蒼月ルートのクロロレです。「家出息子たちの帰還.10」
#クロロレ #家出息子たちの帰還
───巫者が精霊や神と交流を持つ際にどのような手順を踏むのか、は巫者自身の魂をどう扱うのかによって変化する。ダスカーの巫者は己の肉体から魂を抜き、空き家状態となった肉体に精霊や神を宿して助言を得る。助言の内容を巫者は把握することができず、依頼人や助手に聞き取って貰わねばならない。(中略)安全に魂を抜くには手順が決まっている。太鼓に合わせて歌いながら踊るのだ───
士官学校の舞踏会は白鷺杯の翌日に行われる。制服着用で本来の舞踏会より地味な催しだが、ルミール村で見てしまったものから気を逸らすのには丁度いい。《家も人も黒焦げだ》舞踏会に慣れている貴族階級の学生は淡々としているが、平民や位階があまり高くない貴族の学生からすると王子や皇女と踊る一生に一度の機会だ。《そのまま突き飛ばせ》ディミトリもエーデルガルトも忙しい夜になることだろう。
怒号や悲鳴より足を踏んだ踏まれたぶつかった、と言う刺激の少ない会話の方が耳に心地よいからだろうか。《浮かれるな、お前の手は血まみれだ》今日は亡霊たちの声がうるさい。
「殿下、どこかお加減でも悪いのですか?」
授業が終わっても着席したまま考えごとをしていたせいか、心配したドゥドゥーがディミトリに声をかけた。彼の耳飾りが放つ鈍い輝きが気に食わないのか亡霊たちは言葉は意味を失い、甲高い声できいきいと叫んでいる。
「いや、何でもない。白鷺杯も絶対に観に行くつもりだ」
だからディミトリは嫌がらせのように人生を楽しむことにした。ベレトの踊りは剣技にも役立つ、という理屈でフェリクスが丸め込まれた件の顛末は絶対にロドリグに伝えてやりたい。
「そうですか、外に出て少し日に当たりましょう。俺もお供します」
ダスカー人であるドゥドゥーは幼い頃、たまにディミトリが理解できないことを薦めてきた。枝に布を掛ける、銅貨を煮る、地面の四隅に牛乳を注ぐ、などだ。大人に見つかると叱られるので殆どの提案は習慣として残っていない。だが日の光にあたるという行為だけはこうして根付いている。
中庭に出ると陽光の下でローレンツとヒルダによる宮廷舞踊の講座が開かれていた。二人とも一見そうは見えないのだが実は面倒見が良いし、周囲をよく観察している。クロードや不慣れな平民の学生が何かしでかさないか、が心配なのだろう。
レスターのものたちが騒いでいるので静かなところに移るべきか否か、をドゥドゥーが視線で問うてきた。賑やかな方がずっと良い。ディミトリは首を横に振った。
リーガン家に入った後、クロードが一番手こずったのが宮廷舞踊だった。パルミラでは身体を密着させて踊らない。それにこちらの女性は盛装する際に肩をむき出しにするのでなんだか落ち着かなかった。だが幸い士官学校の舞踏会は制服を着用することになっている。
多少の練習は積んだが、気の毒なことに平民の学生たちは場の雰囲気にのまれていた。国にたった一人の皇女や王子と踊る機会など、今日を逃せば彼らの生涯に訪れるはずがない。見えない仕切りの中で縮こまって快適に過ごす連中が嫌いだからクロードはフォドラにやってきた。
それならこの場でやることは決まっている。クロードは踊らずその場で佇んでいるものたちに視線を向けた。一番の人気者が不思議そうな顔で踊る学生を眺めている。
クロードがそんなベレトの手をとって大広間の真ん中に踊り出ると予想通り、周囲はざわめいた。踊り出てはみたもののクロードもベレトもディミトリやエーデルガルトのように宮廷舞踊に慣れているわけではない。曲が終わる頃には単に音楽に合わせて歩いているだけになってしまった。
だが場の空気は温まり、あちこちに会話の輪が生まれている。そこから予想外の組み合わせが広間の真ん中に文字通り踊り出ていく。クロードがそんな微笑ましい風景を肴に杯を傾けていると背後から声をかけられた。振り向くと皆に踊りを教えていたヒルダが苦笑している。
「クロードくん!出入り口も開いたし、ここが混んでるうちにそっと出ていった方がいいよ。怒られる前にね!」
確かに先ほどまでは全て閉じていた出入り口が何箇所か開放されていた。二人きりになりたい二人、がそれぞれに出ていくのだろう。クロードはヒルダの助言に従ってそっと大広間を後にした。今晩は仕切りの内も外も浮き足立っている。
人気のない場所ならどこでもいいのかと思ったが、案外女神の塔がある方へ向かっていくものが多い。幸せな風聞を信じているのは誰なのか確かめたい、という欲望がわく。クロードは好奇心のままに行動する喜びを知るものとして振る舞うことにした。
ダスカーの悲劇からファーガスが真に立ち直る日は来るのだろうか。これまでドゥドゥーはその件に関して悲観的だった。大多数の人々が悲しみから立ち上がる杖として憎悪を選び、同じ場所で足踏みをして過去を見ている。だが、昨晩と今晩は違った。
イングリットがその頃には陛下とお呼びしなくてはならないと言い、ディミトリも皆窮屈な身の上になっている、と言い返していた。これが特別な夜の奇跡というものだろうか。そして二日目の特別な夜はクロードのせいで更に攪拌された。
「ああ、疲れた!槍を振るう方がずっと楽だ!」
ディミトリは自室に戻って早々に愚痴をこぼしたが、その表情は明るい。ドゥドゥーは黙って青い外套を受け取り、形が崩れないように畳んだ。今は主人の言葉に耳を傾けていたい。
「でも……あぁ……言葉が出てこない、胸がいっぱいだ」
フェルディアの舞踏会ではいつも途方に暮れたような顔をしていたが、今晩のディミトリは活き活きとしている。イングリットがラファエルと、フェリクスがレオニーと踊ったからだ。二人ともグレンが亡くなって以来、舞踏会に出席したことがない。極論を言うとドゥドゥーはディミトリさえ幸せであれば他のものはどうでもいい。だが、ディミトリは他人や民が幸せでなければ幸せになれないのだ。だからドゥドゥーはイングリットにもフェリクスにも幸せになってほしい。蜂起したダスカーの民を救うため教会とベレトに頭を下げたディミトリが幸せになれないなら世界の方が間違っている。
「レスターのものたちは皆、大胆ですね。クロードの影響でしょうか」
ディミトリが手を差し出してきたのでドゥドゥーは籠手の紐を解いた。まだ少し早いが今晩は流石に書庫へ行かないのだろう。人前に出る可能性がある時、ディミトリは絶対に籠手を外さない。
「そうだな。場の雰囲気がああなったのはクロードのおかけだ。礼を言おうとしたらいつの間にか大広間から消えていた。疲れたのかもしれないな……」
ドゥドゥーはロドリグからディミトリとフェリクスの異性関係について探りを入れられたことがある。現状を知って深くため息をつき、士官学校から去っていった彼の姿は忘れ難い。きっと今の自分と同じ気持ちだったのだろう。畳む
#クロロレ #家出息子たちの帰還
───巫者が精霊や神と交流を持つ際にどのような手順を踏むのか、は巫者自身の魂をどう扱うのかによって変化する。ダスカーの巫者は己の肉体から魂を抜き、空き家状態となった肉体に精霊や神を宿して助言を得る。助言の内容を巫者は把握することができず、依頼人や助手に聞き取って貰わねばならない。(中略)安全に魂を抜くには手順が決まっている。太鼓に合わせて歌いながら踊るのだ───
士官学校の舞踏会は白鷺杯の翌日に行われる。制服着用で本来の舞踏会より地味な催しだが、ルミール村で見てしまったものから気を逸らすのには丁度いい。《家も人も黒焦げだ》舞踏会に慣れている貴族階級の学生は淡々としているが、平民や位階があまり高くない貴族の学生からすると王子や皇女と踊る一生に一度の機会だ。《そのまま突き飛ばせ》ディミトリもエーデルガルトも忙しい夜になることだろう。
怒号や悲鳴より足を踏んだ踏まれたぶつかった、と言う刺激の少ない会話の方が耳に心地よいからだろうか。《浮かれるな、お前の手は血まみれだ》今日は亡霊たちの声がうるさい。
「殿下、どこかお加減でも悪いのですか?」
授業が終わっても着席したまま考えごとをしていたせいか、心配したドゥドゥーがディミトリに声をかけた。彼の耳飾りが放つ鈍い輝きが気に食わないのか亡霊たちは言葉は意味を失い、甲高い声できいきいと叫んでいる。
「いや、何でもない。白鷺杯も絶対に観に行くつもりだ」
だからディミトリは嫌がらせのように人生を楽しむことにした。ベレトの踊りは剣技にも役立つ、という理屈でフェリクスが丸め込まれた件の顛末は絶対にロドリグに伝えてやりたい。
「そうですか、外に出て少し日に当たりましょう。俺もお供します」
ダスカー人であるドゥドゥーは幼い頃、たまにディミトリが理解できないことを薦めてきた。枝に布を掛ける、銅貨を煮る、地面の四隅に牛乳を注ぐ、などだ。大人に見つかると叱られるので殆どの提案は習慣として残っていない。だが日の光にあたるという行為だけはこうして根付いている。
中庭に出ると陽光の下でローレンツとヒルダによる宮廷舞踊の講座が開かれていた。二人とも一見そうは見えないのだが実は面倒見が良いし、周囲をよく観察している。クロードや不慣れな平民の学生が何かしでかさないか、が心配なのだろう。
レスターのものたちが騒いでいるので静かなところに移るべきか否か、をドゥドゥーが視線で問うてきた。賑やかな方がずっと良い。ディミトリは首を横に振った。
リーガン家に入った後、クロードが一番手こずったのが宮廷舞踊だった。パルミラでは身体を密着させて踊らない。それにこちらの女性は盛装する際に肩をむき出しにするのでなんだか落ち着かなかった。だが幸い士官学校の舞踏会は制服を着用することになっている。
多少の練習は積んだが、気の毒なことに平民の学生たちは場の雰囲気にのまれていた。国にたった一人の皇女や王子と踊る機会など、今日を逃せば彼らの生涯に訪れるはずがない。見えない仕切りの中で縮こまって快適に過ごす連中が嫌いだからクロードはフォドラにやってきた。
それならこの場でやることは決まっている。クロードは踊らずその場で佇んでいるものたちに視線を向けた。一番の人気者が不思議そうな顔で踊る学生を眺めている。
クロードがそんなベレトの手をとって大広間の真ん中に踊り出ると予想通り、周囲はざわめいた。踊り出てはみたもののクロードもベレトもディミトリやエーデルガルトのように宮廷舞踊に慣れているわけではない。曲が終わる頃には単に音楽に合わせて歩いているだけになってしまった。
だが場の空気は温まり、あちこちに会話の輪が生まれている。そこから予想外の組み合わせが広間の真ん中に文字通り踊り出ていく。クロードがそんな微笑ましい風景を肴に杯を傾けていると背後から声をかけられた。振り向くと皆に踊りを教えていたヒルダが苦笑している。
「クロードくん!出入り口も開いたし、ここが混んでるうちにそっと出ていった方がいいよ。怒られる前にね!」
確かに先ほどまでは全て閉じていた出入り口が何箇所か開放されていた。二人きりになりたい二人、がそれぞれに出ていくのだろう。クロードはヒルダの助言に従ってそっと大広間を後にした。今晩は仕切りの内も外も浮き足立っている。
人気のない場所ならどこでもいいのかと思ったが、案外女神の塔がある方へ向かっていくものが多い。幸せな風聞を信じているのは誰なのか確かめたい、という欲望がわく。クロードは好奇心のままに行動する喜びを知るものとして振る舞うことにした。
ダスカーの悲劇からファーガスが真に立ち直る日は来るのだろうか。これまでドゥドゥーはその件に関して悲観的だった。大多数の人々が悲しみから立ち上がる杖として憎悪を選び、同じ場所で足踏みをして過去を見ている。だが、昨晩と今晩は違った。
イングリットがその頃には陛下とお呼びしなくてはならないと言い、ディミトリも皆窮屈な身の上になっている、と言い返していた。これが特別な夜の奇跡というものだろうか。そして二日目の特別な夜はクロードのせいで更に攪拌された。
「ああ、疲れた!槍を振るう方がずっと楽だ!」
ディミトリは自室に戻って早々に愚痴をこぼしたが、その表情は明るい。ドゥドゥーは黙って青い外套を受け取り、形が崩れないように畳んだ。今は主人の言葉に耳を傾けていたい。
「でも……あぁ……言葉が出てこない、胸がいっぱいだ」
フェルディアの舞踏会ではいつも途方に暮れたような顔をしていたが、今晩のディミトリは活き活きとしている。イングリットがラファエルと、フェリクスがレオニーと踊ったからだ。二人ともグレンが亡くなって以来、舞踏会に出席したことがない。極論を言うとドゥドゥーはディミトリさえ幸せであれば他のものはどうでもいい。だが、ディミトリは他人や民が幸せでなければ幸せになれないのだ。だからドゥドゥーはイングリットにもフェリクスにも幸せになってほしい。蜂起したダスカーの民を救うため教会とベレトに頭を下げたディミトリが幸せになれないなら世界の方が間違っている。
「レスターのものたちは皆、大胆ですね。クロードの影響でしょうか」
ディミトリが手を差し出してきたのでドゥドゥーは籠手の紐を解いた。まだ少し早いが今晩は流石に書庫へ行かないのだろう。人前に出る可能性がある時、ディミトリは絶対に籠手を外さない。
「そうだな。場の雰囲気がああなったのはクロードのおかけだ。礼を言おうとしたらいつの間にか大広間から消えていた。疲れたのかもしれないな……」
ドゥドゥーはロドリグからディミトリとフェリクスの異性関係について探りを入れられたことがある。現状を知って深くため息をつき、士官学校から去っていった彼の姿は忘れ難い。きっと今の自分と同じ気持ちだったのだろう。畳む
蒼月ルートのクロロレです。「家出息子たちの帰還.9」#クロロレ #家出息子たちの帰還
───鉄鍛治職人の道具に生贄の雄山羊を捧げる儀式を執り行うのは精霊や神と交流する力を持つ巫者だ。金槌や大槌などの鉄鍛治道具はそれぞれに神が宿っている。巫者はそれらの神々の名前を巧みに取り入れた祈祷歌を歌いながら順番に祈りを捧げていく。(中略)ダスカーの悲劇の後、ファーガス本土からの入植者たちはダスカー人の鉄鍛治小屋の建造を制限した。生活必需品である農機具の数を管理することによって支配力を強化し───
疫病、と聞いてシルヴァンの胸は再びざわついた。疫病が蔓延していなかったらシルヴァンはこの世に生まれていない。疫病が蔓延したからシルヴァンの父は身重であった前妻を北方に避難させた。そこで彼女が命を落としたからシルヴァンの母はゴーティエ家に後添えとして入っている。
だが漏れ聞こえてくる話が刻一刻と変わっていく。そのうち呪いではないか、という意見が優勢となった。荒事なら何の心配もないが疫病も呪いも殴ることはできない。たが青獅子の学級には今節もセイロス騎士団の補助をせよ、という課題と護符が与えられた。
通常なら目的地に到着する前に装備の確認をする。だがルミール村が近づくにつれて煙の匂いや騒ぎ声が増してきた。シルヴァンと馬首を並べているローレンツが手綱を短く持ち、馬を慰めるように首をそっと撫でている。一刻も早く村に入って現状を確認せねばならない。
村の中は想像よりはるかにひどい有様で暴れる村人を無力化するだけでも一苦労だった。可能な限り村人を助けたつもりだが、それでも無力感はこちらを打ちのめしてくる。中央教会の内部におかしな術を使う輩が入り込んでいることも判明して気が休まらない。それに加えてシルヴァンはフェリクスが何故ディミトリに対してああいう態度を取るのか理解してしまった。身に秘めた激情が苛烈すぎる。
「シルヴァン、先ほどからため息ばかりだな。気持ちはわかるが」
「流石の俺でも言葉が出てこない」
馬首を並べているローレンツの声にもいつものような張りがない。空元気を出しそびれているようだった。
「……無理にでも話さなくては駄目だ」
「言えるようなことは何もないさ」
「ため息しかつかなくなった僕のねえやはその後、程なくして自ら命を絶った」
口を閉ざす理由はいくらでも思いつく。だがそれらは助言をはねつける理由にならない。
「それは……残念だったな」
「それで済まされたくないなら誰かと話すべきだ。皆シルヴァンの話を聞きたいはずだ」
そう言うとローレンツは馬首を翻し、少し遅れて青獅子の学級に入ってきたラファエルがいる後方に向かってしまった。きっと彼の話を聞くのだろう。
ガルグ=マクに戻ったローレンツは出迎えてくれたクロードの表情を見て、今の自分がどんな顔をしているのか察した。誤魔化すように挨拶しながら手櫛で髪を整えてみたが効果はたかが知れている。コナン塔の時は寄る辺のない不安と恐怖のせいで息が苦しかった。今は無力感と疑念で腹の内がかき混ぜられたような気分になっている。
「疲れてるところ悪いがちょっと来てくれるか?」
そっと耳打ちした声が穏やかだったことが今のローレンツにはありがたかった。リーガン家の嫡子であるクロードは近い将来、レスター諸侯同盟の盟主になる。だから彼はルミール村を襲った悲劇、そしてゴドフロア卿一家とラファエルの両親を襲った悲劇の詳細を知らねばならない。
入浴を済ませて訪れたクロードの部屋は手伝いなしにしては、という但し書きつきだがそれでも片付けてあった。寝台の脇にはいつものように椅子と小さな卓が用意してある。ローレンツが促されるままに寝台に座るとクロードは椅子に座って足を組んだ。緑色の瞳に爪先からてっぺんまで観察される。
「何か話すにしても一杯やってからの方が良さそうだ」
「残念だが素面のうちに伝えねばならないことがある。茶化さずに聞きたまえ」
トマシュの件を酒や見間違いのせいにするわけにいかない。ローレンツは人の外見や声を盗んだ輩について見た通りに語った。クロードはトマシュに懐いていたので衝撃だったのだろう。言葉を失っていた。
「グロスタール家の家臣が一人行方不明になっている。彼は姿を消す前に傭兵団を雇ってグロスタール領とリーガン領を行き来する商人を襲うように命令した」
「だから俺が嫡子に……」
リーガン公がクロードを引っ張り出すきっかけとなった事件にグロスタール家が利用されている。ローレンツはそのことがひどく腹立たしい。
「当然、父はそのような命令など出していない。その家臣は行方不明になる前、ある時から人が変わったような言動が目立った」
そして恋人の変化に絶望したねえやは自ら命を絶った。最悪に最悪が重なったのだろう。ローレンツはこの後、村人がどんな目にあったのかも伝えねばらない。畳む
───鉄鍛治職人の道具に生贄の雄山羊を捧げる儀式を執り行うのは精霊や神と交流する力を持つ巫者だ。金槌や大槌などの鉄鍛治道具はそれぞれに神が宿っている。巫者はそれらの神々の名前を巧みに取り入れた祈祷歌を歌いながら順番に祈りを捧げていく。(中略)ダスカーの悲劇の後、ファーガス本土からの入植者たちはダスカー人の鉄鍛治小屋の建造を制限した。生活必需品である農機具の数を管理することによって支配力を強化し───
疫病、と聞いてシルヴァンの胸は再びざわついた。疫病が蔓延していなかったらシルヴァンはこの世に生まれていない。疫病が蔓延したからシルヴァンの父は身重であった前妻を北方に避難させた。そこで彼女が命を落としたからシルヴァンの母はゴーティエ家に後添えとして入っている。
だが漏れ聞こえてくる話が刻一刻と変わっていく。そのうち呪いではないか、という意見が優勢となった。荒事なら何の心配もないが疫病も呪いも殴ることはできない。たが青獅子の学級には今節もセイロス騎士団の補助をせよ、という課題と護符が与えられた。
通常なら目的地に到着する前に装備の確認をする。だがルミール村が近づくにつれて煙の匂いや騒ぎ声が増してきた。シルヴァンと馬首を並べているローレンツが手綱を短く持ち、馬を慰めるように首をそっと撫でている。一刻も早く村に入って現状を確認せねばならない。
村の中は想像よりはるかにひどい有様で暴れる村人を無力化するだけでも一苦労だった。可能な限り村人を助けたつもりだが、それでも無力感はこちらを打ちのめしてくる。中央教会の内部におかしな術を使う輩が入り込んでいることも判明して気が休まらない。それに加えてシルヴァンはフェリクスが何故ディミトリに対してああいう態度を取るのか理解してしまった。身に秘めた激情が苛烈すぎる。
「シルヴァン、先ほどからため息ばかりだな。気持ちはわかるが」
「流石の俺でも言葉が出てこない」
馬首を並べているローレンツの声にもいつものような張りがない。空元気を出しそびれているようだった。
「……無理にでも話さなくては駄目だ」
「言えるようなことは何もないさ」
「ため息しかつかなくなった僕のねえやはその後、程なくして自ら命を絶った」
口を閉ざす理由はいくらでも思いつく。だがそれらは助言をはねつける理由にならない。
「それは……残念だったな」
「それで済まされたくないなら誰かと話すべきだ。皆シルヴァンの話を聞きたいはずだ」
そう言うとローレンツは馬首を翻し、少し遅れて青獅子の学級に入ってきたラファエルがいる後方に向かってしまった。きっと彼の話を聞くのだろう。
ガルグ=マクに戻ったローレンツは出迎えてくれたクロードの表情を見て、今の自分がどんな顔をしているのか察した。誤魔化すように挨拶しながら手櫛で髪を整えてみたが効果はたかが知れている。コナン塔の時は寄る辺のない不安と恐怖のせいで息が苦しかった。今は無力感と疑念で腹の内がかき混ぜられたような気分になっている。
「疲れてるところ悪いがちょっと来てくれるか?」
そっと耳打ちした声が穏やかだったことが今のローレンツにはありがたかった。リーガン家の嫡子であるクロードは近い将来、レスター諸侯同盟の盟主になる。だから彼はルミール村を襲った悲劇、そしてゴドフロア卿一家とラファエルの両親を襲った悲劇の詳細を知らねばならない。
入浴を済ませて訪れたクロードの部屋は手伝いなしにしては、という但し書きつきだがそれでも片付けてあった。寝台の脇にはいつものように椅子と小さな卓が用意してある。ローレンツが促されるままに寝台に座るとクロードは椅子に座って足を組んだ。緑色の瞳に爪先からてっぺんまで観察される。
「何か話すにしても一杯やってからの方が良さそうだ」
「残念だが素面のうちに伝えねばならないことがある。茶化さずに聞きたまえ」
トマシュの件を酒や見間違いのせいにするわけにいかない。ローレンツは人の外見や声を盗んだ輩について見た通りに語った。クロードはトマシュに懐いていたので衝撃だったのだろう。言葉を失っていた。
「グロスタール家の家臣が一人行方不明になっている。彼は姿を消す前に傭兵団を雇ってグロスタール領とリーガン領を行き来する商人を襲うように命令した」
「だから俺が嫡子に……」
リーガン公がクロードを引っ張り出すきっかけとなった事件にグロスタール家が利用されている。ローレンツはそのことがひどく腹立たしい。
「当然、父はそのような命令など出していない。その家臣は行方不明になる前、ある時から人が変わったような言動が目立った」
そして恋人の変化に絶望したねえやは自ら命を絶った。最悪に最悪が重なったのだろう。ローレンツはこの後、村人がどんな目にあったのかも伝えねばらない。畳む
蒼月ルートのクロロレです。「家出息子たちの帰還.8」
#クロロレ #家出息子たちの帰還
───鉄鍛冶職人は武具、馬具、調理器具、農機具と言った人間の生活に関わる品だけでなく巫者が使う呪具、つまり精霊や祖霊が関わる品も作る。霊を呼ぶ時に鳴らす鈴や儀式の際に使う角付きの兜、捧げ物を載せておく皿などだ。ダスカーの神話では、鉄鍛治の技法は天から授かったとされている(中略) 霊力がある鉄鍛治職人は祈祷を捧げながら呪具を作り、霊力を移す。霊力を吸い取ってしまわぬよう彼らの仕事道具には数年に一度、生贄が捧げられる───
アドラステア帝国からディミトリの母国ファーガス神聖王国が独立し、ファーガス神聖王国からレスター諸侯同盟が独立した。どの国もセイロス教を信じているせいか帝国は南征、王国は北伐、同盟もパルミラの侵攻を止める防衛戦しかしない。国の周縁がちぎれていく時以外フォドラの中で大乱が起きることはなかった。
魂の平穏を司るガルグ=マク大司教座はフォドラの中心でもある。《そのなまくらをへし折って捨てろ、首をねじ切れ》そこに三国の若者が集い、グロンダーズの野で武を競い合うのが鷲獅子戦だ。国同士の争いが絶えて久しいフォドラでは学生時代の勝ち負けが終生にわたって付きまとう。
故郷であるファーガスや山中であるガルグ=マクと比べると生温い、平地の空気が身体にまとわりついている。豊かな穀倉地帯の空気がディミトリにはひどく濃厚な気がした。
行軍中、殆どの学生たちは緊張していたが中には例外もいる。フェリクスは冷めた目で辺りを見回していたし、クロードは不思議そうな顔をして緊張する学生たちを眺めていた。確かにこんなものは児戯に過ぎない。
「仲良く行軍しといて今から敵味方だ、と言われても調子が出ないよな」
「あら、敵味方なんていつ切り替わるか分からないものでしょう?」
引率役の騎士から演習をつつがなく進行するため最後の確認を、と言われた級長たちは本部に集められていた。彼らが手にしている斧も弓矢も訓練用に殺傷力を削いである。《けだもの、その槍をあいつの目玉に突き刺せ、きちんとねじこめ》クロードの髪飾りが持ち主の動きに合わせてちらちらと揺れるせいか反射的にディミトリの瞼は痙攣した。《きっと目玉はぐしゃぐしゃだ》それを誤魔化すように籠手を付けたままの手で軽く頬を押さえる。《油断するな、ここは敵だらけだ》
「争うな、と言うことかもしれない」
ディミトリは半分、亡霊たちに対して言い返した。
「王子様は面白いことを言う。親近感が刃を鈍らせるかどうか、は検証する価値があるかもな」
ゴーティエ辺境伯は北の地で命を落とした帝国出身の前妻とガルグ=マクで出会っている。無骨な彼と前妻の愛の証は破裂の槍が喰らってしまった。
ガルグ=マクに帰還後、クロードの提案で勝者敗者の区別なく全員参加の宴が開かれた。勝者だけで呑んでも親近感は育たない。同盟のものたちは奢侈が過ぎる、と眉を顰めるものもいたがそんな風だから母方の先祖は王国から独立したのだろう。
だが今はクロードも輪に加わって手拍子を打って騒いでいる。王国に伝わる酒の飲み方で正直言ってかなり野蛮だ。男女混合ではやらない。参加出来るのは発起人と同じ性別のものだけだ。参加者はまず輪になって座る。そして真ん中に空になった酒瓶を寝かせてくるくると回し、止まるまで手を叩きながら待つ。止まった時に酒瓶の口の真正面にいるものは酒で満たされた自分の杯を飲み干さねばならない。最初に発起人のシルヴァンからその手順を聞いた時、クロードは瓶の回し方次第でいくらでも酒量が操作出来るのではないかと疑った。しかしこの場に限っては皆、疲労と酩酊で手先は狂っているのでその手の不正はない。
今回、酒瓶が指名したのはアッシュだ。向かい側にいるクロードから見てもわかるほど彼の頬は酒精で赤く染まっている。
「かっこいいとこ見せてくれ!無理なら喜んで手伝うぜ」
「アッシュ、こいつの言うことは聞かなくていい。シルヴァンは単に他人の酒が呑みたいだけだ」
「シルヴァンもフェリクスも心配しなくていいですよ!」
周りは好き勝手に囃し立てるがこうして助け舟も出す。アッシュはこうした呑み方に慣れているのかどちらも否定せず、強いられたわけでもないのに杯を空にして掲げた。クロードの隣に座るローレンツも苦笑しながら手を叩いている。
「意外だな。下品だなんだと文句を言うかと思ったが」
「今は気楽な場だからこれで良い。だが円卓会議には導入するな」
機嫌の悪そうな諸侯たちが手拍子を打ち、円卓の真ん中で寝かせた酒瓶がくるくると回転する様子を想像したクロードは思わず吹き出してしまった。ローレンツ本人は嫌がるだろうが議題として提案し、国の記録に残してやりたいとすら思う。だがそこまでやっても彼が他者を許容する様子や手を叩く音はクロードが心に刻んでおくしかない。畳む
#クロロレ #家出息子たちの帰還
───鉄鍛冶職人は武具、馬具、調理器具、農機具と言った人間の生活に関わる品だけでなく巫者が使う呪具、つまり精霊や祖霊が関わる品も作る。霊を呼ぶ時に鳴らす鈴や儀式の際に使う角付きの兜、捧げ物を載せておく皿などだ。ダスカーの神話では、鉄鍛治の技法は天から授かったとされている(中略) 霊力がある鉄鍛治職人は祈祷を捧げながら呪具を作り、霊力を移す。霊力を吸い取ってしまわぬよう彼らの仕事道具には数年に一度、生贄が捧げられる───
アドラステア帝国からディミトリの母国ファーガス神聖王国が独立し、ファーガス神聖王国からレスター諸侯同盟が独立した。どの国もセイロス教を信じているせいか帝国は南征、王国は北伐、同盟もパルミラの侵攻を止める防衛戦しかしない。国の周縁がちぎれていく時以外フォドラの中で大乱が起きることはなかった。
魂の平穏を司るガルグ=マク大司教座はフォドラの中心でもある。《そのなまくらをへし折って捨てろ、首をねじ切れ》そこに三国の若者が集い、グロンダーズの野で武を競い合うのが鷲獅子戦だ。国同士の争いが絶えて久しいフォドラでは学生時代の勝ち負けが終生にわたって付きまとう。
故郷であるファーガスや山中であるガルグ=マクと比べると生温い、平地の空気が身体にまとわりついている。豊かな穀倉地帯の空気がディミトリにはひどく濃厚な気がした。
行軍中、殆どの学生たちは緊張していたが中には例外もいる。フェリクスは冷めた目で辺りを見回していたし、クロードは不思議そうな顔をして緊張する学生たちを眺めていた。確かにこんなものは児戯に過ぎない。
「仲良く行軍しといて今から敵味方だ、と言われても調子が出ないよな」
「あら、敵味方なんていつ切り替わるか分からないものでしょう?」
引率役の騎士から演習をつつがなく進行するため最後の確認を、と言われた級長たちは本部に集められていた。彼らが手にしている斧も弓矢も訓練用に殺傷力を削いである。《けだもの、その槍をあいつの目玉に突き刺せ、きちんとねじこめ》クロードの髪飾りが持ち主の動きに合わせてちらちらと揺れるせいか反射的にディミトリの瞼は痙攣した。《きっと目玉はぐしゃぐしゃだ》それを誤魔化すように籠手を付けたままの手で軽く頬を押さえる。《油断するな、ここは敵だらけだ》
「争うな、と言うことかもしれない」
ディミトリは半分、亡霊たちに対して言い返した。
「王子様は面白いことを言う。親近感が刃を鈍らせるかどうか、は検証する価値があるかもな」
ゴーティエ辺境伯は北の地で命を落とした帝国出身の前妻とガルグ=マクで出会っている。無骨な彼と前妻の愛の証は破裂の槍が喰らってしまった。
ガルグ=マクに帰還後、クロードの提案で勝者敗者の区別なく全員参加の宴が開かれた。勝者だけで呑んでも親近感は育たない。同盟のものたちは奢侈が過ぎる、と眉を顰めるものもいたがそんな風だから母方の先祖は王国から独立したのだろう。
だが今はクロードも輪に加わって手拍子を打って騒いでいる。王国に伝わる酒の飲み方で正直言ってかなり野蛮だ。男女混合ではやらない。参加出来るのは発起人と同じ性別のものだけだ。参加者はまず輪になって座る。そして真ん中に空になった酒瓶を寝かせてくるくると回し、止まるまで手を叩きながら待つ。止まった時に酒瓶の口の真正面にいるものは酒で満たされた自分の杯を飲み干さねばならない。最初に発起人のシルヴァンからその手順を聞いた時、クロードは瓶の回し方次第でいくらでも酒量が操作出来るのではないかと疑った。しかしこの場に限っては皆、疲労と酩酊で手先は狂っているのでその手の不正はない。
今回、酒瓶が指名したのはアッシュだ。向かい側にいるクロードから見てもわかるほど彼の頬は酒精で赤く染まっている。
「かっこいいとこ見せてくれ!無理なら喜んで手伝うぜ」
「アッシュ、こいつの言うことは聞かなくていい。シルヴァンは単に他人の酒が呑みたいだけだ」
「シルヴァンもフェリクスも心配しなくていいですよ!」
周りは好き勝手に囃し立てるがこうして助け舟も出す。アッシュはこうした呑み方に慣れているのかどちらも否定せず、強いられたわけでもないのに杯を空にして掲げた。クロードの隣に座るローレンツも苦笑しながら手を叩いている。
「意外だな。下品だなんだと文句を言うかと思ったが」
「今は気楽な場だからこれで良い。だが円卓会議には導入するな」
機嫌の悪そうな諸侯たちが手拍子を打ち、円卓の真ん中で寝かせた酒瓶がくるくると回転する様子を想像したクロードは思わず吹き出してしまった。ローレンツ本人は嫌がるだろうが議題として提案し、国の記録に残してやりたいとすら思う。だがそこまでやっても彼が他者を許容する様子や手を叩く音はクロードが心に刻んでおくしかない。畳む
蒼月ルートのクロロレです。「家出息子たちの帰還.7」
#クロロレ #家出息子たちの帰還
───ダスカーやパルミラの巫者は患者の主体的な経験としての苦しみを癒す。フォドラの回復魔法や医術のように客体的な疾患を治療するわけではない。だから霊的な理由で体調不良に陥る、と信じるものたちも骨折や脱臼の際には骨接ぎを利用するし、発熱の際はまず、薬師に薬草を煎じてもらう。(中略)おそらく病という単語の意味がフォドラとは違うのだ。彼らの苦しみは他者に認められて初めて認識される───
フレンが行方不明になった。学生も彼女の行方を探すようとのお達しが出ていて、シルヴァンはひどく居心地が悪い。自分がマイクランに殺されかけた時もこんな騒ぎだったのかもしれない、と思うと感情が昂る。───お前を山に還せば母上が喜ぶ───
ゴーティエ家には一時停戦の証としてスレン族の若者が預けられることがあった。異教徒である彼にフォドラの内情を知らしめ、その上で向こうに戻せば何かの役に立つかもしれない。同じことはこちらでも起き、両者の常識が滲んでいった。
マイクランも悲しみと怒りを撒き散らすきっかけが欲しかっただけで本気で信じていなかっただろう。父はなんと愚かで無意味なことを、と言って兄を叱りつけていた。だが、本当に腹違いの弟を山に捧げれば前妻や生まれてくるはずだった子供が必ず蘇るとしたらどうだろうか。それでもゴーティエの紋章を選ぶのか、前妻を選ぶのか。
「シルヴァン、手が止まっている」
課題協力を繰り返した結果、担任教師であるベレトに誘われて転籍してきたローレンツが眉間に皺を寄せている。大柄な男二人がしゃがんで草むしりをしているさまは妙に滑稽だった。
「なあ、フレンの件についてどう思う?」
ローレンツとフェルディナントはどの名家にとっても理想の第一子だ。健康な男で紋章をその身に宿している。
「情熱に突き動かされ、彼女に手を差し出す者が存在していて欲しい」
シルヴァンは思わず瞬きをした。ローレンツもそう言う存在を欲しているのだろうか。自分なら絶対にその手を取らないし、それが自分の闇だ。
「意外だな。妹や弟が駆け落ちしたらどうするんだ?」
「僕に言わないはずがないだろう」
ローレンツはしゃがみ込んで雑草を抜いているはずなのに何故か自慢げな顔をしている。
「親に告げ口でもするのか?」
「連絡だけは絶やさぬように説得する。フレンさんが言わなかったのならそう言うこと、なのだろう」
彼の弟妹がその身に紋章を宿しているかどうかシルヴァンは知らない。だが、彼ならマイクランと同じ立場になっても自分を憎まないのではないかと思った。
いつ自領に戻るように、と言われても不思議ではない。平然としているように見えて、内心でローレンツは頭を抱えていた。イエリッツァが聖墓を荒らした輩の仲間だったという。聖墓やフレンを結びつける何某かがあるのだがローレンツにはその線が上手く引けない。それに目隠しをされた状態で最適解に辿り着け、と言われているようで何だか癪に触った。
ただ、ディミトリも言うように彼女が無事に発見されてよかった、と思う。ローレンツを青獅子の学級に誘ったベレトは基本無表情だが、あの時は珍しく嬉しそうな顔をしていた。フレンの件で延期になったものの食堂で歓迎会まで開いてくれている。質実剛健なファーガスのものたちらしく、あり物で済ませているのが微笑ましい。
「クロードは寂しくなるね」
「いや、アネットさん。あいつと僕は死ぬまで縁が切れない。だから学生時代のほんの一瞬くらいは構わないかと思ったのだ」
ローレンツは将来、家督を継ぐことになる。リーガン家とグロスタール家が円卓会議に参加する五大諸侯の一員である限り、クロードとは生涯を共にすることになるだろう。
「そうだね、寮の部屋も移らないし!それにしてもローレンツとガルグ=マクで再会するとは思わなかったな、私」
「きっと女神様のお導きね〜」
咄嗟に笑顔は作ったが信心深いメルセデスの言葉にローレンツは心から頷くことができない。確かに、幸運なことに、フェルディアで断たれた学問の道がガルグ=マクではまだ続いている。
セイロス騎士団が守りを固めるガルグ=マクなら安全だと思って子女を送り出している名家の親は多い。しかしイエリッツァは聖墓を荒らした輩の仲間で、そんな男が教師として入り込んでいた。先日救出されたモニカの件も帰路のことまで責任を負えない、という理屈はわかる。だが親たちには報告や警告をすべきだ。快く送り出してくれた父の耳に入っていたのだろうか。
中央教会はひどく緩んでいる。ローレンツがベレトからの誘いに乗ったのは彼が中央教会の文化に深く染まっていなかったから、と言うことが大きい。
ツィリルは毎朝、朝を告げる鐘が鳴り響く前に目を覚ます。寝る前に汲んだ水で顔を洗って身支度を整え、礼拝でも学生たちのようにふざけたりはしない。自分に何か瑕疵があれば引き立ててくれたレアに迷惑をかけてしまう。だが礼拝の説教は何を言っているのかよく分からないし、聖典は読めない。
そもそも故郷の村にやってきた巫者が占いに使う骨を見せてくれるまで、ツィリルは文字というものを認識したことがなかった。巫者は霊をその身に下ろす前にその是非を問う。出た卦が悪い場合は日を改めることが多い。巫者が霊力を使って無理矢理下ろしても霊は宴会の最中だ、と言って天界に戻ってしまう。
パルミラの天界や死後の世界には地上と変わらない生活がある。そんな故郷の霊と比べるとセイロス教の女神や聖人は真面目だ。死後の世界は礼拝の説教で取り上げられることもなく、やたらぼやけているが静謐な日々はツィリルの性分に合っている。
掃除をしていると朝食をとりに行く学生たちとすれ違う。ツィリルは基本、毎年顔ぶれが変わる彼らに注目しないが今年は例外だ。ツィリルの知るモニカは慎ましいと気持ち悪いが両立する奇人だったが絶対に傍若無人ではなかった。今の彼女はひたすらおぞましい。
先ほどすれ違った際もエーデルガルトに馴れ馴れしくしていて不気味だった。何かに取り憑かれているのだろうか。考えても無意味なことを考えているうちにツィリルは箒を手に立ち止まっていたらしい。背中に衝撃を感じた時には柄を手放し、よろめいて膝をついてしまった。足元には箒と籠、そしてその中身らしき布の包みが転がっている。包まれているのは麵麭と乾酪だろうか。
「すまない、ぶつかっちまったな」
「ごめん、クロード。今のはぼんやりしてたボクが悪い。荷物とか大丈夫?」
「食堂できちんと包んでもらったから大丈夫だ。でも俺がここで転んだことはローレンツには内緒な」
どうやらローレンツは珍しく臥せっていて、クロードは彼に朝食を差し入れをするつもりらしい。ツィリルが転がった布の包みと籠を拾ってクロードに渡してやると礼を言い、小走りに去っていった。畳む
#クロロレ #家出息子たちの帰還
───ダスカーやパルミラの巫者は患者の主体的な経験としての苦しみを癒す。フォドラの回復魔法や医術のように客体的な疾患を治療するわけではない。だから霊的な理由で体調不良に陥る、と信じるものたちも骨折や脱臼の際には骨接ぎを利用するし、発熱の際はまず、薬師に薬草を煎じてもらう。(中略)おそらく病という単語の意味がフォドラとは違うのだ。彼らの苦しみは他者に認められて初めて認識される───
フレンが行方不明になった。学生も彼女の行方を探すようとのお達しが出ていて、シルヴァンはひどく居心地が悪い。自分がマイクランに殺されかけた時もこんな騒ぎだったのかもしれない、と思うと感情が昂る。───お前を山に還せば母上が喜ぶ───
ゴーティエ家には一時停戦の証としてスレン族の若者が預けられることがあった。異教徒である彼にフォドラの内情を知らしめ、その上で向こうに戻せば何かの役に立つかもしれない。同じことはこちらでも起き、両者の常識が滲んでいった。
マイクランも悲しみと怒りを撒き散らすきっかけが欲しかっただけで本気で信じていなかっただろう。父はなんと愚かで無意味なことを、と言って兄を叱りつけていた。だが、本当に腹違いの弟を山に捧げれば前妻や生まれてくるはずだった子供が必ず蘇るとしたらどうだろうか。それでもゴーティエの紋章を選ぶのか、前妻を選ぶのか。
「シルヴァン、手が止まっている」
課題協力を繰り返した結果、担任教師であるベレトに誘われて転籍してきたローレンツが眉間に皺を寄せている。大柄な男二人がしゃがんで草むしりをしているさまは妙に滑稽だった。
「なあ、フレンの件についてどう思う?」
ローレンツとフェルディナントはどの名家にとっても理想の第一子だ。健康な男で紋章をその身に宿している。
「情熱に突き動かされ、彼女に手を差し出す者が存在していて欲しい」
シルヴァンは思わず瞬きをした。ローレンツもそう言う存在を欲しているのだろうか。自分なら絶対にその手を取らないし、それが自分の闇だ。
「意外だな。妹や弟が駆け落ちしたらどうするんだ?」
「僕に言わないはずがないだろう」
ローレンツはしゃがみ込んで雑草を抜いているはずなのに何故か自慢げな顔をしている。
「親に告げ口でもするのか?」
「連絡だけは絶やさぬように説得する。フレンさんが言わなかったのならそう言うこと、なのだろう」
彼の弟妹がその身に紋章を宿しているかどうかシルヴァンは知らない。だが、彼ならマイクランと同じ立場になっても自分を憎まないのではないかと思った。
いつ自領に戻るように、と言われても不思議ではない。平然としているように見えて、内心でローレンツは頭を抱えていた。イエリッツァが聖墓を荒らした輩の仲間だったという。聖墓やフレンを結びつける何某かがあるのだがローレンツにはその線が上手く引けない。それに目隠しをされた状態で最適解に辿り着け、と言われているようで何だか癪に触った。
ただ、ディミトリも言うように彼女が無事に発見されてよかった、と思う。ローレンツを青獅子の学級に誘ったベレトは基本無表情だが、あの時は珍しく嬉しそうな顔をしていた。フレンの件で延期になったものの食堂で歓迎会まで開いてくれている。質実剛健なファーガスのものたちらしく、あり物で済ませているのが微笑ましい。
「クロードは寂しくなるね」
「いや、アネットさん。あいつと僕は死ぬまで縁が切れない。だから学生時代のほんの一瞬くらいは構わないかと思ったのだ」
ローレンツは将来、家督を継ぐことになる。リーガン家とグロスタール家が円卓会議に参加する五大諸侯の一員である限り、クロードとは生涯を共にすることになるだろう。
「そうだね、寮の部屋も移らないし!それにしてもローレンツとガルグ=マクで再会するとは思わなかったな、私」
「きっと女神様のお導きね〜」
咄嗟に笑顔は作ったが信心深いメルセデスの言葉にローレンツは心から頷くことができない。確かに、幸運なことに、フェルディアで断たれた学問の道がガルグ=マクではまだ続いている。
セイロス騎士団が守りを固めるガルグ=マクなら安全だと思って子女を送り出している名家の親は多い。しかしイエリッツァは聖墓を荒らした輩の仲間で、そんな男が教師として入り込んでいた。先日救出されたモニカの件も帰路のことまで責任を負えない、という理屈はわかる。だが親たちには報告や警告をすべきだ。快く送り出してくれた父の耳に入っていたのだろうか。
中央教会はひどく緩んでいる。ローレンツがベレトからの誘いに乗ったのは彼が中央教会の文化に深く染まっていなかったから、と言うことが大きい。
ツィリルは毎朝、朝を告げる鐘が鳴り響く前に目を覚ます。寝る前に汲んだ水で顔を洗って身支度を整え、礼拝でも学生たちのようにふざけたりはしない。自分に何か瑕疵があれば引き立ててくれたレアに迷惑をかけてしまう。だが礼拝の説教は何を言っているのかよく分からないし、聖典は読めない。
そもそも故郷の村にやってきた巫者が占いに使う骨を見せてくれるまで、ツィリルは文字というものを認識したことがなかった。巫者は霊をその身に下ろす前にその是非を問う。出た卦が悪い場合は日を改めることが多い。巫者が霊力を使って無理矢理下ろしても霊は宴会の最中だ、と言って天界に戻ってしまう。
パルミラの天界や死後の世界には地上と変わらない生活がある。そんな故郷の霊と比べるとセイロス教の女神や聖人は真面目だ。死後の世界は礼拝の説教で取り上げられることもなく、やたらぼやけているが静謐な日々はツィリルの性分に合っている。
掃除をしていると朝食をとりに行く学生たちとすれ違う。ツィリルは基本、毎年顔ぶれが変わる彼らに注目しないが今年は例外だ。ツィリルの知るモニカは慎ましいと気持ち悪いが両立する奇人だったが絶対に傍若無人ではなかった。今の彼女はひたすらおぞましい。
先ほどすれ違った際もエーデルガルトに馴れ馴れしくしていて不気味だった。何かに取り憑かれているのだろうか。考えても無意味なことを考えているうちにツィリルは箒を手に立ち止まっていたらしい。背中に衝撃を感じた時には柄を手放し、よろめいて膝をついてしまった。足元には箒と籠、そしてその中身らしき布の包みが転がっている。包まれているのは麵麭と乾酪だろうか。
「すまない、ぶつかっちまったな」
「ごめん、クロード。今のはぼんやりしてたボクが悪い。荷物とか大丈夫?」
「食堂できちんと包んでもらったから大丈夫だ。でも俺がここで転んだことはローレンツには内緒な」
どうやらローレンツは珍しく臥せっていて、クロードは彼に朝食を差し入れをするつもりらしい。ツィリルが転がった布の包みと籠を拾ってクロードに渡してやると礼を言い、小走りに去っていった。畳む
蒼月ルートのクロロレです「家出息子たちの帰還.6」
#クロロレ #家出息子たちの帰還
───病に苦しむだけではない。霊魂が抜けだし、空になった肉体は日頃の本人とかけ離れた行動をする。行動を律していた霊魂が抜け出すと病は治る兆しを見せず生気が抜け、無気力になることが多い。そこに悪霊が取り憑くと本人だけでなく、周りに死や不幸をもたらす存在になってしまうのだと言う。その場合、巫者は悪霊を祓い、見つけた魂を本人の身体に戻さねばならない───
出席が義務付けられている礼拝が終わり、学生たちはそれぞれに次の教室へ向かおうとしている。そんな大聖堂の中にクロードのくしゃみの音が響いた。顔を咄嗟に肘の内側に当てていたがそれでも完全に音を殺すのは難しい。《寒がり、寒がり、襟巻きで首を絞められるのが怖いのさ》ディミトリの頭に響く声がクロードを小馬鹿にする。夜な夜な修道院の敷地内を彷徨くクロードはディミトリが部屋にいないことを知っているが、沈黙を守っていた。
「行儀が悪い。今が礼拝中でなくて良かったな」
ローレンツがそっと囁き、左肩の上へ伸ばされたクロードの手に手巾を渡す。彼が実は親切なことを知る学生は割と多い。
「すまんな」
クロードが渡された手巾で鼻と口を押さえながら謝罪した。ドゥドゥーが興味深そうに彼らのやり取りを見ている。レスター諸侯同盟は君主を戴かない国だ。だからクロードは従者なしで士官学校に入学している。隣席に座るローレンツは単なる学友であって家臣や部下ではない。
「やはり山の夜は寒いか?」
「正直言って甘く見てたな」
「クロード、体調不良なところ申し訳ないが少し時間をくれ」
「内密な話がしたいのであれば失礼する」
ディミトリの言葉を聞いたローレンツが足早に去ろうとした。
「いや、そんな仰々しい話ではない。先生から課題協力の話はあったか?」
クロードは英雄の遺産に対する興味を隠さない。政治に疎いベレトは単純にそれなら肉眼で見られる機会を与えたい、と思っているようだ。しかしディミトリとしてはこれ以上ゴーティエ家のものを好奇の目に晒したくない。
「断った。だが、本音を言えば……」
言葉を続けようとしたところでローレンツの大きな手がクロードの口を塞ぐ。
「クロードは今節、円卓会議に出席するのだ。だから安心してくれたまえ」
「俺だってシルヴァンに同情してるのに……」
掌越しに聞こえてくる言葉は順当なものに変換されていた。こんな風に互いが補完しあうことを期待して、彼らは同学年にされたのかもしれない。ディミトリはまともな大人が国の舵取りをしている同盟が少し羨ましかった。
ローレンツは帝国と領地を接するグロスタール家の嫡子だがシルヴァンとも親しい。女子学生からの評判は散々だったが、ローレンツは社交的でフェルディナントとも親しい。散々揶揄っているがクロードも彼の真っすぐさを好ましく思う。
結局、課題協力はローレンツがすることとなり、クロードもそれが正しい人選だと思ってガルグ=マクを発った。自重できた、と見做されているが兄弟の殺し合いに何を思うのか自分でも予想できないから、という方が正しい。クロード、いや、カリードにも不仲な兄がいる。
円卓会議で散々大人たちにやり込められたクロードがガルグ=マクに戻るといつも溌剌としているローレンツがひどく塞ぎ込んでいた。隠そうとしているがふとした拍子に浮かべる表情がどこか暗い。
揶揄する気になれなかったクロードは彼を招くため寝台の上から机と椅子の上に物を移動させ、座る空間と卓を置く空間を確保した。杯とデアドラで買った酒を寝台脇の卓に置く。長い夜になるかもしれないと思って洋燈に灯り油も足してある。
寝台で隣に腰掛ける寝巻き姿の彼は杯に口を付けるなり、恐ろしい───と呟いた。マイクランの件に関しては箝口令が敷かれている。だが人の口に戸は立てられない。
「一体、何があったんだ?」
ローレンツは言葉を選びながら黒風の塔で何があったのか、教会がどんな沙汰を下したのか、を説明してくれた。
「グロスタール家に、教会からそんな説明を受けた記録は存在しない」
勿論リーガン家にも伝わっていない。だが、セイロス教徒にとって無謬である中央教会の迅速な反応から察するに───危険性について、かなり昔から把握している。
「ローレンツ、俺がお前の代わりに言うから」
クロードは思わず白い手を取ってしまった。ガルグ=マクに戻っても緊張が解けていないのだろう。彼の指先は冷え切っていて唇は震えている。千年近い信頼を蔑ろにされたのだ。我がことではないというのに何だか無性に腹が立つ。
「僕から言葉を取り上げないでくれたまえ」
「いいや、俺が言う。武器だぞ?!命の奪い合いの時に使うんだぜ?中央教会は不誠実だ」
切れ長な目の縁に涙が溜まっているが本人は絶対に認めないだろう。言わせてしまったという後悔の涙なのか同意を得られた安堵の涙なのか、を確かめるには味をみるしかない。畳む
#クロロレ #家出息子たちの帰還
───病に苦しむだけではない。霊魂が抜けだし、空になった肉体は日頃の本人とかけ離れた行動をする。行動を律していた霊魂が抜け出すと病は治る兆しを見せず生気が抜け、無気力になることが多い。そこに悪霊が取り憑くと本人だけでなく、周りに死や不幸をもたらす存在になってしまうのだと言う。その場合、巫者は悪霊を祓い、見つけた魂を本人の身体に戻さねばならない───
出席が義務付けられている礼拝が終わり、学生たちはそれぞれに次の教室へ向かおうとしている。そんな大聖堂の中にクロードのくしゃみの音が響いた。顔を咄嗟に肘の内側に当てていたがそれでも完全に音を殺すのは難しい。《寒がり、寒がり、襟巻きで首を絞められるのが怖いのさ》ディミトリの頭に響く声がクロードを小馬鹿にする。夜な夜な修道院の敷地内を彷徨くクロードはディミトリが部屋にいないことを知っているが、沈黙を守っていた。
「行儀が悪い。今が礼拝中でなくて良かったな」
ローレンツがそっと囁き、左肩の上へ伸ばされたクロードの手に手巾を渡す。彼が実は親切なことを知る学生は割と多い。
「すまんな」
クロードが渡された手巾で鼻と口を押さえながら謝罪した。ドゥドゥーが興味深そうに彼らのやり取りを見ている。レスター諸侯同盟は君主を戴かない国だ。だからクロードは従者なしで士官学校に入学している。隣席に座るローレンツは単なる学友であって家臣や部下ではない。
「やはり山の夜は寒いか?」
「正直言って甘く見てたな」
「クロード、体調不良なところ申し訳ないが少し時間をくれ」
「内密な話がしたいのであれば失礼する」
ディミトリの言葉を聞いたローレンツが足早に去ろうとした。
「いや、そんな仰々しい話ではない。先生から課題協力の話はあったか?」
クロードは英雄の遺産に対する興味を隠さない。政治に疎いベレトは単純にそれなら肉眼で見られる機会を与えたい、と思っているようだ。しかしディミトリとしてはこれ以上ゴーティエ家のものを好奇の目に晒したくない。
「断った。だが、本音を言えば……」
言葉を続けようとしたところでローレンツの大きな手がクロードの口を塞ぐ。
「クロードは今節、円卓会議に出席するのだ。だから安心してくれたまえ」
「俺だってシルヴァンに同情してるのに……」
掌越しに聞こえてくる言葉は順当なものに変換されていた。こんな風に互いが補完しあうことを期待して、彼らは同学年にされたのかもしれない。ディミトリはまともな大人が国の舵取りをしている同盟が少し羨ましかった。
ローレンツは帝国と領地を接するグロスタール家の嫡子だがシルヴァンとも親しい。女子学生からの評判は散々だったが、ローレンツは社交的でフェルディナントとも親しい。散々揶揄っているがクロードも彼の真っすぐさを好ましく思う。
結局、課題協力はローレンツがすることとなり、クロードもそれが正しい人選だと思ってガルグ=マクを発った。自重できた、と見做されているが兄弟の殺し合いに何を思うのか自分でも予想できないから、という方が正しい。クロード、いや、カリードにも不仲な兄がいる。
円卓会議で散々大人たちにやり込められたクロードがガルグ=マクに戻るといつも溌剌としているローレンツがひどく塞ぎ込んでいた。隠そうとしているがふとした拍子に浮かべる表情がどこか暗い。
揶揄する気になれなかったクロードは彼を招くため寝台の上から机と椅子の上に物を移動させ、座る空間と卓を置く空間を確保した。杯とデアドラで買った酒を寝台脇の卓に置く。長い夜になるかもしれないと思って洋燈に灯り油も足してある。
寝台で隣に腰掛ける寝巻き姿の彼は杯に口を付けるなり、恐ろしい───と呟いた。マイクランの件に関しては箝口令が敷かれている。だが人の口に戸は立てられない。
「一体、何があったんだ?」
ローレンツは言葉を選びながら黒風の塔で何があったのか、教会がどんな沙汰を下したのか、を説明してくれた。
「グロスタール家に、教会からそんな説明を受けた記録は存在しない」
勿論リーガン家にも伝わっていない。だが、セイロス教徒にとって無謬である中央教会の迅速な反応から察するに───危険性について、かなり昔から把握している。
「ローレンツ、俺がお前の代わりに言うから」
クロードは思わず白い手を取ってしまった。ガルグ=マクに戻っても緊張が解けていないのだろう。彼の指先は冷え切っていて唇は震えている。千年近い信頼を蔑ろにされたのだ。我がことではないというのに何だか無性に腹が立つ。
「僕から言葉を取り上げないでくれたまえ」
「いいや、俺が言う。武器だぞ?!命の奪い合いの時に使うんだぜ?中央教会は不誠実だ」
切れ長な目の縁に涙が溜まっているが本人は絶対に認めないだろう。言わせてしまったという後悔の涙なのか同意を得られた安堵の涙なのか、を確かめるには味をみるしかない。畳む
#クロロレ #家出息子たちの帰還
11
───魂の抜けた身体は御者のいない馬車に例えられる。馬はあちこち好き勝手に走り回り、方々にぶつかり馬も傷つく。そのうち御者がいないことに気づいた悪霊が馬車に乗り込む。一方で巫者は御者に例えられる。自らの意思で魂を抜いた身体に精霊を憑依させるからだ。だが巫者の内なる世界で何が起きているのか、は彼らを外部から観察するしかない余所者が客観的に判断するのは不可能だ。───
日頃は施錠されていて出入りの許されない女神の塔はわざとらしく鍵が外されていた。修道院の粋な計らいだろうか。クロードは少し離れた場所から、散り散りに塔へ向かっては見つからないように出てくる学生たちを眺めた。結果として入れ替え制になっていることに皆が気が付かないのは見つからないように必死だからだろう。意識はお相手に集中しているので前後に誰がいたのか、など考えもしない。
もう少し近寄れば顔も分かるだろうが、そこまで近寄ると人目を避けたい二人がクロードに気がついて塔に入らず去ってしまう。クロードは特別な、今晩だけの時間潰しとして塔の入り口付近にある物陰に一人で隠れることにした。それにローレンツに見つかれば先ほどの件で叱言を言われるに決まっている。早寝な彼が眠ってしまうまで時間を潰した方がいい。寝て起きれば怒りも薄まっているはずだ。
束の間の自由を楽しむ鳥籠の鳥たちは本当に終生その相手を愛するのだろうか。クロードのどこか他人事な態度は早々に崩れることとなった。長身で性根も髪の毛も真っ直ぐな人物が塔に向かって歩いてくる。
自分とあんなことをした彼が相応しいと認定した女学生は誰なのだろう。自分から均衡を崩したくせにクロードの心はざわめいていた。ローレンツは通路の真ん中で辺りを見回している。人目を避けているのか、それともお相手が来るのを待っているのか。
今晩は舞踏会にいた学生たち誰もが歩みを進める夜なのかもしれない。それならクロードはどこに向かっていくのだろう。そして事態は思わぬ方に進んだ。ローレンツがこちらに近づいてくる。
「悪趣味だぞ、クロード」
影がさしていて彼の表情はよく見えなかった。
「おいおいローレンツ、俺のこと構ってる場合か?お相手のことを考えろよ」
吹き出た冷や汗が背中を伝っていく。口から出まかせはいくらでも出てくる。故郷ではそうやって危機を回避してきたからだ。だが一体、何の危機というのだろう。単なる色恋沙汰に過ぎないのに。
「全く……君は自分だけが指し手だと思っているようだ。場所を変えるぞ」
ローレンツは眉間に皺を寄せたままクロードを睨みつけた。
クロードが舞踏会を引っ掻き回すところをローレンツは呆然と見つめていた。彼は何故、自分の前であんなことをするのか。耳目が集まるような場であんなことをするなら何故、コナン塔から帰還した後であんなことをしたのか。曲が終わったらすぐにクロードの元へ行って───何かを言わねばならない。そう考えて黄色い外套を目で追っていたローレンツは後ろからそっと肘を掴まれた。それが振り払えないほどの力であったので誰なのか察する。
「喜んでお相手するよ」
ローレンツは振り向いて右手を胸に当て、ヒルダに礼をした。次の曲が始まり、大広間の真ん中に二人で手を取って踊り出る。皆、音楽と相手に夢中で密談するにはもってこいだった。
「ローレンツくん、また騒ぎを起こすのは駄目だよ」
くるくると回りながらヒルダが忠告してくる。二つ結びにした薄紅色の髪がすれ違うものたちにぶつからないよう、ローレンツが進行方向を調整せねばならない。
「何もかもあの調子でいくと思わせたくない」
「試してもらいたいことがあるから今は堪えてくれるかなー?」
彼女がそう言った時は半信半疑だった。しかしローレンツが数曲踊った後、確かにクロードはヒルダが誘導した通りに先に引き上げていた。
真の事情を知らないヒルダは単に友情と善意ゆえにローレンツの名誉を救ってくれたに過ぎない。そんな彼女の手のひらで転がされたことが信じられないのだろう。寮に戻る道中、種明かしをされたクロードはローレンツの部屋で頭を抱えている。
「いや、本当に油断禁物、だな……」
「周りのものたちを甘く見るな。ヒルダさんに悪趣味な好奇心を見抜かれていたではないか」
恥ずかしさは底を打ったのかクロードは顔を上げた。言うべきことを言おうとする姿は年相応で可愛らしい。
「不安な思いをさせて悪かった」
ローレンツは今後、この口からこの類の言葉を何度も聞かされそうな気がする。
「分かっているなら結構」
そして聞かされる度にこんな風に返事をするのだろう。女神の塔に現れた自分を見て、ひどく不安そうな顔をしていた時点でローレンツはクロードのことを許していた。畳む