(7)
聖墓での誓いなど反故にしてやりたい。この距離で椅子に括り付けられたクロードにダークスパイクを直撃させてやったらどれだけ気分がいいだろうか。だがこれまでに嵩んだ戦費の件が絡んでいる。主君であるエーデルガルトがベレスの提案を受け入れたのはそういう冷静な判断があってのことだ。ほぼ無傷の同盟領はともかく荒廃した王国を併合すれば復興費用がかかる。それをパルミラとの貿易で賄う算段がついて安堵できたことは否定できない。
ベレスが黒鷲遊撃軍に合流して以来───あと一押し何かあれば、一気に戦局を傾けられるのに───という主君エーデルガルトの口癖はすっかり鳴りを潜めていた。正直言ってヒューベルトにはベレスが何を考えいるのかさっぱり分からない。分からないがそれで構わないとも思っている。ヒューベルトにとってそんな存在は彼女しかいなかった。だからこそクロードが何を腹に抱えているのかを知らねばならない。
水を取りに行った時のようにまた頭に袋を被せてやってもいいのだが、それもクロードの思惑通りのように感じてしまう。ヒューベルトは黒髪をかき上げると緑の瞳をまっすぐ見つめた。この瞳がベレスの行動以外の全てを見通しているとしても、帝国の勝利に変わりはない。
「今は戦時下ですので勝つために必要な制限はかけるでしょうな」
だが自分の返答は何とつまらないのだろう。中央教会を否定するなら終戦後すぐに可能な限り情報を公開し、技術にかけられた制限を取り払ってレアとの違いを打ち出す必要がある。覚悟はしているがやはりどうしても活版印刷が厄介だ。
ヒューベルトも元より情報戦に利用するつもりでいたが、闇に蠢くものたちが活版印刷を悪用しないわけがない。政策に関する的外れな意見はいざとなったら権力で押さえつけることは可能だが、それでは軋轢や遺恨が残る。
「英雄の遺産に関してはどうするんだ?何のために墓荒らしをしたんだ?」
敗軍の将だからこそクロードは追求の手を緩めなかった。今の立場で取れる限りの責任を取ろうとしている。戦闘終了後、武装解除をさせた時にクロードからはフェイルノートを、ヒルダからはフライクーゲルを取り上げているので気にかけて当然だった。
フォドラでは世界を作りたもうた女神の御業の詳細を知り、信仰を深めるために学問が存在する。セイロス教会がフォドラの知識を独占するための方便だ。情熱が都合の悪い真実に到達しそうになったら涜神行為だ、と言って阻止すれば良い。地理的な条件でセイロス教の教会は分裂しているが、この中央教会のやり方が激しい反発を呼んだのも分裂した理由の一つだろう。
「残念ながら中央教会の秘密保持は及第点だったようです」
ヒューベルトはもうクロードと話すつもりがないのか尋問を切り上げようとしている。しかしクロードは彼の常識に楔を打ち込めればそれで良かったので───馬鹿正直にパルミラの哲学者たちの間でも未だに〝知る〟と〝信じる〟はどちらが高度な状態であるか論争が続いていることを伝えていない。
「残念ながら、な。ヒューベルト、お前はこれまでも周囲を疑って来たんだろうが、今後の猜疑心はこれまでとは一味違うぜ」
ヒューベルトはこれまで己の全てが中央教会のものたちと異なると〝信じて〟いた。だが今後はその根拠を周囲に、何よりも己に知らしめねばならない。これがクロードが猜疑心の塊を自称する理由だ。
敵の逆張りをするだけなら敵と同じ輪に閉じ込められてしまう。〝知る〟ことは否定を伴うので己を蝕んでいく。そんな心苦しい毎日を送るものは自由な夜空と何があろうと砕けないほど硬く、色褪せずに輝きを放つ───宝石のような何かを心に持たねばならない。
「受けて立ちましょう」
揺らぐ蝋燭の灯りに照らされるヒューベルトは心に宝石を持っているのだろうか。クロードは民に堪えることを止めさせたが、ディミトリには命より大切なものがある。きっと命が尽きるまで抗うはずだ。
幼い頃に願った、全てを帳消しにするような奇跡は結局、今に至るまでクロードの身には起きなかった。故に絶対という言葉や奇跡の実現をクロードが〝信じる〟ことはない。それでも人生にはそんな言葉を必要とする局面がある。
───クロード、君の追悼文はこの僕が書いてやる。だが、それは遠い未来の話なのだから絶対にまだ死んでくれるなよ───
だからクロードはあの時、どんなに見苦しくも出自を匂わせて命乞いすることが出来たのだ。
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